ストラディヴァリ

      第三楽章 アダジオ・コン・フオーコ


     目 次

第十八章 タンポポ夫人の歌 三人の王と祭壇の破壊者――1670−1672年
第十九章 「ハチドリ」酒場の腹――1915
第二十章 最後の訪問者――1684年
第二十一章 フォート・モーベージュの総攻撃――1915年
第二十二章 銅板画――1684年
第二十三章 燃えるバスティーユ――1915年
第二十四章 四編の最後の三連詩――1685年
第二十五章 魔法――1918年
第二十六章 シリンクス(パンの笛)――1700年






    第十八章 タンポポ夫人の歌、三人の王と祭壇の破壊者

――1670−1672年(その一)



 さて、次に、アントニオ・ストラジバリの旅修業について物語ることにしよう。でき ることなら私は、その物語を歌にうたい、バイオリンで弾きたいくらいだ。だって、もし人間の生命が深淵からわき出して遠方にまで伝わりゆくメロディーと、高貴なる線を描く旋律と、火のような響き、クリスタルの輝き、ビロードや絹のような、つやのある音色をもっているのだとするなら、それこそが旅修業の歳月だからだ。
 いつかこんなメロディーが単純で、ごくありふれた小歌のなかにも入りこみ、ナイチンゲールがその歌をリンゴの花咲く夜の風景のなかでうたい、また、ひばりは光が一面に乱舞する無限の朝の空にむかってそのメロディーをうたい広める。
 私はバイオリンの独奏を聞いている。それは人気のない広間のなかでいろいろな思い出を呼び覚ますのに似ている。太陽の光あふれる街路やそびえ立つ高峰、野ばらの茂みや忘れがたい娘の姿、村の広々とした広場でくりひろげられる陽気な笑いに満ちた輪舞、死者のとむらいの鐘の音、野生の花々の婚礼……。
 やがて、男性的な夏が来る。バイオリンのソロは孤独の苦痛をへて弦楽四重奏へと昇華する。深さを測り、まばゆそうな目で高みを見あげる。ひきつったように、がっちりと犂の柄か、あるいは船の舵をつかむ。なぜなら、地上を進むか、水の上を航海するかする必要があるからだ。
犂の前には真っ黒な馬がつながれ、はしけの上には黒い帆が風をふくむ。このようにして未来へ向かって進んでいく。すると弦楽四重奏は徐々に増大して大オーケストラに成長する。私たちのまわりの楽器の数も増大し、私たちのなかでも楽器が増加し、それらの一つ一つにたいして、大変な額を支払わなければならなくなる。
 そして私は涙のなかに沈んだ目で、あの瞬間を想像している――夜、パイプ・オルガンの深い音と、朝、ハープのグリッサンドとが合体する瞬間を……。ファゴットとオーボエが霧笛のように鳴り響き、クラリネットは金切り声で慈悲を乞う。
バイオリン、ビオラ、ビオロンチェロ、それにコントラバスは嵐にゆれる木々のように泣き、嘆きの声をあげる。ティンパニーと大太鼓とは荒々しい、もつれあったリズムで地鳴りのような雪崩の音に似せてどよめくだろう。
なぜなら、私の心臓は不規則に鼓動し、フレンチ・ホルンは最後の審判を告げるファ一レを吹き鳴らす。トランペットは死の門を告知し、地獄の楽長(カペルニーク)の指示により、悪魔的な最強音へたっする――そして私はたぶん、言葉にたいするうらみを込めて、地獄の楽長の恐ろしい手から指揮棒を奪い取ろうとさえするだろう。
 しかし、バイオリンの独奏は私の旅修業の歳月のまがりくねった旅路に連れ出してくれるかもしれない。私はゆったりとした気分で茂みの下に憩うだろう。すると蜜蜂が腹に黄金色の花粉をっけて、私の白いかつらのまわりでブンブンとうなりながら飛びまわる。またあるときは、どこかの山のなかの礼拝堂で、熱い思いの孤独にひたる私をそそのかして、死の鐘が鳴るだろう。
そんなとき、私はほほ笑むか、声を出して陽気に笑うかもしれない。そして誰かに、たとえば、微笑する許嫁の娘に語りかけるかもしれない。
