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裏切りの同盟 (Sleeping with the devil)

裏切りの同盟『裏切りの同盟』 (Sleeping with the devil)
著者 ロバート・ベア (Robert Baer)
訳者 柴田裕之
NHK出版


【 石油 】
 海水を注入した圧力で採取されたばかりの石油はサワーと呼ばれ、そのままでは商品にならない。 海水を分離し、徐々に減圧しながら脱硫装置で硫黄分を取り除いて、晴れて売り物のスィーツになる。
 石油は大規模な精製施設と供給ルートの確保が必要な厄介な商品である。 だが石油の利権を握ったものは間違いなく巨万の富を得ることができ、世界をコントロールすることができるのだ。
 全世界の確認埋蔵量の 4 割は、クウェートからサウジアラビア、カタールへと延びる長さ 650 Kmに満たない、ほとんどが浅瀬のペルシャ湾沿岸地域が占めている。

 現代の経済活動は石油抜きにはあり得ない。 それは単なるエネルギーではなく、生活のあらゆる部分に浸透し社会基盤そのものと言える存在になっている。 供給され続ける石油の上で、先進国といわれる国々は繁栄を謳歌しているのだ。
 石油の供給が停止あるいは停滞するようなことが起れば、世界経済がたちどころに破綻することは誰にも異論はないだろう。 ところが誰もが、そんなことは起り得ないと考えている。 そして、石油の安定供給は今後も継続されるという神話を信じて疑わない。

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 第 2 次世界大戦の終結が近い 1945 年 2 月、ヤルタ会談に出席したルーズベルトはその帰路スエズ運河のグレート・ビター湖へ赴き、新生サウジアラビアの国王イブン・サウドとの秘密会談を持った。 神話はここから始まる。

 ルーズベルトは石油の戦略的価値を見抜いていた。 一方、部族紛争に明け暮れる日々からようやく抜け出したばかりのイブン・サウドは、他国による占領や干渉を忌み嫌っていた。
 ルーズベルトは相応の資金提供と、サウジアラビアを占領する意図の無いことを約束した。 各国の植民地政策とは一線を画していたアメリカの約束は決定打となった。
 サウジアラビアはアメリカの軍事力によって、旧敵国やイスラム教他派閥から受ける脅威からの安全を保障され、アメリカは中東でのヨーロッパ優位を切り崩し、共産主義の影響力に対する防波堤を築くことができる。 イブン・サウドは安全保障と大金を手にし、アメリカは巨大な石油貯蔵庫を手にしたのである。

 1968 年末、リチャード・ニクソンの大統領選勝利のお祝いに駆けつけたサウジアラビアの事業家カショギは、席を立つ時にたまたま百ドル札で 100 万ドル入ったブリーフケースを忘れていった。 誰も何も言わなかった。
 直接あるいは間接に陰のオイルマネーはアメリカに還流することになった。 その範囲は政界ばかりでなく公共施設への寄付金や公務員の年金基金にまで及んでいる。
 ワシントンは株式会社であり、サウジアラビアはその筆頭株主なのだ。 サウジアラビアのやり方に口出しする者はその席に座ることはできない。 だが見たことを忘れる器量があれば甘い蜜が与えられるのだ。 アメリカとサウジアラビアの蜜月時代は続き、世界は平穏の内に快適な生活を送れる筈だった。

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 長い間、アラビア半島の広大な地域では多くの部族と様々な宗派が覇権を争っていた。 イブン・サウドの祖先 (リヤド近郊の支配者) はワッハーブ派と結びついて、アラビア半島のいたるところで 200 年近くにわたる戦いを起こし、1932 年にイブン・サウドの代になってようやく占領地を統一した。 イブン・サウドはワッハーブ主義を国教に定め、ワッハーブ派の支持者と共にイスラム国家をつくりあげた。
 この経緯がすべての始まりだった。 厳格な純粋主義のワッハーブ派は、生活のあらゆる面で彼らの流儀があった。 ワッハーブ派は武力に頼って行動し、逆らう者は誰でも殺すことで知られている。

