津野田正彦著

      ジョンガラ竜飛 恋寂れ
    

 

 
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主題歌『ジョンカラ竜飛恋さびれ』の譜面へ







第一章



 花園さつきは、マネジャー戸田洋二の運転するレンタカーのクラウンの後部座席に座って、快い気だるさに身をまかせていた。南国九州の五月は、おそらく、日本中のどこよりもさわやかで、躍動感をおぼえさせる季節だ。開けたウインドウから吹き込んでくる風が髪を乱す。いつもなら「窓を閉めてクーラーにしなさいよ」と言うところだが、今日のさつきはどうした風の吹き回しかそんなことには無頓着に、何かしらの思いにふけっていた。
 昨夜は、F市での公演のあと、この市の有力者を自認する者たちの豪華な歓迎パーティーでのにぎやかな語らいと、そのあと彼女のスポンサーの一人でもある加古喜代治郎との一夜のことなどを思うともなく思い返していたのだった。
 全盛期を過ぎた、さつきにとって、地方都市でのファンとのこのようなつき合いも、地方公演を成り立たせるための必要にして不可欠の営業活動だったかもしれない。この地方には、とくに古くからの芸事の伝統があり、それを自負するうるさ型も多かった。
 昨夜の歓迎会も、いわば人気演歌歌手の入場券を百枚単位でさばいてくれる地元の名士たちの素人芸を見たり聞いたりする、それに付随する一種のおつとめであった。
 歓迎会は立食パーティーだったから、参加者の地方の名士たちは、酒が入るに連れ、酔いが回るにつれ、それをいいことに、さつきのそばにやってきて握手を求め、しつこく、さつきの手をなでまわしたあげく、それとなく祝儀袋を着物の袖のなかにすべり込ませていく。
 演歌歌手だから自然、和服が多くなる。さつきが部屋にもどって着物を脱ぐとき、気づかないうちに着物のどこかに押し込まれていた金袋が落ちてきて自分でも驚くことがある。その額は意外に馬鹿にならないものだった。
 形式的な宴会が一通りおわると中締めがある。そのあとはきまって、カラオケ大会にはや変わりする。次の日の昼間に別の市で公演があるときは、早々のところで引き上げることもあるが、その日の気分によっては、カラオケ大会にもかなりたっぷりつき合った。
 もちろん、それはご祝儀の重さと無関係ではない。もともと、さつきは酒が好きであり、かなりいけるほうだったから、少々のことでは次の公演にさしつかえることはなかった。
「いやあ、さつきさんの歌はいつ聞いてもよかですなあ。わしはあの『瞼の母』にはもう涙が出ましたぞ」
 角刈りのでっぷりした、いかにもたたき上げの土建屋さんといった感じの小男が金歯をキラキラさせながらお世辞を言った。
 さつきはどの地方に行っても聞かされる似たような誉め言葉にもにこやかに応えた。それはさつきにとっても、それほど耳障りな言葉ではなかったからだ。
「あたしみたいに未熟者の歌にそうまで言っていただけるなんて、あたし、歌手冥利に尽きますわ」
 お世辞も月並みなら、さつきの答えも月並みだった。もちろんこの世界に月並み以上のものがあるとも思えない。むしろ、このような場で月並み以上の言葉を聞かされたら、どんな答えをしたらいいのか、さつき自身が戸惑ったことだろう。
 会場のなかでは控え目ではあるが、ボディー・ガードをかねた三人のマネジャーが絶えず目を配っていた。そしておよその役割もきまっていた。もしトラブルが起こったときは全体の状況をみてチーフ・マネジャーが判断をくだす。見習マネジャーは万が一の場合の警察への通報係、もう一人はボクサー上がりの臨時雇い。その風貌からいってもマネジャーという柄ではないが、役割は暴力系のトラブルに対処することにある。
 酔って、さつきにからむような客があるときの対応係だ。ただし暴力は絶対に禁止されている。たとえ相手の側にどんなに責任があるといっても、客は客だ。だいいち彼の一発を食らったら、ちょっとした怪我くらいではすまないだろう。そうなると問題がややこしくなるし、さつきの評判にも影響する。
 やがて、喉自慢の連中が次々に壇にあがってマイクを取った。彼らはお得意の一曲か二曲を披露する。その歌にかぎっては少なくとも自分では、プロにも引けを取らないと自認している連中だ。
 もちろん、さつきのプロの耳からすれば箸にも棒にもかからないものだが、それでもさつきは、さも聞いているかのように目だけは彼らのほうに向けていた。
 さつきにすれば、会場でうたわれる歌で知らない歌はなかった。自分の持ち歌にはなっていなくても一度か二度はステージでうたったことがある。
 やがて、さつきとのデュエットということになる。この手のデュエットで必ずといっていいほどうたわれるのは、かつて石原裕次郎と牧村旬子の歌で大ヒットした『銀座の恋の物語』だ。
 残響音を過剰にきかせてヴォリュームいっぱいでうたえば、まるで風呂場でうたっているようないい気分になるらしい。さつきを相手にご本人だけが乗りに乗ってうたいまくる。さつきも芝居っ気たっぷりにサービスする。