「ハハハ、どうだい、これが、かつてどこか遠い国で、形而上学的四重奏(カルテット)とか黙示録的シンフォニーと言われていたとしても、おかしくはないだろう?」
 すると彼女は夢のようなすばらしい黄色い花粉のキスを私にあびせる。その花粉はこの地上のどこか花咲く低木の茂みの下で、蜜蜂たちが彼女の唇の上に撒いていったものだ。そして答える。
「いいえ、ちっともおかしくなんかないわよ。ほんとは、すべてがそういうふうに起こらなければならないのよ」
 そして微笑の横顔を見せながら私のベアトリーチェは、やがて、ほんの一瞬、まじめな顔になり、私は陽気に、軽い気持ちで新しい修業巡礼の旅に出る。だって、私は彼女とともに楽しみ、彼女と一緒ならどんな苦しみにも耐えられるからだ。
やがてバイオリンのソロは私とともに小さくなり、私たちは名声赫々たる楽長を受け入れることになるだろう。
あのころ、アントニオはまだバイオリンのソロだった。そして彼の孤独は静かで心温まる孤立だった。黄色の郵便馬車が御者の打つ鞭や合図のラッパの音とともに、道にそって走ってくる。宿場前に広場の、サクランボ色の地に金をあしらった椅子籠(セダン・チェアー)の前には籠かきたちがたむろしていて、旅修業の職人たちは、その長いかつらや、金の柄のついた短剣のゆえに籠かきたちの嘲笑の的になる。
 山のせせらぎは雨水を加えて水かさを増し、その水面の上を赤い斑点をつけたマスが飛び跳ねる。そして巨大な岩壁のあいだから落ちる滝は水のほこりをまき散らす。高く掲げた旅籠(はたご)の看板、森のなかの山賊、ラッパや笛をふく羊飼い、羊の群れと冒険、腐った麦藁の山、燃える低木の茂み、バイオリン製作者の仕事場と深い谷、大雪と大雨……。
これらの事柄をみんなふくめて一巻のロマンとして出版しようというのに、いったいどうして、一つの章にこんなにたくさんのことを、ひとまとめに語らなければならないのだろう?
それは、一つの歌だからこそ、そのなかにすべてを結合し、融合することができるから。そしてまた、歌のなかにならどんな言葉をふくみ込むこともできれば、その歌をとおして時代から時代へと自由にさまようこともできるからだ。
だから、私たちはどんなに望んでもアントニオにべったりくっついて旅をすることはできない――だから、そのかわりに、アントニオニまつわる三つのメロディーを読者のみなさんにおとどけしようと思う。そして、この三っのメロディーのっなぎ目にある隙間は、それぞれ読者のみなさんが各自で想像で体験し、夢想していただきたい。
その三っのメロディーとは、三っの出会いである。
その第一はフュッセンの山麓の町のある酒場「青い白鳥」で起こったことだ。
アントニオがどうしてここにたどりついたかについては、いま少しの説明を必要とするだろう。要するに、この青年アントニオの旅修業はほかの職人たちと同じではなかったということだ。
彼はほかの職人のように、季節が許すかぎり野宿をしたり、家の土間や馬小屋、藁束のあいだに寝たり、もしどこかに腰をすえることができたときは、親方のところの小部屋か倉庫か、あるいは台所に寝かせてもらったりはしなかった。
アントニオは父親から十分な金をもらっていたから、疲れれば郵便馬車に乗り、そうしたいと思えば、旅籠屋にも宿泊できた。ほかの旅修業の若者たちはそのことで彼をばかにして笑い、この件ではバイオリン製作の親方からも小言をくらった。
「いいかい、お若いの、そんなふうにすれば世界中を楽に歩きまわれる――どこかの王子さまみたいにな。ほかの職人連中のように、お日さまに焼かれることもなければ、風に吹き飛ばされることもない。そんなものは本当の旅修業とは言えんぞ、お若いの!」
 アントニオはそんな非難にたいして、当惑の微笑を浮かべるだけだった。
彼は多くの旅修業の職人たちを見てきた。遠くの国から運命の風に吹かれるままにここまでやってきた職人、ひどい日射病にかかった者、道路のそばで砂挨にむせぶ者、足に巻いた血にぬれた布とすり切れた足で倒れている者。また吹雪のなかで、冷え込みのひどい冬の夕闇のなかで、凍てついた手足をしながら狼の足跡をこわごわとのぞきこむ者を見たこともある。
