第二十一章 フォート
・モーベージュの総攻撃−一九一五年
私は戦争にっいては書かないと約束した。だから最前線での恐怖も、前線に配備された
重工業産業の悪魔の機械についても、また、正常な進路から脇道へ導かれて暗黒のなか
に押し込められた群衆の愚かさについても書かないつもりである。
私たちのほとんどの者にとっては、それらのすべてのことは自分の肌で体験してきたこ
とであるし、日々の新聞や、回想的文学や、ロマンによって必要なだけのものは教えら
れてきたから、私たちの文化のこのような自殺実験の描写を、この作品のなかで試みる
などということは、たとえ単なる歴史的背景描写としてであったとしても、まったく無駄
なことである。
この自殺の試みは目下のところは成功していない。だから、とりあえず希望だけは失わ
ないようにしよう。私たちの技術は日々に進歩している。そして生産的にしろ破壌的にし
ろ機械の社会は人間社会にたいする支配力を絶えず増大させている。
オズワルト・シュペングラーによればそのことはすでに起こっており、「血と金」の抗
争が究極的な決定を見るために、今は金と機械が互いに凌ぎをけずっているというのであ
る。そのことにっいては、すでにわが国くハンガリーVの詩人エンドレ・アディ(一八七
七-一九一九)がシュペングラー以前の美しい瞬間を忘れがたい詩のなかで書いている。
要するに私たちは希望を失わないようにしよう。今日、われわれはすでに二千三百十四
種類の毒ガスをいっでも自由に使える。近いうちに十万トン級の航空母艦の建造にかんす
る軍縮会議が開かれるだろう。一万機の爆撃機が空をおおい、ギガントザウルスにも似た
大型戦車が厳しい警戒体制のしかれた国境線を群れをなして突破して侵入するだろう。
東京はニューヨーク近郊の要塞から発射されたロケットによって攻撃を受け、ツェッペ
リンのスピードは地球の自転の速度よりも早くなる。その結果、出撃するやいなやたちま
ち攻撃目標に到着することになる。
われわれの高く評価された技術は今後も長い期間にわたって発展し続けるだろう。だが
その発展の究極は技術の自殺であるそして、そこまで行きっいたとき、もしそこに一
台のタィプライターと、このすべてを生き抜いてきた作家が一人でも残っていたら、この
事実にっいての報告を、アイヌ族やバントゥー族、あるいはボトクド族くブラジルの原住
民族Vの何人かに伝えるということは、非常に大きな意義をもつことになるだろうつ
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まり、彼らがすべてを最初からやりなおすべき使命を負わされることになるだろうからで
ある。一二
私たちが今、おおように「世界の大火事」と称しているものとくらべたら、これらの努
力の、なんとみみっちく見えることだろう。そんなものは、ワレンシュタインの傭兵たち
が火縄銃を轟音とともに発射するとか、アジアの遊牧民の一群が荒馬の上から弓の弦をび
ゅんびゅんと鳴らすようなものだ。
そんなわけだから私は、モーべージュ要塞の占領とか死体の山とか、一斉射撃とか銃剣
ひれき
突撃とかについて詳細に物語ったり、当意即妙の表現や同義語の豊かさを誇らしげに披渥
することにはあまり興味がない。
単純に言って、私はここで友人のクルト・フォンニアィーツセンのことについて語りた
いのだ。彼の運命にっいて私は常に心にかけている。だから、私は、読者のみなさんも私
と同じ親近感を彼にたいし-ていだいていただきたいのだ。
また私はクルトが無礼をも顧みずクラーラ・ヴァン・ゼルフホ」トに売り渡すことを拒
否し、モーべージュ要塞までもってきたバイオリンの冒険についても追跡したい。
しかし私たちが友人の少佐と再開するのは、残念ながら、彼の鉄骨の枠で補強されたコ9
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ンクリートの遮蔽壕が口径二十八サンチ榴弾砲の攻撃を受けた、まさにその瞬間になる。3
その爆発によって鉄兜をかぶったドイツ国籍の四十二人が生命を失い、ちりぢりに吹き飛一
ばされ、周囲五〇メートルの範囲にわたって、すべてが泥のなかにうまった。
もちろん、クルトもストラディヴァリも同じだったが、ストラディヴァリはまだ幸運に
めぐまれた。
総攻撃のあと、アフリカの銃撃隊二大隊とアルジェリア・ズアーブ族の二連隊の強襲の
前に、プランデンブルクの近衛大隊の生き残りの兵士は、何百人という戦死者や負傷者、、
捕虜などを敵軍の手にゆだねたまま、大急ぎで退却した。
クルトは上記三分類の後の二っのカテゴリーに同時に属していた。彼は人間の破片とし
てフランス軍に収容された。左手は鉄骨によって切断され、左足は膝の下からてのひらほ
どの榴弾の破片でもぎ取られていた。こうしてクルトは榴弾の爆発によって空いた穴のな
かから引きずり出された。
彼は病院列車の手術車両のなかで左足を膝の上から、左の腕を肘の下から切除された。
軍医たちは片づける間もなくただちに手術にかかっていた床の上には切断された骨や、
切り取られた四肢の断片がころがっていた。」
つ一
⊃.