 なかには、さつきとのデュエットを携帯用のラジカセでこっそり録音させている者もいる。本来ならば当然、禁じられるこういであろうが、ないしょでやっているかぎり、あまり固いことは言わないというのがお互いの暗黙の了解だ。
 ただし、これには金がかかる。べつに、誰が決めたというわけではないのだが、一曲のデュエットを申し込むたびに、さつきには内緒だという見え見えの身振り手振りで、そばに控える戸田にそそくさと祝儀袋を手渡す。
 さつきも心得たもので、まったく気づいたそぶりも見せはしない。
 気っぷのよさを自負する土地柄とあってか、手渡される祝儀袋の中身も半端な額ではない。いったいどこにこんな金があるのかわからない。バブル景気はいまや絶頂期を過ぎたとはいえ、その影響はまだまだこの地方都市には及んではいないのだろうか。
 実際のところ、さつきにはそんな経済問題はよくわからなかったし、当面の問題は、袖のなかに押し込まれる祝儀袋のほうだった。それでもバブルのぜんせいきよりは多少軽くなったかなという気がしないでもない。
 さつきも頭では馬鹿にしながらも、ついついこんな宴会に出て、いい調子で愛想を振りまくのも、そういう実入りがあるからだった。
「さつきさん、昨日はあのあと、どこに消えたんですか。少し気をつけないと・・・・。
 さつきの男好きを知っているチーフ・マネジャーの戸田が、ハンドルをあやつりながらさりげなく聞いた。戸田もこの市でのさつきの相手の男は知っていた。自分の経営する建築設計事務所をもち、、F市商工会議所の事務局長もつとめる一級建築士の加古喜代治郎とのつき合いは五、六年まえから続いている。
 加古はその名前の古めかしさの割にはまだ四十代半ばの若さだった。日焼けした顔、筋肉のしまった精悍なスポーツマン・タイプ。N大の建築学部に学び、大学時代を東京ですごしているだけに、人脈も広く、F市はじめ近隣の町の公共建築物の設計にはほとんどタッチしていた。
 またF市の市民文化会館の建設のときには地元側の設計担当者として、通常、こういう大規模建造物の元請けとなるゼネ・コンとの人脈にも深く食い込み、それなりの実績をつむだけの才覚ももっていた。
 同年輩の商店主や土建業の社長などとは違って、身のこなしも、さつきにたいする気配りにもあか抜けがしているのは、そんな自信が自然ににじみ出たものだろう。
 彼は仲間内で話をするときは地元の言葉丸出しだったが、さつきを相手にするときは見事に標準語に切り替えた。そつがない。その道の女性にはもてるだろう。そういえば、ある老プレーボーイが語っていた。「女にもてようと思うなら、何よりもやさしくすること・・・・」と。
 加古にもそんな気配りが感じられて、何年かまえ、さつきも、つい加古の誘いに乗ったのだった。
 それ以後、彼とのつき合いは続いていた−−もう、ずいぶん昔だったような気もするし、つい、このあいだだったような気もする。さつきが巡業でF市に来たときばかりでなく、F市の近辺に来たときにも会った。また、加古が年に数回、仕事にかこつけて上京してきたときにも、さつきが東京にいるかぎりは会った。
「どこか知らないけど、車で三十分ほど行ったところのホテルよ。あたしの部屋でってわけにはいかないでしょう、隣の部屋には坊やもいることだし」
 加古喜代治郎は、さつきを運転手付の自分の車で送るといって、みんなにひやかされながら、さつきと坊やをいっしょに乗せ、しおらしくホテルに送りとどけて一旦は別れる。そのあと、さつきは部屋にもどり、目立たない服装に着替えてロビーで加古喜代治郎と落ち合い、今度はタクシーでどこかへ出かけるのだった。
 坊やも、そのほかのマネジャーたちも見て見ぬふりをする。
 車は二週間後に訪れる予定になっているM市へ打合せに行くところだった。いつもの決まりものの公演ならマネジャーだけの打合せでよかったが、今度はさつきの大物スポンサーが経営する精密機械工業会社の社員慰労会への義理がらみの出演だった。
 それに、ほかにも出演者があるということを耳にして、その場所が隣の市で近くもあることから、ついでに会場の下見でもしておこうかというきになったのだ。
 さつきはシートの背に身をゆだねて、目を閉じた。 (目次へ)





          
第二章



   会場の市民会館は市のはずれの農業地帯と市街区との境に建てられていた。
   それは地方の公共建築物にありがの、なにか土地の雰囲気とは無関係に近代的なコンクリートの建物だった。このような市民会館が多目的ホールだの無目的ホールなどと悪口を言われながらも、このところさかんにあちこちの自治体で建設されていた。
   市民会館の職員は待ち構えていたかのように、さつき一行を迎え入れた。
   市民会館管理課舞台係主任岡沢係長は、館長が本庁での会議に出席しているからと不在の申し訳をし、それがさつきにたいして大変失礼なことでもあるかのように詫びた。その人のよさそうな、おだやかな物腰からいって、この初老の係長は市民会館の舞台よりは、むしろ市民課のカウンターのほうがお似合いだという印象を強く与える。