またあるときは、無限に続く秋の長雨のなかで、骨まで凍えながらカビくさい腐った藁の山のなかに一夜の憩いの穴蔵を掘っている者を見た。春になって雪がとけた泥道を膝までつかりながら、ぺちゃぺちゃと音をたてて歩き、新しい希望に導かれながら、歌を口ずさむ者を見たこともある。
アントニオも、たぶん、彼らを自分の兄弟と見なすことができるように、なにか彼らの苦しみさえも体験したいと望んだかもしれない。しかし彼らの下品な冗談や、百姓的な快楽、卑屈さ、いじましい奸策、これらのすべてがアントニオを彼らから遠ざけたのだ。そして彼らの身近に身をおくはめになったときは、いつもそのことを悔やむのだった。
 アントニオがフユッセンで職人修業のために働いていたティーフェンブルッケルの家にもロッスハウプテンの家にも泊まらずに、旅籠屋「青い白鳥」に宿泊したという事態が起こったのもこんな事情によるのである。
だから、工房全体が彼にたいして距離を置いた。全員がこのことを彼の高慢のせいであり、慣習に反することだと考えたのである。しかもそれに加えて、「青い白鳥」の女主人は特別に彼を厚遇しているということまでが言いふらされていた。
このようなアントニオの「不謹慎」に彼らが我慢していたのも、実は、彼らとしてもアントニオからイタリア式のニスの秘密を引き出したいからだった。
この点にかんしては、口さがない老婆たちのうわさ話しは真実とはかなりかけ離れていたことを言い加えておく必要があるだろう。それというのも「青い白鳥」の女主人は、たしかに魅力的な女性だったが、しかしその分、抜け目がなく、水銀球のようにたえず気紛れなところもあった。
アントニオが同郷人であることをすぐに見抜いて、最初の瞬間からあらゆる親切さで 彼をつつんだ。彼は一番清潔な部屋をあてがわれたし、木から彫り出されたような無骨者の若者さえも気を許すほど巧みな、お追従をあびせかけた。
「バイオリン製作者ですって? じゃ、きっとクレモナから来たのね。それともブレッシ アかしら。言葉から察するとどうやらクレモナだわ、そうでしょう? どこで修業してた の? アンドレア・グァルネリさんのところ? それともアマーティさんかな?
 ええ、あたしもクレモナの出なのよ。あたしはずいぶん長いことあそこに住んでいたわ。あそこの人なら誰だって知ってる。あなたはみんなあたしに話してくれなくてはだめよ。あの町を出たのはもうずいぶんまえだけど、でも、何でもよく覚えているわ。ほんと、ほんと、あのころからあたし、ずいぶんいろんなところに住んだわ。タンポポの花の冠毛のように風が人間を吹き飛ばすのよ。誰かさんはそれを運命と言うけど、あたしは風って言うの。
こんなにふわふわ舞い上がる理由、そんなことを考えると、あたし、自分が小さなタンポポみたいな気がしてくるのよ。どんなに大きな秘密も、すべては風が吹くようにしか起こらないのよ。あるとき、それは暖かいそよ風だし、別のときには冷たい北風、また別のときには嵐だわ。
ところがあたしたちは地面に根をはって成長した木ではない。こっちに飛んできたかと思うと、今度はむこうに飛んでいく」
 事実、彼女の塔のように高いかつらは、まるで巨大なタンポポの冠毛のように一日じゅう飛びまわって、絶え間なくしゃべる。冗談を言う。質問をしては、自分で答える。それは同時に、ただむだに流出する言葉の洪水ではなかった。
 アントニオはむしろ快い感じさえも覚えた。快く、暖かい、土地を豊饒にする春の雨だ。彼はこの小柄な他愛もない饒舌女の言葉の;三言に耳を傾けた。
あるとき、アントニオは誰かが自分を見つめているような気がして目を覚ました。目を開けると、秋の朝の鈍い光のなかに「青い白鳥」夫人が神の創りたもうたままの姿で、彼のベッドのそばに立っていた。唯一、身にっけているものはリボンを編み込んだ高いかつらだけだった。
