(7) G線上の変奏曲
01. クモナノアントニウス・ストラディヴァリウス―― 一六八一年製作
(1) クレモナのアントニウス・ストラディヴァリウス、一六八一年に製作
サン・ドミニコ寺院の前の石だたみの広場は、強い夏の日差しにまばゆいばかりに白く照り映えていた。皇帝の士官たちはいつもの日曜日ならきんきらの鎧(よろい)をつけて、教会へ急ぐ美人たちのほうを誇らしげに見やるのだが、このひどい暑さのなかでは、さすがにご自慢の鎧も脱がずにいられなかった。
いま彼らが身につけているもので光っているのは、うす青色の上着と真紅と白の制服の銀色と金色のボタンだけ――ほかには金貨銀で縁どられた三角帽の上でオストリッチの羽根飾りが跳ねるようにゆれている。肘までとどく騎馬用の白い手袋の下では体験の真鍮の柄(つか)が得意げに顔をのぞかせている。そのゆれを肘でおさえ、階級章をつけた房飾りのある上着のほうへぴったり押し付けている姿はいかにも優雅だ。そしてレースのハンカチで額や白いカツラの下の首筋にたれる汗をぬぐっている。
教会のなかへ入るまえに、太ったフランチェスカ・フェラボスキがバルコニーに出てきた。オリンポスの神々のごとく高慢に、赤い支柱の上に張られたキャンバスのおおいの陰で皇帝の乗馬靴の拍車がカチャカチャとなるその方を見おろした。乗馬靴は柔らかな革で皇帝の膝をぴっちりと締めつけ、膝小僧の下で折り返してあった。
フランチェスカはコルセットで締めあげた上でフープでふくらませたスカートのなかに挿し込まれたかのような、彼らの奥方たちにも目をくばった。羊飼いのかぶるようなちっちゃな帽子で飾っている塔のような形のかつらの上に挿された野の花、祈祷書を
手に貴族たちに愛想をふりまく娘たち。口から舌をたらしてはげしく息をする野良犬にも、いらいらしながらほえるボローニャ犬、歌をうたう乞食、綾織のヴェストを着たしゃれ男、窓カーテンの置くからのぞきみする下男、下女にも目をとめた。
また、フロレンス・ルネサンス様式で建てられた赤壁の市民の家、煙突の上のコウノトリの巣、それどころかウルトラ・マリーンからダーク・ブルーまでの色調をととのえる天空までも見わたした。
彼女の鼻の下のひげも、二重になった顎も、首のしわも、怠惰までもがとっくに失われた美貌について誰にでも当てはまる、悲しい物語をメランコリックに語ることができるのかもしれない。
しかし彼女の黒い目からは、ある意識が不気味に炎をあげている。それはまさに彼女こそがストラディヴァリの家にあり、ストラディヴァリのこの新しい家に、遠い国々にもその名を知られるバイオリン作りの名匠と五人の子供、工房、使用人たちの全能の女主人、女支配者、しかも名門フェラボスキ家の重要な一員でもあるという意識でもある。
彼女の目のなかにありありと見てとれるのは、この家を去年、金貨七千ゼッキーニで買ったのも彼女の理想的な経営があったればこそであるという自負と、すべての市民が例外なしに彼らの家の裕福さ、しかもバイオリン一丁一丁がたちどころに金になる。より正確には金貨十五ゼッキーニに変わることにまで嫉妬しているという認識であった。その目のなかにはアマーティ一家とグァルネリの一家に徐々にではあるが、確実な没落にたいする勝利とストラディヴァリ家の繁栄、プレッシア派とチロル派のバイオリンにたいする勝利が見えていた。その反対に、二十顎としわと、太って締まりのなくなった肉体は――彼女が古いサンピエトロ寺院の丸天井の下の地獄の暑さのなかをゆらゆらと歩きはじめるや否や――向こうの縞の帆布の日陰のなかで、人生のはかなさについての話題を提供していた。