   最近でこそ市民会館や音楽ホールを建設する地方自治体が、第三セクターの直属の財団を設立して、専門的に管理運営に当たらせるという方式を取るようになってきたが、当時、1980年代まではそのような管理方式はまだ一般的とはいえなかった。
   財団設立の狙いは、劇場の管理・運営を自治体が直接おこなうよりも、財団というクッションをおいて管理したほうが合理的に、また柔軟に対応できるだろうということにあった。
   役所ではだいたい三年に一度は定期移動で職場を変わらなければならない。普通の部署なら同じ事務職ということで、ある程度融通はきくが、会館やホールの舞台管理ということになると、ある程度の技術、経験がなければつとまらない。
   財団方式の大きな利点はこうした役所の定期移動に左右されることなく、舞台技術者を同一の専門部署に定着させることができる点にある。そうすれば一定の技術的職場に経験や技術の蓄積もでき、ひとつ間違えば大事故も起こしかねない、舞台機構運営の安全も確保できるというわけである。
   またその一方で、第三セクター方式による会館の管理運営のための財団の設立には、全国各地に建設された会館やホールがほとんど使用されないで、閑古鳥が鳴いているという世論の批判に応えての苦肉の策として考え出された方策の一つでもあった。
   税金を使って立派な文化施設を造っても、使用者もなければ、観客もないということになると、これはまったくの税金の無駄使いとなり、地方文化とか、地方文化の発信基地とか掛け声だけは大きくても実際がともなわなくなる。
   だから、この種の財団に負わされた責務は、単に劇場・ホールを管理するだけでなく、その運営面にも重点がおかれている。つまりホールで行われる催事や演目を企画し、観客を動員するという責務も負っているということである。
   その方面での成果は、最近、地方での音楽祭や演劇祭、あるいは映画祭といった形でたしかに表われてははきている。だが、問題はそれだけではおわらない。
   公演を企画し、舞台に何らかの出し物を載せるということなら、地方自治体の職員にもできる。問題は、その企画にたいして採算に見合うだけの観客や徴収を集めることができるかどうかだ。通常では、収支がとんとんになればいいほうで、その企画公演で黒字をあげるということはほとんど不可能にちかい。そこに公的文化援助の必要性(むしろ、不可欠性)があるのだ。
   だから、地方自治体であれ国であれ劇場やホールを建てるということには、その点にまで十分な配慮と覚悟を持ってかからなければ、文化行政もへったくれもない。
   そのことは日本だけにかぎったことではない。ヨーロッパでもアメリカでも、何らかの形での公的ないし私的な機関の援助が、あえて言えば、舞台芸術活動を支えているのである。
   たとえばヨーロッパでは、かつての王侯貴族による芸術庇護の伝統が国家や地方自治体に受け継がれている。その補助金の規模は日本の政治家が聞いたらびっくりするような額である(たしかに、わい金ではそういう多額な公的文化援助にたいして、ヨーロッパでも納税者の批判の声が出てきているそうであるが )。
   その伝統のないアメリカでは芸術にたいする国家的な直接援助は無にひとしいが、「非営利的文化芸術団体」へのきふにたいしては個人、法人とを問わず一定の割合で税金を控除するという税制面での優遇措置かもうけられていて、確実に文化助成の成果をあげている。
   では、どんな「非営利的文化芸術団体」にでも寄付をすればいいかというと、話はそれほど単純ではない。こんどは寄付を受けようとする芸術団体のほうに「免税措置」のための一定の資格認定が必要となる。無資格の芸術団体にいくら寄付しても、税制面での優遇措置は受けられない。
   ギヴ・アンド・テイクのプラグマティズムの国アメリカでは、寄付金を受ける側もぬかりがない。このような寄付金助成にたいしては、その多額の提供者には具体的な形でその名前を顕彰する方法が入念に工夫され、その配慮は十分にゆきわたっている。
   アメリカにはいろいろな建築物やその建物のなかの部屋やホールの一つ一つに個人の名前を冠したものが多く見られるのは、そういった顕彰法の一つのあらわれである。
   そしてわが国では----文化援助基金という、おためごかしの不毛なばらまき助成があいかわらずおこなわれ、わが国の芸術団体もまたそれが甘い汁ででもあるかのように助成金にむらがっている。しかし、それは芸術活動を真の意味で助成し、活性化するという意味では、なんら根本的解決にはなっていない。

   さきにあげた第三セクターの財団方式ではなく、地方自治体が直接管理する会館やホールの類は、通常、その役所という組織のなかの一部署であり、定期移動の際の移動先の一つでもあるから、それ以前に舞台経験があるとか、舞台芸術に興味があるかどうかとは無関係に税務課とか市民課から、いきなり市民会館の舞台管理課へまわされてくる。
   だから定期移動で舞台管理課に配転になった職員は、当初、舞台の技術や仕事にはまったくの素人だから、通常は契約で雇い入れた専門の舞台経験者を数人その下に据えて、技術経験の不足を補っている。
