Jan. '02
1/15 南青山 「Ojas Rounge」Poetry Reading 鉄腕ポエム4
1/18 五反田 沖縄居酒屋「結ま〜る」 朝崎郁恵 タナカアツシ 奈良大介 LIVE
1/27 渋谷 クラブ・クアトロ 「夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ! in 渋谷」
1月18日
南青山 「Ojas Rounge」Poetry Reading 鉄腕ポエム3
「やつあたり雑記帳」のメニューに「Nov.'01」と「Dec.'01」がなかったのを見て、「ははぁ、力尽きたか」と思った皆様(と言うほど多くはないだろうが)、お待たせしました。実を言うと、引越しをしていたんですよ。もう、根こそぎバテました。
荒川の埼玉県側の川岸に引っ越して、ちょっと都会に出て行くのがシンドくなったんで、今後はかなりペースが落ちると思いますが、まぁ、ぼちぼちやりますわ。
さて、再開第一弾は、久々のポエトリー・リーディング(注1)のイベント「鉄腕ポエム3」である。
このイベント、当初は近藤洋一が主催だったらしく、彼の名前入りで「Poetry Callender Tokyo」に掲載されていたのだが、直前になって入院してしまったのだという。会場では、ハギー・イルファーン、ジュテーム北村と言葉を交わす機会があったのだが、近藤洋一の病名・病状を聞き忘れてしまった。たしかに、詩人連中のなかには病気が似合いそうなキャラクターもいないではない。だが、近藤洋一は、不摂生は似合っても病気が似合うタイプではないので、早いところ復帰してもらいたい。まぁ、寝てる間になんか書くのだろうと期待してますか。
のっけから脱線している。ま、それもよかろう。
えーと、当夜の出演者(オレが見た人)は、(名前聞き漏らしたが)紅一点ウランちゃんと呼ばれてた女の子、西野智明(字、違ってると思う)、又吉究(またよしきわむ)、ハギー・イルファーン、ジュテーム北村。
仕事がちょっと長引いて、オージャス到着は20時30分。季節に似合わぬ暖かい夜で、地下鉄の表参道駅からオージャスまで、急ぎ足で歩いたら汗をかいてしまった。店内に入ると、パフォーマンス用スペースの真ん中に二十歳前後の女の子が座り、ウランちゃん、と紹介されていた。
彼女のリーディングは、五分間ほどだったろうか。淡々と静かに、なんとなくエロティック、なんとなくグロテスク、そこはかとなくドライに読み進めていく。白の丈の長めのカーディガンに、乗馬ズボンみたいに腿のあたりをゆったり取った、黒っぽいパンツ。むか〜し何かで、大富豪のお嬢様で、カエルや蛇やネズミの解剖に夢中になった挙げ句、そのままオールドミスになっちゃったとかいう話を読んだな。よくいるっちゅえばよくいるタイプ。ポエトリーの世界では、蝶よ花よのラブラブとコインの裏表みたいにしている。でも、こういうの、喜ぶのがいるんだよな。オレとしては、こういう人たちの「その後(あと)」を見たいんだけど。「三上その子」ってのがいて、この人は、「その後(あと)」をやっていて、オレは気に入っている。
次に出てきたのが、西野智明。メタリックな色のファイルホルダを持ってるのかな、と思ってよく見たらi Bookだった。それをひざの上に置いて、ちょっと粘液質の目立つ声で、生活雑感みたいな詩を読む。なかなかおもしろい。爆笑!という感じではなく、クスクス、ニヤニヤという笑い。
つづいて、ハギー・イルファーン。そんでもって、休憩。
再開して、西野智明、又吉究、ハギー・イルファーン、ジュテーム北村の順で登場。
西野は、別な詩を同じように読んでいて、でも、さっきの方がずっといい。
又吉は、まず、例によって自分が「スター」であることをひとくさり。まぁ、これは芸みたいなもので、やる側も見る側もないと落ち着かんのかもしれん。この人をはじめて見てから、足掛け三年、ぽちぽちと五、六回も見ただろうか。根っこの部分で、心根の優しい、まじめな人間なのだと思うのだが、最初の一、二回は、含羞のためか「傲慢なスター気取り」をまとっていた。それが、最近は、なんとなく薄れてきたようにも思う。
二回目のハギー・イルファーンは、もはや定番の「ぶっ飛んだ仏陀」をDJのスクラッチプレイとともにスクラッチ・リーディング(?)でパフォーマンス。
ジュテーム北村は、ウランちゃんとともに登場。「20コ、読む」と言うので、時計を確認する。ぎりぎりだなぁ。
舞台上に二人、ひとりがぽつりぽつりとキーワード、もうひとりが独白、というのはアングラ演劇では定番のスタイルなのだが、この親子ほどにも年齢のはなれた二人には、キャラクターがそのまんまなせいもあって違和感なし。最初と最後の二つだけがこのスタイルで、それ以外の時間、ウランちゃんは黙って座っているのだが、このイカニモ対照的なキャラクターが本当にイカニモなので、居心地の悪さがまったくなかった。
ジュテームが終わると、11時。埼玉県民は辛い。黙って、ダッシュで表参道駅に直行。切符を買ってホームに降りると、次の電車まで5分待ちであった。
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1月27日
