(22) 銅版画 一六八四年
ところで今は、ペンも弓も置くことにしよう。私は何百年かの時間のどこかの引出しのなかから針と彫刻用具とやわらかい銅のなめらかな板を探し出してきて、ほこりや蜘蛛の巣をきれいに拭きとって、その上に臘の層をうすくのばして、針をもって彫刻に取りかからなければならない。
私は古いクレモナの家々やその住人たちを描こうと思っている。だから私がやや気の抜けたロマン作家の道具を使わないばかりか、弦の上で弓を踊らせない そのためには松やにが必要だ からといって、私を非難しないでいただきたい……。
臘の薄い膜を針か彫刻刀で少し引っかいて、それらの鋭い切っ先が銅版のうえにつけた傷跡が酸性の液によって腐食させる。それから臘を拭き取ったむき出しの銅板のいくつかの場所をえらんで鏨でさらに彫り込んでから、試し刷りをする。そして明暗のトーンがまだ十分でないときは、さらに彫り足し、鏨を使って彫りを深める。
たしかに、白黒の銅版画よりもすぐれたクラフィック・アートの形式はない。たとえば、恐ろしいまでに荒れ果てた古いストラディヴァリの屋敷のなかを、ただ独り歩きまわっているジャガイモ鼻のジャコモをほかの技法で描くことは私にはとてもできそうにない。
私は、小柄なシチリア女アンナ・モローニが、いかにまれにしかこの家に足を踏み入れなかったかをみなさん方に感じ取っていただくために、まえに一度、この家について触れたことがある。
かつてこの家は、文字通り、シニョーレ・アレッサンドロの象徴であった。彼は誇り高く、威厳のある愛国者、自らの先祖と何世紀かをかえりみて、ただまれにしか口をきかない。それでもなお人を引きつけ、自分の立場をわきまえ、周囲のすべてを秩序正しく、かつ過不足なく保っていた。
地下の倉庫にはワインの樽はころがっていない。そのかわり船一杯分のあらゆる色、あらゆる品質の布地の巻物の包みが積みあげてある。事務所ではみんなが仕事に集中し、商人や仕立屋の親方が出たり入ったりしている。そのあとには織工たちが原綿の包みを運び出していく。
家の屋根もそのファサードも五年おきの復活祭の前にはきれいに片づけられる それ
は古い家の皺だらけの顔のものすごくのびた不精ひげを剃るようなものだ。この時代には
半円形の窓枠の上部は三角形となり、アーチ形のオークの家の入り口の上部のアーケード
は、いかにも粋な騎士のような姿で、新しい、まるで田舎の娘のように野暮ったいパン屋の親方の家を見おろしている。
シニョーレ・アレッサンドロが一六八一年に亡くなったとき、たぶん家も彼とともに死ぬ準備をしていたのかもしれない。まもなく往時をしのばせるおもかげはことごとく消え去ってしまった。そして置き忘れた飾り物、棺台の付属品のようなものに変わってしまった。しかも、棺台上の死者をこの古い家のなかから大至急運び出さないと、家は今にも倒壊してしまうのではないかという恐れさえ出てきた。
これらのすべては古い家がしたことだ。それというのも、ストラディヴァリ家の真の相続人はこの古い家を見捨て、サン・ドミニコ広場の商売敵の家の隣に引っ越ししていってしまったことを怒ったのだ。
この古い家はジャコモを真のストラディヴァリ家のものとは認めてはいなかったから、もうずいぶんまえからこの変人を不愉快そうに見つめていた。なぜって、シニョーレ・アレッサンドロはもはや彼への期待をだんだんとあきらめつつあったことを知っていたからだ。
家もまた十三人のストラディヴァリ家の面々と別れを告げた。そしてすでに自分自身よりもはるかに古いこの家の家系をよく知っていた。彼らがどのように出ていく準備をしているか、どのように出ていったかも知っていた。また家はストラディヴァリ家の近親者よりも、そのことをずっとよく知っていた。それに最も内密な、最も親密な関係にあったころの彼らの生活も知っていた。
もちろんジャガイモの鼻のこのジャコモのことにかんしてはまったく違っていた。家は彼のことはあまりよく知らなかった。だからアントニオが家を見捨てて出ていったとき、家はだまされたような気がした。そしてどうしようもない怒りに駆られて、梁をめりめりと鳴らし、丸屋根をゆすぶった。やがて間もなく、シニョーレ・アレッサンドロが運び出されたときには、たしかにある奇妙なことが起こった。