   M市の市民会館もご多分にもれなかった。このホールの舞台管理責任者はあきらかに何もわからない様子をみせて、部下の舞台専門家を打合せに同席させると伝えてから言った。
  「花園さんは、昨日は、F市での公演で、さぞお疲れでしょうに、よくおいでくださいました」
   岡沢係長はきわめてありふれた挨拶をして、仕切りボードで区切った自分のデスクのほうへ案内した。そこには横長のテーブルをはさんでソファーが置かれていた。
  「こちら、マネジャーの戸田で、こちらはアシスタントの河原です」
   さつきが紹介し、戸田と河原は軽く頭をさげた。岡沢係長は一度自分の机のほうにもどってから机の上の名刺を薄グリーンのプラスチックのケースごともってきて、さつきと戸田と河原に一枚ずつ渡し、戸田と河原からも名刺を受け取った。
  「いま、舞台の操作を担当している井川を呼んでありますので、その男がまいりますあいだ、どうぞ、お茶でも召し上がっていてください」
  「いえ、どうかお構いなく。わたしたち、打合せがおわりましたら、すぐに東京にもどらなくてはなりませんので・・・・」
   さつきが応えると、戸田マネジャーは岡沢にたずねた。
  「ここのホールのキャパはどれくらいです?」
  「キャパと申しますと?」
   係長は意味が理解できずに問い返した。
  「ホールのキャパシティー、客席数です」
  「ああ、客席数ですか。千二百です」
  「二階は?」
  「はい、そのうち三百席が二階です」
  「でも、今回は、社員慰労会だから、そんなには入らないでしょう」
  「ところが、今度は家族親戚も呼んでいいということになっておりますので、ほとんど満員になるときいておりますが。さすがは花園さつきさんですな」
   係長もこのへんの話にはスムーズに答えるし、お世辞の口も軽い。そのとき四十代のはじめと思われる痩せぎすの舞台操作係井川が、胸にM市のネームとマークのついたグレーのジャンパーにグレーのズボンというお仕着せの作業服姿で、もう一人の舞台係樫山をしたがえてやってきた。
   井川はパイプ椅子を持ってきてテーブルの横においてそれにすわり、樫山のほうはジーパンに黒い長袖シャツという姿で、さつき一行がすわっているソファーのうしろにパイプ椅子をもってきてすわった。岡沢係長の部下の市職員横田もみんながそろったのを見計らってはいってきて、こちらはソファーの係長の隣に、さつき一行と向き合う形で腰をおろした。
  「それで、当日の進行はもう決まりましたか?」
   マネジャーの戸田がすぐに事務的に切り出した。それに答えたのは岡沢係長ではなく、舞台操作係の井川だった。井川は打合せ用のバインダーを開いて、そのなかの一枚を引き抜き、それを見ながらいった。
  「このまえ、この企画を受けたSK興行の三田村マネジャーが見えまして、あらかたの打合せをしましたんですが、午前中は会社の創立記念式典がありまして、そのあと昼食の休憩が一時間ほど会ってから、午後の部が、花園さつきさんの歌謡ショーということになっております」
  「それじゃ、『花園さつきショー』は一時頃からということですね」
  「はい、ただ、ショーそのものの開演は一時の予定ですが、花園さんの出のまえに地元の歌手に二、三曲ほど前座にうたわせてくれという、SK興行のほうからの申し入れがきているんです。それと、花園さんの歌謡ショーの一部と二部とのあいだに、『もり研太ショー』が二十分入ることになっているんですが・・・・、SK興行の企画書ではそうなっています」
   それまで無関心に聞いていた花園さつきが突然大きな声を出した。
  「もり研太って、あの生意気なやつ? 目下売り出し中とかなんとか、自分で吹聴してまわっている・・・・? あんたそのこと聞いていたの?」
   さつきは眉を吊り上げて戸田のほうを見た。戸田はさつきの思わぬ剣幕に気おされながら答えた。
  「いや、ぼくも聞いていないな」
  「じゃあ、それ、別枠にしてもらえないかしらね、戸田ちゃん。だって、あたしのショーのあいだで、あんなチンピラに二十分もしゃべられたんじゃ、せっかくのショーがぶち壊しじゃない。ねえ、なんとか話をつけてよ」
  「そうですね・・・・」
  「ねえ、すぐにSK興行に連絡して話をつけてよ。あなたのところに電話をしてきたのは誰よ、SK興行の・・・・」
  「たしか、三田村さんだったと思います」
  「わかってんなら簡単じゃない。あたしとの契約はどうなっているの?」
  「あのときの話じゃ、一人か二人、ほかに出演者を考えているという話はしていましたがね」
  「じゃあ、もり研太の話はそのとき出たの?」
  「いえ、そのときは地元のタレントと、もう一人というだけで、とくに名前は出ていませんでした」
  「やだねえ、よりによって研太だなんて。あたし、だ一嫌いなのよ、あいつ・・・・。ああ、いやだ」
  「でも、こちらはSKと契約した以上、やめるわけにはいきませんからね。それに・・・・」
   それに・・・・、あんたの仕事はだんだん少なくなっているんだと言いたくなるところを戸田は自制した。