でも、お許しいただきたい。このへんになるともう戦争のことになってくる。それに私
が語りたいのはクルトにっいてだけである。やがて、クルトが意識を取りもどしたとき、
列車はパリ郊外のどこか要塞の周辺に停車していた。息をするたびに背骨に痛みを覚えた。
窓のすりガラスを通して光が射していた。そして何かの舞台の演出よろしく、窓ガラス
に描かれた赤十字の影がちょうどクルトの顔の上に落ちていたおれは生きている。お
れは負傷した。おれは病院列車のなかにいる。だが時間、場所、その他の状況がわからな
い。彼は冷静に、ほとんど無関心にそんなことを考えていた。
仕切りのなかには四台ののベッドが置かれていた。自分の上血坂の者はもちろん見ること
ができなかった。クルトと同じ段の右側にはシーツと掛布でおおわれて一人の男が横たわ
っていたが、その男の顔はクルトのほうからは鼻の先だけしか見えなかった。その鼻は幅
が広く丸っぼかった。肌の色はオリーヴ・プラウンで髪はちじれっ毛で濃かった。
黒人とアラブ人の混血。・ドイツ軍の捕虜だったやつだ。やっらはひどい混乱のなかで、
おれと捕虜を一緒の列車につめ込みあがったんだ。たとえドイツ人であろうがアラブ人で
あろうが、結局のところ負傷兵は負傷兵だ。それにしても何て大きな茶色の目をしている
ことか。まるでガラス玉の目のようだ。皮膚までがおなじオリーブの実のようだし、何も
かもがオリーブだ◎
このクロロホルムの匂いはひどく不愉快だ。たしかにおれはあいっを恐れていた。それ
にしても、おれはなんでこんなに包帯を巻かれているのだ?おれがどんな怪我をしたと
いうんだろう?肺か。息をすると痛いな。しようがない。息はしなきゃならんのだから
な。、一
いまバルトリー二の店でタバコの煙りを吐き出しているのは誰だろう?クロロホルム
よりはタバコの煙のほうがまだましだ。タバーコを吸ったって害にはなるまい。あのアラブ
野郎もずいぶん包帯を巻かれているな。まるで赤ん坊みたいだ。おれはあいっにいろいろ
尋問したがだめだったな。
「おい、衛生兵!」
彼の叫びに応えて仕切りのドアのところに眼鏡をかけた若い娘が現われた。娘が口をき
くまえに、クルトにはそれがフランス人であることがわかった。頭の上の冠りものからも、
ブルー・グレーの看護婦の制服からも……。d
なあんだ、こいつはとんでもない間違いだ。そうなると捕虜はあのアラブ野郎ではなく
て、おれのほうだ。
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⊃
⊃
「看護婦さん、すみませんが、ぼくは今のこの瞬間、いったいどこにいるのか教えていた
だけませんか?」彼はフランス語に翻訳しながら言った。
「あなたはアメリカが派遣した病院列車のなかです。パリのすぐ近くです」
「ぼくの負傷の状態について教えてもらえませんか?」
「この列車の指揮官でいらっしゃる、プロフェーツサーに、そのことをお知らせしていいか
どうかたずねてまいります」
眼鏡をかけた女性は去った。クルトはアラブ人を見た、アラブ人はクルトを見ていた。
看護婦が肩幅の広い日焼けしたスポーツマンとともにもどってきた。
彼はカーキ色のアメリカ軍の大佐の軍服を着ていた。
これがプロフェッサーというわけか?クルトはそう思いながら、自己紹介した。
「やあ、お会いできて幸せです。ブラウン大佐」
彼は診察カルテを取り出し、商人の口調でカルテを読んだ。
「フォート・モーべージュにおいて、榴弾で爆破された壁壕のなかで発見。ジェローム博
士により移送。爆発による風圧の衝撃で内出血。左膝上大腿部および左腕肘下切除。二月
二十六日。ほかにお望みは、少佐君?」
「タバコを一本、お願いします」
何かが彼の喉をしめつけ、その言葉もほとんど声にはならなかった。もうタバコのこと
も考えてはいなかったカレィドスコープがガラスの破片をまわしはじめる。すると彼
の眼前で千変万化する悲嘆の模様が連綿と続いていった。
半人前の人間としてこのように生きていくのか!みながおれを哀れみ、恩給生活者の
なかに送り込むだろう。書類はファイルされ、誰もかえりみるものさえない。「一
両腕をもった者たちはさらに押し合い、けっとばし、なぐり合う。