アントニオは彼女のまばゆいばかりの白い体を見た。どの形もまた曲線もがかくも繊細で、魅力的な女の体、小さな、むしろ少年のような、未成熟な乳房。バイオリンの胴の微妙な曲線にも似た腰のくびれ、丸みをおびてなだらかな肩、しまった、いくらか太目の腿、それに燃えるような深く黒い目。
この絵の背景ならジォルジォーネが描いてもおかしくはないきらきら輝く窓のガラスを通して山の斜面に横たわる町の中心部が見える。道がもつれ合うようにして斜面をくだっている。たった一つの広場には高い碑柱が建っている。
低木や樹木の黄色や赤っぼいまだらに混じって色あせた壁があり、柵や、苔の生えた板ぶきの高い屋根、その先には山の草原が続く。森のなかの黄土色の筋、それにおおいかぶさるように暗緑色のエゾマツ、その向こうの透明なガラスの遠景には、夢見るかのようにじっとして微動だにしない雲の塊が浮かんでいる。
これらのすべてが彼女の胴を抱きつつむ。それは彼女の肩や頭の上にもあった。本当はそれを描いたのはジォルジォーネではなく、ルカ・シニョレッリだ。そして彼女は「秋」だ。山岳地方の村の秋、ぶどうの摘み取りのない甘美なる時の移ろい、赤茶色、山岳の村のなかでの白く明るい、童話のように淡々とした、ガラスのような夢だった。
「やさしい冬の王子がお前を迎えにくるだろうよ」
 アントニオは夢うつつのなかで言った。
「彼だって樹氷の大きなかつらをかぶっているだろう。まさしくクリスタルの教皇冠だ。彼の言葉はゆっくりと降るわた雪みたいだ。おまえを山の尾根まで運び出し、大きな雪崩となるまで、おまえを雪のなかにころがす。すると、おまえは雪崩の轟音に向かって笑う。おまえは誰だい?」
 女はたったいま、どこかで雪崩が起こったみいたいに、いきなり笑いだした。まるで橇(そり)の鈴の音だ。童話的な何かがあるとしたら、まさに彼女の快活な存在のなかにこの幻想ごと魔法にかかったような、彼女のこまかなそばかすのなかにあった。
「もっと、見ていなさい、朴念仁(ぼくねんじん)のバイオリン作り屋さん、さあ、ただ、見てればいいのよ。いまはいろんなばかなことを話しましょう。それはね、人間が目を覚まさないために、こんな寒い朝には必要なことなのよ」
「ばかなこと? いや、そうはいかない。ぼくは仕事場に行かなきゃ。でないとティーフ ェンブルッケルの親方がぼくを追い出してしまう」
「ハハハハ、じゃ、追い出させておけばいい。あそこには、あなたのほかに、まだ十六人もバイオリン職人がいるのよ。あんな甲状腺腫にかかった人たちのなかにいると、あなたも移るわよ。みんなはあんたからイタリアのニスの秘密を嗅ぎ出そうと鵜の目鷹の目なだけなのよ。  あんたもあの人たちの前ではクルミの木かオークの木で作ったみたいに、ほんの少しうす茶色に色をかけるだけで、けっしてニスでつやを出すことまではしないわよね。ただあたしにだけは、あんたのニスが輝いて見えるわ。だって、あたしたち二人ともロンバルディア人じゃない。でも、あの人たち、山奥の熊さんたちには理解できない。わかるのよ、あたしには!」
そう言って、いきなりアントニオのベッドにすべり込んできて、小鳥のくちばしでつつくようなこまかなキスをアントニオにあびせた。それから愛の芸術の伝授にとりかかった。それは「大乳のバルバラ」の初級コースに比べれば、まさにセックスの芸術アカデミーだった。
もちろんアントニオはまったく優等生ではない。彼はひたすら彼女のなすがままになっていた。まさに、どうあがいても逃れることのできない暴風雨のなかで寒さにふるえているようなものだった。
一方、女はどうしても樹木を引き裂くことのできない嵐のように荒れ狂った。嵐は岩石をひっかき、木の葉をもみしだき、引きちぎり、樹幹をゆさぶった。そして彼をキスの大洪水で水浸しにし、木の葉のあらゆる隙間に浸透していった。
すると秋の雲は彼らの上空で急速にまわり、魂の谷間から霧がのぼり、彼らの心臓のなかには蒸気の輪が充満し、その広い風景はどこか深い奥底につけられた窓から見ているかのように、刻一刻とその表情を変えた。