五反田 沖縄居酒屋「結ま〜る」 朝崎郁恵 タナカアツシ 奈良大介 LIVE
'02年のライブ第二弾は、昨年七月海の日吉祥寺 Star Pine's Cafe 以来の朝崎、タナカ、奈良の三人組である。なんだかなぁ、今年もポエトリー・リーディングと島唄だってよ。普通のロックが聴きてぇなぁ。
去年は偶数月毎にやっていたタナカ&奈良ライブだが、十二月はさすがに忘年会で忙しいのか、一月にシフトする形になったようだ。そのせいかどうかは知らんが、突然やる気になった朝崎郁恵が出演することになって、これは無事には済まんぞとオレは不安に慄(おのの)いていたのだ。
こう書くと、知らない人は「朝崎郁恵というのは、ジ・アンダーテイカーみたいな奴であろうか」と思うかもしれないが、そういう事ではない。日本人の、小柄な、まぁひらたく言やぁおばあちゃんである。ところがこのおばあちゃん、ただのおばあちゃんではない。奄美島唄と呼ばれる民謡において若くして天才と呼ばれ、インディーズで2枚のCDを出し、いまや全国区の知名度を誇るようになってしまったおばあちゃんなのである。えっ?ジ・アンダーテイカーって誰だって?こっち見といてよ。
タナカさんから、正月休み明け頃に「朝崎郁恵出演決定」の連絡が入り、とりあえず、島唄教室の連中にメールを送る。返事すらよこさん奴も若干名おるが、五人ほど集まったので「結ま〜る」に予約の電話を入れる。この時点では、セーフ。
当日の朝、起きてメールをチェックしたら「一名追加、よろしく」と来ている。無理だろうな〜と思いつつ「結ま〜る」に電話を入れると「椅子がもうないんですよ」じゃと。予約をチェックしてもらうと、我々は座敷になっていたので「詰めて座って下さい」。ふう、やれやれ。と、安心するのも束の間、さらに川崎のチャーハン改メ「胴がナガイ■ウジ」が「行ってもいいかな?」。ええ加減にせぇ、わしゃ知らん。「XXの膝の上だぞ」と念を押して、店には電話しない。もぉやだ。
七時半に「結ま〜る」到着。島唄教室の連中と行く利点は、つまみのことを考える必要がないことだろう。黙って座れば、ばんばん注文してくれる。
乾杯などしているうちに、我々以外の客もどんどん増えてくる。ライブ終了後に店の外に出たら、「満席につき、入店謝絶」の貼り紙があった。
さて、肝心のライブだが、まずはタナカ&奈良が「前座」と称して「いとぅ」、「チンダラ三部作(安里屋節〜安里屋ユンタ〜喜界チンダラ節)」、「行きゅんにゃ加那節」の三曲。が、どうも調子が悪い。「チンダラ三部作」でのMCを大幅に端折ったのはまだあれだとしても、声が出ないのだ。
奄美島唄の特徴の一つとして、ひじょうに高いキーで唄い、裏声を積極的に多用するという点がある。黒人音楽のファルセットともまた違う、独特のスタイルなのだ。
そのファルセットの部分が、今日はいけない。「すらーよーおーいすうーらー」という囃しが「すらーよー……いすう……ー」になっちゃってる。おかしいなぁ、いつもと違うぞ。なんか、いつまでも客席が落ち着かず、予定を30分ほども押してしまったのが良くなかったんだろうか。あるいは、「今日は朝崎先生がメインだから」とテンションが低くなってしまったんだろうか。
三曲終えたところで、「それでは真打ち登場、朝崎先生です」店内、大拍手。そのまま数秒。「あのォ、誰かうしろのドアをノックして『出番ですよ』って言ってもらえませんか…」やはり朝崎郁恵、大物である。
まずは季節柄、「正月祝い唄」。そして「朝花節」。これは、奄美島唄のテーマソングみたいなもので、規模の大小を問わず、奄美島唄の唄がある場では必ず最初に演奏されるものなのだ。ちょいと洒落っ気があるソウル・R&B系のライブで、オープニングにオーティス・レディングの「お前を離さない(I Can't Turn Your Loose 映画『ブルース・ブラザース』でもお馴染みですね)」あるいは「T.S.O.P(ソウルトレインのテーマ)」を演奏するのと同じと考えていいだろう。
さて、ここでワンポイント。これまでにオレは、朝崎郁恵の唄を二度('01.04と'01.07)ナマで聴いているが、どちらもこの唄い出しの「朝花節」が弱々しく不安定で、「なんとかならんもんか」と思っていたのだが、この夜はちがった。
もともと朝崎郁恵の声質は力強さとは無縁で、ベビー・ボイスというか、「嫋嫋(じょうじょう)」という形容詞がフィットする声である。あえて極論を言えば、朝崎郁恵は「西洋音楽の声楽」的見地から言えば「下手」である。その下手さがゆえに微妙な「ゆらぎ」がこちらのツボを刺激するのだが、安定した「いいゆらぎ」が出せるまでに時間が掛かるのだ。ところが、今夜はそれが最初から見事にこちらの関節だの神経だのを刺激してくれる。うーむ、なかなか、やるではないか。秘密トレーニングでパワーアップしたのか、朝崎郁恵。
「長朝花節」、「俊良主節」、「黒だんど節」、「野茶坊節」、「一切朝花節」、「らんかん橋節」と唄って、第一部が終了。「一切朝花節」、「らんかん橋節」というのは、朝崎郁恵のキャラクターには合わないような気がするんだが、ライブだし、まぁ、盛り上げんといかんもんな。
