歯ブラシを忘れて、おまけに体力的に限界に達していて歯を磨かずに寝てしまったもんだから、宿の一階にあるコンビニに歯ブラシと朝食を買いに行く。目の焦点が合わない。いや、それより何より頭がまだ朦朧としている。なもんだから、短パン姿で出て行き、その短パンの紐がちゃんと結べなくてずるずると落ちそうになるのを引っ張り上げながらあくびをしながら女子高生であろう、レジのバイトの子にお金を払う。部屋に戻って歯を磨いていると、Nさんからメールが来た。
文面は簡単。「新原恭子さんに会ってしまった」だと。
ふ〜ん、同じホテルなのね、と思いつつ「おはようくらいは言ったんでしょうね」と返すと、
「えへへ・・・」と返って来る。困ったおじさんだ。
会場の近くに住むyama42さんから携帯に電話が入り、「迎えに行くよ」と言うので、少しは罪悪感を感じるものの、ありがたく好意をお受けすることにした。
Lさんに連絡すると、「もうじきチェックアウトの時間なので、海風荘に行きますから二人でNさんがいるホテルに向かいましょう」という事になる。
外は好天。yama42さんは、「また宿まで取りに行くのは手間だから、最初から三味線を持ってくるように」と言っている。ふむ。合理的な考え方である。たいした荷物じゃなし、担いで行きますか。
それでも目が覚めないオレがぐずぐずしているとLさんから「下まで来ました」と電話が入る。散歩半分で歩いていたら着いてしまったらしい。たしかに一本道で、歩いて10分程度の距離だ。これでようやく目が覚めたオレは慌てて身支度をして出て行き、ふたりでNさんが泊まるホテルニュー奄美へとタクシーで向かう。
タクシーの中でまたもNさんからメールが入る。
「ネリヤ★カナヤに会ってしまった」だと。ふん、珍しくもない。と、関東地方在住のオレとLさんは冷たい反応。そういえば、とLさんが言い出した。
「奄美パーク園長の、宮崎緑さんが同じホテルに泊まってましたよ。ホテルのレストランで、朝食が一緒でした。奄美に住んでるんじゃないんですね」うんうん、こっちの方がネタとしておもしろい。Nさんの負け。「園長公舎とかないのかね?」と話していると、Nさんが泊まるホテルに着いた。
身支度をしたNさんが出てきて全員集合となったのは11時ちょい過ぎ。いっぽうyama42さんは、「これから出るから、名瀬に着くのは12時ころ」と言うので、待ってる間に昼飯を食おう、と決まる。さて、何処でナニを食ったらいいのか? こっちは知らない街ということもあって、誰かに相談しなきゃならない。誰がいいかな〜、と携帯のメモリを眺めて地元出身者のひとりに白羽の矢を立てる。
「今からメシ食いに行くんだけどさー、どこがお勧め?」
「こんな時間じゃどこも開いてないよ。ああ、そうだ、新穂花に行きな、アタシの親戚だから」…という、この人は誰でしょう? 判り易過ぎるか。
三人でへらへら歩いて行くと、定食屋も郷土料理屋もぜんぶ営業中だ。こんな時間、とか言ってるのは、やはり夜型生活のミュージシャンだからか。社会常識ってやつを身に付けんといかんぞ、おい。とか言ってるうちにまたもやイイジマケン(なんとなく呼び易いので敬称略。以下同)を商店街の中で発見する。メシ食いに行くところなんだ、と言うと、ナニか用がありそうな顔をしながら一緒に歩きだす。
新穂花に着き、メニューを見ると、「鶏飯丼¥800也」と「鶏飯定食¥1000也」がある(値段は、間違ってるかもしれんので、その点よろしく)。オレとNさんが鶏飯定食、イイジマが鶏飯丼。出てくるのを見ると、鶏飯丼は最初から具と出汁がかかってこんな感じ。鶏飯定食は、別皿に具が載せられ、出汁も専用の鍋がテーブルにセットされたガスコンロにかけられてこんな感じ。根っからの貧乏性のオレは、皿の具をちびちびとご飯に載せていたら最後に具ばっかり余って、ご飯と具が2:1くらいの割合になっちまった。