おれは彼らに道をあけ、よける……道の端か溝のなかへ。乞食のように。義足と義手を
給付してもらう。機械の代用部品だ。やがてこれらのぞっとする思いとも折り合いをっけ、
やがてそんなことさえ、もはや意識しなくなり、最後には自分の義手や義足さえ自分で冗
談の種にするようになる。
そうなんだ、それがおれの病状なのだ。それがおれのすべてだ。
朝、シャワーの下に立つ。人工の手足もきれいにするために一緒にあびる。まるで自分
の手足のようだ。右手ではカリカチュアを描くだろう。それで恩給に多少の収入を加える。
もし右手を失っていたら、きっと左手でも描くことをおぼえ石だろう。そんな話をもう聞
いたことがある。サーカスではこの類いの人間の半分が足で絵を描く。
それはそうと、もしかしたらこの手でギターを弾くことができるかもしれない。もちろ
ん、バイオリンはだめだ。そのためには骨と肉のある指をもった手が必要だ。
そうだーバイオリンだ!バイオリンはどうしただろう?
きっと璽壕のなかで灰になってしまったさ、ヘヘヘ。こんな死に方をしたバイオリンは
これまでなかったんじゃないだろうか。あのバイオリンが破壊されるために榴弾が飛んで
きたのにちがいない。
コンパラウィット・モルス・インペラートル、アンノ・ドミネ・一九一五(死神将軍、
一九一五年より所有)か、ヘヘヘ。
軍医長ブラウン大佐は、黒い吸い口のついた「黒い真珠」印のシガレットを負傷した将
校の口に差し込み、最新式の金製のライターで火をつけてやったが、そのときこのドイツ
軍の少佐がなんで笑っているのか知るはずもなかった。
しかし、私たちにはわかっている。だが、今はみなさん方のお許しを得て、クルトを彼
の運命にまかせ、破壊されたコンクリートの璽壕の詳細な調査をおこなうことにしよう。
例のバイオリンについては、ニハ八一年以後、つまり、そのバイオリンの誕生の瞬間か
ら、私たちはその冒険的な経歴にっいて注意深く跡づけてきた。だから、私たちはその揺
藍だけでなく、棺の前にももし、何らかの棺というものについて語らなければならな
いとしたら立ち会うのが当然だということになる。
そんなわけだから、今のところは涙をおさえておくことにしよう。
一方の側には喜劇が、もう一方の側には恐ろしい悲劇がというふうに一本の線を境にし
てまったく反対のものが相接していたという偶然は、往々にしてあるものだ。その神秘的
本質のゆえに、本来は極端に信じうるところの、信じがたい事件。まさにそれがこれだ。
鉄筋コンクリートの遮蔽壕は二十八キ目榴弾砲の攻撃からクルトと四十二人の部下をま
もることができなかった。その一方ただのバイオリンのケースはわれわれのヒーロー
そのことは私の手元にある現在にいたるまでのバイオリンの歴代の所有者のオリジナルの
名簿が証明ているたるバイオリンを救うことができた。
榴弾が炸裂した瞬間に、堕壕のなかで何が起こったかについては、残念ながら、ほとん
ど容易に再現することができる。私は粘土の路上でも、野っ原でも、森のなかでも、岩山
のなかでも、遮蔽壕のなかでも、あらゆる種類の、またいろんな口径の榴弾の爆発を見て
きたし、総攻撃のときには機関銃から発射される鉛の弾の雨の前に、榴弾の炸裂が作った
すり鉢形の穴のなかに伏せたこともある。
そして引き裂かれた鋼鉄の板のあいだに、また、筋肉や骨が焼けこげて混ぜこぜになり、
どろどろになっているまさにその場所に、サボテンの鉢や缶詰の箱やそれどころか陶器の
パイプまでがまったく無傷のままころがっているのを見たことがある。
'バイオリンのケースにも同様のことが起こっ光のだ。爆風はケースをはるか彼方の遮蔽
壕の残骸のあいだにまで吹き飛ばし、その上に大量の粘土質の泥が降りそそぎ、ほとんど
埋めつくした。
もし翌朝の進軍の際に一人の頑健なズアーブ兵が地面の上に首を出していたバイオリン
のケースにつまずき、瓦礫のなかからそれを引きずり出さなかったら、たぶん、そのあと
に次の一斉射撃が続くか、それともその他の榴弾の爆発跡の穴とともに、バイオリンのケ
ースをおおっていたこの辺りの地面にも雑草が生い茂り、バイオリンのケースは永遠に発