庭の一番はずれの生い茂ったシダに囲まれた古いあずまやのなかでジャコモ小父さんが子供たちと遊んでいた。ジャコモおじさんは古いあずまやのように顔じゅうひげぼうぼうだが、、日曜日の午前中にはいつもストラディヴァリ家の古い家から新居へやってきた。教会には一度も行ったことがない――彼の教会は野原であり、森であり、腐ったつる草が頭上をおおう日陰か、それとも大きく伸びたシダ゙に囲まれたこの庭のあずまや、彼の祈祷文は小鳥たちの歌であり、彼の悲歌は子供たちの叫び声、ミサを告げる鐘の音は子供たちの笑い声、オルガンは風のうなりと川のせせらぎ、ミサの式服はヒナゲシの咲くライ麦の畑、聖水盤は森のなかの裂けた苔むす岩、祭壇の燭台は大空の星。
ジャコモ小父さんは一般には無神論者とみなされ、また、生地の商売にはげもうとしない怠け者ともみなされていた。
「アレッサンドロ・ストラディヴァリは八十歳にもなるのに、あの役立たずの息子には何一つしてやろうとせんのだからな!」
クレモナノ市民たちは腹だたちそうに話し合った。
「あれは、ちょっとばかり、まあ、放蕩ものというところもあるな。いずれにしろ、正常な頭はもっておらん。いやなにおいのする安酒場で運送人を相手にキャンティ酒を飲むんじゃ、それでこんどは橋の下で下男たちと冗談を言ったり、どっかの犬かうまをつかまえちゃ、そいつを相手にくだを巻いている。とくに飲みすぎたときはな」
「それにまあ、なんたって、あの汚れて、古ぼけた服ときたらないな!それに、はいているものといやあ、すりへって、破れて、とても靴なんて言えたもんじゃない! 少しは父親を見習えばいいんだ。その父親ときたら、毎朝毎朝、ひげをそるのに床屋を呼んでいる。かつらをなおさせ、つめの手入れまでさせておる。たしかにあの阿呆のジャコモは金輪際かつらなんてものを頭に載せたこともあるまい! なあ、おい、あのぼさぼさの髪の毛のなかには、きっとシラミが巣くっとるぞ!」
「そうとも、そうとも。あの一家であいつだけが出来そこないだ! それに外出用の杖ももっておらん。たしかに森の中で何かをへし折ってきちゃ、削ってその棒っ切れを杖につかってはいるがな、はははは。そうかと思うと、ちょうど手ごろの丸太を切ってきて、その生の木の皮にありありとあらゆる種類の装飾文字を彫り込んでいる。さしにいわせりゃ、あいつは阿呆だ!」
ジャコモ小父はこれらの言葉を一言も聞かなかったし、陰で眉をひそ。めたり、横目使いに馬鹿にしたような視線を送る人たちのことも目に入らなかった。誰かが微笑みかけると、小父さんはほほ笑み返し、誰であろうと見境なしに、きみょうな、丸っぽい盗賊一味がかぶっていそうな、先のほうがとんがった帽子を脱いで挨拶する。彼の未知の昔からの知人はすべて人通りのおおい夢の街路のどこかから現われたものだった。
夏の気持ちのいい夜には、小船のなかで寝るのが好きだった。そして、しばしば、ローマ時代から残っている円形劇場(アンフィチアター)の大きな円形の地面の真中に、大きく足を広げて立ち、太陽に向かって詩を詠唱するのだった。それらの詩の作者は一部はペトラルカであり、一部は彼自身であった。これがジャコモ小父さんだった。
目下のところ、弟アントニオの子供たちのなかで彼の一番のお気に入りは七歳のカテリーナだった。この娘はジャコモ小父さんと同様に独自の趣味をもっていた。そして小父さん以外には誰も理解できなかった。たとえばカテリーナは人形も同年代の女の子さえ好かなかった。また男の子と飛び馬や駆けっこ、かくれんぼをして遊ぶこともしなかった。
彼女は専門化のような好奇心をもって、蝿の羽をむしったり、トンボの頭を切り落としたり、大雨の後のぬれた地面からミミズをつまみ出しては、ジャコモ小父さんのナイフでそれを正確に四等分して、長い時間をかけて、ミミズの各部分が頭もないのに切り口のほうに丸くなる様子を観察したり、また、背中のまんなかにリンボクのとげを刺された青虫がどんなふうにはうか、長の羽のビロードのように光る粉を強くこすって透明のうす膜のようになってしてしまったら蝶はどんな風に弱っていくかを観察した。
