(10) セルゲイ・ディミトリエヴィッチ・コノヴァロフ・一八二〇年より所有


    セルゲイ・ディミトリエヴィッチ・コノヴァロフとはイヴァノヴォ村の地主で所有者。同時に、そのほかにも十三の村と三千二十二人の生殺与奪の権をもった絶大な権力者だった。彼はかつてアレクサンドル皇帝の親衛隊の注意であり、いまでももじゃもじゃの頬ひげのところまで達するハイカラーの襟と刺繍飾りのある燕尾服を着たところはなかなか魅力的であった。
    村にいても彼は赤茶色、黄緑、コバルトブルー、ワインレッドの色彩のなかでシルクハットをかぶっていた。また暖かい時期には薄黄色の地に茶色かグレーの格子縞の入った南京木綿のゆったりしたズボンをはいていた。同様にメノウのボタンのついたシナかインド産の絹のベストは、パリやロンドンの洒落者や伊達男でさえうらやむほどのものだった。だから刺繍や何かで豪華に飾りたてた仕立てについてはもは語るだけむだであろう――人間は広い肩幅、厚い胸、細い胴をしているかどうかで見なければならない。だから彼のネクタイの種類や結び目や襞の取り方などについて語ろうとすれば、独立した別の章を必要とするだろう。
    コノヴァロフ氏は食後に絞りたてのワインを飲んでくつろぐときは、非のうちどころのない燕尾服をはじめ、ジャック-ルイ・ダヴィッドの絵画、高雅なロシア式エンピール様式のの家具、イギリス産純血種の黒チューリップ、カシミア織の襟巻き、イギリス製のかつら、プリマ・バレリーナにいたるまで、つまり要約すれば外面的美の愛好者であった――それにたいして真理を内面的な美と称する。だからといって、彼が真理をカント、プラトン、あるいはその他の思想家の哲学書の中に捜し求めていたわけではない。彼の兵役時代にはほとんどすべてのヨーロッパの国が駐屯地だった。彼は自分の周囲をながめ、聞き、評価し、判断した。
    彼は言葉を軽蔑し、行動を重んじた。学生同士の部屋やサロンなどで夜明けまで議論をしたことはなく、むしろものの秩序の不正を正すためにデカブリストの南部地方の協会にはいった。彼にとってそれはジャック-ルイ・ダヴィッドの絵についても、黒チューリップやイギリス産純血種についても、まったく議論の余地がないのと同様に、自明かつ当然のことだった。彼はそれを必要とした。だから自分で手に入れた。彼は人間的正義を必要とした。だからそれを勝ち取ろうと決意した。高貴な精神によって、共謀者としてピストルを手に……。結果はどうなった? 何の意味もなかった。それでも場合によっては、彼はバレリーナのためだったにしろ生命を危険にさらしただろう。
    コノヴァロフの精神はこのように単純だった。しかし、私が気がかりなのは、これがもしロシアの作家ならこのような彼の精神に多くの問題や悪意を山ほど投げかけたたにちがいないということだ。もちろんそうするほうが正しいのかもしれないし、私が間違っているのかもしれない。いずれにしろたいしたことではないが、ただ、このようなことからコロヴァノフとガストンの精神的な親近性を理解することはできるだろう。
    二人はガストンの結婚式のときに会った。結婚式の際、習慣にしたがって地主が新郎の付き人の役を果したのだった。彼が自分の館にいるときは領地内の農民の喜びも悲しみも共有することを望んだ。だから彼は婚礼であれ洗礼であれ、葬儀さえも一度も欠かしたことはなかった。そしてこのような機会には、たとえシルクハットや燕尾服、それに長いズボンに身を固めていたとはいえ、最も末端の皇帝の臣下として骨の髄までロシア人だった。もし、仮に、彼が何かすごく大きな、心の底からの愛着をもつものがあるとしたら、それは――たとえ不潔や貧困のなかにあっても、また、そのやや大時代なジェスチャーにおいてであったとしても――その習慣、歌、童話、踊りをふくめた、この農民たちであった。
    最も幸せだった時代には、農民たちのあいだに、ひときわ目立ってぶきっちょな姿が見られたものだった。それに農民たちも南京織のズボンをはいたこの人物を髪のように崇拝していた。彼の農地内では杖が風を切る音も、コサック鞭の鳴る音もしなかったし、役人たちも権力者として振舞うことはなかった。家畜の監督する太鼓腹の部下の役人が、農民は怠け者で、これ以上はやっていけないと嘆くと、地主のコノヴァロフはその役人を怒鳴りつけたものだ。
