第九章


     次の日、プロダクションに出社すると、戸田とそんなに年のちがわない営業部長が「ちょっと来てくれ」といって、戸田を呼んだ。
    営業部長の部屋には派手な洋装の女性がドアに背を向けてすわっていた。
     「戸田君、この方は君も知っているだろうが、トランス・プロにおられた鼎知子さんだ。今月からうちでお世話することになった。君に担当してもらう。ジャンルは演歌だから君も名前くらいは知っているだろう」
     知らないことがあるものか、この若さで男好きと金に汚いことでこの世界でも名をとどろかせている。どうせ、金につられて引き抜かれたのだろう。まさかこの部長と……、そこまでは思いたくはなかったが、戸田の頭のなかからそういう思いを拭い去ることができなかった。
鼎知子は戸田のほうに首をかしげるような形で、会釈した。
    戸田も軽く頭をさげた。
     そうはいっても鼎知子は歌はうまかった。もっか、新しい、ヤング世代にも受ける演歌歌手として注目されていた。戸田はこの子とも長いつき合いになりそうだなという予感がした。営業部長は言った。
     「君も一人では大変だろうからテレビ、ライブをふくむ首都圏公演のマネジャーは営業部が直轄する。つまりわたしがつくということだ。そそれで、君は花園さつきドサをこれまでながいあいだほとんど君一人でさばいていたのだから地方の芸能社には強いだろうから、その辺のネットワーク作りに専念してくれ」
    戸田にはその魂胆がわかった。あまりにも露骨にわかった。花園さつきのパトロンを鼎知子のために確保しろということだった。
     「承知しました。具体的な動きはいつからはじめましょうか?」
     「すぐにもと言いたいところだ。この子の新曲のシングルカットが九月に出る。そのあとキャンペーンのツアーを組みたい。大体のところの企画書を君の腹案でいいから至急提出してくれ。それから岩淵のところにいる優秀な弟子というのをこのキャンペーン用に引き抜くわけにはいかんかね」
     「村井君ですか? 岩淵さんはいまの時点では手放さないんじゃないでしょうか。秋に彼のオリジナル曲をふくむビッグ・コンサートを準備中だといいますから……」
     「おい、君! 君の仕事は岩淵のコンサートの心配をすることじゃあない。未来のわが社のドル箱、鼎知子のキャンペーンを成功させるために、その優秀な弟子というのを引っこ抜いてくることだ」
     戸田は重い気持ちで部長の部屋を出た――そんなこと、できるはずがない。それに村井だってそんな恩知らずじゃあるまい。いままで面倒みてもらってきたというのに……。それに何より、村井は岩淵を尊敬している。
     しかしそういう指示を受けた以上、戸田としては動かないわけにはいかなかった。だからといって、直接、村井にコンタクトをとるわけにはいかない。戸田としても岩淵には義理がある。
     戸田は週間の芸能誌を調べて、今晩、岩淵の「ブルーバード・ファイブ」がどこに出演しているかを確かめた。銀座の「パレス・クラブ」で、最初のステージが七時からということがわかった。
     戸田はそのあと企画書の作成にかかった。全国各地の主要都市にかんしては問題なかったが、ただ時期がおそすぎる。時間さえあればその都市を拠点として周辺地区のネットを組織することができる。戸田は各地の興行社や地方の後援者の主だった顔ぶれを思い浮かべた。いまなら、まだ戸田の押しの利くところもありそうだ。それにしても花園さつきのときと同じにはいかないだろう。
     ジャンルは同じ演歌でも、鼎知子の演歌はさつきの「ど演歌」とはちょっと趣をことにしている。ややフォーク感覚をミックスした分、しかも、和服より洋装が似合う知子のキャラクターからいっても、さつきのひいき筋にそのまますんなり受け入れられるとは思えなかった。このキャンペーン・ツアーを成功させるには、なにか新しい戦術を立てなければなるまいという気がした。
     ファンの年齢層を下げる。それは長いスパンで考えればそれでいいかもしれない。しかし、いま戸田に要求されているのは、当面のツアーを成功させることで、十年先、二十年先の成功のための先行投資ではない。そんなことを考えながらワープロを打っているうちに、すでに六時をまわっていた。
     戸田の計画では南から九州、関西、中部東海、東北、北海道の各ブロックから、もっとも戸田の押しの利きそうな興行社の所在地都市をえらび、そこを拠点としてできるだけ、コンサートの機会を増やしていくという構想だ。いくらこの世界に君臨する大芸能プロダクション・原プロとはいえ、コネも手づるもない都市に行って、公演を打っても失敗するのは目に見えている。なんといっても、地方興行はおのおのの土地に根ざした、生え抜きの興行社の集客力にまたねばならないところが大いにあるのだ。
     プロダクションも大手になると、具体的なプランはなくても全国の主要なホールは年に何日かは抑えているものだ。周辺都市の地元興行会社も大手プロダクションが抑えたスケジュールに連動してホールを予約する。
     いまや市民会館にしてもその他のホールにしても、申し込みは一年前から受け付けるところが多い。だからツアーの計画も一年前にはほぼ決定しているものだ。今度の鼎知子の場合は例外だ。この秋といえば、たいがいは、もうスケジュールは決まっている。
