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真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々 (Day of Deceit)

真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々『真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』
(Day of Deceit : The truth about FDR and Pearl Harbor)
著者 ロバート・B・スティネット (Robert B. Stinnett)
監訳 妹尾作太男
訳者 荒井稔・丸田知美
文芸春秋


 昭和 16 (1941) 年 12 月 8 日未明 (日本時間)、南雲中将に率いられた連合艦隊は、のんびりとした休日の朝を迎えていた真珠湾の米国太平洋艦隊を攻撃、これを撃破した。 奇襲とはいえ、史上まれに見る大戦果であった・・・。 大多数の日本人ならそのように認識している。
だが、事実は違っていた。

 機動部隊が密かに千島列島択捉島の単冠 (ひとかっぷ) 湾に終結していることも、隠密裏に出港しハワイ方面に向かいつつあることも、12 月 8 日に戦端を開くことも日本軍部の動きすべてを、アメリカは、いやフランクリン・ルーズベルトは知っていたのだ。

 日本軍の発する暗号はほとんどが解読され、無線方位測定機によって各艦艇の所在はすべて割れていた。 自分達の暗号は解読不能だとたかを括っていた日本側は、機密保全の意識などないに等しくあまりに多くの電波を発した。 日本はその無知と傲慢さ故、自ら手の内を提供していたのである。
 日本側の動きを掌握していたルーズベルトは奇怪な行動に出る。 日本艦隊が発見されることのないよう、北太平洋を真空海域としてすべての艦船の航行を禁じたのである。

 しかし、驚嘆すべき事実はもっと他のところにあった。
 この当時、ヨーロッパはすでにナチスドイツに蹂躙され、イギリスが落ちればファシズムの脅威が大西洋を越えて迫り来るのは明白であった。 しかしアメリカ国民の大多数は、他国の戦争に関与することに反対していたのである。 ルーズベルトは反対する国民を、一致団結して戦争に対処させねばならない難題を抱えていた。

 1940 年 10 月、一通の覚書がアーサー・マッカラム少佐によって作成された。 米国の取るべき行動と題した覚書には、どのように追い込めば日本は暴発して戦争行為に走るか、日本をして開戦に導く 8 項目の施策が盛り込まれていた。

 ルーズベルトはこの覚書を採用した。 そして着実に冷徹に実行したのである。
アメリカの重大な関心はナチスドイツの脅威であり、否応のないヨーロッパ戦線参戦の口実のために、日本は挑発されたのだ。 日独伊三国同盟が締結されているため、日本と戦争状態になれば必然的にドイツ・イタリアとも戦争状態になることを意味する。 ルーズベルトは命じている「合衆国は、日本が先に明らかな戦争行為に訴えることを望んでいる」と。

 ルーズベルトの目論見はものの見事に当たった。 日本のだまし討ちに怒ったアメリカ世論は、一気に開戦へと結束していった。 しかしその代償は、兵士と市民に多くの犠牲を強いるものであった。 当然、太平洋艦隊司令長官のキンメル大将はその責任を問われたが、故意に情報を伏せられていた彼にとっては不本意であったろう。

 ルーズベルトの選択は、倫理的に見れば非難されて然るべきである。 だが著者は冒頭で「本書は、アメリカの戦争介入が賢明であったか否か、を問うものではない」と述べている。 その背景には、政治家ルーズベルトの功績は揺るぎないものである、との確信がある。 また、「ルーズベルトの下した決定は苦痛に満ちていたけれども、最も大事な自由をファシズムから守るため、戦略的に計算しつくされてものであった」とも述べている。 非難されるべきは、現在に至ってもなお多くの資料が隠蔽され続けている事実であろう。

 著者が調査した膨大な資料・インタビューは注釈として収録されている。 その努力と費やした時間は並大抵ではない。 敬服に値する。
 事実を白日の下にさらす痛みの伴う調査が、日本で行われた事はあまり聞かない。 悲しいことだ。 こうした真実を追究する姿勢・社会的体質 (つまり情報公開) が、健全な社会の構築には欠くことのできないファクターなのだと思う。 日本に決定的に欠けている部分ではないだろうか。
 つくづく思うのは、浅はかな指導者 (層) や不誠実な官僚しか持てない国民は、決して幸福にはなれないということだ。 我々はあまりに能天気に過ぎるのではないか。

 本書は是非、「監訳者あとがき」と「解説」もお読み頂きたい。 そうする価値のある本である。



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