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量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ (Where Does the Weirdness Go ?)

量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』
(Where Does the Weirdness Go? : Why quantum mechanics is strange, but not as strange as you think.)
著者 デヴィッド・リンドリー (David Lindley)
訳者 松浦俊輔
青土社


 現実は果たして実在するのか --- なんと奇怪で不思議な問いかけだろうか。 しかし近年大きな進歩を遂げつつある量子論の世界から現実を考察すると、この奇怪な問いかけが妙に現実味を帯びてくるのである。

 量子力学の研究対象は、量子の世界にとどまらない。 我々の目に見えるマクロの世界も微粒子の集合体である以上、量子力学の束縛から逃れることはできない。 実際にマクロの世界も量子力学での記述が可能であり、その予測される通りの結果が確かめられているのだ。 その及ぶところは我々の肉体や我々の住処である地球を超え宇宙の進化にまで至る。

 量子力学からすると、あなたが夜空に見ている月がそこにあるのは、あなたが観測して (見て) いるからに外ならない。 しかも月がその軌道上の現在の位置に存在するのは単に確率の問題であり、月が現在の位置から忽然と姿を消し、軌道の反対側に現れる確率はゼロではないのだ。

 そんな厄介な理論など信じたくもないし、第一に美しくない。 量子論でノーベル賞を受賞したアインシュタインでさえ「それでも月は出ている」と言って気色の悪い理論に難色を示したのだ。

 デヴィッドは序論で次のように述べている --- 『パソコンは毎日便利に使っているが、入力・表示・保存・読み出しといった動作の根源では、すべてに於いて電子が介在している。 この電子というヤツの振る舞いは非常に奇妙で、波でありかつ粒子であるという相異なる性質を併せ持ち、居場所も速度も方向もハッキリしないボヤッとした存在である。 気まぐれにソッポを向くことも否定はできない。 そんな電子にコントロールされているパソコンを信じていいのか、経験上から「信じられる」と分かっていても確信は揺らいでしまう』。 --- ひょっとして我々は、実際に生活しているこの現実を信じてはいけないのだろうか。

 本書は電子や光の振る舞いについて、過去に行われた数々の観測や思考実験を再検証して読者の脳みそをシェイクする。 そこで語られる事柄は、我々の経験している世界とはあまりに乖離しているように見える。 私の手の中にある鉛筆や見えている現実も、ミクロの世界では相反する状態の重ね合わせだというのは、どのような状態なのだろうか。 デヴィッドはその後、一つ一つに例証や反証を紡ぎだして、シェイクされた脳みそを整然とさせることを試みる。 我々は安心して暮らせるのだろうか。

 表紙の帯にはこんな言葉が踊っている --- 『量子力学の出現によって、理論と現実の間に奇妙な乖離が生じる。 理論では実証されてもまったく現実味のないこの「奇妙にもやもやした」気分は何か? アインシュタイン、ボーア、ボーム、観測問題、シュレーディンガーの猫、相対論など、古典物理学から量子力学への転換に伴う重要事項を網羅し、量子力学の最先端と現実感のギャップを解消する』

 『そんな面倒なこと考えたくない』--- などと言わずに、是非最後まで読み通して頂きたい。 デヴィッドも序論のなかで言っている。 本書の目的は、この新しい理解を説明することである。 もやもやが完全になくなるわけではないにせよ、背景へと姿を消すところを見ることにしよう。 最後には、再び論理が現れ、世界はやはり筋が通ったものになるのだ。

 本書は最終章を次の言葉で結んでいる --- 『量子力学を額面どおりにとり、その奇妙な性質は操作可能だということを受け入れることをおぼえなければならないのだ。 それは世界はこんなふうに見えるはずだという経験的な見方には決して合致しないだろうが、それはそれなりの正当な世界を構成するのであり、我々はそれを尊重しなければならない。 もしかすると、それがいちばん根底にある教えかもしれない』

 相対性理論と同時代に生まれながら、そのもやもやとした曖昧さゆえ、理解されようとしない量子論。 時代はようやく量子論に門戸を開こうとしているのかもしれない。 そんな量子力学の世界を、ほんのちょっとだけ覗いてみませんか。



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