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2022年11月20日(日) 「ブラタモリ風(2)、地形の秘密-川西編-」

今日は川西の地形の成り立ちを探ります。朝は雨が降っていましたが、集合時間の10時にはきれいに上がっていました。昨年は川西の山側の地形を観察しましたが、今日は阪急川西能勢口駅の北側から出発して下記のルートで阪急とJRの川西駅周辺を歩きました。




まずは車輪のモニュメントを見学。この道路には昔「国鉄前線」と呼ばれた能勢電の約600mの短い線路がありました。川西能勢口と川西池田を結び、貨物などを運ぶのに使われていたようですが1981年12月に廃止されました。その記念に昔の線路があったところに車輪が残されています。

そこから少し東に行って、きれいなマンションの前でストップ、はて?ここは?
実はこのマンションを建てるためにボーリングをしていた時に全長9m、最大直径80㎝の埋没樹幹(木材の化石)が出てきたんだそうです。調査の結果、Ⅲ層(6300年前~2200年前の地層)の上部にあり、2000年ぐらい前のものと判明したそうです。

少し坂を上っていくと地層が露出した場所で小さめの礫がたくさん見られました。これは昔はこの辺りに猪名川の流れが来ていたということだそうです。しかし、昔と言っても…十万年単位の昔です!想像がつかない!!さらに三十万年前ぐらいには海岸線がこの辺りまで来ていたそうです。

そこから線路沿いに歩いて栄根寺廃寺(えいこんじはいでら)に。奈良時代からあったお寺のようですが、阪神淡路大震災の折に江戸時代に建てられたお堂が倒壊してしまい、その後廃寺になったようです。今は史跡公園になっています。

公園の一角に「銭屋五兵衛の碑」がありました。銭屋五兵衛は江戸・安永2年に加賀の国で生まれた貿易商ですが、濡れ衣を着せられて獄死。生前に五兵衛と交流のあった人物が彼の遺徳をしのんでここに碑を建立したそうです。

その奥にナイチンゲール像がありました。病院で治療を受けていた方が、献身的な看護婦さんに感動し、その気持ちをあとに残したいとこの像を立てたそうです。ロンドンにあるナイチンゲール像が原型だそうです。

この辺りは有馬高槻構造線があり、断層のある部分は低くなっていて大雨の時など水が溜まりやすいそうです。そういえば歩いている途中にも結構アップダウンになっているところがありました。
JRの陸橋を越えて・・・

今日の観察のメインの前川に到着。前川は最明寺川の北側を流れています。ちょうど地形が下がったところにあり、家屋の浸水や道路の冠水がよく起こる場所でした。そこで写真のように川床を一段掘り下げたり

水を取り込んで調節池に流す「横越流提」がつくられました。格子状の所が取り込み口です。ここから取り込まれた水は近くの学校の地下に作られた調節池に流れ込みます。この調節池では25mプール65杯分の水を貯められます。これにより水位を0.6m低下させることが出来たそうです。

そこから南におりて最明寺川沿いを歩いて前川と最明寺川が合流する地点に到着、前に見える白い建物は前川雨水ポンプ場です。ポンプ場では台風や大雨の時に低い土地にたまった水を素早くポンプでくみ上げて川に流しています。またここではほかのポンプ施設などの遠隔監視もしています。

古い地図(明治初期ぐらい)を見ると、二つの駅周辺には人家はあまりなく田んぼが広がっていました。低地で水が溜まりやすいということを知っていたのでしょうね。田んぼは米ではなく、綿や菜の花がつくられていたそうです。菜の花からも綿の種からも油が取れました。銭屋五兵衛さんも油を扱っていたのかも。今日の観察会はここで終了。地形観察のほかに、歴史・災害対策など盛りだくさんの内容でした!

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