見されることなくおわっていただろう。
この進軍の途中で、ズアーブ兵はまだコーヒー挽き器やサージンの缶詰や、革製の財布
などをひろい集めていたそしてこれらすべてを体じゅうに巻きっけて、同僚とともに
散兵線をしきながら前進していた。やがて連隊付き先任曹長のホイッスルが鳴り、隊員は
休息した。
彼はまさにその瞬間を待っていた。真っ先に財布を調べた。そのなかには軍事郵便の束
と三枚の写真が入っていた金はなし。手紙は放り出し、怒って写真を見た。その一枚
には鉄兜をかぶり、ベルトに四個の手榴弾をつけた男が写っていたそして、親しげに
笑っていた。二枚目には年配の夫婦。三枚目には二人の裸の女が大きなソファーにすわっ
ていた。
彼はその写真を財布にもどし、ほかの写真は破いて捨てた。コーヒー挽きとサージンの.
ざつのう
缶詰を雑嚢に放り込み、粘土質の泥のなかから取り出したバイオリンのケースの泥を拭き
取った。それから鍵のなくなったケースの二か所の小さな鍵をナイフでこじあけた。
霧に曇った朝日のなかでバイオリンのニスが輝いた。
アリー・イブン・ゾグルはチュニスの娼家の窓の柵ごしに太った美女を見たかのように
茶色の顔に満面の笑みを浮かべたばかりか、光り輝くバイオリンの表面をまるで女の体そ
のものでもあるかのように、まめだらけの手でなでた。-
そのとき、,ふたたび先任曹長のホイッスルが鳴って、散兵線の隊列は立ちあがった。全
員は総突撃のときのように、きびきびとは動かなかったここでの任務は単なる師団本
隊の後衛警備だからである。
彼らは隊形をととのえた。彼らの前方には約一〇列の散兵線が形成されていて、それら
が榴弾砲の爆破のあとの穴を越えて、波打つ平原を進んでいた。彼らの後方にもほぼ同数
の散兵線が続いていた。
ドイツ軍の砲兵は眠っていたが、ただ後方の友軍の二十八サンチ臼砲だけが鈍い響きを
発していたのが、彼らを勇気づけていた。
アリー・ビン・ゾグルはバイオリンのケースの蓋を閉めて、それを背嚢のなかに突っ込
み、剣をつけた銃を小脇にかかえて、よろけながら行進しはじめた。一太陽の光が霧を通し
て水溜まりの水面に反射している。首まで泥だらけになったズアーブ人の隊列は泥に足を
取られ、よろめきながら前進し、ときどき立ち止咳っては軍靴にこびりっいた泥を銃剣の
先でそぎ落としていた。
水溜まりのなかには馬の死骸や銃の破片やつぶれた鉄兜や人間の死体などがころがって
いたが、そのすべては戦争の領域のことになる。だから、私はこれ以上これらのことにつ
いて語るのをよそう。そこで、私は輝く太陽のことから話を続けることにする。
たしかに二月末の太陽はあらゆる春の前触れに陽光をそそぐ。そして、もし、たえず大
地をゆるがす臼砲がうなりを発していなければ、私はヒバリが神と人間の喜びのために渦
を巻きながら空の高みに舞いあがっていく様子を報告できただろう。
このようにしてアリー・ビン・ゾグルは行進していった。それどころか、がらがら声で
、何かの歌さえうなっていた。だがその歌声は臼砲の轟きのなかに自然に飲み込まれていっ
た。
しかし通信兵が新しい命令を通達したため、彼は師団とともにどこかの破壊された村の
廃境に重壕を掘ることになり、ヒバリのかわりに機械の鳥が雲一つない空中で右に左に飛
び交うことになった。
さて、われらがバイオリンが名誉の戦死をとげなかったこと、そして放浪の旅を続けて
いるということを確信した今、私たちは安心して友人のクルトのところへもどることがで
きる。
たしかにロマンの同じ一つの章のなかで、あっちこっちへ話を移すのはあまり好ましい
ことではないことはわかってはいるが、バイオリンの音だって同様に、一っのパッセージ
のなかで、ほとんどチェロのような低い音のトレモロからホイッスルか甲高い声を思わせ
るガラスのような透明な音にまで一気に移行することがある。――
だから私たちも戦争の最前線からクルトが横たわるシャリテの、ある部屋へ思いもかけ
ない一大跳躍をこころみよう。たしかに彼は横たわっている。だがそれでも大小の煙突を
取り巻く古い家々の屋根の上をさまよっていた。
彼はパリははじめてだったが、これらの煙突は、クルトにとっては彼が深く心から愛し
