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『国家なる幻影』
著者 石原慎太郎
文芸春秋
「深い深い慙愧の念を表す」との言葉を残して、25 年に及んだ国会議員を辞した石原慎太郎。
昭和 43 年に衆議院議員に初当選してから議員を辞する平成 8 年までの間、右寄り・タカ派の世評通りに思うがままに発言し物議をかもしたりもしたが、その経験は羨ましいほどに多彩である。
本書は平成 8 年から 10 年まで「諸君!」に掲載されたエッセイをまとめたものであるが、そこに書かれている内容には舌を巻く。
政治を志すに至る経緯から初めての選挙戦、弟裕次郎のこと、首相にまでなってしまった熊本の殿様、三島由紀夫氏との交流、青嵐会旗揚げ、田中金権政治の崩壊、親交のあったアキノ氏の暗殺、湾岸戦争での日本の姿勢とアメリカの態度等々、そのまま歴史書になってしまいそうな内容である。
新聞や TV でのニュースでしか知らない (ここの所が実はとても重要で、マスコミはありのままを伝えてくれない) 著名人や政治家の素顔や、マスコミ報道の裏側では何が行われていたのか石原氏の目を通して垣間見えて面白い。
そうであったのかと素人の思い込みを修正させられ、生命を賭して闘う者の存在を知り、良かれと思った選択が実態は無残なものであったり、屈辱的ともいえる日米関係に憤りを感じたりと、政治的に避難民同様であった自身の無知を恥じ入る。
当事者に反証・釈明の機会を与えず書かれている事柄をそのまま鵜呑みにするのは、公平さに欠けると言うものだろう。 しかしそうしたことを割り引いても、ここには毒にも似た事実があるような気がする。
石原氏は言う。
「最近の日本の政界における原理には、その基底に国家などというものがもはやほとんどありはしない。・・・ それぞれの党派の掲げるものは、拠り所もない空疎なイデオロギーでしかありはしなかった。・・・ 自民党も他の野党も、彼等の政治的テーゼを支えてきたものは結局それぞれのパトロンにも似た外国でしかなかった。 私たちは過去にかち得た経済繁栄の中で、実は国家として堕ちる所まで堕ちてしまったとしかいいようない」と。