のしのしぞろぞろと、まるで象か熊の列のように歩む鹿児島県体出場選手団のうしろから降りていこうとしたら、階段の所で列が進まなくなったのでアホらしくなって甲板に出る。
タラップの先を眺め下ろすと、やはりその男はそこにいた。愛用のバンダナを頭に巻き腕組みをして立つその姿は、まるで海賊だ。この男こそyama42。奄美の各地に点在する太鼓グループのひとつ「道の島太鼓」で活躍する(ヒトのことは言えないが)オジさんである。オレはたいして意味もなく頷くと少し減った列に続くべく、ゆっくりと甲板を後にした。
降り際にTくんとじゃあね、と挨拶する。どうも別れの挨拶は苦手だ。
タラップを歩いていくと、鹿児島県体出場選手を歓迎する横断幕の横にyama42氏が立っている。なんだか県体の奄美側実行委員みたいだ。
やあやあ。揺れた? もちろん。こっちは雷雨だったよ、モノ凄かった。そんな会話をしながら、車に乗せてもらって、とりあえず海風荘まで送ってもらう。ちょっと挨拶するだけだと思っていたら、どうやらイベント会場の奄美パークまで送ってくれるらしい。今回はバイクじゃないんで、移動はすべて公共の交通機関(バス)を利用する予定だった。しかし、昨夜の船の揺れのためにちょっと寝不足気味なのでへんに神経を使うことになったら辛いな、と思っていたところなのでありがたく好意をお受けすることにした。
海風荘は、港からだと歩いて5分というアクセスの良さだが、名瀬市の中心部からはちょっと外れたところにあり、観光シーズンでも前日までに連絡すれば部屋を用意してもらえることからオレは名瀬での定宿にしている。今回は、宿泊施設が軒並み満室だと言われていたので、2週間ほど前に「だいたいこのへん」という予定で連絡してあった。
下のコンビニのカウンターに行くと、さすがに8時前ではまだ部屋が空いていないとのことで、荷物だけ預かってもらうことにした。バッグと三味線を倉庫に入れさせてもらって、24時間営業のファミレスジョイフルで朝食を取る。海鮮雑炊399円也を食べながら、奄美在住の知り合いや東京その他から奄美に来ている知り合いにメールを送るが、やはり若者はメールの返事が早い(補足情報)。
食事を終えてもまだたっぷり時間があるので、大浜海浜公園に連れて行ってもらう。日差しは強いし気温も高いが、一昨年、盛夏の時期にここを訪れた時ほどではない。そうか九月なのだなぁとか思いながら潮風を味わう。
そうこうしているうちにひでさんと連絡が取れた。「奄美パークまで行くなら乗せて行ってくれ」と言ってる。ネリヤ★カナヤと同行するんじゃないの?と聞くと、12時前に来るようにとのお達しが出ているのだと言う。yama42氏に一名追加を打診すると、快く引き受けてくれた。
海風荘に戻って部屋の鍵を受け取り、市内中心部のコンビニ前でひでさんをピックアップ。奄美エーストラベルでイベントのチケットを受けとって、一路、奄美パークへ。ちなみにこの間に陽光燦々からいきなり雨が降り出すこと数度。ウェルカム・トゥ・奄美大島、というところか。
車内、ひでさんとyama42氏が同じ高校の卒業生(入れ違いだったようだ)だったことから話がはずんで、共通の知人の消息を尋ねあっている。オレの方はというと、今日の飛行機で来島する鹿児島の西さんから天気を問い合わせるメールが来たので、えっちらおっちら返信する。ちなみに9時40分の時点では「晴れ、暑い」と返したが、龍郷町に差し掛かった辺りから猛烈な雨が降り出したので、慌てて10時10分頃に「豪雨」と再送信。忙しい天気だ。
奄美パークのちょっと手前でyama42氏が「M師匠ゆかりの地を見ていかないか」と言うので、先を急ぐひでさんを説き伏せ、奄美パークへ向かう道をちょっと外れて笠利町喜瀬に。ちなみにyama42氏はM師匠の親戚だそうで、言い出したら聞かないM師匠と同じ血が、ここ奄美でもひでさんを振り回すことになったと思えば、ウンメーだなぁと感心してしまうオレではある(拝啓、麓憲吾さま。そういう訳でひでさんの会場到着が20分ほど遅れましたことをここにお詫び申し上げます)。
喜瀬のM師匠の親戚のうちにおじゃました途端に、今朝から何度目かのどしゃ降りに襲われ、慌てて退散して今度こそ真っ直ぐ奄美パークへ。
ひでさんは、「憲吾が怒っとる」と言ながら会場内へ。yama42氏は名瀬市内で夕方から行われるダンスのイベントに出演するために引き返す。雨は弱くなってきたが、遠くで雷が鳴り、上空の雲は凄い勢いで流れている。奄美パーク本館の前でちょっとだけ雨宿りをした後、オレは、とりあえずそこいらをぶらぶらすることにした。
ひでさんは「お昼頃からリハをする」と言っていたのだが、見たところそれらしい動きはなんにもなしのゼロの皆無。会場内の露店関係の搬入と、来賓席にでもするのか運動会用のテントが運び込まれているだけ。まだ会場内のセキュリティも動き出していないようで、おそるおそるイベントスペース内に入ってみることにした。
サッカーのフィールドを一回り大きくしたくらいの芝生の広場は、一方の端にある露天の舞台上にメインステージが設けられている。ステージ両脇にセットされたPA装置は、一部が高々と組まれた鉄パイプのやぐらに取り付けられ、強烈な存在感を醸し出している。台風の為に一度組み上げたPA装置を撤去し、未明のうちから再設営したそうだが、事情を知らない者の目には「ずいぶん手間暇掛けたもんだな」と思えるかもしれない。