自然科学的実験のご褒美に彼女は母親からこっぴどく頭をひっぱたかれていた。そのかわりジャコモ小父さんは彼女のためにさびた嗅ぎタバコ入れのケースにカタツムリや長い触覚をもったカミキリ虫、大きな腹をした青黒いアブラ虫、オレンジ色の腹をして発達のおくれた足のついているイモリ、さらにはオタマジャクシなどをいれていた。そして小さなカテリーナの観察力の鋭さに舌を巻いた。
ジャコモ小父はほかの子供たちの好みも知っていたから、それなりに彼らの好みをみたしてやった。日曜日ごとに、フランチェスコにはこの子の収集品が増えるように財布の底をはたいて店で買うか、またはこの少年のために図書館から盗むかして――そのとき彼の手は震えるのだが――数点の版画をもってきてやった。
四歳のアレッサンドロには一面におおわれたあずまやの壁か壊れたテーブルの上に兵隊の絵を――チョークか炭か大工用の鉛筆で――描いてやった。やがて、描いたばかりの絵を拭き消すと、今度はまた別の新しいものを描いた。猟師、小母さん、魔女、ものすごいひげを生やした盗賊、大きなフォークを手にした悪魔、羽をつけた天使、牛や、ロバ――彼は休みもせず、疲れも知らずに描いた。そして、このアレッサンドロがまだ満足せずに、悪魔を、兵隊をと暴君的に叫ぶと、ジャコモ小父さんは満面の笑みを浮かべて描きつづけた。その笑顔にはこの世のものとも思えぬ至福感が鏡のように映し出されていた。顎を突き出し、だんご鼻の鼻穴はふくらんだりしぼんだり、耳たぶはロバか葦の茂る岸辺のサチルのもののようにとがっていてひくひくと動く。
心臓のあたりではパンの笛(シリンクス)が音を立て、手の下では猟師や小母さん、悪魔たちが生まれたかと思うと、またもやふたたび消えていく。そしてあずま屋を取り巻くツタは天蓋でおおわれ、汗をかいたジャコモ小父さんの額のまわりに花輪を形作り、風にゆれながらカビの生えた壁にすれてさわさわと鳴っていた。
小父さんは二歳のオボモノもまるで自分が我慢強い乳母にでもなったかのように世話をした。だからこのこにうまくオシッコをさせることができようものなら大得意になる。ただ、この小父さんは十歳のフランチェスコにだけは、まったく権威をもっていない。この子はすでに工房のナかで生き生きとして穴をあけたり、きったり、材木の品定めをしたり、その木をこつこつたたいてみたりしている。まるで見習い職人か徒弟かのように、自分の父親がしていることを見たとおりにしているのだ。
フランチェスコは、もし、この大きな家をいつか所有しようと思うなら、市民としての生涯を長く裕福に過ごそうと思うなら、また、自分の職業の内部にとどまり、ねたみのこもった尊敬を享受したいと思うなら、自分の場所はこの工房にしかないことを、その十歳の頭ですでに計算していたのだ。
フランチェスコは飛び跳ねることもなければ、あてもなくさまようこともなく、小父さんの服装と自分のとを見くらべて、ジャコモ小父さんは変人だと思っていた。そして、その後、フランチェスコは生涯にわたってついにまともなバイオリンを一丁も作ることができなかった。
アントニオ・ストラディヴァリはたまたまここに来た間借り人というふうにわが家に住んでいた。彼はベアトリーチェ・アマーティの視線の一目一目を渇望しつつ、一方、巨乳のバルバラのところで愛の手ほどき(カテキズム)いるかつての日々のあいだに、彼の父親はパン屋の職人頭フェラボスキ親方と、息子のアントニオに十歳年上のフランチェスカを祭壇の前に導かせようという話をまとめていた。これらのすべてはいまから十四年前、一六六七年に「真の祖国の息子たちの部屋」と呼ばれる金の輪酒場の秘密の部屋で取り決められたことであった。
そのときから以後、すべてはアントニオ地震の考えや意思にまったく関係なく、ひとりでに進んでいった。真珠の象嵌細工をほどこした黒檀の大きな天井板を張った寝室、そのベッドの上でアントニオはでっぷり太って威厳があり、しかも厳格なフランチェスカとともに多くの子供の実りを産み出した。先例には多くの人々を招いたが、その客の子ぶれはフランチェスカがきめた。
