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『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』 (JFK. Le Dernier Temoin)
著者 ウィリアム・レモン (William Reymond)
ビリー・ソル・エステス (Billie Sol Estes)
訳者 廣田明子
原書房
JFK (John Fitzgerald Kennedy) ―― 第 35 代アメリカ合衆国大統領は 1963 年 11 月 22 日、テキサス州ダラスの路上で伝説となってしまった。
自由と民主主義の盟主・アメリカの大統領が、白昼多くの市民が見守る中で狙撃されるという衝撃的な事件は、瞬く間に世界中を巡った。
狙撃犯として逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドもまた、同じダラスの警察署内でクラブ経営者だというジャック・ルビーに腹部を撃たれて消された。
事件の真相を求める声に呼応して設立されたウォーレン委員会は、オズワルドの単独犯行とする公式声明を発表して事件の幕引きを図ったが、「ザプルータ・フィルム(注)」の存在が明るみになるに至って完全に茶番となってしまった。
それでもなお、合衆国政府のウォーレン委員会報告を堅持する頑なな態度は様々な憶測を呼び、「JFK暗殺」を巡る謎は色褪せることなく現在も続いている。
40 年が経過して、少しは真相に近づけたのだろうか。 事件関係者の多くが他界し、知り得る者の口が永遠の閉ざされそうな 21 世紀初頭になって、真相への歩みは突然動き出した。
著者のウィリアム・レモンは前作「JFK、国事犯の解剖」で注目を集めたものの、さらに前進すべきと考えていた。
テキサスの裏を知る億万長者ビリー・ソル・エステスは、愛する妻の勧めや、裏切られたとの思いもあったことで、人生の終章を迎えるにあたりそろそろ潮時だと考え始めていた。
まさに語られるべきテーマについて、真相を追い求める者と真相の傍らに居た者のタイミングがピタリと合った。
ビリー・ソル・エステスは言う。 この事件の背景を理解するには「テキサス」を知らねばならない。 テキサスの風土と、そこを住処として土に生きることを厭わない人々の心と、テキサスの辿ってきた歴史を・・・・。 それらを知った上でなければ真実には近づけない。
JFK の暗殺とテキサスの歴史 ・・・・ ウィリアム・レモンは訝りながらも承知せざるを得なかった。 エステスは自らの生い立ちとテキサスの掟を語り始める ・・・・。
「JFK だけが 1963 年 11 月 22 日の犠牲者だったわけじゃない」と言うエステスは、数々の工作が行われていたことや、関係者の抹殺が行われたことも示唆する。
エステスの証言から得た情報を元にウィリアム・レモンは、更に調査の対象を広げて工作の裏付けを採り、その調査結果を携えてエステスを問い質すことを繰り返した。
そしてついに衝撃の真実が明かされる。
―― 南部はこれ以上の屈辱には耐えることができない。 中央政府とテキサスを結ぶパイプは確保しなければならない。 ――
『彼』にとって JFK は排除しなければならない障壁であった。 『彼』は一線を越えてしまったのだ ・・・・
『彼』の名は、「JFK謀殺・医師たちの沈黙」にも登場する。 時代背景や人間の心理をからめて証言するエステスの言葉は説得力を持つ。
「秘密など何もない」 ・・・ エステスの言葉である。 それでもなお問いたい、『彼』をそこまで追い詰めたのは何だったのか。 真実は亡霊のみが知っている。
(注)ザプルータ・フィルム
事件当日、パレードを見下ろす絶好の位置から撮影された 8 ミリフィルム。 JFK 暗殺の瞬間を鮮明に捉えており、ウォーレン委員会報告の決定的な反証となる。 撮影者の名を採ってこのように呼ばれる。