やつあたり雑記帳特別編:

夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!

おじゃま虫紀行 pt.1「遠い道程」

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 三月の雨は冷たく、誰もがすぐそこまで来ているはずの陽光の季節を思いはするが、それがどんなものだったかは思い出せはしない。吉祥寺スターパインズ・カフェにて行われたRIKKIのライブ中、彼女がぽつりと語った。
「今年の夏は、奄美大島での野外ライブに出ます」
 じゅうぶんな情報である。こうして春の連休もまだ来ないうちに、オレの夏休みの予定は決まった。

 ネリヤ★カナヤも出演するらしい、主宰は奄美のライブハウス「ASIVI(あしび=遊びの意)」が中心となって動いているらしい、元ちとせも出演交渉中らしいetc etc、そうした周辺情報が入り続けたのは四月の頭までで、具体的な、日時や場所に関する情報を待ちわびているうちにいつの間にか情報がぴたりと止まった。
 緘口令が敷かれたのか。準備段階のある部分を通り越して、ひと息ついているのか。それとも、ボトルネックに嵌ってにっちもさっちも行かなくなったのか。
 事情を探るべく、オレは奄美大島に飛ぶことにした。…というのはウソで、いつも通りのばかツーリングで奄美に行ったのである。そのばかツーリングの全体の模様はこちらをご覧いただきたい。まだ未完で、重複する部分もあると思うけど…。
 ばかツーリング自体は、ひじょうに密度が高くて楽しいものだったが、「夏のイベント」についての情報収集は、とても成功とは呼べない代物であった。ASIVIに行ったのはいいが、前日のめちゃめちゃ美味い酒が消化器官内において反乱を起こし、二時間掛けて黒糖焼酎の水割りを一杯すするのが限界という状態で、目の前をASIVIのオーナー麓憲吾氏が通っても声も掛けられない状態である。なんか怖い顔をしてたし。アレが地の顔だったら友だちにはなれそうもないな…。
 それでもカウンターのお姉ちゃんには、ネリヤ★カナヤの武田まゆみから貰ったメールを見せることで相手の警戒心を解き(詐欺師か、オレは)、イベントが敬老の日前後に行われることを聞き出した。別な飲み屋に(そっちは食うのと島唄がメインだ)移動しつつ、「やはりオレは私立探偵にはなれないな」と再確認しようとしたら携帯が鳴って…、あ、これから先は別な話だ。

 …さて、およその日取りも判った。場所は、奄美大島のどこかであることは間違いない。多少ずれたって辿りつけるだろう。あとは出演者の確認だが、RIKKIが出るというだけでオレには充分だし、残るは航空券と当日チケットの入手だけだ。
 そんなふうにのんびり構えていたら、徐々にではあるが事態は悪化していった。航空券が取れないのだ。いや、正規の料金というか、定価だったらなんとかなる。しかし、これが高いのだ。「ニューヨーク五日間ヤンキース公式戦チケット付き」の方が圧倒的に安いのだから、国内線の航空料金の価格は不当なんじゃないかと道行く赤の他人に愚痴りたくもなる。いや、実行はしませんが。
 航空会社が旅行代理店に割り当てる安いチケットは、とっくに売りきれてキャンセル待ちの列が出来ているらしい。さらに、七月半ばにイベント開催が公式に発表され、「元ちとせ凱旋出演決定!」のニュースが流れたら、キャンセル待ちリストは数倍の長さになったらしい。
 旅は道連れと声を掛けた友人が、「バースデー割引が取れる」と言うので頼もうかと思ったが、日程が合わずに断念。窮余の一策として、羽田空港→鹿児島空港→鹿児島港→(お船でどんぶらこ)→名瀬というコースに決定。帰りも同じコースにしようかと思ったが、チケットを頼んだ旅行会社に聞くと、帰りは空いているからそれほどの違いもなく乗れるというのでそっちにする。
 ともあれ、「奄美には十五回以上行ったけど、ぜんぶフェリーで到着した」という私の輝かしい記録はさらに更新されることになった。だれかギネスブックに申請しといてくれ。