  「それじゃ、こうしてよ。一番いいのは別枠にする。そうでなければ・・・・、二十分は長すぎだわよ。せいぜい十分ね、それでじゅうぶんよ、あたしと共演できるんだもん、格があがるわよ。なによ、ポット出のくせして、あたしのショーに二十分も割り込もうなんて、あつかましにも程があるわ。ってもんよ。あたし、絶対、我慢ならない。何なら、あたし、その会社の社長に直談判してもいいわよ」
   その瞬間、さつきはあの社長の執拗な指先を乳房に感じて、そうなるとあいつと一晩、つき合わなくちゃならなくなるかな。それもおっくうだ----さつきは、なんとなくそんな気分を覚えながら、まあ、いいかという気になりはじめていた。
  「じゃ、いい、その向こうのマネジャーに別枠にするか、それとも時間を十五分に短くするか、どっちかにしてくれるように交渉してもらってよ。で、なくちゃ、このさつきはいやだと申しておりますって、そう言ってやんな」
   市の職員は二人とも唖然としていた。井川は舞台のベテランらしく、タレントのわがままには慣れていたから、ニヤニヤしているだけ、それに、まだ若い樫山はおもしろい風景でも見ているように、興味深げに、さつきと戸田マネジャーとのやり取りを眺めていた。
   そのとき、こんなやりとりをいつまでも聞かされたんじゃたまらないと思ったのか、さつきの気をそらそうと思ったのか、対話の切れ目をすかさずとらえて、ベテランの井川が口をはさんだ。
  「花園さん、この小屋はこんなに見えてもセリがあるんですよ、ちょうど舞台の中間あたりです。間口が二間で、奥行きが一間半。三田村さんが書いてきた図面だと、バンドの山台を一尺ちょっと奥にさげるだけで、ちょうど使える位置なんです」
  「へえ、それおもしろいわね、二部の登場はセリってのはどうかしら。それに、二部はあのセットでいくんでしょう? 『天の岩戸の・・・・』ではじまる。そしたらね、えっと、井川さんだったっけ、あなた・・・・」
  「はあ、なんでしょう?」
  「煙、使える?」
  「ええ、スモーク・マシーンは歌謡ショーでも芝居でもよく使うんで、二台そなえてあります」
  「いいわねえ、そうねえ、二部で幕があがると、舞台の上には、そのセリのなかから煙がもうもうと噴き出しているの。そこへセリに乗ってお国姿のあたしが登場ってわけ・・・・。いいじゃない? よし、決まった、二部はこれでいこう」
  「あのう・・・・」
   そこへ自信なげな岡沢係長の声がした。
  「えっ?」
   すっかりいい気分にひたっていたさつきは、われに返って係長に目を向けた。
  「あのう、このまえの三田村マネジャーとのお話ではセリは使わないということになっておりましたんですが・・・・」
  「それがどうかしたんですか?」
  「いえ、セリを使うとなると、使用料が別にかかりますがよろしいでしょうか」
  「ホールの使用料が高くなるんです、別料金になりますから」
   井川が横から補足した。 
  「そんなら、戸田ちゃん、そのことも一緒に話してくれない? ちょっとお、いますぐ電話してよ」
  「そうですね、セリを使うか使わないで、打合せの内容も変わってきますから、それを先に決めていただいたほうがいいですね」
   井川がベテランらしくポイントを指摘して、さつきの意見に同意した。
  「どうぞ、そこの電話をお使いください、外線は0を回してからです」
   係長が好意を示した。戸田は示された電話をとって、手帳を見ながら番号を回した。
  「ああ、もしもし、こちら、花園さつきのマネジャーの戸田ですが、三田村さんいらっしゃいますか・・・・、ああ、どうも、戸田です、先日は・・・・。このたびはいろいろとお世話になります、はい・・・・、はい・・・・。それで、いま、ちょうど会館の下見がてら、舞台のほうの打合せをしているところなんですよ・・・・、はい、そうなんです、だから、ついでといってはなんですけど・・・・、はい・・・・、ええ、もちろん、はい。ところで、ご相談なんですが、実は花園がここのホールのセリを使いたいって言うんですよ。ええ、はい・・・・。ああ、そうですか。はい、わかりました。じゃあ、こちらからも会館のほうに伝えておきますから・・・・、はい、では、よろしくご手配のほう・・・・」
   そのとき、すかさず、さつきが声をはさんだ。
  「もり研太のこと言いなさいよ!」
  「あ、はい・・・・、それから、もう一件、ご相談があるんですが、もり研太さんのステージの件ですけど、花園の意向では、できたら別枠にしていただけないだろうかと言っているんですが・・・・。え? ああ、なるほど・・・・、そうでしょうね。それじゃあ、時間を少し短くしていただくことはお願いできますか? 二十分というところを、十五分くらいに・・・・。ああ、そうですか、でも、なんとか・・・・、でないと花園が・・・・。はい・・・・、はい・・・・、わかります、はい、じゃあ、とにかく、そんなわけですから、どうぞよろしくお願いします」
   戸田マネジャーはしぶい顔をして席へもどってきた。