   「そんなら貴様も怠け者だ。おれだって怠け者だ。おれたちはみんなロシア人だからな、わかったか!」
    コノ彼の口癖はやかたのなかで、そしてやがて彼の領地全域で自分を戒める警句となり、金言となった。役人たちも、館の召使たちも、教師も、農民の子供たちもコノ金言にならった。それでもすべては順調に運んだ――だから、コサック鞭が鳴り響く領地より、かえって土地は多くを産出し、牛などの家畜や羊の群れ、それどころか馬の飼育にいたるまでがうまくいった。
    なぜなら多くのものはこの警句のまえに恥を覚え、自分たちロシア人はそれほど怠け者の民族ではないことを証明しようと努力したからだ。そうなると肥沃な黒土の耕地もなまけてはいられない。どんな新しい農業理論によって耕作された世界中のどんな土地よりも多くのものを産出した。
    コノヴァロフ領主は掃き清められた神父の館の庭に長く並べられたテーブルの上座にすわって、バラライカにあわせてうたう若者の歌を聞きながらウオッカを飲んでいた。しかし、いま、彼はいつも見て楽しんでいた、余所行きの服を着ておしゃれをした娘たちや若妻たちを見てはいなかった。彼が見ていたのは花婿だった。
   「フェラポント・ティモフェエヴィッチ、あの男をどこから連れてきたんだ? 言ってみろ」
   「どうか、お怒りなさいませんよう、コロヴァノフさん。あの男は……フランス人です」
    長い心の葛藤ののちに、その言葉をしぼり出した。
   「フランス人なのです」彼はくり返し、まごつきながら笑った。「でも、ここにとどまったのです。あれはいいやつです。ヴィエラに教えました。彼はバイオリンをうまく弾きます。それにこの世界のことは何でも理解しています」
    コノヴァロフ領主は返事をしなかった。ただ、ここにいついたという、いまはガルと呼ばれている男を見つめていた。ガストンはロシア風のひげを顔じゅうにたくわえ、黒いルパーシュカにべるとをしめ、ウエーブのかかった長い髪をしているさまは、誰が見ても彼が生粋のロシア人であることを露ほども疑わなかっただろう。そしてこの変貌ぶりはコノヴァロフ領主の興味をそそった。領主は花婿をまねいた。ガストンが彼の前に立つと、領主はフランス語で話しかけた。
   「大遠征(グラン・ダルメ)に従軍してきたのか?」
    グラン・ダルメというとき、領主の声にはなにかロシア人の誇りと、優越感の入り混じった微笑を浮かべた。
   「そうです、領主殿」
   「名前はなんと言う?」
   「ガストン・ドゥ・サントブーブです。榴弾兵団第三連隊所属の中隊長でした」
   「じゃ、たぶん、いくつかの戦場で対戦したかもしれんな」
   「対戦したこともあるでしょう。しかし……そんなものは過ぎ去ったことです。もう、おわりました……」
   「ナポレオンと一緒にか?」
   「革命と一緒に、何もかもです。あのコルシカ人は……」
    ガストンは壮年を打ち払うように手を振ったが、コノヴァロフは探るような目をガストンに向けた。
   「熱は冷めたか?」
   「私はかつてあの男を革命という名の鋭い釜を手にした男と思っていました。しかしその鎌は刃がこぼれて、鈍くなっていました。彼がモスクワ近郊の丘の上に、ナスすべも知らずに立ち尽くし、百年前スウェーデン人の足をつないだのとおなじ鎖にまたもや私たちをつないだあのモスクワの大火を見つめていました。あのとき、彼の胸をふくらませていたのは革命の力でもなんでもなかったことが私にはわかりました。小男の中隊長がごくつまらない皇帝になりさがったのです――神聖同盟が早かれ遅かれ彼を破滅させるでしょう。
    時間の問題です。そんなことはもうたくさんです。私は髪が半白になったいまになって、よそで見いだすことのできなかったものをここで見つけたのです。私はここの人たちを愛するでしょう。そして……」
   「あんたがここの人間を愛するというんなら、わしらととどまらにゃならんぞ。ここではまだバスティーユの壁は破られておらん。あんたの国で革命の火が消えようとしているのなら、それをここで燃え上がらせようではないか。幻想ではなく、真理を探究するものは、たとえ十度でもそれをはじめからやりなおさなきゃならん」