ここで驚かされたのが、まず黒糖焼酎の種類の豊富さ。オレなんか飲酒原人だから、黒糖焼酎は「GK 里の曙」、「LD れんと」、「RD 高倉」、「LW まんこい」、「RW 朝日」、「CF 瀬戸の灘」くらいで一生楽しく過ごせるのだが、新穂花の店内には、これでもか、と様々な黒糖焼酎が並べられている。ちなみに酒の名前に付けた記号って、アイスホッケーのポジションな。
さらにびっくらこいたのが、イイジマケンの黒糖焼酎博士ぶり。「これはナントカ酒造の酒で…」、「これには三年モノがあって…」。いやはや、オレが知ってるのは、「元ちとせの父ちゃんは、里の曙を愛飲しているらしい」つー程度のセコいネタだけだ。
島に来たんだから島時間、とのんびり食ってるオレたちをしり目に、イイジマはさっさと鶏飯丼をたいらげると、「今日は、沙羅双樹の初上映なんで、シネマパニックでこーへーの舞台挨拶があるんですよ」と駆け去って去っていく。エライなぁ、オレだったら意識的に勘定を払い忘れるのに…。
ちょうど食い終わったところでyama42さんが現れたので、四人で奄美パークに向かう。「遅くなっちゃった、今日は大勢来て混み合うだろうな」と心配するyama42さんだったが、なに大丈夫だって、昨日だって開場直後はがらがらだったんだから。
この辺はね、沖縄戦の時に艦砲射撃を受けたんだよ、「奄美」を開発しようとしたリゾート産業は、ほぼ例外なく没落してるんだ、例の訴訟はね…、yama42さんのちょっと硬派な観光ガイドは実におもしろく、30分ほどの時間がそれこそあっという間だった。
で、奄美パークの特設駐車場(昔は飛行場だったそうだ)に着くと、とおーく端っこの方にちょぼちょぼっと車が停められている。前売り券4,000枚強を売り切ったというイベントの開場一時間前、しかも全席自由の早い者勝ちというのに、これは…。う〜む、おそるべし島時間。
さて、ここまで持ってきた三味線を会場内まで持って行こうかどうしようか? 空は薄曇り、降っても晴れても不思議のない天候だ。晴れたら暑いぞ、絶対に。閉め切った車の中に三味線を置いていって、それで晴れたらトンデモナイことになる。そりゃたしかにオレの三味線は安物だけどさ、オレの金銭感覚からすれば「いつどうなっても惜しくない」なんて口が裂けても言えないもんね。てワケで、三味線は会場内に持って入ることにする。この決断が、あとで悩みのタネになろうとは、予想もしないオレではあったのだったのだ。
入場ゲート前に並んでいたのは100人ほどだろうか、今日はマスコミも居ず、周囲は小学生や中学生の子供を連れたファミリーばかり。昨日に輪をかけた牧歌的風情で開場を待つ。と、一天俄かにかき曇り、突如降り出す大粒の雨! オレは慌てて三味線の避難場所を探し、セキュリティのお兄ちゃん(もちろん青年団の人だ)に頼んで会場内の雨が当たらないところに置かせてもらう。やれやれ…。
Nさんが持参のシートを取り出し、yama42さんを除く三人でその下に入って雨を避ける。yama42さんは、「これしきの雨に騒ぐとは、やはり大和ンチュウだな」と微笑むのみ。
わずかに雨脚が弱まってきたのとシートを持ち上げる腕が疲れてきたので(お箸より重い物は持ち慣れておらんのじゃ)、シートの外に出ることにする。前夜、風呂に入っていないのでシャワー代わりにしようという魂胆があったことは認めないからな、オレは。
それでも雨はしつこく降り続くので、「中に入ったら屋根はない。三味線が濡れてしまう…」と危機感をつのらせたオレは、奄美パーク内の手荷物預かりに預けてくることにした。受付に名前を告げて三味線を預けて閉館時間を教えてもらい、列に戻ってしばらくすると開場となった。その頃には、雨も小降りになっていたのかな?
