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ビル・ゲイツ HARD DRIVE:Bill Gates and the Making of the Microsoft Empire

ビル・ゲイツ『ビル・ゲイツ』
(HARD DRIVE:Bill Gates and the Making of the Microsoft Empire)
著者 ジェームズ・ウォレス/ジム・エリクソン (James Wallace, Jim Erickson)
監訳 奥野卓司
訳 SE編集部
翔泳社


 1955年10月28日 ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ2世が誕生する。 パーソナルコンピュータはその構想さえもなかった。 10年程前にようやくデジタルコンピュータ、エアニックがペンシルバニア大学で開発されたばかりであった。
 米国史上最年少36歳で長者番付第1位。 19歳でハーバード大をドロップアウトした天才ハッカー。 最もハードな企業間戦争を勝ち抜いた若き帝王の素顔・・・。

 ビル・ゲイツは少年の頃から記憶力が抜群であり数学に強かった。 負けず嫌いであり競争心は非常に旺盛であった。 聖書の暗記でもテニスでも、とにかく何でも1番になりたがり、そのための努力は人一倍だった。 そんな少年がレイクサイド・スクールでコンピュータ(の端末装置)に出会った。
 気力・集中力・感性・知性など、他の生徒とは際立って違っていたビル・ゲイツはコンピュータに没頭した。 このレイクサイド・スクール時代にビル・ゲイツはプログラムを書いて収入を得るということをやっている。 15歳であった。

 この時代の彼を知る人たちの評価は好意的なものばかりではない。 実際彼は人付き合いが苦手なようで、---自分は誰よりも頭がいい、どんなときでも自分は正しいと思い込むタイプで、傲慢なヤツだった。--- と回想する人もいる。

 1974年12月、ビル・ゲイツがハーバード大学2年生の時だった。 「ポピュラー・エレクトロニクス」の表紙に載った「アルテア8080」*(1)を見たポール・アレンは、ビル・ゲイツのところへ飛んで来て「おい、見ろよ、BASICですごいことをやるチャンスだぜ」と言った。 「アルテア」を開発したMITSは「最初に実用になるBASICをもってきた者と契約する」と言っていたのだ。

 8週間、二人は昼夜を分かたずコンピュータ室に篭城して、インテルの専門家たちができるはずがない、と言ったことをやろうとした。
 まずアルテアがなかった。 「8080チップ」*(2)のマニュアルを買い、PDP−10*(3)に「8080」のエミュレートをさせなければならなかった。 自分達のオリジナリティ溢れる、革新的なBASICを創造しなければならなかった。 後にビル・ゲイツは「あの8週間で書き上げたBASICプログラムほど誇りに思うものはない」と語っている。 マイクロコンピュータ用のBASICプログラムを書いた者はそれまでいなかった。

 翌年2月、二人の書き上げたBASICコードは、紙テープリーダーでアルテアに送り込まれた。 突如アルテアは甦り、「メモリサイズは?」と出力してきた。 メモリサイズを入力した後「print 2+2」とタイプすると、アルテアは「4」と正しい答えを出力した。 この後アレンは「月着陸船」プログラムをアルテアで走らせた。 後にマイクロソフトBASICと呼ばれるプログラミング言語で実行された、最初のソフトウェアプログラムである。 パーソナルコンピュータ革命は、まさにこの時に始まった。

 この年の夏、ビル・ゲイツとポール・アレンはソフトウエア会社を設立する。 マイクロソフトの誕生である。

 本書は、ビル・ゲイツの少年時代からDOS5.0やWindows3.0が発表される1991年までを、本人および多数の関係者へのインタビューを基にビル・ゲイツの足跡を追っている。
 業界を築き上げてきた数々のトピックを、それにまつわるエピソードや関係者の証言で構成しているので、彼らがその時何を考えどう行動したのか、そして今どう感じているのかを窺い知ることができる。

 本書を読むとマイクロソフトが全ての設計やコードを作ったのではないことが分かる。 時には他人の知識を借り、時には買収し、時にはライセンスを受けた。 背後に大きな取引や市場があることを隠して安く仕入れ、他社には適正(高額)な価格でライセンスした。 このため多くの人や企業が「騙された」と感じていることは否めない。 自分のやっていることを、大きく伸びようとしている未知数の分野でどう位置付けられるのか。 ビル・ゲイツは明確なビジョンを持っていた、あるいは強烈な意志を持っていたということになるのだろう。

 マイクロソフトの抜け目のないマーケティングや、弁護士より有利な取引をしようとするビジネス手法は、常に1番であろうとするビル・ゲイツの性格がそのまま出ている。

 ビル・ゲイツはプログラミングの天才であったが、マーケティングの面でも天才だったのだ。


*(1) アルテア MITS社が製作・販売したマイクロコンピュータ組み立てキット。現在のようなキーボードやディスプレイはなかった。
*(2) 8080チップ マイクロプロセッサの1つで、米インテル社が1974年に出荷した8ビットCPU。
*(3) PDP-10 DEC(Digital Equipment Corporation)が開発したコンピュータシリーズの1つ。


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