  「さつきさん、別枠というのはどうしても無理だというんですよ。別枠にすると、二十分じゃ、中途半端だし、完全に独立したステージということになると、もり研太のほうでも構成を一から考えなおさなきゃならなくなるし、そうなるとギャラがいまの予算では収まらなくなるというんです」
  「あいつがねえ、このまえまでは東洋介の付き人かなんかで、ドサ回りでさ、たまにお情けで前座をつとめさせてもらっていたんだよ・・・・、それがそんなにえらくなったのかい。片腹痛いとはこのこった・・・・」
  「で、こんどの『さつきショー』の公演に共演するのを説得するのに、どれだけ苦労したかって・・・・、むこうのみ田村マネジャーも言っていましたがね。一部と二部のあいだは、どうせ衣装替えとかなんかで休憩がどうしても十五分は必要なんだから、その間のつなぎに入れたっていうんですよ。ずいぶん研太はごねたそうです。主催者の社長の口利きでなんとか納まったらしんですけどね」
   あんたも絶頂はすぎたからね----とは言わなかったが、戸田にしてみれば、研太の気持ちもわからないではなかった。しょせん芸能界というのはそういうところだ。売れるが勝ちだ。だから、みんな人気が出て、マスコミにでもなんでも売れるようになるために、しのぎを削っているのだ。
   それを考えると、むしろ、よくこんな条件をのんだなというのが戸田の実感だった。それをさらに五分縮めろというのは、いまのさつきの人気度からいえば、むしろ無茶だといっていいくらいだ。
  「あの若造がそんなにえらくなったとはねえ」
   さつきはにくにくしげに、吐きすてた。
  「あたしゃ、あいつがどうしても十五分じゃいやだっていうんなら、あたしのほうがやめさせていただくわ。小野田工業の社長さんにそう言っといてちょうだい」
「まあ、まあ、もうしばらく待ってみましょうよ。三田村さんがなんとか説得すると言っていましたから」
   市民会館の職員も舞台係もこのやりとりを、ただ無言で見守るばかりだった。さつきと戸田の小声の内緒話ががしばしのあいだ続いた。
   やがて戸田がむきなおって言った。
  「いや、どうもお待たせしました。一応、もり研太さんのステージは『花園さつき歌謡ショー』の第一部と第二部とのあいだに入ることにして、とりあえず、さつきショーにかんする部分の打合せをいたしましょう。研太さんのステージが二十分のママか、十五分になるか、ちょっとまだ流動的ですが、進行の打合せにはたいした差し障りはないと思いますので・・・・」
  「それじゃ、わたしどももそのあたりをふくんだ上で、一応、お話をおうかがいしておきましょう」
   係長の岡沢は話の進行をうながし、ベテランの井川がそのあとを引き取った。
  「このまえSK興行の三田村さんから渡された進行表によりますと、十一時に式典開始、模範社員表彰式のあと、社長の話があって、午前の部はおわります。これは十二時までにおわる予定です」
  「リハーサルの時間は取れますか?」と戸田。
  「はい、バンド用のひな壇は前日中に仕込んでおきます。朝九時に開館しますから、それ以後はいつでもおつかいになれます」
  「譜面灯の用意もできますね?」
  「はい、一応、二十個はありますから、照明のほうにも伝えてあります」
  「みなさん方は何時に小屋にこられますか?」
  「舞台操作、照明、音響の各部署、少なくとも一名ずつは九時には来ていますから、何でも言ってください」
  「じゃ、音出しは九時半ということで、バン・マスにはわたしのほうから伝えておきます。前日はY市で公演していますから、当日の朝、こちらに移動ということになります。M市には八時四十三分着になっていますから、多分九時前には会館に来れますね」
  「でも、九時前には会館のなかへは入れませんから・・・・、規則ですので・・・・」
   うるさいんです、役所は・・・・と言いかけて、井川は会館職員のてまえ最後の言葉を飲み込んだ。
  「音合わせはちゃんとしておきたいわね、前の晩うたわない曲もあるから。それに縮小版でしょう。まあ、バン・マスの岩ちゃんはしっかりしているから大丈夫だけど」
  「もり研太さんは何時にはいることになっているんですか?」
  「いや、それが、三田村マネジャーの話ですと、前日、テレビのビデオ撮りがあって遅くなるんで、たぶんぎりぎりになるだろうっていうんですけどね」
   こういう話になると会館の職員は口を出すすきはない。
  「じゃあ、ぶっつけでやろうっていうの? あつかましいわね、チンピラのくせして・・・・」
   花園さつきのすごいけんまくに、マネジャーの戸田はなだめながら言った。
  「まあまあ、さつきさん。で、もり研太のほうは何をやることになっているんですか?」
  「いやあ、それが何をやるか、まだ決まっていないらしいんです」
  「そんなこと聞かなくてもわかってるわよ、どうせあいつの出し物は、せいぜい、くだらないだじゃれ漫談でしょう。そんなのきにしなくたっていいわよ。まさか、あたしの歌のあいだに歌をうたう度胸があるかしらね」
  「でも、最近は歌謡ものまねってのも手掛けていますからね」
   さつきはむっとして言った。