ジャコモは年をとった召使や使用人、書記、倉庫番を解雇すると、まったく一人で残っ
た あるいはむしろ敵同士の古ぼけた家とともにと言ったほうがいいかもしれない。
私は古ぼけたと言ったが、それは、残っているのが家とジャコモだけになったとき、家は一瞬のうちに、古風な威厳をもった家から、ただの古ぼけた家に変ってしまったからである。しかも奇妙なことに、結局はあきらめたてしまたかのように、家そのものがジャコモに似てきたのである。
たとえば、その家の高い、苔におおわれた屋根はその新しい主人の幅広のリボンのついた盗賊団の奇妙な帽子のようにずれ落ちてきたのだ。窓は夕暮れの明りに向かって、すでに干からびてきた大乳のバルバラを見るときのジャコモの悪戯っぽい目つきで、まばたきしていた。
ジャコモが地下の衣料倉庫のなかの樽のなかの上等の酒に酔って、卑猥な歌をうたうとき、家の壁も親しげに共鳴した。そしてジャコモがどこかの片隅にのびてしまうと、家もまた一緒にいびきをかくために横になって眠りについているかのようだった。
老いた道化師が『神曲』のなかの「地獄編」を低い声で朗読しはじめると、風が鉛の枠に流し込まれたガラスをがたがたとゆすり、また暖炉の煙突を笛のように吹き、地下室の梁はのろわれた人間の魂のようにあわれな嘆きの声をたてた。
ジャコモが夜、なにか韻を踏んだ独り言をつぶやきながら帰ってきて、ひどくまじめな顔をしていると、部屋は年取った女衒よろしく、自ずとドアをいっぱいに開け、張出し窓の深いくぼみは歯のない黒い口で笑いかける。
このように、古びた家は信愛をこめて仕え、死なばもろともの覚悟をひそかに固めていたのだ。ただし、どのようにしてそれが起こるかはまだ知らなかった。
日曜日、家は無限の孤独のなかですごした。日曜日には、つまりジャコモのほうだが、古くからの習慣にしたがって、ひげを剃り、サン・ドミニコ広場二番地におもむくのだ。彼は子供たちを必要としたし、弟のアントニオがワインを少し飲んで、雑談を交わすために、いつ四阿のほうにおりてくるかを、注意しながら待っている。
ときどき、彼はふと何かを思いつく。すると、そのガニ股の足で古い家へもどり、部屋部屋を見まわってから、大きな鍵を門のドアの鍵穴に差し込んでまわし、それからまた子供たちの仲間に入る。しかし古い家に子供たちを連れてくることはもはやなかった。
家はすでに子供たちのための場所ではなくなっていた。乱雑に取り散らかされた部屋のどこかでは指がうまりそうなほどほこりの層がおおい、張り出し窓や天井の隅には蜘蛛たちが網の巣を張りめぐらせている。
家ネズミやどぶネズミの大家族は何ものにも妨げられることもなく繁殖し、雑草は表の庭でも裏庭でも腰の高さにまで生い茂り、こわれた井戸のまわりにはカタツムリがはいまわり、運河に面した裏門の腐った敷居のしたからヒキガエルやトカゲ、毒のないヘビなどが庭の茂みのなかへしのび込んでくる。庭のなかには長く筋状にモグラやミミズがが土を
掘り返しており、またそこでは蟻塚が小山の頂きをなしていた。
正常な頭の人はそれを没落と考えるが、ジャコモは自分の動物たちを誇りにしていた。彼はこれらの動物たちのあいだに、鳥たちとともに生活したアシジの聖者のように生活し、一日じゅう仲間の小虫たちを観察しては、愛称で呼んで彼らに餌を与えた。ジャコモは古代の羊牧人がすでに理解していたように、彼らの言葉を理解していたのである。
彼は、蟻たちの国家が彼らの自意識をもった熱心な共同作業によって、お互いに抹殺し合う人間たちの社会の先をいっているのをみて、おおいに幸せを感じた。またモグラが隠密の地下放浪のなかで、ビロードをまとった女ともだちに出会うのを見ては喜んだ。
ヒキガエルもまた月光のふりそそぐ田園的な春の夜には、その愛の願望が燃えあがったときには恋する侯爵夫人と同じように息が早くなる。
しかしジャコモは闘争も好きだ。正か死かの命をかけた争いを観察し、エメラルド・グリーンのトカゲがエメラルド・グリーンの蠅をとらえるときなど、運命の悲劇を感じるのだった。