とにかくこの吊り下げ式PA装置の採用(意外とこれがいちばん手間が掛からなかったりする?)は、見た目のインパクトだけを取ってもイベントの成功を保証してくれるもののように感じられる。
イベントの公式HPを読んだり、yama42氏から教えてもらった話を総合すると、この「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!」の運営母体は、奄美大島各自治体の青年団で、専門的な部分はそれぞれ本職のプロを使いながらも、準備・交渉から後片付けまで出来る限り青年団の人海戦術でやろうというのが基本コンセプトらしい。
こういうやり方は、オレにもちょっとだけ経験があるのだが、中心から外に向かってバウムクーヘン状の組織が出来上がり、さらに任意加入の団体である青年団という組織とそれに関わる世間がまたバウムクーヘンみたいになってしまうことがある。この場合、目に見えた成果を上げられれば周囲や組織内の雑音を排除できるのだが、成果がちょっとでもいびつになれば「ナンダアノ野郎、エラソウナ事ヲ言イヤガッテ」というのがゾロ目の揃ったスロットみたいに景気良く吹き出てくる。
しかし、このステージを見る限り、少なくともこの会場に足を運んだ人に限っては、組織外からの雑音はとうぶんシャットアウト出来るだろう。まぁ、それでもあれこれ探して雑音を立てたがる人は常にいるのだが(あ、オレか…)。
イベントスペースについてあとちょっとだけ触れると、サッカーフィールドだったらハーフウェイラインの少しステージ寄りの辺りに音響・照明ブースがあり、ステージの正反対は巨大な大理石状の階段がそのまま奄美パーク本館につながっている。
この音響・照明ブースと階段がなかなかのクセ者で、特に前者は、「本当にあのサイズが必要なのか」と強く疑問に感じる。確かに、二日間で13組が出演する大規模なマラソンイベントであり、一時間弱毎にセットチェンジがあり、それぞれ実績と人気があるミュージシャン揃いであり、なおかつイベントを仕掛けた自分たちの心意気を出演者に向かって示したい、という気持ちは理解できる。また、音響・照明ブースの最下層部分はテラス状になっていて、車椅子席として使用されていたようだ。しかし、それでも「本当にあのサイズが必要なのか?」というのは疑問である。
というのも、この巨大なブースがあるせいで、ここから後ろではまったくステージが見られない(最上部にはピンスポ用スペースになっているため、隣接する奄美パーク本館のかなり高い位置からでもステージは見られない)。せめてもの誠意のつもりか、ブース下部にPA装置をセットして、後ろの人には「音だけは」届けられるようになっている。しかし、これじゃ観客じゃなくて聴衆だよ、演説会場じゃないんだからさ。さらに前述の階段と奄美パーク本館がこのPAからの音を反射してしまい、お代官さま、お願ぇですから勘弁してくだせぇ、とか言いたくなるが、さりとてこれすらなくしたらというと…。
たしかにステージからの距離は4〜50メートルで、野外イベントの音響ブースとしてはこれ以上遠ざけることは出来ない相談だと言われれば頷くしかないが、…う〜ん…。
誰もいない(スタッフは行き来していた)ステージをぼけっと見ていても芸がないし、少々疲れてもきたので腰を下ろせるところを探すことにする。
見る人が見ればオレなんか一発で島の人じゃないのがバレてしまうので、最初はおっかなびっくり、だが徐々に大胆になって奥の方へと進んでいく。そのうち、だんだん度胸が据わってきた。
突然、背後からナゼか+ガイ■ウジの誰何の声。
「ちょっとアンタ、ナニモノよ!パスも付けんでどこに行くワケ?!」
「問われて名乗るもおこがましいが、姓はナイショで名はヒミツ。東照神君徳川家康公ゆかりの遠州高天神峠の麓に産湯を使い、多年見目良き野山を捜し求めて自動弐輪車にて諸国を経巡るうちに、縁あってこの地に参ったが拾年の昔。以来、縁が縁を呼び、人が人を繋いで来島およそ拾五回。参年前より当地の島唄を習いし拙者、人呼んでquickoneと申す。昨日江戸を立ち、薩摩を経て罷り越し申した。お見知り置きあれい(<ここだけ、千葉真一が柳生十兵衛をやってるときの口調で読むこと)」
「はっげー、意味うつらん…」
馬鹿な想像をしながら歩いていたら、ホントに横から声を掛けられた。見ると、本日の出演者のひとり、中(あたり)孝介がマリカミズキと一緒にいる。昨夜の雷雨のせいでリハのスケジュールが狂って、彼ら(今回は中村組として出演)のリハがトバされてしまったという。「ホントに腹が立つ」と、孝介はかなりのお怒りモードである。その意気や善し。出演者である以上、ちゃんとしたステージをやるためにはリハーサルは不可欠だ。あえて名前を上げないが、リハなんかすっぽかして遊びに行っちゃうヤツも世の中にはいるので、孝介にはこの日の怒りを忘れてもらいたくないな。