休憩時間には、朝崎郁恵をメイン・ヴォーカリストに迎え、2月9日に発売されるCD「唄島(うたじま)」のデモ・テープが流れる。騒々しい店内で、なおかつこちらもお喋りをしていたのでエラそうなことは言えないが、非常にクォリティの高い作品として仕上がりそうだ。アンケート用紙兼CD注文書みたいなのが配布されていたので、必要事項を記入する。
やがて再開した第二部は、タナカアツシがギターに持ち替えて、「おぼくり〜ええうみ」にはじまり、「千鳥浜」。ふたたび三味線(タナカさんは、『蛇皮線』と呼ぶことが多い)を持って「よいすら節」、「東れ立雲節」と続く。
このあたりの時点でオレは、泡盛と朝崎郁恵の声に酔っ払って、何を感じ、どんな事を考えていたのか、まったく思い出せない。だいたい、ずらずらと上げている曲目にしたところでタナカさんの個人サイトを見て「ああそうか」とコピペしているだけだし…。
それでもラスト・ナンバーは憶えている。「六調」だ。と思ったら、メドレーで「六調〜天草」だって。…いや、まぁ、その…。
もったいぶって座敷の奥の方(つーても幅は畳二枚分)に「ひきこもり」を決め込んでいた島っちゅを引きずり出して、「ほれ踊れ踊れ」と焚きつける。オレがやると阿波踊りの出来損ないになるから、手拍子だけで参加しとこう。
アンコールはそのまま踊って下さいと「渡しゃ」。「普通は、これは踊らんのだけどね」と島っちゅは言うが、その点に関しては、「東京ルール」ということにすればいいではないか。「六調」を二回やってもこの夜の客席は踊り出したと思うが、やる側としてはそうは行かないだろうからね。
これに関して、タナカ氏よりメールにてご指摘を頂いた。以下、タナカ氏のメールより転記。
以上、3月3日、付記する。昔はこの「渡しゃ節」に合わせて「乞食踊り」と称して滑稽な踊りをしていたそうです。
今ではあまり見られなくなってしまったようですが。
大いに飲んで、大いに食べて、満足して帰りましたが、翌日は二日酔い。今週こそは、奈良さんのジャンベ教室に復帰しようと思っていたのに…。
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渋谷 クラブ・クアトロ 「夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ! in 渋谷」
さて、どこからはじめようか。いちおう、イベントの趣旨を、オレなりに説明しておくべきだろうか。
もともと「夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ!」というイベントは、鹿児島県の奄美大島のライブハウス「ASIVI(あしび=遊びの意)」において地元の音楽シーンの交流と活性化のために、地元名瀬市の市役所に勤める傍らコミック・バンドを組む「サーモン&ガーリック」が、「ASIVI」のオーナー麓 憲吾らと共謀してはじめたイベントである。
奄美大島という土地は、大雑把に言って琉球文化圏に属する一方、奄美シマ唄と呼ばれる独特の民謡を持っているのだが、地場産業と呼べるようなものはほとんどなく(注2)、近年は若者の伝統文化離れも激しくなって地域ナショナリズム的なアイデンティティが薄れていく事に、首謀者らとしてはそうとうな危機感を抱いていたらしい。
2001年 2月12日に「ASIVI」にて行われた「第一回 夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ!」は、地元の民謡界から若手の貴島康男、中 孝介、中村瑞希ちゃん(Love!)、還暦に達してなお東京を拠点として活動を続ける朝崎郁恵(with奈良大介)、一年後に衝撃的なメジャーデビュ−を飾る事になる元ちとせ、大の奄美民謡愛好家として知られるロックシンガーのハシケン、もちろんサーモン&ガーリック(withアニョ)のライブが、大島紬協会、地元フリーペーパー、奄美の新たな貌として定着しつつあるサーフィンという文化面の紹介を交えて行われた。
2001年11月24日には、「第二回 夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ!」と題して、地元の民謡からは西 和美、皆吉えりこ、山下聖子、牧岡奈美、石垣島からわかなつ、連続出場のサーモン&ガーリック(withアニョ)のライブが、やはり連続出場の大島紬協会、ボディボード、ルアーフィッシングの紹介とともに開催された。
そして、おそらくこの第二回の企画に先行する形で、「夜ネヤ・島ンチュ・リスペクチュ! in 渋谷」の計画が首謀者らによって進められていたに違いない。
上にも記したが、奄美という土地は、マクロに見れば琉球文化圏に属する一方、長く薩摩藩の直轄支配を受けてきた歴史的経緯から和・琉折中とでも呼べるような文化を持っている。また、オレのような素人は、「平安朝時代の歴史において、流刑地として記録に出てくる鬼界ヶ島というのは、じつは奄美大島のことではなかったろうか」と無責任な説を展開するのだが、くれぐれも本気にして世間のモノ笑いのタネにならぬよう、気をつけてもらいたい。あれ、なんの話だっけ?