  「あたしのものまねでもしようってんなら、ただじゃおかないからね!」
  「まあ、まあ」
   戸田は口に出しては言わなかったものの、内心ではこの色きちがいの<姥さつき>めと怒鳴っていた。
  「午後の部の幕が開きますと、おたくの司会の橘屋小呂助さんが出て挨拶。前歌の坂本圭太郎が出て三曲ほどうたいます。曲は東海林太郎のもののようです」
  「バンドはうちのを使うの?」
  「ええ、そうだと思いますが・・・・、三田村さんのほうから連絡がいっていませんか?」
  「いや、まあだ聞いていない。使うのはいいんだけど、譜面はちゃんとそろえておいてくれるんだろうな。楽器の編成のこともあるし・・・・。編曲を頼むんだったら頼むで、早めに言っといてくんないとな。どっちみち一回、三田村さんと会って話を詰めておかないと、今回の話、どうもすんなりいかないような予感がするんだよ」
  「そうですね、この時点になって、未決定要素が多すぎますね。でも、そうも言っておれませんので、その先の進行をできるだけ確認しておきましょう。それで、花園さんのほうのステージは、午後の部の開始でドン帳上げですね。緞帳のキッカケはどうします?」
  「いつも通りでいいわよ」
  「それじゃ、井川さん。バン・マスの合図を待って、音の頭と同時にドン帳Qにしてください」
  「わかりました。では、袖スタンバイの確認は誰がします?」
  「それは、井川さん、あんたのほうでするんじゃないの?」
  「いえ、ぼくはこの場合、単なる小屋設備の操作係ですから」
  「だって、花園さつきの板付きはもちろんこちらで見るよ。そのために坊やがいるんだ。だけど、その前歌の坂本さんとか研太さんの面倒までは見きれないな」
  「そうなると、SK興行のほうの問題になりますね」
  「そうなるんじゃない。いずれにしても花園さつきのパッケージのなかのことはこっちで責任もつけど、ほかはSKか会館のほうで責任もってよ」
  「じゃあ、三田村さんと相談しておきましょう。いいですね、係長」
  「ああ、じゃあ、井川君、そっちのほうは頼むよ」
   係長は責任を井川にゆだねた。こういった歌謡ショーをすでに何十本とこなしてきた井川には、こんな取り決めごとを素人の係長にまかせていても仕方がないという自負があった。
  「じゃあ、段取りだけはつけておきましょう。音と同時にドン帳アップですね」
  「ええ、それでお願いします」
  「橘屋さんが出て、挨拶。坂本圭太郎の紹介、歌が三曲。坂本の歌がおわって引っ込み、橘屋さんのつなぎのしゃべり、花園さんの紹介。その間に、照明が変わって、第一曲目の前奏で花園さんの出----と、まあ、こんな感じですね」
   岡沢係長はただ黙って井川が話すのを聞いていた。井川はさすがにベテランらしく、SK興行の三田村から渡された大雑把な進行表を見ながら細部をおさえていく。
   井川としては大阪の「なにわ座」十年飯を食ってきたというキャリアの裏づけがあったから、歌謡ショー程度の進行のパターンは言われなくてもわかっている。
  「歌謡ショーの第一部では何曲うたわれますか?」
  「第一部で七曲ってとこかな。第二部で五曲。こっちはアンコールがあるから・・・・。お客はアンコールが多いと喜ぶんでね。曲名と順番は決まり次第送ります」
  「わかりました。それで、第一部がおわって、もり研太さんの出になりますが・・・・」
  「ちょっと、待って。もしかしたら第一部の出もセリにしようかな・・・・」
   さつきが、ふとつぶやいた。
  「そうね第一部のときは煙はいらないわ」
  「そうすると、セリの板付きは早めにお願いします。最初の出のときはよく忘れ物があるんですよ。ですから、時間の余裕を見ておいたほうが・・・・、それにセリの中間停止位置にある役者の板付き用の台が仮設ですので、ちょっと安定がわるいんです」
  「なによ、それ。なんだかいやだな、そんな所でのスタンバイなんて・・・・、衣装のこともあるし」
  「じゃあ、あとでお見せしますよ、確認をしておいてください」
  「そのセリ、一番下までおろすわけにはいかないの?」
  「できなくはないんですけどね、ちょっと深いんで・・・・、七メートルばかりあるんです。それに一番下までおろすとなると、三十四、五秒かかりますんで、セリさげのキッカケを余分に見ておかないと・・・・。いずれにしろ、セリ底での板付きがすみましたら、一応、セリは中段の通常のセリ・スタンバイの位置まで上げておくことにしましょう。そこだと、深さは舞台面から二・五メートルのところです。お付のひとはちょっと不安定ですけど中段の昇降位置で対応していただくことになります」
  「それにしても、不安定なのはいやだねえ。なんなら、あたし、第一部では最初から板付きしててもいいわよ。それに一部と二部のあいだの研太のしゃべくりは十五分あるんだから、セリに時間がかかるのなら、少し早めに・・・・、そうね、いっそのこと研太がマイクの前でしゃべりはじめたら、すぐにおろしたらどうなの?」
  「そうですね・・・・」と井川。あまり乗り気ではない。