そのうちひでさんがやってきたので、お茶でもしようかと奄美パーク本館に向かう。しかし凄いぞ今日の天気。孝介に声を掛けられたときは雲の隙間から強烈な太陽光線が差していたのが、ちょっと立ち話をして歩き出したら、いきなり雨が降り出した。まだお昼をそれほど過ぎていない時間なのに、夕方みたいな暗さだ。
2階のレストランに入り、お昼を過ぎていたので(<根は小市民ですから)生ビールを注文。ひでさんは仕事中なのでマンゴージュース。しかし、これがかなり気に入ったみたいで、あとでyama42氏(笠利町民)に「どこのマンゴーを使っているのか」と質問していた。イベント中は毎日飲んでいたそうだ。
雨がちょっと弱くなったみたいなので、ひでさんはお仕事へ、オレは2杯目のビールを収めてからどうやらはじまったらしいリハーサル見物へ。
ふらふらと出て行ったらちょうどRIKKIのリハがはじまったところだった。なんという幸運。やはりRIKKIとオレは、運命の赤い糸で結ばれていたのか。RIKKIは雨を避けてかまだ待機中で、ステージ上ではマネージャーの大橋さんが甲斐甲斐しく働いている。う〜ん、オレは大橋さんとも赤い糸が…(以下、自主規制)。
本来、オレはリハーサルを一般客が見るのはルール違反だと考えている人で、これが例えば朝崎郁恵&高橋全だったら「今見たら本番の楽しみが減る」とか言って背を向けていたと思うのだが、RIKKIとオレは赤い糸で結ばれているので(<しつこいか、あはは)、降り続ける雨に濡れるのとつまみ出される危険を冒して音響ブースの前まで出ていくことにした。
今日のRIKKIバンド=菅原弘明グループはピアノの鶴来正基が抜けた(The Boom のツアーに同行していた)編成で、つまりはギター、ベース、ドラムのトリオにRIKKIのボーカルというスタイル。バンド側のチェックが終わって、いよいよRIKKI登場、と思ったら大粒の雨が降ってきた。それでも3分ほどは頑張って見ていたのだが、激しさを増す雨に防水防虫防塵防火防炎防湿防寒防暑防疫防音防刃処理を施した赤い糸が平気でも、人間の方が困るので手近なテントに避難した。
さすがに歌う側もPA側もプロだけあってリハはてきぱきと進んでいく。雨のほうも二、三分で我慢できる程度の雨量になったので、テントを出て前のほうに行くことにした。しかし、ゼータクだなぁ。この広い会場でRIKKIの歌を聴くのに専念しているのはオレだけだ。もちろん、横の露店のほうでも聞こえてるのは間違いないが、それぞれ自分の仕事をしながら聞いてるわけで、完全ににやけながら聴いてるのはオレだけなのだ、ムフフのフ。
最後に三味線の音のバランスを取ってRIKKIのリハはおしまい。へー、弾くのか、度胸あるなぁと感心しながら、しとしとと降り続く雨の中、オレはまた奄美パークの本館で休憩することにした。時刻は三時をすこし回ったところ。開場まであと三時間。おそらく立ちっぱなしになるだろうから、今のうちに足腰を休めておこうという魂胆だ。トシは取りたくないネ…。
ふたたびレストランで、今度はコーヒーを飲みながら、時間をつぶす。いまになって考えれば、この時間に奄美パーク内部や田中一村美術館を見て回ればよかったのだが、この時のオレの頭にあったのは、この「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!」のレポート(つまり、この文章)をどう仕上げるか、ということだ。
この「やつあたり雑記帳:お出かけ記録」は、オレがなんらかのイベントに出かけ(その場所に至るまでの肉体的精神的な状態=前提条件)、そのイベントを体験した結果(精神的充足感・満腹感・不満・知識)を、ちょっと時間を置いて(頭の中で整理して)記録する、というのがいつの間にか定型になっている。その定型をちょっと抜けてみようか、と思いついたのだ。
それは、先ほどのRIKKIのリハの最中に、突然、天啓のようにオレの頭に浮かんだ書き出しの一フレーズが発端だった。そのフレーズを頭の中でコネ回しているうちに、それに続く文章が、次から次へとオレの頭の中に湧き出してくる。おー、これだ、これしかない!やっぱりオレとRIKKIの間には赤い糸があったのだ、とメモ帳を出して書きとめようとした瞬間、後ろから声を掛けられた。
「どうかどうか」と言って現れたのは、鹿児島からやって来たNさんだ。空港から直行したそうで、背には20Lほどのサイズのバックパック、手にはナニやら得体の知れないナイロン製のバッグをひとつ抱えている。
さっそくNさんは生ビールを注文。オレは、次のビールは会場内に入ってから、と決めてあったので、おとなしく冷めたコーヒーをすする。外からはリハーサルの音が微かに聞こえてくるが、開場まで二時間を切った今では、もう忍び込むのは無理だろう。あれやこれやと話をしたが、どうもその前に呑んでいた二杯の生ビールが効いたらしく、あとで思い出すとずいぶん無茶苦茶なことをオレは言ってたようだ。むむむ、奄美・鹿児島問題を語るのは、オレはまだ十年は早いのだろうな。あとはNさんが、近くのテーブルで家族とともに談笑していた牧岡奈美、永(ながい) 志保のふたりに気を取られて忘れてくれることを祈るしかないか…。