別のときには蛇がアマガエルの足に噛みつく。するとその小さな蛙はその足を引きちぎ
って、三本足で逃げようとする それほどまでに生命を愛しているのだ。しかしすでに
蛇は、大蛇が虎に巻きつくように、蛙に巻きついている。いまさっき小さなコガネムシをひとのみにしたアマガエルは、今度は自分がひとのみにされることになったのだ。
体を丸めたミミズとモグラは自分たちの戦争を地下でおこなう。蟻は、ほんの少しまえまで腹を割かれた猫の死骸の内臓の上で大宴会をやらかしていたシデムシと戦闘をはじめている。
蜘蛛の巣のなかでは蛾や蠅が羽をふるわせ、みごとな色彩の羽にされこうべの紋をつけた夜の蛾は、その羽ばたきで鬼蜘蛛の強い糸を引きちぎった。鬼蜘蛛にたいするされこう
べの勝利はまったく象徴的である つまり、破れた蜘蛛の巣にくるまって落ちてきたと
き、両方とも黒い縞と火のように赤い斑点のある山椒魚に食われてしまったからである。 あの退化した短い足の、なまけもののトカゲは実は、ジャコモのお気に入りなのである。茂ったゴボウの葉の下からはい出してきたときは、俯瞰的視点から原始時代の大トカゲを見ているかのような気分になれるからだ。
ジャコモは熱心に、途方もない忍耐力をもってこの不器用な生き物に四阿まで歩いていくことを教えた。その四阿は以前ローマ時代の円形劇場の遺跡からもってきた石や柱で築いたものだった。そして山椒魚はもう、あそこまで行けば年をとった牧羊神が好物のご馳
走 たとえば、なめくじ をもって待っているということを知っていた。
黄昏どきになると、赤い太陽がツタの巻きついたイオニア式の、あちこちが欠けた円柱のあいだからさし込んできた。そしてトカゲの体の上の炎のように赤い斑点が二千年まえの石の床の上で燃えあがっていた。するとファウヌは少しばかり意地悪く、この足のちじこまった小さな怪物がどのようにして自分で餌を取るかを眺めているのだった。
動物たちは、彼にさらにいろいろな喜びを与えた 銅版画に描かれた髪の毛のように
細い描線のすべてを語るなんて誰にもできはしない! とはいえ、今はむしろ臘のなかに、ジャコモが屋敷のなかの秘密の一角で一定の時間をともにすごす、あの目に見えない動物たちを彫り込んだほうがよさそうだ。
E・T・A・ホフマン、その他の神秘主義者たちは家に住みついている守護精霊や幻覚や、幽霊、妖怪について好んで語りたがる。これらの妖怪変化は多言語をあやつる者たちの今にも分解しそうな、閉めきった家ないしは館を生きかえらせる。
あるときは呼び鈴の取っ手か、あるいはドアのノッカーがしかめっ面の小悪魔に変身したり、またあるときは川岸の花咲く低木がこの世のものとも思われない美女の姿に変わることもある。
またあるときは誰もいない部屋のなかで、そばで見えない手が動かしてでもいるように家具が動く。あるいは死んだ母のポートレートが、娘に悪魔のドクトルに警戒をうながす
ために息を吹きかえして うたいはじめる。
ガラスの目の不気味な製造者たちがやってくる。彼らは踊ったりうたったりする人工の伊達男たちをばらばらに壊してしまう。堕落した美女たちのために、剣士たちが戦う。彼らの細身の剣は悪魔たちが自分で操作している。
古風な部屋のなかでは夜の時間に魔法の冬の庭園が輝きを発する。庭の水槽、ガラスの球体、それ以外の閉じられた容器のなかでは空気の精やそのほかの女性的存在がただよっている。
屋根裏部屋のほこりのたまった床の上にはたくさんの足跡がある 誰かがこっちへや
ってくるが、見えない 地下室では錆びついた鎖を引きずる音がする。すると黒猫が一
匹、換気孔から飛び出したかと思うと、雨にぬれた窓から、喉元に血の筋をつけた青白い顔がなかをのぞき込んでいる。それに予想もつかないその他諸々の幻覚がある。
その幻覚はおもしろいかもしれない。それどころか、ぞっとするような恐ろしいものかも……。ホフマンの書いたものにはたしかに効果満点の体験談もあるにはあるが、われら
が友人ジャコモの訪問にやってくる生き物たちとは、ほとんど何の関係もない。