七十年代の半ば、竹中労らによって紹介されて以来、沖縄民謡を含む所謂オキナワ・ポップスは、マスコミによる作為的なブームすらも栄養源としながら根を張り、枝を広げている。
一方の奄美シマ唄は、もともとあまり有名な土地ではなかった(注3)上、全体的に曲調がマイナーであること、島外に出た出身者の数も「沖縄県」出身者に比べて少なく、そのうえ「日本民謡」協会に加入してしまった(注4)ことなどから、島外の人間にとってはあまりにも縁遠い存在であった。
そうした求心力の不足は、同地から旅立った音楽家の多くを拡散させ、よく言えば多彩、悪く言えば互いに無関係な存在にしていった。もちろん、これは地理的に近い沖縄と比較しての印象だ。しかし、「夜ネヤ・島ンチュ…」の企画を立てた首謀者らの意識に「沖縄」という存在がなかったとは、オレにはとても思えない。
彼ら、首謀者たちの意図は、イベントタイトルと出演者の人選、そして進行に明瞭に表れている。
まず、正式なイベントタイトルは「奄美大島PRESENTS 夜ネヤ(よねや、と読む。今夜は、の意味)・島ンチュ(しまんちゅ=島の人。奄美群島において、奄美群島の人を他の土地の人と区別するときに使われる)・リスペクチュ(Respect to You)! in 渋谷」。ここから更に深読みしようと思えば、オレも根性の悪さでは人後に落ちないと評価される男なので、あと二十行くらいは続けられるんだが、それは酒を呑んだときのクダを巻くネタに取っておこう。
人選と進行については、おいおい明らかになる。
あ〜、肩凝った。まじめに読んでくれた人、お疲れさん。でもね、「無心に、来た球を打つだけッス」てのもいいけど、たまにはこうして推理(邪推とも言う)するのもいいかな、と思ってさ。もう二度とやりたかないけど。
さて、公式の告知開始から当日まで、いろいろとスッたモンだがあったみたいだが、それに関しては、当事者の証言を待とう。
ただの観客であるオレは、有力なコネを持つ友人が入手してくれたチケットのおかげで、早めの時間に入っていい場所を確保できた、という所からはじめることにする。
ライブハウス名物の「値段と量の釣り合いがまったく取れてない」ドリンクの中から「ビール(という名の発泡酒もあるんだって)」を選び、下手側スピーカー真ん前、壁際の一段高くなったところに陣取る。ちょうど反対側にマイクスタンドが数本立ててあって、サブステージ状になっているので、チャーハンともう一人に「こっちがよく見えるよ」と場所を譲るが、これがオレにとっては後の不幸の原因となる。
入場後、約四十分。徐々に客席(椅子はないけど)が埋まりはじめる「立ちっぱなしは、腰に来ますな」、「お互い、もう歳ですからな」、「また立ち見かよっ!(三村風ツッコミで)」などと言い合っているうちにサブ・ステージにライトが当たる。おー、待ちかねたぞよ、サーモン&ガーリック。
「くんくわぁいじょうなん、いしわらふみきち、また、あめかじぇよけよけ、いもしゃんちゅうや、しんじつどー、しんじつどー、どうかどうか」。
お経というか、呪文というか、彼らのライブのいつものオープニングの「宣言」であるらしいのだが、もういきなり奄美全開である。実によろしい。まぁ東京人のお客さんもいらっしゃるだろうから、という妙なおせっかい抜きで「この会場は我々が完全に支配した」っつー、まるで聖飢魔Uみたいな天晴れな態度である。もっとも、オープニングの「宣言」後の口上は、緊張のせいか、かなり引きつり気味ではあったが、それはそれでオモテのカオである「公務員」ぶりが伺えて微笑ましい。
サーモン&ガーリックがいったん引っ込むと、奄美シマ唄の若きリーダー貴島康男の登場である。
囃しに元ちとせを従えての堂々たる登場だが、ナニ、考えてみれば不思議でもなんでもない。この二人と、後で登場する里アンナの三人は、かれこれ十年以上も奄美の「民謡大会」等で一緒になっているはずで、そういうバックグラウンドを想像するのも、オレのような聴きはじめのファンにとっては楽しいもんである。
その貴島康男の唄は、たしか最初は「朝花節」だったと思う。さすがに上手い唄だし、小揺るぎもしない見事なパフォーマンスで「場を清める」打ち出し役を立派に務めたのだが、開演直後の、会場が落ち着いていない状態での出演は、オレのような「ぜんぶ聴いてみよう」的な観客には釈然としないものがあった。ぶう。
続いてのネリヤ★カナヤは、ともに奄美大島名瀬市出身の平田輝(Vo,G)、武田まゆみ(Perc)の二人組で、関東近県を中心に精力的なライブ活動を繰り広げている。
平田輝は、昨年の十月に三年間ほど続けた自身のバンド「平田輝バンド」をいったん休止し、ネリヤ★カナヤ一本に絞っている。偶然にもその「解散ライブ」の直前に面識を得て、原宿ルイードで「平田輝バンドの最期」に接したオレなのだが、今のところ平田輝のサウンドは、オレには過渡期と聴こえる。アルペン・スキーの名手が、いきなりラージ・ヒルのジャンプ台に姿を現したような、そんな気分で見ていたのだが、その姿は、この会場で如実に実現される事と…、うるっせぇな、このガキんちょどもは。クアトロは、この時点で小田急線各駅停車の通勤時間帯並みの混雑。またそれが、ぎゃーすかぎゃーすか、五月蝿いったらない。聴けよ、コラ。何しに来てんだ、おまえら。