工房には二人の見習い職人と二人の助手を入れたが、それも大勢の希望者のなかからフランチェスカが自分で選んだ。昼食や夕食のために招集をかけるための鐘が鳴ったら、彼は白い皮の前掛けをはずし、コバルト・ブルーの上着を着て、食卓の前にすわった。バイオリンの販売、家の購入、子供たち、使用人たち、これらのすべてはフランチェスカにまかされていた。そして午後は老ニコロ・アマーティとよく一緒に過ごした。
ただ、アントニオもある一点についてだけは絶対的自立権を放棄しなかった。しかも、その点にかんしてだけは、さすがの彼もかたくなであり、フランチェスカにたいしても絶対に折れなかった。それはバイオリンのなかに貼り付ける小さなラベルに書く文面のことについてだった。
アントニオが自分の名前をサインするかしないかが最大の、しかも、最も容易ならざる口論の原因になっていた。フランチェスカに言わせれば、S・D の二文字を書いたようなものなんか、ストラディヴァリ工房のラベルでもなんでもないというのだ。それはラテン語の Sub Disciplina(スブ・ディスキプリーナー)の頭文字であり、その意味するところは、このバイオリンは親方の手によるものではなくアントニオ・ストラディヴァリの「指導による」この工房の作品であるということだった。
その当時すでに、Antonius Stradivarius Cremonensis Faciebat(アントニウス・ストラディヴァリウス・クレモネンシス・ファキエーバット)の銘記があるかなしかによって楽器の値段に大きな差がついた。すまりそれはゼッキーノ金貨にして五枚分の差を意味した。
工房のなかでは、みんな陽気に働いていた。そしてアントニオは目下のところ自分専用の小さな仕事場で大きな課題に取り組んでいた。それはアマーティ派の甘い音色と、ブレッシア派の大きな音とを融合させるということだった。ときどきそれが成功することはあったが、しkっし意識的な苦心の結果ではなかった。木、ニス、プロポーション、線、これらのものは、いまのところアントニオをからかっていて、その秘密は彼をあざ笑い、その秘密を明かそうとはしなかった。しかし彼はこのからかいに耐え、また忍耐強くこの戦いに取り組んでいた。
長い年月が過ぎる。父親から相続したゆるぎなき平安、そのなかで断固として、頑固に……。
バイオリンを完成すると弦を張り、何時間も、何日間も、その楽器を試奏して、うさんくさい相手の声を探るかのように聞き耳をすます。そのあげく、どうしても気に入らないときは母親ゆずりのシチリア人の血が頭にのぼり、生まれたばかりのバイオリンを打ち砕いて、自分の手で暖炉の火にくべた。
何百回、何千回と同じことをくり返した。老アマーティから学びとったもの、すべてをもう一度思い返した。やがて、そのすべてのものを退けて、新しい曲線を一気に描きあげると、新しい図形の大きさを測って確かめた。彼の額には汗もにじまず、手も震えず、それどころか呼吸にも脈拍にも変化はなかった。
彼は経験豊かな、ねばり強い闘士だった。ただ、このような瞬間、目だけが、かつて誰にも見せたことがない未知の光に輝くのだった。だがこのようなことをフランチェスカ夫人は一切知らなかった。
彼女は艦橋(ブリッジ)上の船長のように指示を与え、大声で怒鳴り、しかりつけ、命令をし、計画を立て、実行し、なじり、裁定し、罰した。彼女のぶよぶよとした脂肪の内部には抑制しがたいエネルギーが煮えたぎり、それが一定の体系に組織されていた。