こうして「青い白鳥」酒場のさびついた風見鶏の上空を何日かが通りすぎた。紅葉しはじめた山からテッサリアの葦の原をなつかしむパンの笛が聞こえてくるようになった。牛のっけた鈴の音はアルプスのエーデルワイスヘの挨拶。エゾマツは神妙に紫色の球果を大地の胎内に落とす。
修道院のなかでは戦闘的エズイット派がプロテスタントとの最後の決着をつける準備をしていた。夜になると、幻覚に取りつかれた寺男たちの目の前で祭壇画が息を吹き返し、救世主キリストの彫刻師たちはバイオリンにイエスの浮彫を彫っている。雨は礫土を奈落へと洗い流す――そしてこのすべてのなかで、そしてこのすべてを通して、この女は自分の体をアントニオに与えたのである。
それでも二人の精神はまだ出会ってはいなかった。
現代のような唯物論全盛の時代には、精神という言葉を聞くと笑いだす読者がきっといるに違いない。こんな昔の心霊主義が支配していた時代から、いったいどんなアナクロニスティックな言葉の意味的化石を掘り出してこようというのだ……と!
そんなものは形而上学的、ないし、先験的ペテンだ!
第一、肉体から離れて、どうやって二つの魂が出会うことができるのだ?
現代の小説(ロマン)のなかで探求されているのは多元論的意味なのか、それとも一元論的意味なのか? もちろん私だって、新しい世界、新しい人間社会は、新しい生産と消費のメカニズムの基礎の上に築かれることくらい知っている。それは単純明瞭な算術だ。
しかし、人間精神といわれている膨大なエネルギーに配慮をおこたり、二次元の平面をはいまわることのみで満足するものは、空問に浮上する人間の高い視点、つまりすべてのものに平面性と立体性を与える第三次元を加えた視点に到達することはできない。
また、そんな人間に、人間精神への浸透を意味する第四次元に到達することなどとてもできるはずがない。しかし、この四次元性こそ、いつもは人間精神の深みにまどろんではいるが、どんな瞬間にも爆発できるよう万端おこたりない精神のダイナミックな力についていろいろな情報をもたらしてくれるのだ。
だから、私が精神とか魂とかについて語ったとしても、笑わないでいただきたい。それは勝手な空想の産物ではない。私たちはそれを植物の成長や火山の噴火と同様に観察することができる。そして、それらが自分の素顔を見せたとき、その前に、一瞬、膝を突いて身をふし、それを神と呼ぶだろう。
私は長いあいだそれを否定してきた。そして長いあいだそれを探してきた。私はいま、それを探しえたことで幸せである――このようにして音と出会うとき、それがメロディーとなり……。アントニオの三つの出会いも、古風なメール島で起こったのだ。どのように、なぜそれが起こったのかを跡づけてみよう。
フュッセンでアントニオがどんな生活を送っていたかを老シニョーレ・アレッサンドロ・ストラジヴァリが知ったら、何と言うか私にはわからない。それというのも、あの秋の朝以後、アントニオの姿は老ティーフェンブルッケルの工房にはすでに見られなかったからである。そしてそれ以外の工房にも彼の姿はなかった。
彼はときどき山道をさまよっていた。日中のときもあれば夜のこともある。もどると、いつも女が待っていた。彼のベッドにしのび込んできて、話をした。彼にキスをしては、また話した。
彼らは木食い虫に食い荒らされたバロック風のベッドの大船に乗って遠い旅路を一緒に航海していた。そして部屋も「青い白鳥」全体が風に大きな帆を張って、山の尾根の急坂の波を乗りきりながら、ともに航海しているかのようだった。
「あんたは、もともと、放浪者じゃない。あんたは木で出来た人間よ、アントニオ。だから自分の生れ故郷の町に帰りなさい。そしてそこに根をおろすのよ。あんたの幹に子供の若枝が出て、あんたのバイオリンの花が咲く。あたしは木が大好き木は毎年死ぬみたいに見えるけど、いつも年輸一つ分だけ成長する。そして勝ち誇ったようにまた生き返る。あたし、あんたも好きよ。だって、あんたは木の人間、人間の木だから。だって、あなたは年をとるものあなたは人間として枯れてくればくるほど、それだけ磨きがかかってくる人よ」