まったくセットチェンジせずに、続くは朝崎郁恵先生(<最近、ちょっと宗旨替え)。今日はピアノの高橋 全とご一緒。そして囃しは里アンナ(後日、「日本の宝」と認定)。
二人の共作アルバム「海美」からのナンバーを演奏し…、うるっせぇぞガキ共ぶっ殺すぞおらぁ!とキレかけた瞬間、前に立っていたチャーハンが「あんたらちょっと静かに出来んのかい!」と島口(奄美大島の方言)丸出しで注意する。少し静かになる。いやー、彼に見易い場所を譲って本当に良かったと思った私の考えの甘さは、後ほど証明される。
しかし最近のガキは、「音楽大好き!」なぞとはしゃいでる姿をTVなんかでたまに目にするが、あれ本気で言ってるのかね?
あーいかんいかん、危うくじじ臭い昔話モードに入るところだった。
もどして、と。セットチェンジがない理由が「千鳥浜」で明らかになった。ネリヤ★カナヤ、バナナマフィンが演奏に加わったのだ。パーカッションとギターが加わった「千鳥浜」は、少しテンポが上がって朝崎郁恵先生は半歩遅れ気味だが、却って新しい音感を出すところまで行きかけている(<こっちはあと一歩、かな?)。また、「千鳥浜」の流れにノセて「Nockin' on the Heavens Door」、「Exodus」のフレーズを絡める。
完璧などと言える出来ではないが、上手くやるだけがライヴではない。それに、普段おいそれと実現できる組み合わせではないからこそ、「実験」を「人前」で「やってみせる」事にも意味が出てくる。
意味という点で面白いのは、この面子、「大御所」朝崎郁恵先生を抜きにしてすら、当日の出演者の中でももっとも高齢者と呼べる組み合わせ(比較できそうなのはSKA FLAMESだけ)という事実。奄美群島は長寿の島、とはよく聞かれるフレーズだが、たんに若いものに元気がないだけか?と疑いたくなる。
若干のセット・チェンジの後、RIKKI。
前年九月のマウントフジ・エイドの時みたいなバンド編成。同じメンバーではないだろう。音は格段にタイト。しかし、パーマネントなバンドの音ではない。RIKKIのボーカルも上手くノリ切れていない。他の出演者やギャランティ、スケジュールの関係など様々な要素があってのバンド編成なのだろうが、今日も見ていて辛いものがあった。この夏に予定される(二月の終わり頃に発表があった)アルバムの発売、それに伴うツアーから本格的な復活を願う他あるまい。
セット・チェンジのたび毎にサーモン&ガーリックが出てきて、ちょっとしたトークで間を持たせるのだが、早くもこの時点でネタ切れ。こうなる事態を恐れてか、禁酒指令が出ていたというが、そういう問題じゃないだろ。「頑張れ」と声が掛かると「うるさいっちょ、頑張っとる!」と悲鳴をあげる。あはは、これもひとつのドキュメントだよな。今後の糧にしちくり。期待しとる。
次に里アンナ。「りゅうのすけ」というギタリストと一緒に登場なのだが、この人、前年春のPANTAのツアーにオープニング・アクト兼ゲストとして同行した「龍之介」と同じ人?ちなみに、そのツアーでの東京公演はオープニング・アクトなし、ゲストに石間秀機(ex. フラワー・トラベリン・バンド)なので、オレにはさっぱりわかんない。
里アンナに関しては、ここを参照ページに指定するのが本当なのだろうが、いまどきおギャル風(当然だよな、まだ22歳!)に変貌しているので、あえて引用を避けた。
さて、彼女のパフォーマンスだが、まず二曲ばかり「りゅうのすけ」作のオリジナル曲。これは正直に言ってオレ的にはカスリもしなかった。楽曲の善し悪しは別として、パフォーマンス的に何も感じなかった。その後、あらかじめ用意してあったバックトラックで「豊年節」を唄ったのだが、これには見事にノック・アウトされた。なんなんだ、この落差は。
元ちとせのJポップ(他に言い方ないのかよ…)デビュー以来、「ポップス」ってなんだ?と小さな疑問が芽生えはじめていたのだが、この里アンナの落差に至って、オレも腰を据えて考えざるを得ない。どっこいしょっと。あー、立ちっぱなしで腰が痛ぇよ。
「ポップス」という言葉に、どういう連想を持つだろうか。やはりお手軽とかええかげんとかいう連想が主流なのだろうか。「あいつは駄目だ、ポップスに走った」みたいな。
めちゃめちゃ例に出しやすいんで、勝手に俎板に上げさせてもらうが、元ちとせの最初のミニ・アルバム「Hajime Chitose」(「青CD」と呼ぶのが通らしい。ビートルズか、おい)でカヴァーされていたルー・リードの「Sweet Jane」を考えてみよう。え?ビョークの「Birthday」の方が有名だって?癖のある者同士を比べたってしょうがないだろ。ナニ?おっさんを引き合いに出すな?ちゃうちゃう、カヴァー・ソングっていう同じ土俵で比較できるちょうど良い対象があるんだよ。
カウボーイ・ジャンキーズというカナダ出身のバンドが、彼らのデビュー・アルバム「トリニティ・セッション」で同じルー・リードの「スウィート・ジェーン」をカヴァーしている。ちなみに、ヴォーカルのマーゴ・ティミンズは当時18歳の女の子。どう、これなら比べてもいいでしょ?