     原プロダクションが関係している歌謡ショーなら、たとえ出演歌手が決まっていても、企画を変更して、鼎知子を押し込むといういささか強引な手も使うこともできなくはない。そうなると内部の別のタレントを担当しているマネジャーとも交渉し、了解をとらなくてはならなくなる。鼎知子と差し替えでおろされるタレントも出てくるだろうし、歌の番数をへらされる歌手も出てくる。
     戸田はこのプロダクションに入社した早々から、ほかの歌手やマネジャーに憎まれざるをえない立場に立たされてしまった。同時に戸だの腕も試されている。唯一の強みは、この企画が営業部長から出ているということだった。それを最大限りようするか――戸田はそんなことを考えていた。
     八時をまわったころと打破プロダクションの事務室を出た。軽く食事をして岩淵の「ブルーバード・ファイブ」が出演する銀座の「パレス・クラブ」へ向かった。気が重かった。岩淵と会うのも久しぶりだから、このような話のために会うのでなければもっと気もうきたっていただろう。
     戸田は銀座七丁目の清原ビルの裏側のエレベーターで四階までのぼった。エレベーターを出たところは廊下をはさんでクラブの裏口になっていた。なかから岩淵たちのコンボの演奏がもれてきた。戸田はステージがおわるのを待つつもりで、タバコに火をつけた。
     コンボの編成はトランペット、テナー・サックス、それにドラムとベースとピアノだ。曲によってはテナーがクラリネットともち替える。やがて、各楽器が数小節ずつのアドリブを取って、テーマのユニゾンでおわった。拍手が聞こえる。このステージはこの曲でおわりらしい。
     プレーヤーたちが楽器を手にして、裏ドアから出てきた。みんな顔なじみだった。みんなは「あれっ、めずらしい」という顔で戸田に声をかけながら廊下を通って控室のほうへ行った。 「おや、戸田君どうしたんだい。その後どうしてるの?」最後に岩淵が出てきた。 「いや、まあ、変なところで仕事をしているんですよ。今日はちょっとご相談がありまして……」
     「そう、じゃあ、こっちに来ない? 気がねはいらない、みんなおなじみだろう」 岩淵はなんのわだかまりもなく戸田をうながした。控室に入って、空いたパイプ椅子を戸田にすすめた。
     通常、バンドの控室といっても特別の部屋があるわけではない。半ば物置ないし倉庫がわりの一室だ。四本の細長い会議テーブルが二列に並べてあるだけで、その半分にはペーパー・ナプキンの入ったダンボール箱とかなんだかが積んであり、奥のほうには雑巾バケツやモップ、こわれたランプ・シェードなど、その他わけのわからないものが乱雑に突っ込んである。
     「相談ってなんだい?」
     「いや、実は村井君のことなんです。ぼくはあれから原プロに入りまして、相変わらずマネージャー業をやっているんですよ。こんど鼎知子の担当になりまして、原プロとしてはこの子を次期ドル箱に仕立てあげようとしているんです。九月のシングル発売を機にキャンペーンの全国ツアーを計画しているんですが、バン・マスに村井君を起用したいと、うちの営業部長が言い出したんです……」
    そこまで聞いて岩淵は事情をのみ込んだようだった。
    「ふうん」
    岩淵はそう言ったきり、しばらく口をつぐんでいたが、やがて意を決したように言った。
     「そうか、村井をご指名というのなら、これに越したことはない。彼もそろそろ一本立ちさせてもいいと考えていたところだった。いいチャンスだ。わかった、ぼくから言っておこう。君の連絡先は?」
     戸田は名刺を出した。そして申し訳なさそうに言った。
     「この秋、岩淵さんの新曲をまじえたコンサートを予定されているんでしょう? 村井君がいないと岩淵さんもお困りではないかと思ったんですが……」
     「なんだ、もう知っているのか」
     「昨日、さつきさんの店に行ったんです。そしたら、さつきさんがそんなことを……」
     「ああ、光彩のやつだな……。まあ、困らないと言えばうそになるが、こんな大手から口がかかるなんてチャンスはそうそうあるもんじゃないからね」 「悲しいかな、ぼくとしても業務命令なもんですから……、ちょっと言いにくかったんですが……」
     「なあにそんなことはないよ、村井だって喜ぶだろう。おれがちょっと便利に使いすぎたかもしれん。そのコンサートの前半のポピュラー・ナンバーのステージでは村井にピアノを弾かせようと思っていたんだが、まあ、なんたって、いいチャンスだ」
     「本当に、申し訳ありません」
     「いや、気にするなよ、おれだって喜んでいるんだから。面倒をみたかいがあったってことさ。残念ながら、今日、村井は明後日のレコーディングの打ち合わせで、アップルリング・レコードのプロデューサーと会っているところだ。でも、心配ないよ。おれから話して、君に連絡させる」
     戸田は岩淵には悪いとは思いながらも、岩淵がこころよく承諾してくれたので内心ではほっとしていた。これでなんとかプロダクションにたいして面子が保てた。戸田は次のステージのためにみんなが控室をあとにしはじめたのを機に岩淵に別れを告げた。




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