昨日陣取った位置のちょいうしろあたりにNさんのディレクターズ・チェアを置き、「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!(今夜は島の人を尊敬しよう)」、「今日は敬老の日(yama42さんは、この四人組では最年長)」などと言ってyama42さんを座らせ、Nさん、Lさん、オレはyama42さんから借りた小さなパイプ椅子に座る。
しかし今日は観客の出足がいいな〜。あっという間に昨日と同じくらいの混み具合(推定1,500人)になる。こちらも急がなくては、というワケで、各自それぞれの判断でビール、焼き鳥、焼きそば、焼酎などを買ってきて「さぁ、どっからでもかかって来なさい!」と臨戦体制の出来上がりだ。
とはいえ、そんな中でもアタマを抱えさせてくれる人というのは常に居るもので、Tシャツ短パン姿の高橋全がビデオカメラを片手にうろうろしている。あのね、昨日で出番が終わったかもしんないけどね、アナタはゆうめえじんなんだからそんな風に一般人みたいな態度で歩き回らないでちょうだい、お願いだから。と思ったらネリヤ★カナヤも親戚らしき一団とともに客席にいる。アットホームな雰囲気でいいね〜、と素直に感心すべきなんだろうか、オレ…。
前夜と同じようにPAから「でぃ、でぃ、でぃでぃでぃ、なまきょん、でぃっ!」とリズミカルな掛け声(?)が聞こえて来て、サーモン&ガーリック(以下、サモガリと略す)のサーモンが「大きなメインステージ」ではないほうのメインステージ(正式名称は「青年団ステージ」)に出てきて、お馴染みの口上を述べると、「大きなメインステージ」には中(あたり)孝介、中村瑞希ちゃん(love!)、吉原まりかちゃん(lovely!)、山下聖子、山田葉月、貴島康男(この順番で並んだと思うけど)が登場し、朝花節を唄う。夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!、二日目のスタートだ。
若手唄者五人による朝花節は、中孝介から並んだ順に一節ずつ唄っておしまい。中孝介、中村瑞希ちゃん(love!)は、昨日の中村組、朝崎郁恵ユニット(暫定仮称。以下、朝崎ユニットと略す)に続いて三回目の登場である。吉原まりかちゃん(lovely!)は朝崎ユニットに出ていないので二回目だ。
さて、こういうマラソンイベントでは、トイレタイム、買い物タイムをどこに持ってくるか、というのが見る側にとっての重要課題である。青年団のステージは、どんなモノが出てくるのかまったく見当がつかないし時間も読めないので、これを外すと案外、後悔するかもしれない。その一方、普通の出演者は、昨年、渋谷クアトロにて開催された「奄美大島PRESENTS 夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ! in 渋谷」で体験済みだから、オレなりに選択が可能だ。
つーわけで、入場の際に渡されたプログラムを一読して、青年団ステージの「名瀬市連合青年団」に続いてメインステージに出演する「柳屋クインテット〜VOX-W」を、トイレタイムならびにお買い物タイムに当てることにした。いや、別に恨みがあるわけでもナンでもない。たんに彼らの後がハシケンで、これは外すわけにはいかんだろう、という程度のランク付けに過ぎない。
とか言い訳をしつつ、名瀬市青年団のステージを見終えたオレは、今日も相棒のガーリック抜きで司会を務めるサーモンが「柳屋クインテット」を呼び出しているのを横目に仮設トイレに向かうが、見事に行列ができている。仕方がない、奄美パークの本館に行こう、あっちのほうがまだしも行列は少ないだろう。と、イベント会場を出ようとしたところで「柳屋クインテット」のパフォーマンスがはじまった。