レストランを出る前に、「天啓のように浮かんだ書き出しの一フレーズ」について白状しておこう。忘れちゃったのだ、見事に。帰りの飛行機に乗る直前に「定型を打ち破る素晴らしいフレーズがあった」事だけは思い出したのだが、ついに今日になるまでそれは戻ってこなかったのだ。アレを憶えていれば、こんなに長い話にはならなかったのに…残念。
開場時間が近づいて来たので、奄美パークを出てゲート前にできた列に並ぶ。揃いのTシャツを来た若い衆が「三列に並んでくださあい」だの「車が通りまあす」だのとやっている。これが噂の群島青年団か。最初のうち、ちょっと手際が悪かったり列に並んだ友達にからかわれて困った顔をしてたりしたが、そのうち上手く捌けるようになってきたようだ。
列の間をマイクを持ち、テレコを肩から下げたオバサンおネエさんが行ったり来たりしている。後ろにはビデオ・カメラもくっついている。Nさんによれば、鹿児島の放送局MBCの名物オバサンパーソナリティーらしい。例によって「どこからいらっしゃいましたかぁ?」とやっているので、Nさんがオレを指して「この人は東京からですよぉ!」と大声を出しやがった。ヤメテくれぇ!慌てて携帯を取り出し、「オレは電話中だからね、電話中だからね!」。冗談じゃないよ、もう。Lさんが来てたら「千葉県成田市、こっちの方が遠い!」とか言ってやったんだが…(<そうさ、どうせオレは悪人さ)。
取り出した携帯で、同じ日に東京を出て直行便で来ていた人に「無事に着きました」と報告する。それでもまだマイクとビデオカメラはそこらをうろうろしているので、古仁屋のゴンザレス氏に電話して「そっちの天気はいかがですかぁ?」と質問。「ん〜、こっちは悪くないよぉ」との答えを貰ってちょっと安心する。雨はあがり、強烈な西陽がさしているけど、鉛色の空に彫刻刀で削ったみたいな青空が覗く空模様は、いつ天気が変わるか油断できないもんね。オバサンパーソナリティーが列の向こうに去ったのを見てひと安心。
今日の観客がどれくらい来るか判らないが、とりあえずyama42氏が「太鼓を打ち終わったらとっとと抜けてくる」のと、Lさんから「空港到着、移動中」の連絡が入ったので、東京方面から来ている知り合いはたいてい揃ったかな? 十五夜会(朝崎郁恵さんが指導する「八月踊り」の会)も、どっかそのへんにいるんだろう。あいつらも酒飲みばっかりだから、ビールや焼酎の売店のあたりで待ってれば出てくるに違いない。とか考えていたら、イイジマケン氏が現れた。その後ろには福永幸平(以下、こーへーと略す)がいる。名瀬での「沙羅双樹」上映に合わせてやって来た、というのは名目で、じつはこの夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!目当てというのがホンネのようだ。もちろん「沙羅双樹」の宣伝も抜かりなく、受付にチラシを届けて、「さっきラジオのインタビューを受けた」んだと。
ところで、このイイジマ氏という男はカメラマンで、今年の四〜五月に奄美を旅して撮った写真でもって原宿のトラベルカフェ・ブリス(旅行代理店とカフェ・バーが合体した、不思議な店)で個展を開いた男である。ちなみに、この個展に併せて開かれた奄美フェアというやつでM師匠がライブをやって、オレも含めた生徒が駆り出されて唄わされた。もっとも、オレは仕切りの陰に隠れて手拍子を打っていただけだが。イイジマ氏とこーへーはこの奄美フェア以来、たいてい一緒に行動しているみたいで、ブリスが催行している「福永幸平と行く奄美ツアー」にも、イイジマ氏が添乗員兼カメラマンとして同行することもあるらしい。んなもんだから、イイジマ氏のことをNさんに紹介するときに、「こーへーのマネージャー兼カメラマン兼雑用係兼…あとは?」と言ったら「今は、こーへーんちの居候」と言って笑ってた(補足情報)。
開演時間が午後六時ということもあって、「五時にはゲートを開けるんじゃないの?」と言って並んでいたのだが、なかなかそれらしい様子が見えてこない。客の出足も鈍いようだ。まぁ、これはオレも東京でやってる島唄ライブなんかでお馴染みの光景だ。オレを含めた他地方出身の観客は、わりと律儀に時間どおり来て並んで待ったりするのだが、奄美出身の人はたいてい「島時間、島時間」と言って時間ぎりぎりにやってくる。「島唄を聴きに行く時まで東京のペースに合わされてたまるか」という気持ちなんだろう。「こっちは本家だからね」オレも時計を見て時間を確認するのはやめた。準備が出来りゃあはじめるだろうし、はじまらなかったら待ってりゃいいのだ。
まだもうちょっと待つだろう、と思っていたら列の前のほうが動き出す。チケットを渡すと本日分の半券がもぎられ、バッグを開いてカメラチェックをされ、首から下げるパスカードがわたされる(上の写真)。Nさんは、持ってきたカメラの預け入れ手続きをしている。カメラを預けてやってきた姿は、背中のディパックと手に持った怪しいデカいバッグでどっかの難民みたいだ。前の方に歩いていくと、まだがらーんとしている。けっこう早いほうだったのね、オレたち。ど真ん中の誰もいないところでNさん持参のシートを広げて(準備のいい人だなぁ、と感心するオレであった)いたら、会場内の係りがやって来て「もっとうしろで広げてください」と言う。あ、ソウですか、と移動したところで、Nさんが抱えてきたナイロンバッグを開けた。出てきたのは場違いなくらいデカいディレクターズチェアだ。呆れて何も言えないでいるオレに「予算千円で買いに行ったですがね、3千円もオーバーしたですよ」と幸せそうに語るNさん。