まず最初に、雪だるまを紹介しなければならない。これにかんしては秘密めいたものは何もない。ただ大きな腹をした普通の市民の姿をしているということだ。頭に長かつらをかぶり、鼻のところにはニンジン、目のところには炭のかけら、口は小枝の切れ端、それはいかにも茶色っぽくなった歯を見せて笑っているかのような印象を与える。
腹に当てた手には古物屋から盗んできた外出用のステッキをもち、頭には松の小枝をつけたちぎれた三角帽をのせている。ただ一つジャコモにもわからないのは、こんな雪だるまがいったい誰の仕業かということだった。雪だるまは、村からやってきた不作法な訪問者のように、ある冬の日の朝、突然、庭の真ん中に現われるのだ。
きっと、町のいたずらものたちの冗談なのだろう。彼らは運河に面した半ば腐った柵から夜になってしのび込んでくる。そしてこの珍客を氷の上をすべらせて運んできて、足跡も残さず消え去ってしまうというわけだ。
ジャコモは二階の、ある部屋の窓から庭を見ながら、体をかがめて客にあいさつをし、それから二言三言何かつぶやく。ただし、この言葉を銅版画の上に再現することはできない。客はジャコモに向かって、まるで二人はお互いによく意思が通じあっているかのように、木炭の目でウインクした。窓は閉まり、そのあと二人が再会するのは、月光がふりそそぐ夜になってからだ。
ジャコモは家のなかからしのび出て、雪だるまの肩に破れた外套をかけてやる。ジャコモは雪だるまのまわりをひとめぐりして、その口にパイプをさし込んで「ベンベヌートよ」と呼びかけて、バルバラを連れてきてやろうと約束した。それからよろよろと、狐の毛皮と布地の小さな巻き物を寄せ集めた自分のねぐらへもどり、そして深い眠りにつく。
ここで、今度は、この二人だけが知っているある秘密についてお話ししよう。
ベンベヌートは要するに、たとえ夏の真っ盛りであろうが、思いもかけないときに突如として出現する。だれも彼を知らない。知っているのはジャコモだけである。二人は秘密の共謀者のようにお互いに顔を見合わせて微笑をかわす。
ジャコモはベンベヌートの蘇生をおおいに喜んだ。それというのも、ベンベヌートが春の暖かい風が吹いてくると、たちまち溶けて、地面のなかに吸い込まれていくのをジャコ
モはたしかに見ていたからだ。ところが、今、夏の暑い真っ盛りに 自分でもなぜかよ
くわからず、それでも誇らしげに そこに立っていた。だから、このベンベヌートはこ
ういう訪問者だったのである。
ベンベヌートの遠い親戚にあたるのは庭の一番はずれに立っている案山子だ。麦藁の頭からはジャコモのとそっくりのジャガ芋の鼻が突き出している。体の骨格は十字である。だから腕は十字架にかけられたように真横にぴんと張っている。藁の腹には麻袋のヴェストを着ている。ベンベヌートが解けると、ベンベヌートの破れ外套を着せてもらう。すると案山子にひっかけられた外套は地面の雑草にとどくところまでたれさがる。
その上を蟻がはいまわる。頭の上の雄鶏の羽根をつけた帽子は風に吹き飛ばされないよ
うに深くかぶらされている。目は一個だけ 口はない。子供たちは雄鶏の羽根を盗んで
いく。するとジャコモはそのたんびに、いつも、新しい羽根をもってきてさす。ときどき案山子の突っ張った腕にカラスがとまる。いつかはコマドリまでが彼の帽子の上にとまってうたっていた。
要するに、鳥たちは案山子のベッポ 彼のご主人さまがそう呼んでいる がこわい
などとはまるで思っていないのである。ベッポは太陽光が強く照りつけるときとや、夕暮れどき、それに霧の深い秋の夜明けどきとではまったく違って見える。それどころかジャコモは刻一刻と違うと思っている。
木々が散り、残りの最後の葉を落としてしまうときでも、ジャコモは田舎の親戚ベンベヌートはまだ見えないはずだと予言する。ベッポは口はないが微笑する。それに大笑いすることだってできる。そしてこれがペッポの最も不可思議なところでもある。
このように口のない微笑は死でもある。同じところに立って十字架にはりつけられた浮
浪者 それは生である。
それらを自分のほうへ引き寄せる案山子、それは憧憬である とジャコモは自分なり
に考えている。なぜなら彼は哲学者だから。彼はペッポの帽子のひさしに麻の実をまいてやる。少しでも鳥たちがつつけるように……。