あれれ〜? いいやんけ〜。会場の外に出てしまい、もはやステージを見られなくなっていたオレだが、足を止め、しばらく聴き入る。曲間には「しょーもなぁ… m(_ _;)o」としか言いようのないギャグをかましているのだが、うたいだすとこれがスゴイ。尿意は脊髄に達し、理性はトイレに急げと叫んでいるのだが、なかなか足を進められない。
「こんなバンド、やめてやる!」とかなんとか聴こえてきたのは、どうやらメンバーチェンジに関するギャグらしい。ふう、ようやくトイレにいけるぜ、と安心したら、次に聴こえてくる曲もいい感じだ(出だしで一度、躓いたみたいだが)。「加計呂麻慕情」というオレのあまり好きではない曲をはじめたんで、ようやくトイレに向かうことができたオレであった。
個人的な危機を脱し、丁寧に手を洗って出ようとすると、ツンツン頭の痩せた大男が飛び込んできた。ハシケンである。やはりデカい。トイレに駆け込むハシケンというモノを、オレはこれで三回も見たことになる。そのうち二回は東京、一回は奄美大島というのだから、これはこれで稀有な体験と言えるのではなかろうか。どうでもいいか。
しまった、と思ったのはトイレを出てからだ。さも、たった今来た振りをしてハシケンの隣に行けば、目下Nさんの悩みのタネである「高橋 全とハシケンは、どっちが背が高いのでしょうか?」という疑問に、オレなりの見解を与えることができたはずなのに…(補足情報)。
六時まではまだ間があったが、奄美パークの受付で名前を言って三味線を受け取り、ふたたびイベント会場の入り口へ。受付の手荷物預かりで預かってもらおうという魂胆だ。たぶん、受付のテントでカメラやなんかと一緒に保管してもらえるだろう。今のところ雨はやんでいるが、空模様は決して楽観を許さない雰囲気だ。
イベント会場の受付の女性に、「すみません、手荷物を預けたいんですけど」と言うと、「ここで預かるのはカメラなど、持ち込み禁止のものだけです」とつれない返事。「そこをナンとか。三味線なんです。雨に濡れると壊れるかもしれない」とお願いしまくり、「責任者の決済をもらう」と言うのを祈る思いで見送る。どこまで行くんだろうかと思っていると、すぐそばのプレハブ建物に行き、短髪黒縁メガネのややがっしりした人物に事情を説明している。待つほどもなく戻ってきて、「中で弾かれると他のお客さんの迷惑になるという名目で」預かってくれると言う。やれやれ助かった。
預かり札を受け取って、疲労の色を濃く滲ませて近くに立っている「責任者」に帽子を取って挨拶して、オレは客席に戻った。もちろん当初の予定通り、途中の売店で焼酎の水割りを買って行ったけどね。
友人たちのところへ戻ると、VOX-Wのステージはちょうど終わったところで、青年団ステージでは徳之島の青年団が熱演中だった。ちょうどネリヤ★カナヤが近くを通ったので、yama42さんを紹介する。
初対面の島っちゅ同士を大和んちゅであるオレが、それも奄美において紹介するのも奇妙な話だが、ナニ、インターネットなんてのはもともとそういうタメにあるようなモンだからして、あまり驚く必要もないだろう。
イイジマとこーへーが来たのはこのあたりだったかな? こーへーは、主催者に直接頼んで、青年団ステージで映画の宣伝をさせてもらうことになったらしい。たくさんの人に見てもらえるといいな。
徳之島の青年団のステージを見つつ、焼酎の水割りを飲みつつ、yama42さんが買ってきた「焼餃子」と「水餃子」を食べる。露店の餃子ね、珍しいアルね。ん? 美味い!