「いいから座ってみてください」と言われて「試しに、ちょっとだけ」と言い訳しながら座ってみたら、うッ!た、立てない!! めちゃめちゃ座り心地が良いンでやんの。見た瞬間に抱いた批判的な気持ちは綺麗に蒸発してしまった。
やがてイイジマ氏とこーへーも現れたので、一緒に見ようよ、と言ってシートに座らせる。混み合いはじめる前にビールとつまみ(やきとり)を用意し、またもディレクターズチェアにふんぞり返っていたら、Lさんが到着した。
「なんつーことをしてんですか(笑)」というLさんを無理矢理座らせると、「Ahッ!これはいいッ」と悶絶している。あのネ、えーぶい男優ですか、アナタは(笑)。
しかしまぁ、なんつー雑多な客席だろう。幼児はいる、子供は音響・照明ブースの床下に潜りこんでいる、中学生や高校生は肩で風切り、若者は飲み慣れない酒をあおり、おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、分類不可能な奴、妙にデカいやつがいると思ったら外国人もいる、いや、あれは高橋 全氏か。とにかくみんな、幸せそうである。ドンくさいオレにも、じょじょにその幸せ気分がうつって来た。血沸き肉踊る、って気分だ。
そうだ、これはお祭りだ。今日の主役は、中村組でもネリヤ★カナヤでも惠アンナでもない。ここに集まった「島んちゅ」なのだ。
今日、出演する中で「有名人」は朝崎郁恵だけである。もちろん、島の人なら他の出演者も全員知っている。しかし、彼らにとっては同じ町内だったり、同級生だったり、先輩だったり、子供の頃に魚釣りを教えた相手だったりするのだ。復帰五十周年記念と銘打たれ、「民間主導の有料イベントとしては奄美大島史上最大」とされるこの「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!」の前夜祭は、お祭りの余興のノド自慢大会なのだ。もちろん、世界一レベルの高いノド自慢大会なのだが(補足情報)。
さて、結論が出たところでもう終わりにしたい(笑)のだが、そうはいかないだろう。
なお、出演者側からの報告は、napi-music(雑記帳)、バナナマフィン(イベント報告)の各ページをお読みいただきたい。また、サーモン&ガーリック(以下、サモガリと略す)のページでは、直前の準備段階からの報告(「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!」をサモガリ的にふりかえる)が読める。いずれも、いまお読みいただいているこのページなんかより、ずっと読みやすくて面白いページである。
突然、PAから「でぃ、でぃ、でぃでぃでぃ、なーまいきょん、でぃっ!」とリズミカルな掛け声(?)が聞こえてくる。掛け声はそのまま島唄「すばやど(勝手口の意)節」に続く。お、サモガリだ。と思ったらサーモンがメインステージに向かって左側に設営された「青年団ステージ」に妙に勢いよく出てくる。あれ、ひとりなの? と戸惑うこちらにはハナもひっかけず、例によって(オレのような部外者にすら)お馴染みとなった「石原踏み来ちいもしゃんちゅや真実どー、真実どー」と「うるさいっちょ!」を連発しつつ、「あっちのおおきなメインステージ」に登場のネリヤ★カナヤを紹介する。
そのネリヤ★カナヤ、今日はベースにヤマケンを招いてのトリオである。
まずは「みなさんご一緒に」と例のコール・アンド・レスポンスで「夜ネヤ!」イエー!「島ンチュ!」イエー!「リスペクチュ!」イエー!。おお、観客もハナからヴォルテージ高いやんけ。これじゃあ遅れず付いて行くことは難しいぞ。そんなワケで、予定通り(?)あっという間にウォームアップを終えたネリヤ★カナヤは、「Yu-La-Oh!」でスタート。大雑把に言って「一緒にいよう」という意味のこの曲は、このイベントの幕を開けるにふさわしいということで主宰者側から特にリクエストがあった、かどうか知らんがオレはイイと思うぞ。武田まゆみの極端に主張はしないが饒舌なパーカッションが、ヤマケンの細かいフレーズを刻むベースと絡んで実に気持ちがイイ。ところが一曲だけやってネリヤ★カナヤはおしまい。あれれ? たしかに、あとでまた出番があるらしいが…。
そして今度は青年団ステージに、喜界町青年団、知名町青年団、和泊(わどまり)町青年団が登場し、この日の為に練りに練った(?)パフォーマンス。
ところで、この青年団ステージだが、サーモンが愛情を込めて(!)「手を掛ければ掛けるほどセコくなる」、「後ろの絵、三時間半も掛けて描いたのに出来映えはナサケない」と罵倒していたが、実に味がある。もしオレが出演者のひとりだったら「あっちに出たい」と駄々をこねていたはずだ。「一曲でイイからあっちに出させろ」「サーモンばっかり出てずるい」とかなんとか。
各青年団、それぞれのパフォーマンスについては、申し訳ないが割愛させてくれ。スマンスマン、と誰に謝っているんだか…。