ベンベヌートとベッポのほかにこの屋敷にはもう二人の客がいる。無信心のドメニコ神父とイスラム教デルヴィシュ派の頭のおかしい苦行僧フアードである。しかしこの連中といえども可視的種族には属さない。なぜなら、彼らは古い銅版画からジャコモの眼前に登場し、いつの間にか等身大にまで成長したものだからである。
版画の下に書かれた記述によれば、ドメニコはその好色と神にたいする冒涜の罪でそれ相応の刑罰によって生涯をおわり、一方、フアードはアラブの半月刀で自分の首と体を切りはなして死んだ。なぜなら彼は頭にも体にも十分な強い意志があれば、両方の部分はふたたび結合するということを証明しようとする努力の結果であった。
神父と苦行僧は好んで議論を戦わした。銅版画のコレクションのなかで彼らが並んで登場するのは、たぶん偶然ではないだろう。この家のなかでは互いに探し求め合い、ときどきうまい具合に出会うこともあった。
銅版画というものの性質上、彼らの議論の内容について報告することは私にはできない。この章では読者が何らかの否定的な性格的特徴を期待しないように、両訪問者の外面の記述にのみ限定することにする。
神父は、どちらかといえば、好色な女たらしというよりは、むしろ干からびた隠遁者の印象を見る人に与える。かつて彼の罪ふかき世俗的生活のあいだに、すでにありとあらゆることをやってのけていたとはいえ、それはたしかに確信にもとづいてやったことであり、
そのために敢然として極端にまで走ったのである そのことは彼のかたくなな生きざま
のなかに自ずと現われている。
それにたいして、銅版画から抜け出して三次元の世界に登場したときのイスラムの苦行僧は筋骨隆々、堂々たる体躯の持ち主で、顔はまるで目玉そのもののよう。幅広のズボンの下には水ぶくれしたような足が突き出し、海賊のはくような真鍮のボタンかざりのある赤い長靴のとがった先端は反りあがり、木食い虫に荒らされた床をこつこつと踏んでいる。 神父の議論の声は聞こえないが、われらが友人ジャコモはその一語一語を理解していた。彼はできることならベンベヌートとベッポとの議論に加わりたいにちがいない。なぜなら彼の単純で世俗的な知恵と機知に富んだくすぐりで、このように未解決のまま残されたなんらかの問題に解明の光をあてることができるだろうと思うからである。
ただし、神父と苦行僧は議論をそういう次元に低めることを好まなかったし、そのことがこの論争の企画者のジャコモの頭痛の種だった。
かつて一度、侯爵がこの地下室に現われたことがあった。
ジャコモは仕立屋の親方か商人から生地の代金を受け取ることがたまにある。するとジャコモはオイル・ランプをさげて生地の巻物を取りに倉庫に降りていく。そのとき侯爵と会ったのだ。オイル・ランプの光のなかで侯爵は本当に幽霊のように見えた。
彼は小さな台車に乗って移動していた。つまりどこかの戦場で両足をなくしたのだ。彼
は三十年戦争時代の将校の軍服 ダチョウの羽根飾りをつけた高い軍帽に、幅広の刺繍
のある襟、金の地に繊細な装飾をほどこしたヴェスト を着ていた。ビロードの上着の
豊かな飾りの袖は肘のところまで鹿革の乗馬用の手袋でおおわれ、腰の幅広の絹の剣帯には飾りのついた柄覆いがぶらさがっている。台車は剣を後ろに引きずりながら移動する。
彼は男性的でハンサムな顔をしていた。ぬれ羽色の黒い巻き毛の髪は刺繍の襟の上にた
れている。絹のような口ひげはひねりあげられて先がとがり、顎の山羊ひげはていねいに形をととのえ、櫛けずられてていた。
帽子の幅広のひさしのしたの大きな茶色の目は夢見るがごとくに、ちらちらとまたたくオイル・ランプの火をじっと見つめていた。彼は決して幽霊のような方法で姿を消すことはなかった。彼は一生懸命に手を動かして地面のなかから出現し、このようにして車つきの小舟を前方に進める。その車のきしみの音は暗闇のなかでもまだ聞こえていた。
あるとき、屋根裏部屋に、何やらひどく取り乱した娘が現われたことがあった。娘はながい下着を着て歩いてきて、顔をゆがめてジャコモに丁重に言葉をかけた。彼女はまさしくベッポの恋人だ。ジャコモは彼女をエルヴィーラと呼んだ。