「これはね、中国滞在経験がある人が作ってるんだよ。本場の味だよ」とyama42さん。
どこでなんと言って営業しているか聞き漏らしたが、この餃子はイイ!美味い!! 奄美に何度も来て、鶏飯や豚足もいいけど、たまには違ったものが食べたいなぁと思っているそこのアナタ、お奨めですよん。
とか言ってるうちにハシケンの登場。いつの間にやらNさんは「ハシケン presents "WAIDO"」Tシャツに着替えてる。こっそり(笑)持ち込んでいたらしい。マメな人だなぁ。驚き呆れるオレを尻目にステージに向かって突進して行った。頑張れよぉ。
一曲目の「乳飲み干せ」を唄い終える頃、やはり雨が降り出した。ナニ、たいした事はない。空の一角は雲が切れて日差しが差しているではないか。
それよりびっくりしたのは、途中でフレッド・ブラッシーの孫娘みたいなのがステージに出てきて旗を振って激しく踊りはじめたこと。あとで調べたら、ハシケンの姉さんだそうだ。しかし、旗の意味は不明。
雨の方は案の定、「稲摺り節〜ワイド節」のメドレーの演奏中にすっかりあがった。ふと横を見ると、yama42さんが気持ち良さそうにうたた寝している。後で当人が言うには、「あまりにも気持ち良くて…」とのこと。純正島唄のライブでならオレも経験があるのだが、スカ・アレンジの「稲摺り節」でねぇ…。あ、そう言えば、古仁屋のゴンザレス改メ便蛇眠猿股氏は、里帰り中の元ちとせが彼らのバンドの練習場に現れ、同行していた藤井珠緒とともに「ワダツミの木」を歌いはじめたら、「あまりにも気持ち良くて」眠ってしまい、「起きろぉ!」とちとせに怒られたとか言っておったな。
それぞれがそれぞれに堪能したハシケンがステージを去り、そういえば、この人は去年の渋谷ではトリだったんだよな、と思い出し、ホーム&アウェイの原則に従ってきっちりやってるじゃないか、と感心するオレではあった。
青年団ステージの住用村青年団、大和村青年団のステージを楽しんだ後は、メインステージに出てきた我那覇美奈を尻目に再びトイレタイム。だって、この後は休憩を取れないもんね。
トイレに行く途中の喫煙コーナーにて、昨日ネリヤ★カナヤと朝崎ユニットのサポートとしてベースを弾いていたヤマケンを発見。さらにその3m向こうにスカ・フレイムスのvo. 伊勢さんを発見。どちらも友人と談笑中。くつろいでますな。
トイレから戻ると、今度は喫煙コーナーにyama42さんを発見。太鼓関係の知り合いと話をしているので、話が一段落したところで「ほらほら、あそこ」と、ヤマケンと伊勢をこっそり指差す。
我那覇美奈の演奏が終わり、メインステージ前に詰め掛けた人々が与論島青年団、宇検村青年団のステージを見るため、青年団ステージに移動する隙を狙って、オレはメインステージ前に移動することにした。回りに気づかれないよう慎重に、しかし大胆さを忘れてはいけない。わずかな隙間を見つけ、ナナメにした体を捻じ込むように滑り込ませる。50cm、また50cmと着実な前進を繰り返す。
無酸素単独エヴェレスト(中国名:珠穆朗瑪峰<チョモランマ>)登頂にも似た努力の結果、ようやく鉄柵まであと3mの地点に到達した。昨日よりもあきらかに多い観衆の中で、昨日よりも70cmも近い位置を勝ち取ったのである。まさに努力と忍耐の成果である。これを自画自賛せずに居られようかってなモンである。ここに至ってオレは、はじめて安心して青年団ステージを振り返ることができた。
与論島青年団は、台風の影響で奄美まで来られなかったメンバーが多数いるとかで、ちょっと寂しいパフォーマンス。メゲるなよぉ! 続く宇検村青年団の演目は、宇検村のお祭りで子供たちに大好評だったという「はぶレンジャー」だ。こういうのってネタにしやすいのかね? 町興し、村興しの波の中であっちこっちからいくつも出てきている。ウェブ上で発見した限りでは、同じ鹿児島県は種子島の離島戦隊【タネガシマン】、長崎県平戸島の平戸防衛戦隊【ひらどしマン】、沖縄県は南風原町の【かぼっちゃマン】がある。どこも気合が入ってるなぁ…。で、この「はぶレンジャー」だが、どうやらオレは心の汚れた大人らしく、ぜんぜんストーリーが理解できなかった…。まぁいいや、楽しそうにやってるから(笑)。
さて、はぶレンジャーで和んだ後は、オレにとっての本日のメイン・イベントRIKKIのステージである。もう、これを見にここまで来たと言ってもいいってくらいのモンで、もうほとんど「どっからでも来い!」状態である。
まず一曲目は、「蝶(ハヴィラ)」(アルバム「蜜」より)である。あぁ、ピンクの衣装だなぁ、と思ったら、6月に行われた東南アジア・ツアー(アジアンファンタジー・オーケストラの一員として参加)土産のアオザイだったらしい。そうなんだよなぁ、なんだかんだ言って「世界を相手に」10年間も唄って来てるんだもんなぁ。でも、そう考えると、この「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!」での彼女の位置って、ビミョーだよなぁ(補足情報)。
