(7) マルキース・ドゥ・シャトルヌワール 一七三七年より所有


    春になって、城門の大きな花崗岩の敷石の上を松葉杖がこつこつとふたたび打つのを聞いたとき、ジャックはすべてのことを忘れていた。音の正体を確かめるために門番小屋から視線を外に向けるまでもなかった。たしかにあの男だ。だが、それでも自分の目を信じたくなかった。もし、そのとき男のさげた柄に大きな防護の金網籠のついた剣が武器というものにつきものの、ばかばかしく騒々しい音を立てていなかったら、その男が左わきの下にバイオリンのケースをかかえていなかったら、このぼろ服を着た片足の乞食姿の訪問者が誰か思いつきもしなかっただろう。
   「おい、この疥癬病みの野良犬め、とっととここからうせろ。さもないと貴様に犬をけしかけるぞ!」
    ジャックは喉が張り裂けんばかりの声で怒鳴った。だが、そんな声をはりあげるくらいなら、黙ってそうしたほうがよかっただろう。そんな彼の声を中庭の塔のバルコニーで日向ぼっこをしていたご主人様が聞きつけてジャックに向かって叫んだ。
   「わめくな。その男を放してなかへ通せ」
    次の日、そのぼろぎれ男はきれいな新しい服を着て、新しいかつらをかぶって歩きまわっていた。マルキースの衣裳部屋ではその男のために新しいシャツまであてがわれた。男はまるで底が抜けたように食べ、飲み、悪態をつき、文句をつけ、サーベルをがチャつかせ、この館のなかで少なくともくつろいでいるように見えた。しかも彼の泥まみれの松葉杖も洗われてほとんど真っ白になっていた。
    やがて客人は防壁の塔のなかの一室でマルキースと徹夜でトランプをやっていると、フレデリックは語った。このようにして三日三晩がすぎた。そしてふたたび松葉杖の音が城門の下の道に響き、こうしてある風の強い夕暮れのうす闇のなかを一本足の男は楡並木を通って立ち去っていった。ジャックは門番小屋のこまどからその男の後姿をみて、やつの後ろから猟銃をぶっ放してやろうかと考えた。するとそのとき片足の男がふり返り、怒りに顔をゆがめてこぶしを振り上げ威嚇した。
   「なんてことだ、あの悪魔野郎は背中にも目があるのか?」
    かつての旗手は小窓から跳びさがった。しばらくたって、ジャックはあの威嚇は自分にではなくこの館に対してだったのかもしれないと気がついた。
    次の日、フレデリックハ二本の楽器に加えてストラディヴァリを鋼鉄板でおおわれた大きなコーク材の戸棚のなかにしまい鍵をかけた。それからふたたび、いつもどおりの彼の日常の仕事にかえった。
    マルキースがツタで覆われた夏の狩の館で村の美しい少女を順番に味見をしているとき、その一方ではマルキースの弟のアンリはフランス庭園の隠れた一角で甲状腺腫病みの満ち足りることを知らない兄嫁公爵夫人との愛にたわむれにいそしんでいた。下男、料理人、召使は、女中たちをとっかえひっかえしてたのしんでいたし、盗み、略奪し、怠けていた。猟犬たちはあくびをし、風見鶏はギイギイときしむ音を立て、孔雀たちは夏の館の塔の下で暖を取る。そんな夏の夜など小部屋のなかや、中庭や、馬小屋のなかをのぞきこんでは、大きな顔の月はニヤリとし、ほんのりとほほ笑むのだった。しかし、それもある恐ろしい出来事を目撃するまでの話だった。
    誰かが部屋から部屋へと気が狂ったように走りまわっている。やがて松明がつけられ、シャンデリアのローソクがともされ、黒い影たちが右往左往しはじめる。ひっくり返った家具の破片ががたがたと音を立てる。マルキースは自分のベッドの上で頭を割られて横たわっていた。そのそばには丸い防護網のついた真鍮の柄のダンビラが転がっている。ジャックはすぐにそれを見てとった。誰にも言わず、気も転倒して、全員がそこらじゅうを駆けまわるままにしておいた。
    そのうち、ジャックは並木道のほうへ駆けていった――手には二丁のピストルがにぎられている。そのピストルはいつも弾を込めて、マルキースのベッドの頭のところに置いてあったものだ。
    間もなく二丁のピストルが火を噴いた。その音の方向へ松明も動いていく。三本目の楡の木のそばでジャックが光のなかに浮かび出た。彼は両手にピストルをもって立っていた。その足元には頭を打ち抜かれた人間の残骸がうずくまっている。顔は血でぬれており、ゆがんだ唇のあいだから白く、キラキラ光る歯が見えていた。





つぎに進む
本章(第七章)の頭にもどる
タイトル・ページにもどる
トップ・ページにもどる