青年団の演目が終わると、メインステージには牧丘奈美と永(ながい)志保のふたり。永(ながい)志保は、瀬戸内町で先生をやってるとかNさんに聞いた事があったので、そっちの人かと思っていたのだが、喜界島の安田民謡教室に通っていたんだと。牧丘奈美は、2002年の奄美民謡大賞受賞者で、こちらも安田民謡教室出身。つまりは同門対決だ、ってプロレスじゃねーんだからさ。この子らくらいになるとステージ経験はオレなんかとは比べ物にならないくらいあるわけで、推定1,500人の観客にもまったく動じることなく、とは行かないだろうなぁ。時刻は七時かそこらだからまだ明るくて、スポットが当たっているとはいえ、前の方の観客なんか顔が見えちゃったりするんだろうからなぁ。しかし、直前に同じ喜界島の、喜界町青年団が気合の入ったパフォーマンスを繰り広げていたから、あれが励みになっていたのだろう、客席から見た限りではリラックスしたステージングであった。
続いては、前田博美 from 沖永良部島 with 前田綾子(博美ちゃんのおばあちゃんで、沖永良部で最高の唄者だそうな)。これがヨカッタぞ。実はこのふたり、2週間前に東京でもライブをやっていたのだが、例によって平日で、オレは見に行けなったのだ。こっちでは主客転倒というか、おばあちゃんが囃子で孫が唄うという形であったが、じつにきれいな声で、ロリコンの噂が後を絶たない(?)■橋 ▲氏が絶賛したのも頷ける話である。しかし、観客の反応は悪いなあ。聴けよ、おい。いい唄じゃねぇか、とディレクターズ・チェアにふんぞり返って(心の中で)文句をタレるオレであった。
大爆笑となった笠利町青年団を挟んで(順番、間違えてるかも知れん)登場したのは、中村組。中村瑞希ちゃん(love!)(vo.,三味線:組長)、吉原まりかちゃん(lovely!)(key,vo.:マドンナ)、中孝介(vo.,三味線:ボケ担当?)、山田梨香(per,cho:役職不明)、山田信也(per,cho:役職不明)の5人組だ。ところでオレは、ちょっと前まで中孝介は中村組の正式メンバー(って…)じゃないと思っていたのだが、結成当初からメンバーとして当人も他の四人も考えていたらしい。ふ〜ん。こういう認識って、どこからズレるんだろう?
napi-Musicの「雑記帳」で高橋 全さんも書いているのだが、中村組の魅力と言うのは独特のヘタウマ感覚にあるとオレは思っている。三味線持って唄わせれば全国レベルの実力を持つ中村瑞希と中孝介、技術的にはちょっと差があるが将来性はかなり高い吉原lovelyまりか、知る人ぞ知る実力者の山田姉弟(そう、姉と弟なのだ)という組み合わせでありながら、ちょっと聴くと学芸会かと思うようなパフォーマンスを繰り広げる、というなんだかよく判らない連中なのだ。
この日も、「プロがちょっと遊んでます」風のコーラス、「一所懸命メロディーだけ弾きました」風のキーボード、「笠利唄は苦手っちば」風の三味線、「手数は少ないが絶対にツボは外さない」パーカッションという組み合わせがひじょうに心地良い。あと5年くらいはこんな感じでやってもらいたいもんである。進化するんなら、山ごもりかナニかして「ある日突然」て感じで進化してほしいね。
サーモンがMCしている隙にオレはじりじりと前方に移動する。ふと振り返るとNさんも前進中である。さっきまでシートに座って「おいは動かんど」と全身で言っていたのが嘘みたいな態度である。なんてヤツだろう。他人の振りをしようっと。
ステージ前の鉄柵まであと4mというところで前進を諦める。ナニゴトもほどほどが肝心である。んで、そこから青年団ステージを振り返ってサーモンのMCを楽しむ。テンション高いな〜。
しかし、ナゼか視界にNさんの顔が入る。つーことは、この人、セットチェンジしているステージを食い入るように見つめ続けているワケなのだ。スゴイ集中力。オレは半ば呆れつつサーモンの出番が終わるのを待った。早よ終われ、オレはアンナちゃんが見たいんじゃ(…い、いかん、ついホンネが…)。
というワケで、この日のオレのメイン・イベントがやってきた。惠アンナちゃんの出番なのである。サーモンが引っ込み、メインステージの照明が変わる。オレはあと30cmだけ前進することにした。
得体の知れないカラオケが流れる。ステージの照明が青をベースにしたものに変わる。紫のイヴニングドレスを纏い、歌姫はしずしずとあらわれた。その華奢な手にはあまりに無骨なマイクを口元に運び、彼女が歌いだしたのは…。
ストリングス系のシンセの打ち込みであろう(オレ、楽器には疎くてね)カラオケに乗せて、不思議な歌声が聴こえてくる。…島唄だ…。それは判る。しかし、ナニを唄っているのか、何て唄っているのか、オレにはまったく判らない。しかし、それで良いのだ。
オレは日頃、奄美の島唄を聴くとき、唄われている意味が判らないことがもどかしく思うことが多々あった。だが、このときのアンナちゃんの唄声は、もうそれだけでオレを陶酔させてくれる。言葉が判らないから、そのまま唄が音としてオレの感覚を麻痺させる。島唄の、意味が判らなくてこれほど幸せだったことはない。この惠アンナを聴けただけで、オレはここまで来た甲斐があった!