ポップソング(「ハヴィラ」は奄美の言葉で蝶の意味)に続いて、RIKKIは三味線を持っての「よいすら節」(アルバム「Miss You Amami」より)。ありゃりゃりゃりゃ、やるんですか、はぁぁ…。
案の定、里朋樹(13歳)の方がよっぽど上手いヨって感じで、もう、どうしようかと思っていたら、なぜか目がしらが熱くなってしまった。そうなんだよね、気持ちなんだよね。東京(正確に言えば、いろいろあるんだけど)のミュージシャンと一緒に仕事をしていても、島の心を忘れていませんよって。でも、もうちょっと練習しようね。
この「よいすら節」では、前の方に居たおばあちゃんが泣いちゃったそうで、RIKKIも「泣かないでね」と声を掛けていた。んで、島唄モードのまま、シマウタTRICKLESバージョンの「むちゃ加那」。ここでホントはバラしたい話があるんだけど、Pt.6のネタにするんで、もうちょっと待っててね。
さて、続けて「水の鎖」(アルバム「蜜」より)、「カナリア」(アルバム「加那鳥〜カナリア〜」より)、と来て、「素敵だね」で、ハシケン・バンドで出演していた太田惠資が登場。そのまま「しゅんかね」(アルバム「蜜」より)、「豊年」(アルバム「シマウタTRICKLES」より)まで一気に共演する。この「豊年」が良かったのだぞ、諸君。軽くステップを踏みつつ、片手でリズムを取りつつ唄う姿は、もう「奄美の唄姫」ではない。「女王様」の貫禄(いや、二の腕がどうとか言うことじゃなくてね)じゅうぶんの姿に、もうオレはアワ吹いて倒れそうになったのだ。
そして最後は、それはもう素敵な素敵な「ウティキサマ」(シングル「素敵だね」収録)。
いやぁ、片道1,500km、一泊二日の旅をした甲斐がありましたわ。さぁ、帰ろうっと。
で、元の位置に戻ってみると、密集状態の中からLさんとNさんが抜け出てくる。なんだよ、こいつら(失礼な言い方)も前に行ってたのかヨ。
ふと振り返ると、yama42さんがぽかんと口を開けている。「あんたら、居なくなったと思ったら、前に行ってたのか…!」。たしか、「まあね」とか返事をしたと思うのだが、あらためて、エヴェレスト(中国名:珠穆朗瑪峰<チョモランマ>)に挑んで最期を遂げたジョージ・マロリーの言葉をここに記そう。「来たり、見たり、勝てり」<あれ?違ったっけ?
元の位置に戻ったのには、実は理由があった。次の青年団ステージにはバナナマフィンが出演するのだ。RIKKIの「豊年」で客席もヴォルテージが上がってきたのか、もうオレたちものほほんと座っていられない。
背伸びして青年団ステージ方面を見ると、えっちらおっちらとバナナマフィンのDJ用機材が運び上げられている。…え、今頃やってんの? 目が点になる思い、とはコノコトカ。RIKKIのステージは9曲だったから、およそ四十分は演奏してた勘定になる。その間に準備しときゃいいじゃん、そうすりゃサーモンも悲鳴をあげなかっただろうに…。しかし、オレの目の前を、人々は楽しそうにメインステージ方向から青年団ステージにのんびりと移動している。のんびりした移動が落ち着いた頃、バナナマフィンのステージは準備が完了した。まさか、この事態を読んでいたのか? …だとしたら、このイベントの舞台監督、タダモノではない…。
時間的な経過はもう忘れちゃった(現在、11/14 am2:39。あはは、二ヶ月経ってるぜ)が、ここのMCあたりでサーモンの相棒、ガーリックが登場したはずだ。もうエンディングが見えてきたこの時点で、ようやく晴れてサーモン&ガーリックを名乗れるワケだ。どうやらガーリックは、本業(名瀬市役所勤務)の関係で、ちょうど時を同じくして行われていた「しおのと県体」に行っていたらしい。なあんだ。しかしたいへんなんだね、公務員てのも。
そして、大歓声(!)と物凄い数のハト(指笛)に迎えられてバナナマフィンが登場する。アナログ機材特有のノイズがさーっと流れてきたと思ったら、おなじみのナンバー(聴いた事がないのも一、二曲はあったかな?)の連発だ。青年団ステージの前は、もうほとんどモッシュ状態。RIKKIの「豊年」の時とは、また一味ちがったカオス状態だ。エンディングでバナナマフィンは、イベントを支える各青年団を「奄美ジャメー化計画」のリリックに載せて紹介する。ただし…、なぜか与論島青年団は忘れられていたが…。<蒸し返すなよ。
バナナマフィンの後(だっけ?忘れちゃった…)には龍郷町青年団。そして、メインステージに登場したのはスカフレイムス。オレはこのバンドのクールなノリが好きで…、あり? どうしたんだ、すげぇアツイぜ、今日のスカフレ!
