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ウルカヌスの群像 ブッシュ政権とイラク戦争 (Rise of The Vulcans.)

ウルカヌスの群像 ブッシュ政権とイラク戦争『ウルカヌスの群像 ブッシュ政権とイラク戦争』
(Rise of The Vulcans. The History of Bush's War Cabinet)
著者 ジェームズ・マン(James Mann)
監訳:渡辺昭夫
共同通信社


【ウルカヌス】
 ローマ神話の火と鍛冶の神。

 2003 年 3 月 19 日、ブッシュ合衆国大統領は「イラクの自由作戦」の開始を宣言した。 圧倒的な軍事力の米軍はたちどころにイラクを席巻し、4 月 9 日にバクダッド陥落、5 月 1 日にはブッシュ大統領は空母 エイブラハム・リンカーン の艦上で、大規模な戦闘作戦の終結を宣言した。

 アメリカの安全保障にとって重大な脅威であるサダム・フセインを排除することを目的とした軍事作戦は、当初の目的を達成し成功裏に終了したと言えるのだろうか。

 国家間の交戦は、正当防衛あるいは相当の理由が存在することが前提であるとし、他国にもそれを求めてきたのは、他ならぬアメリカだったのではないか。
 如何にしてブッシュ率いるホワイト・ハウスは、自国の防衛という概念を脱ぎ捨て、先制攻撃を「是」とする論理を身にまとうようになったのか。

 強いアメリカを目指すブッシュの外交政策、特に軍事力を背景とした外交戦略の策定には、大統領を補佐する外交政策チームの性格が大きく関わっている。

 2001 年に大統領となったジョージ・W・ブッシュは、その選挙戦中「私はこれまでで最高の外交政策のチームに恵まれている」と語っていた。 彼が指していたのは、ディック・チェイニー、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、ポール・ウルフォウィッツ、リチャード・アーミテージ、ドナルド・ラムズフェルドといった面々である。
 コンドリーザ・ライスの出身地アラバマ州バーミンガムには 17 メートル近い巨大なウルカヌス像が立っていた (バーミンガムは鉄の街である)。 彼等は自分たち自身のニックネームとして「ウルカヌス」を使うようになった。

 1991 年のソ連の崩壊によって、冷戦という枠組みの中での世界の力の均衡は破綻した。 アメリカと世界の関係、特に軍事力を背景とした新しい戦略構想は再定義されなければならない。 そのように感じたウルカヌスたちは、アメリカと世界の関係についての戦略とアプローチの全体を定義しなおす作業を、この時すでに開始していた。
 「悪の枢軸」発言や「先制行動ドクトリン」が誕生するに至った、彼等の依拠する論理はどのようなものであったのだろう。

 著者のジェームズ・マンは、彼等の生い立ちや、講演の記録、著述、その時々に関わりのあった人々の証言、そして勿論本人へのインタビュー等を駆使して、彼らの思想が如何にして育まれたか、発言や行動の真意は何だったのかを明らかにして行く。
 ここで描かれるのは、彼らの政策・行動に批評を加えることではなく、政策決定のプロセスを個性の発露として捉えた著者のペンを通して、彼ら自身の思想・心情・行動を彼ら自身が語る言葉である。

 著者はこう言っている。

 ウルカヌスによるイラクでの冒険が、過去 35 年にわたって彼らが考えてきた、世界におけるアメリカの役割についての理念の所産であることは疑問の余地がない。 それはウルカヌスたちが冷戦期に育んだ考え方 --- アメリカは軍事力を重視して自己の理念を世界に広めるべきであり、他の力の中心の存在を許してはならないという考え方 --- を冷戦後の世界へ持ち出す究極の一歩だった。

 政権発足時には「まるで同窓会のようだった」とのコメントまで出た外交政策チームであったが、イラク情勢を巡っての不協和音はマスコミで報道された以上に深刻で、修復不能なほどの激論も行なわれていた。 特に軍事行動開始にあたっての考え方に、パウエル、アーミテージ組みとラムズフェルド、チェイニー組みの間には相当な温度差があった。
 ベトナムでの従軍経験を持つパウエルとアーミテージは、周到な準備と明確な目的、勝利・戦後処理についての十分な見通しを求めていた。 従軍経験のない他のメンバーが、積極的に開戦を支持するのとは対照的である。
 こうした考え方の違いが、それまでの経験・学習から導かれるのは疑いがないが、彼等の口から直接語られる対立点と、考えの根底にある理念は知っておくべき事柄かもしれない。 現代アメリカの政権中枢部で何が話し合われているのか、その背景となっているものは何なのかを同時進行形で見ているような、そんな読後感を持たせてくれる一冊である。

 彼の国の外交政策決定のプロセスおよびその戦略は、狡猾といえるほど用意周到である。 政策の決定は、結局は個々人の歴史に対する判断と思想の帰結であることを考えると、ウルカヌス達が積み上げてきたキャリアの豊富さは、実は当然持っていなければならない資質であるとの思いに至る。
 本書からは、ウルカヌス達の背後には、彼等の予備軍とでもいうべき在野の研究者・実務者が豊富に存在し、また、そうした人々の研究に充分な資料を提供する良質な歴史書やドキュメンタリーが多数出版され、研鑽の場も多数存在しているのだという事実に気付かされる。 政策担当者を育て上げる環境が整っているのである。

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 加藤陽子氏が著書「戦争の論理」の中で次のように述べている。 彼我の境遇の違いを思うと、あまりにピッタリな指摘なので紹介したい。
 外交政策などの決定にかかわる者は、現在の死活的に重要な問題を処理するときには過去からの類推を行ない、未来を予測する時には過去との歴史的対比を行なう。 しかし、その際、類推され、想起され、依拠される歴史的事例が、講談や和歌というかたちでしか提供されないのは不自由なことなのではないだろうか。 あるいは、この先、歴史小説や大河ドラマというかたちでしか提供されないのは不幸なことなのではないだろうか。



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