やつあたり雑記帳…お出かけ記録

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Apr. '01

4/27 田中淳&奈良大介 LIVE at 五反田 結ま〜る

4/21 服部剛主催 ポエトリー・リーディング「蒼き言霊の夕べ」西荻窪 奇聞屋

4/21 渋谷道玄坂おはら祭り前夜祭

4/18 築地俊造 with RIKKI LIVE at 目白アイ・ピット

4/15 ハシケン LIVE at 下北沢 La Cana

4/ 7 日本橋三越「鹿児島物産展」中孝介&中村瑞希ミニ・ライブ

  4月 7日


 日本橋三越「鹿児島物産展」中孝介&中村瑞希ミニ・ライブ。

 前日か、前々日までは行く予定じゃなかったんだよね、これ。新宿Talking Monkeyzでのウエノ・ポエトリカンジャム2000のビデオ上映会(9時間ぶっ通しとの噂であったが、実態はどんなものだったんでしょうか)に行って、途中で抜けて、国立競技場の磐田vs鹿島に行くつもりだったんだよね。ところが、賑やかなほうの掲示板の常連である「じゅうろう」氏から「行きませんか」とのお誘いがあったので、ほいほいと乗り換えてしまったのだ。薄情者。だってぇ、ビデオはぁ、どうせちょろっとしか写ってないしぃ、磐田はぁ、オレが見に行くと負けるしぃ(過去、リーグ戦は4試合を含む6試合を見に行って、1勝5敗。サポーター・クラブから観戦お断りの通知が来そう)。なもんで、直前になって予定変更。天候も再び春めいてきて、屋上でのライブ、しかも南の島の音楽には打ってつけの環境が整いつつあったのだ。

 中(あたり)孝介くん、中村瑞希さんは、オレのこの駄法螺ページになん度もご登場いただいているRIKKI(Dec.'00Jan.'01)や元ちとせ(Mar.'01)と同じ、奄美大島出身の若い民謡歌手。もっともRIKKI元ちとせが主たる活動の場を東京に移すとともにポップ・ミュージック方面にシフトしているのに対し、中くん、中村さんの二人は、奄美大島をベースに島唄と呼ばれる奄美民謡を中心とした活動を続けている。もっともこの二人、中くんが20歳、中村さんが21歳とまだ若いので、今後どうなっていくのか、オレのような外野には予想もつかないのだが。

 あり?なんかマジメになってるぞ。実は、このレポート作ってるいま現在って、5月も半ば過ぎてるんだよね。いろいろあって一ヶ月以上も空いちゃったから、ディテールを思い出せなくて四苦八苦してるのよ。だからちょいとばかし堅苦しくなるのは、御免を蒙っておきたい。

 磐田vs鹿島のビデオをセットして出かけ、先週の雪が嘘のような天気の三越の屋上に到着して、じゅうろう氏と「はじめまして」と挨拶を交わしていると、島唄メーリングリストのメンバーであるびきびき氏が到着。ライブがはじまる直前にチャーハン氏と窪田さんがやってきて、客席は局地的に賑やかになる。うん、まぁ、あからさまに言うと、200席くらいある屋上ステージの客席は、30人ほどが座っているだけでなんとも寂しいものだったのだが、出演者ふたりの知名度と奄美民謡の世間一般での認識度から考えると、こんなものなんだろうなぁ。
 司会者が出てきて、お定まりの奄美民謡の紹介をして引っ込むのと入れ替わりに中くん、中村さんが登場。中くんは大島紬の生地で作った作務衣、中村さんは大島紬のチャイナドレス。チャイナドレスは、まあ、いいんだけどさ、20歳の青少年が作務衣ってのはどうなんだかなぁ。たしかに客層はおよそ若いとは言い難いんだけど、それでももうちょっとどうにかならんもんかと思うのはオレだけじゃない筈だぜぇ。