ていたピサロのヴィブラートのかかったような絵でずっと以前からの親友だった。そして
三月の午後、これらの煙突もクルトのヘビー・スモーキングにっいては知っているぞと、
わけ知り顔にほほ笑みかけ、ときどき煙を吹かしながら、病室の窓枠越しに挨拶を送って
いた。
ブールヴァールの大詩人ピサロの色彩の詩が、クルトがいっも見ていた美術館から、画
商のサロンから、そして展覧会の会場から一つまた一つとやってきた。そして永遠に美し、
いプッチー二の『ボエーム』のなかのルドルフの声までが聞こえてきたのだった。
「遠くの煙突からパリの空の上に煙がただよう魅惑的な光景をぼくは見ている」
そしてクルトはそのメロディーをちょっと口ずさんでみた。それからこのようにしてピ
サロの絵をうたいあげ、いま彼がこの町に負傷した捕虜となっていることを喜んだ。
しかしこの町は、赤いヴェストを着たテオフィル・ゴーチェや酔り払いのヴェルレーヌ、
そして梅毒病みのボードレールがこぼれたアプサンで汚れた大理石のテーブルの上に彼ら
自身の一悪の華一を書きなぐ一たと亭もあるのだ。
また、鼻メガネをかけた太ったゾラが市場のなかに一週間の長きにわたって腰をすえ、
町の「腹」について書いたところ。
またここはマダム・ポンパドゥールからテレーズ・タリェンやナナにいたるまでの高級
娼婦の堂々たる伝統のあるところ。そしてまた、ここは血に飢えた神々のいるところ。だ
から画家エヴァリスト・ガムランは死ななければならなかったのだ。
リトグラフ
またここはドーミエの一枚の石版画の上でヤセとデブが互いに戦っていたところ。ここ
は市民がプルジョアに、プルジョアが金利生活者になったところ。ここはエッフェル塔が、
過去の巨大なギロチンか、あるいは四万人のユグノー派、四千人の侯爵、五〇万の螂弾兵、
一万人のパリ・コミューンの者たち、それに無数の兵隊たちの途方もない墓標として天に
向かって突っ立っている-そんな町なのだ。
クルトには、この世では二っの英雄的行為を誰もが行うことを知っていた。生きること
と死ぬこと。だから「フォーリ・ベルジェール」劇場のバラエティー・ショーを見るのと
パン干オン
同じにように、この壮大な記念碑を陽気に眺めているのだ。だからカルチエニフタンやモ
ンパルナスの貧困が微笑し、また「モルグ」では貧血性の客たちがダンスを踊る。
パレットのなかのカーマイン・レッドはグレーヴのおが屑の入った寵のなかにある。パ
レットの黄色はリュクサンブール庭園のプラタナスの秋の高揚した葉の色のなかにある。
パレットの明るいグリーンは春の「ボワ」に、夜空の花火には愛と金色がある。
ここにはクロロホルムの匂いのほかに、そのほかにはうまいパンと魚、そのほかの音は
自動車のクラクション。ほかの色は雲の輝き。まさに、ここは窓から飛び出すにはうって
つけかもしれない。そして落下中にすべての清算をする。、
ここではフランス大革命の急進派サンキュロットの木の靴底がかたかたと革命歌の踊り
(カルマニョール)
をおどる。そしてパリのおめかし女は滑稽な小男の百人隊長の天蓋っきのベッドにしのび
込む。一方、ウンター・デン・リンデンのどこかではゴムのカラーかセル刀イドの襟をっ
けたホモセックスの同業組合の委員たちがカフェー・ミカドヘしのび込んでいる。
そんなわけでクルト・フォンニアィーツセン少佐は祖国を裏切ったのである。
しかし、彼の弾劾をあまり急ぐのはよそう。私たちはあまり彼に厳しくすることはでき
ないはずだ。たしかに私たちは学生時代にはすでに、ベルリンは妻になることができる、
それもよい妻に……。しかし、パリはただ愛人になることができるだけ、それも悪い、だ
が忘れることのできない愛人に……ということを知っていた。
ベルリンは大量の絵画や詩を通して自分に愛を告白してくれるピサロ、ドガ、ラファェ
ロ、セザンヌ、ゾラ、それに高踏派の詩人たちをもっていない。しかし誇り高き最援の遊
一牧民はやがてパリの石碑に敬意を表し、間近に遭遇した死神とも「パリ東駅」で別れを告
げたのだった。
いまいちど、柔らかいレースのなかで
燃えて、香り、わたしを麻痒させてくれ
パリ娘、そして、わたしの目に
情熱的なキスをあびせてくれ!