収集品や楽器を収めた小部屋のなか、また、書庫のなかで、ジャコモは一人のせむし男を驚かそうとするが、まれにしか成功しなかった。この小男はまん丸の黒縁の眼鏡をかけて、オウムのような緑色のビロードのガウンを着ていた。彼は小さなバイオリンを一つず
つ試した。それはかつて、あの干からびた老青年アントニオ ニコロ・アマーティの兄
にあたる人物だが が自分の名づけ子の、幼いアントニオ・ストラディヴァリのために
作ってやったものだった。
やがて、この男はガスパル・ダ・サローのヴィオラ・ダ・ブラッチョやそのほかの楽器も弾きはじめた。彼が最も気に入ったのは一丁のヴィオラだった。彼がそれを弾きだしたとき、屋根裏部屋で狼狽した娘の足音が聞こえた。
せむし男はエーテルのなかにつけられた、あらゆる種類の怪物を見たがった。こんな瞬間には彼の表情は変化し、いま目にしたばかりの奇形児たちの表情を模倣しようとでもするかのように無数の皺が彼の顔面をおおうのだった。
彼はまた書物も丹念に検分した。猿のような長い手でその本をめくり、やがてふたたびそれを正確にもち出してきたもとのところにもどした。ジャコモは彼のことをアルベルトゥス・マグヌスと呼び、お客たちのなかでも最大の敬意をもって対応した。彼についてはジャコモの愛する動物たちや奇妙な訪問者たちについて知っている人びとのなかのかけがえのない人物であるアントニオに最も頻繁に語った。
サン・ドメニコ広場二番地の家については、バルコニーや顔をピンク色にそめたフランチェスカ・フェラボスキ夫人、生い茂ったシダにおおわれた四阿、五人の子供のこと、仕事場や厳粛な食堂のことともに以前、簡単に紹介したことがある。
そのすべてはその後の事件の経過のなかでもあまりにも変化がなさすぎる。だから、そのかわり、今はむしろ、これまでのところほとんど欠けていたアントニオ・ストラディヴ
ァリそのものの人物像を彫刻刀を使って多少は深めに歳月という酸が人間の精神と同時に肉体をも腐食するように彫り込んでみたいとおもう。
そうなると、私たちはまたもやニコロ・アマーティの臨終の場にもどらなければならない。そのそばで、長い年月ののちにアントニオがベアトリーチェと再会するからだ。
最後の訪問者にともなわれた死者のそばにいて、アントニオはベアトリーチェに目を向けることさえできなかった。ただ先に行った二人の死者(父とアントニオ・アマーティ)と、今、この第三の死者だけを見ていた。そしてその死者の秘密の旅へは、まさにボナヴェントゥラ神父の声だけがお供をしていた。それは言葉の一つ一つによって雲に印された足跡を一歩一歩たどっているかのようだった。
やがて天国の玉座の周囲が地上的花々によって麗々しくかざられ、全員が花々に水をそそごうとして涙にむせびはじめたときになって、アントニオはかつて太陽の光によってはぐくまれた娘の顔をやっと見ることができた。
彼女はぐずる女の子を産着にくるんで腕にだき、すぐそこのベッドの足もとに立っていた。どうしてこんな場へこんな赤毛の赤ん坊をつれてきたのか、誰にもわからなかった。たぶん、彼女自身にもわからないのだろう。そして、ほかの者たちが神父の言葉に刺激されて、あふれる涙の露をぬぐっているというのに、彼女だけは涙ひとつ見せずにその場に立っていた。
彼女の上半身は薄グレーにピンクの模様のあるクリノリン・スカートのなかから突き出していた。ぴったりした黒いボディスの上部には幅の広いレースの襟が白く浮き出し、やわらかな曲線を描くやや長めの首は、誇らしげに華やかな頭部をささえていた。白いかつらをのせたその頭部は、娘時代の金髪の巻き毛の下にあるときよりも、さらにいっそう引き立っていた。
深紅の口紅をぬった唇の上方に美を強調する黒い小さなほくろが一つ。目は部屋の薄明りのなかでスミレの青色を帯び、きらめく陽光の詩的な陰影も、この誇り高き、華麗なる美と並んではまったく色あせて見えるほどだ。
アントニオはこの再会に運命的なものを感じた。しかし、今はもう恐れてはいなかった……自分の人生、今までは無目的に思われていた自分の人生に、まるで新しい道標を見たかのように……。そこには夢や障害に悩まされていた少年のかわりに、すでに人生経験ゆ