 当日の演目は、

朝花節
ヨイスラ節
曲りょ高頂(たかてぃじ)
長雲節
らんかん橋
いきゅんにゃ加那

 以上、辻田氏(前日、仕事中に行ってきたらしい)およびじゅうろう氏による聞き取り調査。無断転載ごめんね。

 この屋上ステージというのがまた三方コンクリート囲いの殺風景なところで、ステージ上はパイプ椅子とマイクとモニターのみ。
 PA装置もコンクリート製の小屋の中に格納されて金網越しに音が出てくるという全天候対応型で、着いた当初は「これで音楽を聴かせる気かよ」とげんなりしていたのだが、始まってみたら結構いい音なんだ。
 奄美の民謡というのは、沖縄の三線と同じような(オレのような素人には同じ物に見える)蛇皮線なのだが、チューニングが沖縄の三線よりも半オクターブ高くなっている。これがコンクリート製の屋上ステージで鳴らされるんだから、普通に考えればキンキンと喧しく聴こえる筈なのに、流石は老舗の百貨店、設計・施工の時点からきちんとしてやがるな、とオレは感心してしまった。

 主催者(って誰だか知らんが)からの発表によれば、「三十分ほど」と予定されていたらしいが、その通り、三十分ちょうどでお終い。アンコールもなし。「六時からライオン口(三越の正面入り口の端にライオンの彫像があり、そこの入り口をさす)でミニ・ライブをやります」とのことだが、この時点でまだ四時には少しある。
 中くん、中村さんのサイン会付きCD即売会を終えてもずいぶん時間がある。早目から開けている居酒屋を探して20分ほど歩き回って、ようやく焼き鳥メインのお店を発見。ここで会ったが百年目とばかりに飛び込み、がんがんと飲み始める。まじめなびきびき氏はしきりに時間を気にしているが、後のばか者四人(自分を含めてるところが謙虚でしょって威張るな)は、ばか酒、ばか話、ばか笑いですっかり時間を忘れてる。
 ようやくお御輿を上げてライオン口に着いた時には、ミニ・ライブは最後の一曲が終わろうとしていた。ばかたちはわずかに反省するも、ライオンと一緒に記念撮影して元気を取り戻し、妻子が待つ暖かい家庭に戻るびきびき氏を見送って、次なる飲み屋に向かって突進して行ったとさ。はい、おしまい。

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  4月15日

 ハシケン LIVE at 下北沢 La Cana。

 「ハシケン」というのは、橋本憲一さんの略でございまして、まぁ、こういう呼ばれ方をされる方ってなぁ昔っからたくさん居りましてな、やっぱり「けん」、「けんいち」、「けんじ」なんてぇ名前はこんなふうに省略されることがたいへん多い。ざっと例を挙げますってぇと、遠藤賢司がエンケン、大槻ケンジがオーケン、榎本健一がエノケン、加藤健一がカトケン、志村けんがシムケン、清水健太郎がシミケン、千昌夫がイワテケンてぇ具合になっております。
 このハシケンてぇ人についちゃあ、アタシもね、最近になって知りまして、なんだかそのぅ、「イカ天」だか「えび天」だかのバンド・オーディション番組がきっかけでデビューした人らしいんですな。ところが、CD発売の直前になって何を思ったか、沖縄に行ってしまう。沖縄民謡の師匠に弟子入りして、三ヶ月だか修行してからあらためてCDを出したってんだから、アタシのような南方狂いにゃあなかなか感心しちまうプロフィールじゃあございやせんか。
 アタシがハシケンの名前を知ったなぁ、奄美民謡の大御所・坪山豊の「ワイド節」をカバーしている若いヤマトンチュ(大和ン衆)がいるってぇのがきっかけで、そいつぁオモシロそうじゃねぇかってんで買ってきたのがソロ・アルバムの「感謝」。これがなかなかどうして、フォークあり、ハワイアンあり、沖縄民謡あり、「ワイド節」ありの豪華絢爛デラックスゴージャススペクタクルロイヤル煌びやか賑やかアルバムでありまして、一時は、一日三回くらい聴いておりました。
 そのハシケンが、なんとアタシの塒(ねぐら)からちゃり(名古屋地方の皆様、けったのことです)で行ける下北沢のLa Cana(ラ・カーニャ)でライブをするってぇ事で、行って参りましたというのが、噺のマクラでございます。相変わらず長いねぇ。