  「どうせ研太のは漫談だからそんなにうごくこともないでしょう。それにこっちからも連絡しておくわよ、研太だってプロだから、うしろのセリがおりていることを忘れて、落っこちることもないでしょう。いいわね、坊や、あんた研太さんにそのこと伝えておきなさい」
   見習マネジャーの河原はそれまで黙って、うしろに立って聞いていたが、不意に自分が呼ばれたのでびっくりして返事をした。
  「はい、伝えればいいんですね」
  「伝えればって、何を伝えるかわかっているのか?」 
   戸田がいらだたしそうに言った。
  「そのう、セリがおりくことをですね」
   さつきはさらにセリにこだわった。
  「セリのことだけど、とにかく、あとで見せて」
  「わかりました。それではとりあえず、もり研太さんがマイクのまえでしゃべりはじめたらセリをおろすということでいいですね」
   井川はそう言いながらも、気になるのか、ちょとのあいだ、頭をてのひらで押さえて、何かつぶやいていたが、やがて気を取り直したように言葉を継いだ。
  「ここのところは、もう一度、検討してみる必要がありますね。ここの段取り、ぼくのほうでもう一度考えてみます。樫山ちゃん、あんたもここのところメモしといてな。ここで煙のスタンバイだ。これは二台のうち、一台は横田さん、お願いできますか、もう一人は照明のステージ係の磯貝がつきますから」
   市職員横田は「ああ、いいよ」と気軽に返事した。市職員とはいえ、ホール管理課にはいぞくされた以上、ある程度、舞台現場の仕事にもつかねばならない。それは係長の岡沢とておなじであった。
   岡沢がホール管理課に来るまえは社会福祉課の係長補佐をしていたから、福祉医療の問題や公民館活動についてはいろいろと熱心に取り組んでいた。それに岡沢には障害をもつこどもがあったから、福祉行政は他人事ではなかったのだ。
   とはいっても、しょせんは市の行政的立場でのデスクワークであり、自分の体を動かしてする力仕事とはまったくことなっていた。
   舞台管理係長という名目上は舞台管理の責任者ではあっても、直属の部下は実質的に横田一人ということになれば、岡沢自身も自分の体を動かさざるをえなかったし、ホールが稼動しているときには、舞台の袖に立って舞台現場の仕事にもつかなければならなかった。
   通常は井川と岡沢が組んで舞台の下手<かみて・舞台に向かって左手>袖につき、操作盤のボタンを実際に押す樫山と職員の横田が組んで、操作盤の設置してある上手<かみて>袖につくという慣例がなんとはなしに定着していた。
   横田もホールの管理課にまわされてきた当初は、まるで使いものにならなかったが、三年もいると、なんとか舞台の仕事もこなせるようになっていた。しかい、役所の慣例でそろそろまた別の課へ移動させられる時期でもあった。
   岡沢はこの年の人事異動で係長として来たばかりで、まだ、舞台のことはまるでわからず、使いものにならなかった。それに、なんたって若くはない。こんな年になって、いまさら舞台の仕事を一から覚えなきゃならないというのも気の毒といえば気の毒な話ではあったが、場合によってはそうも言っていられない。井川としては契約の舞台係に過ぎないわけであるが、舞台の仕事でもたもたされると、かえって危険である。だから、逆に上司にあらい言葉を投げつけることも、仕事の場合、仕方のないことだった。
  「それから、研太さんのステージがおわってからの煙とセリ上げはどうします」
  「そうね、とにかく、もうもうとほしいわねえ」
  「じゃあわかりました。もう一台マシーンを追加しましょう。照明の磯貝君とこの会社も、たしかスモーク・マシーンをもっているはずですから、その一台はセリのなかから、会館の二台は舞台の上下<かみしも>からドライアイスを通した煙を出すことにしましょう。ドライアイスを通すと煙が重くなりますから、上にはあがらずに舞台の上をはうように広がるんです。ところがセリの部分は最初、セリの切穴があきっぱなしですから、煙がその中に吸い込まれてその部分が薄くなります。それを補うために、セリのなかの一台はドライアイスを通さない煙を出すことにしましょう。たぶん、これで花園さんのご希望の『もうもう』という感じは出るはずです」
   花園さつきはかつて全盛のころ、公演のときには必ずといっていいほど煙を使うので「煙る花園」と陰口をたたかれたものだが、煙がどうやって出されるのか自分では考えたこともなかった。当時はただ煙に包まれて、切々と女の哀歓を歌う、自分の姿の効果にのみ酔っていた。
   だから、その陰での裏方の無言の工夫や経験や技術が、いかに自分の歌を支えていたかなど、考えもおよばなかったのだ。
   そのあとの段取りも一通り終わって、最後に、さつきがどうしても奈落とその中段のスタンバイの位置をたしかめたいというので、樫山がさつきを案内し、河原の坊やが付添って奈落の様子を見にいった。戸田は残って、当日のその他の雑用の打合せを岡沢、横田、井川を相手にこまごまと取り決めた。    




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