 雨が窓ガラスを打っていた。雨のしずくがガラスの表面をジグザグにたれて、ほかのしずくと出会って、一つに混ざりあって、そのままするすると流れ落ちる。 「いったい、君はどうして木のことがわかったんだい? だって、君は、ぼくの背中がカ エデのような繊維質の筋をもっていることも、胸や腹がトウヒから出来ていることも知っていた」
 女は笑い出した。この木で出来たような朴念仁の若者のジョークが気に入ったからだ。「だってあたしは、あんたを弾く弓だもの。あたしの筋肉はぴんと張った弓のように、あなたの上にかがみ込む。あたしのかつらは白いウェーヴに編まれた馬の尻尾の毛」
「もう、そのかつらを取ったらどうなんだい。君の本当の髪を見せてくれ」
「だめ、いつかね、たぶん。いまはまだだめよ。このかつらはあたしの一部なのよ」
「家のなかでなら、ぼくもかつらをかぶるでも修行の旅のときにはつけない。ぼくはかつらを荷物袋のなかに突っ込んでおけばよかったんだけど、忘れたんだ。もし、ぼくがそれをもってさえいたら、ぼくはそいつをかぶっているだろう。君とおなじにぼくも白いといいんだけど。ぼくたちは似合い者同士になるかもしれない。しかし、いまは木についてもっと話してくれよ」
「みんなは目が見えないのね。よく誰かさんは木の顔をしているとか、木の足をもっているとか、木のような声だとか言うわね。でも、ほんとは、その人が鈍感で、融通のきかない不器用者だと言いたいのよ。でも、生きた木というのは何千という顔をもっているわ。春から秋まで、朝から晩まで。バイオリンの木だってたくさんの顔をもっている。うすい黄色から土の茶色まで、ほとんど無色の媒染剤から、つやのあるニスにいたるまで。
 木は何千種類の声をもっている。風のなかでさらさらと鳴る葉ずれの音や、嵐のなかのざわめき、かまのなかで焼けてはじける音。揺籠から棺桶まであたしたちと一緒にうたっているのよ。
 木は船の帆柱にもなるし、舵にも、食卓にも、安楽椅子にも、秘密の小箱にも、境をへだてる門の扉にも、犂にも、旗竿にもなる。木は森の社会でもあれば、断崖絶壁の上にそびえる孤独な巨木であることもある。木の神はその使徒によって崇拝される。母なる大地は自分の魂を無数の木の根の一筋一筋を通して吹き込む。そして、語りたいことのすべてを木々に語る、たとえそれがシュロの木であれトウヒの木であれ……」
「ああ、君の話は実に美しい。この話をぼくの最初のバイオリンに語ってやろう――ぼくは木のための賛美歌をうたいたくなった。そうなんだ、ぼくがこれまで弾こうとしていたのは君の言葉だったんだということが、いま、わかったよ。そして君はぼくのなかに、あの細い棒(魂柱)を見っけてくれたんだ。ぼくのぴんと張ったカェデの背中とトウヒの胸 板とのあいだの、あるべき正しい場所を見つけたんだ」
 こうして彼らの魂も合体したのだった。そしてあるとき、アントニオが言った。
「冬が近くなった。だけど、ぼくはもうここの親方の工房に通う気にはならない。ぼくはここにいたいけど、行けるところまでは、行かなくちゃならない」
「その通りよ。冬はもう門口まで来ている。だから、行きなさい、アントニオ」
 緑色のタイルで出来た干し草の山に似たかまどのなかで、火が木の節か木食い虫の穴かにまわったとき、薪の樫の木が音をたててはじけた。そして縁取られた壁のなかで梁がはじけていた――このように木も語りかけあうのだ。
「ぼくがとどまるように説得しないのかい?」
「いいえ、あたしもここから出ていくわ。ここの甲状腺病みの山の連中は、あたしがゲルシュテッケルを追い出したらしいって、こそこそ話をしあっているのよ」