彼女はまた町じゅうの誰のことでも知っており、ロンバルディア地方全域にわたるすべてのバイオリン承認のこまごまとした点まで知っていた。バイオリンの一丁一丁についての表記を正確に把握し、クレモナ、フロレンス、マントヴァ、ミラノ、ベニスは言うにおよばず、スペイン、フランス、イギリスにおいてストラディヴァリ工房の作品がどのように受け入れられているかについても、追跡を怠らなかった。
またウイーン宮廷のバイオリン奏者の好みについても詳細にしっており、マドリッドヤバッキンガムの音楽家も知っていた。そしてストラディヴァリ工房のバイオリンがあらゆる戦線において勝利を収めたいることも知っていた――ただし、あのニ文字のことだけは彼女の理解を超えていた――だから金貨五ゼッキーニの差額が生涯にわたって、彼女を苦しめる最大の悩みの種だった。しかしこの点にかんしてだけは引き下がるしかなかった。
フランチェスカ夫人はベッドのなかでも、住宅内でも、庭でも主人だった。また、資材置き場でも、工房のなかでも、要するにこの屋敷全体を支配していた。ただひとつ、鍵のかかった小さな仕事場――そのなかでアントニオが白い毛糸の帽子に、白い皮の前掛けをして、材木を切り、穴をあけ、形を作り、けずり、仕上げをし、ニスを塗り、試奏をし、そのあげく、それをたたき壊す――その部屋だけは彼女の影響力も及ばなかった。彼女は仕事場での彼をおそれていた――この内向的な、もの静かな男は誰かが彼の邪魔をしようものなら人殺しも辞さないだろうということを知っていた。
しかし、それでも、その朝、古いサンピエトロ寺院からもどって、台所に行こうとして喜んだ。廊下でジャコモ小父さんが意味ありげに彼女にうなずいていたのだ。それから黒い文字で書いた「アントニウス・ストラディヴァリウス・ファキエーバット・アンノ・一六八一」と銘記のある紙切れを振って見せた。
ジャコモ小父さんは印刷したようなみごとな文字を書くことができたからレベルの銘記を書くのをまかされていた。日曜日になると、工房のまわりの掃除をしながら、ひそかに弟がニ、三枚、署名をするように頼むのを待ち構えているのだった。やがて依頼があると小父さんは子供たちをあずまやから追い出して、虫食いだらけのきしむドアを閉めて、かんぬきをかけ、非常な熱意をもって仕事に取りかかる。
「S・D」の文字のない証票は成功のしるしにフランチェスカ夫人に見せるやいなや、いつも、あっという間に、どこかへ消えてしまうのだった。その報酬としては彼は女主人から十分な報酬にあずかったうえ、結構なご馳走を台所でたっぷりといただくのだった。
このご馳走にかんしては、そのあとで食いしん坊のカテリーナとジャスミンの茂みの陰で仲良く分け合った。今回の「S・D」なしの証票のご褒美は、トースト・パンとジャコモ小父さんの大好物の髄の詰まったものすごく大きな牛の骨だった。
父親のシニョーレ・アレサンドロ・ストラディヴァリは日曜ごとに休息日の息子の昼食の食卓を祝福するために、古い巣t家から新宅へやってくる。ちょうどその日アレッサンドロが息子の家に現われたとき、ジャコモは廊下の出窓腰をかけて、煮あがったばかりの熱い骨を振りながらナイフの柄で骨から骨から髄をはたき出そうとしているところだった。カテリーナは髄がパンの上にたれ落ちてくるのを貪欲そうにじっと見つめている。しかし髄はなかなか言うことを聞かなかった。それでジャコモは必死になって骨のまわりをたたきつづけた。
自分を見つめる視線を感じて目をあげると、そこにレースのささべりのついた黒いサテンのこーとに、真っ白なかつらをかぶり靴下に銀の留め金つきのエナメルの靴をはいた父親を見て、驚いて骨をしみだらけの上着の下にかくした。この大変な瞬間に、老裕福市民の白手袋の白さいつもよりいっそうまばゆく輝き、白い靴下にそって垂直に立つ象牙のにぎりのついた黒檀のステッキが黒く見えた。そして父親自身は静かなあきらめをもってこの五十四歳の子供のしぐさに頭をふった。
おまえにも本当に困ったもんだ。いつになったら正気になってくれるんだ?