 そんなこんなで荷造り以外の準備は整い、あとは出発を待つだけ、というところでトンデモナイ事態が発生した。フィリピンの北東海上、北緯二十度付近に発生した熱帯低気圧が、日本名「台風十四号」国際名称「マエミー(韓国語で”セミ”)」となって太平洋を西北西に進みはじめたのだ。
 バイクに乗りはじめてかれこれ十五年、夏はキャンプだ、とテントと寝袋を買って旅するようになってもう十七年のオレは、台風の進路と速度を当てさせたら気象予報士の森田さんと勝負しても寄り切りで勝つ自信がある。なにせこっちは命が懸かってるからな。その熟練の(笑)目で見る限り、普通に進めば台風が東シナ海を通過する翌日に、オレは鹿児島に到着するはずだった。ところがこのセミ野朗、八重山沖でまる一日も停滞しやがった。しかも、沖縄に近づく間にどんどん成長し、「小型で非常に強い」台風から、「中型で猛烈に強い」台風に成長した(補足情報)。当然ながら、台風とオレは鹿児島で出くわすことになる。いや、それ以前に、果たしてスカイマーク・エアラインズ303便B767Cは羽田を離陸するのか?近来まれに見るスリリングな状況で、オレは出発の朝を迎えた。

 前日は22時まで残業し、帰ってからようやく荷造りをはじめたオレの就寝時刻は午前四時。八時に起きて台風情報をチェックすると、セミ野朗は甑島(こしきじまと読むのだ。ちなみにここの焼酎は美味い)の西にあって、時速30kmほどで北北東に進んでいる。羽田空港のHPを見ると、ANAだのJASだのの鹿児島行きの早い便は「搭乗中」になっている。また、この日に出発予定の出演者が乗るJASの599便は、どうやら離陸するらしい。この便には、我が心の恋人としてRIKKIの次に位置する惠(里)アンナちゃんがご搭乗にてあらせられるのだ。許せないのは、■橋 ▲というピアノ弾きがこれに乗っているということ。このオヤジは、わざわざおもろ掲示板に、「明日の飛行機、アンナちゃんと一緒です。」と書き込んできやがったのだ。ああ口惜しい。でも、アンナちゃんはオレのことなんか憶えてないだろうな。…くすん…(補足情報)。

 適当に着替えやらなにやらを放り込んだら妙に重くなってしまったスポーツバッグと愛用の奄美三味線を担ぎ、一路羽田空港へ。通勤時間をちょっとだけ過ぎた平日の電車は、私服で乗るとなんだか妙な気分だ。
 浜松町でモノレールに乗り換え、陽光が降り注ぐ東京湾を寝不足でいまいちピントが合わない目で眺めると、「台風ってどこの世界の話ですか」ってなもんだ。天王洲で若干の乗客が降りると、周りは、「これから出張です」風のサラリーマンや「あたしたちぃ、これからハネムーンなのぉ」風のカップルがほとんどを占めている。つまり、児童と主婦とお年寄りがいないわけで、そのせいか、不思議と静かな車内である。まぁ、いまどきヒコーキに乗るからといってはしゃいでるようなヤツは、この時のモノレールには一人しか乗ってなかったのだろう(補足情報)。

 特筆すべき事件もなく(40番ゲートというのがどこだか判らなくて10分ほど迷っただけだ、エライだろ)、乗客専用の待合所みたいなところに辿り着いた。カウンターの上のボードには行き先の天気と気温が出ている。それによると、鹿児島は晴れで気温は28度だそうだ。ふーん、東京よか涼しいのね。それに、台風の影響なんて大した事はなさそうじゃないか。それなのに「ただいま現地の天候を調査中です」とアナウンスが繰り返されている。
 そのうち出発予定時刻が近づいて、「鹿児島行きは、現地の天候が悪化した場合、羽田に引き返す条件付きで出発します」と言う。こっちは他に選びようがないんだ、その条件、呑もうじゃないか。

