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森の生活 (Walden : or Life in the Woods)

森の生活『森の生活』 (Walden : or Life in the Woods)
著者 H.D.ソロー (Henry David Thoreau)
訳者 飯田実
岩波書店


 ウォールデン湖はアメリカ・マサチューセッツ州コンコード村の郊外にあって、周囲をなだらかな丘や森に囲まれ透明度の高い水をたたえている。 ソローはその湖畔に独力で小屋を建て、自らの糧を自らの手で得る方法で 2 年 2 ヶ月のあいだ文化的な生活を棄て、思索的な生活を送った。

 1845 年というから、日本では徳川幕府の第 12 代将軍家慶の時代でありペリー来航の 8 年前である。 そんな時代に喧騒と非人間的な文化生活を嫌い、人間の本質に最も近い生活を実践しようとしたのだから恐れ入る。 ソローはそんな生活の中で隣人たち (鳥や動物) の動きを監察し、植物の声を聞き、森から聞こえる多くの音に耳を傾けている。

 森での生活を始めるようになったきっかけを、ソローは著書の中で次のように述べている。 「・・・死ぬときになって、自分が生きていなかったことを発見するような羽目に陥りたくなかったからである。 私がおもに語りかけたいのは、日ごろ不満をいだき、いたずらに自分の不運や時世のひどさを嘆いているだけで、いっこうに事態を改善しようとはしない大多数の人々に対してである。 ・・・さらに、あぶく銭をかき集めてはみたものの、その使い方も捨て方もわからず、自分用に金銀製の足枷を鍛えている、見かけは金持ちだがあらゆる階層のなかでもぞっとするほど貧しい、あの階層のひとびとのことも念頭に置いているのである」と。

 彼の目に映る人間は、多くの不要物を身体に括りつけ、その重みに喘ぎながら楽にならない暮らしを嘆いている悲しい生き物なのであろうか。

 彼はその質素な生活の中で、我々が見落としてしまう日常的な光景・自然の営みに驚きや感激を発見し、我々の気付いていない生き方・幸福の味わい方を教えてくれる。 それは裏を返せば、今の生活を続けているうちは決して高い次元での幸福を味わうことは出来ないことを示唆しているのではないだろうか。 ソローは見て、聴いて、感じたことを次のように記している。
 人間は我が身を守るための一番外側の殻として、住処 (すみか) を必要とするようになった。文明社会では、稼ぎの大半を注ぎ込んでやれば快適な住処という恩恵にあずかることができるしくみになっている。
 ところが、こうしたものを享受しているといわれる者が、たいていは貧しい文明人であり、そういうものを持たない未開人が、未開人なりに富んでいるというのはどういうわけだろうか。
   人間の住む部屋はすべて、頭上にほの暗い空間をつくり出せるほど高く、夜は垂木のあたりに火影がちらちらと揺れ動くように建てるべきではあるまいか? そうした物影のほうが、フレスコ画とか、恐ろしく高価な家具類よりも、人間の空想や想像にずっと気持ちよく訴えかけてくる。
   いつだったか、村の菜園で草取りをしていたとき、肩の上にスズメが一羽、しばらくのあいだ止まっていたことがあり、私はどんな肩章を授けられるよりも立派な名誉を与えられたような気がしたものだ。
 その気になりさえすればすばらしい暮らしが待っているのに、なぜお前は、こんなところで、あくせくとみじめな生活を送っているのだ。あの星たちはほかの畑の上にもおなじように輝いているのだよ。
   たった一度のやさしい雨が、春の緑色をいっそう深めてくれる。 同様に、よい思想が到来すると、われわれの前途は明るくなる。 ・・・もう春は来ているというのに、われわれは冬をさまよっているのだ。

 ソローは自然界で起こる様々な出来事に対して、驚くほど繊細な眼と耳を持ち、詳細に観察している。
自然に暮らしたいという憧憬は、それが人間にとって空気や水と同義語であるほどに必要不可欠なものであり、肉体と精神の両方から希求される本能に近いものだからに相違ない。

 ソローの実践した生活には強い憧れと安らぎを覚える。 だが、近代文明社会のぬくぬくとした生活に飼い慣らされ賢くなってしまった私は、決して森で暮らすことはないだろうことを知っている。
 それでもなお、「森の生活」に対する枯れることのない内なる欲求には真摯に心を開き、実生活との平衡を保つよう努めるべきではないだろうか。

 我々はあまりに強大な力を手にしてしまった。 その結果、我々の拠って立つべき領域を自らの手で狭め続けているのである。 もうそろそろ気付こうではないか、人間は自然から乖離して生きてゆくことは出来ないのだから。

 現在の生き方に疑問・疲れ・嘘っぽさを感じたら、ソローの生きた世界を覗いてみよう。 そこにはきっと別な生き方、あるいは違う世界の価値観があり、あなたのすぐ傍にも同じ世界があることに気付くはずだ。

 本書は引用、比喩、揶揄、隠喩、皮肉が随所に現れる。 文字通りに解釈していたのでは、とても著者の真意 (深意) はつかめない。 是非巻末の訳注を参照しながら読み進まれんことを。



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