これはオレの勝手な思い込みだが、スカフレイムスのような海千山千のバンドは、一年や二年でそのスタイルが変わるとは思えない。逆に、「今日は、ちょっとカマしてみようか」程度の軽い打ち合わせで聴く側の感じる「熱量」をコントロールできるのではないか。それはもちろん「小手先のワザ」ではなく、「ピークをどこに持ってくるか」を意図的に「微調整」しているという意味であるのだが。
まぁ、オレがスカフレのステージを見るのはこれが二度目で、一度目は昨年一月の渋谷での夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!! in 渋谷だったから、それなりに変化はあるのかもしれない。しかし、オレの五感には「十三回忌」を意識したナニカが感じられたのだ。
さて、この時点で時刻は午後八時に限りなく近づいている。ホントに九時半で終わるのか? まぁ、こっちは、いつまで続いてくれたって構わないんだが。
会場の前半分の人口密度は限りなく上昇していく。完全に座っていられなくなったオレたちは、yama42さんに促されてそれぞれ折りたたみ椅子を手に持ち、今度は青年団ステージのサモガリに対峙する。
青年団ステージに登場したサモガリは、新曲「でぃ!」をメインに、得意の「曲」というより「ネタ」を次々と披露する。とくに「でぃ!」の解説は、長々と曲名の由来を説明した挙句におそろしく簡単なオチで、これは元ちとせや朝崎郁恵、あるいはハシケン目当てに来た奄美以外からの観客には理解不能だろうな〜。いやいや、トテモいいことなんですけどね。せっかく遠路はるばる来た人たちなんだから、ちょっとくらいミステリアスな部分もなくちゃいけません。
とにかくサモガリのローカル・ヒーロー・テイストは、かなり近い位置に立っているように見えるバナナマフィンと比べても濃厚である。ま、レゲエと島唄、ターン・テーブルと三味線の違いと言ってしまえばそれまでだが、現代ってのは、こーゆー純正露地物栽培的なのが一回転して時代の先端みたいになっちゃうから、油断できないんだよなぁ。
子供料金(500円也)が設定されていたとはいえ、やはり観客の大多数が若者以上の年齢で構成されているため、宇検村青年団以上にウケていた瀬戸内町青年団のパフォーマンスの後は、やはり瀬戸内町出身の元ちとせである。
いちおう日本人の平均身長をほんのちょっと越してるオレは、背伸びをすればほとんどの人々の頭越しにステージを見れていたんだが、サモガリの「元ちとせ〜」のコールを合図に、突然、にょきにょきって感じでオレより圧倒的に背が高い奴らが前方に現れた。と思ったら、お母さんたちが、子供を肩車してるんだ。二歳、三歳くらいの子供ならまだしも、小学生サイズの、どう見ても体重が15kg〜20kgありそうなのを肩に担いでる。たくましいなぁ〜。しかし、父ちゃんはどうしちゃったんだろう。家でタイガース優勝の瞬間を待っているんだろうか? 奄美では女性のほうがエライとはよく聞くことだが、これじゃ父ちゃんに勝ち目はないわなぁ。
で、元ちとせだが、聴きなれた「コトノハ」のイントロなしにいきなり「ただいま〜!」と出てきて、一曲目は、えーと、なんつったっけ? 山崎なんとかの曲をアカペラで披露。あ、その前にジャンプも披露してた。なんか、オレ、この人のことを見るたびに「こんなに明るい奴だったのか…」とビックリしてるんだが、この日もやっぱり驚いてしまった。
そこから先は、もうトバすトバす。いきなり笛(サンバ・ホイッスル)は吹くわ、「(酒を)飲んでますか?」と客席に問いかけ、返事(もちろん肯定)を聞くや「早く帰りなさい。…ハブが出るよ」(場内大ウケ)。さらに十二月には「冬のハイヌミカゼ」を名瀬で敢行!という発表で、さらにヴォルテージを上げるなどして、ヒット曲の「ワダツミの木」に持って行くっちゅう展開は、思わず「上手いっ」と唸らされてしまったオレであったのだがしかし。