 先行き不安な割には簡単に離陸し、順調に飛んで、ちょっとがたがたしながら鹿児島に着陸した(<あっさりしてるのは、機内ではほとんど寝ていたせいだ)。
 いちおう鹿児島空港に来るのはこれが三度目のはずなのだが、先の二回が十年以上前、しかも仕事で出張だったせいでちーとも記憶がない。みょうに小奇麗だから、この十年かそこらの間に模様替えくらいはしているかもしれない。とにかく、駅だの空港だのという所は機能性が最優先されるところだから、無個性で小奇麗なのは当然なんだけど。
 発着ロビーからマリックス・ラインに電話を掛ける。
 「今日の鹿児島発の船を予約しているんですが、予定通り出ますか?」
 「はい、予定通り出港します」
 「どうもありがとう」
 とりあえず、第二関門も突破だ。空港内に郵貯のATMがあったので少しばかり金をおろす。ATMの横に立っていた女性の足許に三線サイズのハードケース。かなり使い込んでいると見た。沖縄行きかな?
 鹿児島市内行きのバスに乗り込んで、持ってきた藤沢周平の短編集を取り出す。市内まで一時間ほどの行程らしいが、目指す「金生町(きんせいちょう)」の位置が判らないので睡眠不足の補填は後回し。フェリーに乗れば、あとは寝るだけだもんね。走り出してすぐに、バスの窓に斜めに雨粒。
 思ったよりもけっこう混み合ったバスで、補助席は使わないまでもだいたい満席状態。オレの横と後ろの席には中年の女性三人組が座った。その会話を聞くともなしに聞いていたら、どうやらオレと同じか、その前に鹿児島港を出港するフェリーに乗る予定らしい。断っておくが盗み聞きなどするつもりは毛頭なく、オレの隣に座ったいちばん年嵩の女性とその真後ろの席の会話がメインで、つまりは嫌でも聞こえてしまうのだ。とはいえ親しい者同士の会話だから、聞こえた断片から内容を推し量っても、徳之島の人みたいだなぁとか、親戚のおばさんの発表会みたいなのがあるらしいなぁ、くらいしか判らない。話し掛けてみようかと思ったが、隣の女性は会話が中断するとすぐに目を閉じてしまう。まぁいいか。

 ふと目を上げて見覚えのある景色だなと思ったら、バスは城山の前の交差点を曲がって市街地へ。「次はきんせいちょうです」というアナウンスが聞こえると、ほとんどの乗客が降りる準備をはじめている。
 バスの走行中、弱々しく降ったりやんだりしていた雨は、とりあえず市街地では降っていない。
 バスが止まって降りてみると、なるほどね、ここは鹿児島市内の各路線が集まる乗換えポイントみたいなところだったのだ。鹿児島新港行きのバスが出るのは…、と探すと道路の反対側だ。フェリーの時間まではまだ間があるし、まずは飯でも食おうじゃないか。目指すバス停のある側はデパートみたいなのと銀行がででんと構えているので、道路のこっち側を一本裏通りまで歩くが、どうやら食事の店はゼロの皆無という雰囲気。
 しゃあない、バス停があっちにあるんだからオレもあっちに行こう。ハンバーガー屋が見えるから、いざとなったらあそこで食べればいい。
 スポーツバッグをたすき掛けにして体の前に回し、三味線ソフトケースを背負って歩き出す。交差点を渡って、まずは裏通りから攻めてみようと歩くと、目に入ったのは見覚えのある中華料理屋だ。さては、と振り返ると種子島・屋久島行きフェリーの桟橋への道が見える。あぁ、ここか。
 路地を曲がっててくてく行くと、アーケードが縦横に広がっている。噂に聞く天文館とはこの辺りか。
 さすがは歴史ある城下町、仏壇仏具の店だの和装小物の店、乾物屋、お茶屋などいろんな店が並んでいる。とりあえず鹿児島なんだから黒豚のとんかつあたりが目標かな、と探すがそれらしい店はない。喫茶店に「しろくま」の紙が貼り出されているが、そういう天気でもなけりゃ腹具合でもない。しつこく歩き回っているうちに、「奄美レストランけいはん」を発見!明日からの奄美入りに備えて今から奄美モードになっておくのも悪くないだろう。店に入って「鶏飯と黒豚そばの定食」を注文。そばの方は関東風のしょうゆ味のだしで、ちょっと判らない部分もあったが、あっさり味の鶏飯とのコンビネーションでこうなったのだろうと勝手に結論づける。