もともとルー・リードの「Sweet Jane」はブルージーな曲なんだが、それをマーゴ・ティミンズはハイ・トーンのウィスパー・ヴォイスでしっとりと歌っている。実に儚くも美しい。そんで、その儚さ、美しさがどこから来るのかというと、ポップスの場合、歌い手の「歌われる対象」に対する感情移入、もしくは自己投影にあるんじゃなかろーか、つーのがオレの主張。「個」の「個」に対する投入、とか言うのはちとカタ苦しすぎるかぁ?
対する元ちとせは、およそ10歳くらいから「民謡」を唄ってきた。所謂「先生」に付いて、「ああしなさい」「こうしなさい」と言われていたかどうかは知らんが、周りの大人の真似をするだけでも、充分それらしいスタイルが身に付くだけの歳月が彼女の唄には乗っかっている。ちなみに里アンナは、地元の民謡界でも一目置かれる重鎮である実のおじいちゃんに4歳から教え込まれていたらしい。
彼女らのバック・グラウンドにある「民謡」は、イキの長いものでは300年近くも唄い継がれ、唄の内容が個人に関する事であったとしても、その個人性は完全に蒸発するか、あるいは醗酵してしまっている。
ユング信者風に言えば「集団的無意識が彼女らに唄わせている」つーことになるし、仏教的な言い方だと「父母未生以前(ふもみしょういぜん=父親も母親も生まれる前のその前)の記憶を唄う」ちゅーことになる。
こんな風に比べてみて、東洋対西洋という図式にして、どっちがエライ?とかやるのはオレのプレー・ゾーンではないから、ここでは単純に、「ポップス」を「人前」で「ちゃんと歌う」には、「ちょっとやそっとじゃ枉(ま)がらない個の確立が必要」なんじゃないか、つーことにしておこう。
ところで、オレは「カラオケ・ボックスで≪アルマゲドンのテーマ≫を歌う貴島康男」というめちゃレアな代物を目撃した事があるのだ、ってあんまし自慢にもならんか。
里アンナに続いては、我那覇美奈。
この人については、何年か前にやってた「うち、NHKしか見ないから」というCM(なんの企業のかも忘れた)しか知らんので、まぁアイドル関係の人だろうなぁという漠然とした先入観を持っていたら、なんだか昔「イカ天」なんかに出てたバンドねぇちゃんみたいのが出てきて、ちょいとビックラこいた。
この辺の時点で足腰が死にはじめたので、目の前にいるチャーハンを見ると、ドリンク置き場用のミニ・カウンターに両手をついて、身体を楽にしてやがる。コノヤロ、オレが譲ってやったんだぞ、自分だけ楽をするんじゃねぇ。
そんなわけで、我那覇美奈のロックンロール風の音楽(このテの音に関しては、オレのハードルはめちゃ高いのだ)は、足腰が動かせて、たいへんありがたかった。
なんか長くなってるんで、どんどん行くぞ。続いては我那覇美奈の大ファンだという、先ほど朝崎郁恵先生と共演した「平成十四年度某幼稚園PTA会長(この時点ではまだ有力候補だったようだ)」のBANANAMUFFIN(バナナマフィン)だ。
バナナマフィンは、DJスタイルのレゲエ・シンガーで、今のところ作品の流通状況はこんな感じである。
分類すれば「コミックソング」の系統に入るこのアルバムについては、隠れたコミックソング・アルバム・コレクターであるオレ(注5)が、正統派ストロング・スタイルのコミックソング・アルバムであると認定しよう。
正しいコミック・ソングというのは、絶対に時空を超越しない。時と場所と情報をアーティストと共有しなければ面白さは半減(もしくは全滅)する。そして常に、幾分かの苦みとノスタルジーを含有する。そういう厳しい条件をクリアしたこのアルバムを作ったバナナマフィンはたいへんエライと、そしてこのまま全国民に訴えるアルバムを作ってもらいたい、とオレは強く主張する!(<いま、うちの近所は選挙をやっててさ…)
いや、実際のハナシ、小松政夫の「電線音頭」、「シラけ鳥飛んで行く」いらい、国民的コミック・ソングってないだろ。これは、オレは文化の危機だと思うのだよ。青筋立てたにいちゃんねぇちゃんが「愛」だの「恋」だの「頑張れ」だの歌ったって、人類は進化しないんだよ。
バナナマフィンのパフォーマンスに関しては、オレなんかがくだくだと並べ立てるよりもここのゲストブックを見た方がいい。およそ完璧と言っていいレポートである。見習わんといかんな、オレも。