(アディ、エンドレ)
クルトにはバルトリー二の店で何度も、わが国の詩人アディについて説明してやったの
に、彼はこの詩を知らなかった。実際、私自身がこの詩は絶対に翻訳できないと感じてい
るのに、そしてクルトは私の大変な無駄な努力にたいして笑っていたというのだから、彼
にはその詩などなんの価値もありはしないのだ。
ちょうど今、彼の病室に一人の女が入ってきた。情熟的で、かぐわしい、レースに顔を
うずめた女、彼女は彼の目にキスをした。それから、ある東方の国の野蛮な大きな男から
のたっての頼みというのを通訳した。例のごとく、彼女はどうやら看護婦らしい。
もし、私がマルセル・プルーストか、または、ゼームス・ジョイスだったら、このよう
な愛について三巻の本を書くだろう。その特別の章で、私は、クルトがクッションの上に
どんなふうに休息していたか、彼の記憶は頭のなかにはどんな思い出を描き出していたか、
ブルヴァール街へのどんな願望が彼をさいなんでいたか、どんなグリゼットやミディネッ
ト*を想像していたか、自分の右手でもう一方の手や足の切り口をどんなふうにさわって
いたか、あの爆発にまったく壊れもせずに生き残った丸い金縁のモノクルを回復後はじめ
てかけたときの様子を書きつづったことだろう。
また、窓枠のところから彼の掛布のところまでわびれもせずに入ってくる、あつかまし
い雀どもに、どんなふうにパン屑を食べさせていたか、また彼のところへ一日に少なくと
も二十回は顔をのぞかせるかわいい声をして、白い服に赤十字をっけたゾェーのこと、二
人がどんなにたわいもないことを話しあっているか、そして彼女が専門家の知識をもって
彼の耳や鼻、髪、顎、首に笑いに息をっまらせながらキスをするか、どんなふうに彼に包
帯をするか、どのように彼の体を洗ってやるか、そして彼女がどんなに情熱的に、しかもい
かぐわしく彼の世話に献身しているか……。
あえて言うならば、散文の大家ならこれらのすべてを、特別の三十頁もある一章に書き
あげることだろう。それとともに、その他の百もの一見取るに足りないようなことを書き
っらね、それらを芸術的顕微鏡でエヴェレスト山の大きさまで拡大して見せる。
しかし、私は、彼女が細い声だったこと、ぺちゃくちゃとよくしゃべったこと、ちっち
ゃな雀みたいに飛び跳ねたということ以上のことは言うまい。また、私は、彼女が彼の掛
布の下にまで大胆にも入ってきたことしか言うまい。
また彼女は乳首がぴくぴくふるえる小さなオッパイだったこと、彼女の局部も唇も熟く、
彼女の手は蝶々の羽のようにぱたぱたとはばたいたこと、彼女の父親は軍艦「ダントン」
号の航海長だということ、彼女の髪は絹のようだったこと、笑い声は鈴の音のようだった
こと、名前はゾェーだったこと、クルトにとっては手と足を失うだけの価値があったこと
だけは言っておこう。
愛は大きな、神聖なものであり、常に単なる病気ではないこと、そして神は愛において
血の波を通して心臓の鼓動をとおして、また脈榑をとおして自分の神秘なる顔を見せる。
なぜなら、神はかの玉座においてのみ見いだせるもの、その玉座の周囲をニコロ・アマ
ーティのバイオリンから咲き出した地上的花々が喜びに満ちた苦しみの香りで満たしてい
たと、そう単純には思わないでいただきたいからである。