 腹も足りたし先へ進もう、とバス停を目指す。たしか2番だったよな、と行くと、表通りに出た目の前にバス停があって30人近くが待っている。まさかと思ってバス停の番号を見るとやっぱり1番で、目指す2番は向こうの方に待つ者もなくさびしく佇んでいる。やっとの思いで辿り着き、鹿児島新港行きの時刻表を見ると、どひゃあ、一時間近く待たなきゃならん。そのうえ、ちょっとばかりだが雨も降ってきた。
 ホントに鹿児島新港へはここからしかバスが出ないのだろうか、どこかに別な路線があるのを隠してるんじゃないだろうか。不審に思ったオレは、すぐ横にあったバスターミナルでバスの誘導をしていたおじいちゃんに訊いてみることにした。
オレ「すんません、鹿児島新港行きのバスに乗るのはここでしょうか」
おじいちゃん(以下、”じい”と略)「新港?船か?!」
オレ「はぁ」
じい「船は出んぞ!
オレ「ほえ?」
じい「台風で、波が8メートルもあるんじゃ、船は出ん!!
 あまりの剣幕に、オレは完全にビビってしまった。このおじいちゃん、バスの誘導員とは世を忍ぶ仮の姿、じつは鹿児島海運界の影の支配者なのではなかろうか…。慌ててオレは、マリックスラインに電話を入れた。
オレ「今日の鹿児島発の船なんですが、予定通り出ますか?」
マリックスラインのお姉ちゃん「はい、出港します」
 影の支配者とお姉ちゃん、いったいどっちが正しいんだ…。
オレ「船は出るって言ってるんですけど…」
じい「台風が来とるのにか!」
オレ「はぁ
じい「波が8メートルもあるのにか!」
オレ「はぁ
じい「バスはそこに来る」
オレ「ほえ?」
じい「次のバスが来るまで時間があるから、デパートの中で涼んでいるといい」
オレ「…はぁ」
じい「このバスは遠くから来るからよく遅れる。10分、15分は待つつもりで居れ」
オレ「…はい」
 鹿児島恐るべし、というのはオレが常にこの地の人々に接した時にいだく思いだが、まさか四時間ほどの滞在でこんな強烈な洗礼を受けるとは思わなかった。

 とりあえず40分間ほどの時間を潰すために再びアーケード街へ。一時、かなり強い雨が降り出したので傘を買い、100円ショップでメモ帳とペンを買い込んでバス停に戻る。今度は先客がいた。推定年齢20代半ば、イカにも当世風の兄ちゃんだ。デカいザックを足許に置き、黙然とバスを待っている。オレもバス停の角柱をはさんだ形で立ち、お互い話し掛けるようなこともなく、ひたすら待ちつづける。
 このバス停はいくつもの路線のバスが使っているバス停で、およそ2分に3台くらいのペースでバスが発着を繰り返している。雨が降ってきた。オレと兄ちゃんは互いに無言のまま、バス停の前の建物の軒先に避難する。鹿児島新港行きのバスの時間が近づいてきた。次から次へとバスがやってきて、3分の1は手前のバスターミナルへと入り、3分の1はそのまま通り過ぎ、3分の1はオレたちが待つバス停で停まって何人かの乗客が降りる。その度に兄ちゃんは身を乗り出してバスの行先表示と路線を確かめる。怠け者のオレは、ただ走り去るバスを眺めている。そうしていったい何台のバスを見送ったのだろうか。
「すいません、いま何時ですか?」いきなり兄ちゃんに話し掛けられた。ちょっとびっくりするオレ。
 オレ 「4時25分。時刻表どおり来るとすれば、あと5分だね。新港でしょ?」
兄ちゃん「はい」
 オレ 「沖縄?」
兄ちゃん「はい」
 オレ 「さっき、あそこでバスを誘導しているおじいちゃんに聞いたんだけど、よく遅れるらしいよ」
 そこでいったん会話が途切れ、バスの到着時刻になり、5分が過ぎ、バスがやってきた。普通の路線バスの車内はオレと兄ちゃんだけ。と思ったら観光客らしい若い女性が乗ってきた。
 車内では民放ラジオの音が流れている。これは、鹿児島ならではだろうか?少なくともオレがガキの頃に乗っていた円周鉄道やO伊皮鉄道(2ちゃんねるみてぇだな)、または最近お気に入りの都バスなんかでは考えられないことだ。
 番組の終わりに差し掛かっているのだろう、パーソナリティの姉ちゃんが「明日は、私は奄美に行ってます」と喋ってる。へぇぇ、ラジオも来るのね。
 そのうちバスは鹿児島新港に着く。最初、フェリー待合所からかなり離れたところにバスを止められたのだが、運ちゃんの好意で少し先の、角を曲がったところに停めてもらった。ざっと100メートルは楽をした勘定になる。運転手さん、ありがとう。

