山田フデを筆頭とする笠利町喜瀬の唄者一族の中で育ち、当時の名瀬市の八千代館等で唄う山田フデ、南政五郎、上村藤江に幼少の頃より師事し、6歳のとき名瀬市の大正寺で初舞台を踏む。
大学を中退するまでに島唄を唄い、サンシンを弾き、またバンドを組んでポップスも歌ったりしていた。当時は島唄のコンクール等はなかったが、名前は先行して知られていた。
1972年(昭和47年)、セントラル楽器が主催する「中堅唄者実況録音」に当時最年少の若干26歳で参加し、レコーディングを行った。その後奄美を離れたために奄美民謡大会から姿を消してしまったが、彼の島唄は、よくこぶしが回り、なぐるさ
(懐かしさ・高ぶり)を特徴とする。
また優れたサンシンの技法を持つことから、奄美や内地で「まぼろしの唄者」と賞賛するファンが多い。笠利唄、東方唄(注)双方をこなし、奄美の文化芸能等の知識も深く、島内外の唄者の中で、今なお指導的な存在となっている。
数多くの場所での大小のライブをこなし、舞台での語りでも聴衆を楽しませる。
現在は森田三味線教室を都内数ヶ所で開催し、後進の育成に努めている。
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