「誰、それ?」 「まだ、あなたに言ってなかったわね。『青い白鳥』はその男のものだったたの。顔じゅうひげで、甲状腺腫が出来てた。ティーフェンドゥルッケルや、そのほかのゲールシュテッケルの連中みたように緑色の房のっけて、サクランボの木の管のっいた焼き物の頭のパイプで、ぜーぜー言いながら煙をはいていた。彼は最後のゲルシュテッケルの人間だった。あたしがここの土地に流れついてきたとき、彼はあたしに惚わ込んで、家の譲渡の書類を書いたの。そしてある晩、ちょうど結婚の権利を行使しようとしたとき、息が止まっちゃったの、それとも心臓の発作かしらね。もう、かなりたくさんの甲状腺腫が出来ていたし、ある医者がもうずっとまえに静脈の切開をしなきゃならなかったんだって言っていた、そのときからずうっと、こそこそ話やら、うわさ話が絶えないわ。もうそんな話、うんざり。家の買い手はあるのよ。もうずいぶんまえから欲しくてしようがないの。いろんなうわさを言い触らしているのはその男ね、あたしをここから追い出そうとして。でも、あたし、どっちにしろここを出るわ。あんたはどっちに行くつもりなの?」
「ミッテンヴァルトヘ。ぼくはそこで冬を越したい。いっしょにおいで」
「行かないわ。あんたは家に奥さんがいるんでしょう。あんたがもどったときには、子供がいるかもしれないわよ。それに、あたしはね……あんたのお母さんになりたいわ」
「君が? 君はぼくより若いと想っていた」
「ハハハハ、ほら、ごらん!」
 頭から白いかつらを取った。彼女自身の髪も白いかつらと同じに白かった。アントニオは自分の目が信じられない思いだった。
「どうしたんだい? 君の髪はどうかしたの?」
「冬が来たのよ。雪が降ったの。あたしはクレモナにあんたと同じくらいの年の子供がいるのよ」
「誰、それ?」
「あんたの恋敵、ピエトロよ」
「ピェトロ・グァルネリだって?」
「あんたが話したことがあるでしょう。その子よ。一度ここにベアトリーチェと来たことがあるけど、あたしのことがわからなかったわ。あたしが家を出たとき、あの子はまだ幼かったから。ここに一晩だけ泊まった。まさにこの部屋によ。二人が言い争っているのを聞いたわ。ピェトロはどんな親方のところにも腰をすえることができないの。三っの場所でやってみたけどだめだった。それからまた旅を続けた。どこへ行ったのかはしらない」
 深い静けさのなかで鳩時計だけがチクタクと時を刻み、やがてかわいらしい彫り物の鳥が顔を出して十時を告げ、もとへ引っ込むと、その後ろの小さなドアが閉じた。時計は時を刻みつづけた。
「どうして、そんなことを一切合切ぼくに話したんだい?」
 アンナ・マリア・オルチェッリは細い指でかつらをなでおろしていた。
「あんたが私を絶対に忘れないようによ、アントニオ。冬が来る。そして私たちは吹雪のなかで二つの方向に別れていく。こんなふうにいつもあんたは、あたしの声を聞くわ」 「その通りだ。ぼくはいっもその声を聞くだろう。君はピェトロがやらかした失敗をすべて償っていた。ぼくは……君と一緒にどこか遠くの国へ逃げていきたい」
「どこへ?」
「わからない。たぶんイギリスヘ。あそこではイタリアのバイオリンがいい値段で売れる。クレモナでは、ぼくたちがどこへ逃げたか絶対にわからない」
「そしてベアトリーチェにも?」
 アントニオは黙った。この女はほんとうに木のことをよく知っている。木を見抜くんだと感じた。
「もう、遅いわ。もうここは冬よ」
 二人はかまどのそばで抱き合った。そして彼らの目から秋の雨がゆっくりと流れ落ち ていた。その晩、二人は自分たちのおとぎ話を語りっくした。そして月の光のなかで山々が彼らの話を無言で聞いていた。
 朝になって山々は、別れをやさしくするために、彼らに霧を吹きかけた。谷間では郵 便馬車の御者の吹くラッパが陰鬱に響き、アントニオを連れ去っていった。
 アンナ・マリア・オルチェッリは自分のかつらをかまどのなかに放り込んだ。



 
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