 1967 年 6 月のイスラエルとの六日間戦争でアラブは歴史的敗北を喫する。 サウジアラビアはその戦争に参加しなかったが、王家はほどなくして、アラブ世界の内部からごうごうたる非難を浴びた。
 サウジアラビアはイスラムの二大聖地メッカとメディナの守護者でありながら、イスラム世界が壊滅的打撃を受けているのを指をくわえて眺めていたのだ。 サウド王家は自己保身のために慈善事業に大量の金を注ぎ込み始めた。 イスラム過激派につながる慈善事業に。

 こうした事態をアメリカは黙殺してきた。 東西冷戦の時代にあって、同胞団がこちらの陣営にいてアメリカ人犠牲者を出さずにソ連と戦う安価な方法を提供してくれたからだ。 ホワイトハウスは同胞団を共産主義に対抗する秘密兵器とみなしていたのだ。 エジプトから追放された同胞団を保護していたサウジアラビアにウィンクすればよかった。 サウジアラビアがアフガニスタンの対ソ連レジスタンスへの資金援助を行なえば、アメリカも同額を提供するとの協定も結んだ。 ここでも大量の資金がイスラム過激派に渡った。

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 サウジアラビアは世界有数の福祉国家である。 医療費はタダで、住宅ローンも事業融資も無利子で受けられる。 国内の大学は無料だし、国外で学ぶ学生もかなりの助成金が受けられる。 あまりに優遇されているので、高度な教育を受けた優秀な人たちでも仕事につきたがらない。
 教育制度はワッハーブ派のイスラム原理主義者にほとんど委ねられており、サウジアラビアの若者はワッハーブ派のジハード(聖戦)推進主義者やその仲間のムスリム同胞団員の教育を受けている。

 一方、王族たちは度を越した浪費生活を続けており、それは時を経ても一向に改まらない。 ハーレムや城、自家用ジェット機、ヨット、衣装の詰まった倉庫その他を維持する費用だけでも莫大な額になる。 彼らはそれを石油取引や軍事関連事業の莫大な手数料でまかなっている。 つまり国庫に入るべき歳入が彼らの懐に入っているのだ。 そしてサウド一族はすでに 3 万人を超えている。

 王族による浪費と高福祉政策、そんなことが続けば国庫は枯渇する。 だが誰にも止めることができない。 福祉を充実させ、宗教を優遇するという社会契約があったからこそ、ワッハーブ派の説く神政政治の原則から外れているにもかかわらず、王家は統治を続けてこられたのだ。 この社会契約を破ったら、サウド王家に明日は無い。
 軍事面で節約すれば、守護者であるアメリカや、アメリカと並んで兵器や軍需品の主要供給者であるイギリス、さらに西側のあらゆる公的機関や民間企業の怒りを買う恐れがある。
 残る選択肢は一つしかない。 このまま軍需品を購入し、福祉を充実させ、とりうるかぎりの手段でジハード (聖戦) 推進派をなだめ、とうてい避けられない報いの時がすぐには訪れませんようにと、アッラーの神に祈るのだ。

 サウジアラビアは腐敗が進み、目を見張るほど理性を欠いた国になってきている。 昔から根強く残る孤立主義を甘んじて受け入れながら世界中のテロを生み出す場所、私欲を抑えることのできない王族が支配する国になっている。

 それでもアメリカ (と恩恵を受けるアメリカ人) にとって、現状維持が一番好都合だ。 石油と兵器の取引が行われオイルマネーが還流されていれば、アメリカは何も言わないし、何も言えない。

 サウジアラビアの国庫は枯渇し、国内にはイスラム原理主義者が溢れている。 腐敗と矛盾は、もはや手に負えないところまで来ており、残された時間は少ないのかもしれない。

 サウジアラビアが破綻すれば、先進工業国の経済もそれと共に破綻する。 それは世界の破綻を意味する。 防ぐ手立てはあるのだろうか。
 著者のロバート・ベアは、いくつかの想定をし、現実的な選択肢を提示している。 それは大きな混乱と痛みを伴うものだ。 我々は何をすべきだろうか。


【 サウジアラビア 】
 正式名称は、「サウド家によるアラビアの王国」。
 サウド家を国王に頂く絶対君主制国家であり、要職は王族が独占。 内閣も国会も存在せず、国王の命令が法律の公布と同意義になっている。 行政は国王命令、コーラン、イスラム法に則って施行される。



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