「なによ、ジャコモ小父さんは、いまだって、まあまあ正気よ!」
小さな娘は叫んだ。そして小父さんの前に立って、おじいさんから守った。シニョーレ・アレッサンドロはほほ笑んだ。それから神妙な顔で言った。
「そんな髄の入った骨なんかかくしたりするな。少しは恥ずかしいと思え」
白い手袋の手でオリーブ色のカテリーナのほほをつついてから、まるで黒檀のステッキのようにまっすぐの姿勢で階段をのぼっていった。
「おじいちゃんはあのステッキみたいだわ」カテリーナが言いながら、骨を平手でたたいていた。「おじいちゃんって、黒くて白い、まっすぐで硬いわ」
いつもの習慣にしたがって、フランチェスカ夫人は階段の上でシニョーレ・アレッサンドロを待っていた。フランチェスカ夫人にとって老アレッサンドロはゴンザーガ枢機卿にたいしてよりも深く膝を折って見をかがめる唯一の人物だった。
「私どもの家庭を丁重にお訪ねいただき、また、わたくしどもの食卓も尊重くださいましてありがとうございます」
彼女はいつもかたぐるしい決り文句で迎えるのだった。
「いや、わしはこれを楽しみにしておるんじゃよ、娘や」これもいつもの答えだった。
くるみの木のテーブルには軍隊式の階級にしたがってそれぞれの場所がきめられていた。家族、バイオリン政策を学ぶ二人の貴族の息子、職人たちも見習いも、全員がいっせいにシニョーレ・アレッサンドロにあいさつした。シニョーレは正面の場所にすわり、神に感謝の祈りをささげ、それから全員にすわるように合図した。二人の共謀者ジャコモとカテリーナも誰にも気づかれることなく、いつのまにかテーブルについていた。食事がはじまった。見習い小僧たちはお互いにテーブルの下でけりあっていた。子供たちはお互いに小突きあい、高貴の生まれの和歌紳士たちは料理を賞賛していた。
食事がおわると、みなは引きあげていった。それから父親は息子とワインをのんで、この一週間の出来事について、まじめに、こまごまと語り合い、あらゆる点で完全に意見の一致を見た。
「アントニオ、聞くところでは、おまえは今日も働いているそうじゃの。おまえも、あの兄同様、キリストの教えにしたがわぬ異教徒じゃ。おまえの血管にはお母さんの血が流れておるな」
彼はのみ、そして眼前に小柄なシチリア女の面影、いつも笑顔を絶やさなかったアンナ・モローニの面影を思い浮かべていた。杯の底から、彼女の小さな笑い声さえ聞こえてくるような気がする。その笑い声はいろんな陰影をもっていた。なぜなら、アンナ夫人はそのときによって陽気に、悲しそうに、憂鬱そうに、または甘く、または希望に満ちて笑うことができたからだ。そればかりではない、笑顔のなかに信仰心のあつさを示すこともできた。要するに笑いによってすべてを愛らしく表現することができたのだ。
「お父さんの目には不信心ものかもしれませんが、わたしも、兄も、ふ信心ものではありません。ただ、私たちの神が異端であるだけです。ジャコモ兄さんは神を橋の下に探し、わたしはバイオリンのなかに神を探しているだけです」
「髪は探す必要はない。神は私らのなかにおられ、わしらもまた神のなかにあるのじゃからな。必要なのはミサにかよい、神をたたえることじゃ」
「じゃ、わたしも神をたたえましょう。ちょっとお待ちください」
アントニオはゆったりとした足取りで出ていった。そして、バイオリンを小脇にかかえてもどってきた。彼は丸く反った弓と一緒にだます香りのテーブルクロスの上に置いた。バイオリン輝き、彼らは飲んだ。
「すばらしい、いや、まったくすばらしい。こうなると、いよいよ神をたたえないわけにはいかん。こっちへ来なさい!」
老人はアントニオの固く滑らかな額に帰すをし、眼に涙をにじませていた。その瞬間、老人はすごく、すごーく老い込み――一方、バイオリンは若々しく、新鮮で、まるで貝のなかから潮のしぶきのなかに現われ、体にまつわる冷たい真珠の玉を振り払おうとぶるっと見ぶるいしているヴィーナスのように輝いた。
「おまえのバイオリンはいつ見てもうつくしいなあ、アントニオ。その楽器の描く曲線には何ともいえぬ気品がある。黄金色の地色の野上に塗ったサーモン色のニスはバラのように輝いて――まさに処女の体のようだ。優美なカタツムリの形をした渦巻きは有限のなかに巻き取られた無限だ。裏板、それに表板のふくらみ、 f 字孔、これらはまさに何ともいえぬほどに完璧じゃ。わしは幸せじゃよ。それというのも、わしもかつてはあこがれておったものが、みんなおまえのなかに満たされておるからな――おまえはさしの後継者であり完成者じゃ」
