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2012/05/03(Thu)
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政治が汚いとかマスコミが汚いとか、 そういうのを云う人も必要だけどでもそれって基本どうでもいい事実でしかない。 事実を叫んでもそれで目覚める夢見の程度はしれているし、 僕ら(一部)がやるべきは目とかがさめちゃっている人を真正面からダマしきることじゃないかにゃー。
替えの効かない人間などいない。いたら寿命の意味無いし。 だから、自分のことを要らないとは思わぬことだ。当たり前だから。 そもそも“絶対”のつく要る人間などいない。 必要なんて、どこかの瞬間で発生する儚い現象なのだ。 よって適宜に、オンデマンド、己の必要に応じて誰かをラブるしかないのだ。
かつて、企画書に『綾波みたいなの』とか『特性:委員長キャラ』とか書くのは恥ずべきことだった。 ググレと云うにも先生がいらっしゃらない時代、 物作りは相手が何も識らないことを前提にするのが良識、というのが暗黙の了解だったのだ。
現在も基本は同じだが、 あえてそれを外し内輪ウケ・オタウケすることを選ぶ手法も多くなった。 なにせ説明が少なくて済む。 ああこれ? ヤンデレツインテ委員長ヒロイン。識らない? ググレカス。早い。 それに至る背景を相当量メタに仮託できる。
むしろ属性からの逆算でキャラをつくるようなモノが増えた。 特にアニメなどは何クールもかけるリスクが負えない時代になった。 序盤がゆっくりした物語はそれだけで不利を覚悟せねばならない。 無言の内にスピードが要求される。
だがいわゆる一般人がオタクをみて気持ち悪く思うのは、 この説明をすっとばした部分が理解できなくてムカつくからだ。 電車やバスの中で、 他人の会話は聞き流せても通話行為が気に障るのは、 倫理というより片方の話が聞こえず会話の流れが見えないことに多くが起因する。
相手は娯しんでいるのに、自分はわからない。蚊帳の外におかれた気分だ。 まったく気にくわない。 そんなときある種の人間は逆ギレアタックという手段に出る。 相手を卑下。 自分の優位性を誇示することで虚栄心も確かな満足。
この内輪ウケというのはどの業界にもあって要はバランスなので、 努めて浸透に励んである種の“教育”を施すしかない。 たとえばAAなんて前世紀まで一般人は(気味悪がって)使わなかったが、 いまやそこらのおじちゃんおばちゃんも使う立派な日本語だ(=゜ω゜)。
なんとなくついったにはあげそびれたツイート群。
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