「島に帰ってきたので、島唄をやります。三味線弾くひとは、そこでつかまえてきました」と、中孝介と貴島康男を呼び込み、はじめたのは「一切朝花節(ちゅっきゃりあさばなぶし)」。RIKKIが唄った「豊年節(ほうねんぶし)」と並ぶ奄美の宴会ソングである。ところで、ナンにでも文句を付けないと気がすまない(だから「やつ当たり雑記帳」なのだ)オレは、バックのバンドがこの三人の唄と演奏に、色づけ程度とはいえ音を加えていたのが気に入らない。一切朝花節ってのは、テンポがいいのと唄が単純だから簡単そうに聴こえるけど、ホントは難しいんだぞ。オレなんかM師匠に「ちゅっきゃり教えて」と頼んだら、「あんたにはまだ無理」とすげなく断られたのだ。ちなみにM師匠によれば、「いま、唄者ですと名乗ってる連中の、誰もホントの一切を弾けない」そうで、七月に東京にやってきた中孝介に「正しい一切朝花節の弾き方」を伝授していたのを横で見ていたが、たしかにこりゃあオレにはしばらく無理だわなぁ。
当時、絶賛発売中だったいつか風になる日を最後に、ちとせオンステージは終了。普通はここでおしまいだと思うよなぁ。
ところが、またしても青年団ステージに登場したサモガリが紹介したのは、ピンポンズである。誰それ? というアナタ、アナタは常識人つーか、非・奄美大島人ですね、ってユーと奄美の人が非常識みたいだけど。知らなくて当然、つーのは、このバンド、メジャー展開をまったく考えていないんですよ。もうホンッとのアマチュア・バンド。じゃあ、ナゼ彼らが元ちとせを抑えてトリなのか。それはね、この夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!!が奄美大島で行われているからなんです。<説明になってないか、あはは。
で、出てきたピンポンズだが、言っちゃナンだが音がヒドい! ほとんどアインシュテルツェンデ・ノイバウテン(<金と暇が有り余ってない人は、クリックするだけ時間の無駄です)だ。音の分離はむちゃくちゃだし、唄の歌詞も聴き取り不能に近い。が、しかし、周りは元ちとせの時に輪を掛けて盛り上がってる…。カオスだ。ステージ上も、客も、これはカオスだ…。このノリについて行けるか? 一瞬だが、オレの心に疑念が差した。不可能ではない。ついて行こうと思えば、ついて行けるはずだ。だいじょうぶだ、たぶん…。
ほとんどそのまま、フィナーレの六調に雪崩れ込む。いつの間にか、音が回復している。いや、ヴォーカルマイクが数本と、貴島康男の三味線とチヂン(鼓)だけになったので、ミックスが単純になったのが回復の原因かもしれない。もうどっちでもいいや。
オレの肩は昨日の朝崎ユニットの六調で限界に達していたから、もう手拍子専門で済まそうと思っていたのだが、それでも知らず知らずのうちに腕が上がっていく。で、やっぱり痛くて腕を下ろし、また気がつくと腕があがって…。いま考えると馬鹿みたいだな、オレって。
だだーんと終わったところで、サモガリのふたりが「どけどけーっ!司会者が通るーっ!!」と、冗談抜きで出演者を掻き分けてあらわれ、〆の挨拶。そして、主催者の中心人物が主導で万歳三唱。で、終わったかと思ったらどーんという音。客席から見て、ステージの向こうの夜空に大輪の花火がきれいに開いた。いくつも、いくつも。
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