 当日は、整理券の配布を午後五時から行っているので受け取ると、名前を確認して渡された番号は67番。わりと、あとの方だなと開場時間に15分ほど遅れていくと、行列はすっかり解消されています。お金を払って、チャージドリンクにハイネケンを選んで空いてる壁際の席に着くと、客席の年齢層がわりと高いのにびっくり。それに、男が多い。ギャルだらけだと思っていたんだよなー。
 開場から開演まで一時間あって、お店の側としてはその間にチャージ以外の注文を受けたいんだろうけど、客席の混雑度は時間を追う毎にぐんぐん上昇して、もう一杯ビールが欲しいオレもなかなかカウンターに近づけない。ライブハウス兼業の飲み屋の経営ってのも、きっと難しいものがあるんだろうな。
 あ、ちなみにラ・カーニャはけっこうちゃんとしたお酒を置いています。お値段は下北沢標準レベルなんですけど、こども味ではありません。

 開演時間を20分ほど過ぎた頃、階段を降りてきたオレンジ色の大男がそのままトイレに飛び込む。 「ははあ、さてはあれがハシケンだな」と思っていると、トイレから出てきたオレンジ色はそのままステージに。生ギターでの「ワイド節」からはじまった。
 CDを一枚しか持っていなかったオレとしては、構成をどうこう言うことはできないんだけど、ソロ1枚、バンドでの録音2枚の中からまんべんなく選んでいたようですな。最小限のスペースのステージ上には、アップライト・ピアノ(La Cana備品)、アコギ2本、三線、ジャンベ、マウス・ハープ(ハーモニカ)と「うちにある楽器、ぜんぶ持って来た」(ハシケンMCより)状態で、ソロ・ライブにありがちな単調さを避けようという意欲が満々。ふつーはそこまでせんよなー、と感心していたが、事態は意外な展開を見せる。
 開演後、一時間ほど経ったあたりで「ここらへんから盛り上げて、アンコールを入れて二時間コースかな」とオレが考えるよりちょい早く「次の曲で、第一部を終了です」とMC。ほう、そうですか。歌い終えたオレンジ色は「それじゃ休憩します。エコノミー・シート症候群にならないように、手足を伸ばして下さい」と言ってステージを降りた。この時点で九時少し手前。

 20分ほどの休憩を挟んで、またもトイレ経由のコースでステージに上がったオレンジ色は、「ちゃんと手足を伸ばしました?」のMCで再スタート。「(演奏する)曲名だけ書いて、順番はやりながら決めます」と、ライブ・ハウスでのソロ演奏らしい進行だが、構成を決めていないのはMCにも影響したのか、取り止めもなく長くなる傾向もあってポエトリー・リーディングのイベントで時おり遭遇する「まったり」ペースである。オレ自身としてはこのペースには文句はないが、最前列のあたりにいた客がアンコールの拍手の中を帰って行ったのは、当人たちにとっても苦渋の選択だったんだろうな。時刻は十一時近くなっている一方、かなりテンションが上がってるハシケンの目の前を通って帰ったんだもんな。
 最後の最後は再び(今度は三線での)「ワイド節」で〆て、都合三時間半、内容量三時間のハシケン・ソロ・ライブは終了。コアなファンにとっては、バンドでしか聴いたことがなかった歌がソロのアコースティックで聴けた貴重なライブだったようだが、ハシケン初心者であるオレにとっては、知らない曲がいっぱい聴けてお得なライブなのであった。
 この時点での最新のCDを買って、サインを貰う。やはりでかい。公称176cmのオレが、階段で一段上に立って、それほど違和感なく話せるんだから、190cmくらいあるんだろうな。

 ラ・カーニャを出て時計を見ますってぇと、だいたい十一時。恐れ入り谷の、ってぇとこでございますな。ちゃり(名古屋地方の皆様、けったのことです)で帰りまして、翌日も会社でございます。おあとがよろしいようで(オチを考えてなかった)。