一曲目を唄い終わるとアンナちゃんは優雅にお辞儀をして故郷の観客に告げた。「来年、メジャーデビューが決まりました」。どよめき、歓声、拍手、アンナコール、どさくさ紛れにお母さんの名前やおじいちゃんの名前をコールしてるヤツもいる。なるほどねぇ、みんなこの発表を待っていたんだねぇ。このオレですら、一年半前から?(はてな)マーク付きの情報に一喜一憂してたんだもんねぇ。後ろのNさんなんか感激のあまり泣き出してんの(嘘です。せっかくアンナちゃんが目の前にいるのに、振り向いてオッサンの顔を眺めるほどオレは酔狂じゃありません)。
家族と応援してくれる島の友達への感謝の言葉を述べた(またしても巻き起こる「純雄!(おじいちゃんの名前)」コール)アンナちゃんは、デビュー用にいくつか準備している曲から二曲を歌う。
その一曲目は、…ボツやな、これは。なんかさぁ…、もうホント…、いいやもう…。二曲目は、詞がそこそこのデキだったからアレンジを徹底して修正するとか、大工事を施せばなんとかなるんじゃないかな? とにかく、アンナちゃんの声には勿体ない曲だよ。それとカラオケはやめろ!どこの芸能事務所か知らんが、お前らがこれから一緒に仕事をしようってのは、日本の宝なんだぞ。そんな不満をアタマの中で並べながら、それでもしつこくアンナちゃんから視線を外さないでいると、イヴニングドレスのストラップが片方外れて、うわ、うわうわ、どーしよーオレ、なんつー場面もあったりして忙しいったらありゃしない。
オリジナル二曲の後は、もういちど島唄を唄ってくれてオレはふたたび満ち足りた想いに浸ることが出来た。惠アンナの今期のリーグ戦の成績は、2勝1分1敗で勝ち点7の得失点差プラス12。一曲目の大勝が大きかったですね、金田さん。
青年団ステージにサーモンが登場し、浦上青年団の演目がはじまって、観客が移動するのに合わせて元の位置に戻る。あとで失敗したなぁとか思ったけどね。まぁ、とにかくライブはクライマックスを迎えようとしている。パンフレットはバッグの中に捻じ込んであるが、残る出演者はもう片手どころか鼻の穴に指を突っ込むことでも数えられる(汚いなぁ)。そういうワケで、まずはネリヤ★カナヤの登場である。
オープニングと同様、ヤマケンを加えての3人編成のネリヤ★カナヤは、またも「みなさんご一緒に」で「夜ネヤ!」イエー!「島ンチュ!」イエー!「リスペクチュ!」イエー!。もちろんお約束の「ネリヤ!」イエー!「カナヤ!」イエー!もついてのお買い得セットで景気良く盛り上げていく。しかしヤマケンのベース、すごいなぁ。ネリヤ★カナヤってのは、メロディーはとてもいいんだけど、ノリがね、もうひとつ腰が動かないというかグルーヴの部分に欠けるんだよなぁ、なんて思っていたのだが(<ノリとかグルーヴってのは趣味の世界の話ですから、そこんとこヨロシク)、ヤマケンのベースが入ったら一変した。ボクでもノれるっ、て感じだ。もしかして、パーカッションのmayumiも「いつもより多く叩いてます」とか言うんだろうか?