 待合所に近づくと、ナニやら異様な雰囲気。入り口から人が溢れてる。凄い人数だ。しかも、はっきり言って五月蝿(うるさ)い。ジャージに、学校名、競技名入りのTシャツ、ブランド物のスニーカー、ドラム缶みたいなスポーツバッグからは得体の知れない道具がはみ出している。大股で歩き、知った顔を見つければちょっかいを出し、周りの喧騒に負けじと大声を張り上げる。あっちで腕立て伏せ、こっちは腹筋、おおっとモールをつくって押し込む押し込む。パンチにはローキックで応酬し、ハグすると見せかけてのサバ折りは頭突きで逃れ、ロープに振って戻って来るところを臀部読経返(でんぶどきょうがえ)しの大技だぁ!!。ま、要するに体育会系のノリってやつですわ…。
 カウンターのお姉ちゃんに乗船券を渡しながら「寝台はもう空いてないですよね」と聞くが、返事は予想通り。
 バス停から一緒の兄ちゃんと顔を見合わせ、「えらいことになったね…」。どうも複数の競技の複数の団体がたまたま一緒に移動しているようだ。なんとか HIGH SCHOOL と入ったTシャツがたくさんいる所を見ると、高校生のスポーツ大会か何からしい。明日からちょうど連休だしな。妙に体格のいい老けたヤツは引率の教師か何かだろう。こちらも何人かずつ固まって馬鹿笑いしている。頭が痛くなってきた…。
 もう乗船時間になっているらしく、およそ300人はいるであろう体育会系と一緒に列を作ってフェリー”クィーン・コーラル”に向かう。のんびり船旅だと思っていたら、とんでもないことになってきたぞ。

 だんだん判ってきた。これが藤田まこと演じる「必殺シリーズ」の中村主水だったら「おう、どうやら絵が見えてきたようだぜ」と言うところだ。
 風速70メートルにも達したという「セミ」(どうしても違和感あるなあ)が通過した直後なのだから、常識的な判断をすれば、あの鹿児島海運界の支配者が言う通り、フェリーは運休だろう。ところがマリックスラインが張り切って船を出すのは、この団体客をナニがナンでも送り届けようという決定がどこかで下されたに違いない。
 船室に荷物を置き、乗船の儀式(缶ビール)を厳かに執り行いながら聞き耳を立てていると、この喧しいありがたい団体は、奄美群島復帰五十周年を記念して奄美大島で開催される「鹿児島県民体育大会」の出場選手団らしい。…そうスか…。

 ビールを飲んでいると、バス停から一緒だった兄ちゃんがあらわれた。Tくんといって、島根県出身。いまのところ職業は旅人だそうだ。ちょっと前まで屋久島に滞在し、鹿児島で友人の実家の農業を手伝い、愛用のディジュリドゥを持って沖縄に行くところだそうだ。
 オレのほうも目的を聞かれ、「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!」について簡単に説明する。
 「見たいなぁ」と言うので、「降りちゃえ降りちゃえ」とそそのかす。この鹿児島・沖縄路線のフェリーはけっこう鷹揚で、行先変更や途中下船も(タイミングよく持ち掛ければ)可能なはずだ(確かめたわけではない。念のため)。しかしTくんは沖縄で友人と待ち合わせているそうで、しかもセミ台風のおかげで日程的な余裕はないと言う。「そんな大イベントだったらもっと宣伝してくれてもいいだろうに」という彼に掛ける言葉はオレにはない。

 そのうち、オレとTくんの会話は屋久島に関するものになっていった。実はオレも十五年ほど昔だが、二度ばかり屋久島に行ったことがある。当時は、まだ世界遺産に立候補したかしないかで、世界遺産なんて言葉を知ってるのは町役場の担当者くらいだったんじゃなかろうか。
「いいところだったなぁ、一事が万事のんびりしていて。オレなんか阿呆だから縄文杉もウィルソン株も見なくてさ…」
「今はダメですよ」Tくんがぼそりと言う。「余所から業者がたくさん入って、地元の人たちも口を開けば、かね、かねしか言わないんです。旅行者もひどいのが多くて。大学生のグループが隣の部屋に泊まってたんですけど、午前三時までトランプやってるんです。屋久島ですよ、トランプしにくるとこですかね?」
「世界遺産かねぇ…」オレもため息をつくしかない。
「昔のことは知りませんが…。奄美ってどうなんですか?」彼も話題を変えたいらしい。
「観光客は増えてるみたいだね。”元ちとせ効果”って言われてるけど」
「あんまり知られてない所でしたよね」
「あっちでも田舎の方にいつも行ってるけど、一昨年から、なんつーかそれまでは見なかったタイプの旅行者が増えたね」
「どうなると思います?」
「地元の人が頑張れるかどうかじゃないの?オレたちは、”金儲けばっかり考えるな”とか言えないもんね」
「そうですね、屋久島は、地元の人が頑張れなかったんだろうな…」
 こちらを旅していると必ず、屋久島体験者に会う。彼らの目が暗くなり、語る声のトーンが落ちはじめたのは何年前からだろう。もちろん、良い思い出とともに帰ってきた者もいるが。

