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報道は欠陥商品と疑え

報道は欠陥商品と疑え『報道は欠陥商品と疑え』
著者 鳥越俊太郎
ウェイツ


 新聞やテレビは連日おびただしい量のニュースを流し続けており、その勢いは決して止まらない。 我々は流れてきたニュースに反応し、時には驚き、時には不快になり、時には感動し、そして時には怒りをあらわにする。 それというのも、新聞記事やテレビの映像を、真実として受け止めているからに外ならない。

 あなたは新聞やテレビで毎日報じられているニュースが、誤っているかもしれない・嘘かもしれないと考えたことがあるだろうか。 「もしかすると間違いではないか」・・・そんな意識を持ちながらニュースに接することができるだろうか。

 例えばあなたが犯罪の被害者、あるいは嫌疑をかけられて容疑者になってしまったとしよう。 四六時中 TV カメラや記者につきまとわれて質問を浴びせられ、仕事振りや近所付き合いや趣味・嗜好品まで調査されて、もう一人のあなた像が全国に流されて行く。 そんな時、どこの誰に向って真実を訴えるのだろう。 恐ろしい限りではないか。

 だからこそ、報道は真実でなければならないし、真実であるための検証が為されなければならない。 公式発表、公権力の見解を鵜呑みにし、そのまま垂れ流していたのでは決して真実には近づけない。

 鳥越氏は指摘する。 『常に視聴者の風向きと一緒に動くのが日本のメディアの一つの特徴で、結果的にメディアも、政治も、役所も、国民も、みんな同じ方向に走り出しています』 と。
 横並びでいることの安心感に市民 (視聴者) のみならずメディアも慣れてしまっている。 情けないが、それだけ社会全体の底が浅いということだ。

 著者は、ニュース報道が欠陥商品となってしまう理由と現状を次のように述べている。
『第 1 に時間と競争している。 第 2 に人間の主観を通過しているので、人間の判断ミスや認識の間違いが必ず紛れ込んでくる。 その結果、われわれがつくっているニュースという商品は、完璧に真実というものではなくて、真実とはまだまだ距離のある欠陥商品なわけです。 情報の真贋を見極めることは、情報に携わる人間の資質でありモラルでもある。 しかし、現在は報道も消費の対象であり娯楽となっているのです』。

 本書を読めば、日々流されるニュースが如何に真実を伝えていないかが判る。 欠陥だらけの情報であることを踏まえてニュースに接し、複数のニュースソースから複合的に判断することに努めるべきだろう。 考えること、判断することを他人まかせにしていては社会の成熟はあり得ないし、真実はいつまでも闇の中だ。

 ここに書かれている言葉は、メディアの世界を生業としている者への警鐘であると同時に、情報の受け手としての我々一般市民への戒めでもある。

 鳥越氏は、コピーライターの糸井重里氏が主宰するホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」に、彼のコーナー『あのくさ、こればい』を寄稿している。 このサイトに通い続けると、ニュースへの接し方が変わるかもしれない。



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