見習わんといかんと言いつつも、まだまだ先は長い。サーモン&ガーリックも辛いだろうが、見てるこっちも足腰がくがく。じゅうろうとびきびきは「もう一日分以上見た」と言って出てしまった。我慢大会か、おい…。
当初、出演予定だった中 孝介が病気のため、代打で貴島康男がMCブースに再度登場。オレの周囲の若者たちにとっては楽しいおしゃべりタイムらしい。勝手にしろ、もう…。しかし、チャーハンはまだまだ元気だ。ちょっと目を離した隙に、ピースカ騒いでいた女の子とけんかしてる…。その元気はなぁ、オレが場所を譲ってやったからだぞ、判っとんのか、おい。
まぁ、そうした騒動のせいで、二度目の貴島康男に関しては、ノーコメント。
目の前の人波がごしゃごしゃ動いとるなぁ、と思ったら、SKA FLAMESの登場である。流石に老舗だけあってオレもグループの名前だけは知っているんだが、姿を見るのも音を聞くのもこれが初めて。へぇぇ、すんごい人数ですねぇ。
ボーカルの人がめちゃめちゃデカくて、そのわりに童顔で、なんだかスカ・バンドつーより相撲甚句愛好会みたい。オレくらいの年齢だと、スカ=2(ツー)トーン=MADNESS、SPECIALSという連想になるんだけど、SKA FLAMESは、もっと落ち着き目の、大人のダンス・ミュージックとしてのSKA。オーセンティック・スカ(Authentic-SKA)ということらしい。2−TONEのSKAバンドも、90年代からはこちらの方に移行して、特にいったん解散して再結成してからのセレクターの音は、オレ的には非常に近く感じられる、ってそんな回り道した方が理解できる奴ってどんだけおるねん!
しかし、ステージまん前のあのガキどもは、理解できんなぁ。こんだけクールで粘っこくてシンのしっかりした音なのに、ダイブなんぞしてやがる。まぁ、ファッションなんだろうな。2−TONEブームの時も、胡散臭そーな奴らばっかだったもんな。
SKA FLAMES自体の音は、オレは好みの水準に達しているので、機会があったらCDを買いましょう。でも、その前にセレクターのCDを一枚しか持ってないんで、買わなきゃ。
KOHJIRO、K−COは共に元VOX−Wのメンバー。そんで、そのVOX−Wには「柳屋クインテット」だった頃があり、その「柳屋クインテット」のCDをなんでか知らんがオレは持っていたりする。
持っているてのは買ったのだろうが、あんまり聴いた記憶がない。実をいうと、このイベントのちょっと前に「そういやVOX−Wってナニモノやねん」と調べて、「そういや持ってたっけ」となった次第。
はじめてナマで聴いて「やっぱオレっておシャレ系はダメだわ」と再認識。特にKOHJIROは感覚的にアタりどころがない。K−COは、「柳屋クインテット」でも非凡なねぇちゃんだな、という印象だったのが、さらに大きくなっている。五年くらい経ったらもういっぺん見てみたい。
K−COが終わって、残りの出演者を数えた観客がまたざわざわしはじめる。そう、ついに、今、いちばん旬の人が出てきてしまうのだ。その人の名は元ちとせ。
「コトノハ」のイントロが聴こえてくると、なんだか場内の空気が変わってしまったような雰囲気。ブレークするってこういうことか。実際のデビュー・シングル発売はこの十日後なんだが、所属事務所の営業戦略も見事にアタり、「奄美ってどこ?」「ちーちゃん(愛称が定着しつつあるらしい)以外、みんな知らない」という人たちもずいぶん来ていたようだ。そうなると、残念なのは、マリカミズキが出ていなかったこと。元ちとせのファン層を考えれば、受けただろうになー。
元ちとせのパフォーマンスを見るのは、これが五回目。ひょっとしたら、これが最後になるかもしれない。いや、別に気に入らないとかいうわけじゃなく、オレにとって「LIVEに行って楽しめる範囲の存在」というのを超越しはじめているような気がしてな。当人の思惑を越えた動きも、少なからずあるような気もするし。
元ちとせが引っ込むと、うわー帰るよ帰るよ人の波。確かに日曜日で(そう、翌日は月曜日なのだ)、もう九時を回っているから、当然ていやあ当然だが、それでようやく普通の「満員のライヴ・ハウス」並みになるってんだから、かなり詰め込まれてたんだなぁ、とあらためて納得。
MC役に貴島康男が一人で現われ、「私、貴島康男は、これからも正調の奄美シマ唄を守っていきます」と力強くも酒臭い(あれ、絶対に呑みまくってる)宣言。
そういうオレも、「ドリンク買ってくる」という藤沢の健二に黒糖焼酎の水割りを頼んだら、なみなみのオンザロックがやってきて、知らずに呷ったら…。