 出港後三時間弱、金港湾の中は常に静かな航海を楽しめる。心配のタネだった体育会系団体客も、思ったほど大暴れはしていない。それよりも、喫煙コーナーに陣取る引率教師風の連中がうるさい。自販機コーナー前のいすを立ち、二本目のビールの缶をゴミ箱に捨てたオレに睡魔が襲い掛かってきた。
 寝床として割り当てられたスペースに戻ると、両脇はゴツいおっさんだった。やれやれ…。
 細くて短くて極薄のマットレスを敷き、余った枕を確保し、毛布にくるまったと思ったらもうそれ以上は憶えていない…。

 裏拳の一撃で目が覚めた。意識が戻ったところに今度はローキックが来る。相手が目を覚まさない程度に押しのけて起き上がり、時計を見ると10時を回ったところだ。三時間近く寝たらしい。ホンネを言えば朝まで寝続けたかった。
 少しの間ぼけっとしていたが、睡魔はしぶとく働きつづけ、まぶたも重いままなのに眠れそうもない。少し離れた一角から聞こえる意味不明の大声が、しつこくオレの耳に潜りこもうとする。ざっと見渡す限り、まわりの高校生たちはもう寝たか、必死に寝ようとしている最中だった。
 とりあえずトイレに行こうと決め、立ち上がろうとしただけでバランスを崩す。錦江湾はとっくに出たのだろう、船は大きく揺れている。よろしい、トイレの後はビールだ、発泡酒だ、缶チューハイだ。あるだけ呑んでやる。

 トイレを出て、自販機コーナーに行くと、大声でわめき散らしているのは引率体育教員らしい若い男だ。その周りに同年代らしいのと年かさのが二人ずつほど。わめく男ににこやかに相槌を打っている。さっきオレが寝る前に騒いでいたのと同じ連中だろう。よく続くもんだ。つーか、アクションも付いてグレードアップしてやがる。
 よろけながら発泡酒の500ml缶を買い、ベンチに座って呑む。携帯の着信を確認するが、やはり電波が届いてないので電源を切る。
 呑み終えたところで少しだけ酔いが回ってきたのを感じたので寝ることにする。もう一本買ったら、その缶でわめき男の脳天を殴りたくなるかもしれない。馬鹿野郎、騒ぎたかったら甲板に行って騒げ。そのまま落ちてしまえ。鹿児島県は、一刻も早く教員採用試験に一般常識を追加すべきではないかと思いながら寝床に戻る。船の揺れに足を取られ、通常の三倍以上の時間を掛けて。

 その後もエルボーやらラリアットやら耳への熱い吐息やら、M師匠だったら間違いなく喜ぶであろう攻撃を撃退しながら、それでも今度はしつこく眠って朝を迎えた。時刻は7時。船室の隅にあるテレビにはアニメが映し出され、子供たちが飛び跳ねながら見ている。進行方向左側の窓には濃い緑に彩られた海岸。揺れはすっかりおさまっている。船内放送によれば、名瀬港到着時刻はもうすぐ、7時20分だそうだ。
 もう電波が入るだろう、と携帯のスイッチを入れて留守電とメールをチェックする。留守電はなし。メールが、えっとぉ…。
 Lさんはゆうべ、ジョアン・ジルベルトのライブに行ってきたらしい。なるほどぉ。しかし、これから奄美に来るなんて、ほとんど徹夜じゃないのか?あ、もう一件ある…。

 そのメールを読んだ瞬間、オレの頭脳は完全に覚醒した。「名瀬港にて下船のお客様は…」アナウンスが下船準備を促す。フェリーは速度を落とし、岸壁に向かって斜めに近づいて行く。フェリー・ターミナルが窓から見えてきた。
 そこには、あの男が来ているのだ…!


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