老人はワインを飲み、ワインのなかにたっぷりと涙をそそいだ。しかし、その涙のウェーるを通して輝くバイオリンをじっと見つめつづけていた。このような父親をアントニオはこれまで見たことがなかった。いまはじめて、彼は父の死が迫っていることをさとり、とまどいながらいった。
「お父さん、閑静だなんてとんでもありません。ただ一点だけ、わたしは、偶然、発見したのです。そのとき以後、それは偶然ではなくなりました。いま、このバイオリンを引いてみますから、アマーティの甘い音と、ガスパロ・ダ・サローの大きな音とを結びつけることに成功したかどうかを聞いてください。
しかし、これは単なるひとつの段階にすぎません。わたしはこれまでのストラディヴァリ家の全員がそうであったように、長生きしたいのです。だって、わたしはもっと多くのことを研究して、改良し、完成したいからです。そのあとで息子たちのなかで一番才能のある子に、わたしがそれまでに蓄えたものをみんな伝えてやります。そうしたらその子がそれをさらに継承してくれるでしょう」
老人は息子の言葉を否定するように手を振った。
「いいか、おまえが頂点だ、それを忘れるなよ。おまえの後に誰が出てこようと、後は下り坂があるだけだ。まちがいない。いいか、わしは布地の商人になった。わしの仲間の者たちが、今のわしの言葉を聞いたら、きっと吹き出すだろう。しかし、おまえには……おまえには、何がおまえをバイオリン作りにしたか、そして、おまえのなかにわしから出てきたものが何かあることを感じておるじゃろう。たしかに、おまえはそれを感じとおるはずじゃ!」
「もちろんですとも。お父さんを本当に知らない人は、お父さんを布地商人としてしか見ません。そしてわたしのバイオリンを知らない人は、すべては、大きさや材木や、形やニスや各部の釣り合いなどに関係があると思っています。しかし、それは間違いです。肝心なのは霊感です。お父さんは絶対に布地商人なんかではありません。でも、まあ、いまはこの音を聞いてください」
二人はまた飲み、アントニオはバイオリンを弾いた。モンテヴェルディの『春』(プリマヴェラ)だった。
外は夏の午後の日差しが照りつけていた。どこかで犬がほえ、子供たちが喚声を上げていた。ここ、日差しのとどかない、涼しい部屋の中では、クルミの木の壁にプリマヴェラが反響していた。そして老いた裕福市民は、ジロラモ・アマーティとポー川のほとりを散歩していたとき、当時のアントニオが見たのと同じ情景を見つめていた。
厚地の絹織物のカーテンの陰からジャコモ小父さんが、葦の陰からニンフたちをのぞき見る上機嫌のサチルといった表情でのぞいていた。そしてアントニオは勝ち誇ったように弾き続けた。だが、それでもプリマヴェラはここにはふさわしくなかった。バイオリン製作者の春はすでにかなたに去っていた――ここにあるのは外の色の鮮やかな町を覆い、また円形劇場、トラッツォの鐘楼に陽光の洪水を浴びせている燃えるような夏の日だ。
この『春』はジャコモの気分をもそいだ。彼はむしろ夏を賛美するペトラルカの熱烈なソネットでも詠い上げたかっただろう。しかし、そのときコレルリの『ラ・フォリア』とトレルリのバイオリン協奏曲が聞こえてきた――そして、これらの曲の旋律は、この完成されたバイオリンが、花の杯ででもあるかのように、つやのある赤茶色のつぼみからいま開いたばかりの花のように、すでにあふれ出ていた。だから、バイオリンはメロディーの杯であり、トリルの茎である。ぱっセージの茎は春から夏へ成長し、また、トレモロとともに、鼻から鼻へと飛び移るミツバチのようにうなり、重く響いた。
するとジャコモはたまらなくなって、野バラにキスしようと、野っ原へ駆け出していった。岸をした後で、ジャコモはつばを吐いた。だって花のなかにアリか、小さなコガネムシかがいたからだ。フランチェスカ夫人がサルヴァトーレ・ディ・トスカーノを案内してきて、紹介した。彼はすでに隣の部屋で新しいバイオリンの音を賞賛し、できるだけ早く、その楽器を二十セッキーニ出してもいいから購入したいと申し出た。