    そんなわけで彼らははじめからやりなおした。十二月党(デカブリスト)の反乱鎮圧ののちにガストンはシベリアの鉛鉱山で死に、コノヴァロフはレニングラードの冬宮殿の前で首吊りになったが、ペスチェル大佐、詩人のリレイエフ、ムラヴィヨフ-アポストル少尉なども一緒だった。
    それはともかく、その後、ガストンは毎日のようにコノヴァロフ館の客人となることになった。表向きにはコノヴァロフの息子や娘にフランス語や文学を教えることになっていたが、実際には上流階級の人々との秘密会議に参加するためだった。館にはいつもペスチェル大佐が滞在していた。政治警察の上層部、かの悪名高き第三部は世知にたけた騎士ウィシュニョウスキのおかげで、ここでのあらゆる秘密会議に関する正確な報告を得ていた。彼は第三部の最も有能な情報提供者だったが、もとはといえば彼はフェンシング、ダンスの名人であり、コノヴァロフの子供たちの行儀作法と音楽の教師だった。ある日、彼の主人の執務室に擦り切れてぼろぼろの本をもってやってきた。
   「コノヴァロフ殿、わたくしは謹んで、あの……フランス人の教師はイリヤ、ニコライの両ご子息、およびアナスタジエ、プルヘリエ両嬢にたいするフランス語教授のためのテキストとして読書を禁じられ、没収さるべき著作を使用しておられると、ご報告いたしますことを光栄に存じます」
    コノヴァロフはそのぼろぼろの本を受け取り、長いあいだ見つめていた。それは『社会契約論』だった。
   「かんしゃする。下がってよろしい。この本はここに置いておこう」
    このときの様子をコノヴァロフはある日、ガストンの逮捕にコサックたちがやってきたときにもまだはっきり覚えていた。彼はガストンを逃がすためにできるだけのことを試みた。とはいえコサックの隊長もそれなりのしたたか者だった。別れ際にコノヴァロフはガストンの手に二〇皇帝金貨(インペリアール)をにぎらせた。
   「旅の途中で、もしかしたら誰かを買収することができるかもしれん。それでもうまくいかんときは別の逃亡の方法を考えるんだな――わしもできるだけのことはする」
   「領主、わたしは過去の二つのことがすごく気がかりでした。『社会契約論』とストラディヴァリです。その本のほうは騎士の仕事熱心のおかげで、すでにあなたの手元にあります。ストラディヴァリのほうはこの二〇インペリアールのだいしょうとしてあなたに差し上げます。どっちにしろわたしは鉛鉱山で窒息死するのが関の山でしょう。それとも途中でコサックに奪い取られるかです」
    二人は握手をし、ガストンは出ていった。ヴィエラと二人の子供がそのあとに続いた。その日以降、コノヴァロフは騎士から目を離さなかった。もし彼の疑念が証明されたら彼を殺そうと決心した。騎士は自分の周囲で起こっていることを感じ取った。フェンシングやダンス、またバイオリンのレッスンのとき、誰かが彼の戸棚のなかや長持ちのなかの衣類や紙束のなかを引っかき増さしていることさえあった。彼は秘密情報の提供を停止した。まる一ヶ月というもの館から一歩も外に出なかった。そして氷のように冷たい、ぴ句とも動かない表情でフェンシング練習室で号令をかけていた。
   「アン・ガルド! テンポ! プリムガルド! スゴンガルド! リポスト! テンポ! ア・テンポ!」
    ダンスの時間には次のような声が聞かれた。
   「エテ! シェーヌ-アングレーズ! トゥール・ドゥ・マン!」
    バイオリンのレッスンのときはこうだ。
   「クレッセンド! スタッカート! ピッチカート! ラルゴ・ソステヌート!」
    赤ら顔のペスチェル中尉、痩身のリレイエフ、それに大声のムラヴィヨフ氏などが館に滞在しているときは、みなが彼を突き刺すような目でにらみつけていた。騎士はたしかに大胆な賭博者だったが、最後には生死をかけたこのゲームに神経的に耐えることができなかった。
    ある夏の夜、跡形もなく姿を消した。彼とともにストラディヴァリも消えていた。それから数週間後にコサックがコノヴァロフの逮捕にやってきた。  








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