サーモン&ガーリックは、「時間は押してるが、最後までやる!」と力強く宣言。対するこっちは、喜んでいいんだか、気持ちだけ受け取っとくよと応えるべきか…。
そんなワケで、スマン、彼らの演奏については、少なくとも三味線はオレより上手い(誉めてない!)という程度しか言えない。なかなか見られないレアなバンドだけに、今になって後悔してるオレ…。
トリは、ハシケン。ご存知ない方のために紹介しておくが、埼玉県は秩父市の生まれである。細かなプロフィールは彼自身のHPを参照していただきたいが、よーするにこの夜の出演者の中では、唯一奄美と血縁関係がない人である。SKA FLAMESと人数で比べてもどっこいどっこいのハシケン・バンドの中にすら「島んちゅ」はいないのである。
こういう人にトリを取らせるサーモン&ガーリックと麓 憲吾、まさに恐るべし。しかもそのイベントは、「奄美大島PRESENTS 夜ネヤ(よねや、と読む。今夜は、の意味)・島ンチュ(しまんちゅ=島の人。奄美群島において、奄美群島の人を他の土地の人と区別するときに使われる)・リスペクチュ(Respect to You)! in 渋谷」というのだ。オレは、正直言ってアタマがクラクラしてきた。
まぁ、そんな事ぁどうでもいい。肝心なのは、ハシケン・バンドの音は、オレにとっては紛れもなく「東京の音」として響いたことだ。いや、別に難癖をつけるわけではない。他の出演者の中にも、ハシケン以上に違和感を抱かせる音はあった。それに、オレにとってハシケンの音は、不快よりは快感を抱かせる音だ。
この点について考えるのは、また別な機会に譲ることにする。
ハシケンがWAIDO節(我那覇美奈、元ちとせ、バナナマフィンが参加)で〆たステージ上に、当日の出演者ほぼ全員(朝崎郁恵先生は、すでにお帰りのはず)が登場し、貴島康男の三味線で「六調」。そして恒例だという麓 憲吾の音頭取りでのバンザイ三唱。
携帯で時間を確認すると、10時20分。着信が三件。びきびきからだ。
「もしもし、今、終わったよ」。
「早く出て来いヨ、呑みに行こう」。
「了解」。
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(注1)
直訳すれば、詩の朗読。しかし、かなり広範囲なパフォーマンスを含む意味で使われることが多い。オレは、この言葉には違和感を感じるんだけどな。和製英語でもいいから、なにか目新しいネーミングをできれば、世間への浸透度も上がるんじゃね−か。
(注2)
世界に誇る「大島紬(つむぎ)」があるじゃねぇか、とおっしゃる皆様、「産業」というのは、ある程度の人口を養ってこそ「産業」と呼べるのです。オレは、今の規模では、「伝統文化」として神棚に祭り上げられるのが関の山だと思っとります、はい。
(注3)
オレはこれまで十四回ほど奄美に行って、その度に静岡の家族に土産物を買ってきているが、いまだにオレの祖母は、「伊豆大島」に行ってると思っている。また、職場で、「夏休みは奄美大島に行きます」と言ったら、「黄八丈を買ってきて」と言われたこともある。最近ではめんどっちぃので、「沖縄のちょっと手前の島に行く」と言うと、なんとなく納得してくれるようだ。どんな理解かは、知らぬが身のため、モン・シェリ♪
(注4)
民謡、殊に「日本民謡」という言葉が引き出す無意識の拒否感が奄美の「シマ唄」に与えた被害は、オレは致命的なモノだと思ってるケドね。百害あって一利なしってね。
(注5)
とか言って、ナニ、実はたいした事はない。オムニバスのCDを一枚(牧 伸二、立川談志、三波伸介、獅子てんや・瀬戸わんやetcを収録)、照屋林助のCDを三枚、おかげ様ブラザースというなかなかイカレた奴らのCDを二枚、コミカルな曲(当人はそう思ってないだろうが)をフィーチュアした遠藤賢司のCDを二枚、なかなか笑かしてくれるタンゴ・ヨーロッパのCDが一枚、海外モノでは、TUBES、SPARKSを各一枚、レニングラード・カウボーイズを六枚といったところだ。ただ、昔、芝居の音響屋をやっていたのと中古盤屋漁りをかなり続けたせいで、シチュエーション次第で笑えるのはいっぱいある。ナメたらいかんど。笑かすど。
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