とかいい機嫌で聴いていたら、こんども案外あっさりとネリヤ★カナヤはおしまい。
入れ替わりにご登場は、御大朝崎郁恵大明神。手下の、じゃなかったパートナー(これも違和感あるなぁ)の高橋 全が露払いというか、先に出てきて弾きはじめた「おぼくり〜ええうみ」のイントロとともに、悠然とあらわれる。途端に凄い歓声! …あれー、この人、こんなに人気があったのぉ? と目が点状態のオレである。やっぱ、こっちの若い人たちにとっては「島を有名にしてくれたおばあちゃん」てことで親しみを感じるんだろうなぁ。去年、渋谷でやった「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!! in 渋谷」で「なんか変なのがでてきたからおしゃべりタ〜イム」とかやってた連中と同年輩っぽいのが真剣に聴いてるもんな。
唄う方も(見た目には全然わからんけど)気合が入っているのか、けっこうイイ感じに聴こえる。朝崎郁恵の場合、時々神がかりみたいな凄いヴァイブレーションが来る時があるんだが、今夜はそれほどではない。いや、別に不満があるわけじゃありませんが。そうそうしょっちゅう神がかりになられちゃ、聴いてるこっちの身が持たないのコトよ。
CD「海美」(製造中止だそうです)から「よいすら節」もやったのかな(記憶力減退中)? 音が切れたところでやおら高橋 全がマイクに向かって喋りだす。おー、驚いた。オレが見た数少ない朝崎郁恵&高橋 全ライブ(インストアを含めてまだ3回なのよ、悲しいね)では「ボクの仕事はピアノを弾くことですから」って感じであんまり喋らない人なのに。ナニを喋ったかは憶えちゃいないが(当人も忘れたらしい、あはは)、とにかくネリヤ★カナヤと中孝介を呼び込んだ。中村瑞希ちゃん(love!)もこのタイミングで入ったのかな? よく憶えとらん(いかんのぉ)。
人数が増えたところで「豊年節」。おー、やっぱヤマケンのベース凄い。めっちゃグルーヴィー。本来オレは、どうも手数の多いベースは好きではないのだが、こういう骨太な音楽に絡むと、こーゆーベースは良いんですねぇ。納得、お買い得。
「豊年節」に続いては「稲摺り節」。リズムが強烈。いいなぁ。事前に、高橋 全のHPで「バナナマフィンに参加を要請」という情報があったので、「出るぞ出るぞバナナマフィン!」と思ってステージ下手(「しもて」って読んでね。楽屋がこっちにあるのか、出演者の出入りはほとんどこちらだった)ばっかり見ていたが、いつまで経っても出て来ない。ドタキャンかぁ? と思ってたら「六調」がはじまる。
さすがは本場。パンクのライブでのモッシュもかくや、って感じなんだけど、後ろから見てるときれいに手があがってる。オレなんか、たまにやる気を出して六調の真似っこをしようとすると、翌日は四十肩で苦しむのは目に見えてるから「手を上げるのは目の高さまで」って決めてるんだけどなぁ…。
朝崎郁恵が唄って、瑞希ちゃん(love!)と孝介も一節ずつ唄って、間奏になったところでついに、バナナマフィンが登場! 我が物顔で一番前を行ったり来たりしながら、もう煽る煽る。ALA 島ンチュ・リスペクチュ(Respect To You)!ALA 大和ンチュ・リスペクチュ! とやられてはこっちも黙ってるわけにはいかない。もちろんこの「大和ンチュ」というのは高橋 全に向けられた言葉であるのは議論の余地はないのだが、なんとなく「ホントにここに居てもいいのかなぁ?」という気持ちがちびっとあったオレにはとても救われるというか、じつに嬉しいフレーズであった。
いつの間にか、ステージにはこの夜の出演者全員が出て踊っている。いいなぁ、綺麗だなぁ。
だーんと終わったと思ったら、高橋 全がマイクをつかんで「今日の出演者の中で大和ンチュはボクひとりなんですよ!」オレ、この人がこんなに上気しているの、はじめて見たな。怒りに震えているのは前に見たことがあるけど…(ゆうめいなあの事件だよ、諸君)。ドイツ留学時代はハンブルガーSVの熱烈サポーターだったというし、根はアツい人なんだな、と再認識。ところでその高橋 全、マイクを掴んだのはいいが、ちょっと困った問題が起きた。
この夜のステージ上は、いつ降り出すかも知れない雨に備えてビニール張りのテントが各ポイント毎に設置されていたのだが、高橋 全のキーボードとコンピュータを守るために用意されたテントの横材が、ちょうど彼の目に位置にあったのだ。世間一般の身長の人間だったらナンの問題もなかっただろうが、ハシケン、布袋寅泰と並べて「誰がいちばんかな?」とやりたくなるような彼にとってはJIS規格ってのはメーワク以外のナニモノでもないんだろうな。あ、また脱線だ。
ええい面倒、とばかりにマイクを持って前に出てきた高橋 全は、ステージに居た出演者の紹介をはじめる。あんなテンション上がりきった状態で、そりゃ無理だろうとはらはらしてたら、案の定、「里アンナ」って紹介してる。ひとりかふたり、名前を呼び忘れたし。
あのね、オレの乏しい経験から言わせてもらうと、演劇のカーテンコールで演出家が「稽古場で二ヶ月、劇場で二週間、いっしょに泣き笑いした仲間」を紹介するときに名前を間違えるなんて当たり前すぎて笑い話にもならないんだから、あんまり考えない方がいいと思うよ。バナナマフィンは、翌日、もっとデカい間違いをしでかしたし。
午後十時過ぎ、この夜のライブは終わった。しかし、夜はまだまだ終わらない…。
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