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4月18日

 4/18 築地俊造 with RIKKI LIVE at アイ・ピット目白。

 またしても、奄美である。なんだか「東京における奄美月間」とかいうキャンペーンがわれわれ善良な市民が預かり知らぬところで盛大に行われているんじゃないか、と疑いたくなってくる。
 築地俊造という人は、事ある毎に引き合いに出して恐縮だが、RIKKIの師匠で、奄美大島で最初に「日本民謡大賞」を「まんこい節」(ほとんどの日本人にとって淫靡な連想を誘う危ない名前だが、どうやら”ようこそいらっしゃいました”という意味らしい。そんなにがっかりすんなよ)を受賞した人で、1980年頃から渋谷にあった「ジァンジァン」で定期的に公演を行っていたのだが、「ジァンジァン」の閉鎖により、去年あたりからこの「アイ・ピット目白」に東京での活動の拠点を移している。

 ほんで、その「アイ・ピット目白」なんだが、多目的小ホールっつー感じの劇場(こや)で、椅子席を並べたキャパは130人ほど。間口(ステージ前面の幅)も広くタッパ(ステージの床から照明器材までの高さのこと)もあって、なかなか使いやすそうな空間。でも、音楽向けかというと、ちょっと?マークが出てくる。「ジァンジァン」みたいな性格の場所です。ただ、あんな訳の分からん構造ではない。ロビーに、過去にここで行われた公演の色紙やチラシが貼ってあったのだが、中に「更井孝行」先輩の写真と名前入りのがあった。去年のだったが、それでも厄年あたりだべ?お達者でございますなぁ。
 4月は残業地獄で、この公演は諦めていたから当日券での入場になった。「当日の方はこちらでお待ち下さい」と言われてロビーに突っ立っていると、島唄MLのメンバーで、先日の中孝介&中村瑞希ミニ・ライブでご一緒させて頂いた「びきびき」氏が現れて「隣の席を取っといてあげるよ」と言ってくれたので、「余裕があるようなら」とお願いする。
 どうやら辻田氏はすでに入っているらしい。当日券組の順番がきて、びきびき氏の隣に座ると、しぇんて氏が斜め前に陣取り、辻田氏と話している。「あれ、忙しいんじゃなかったの?」と仕事を思い出させてくれるので、「明日は徹夜だい」と応える。「おれ、いちばん前の席を取ったから」と嬉しそうだ。RIKKIをま近で見るのと、築地俊造氏の三味線の指遣いを見てやろうとの魂胆らしい。ヤナ客ダネ。

 ステージは、メインアクトである築地俊造のソロではじまる。オレの位置から確認できた範囲では、ステージ上にはヴォーカル・マイク2本、三味線用のマイクが1本、後ろに三味 線が2本と腰の高さの台にしつらえられたチヂンがひとつ。下手側のドアから出てきた築地俊造の衣装は、茶色の作務衣風の上下に方から同色のマント。あとでRIKKIの質問に応えて、自作と言っていた。RIKKIがスター・パインズ・カフェで着ていた赤のマントに合わせて用意したのだが、RIKKIは La Cana (同HP上にステージ写真あり)で着ていたカジュアルな衣装で登場して、師弟お揃いとはいかなかった。

 ステージは、まず築地俊造が一人で30分、築地俊造の三味線をバックにRIKKIが唄う30分、築地俊造の三味線と唄、RIKKIが囃子で30分という構成。
 「くるだんど」ではじまったステージは、意外と軽妙なトーク(奄美訛りの濃い標準語で、言っちゃあなんだが、可愛らしい)も交え、すいすいと進んでいく。照明がおそろしく下手くそだったが、三曲目あたりからオペレーターが替わったのか、どうにか見られる明かりになる。受付の様子からして、スタッフのほとんどはボランティアだろう。予算とかいろいろあるんだろうけど、照明ってのは、あまり軽く考えちゃいけないんですよ。

 十八番の「まんこい節」を唄い終えたあとは、RIKKIの登場。すると、築地俊造、MCはRIKKI一人に任せて後ろをむいて三味線のチューニングに専念しはじめた。おそらく、ろくすっぽリハも打ち合わせもしていなかった(音のバランスはばっちりだったから、それに時間をかけたんでしょう)はずで、ほなよろしくとばかりにMCを任されたRIKKIはかなり困惑の態。
 もちろん唄の解説はするんだけど、そればっかりじゃあなんだかカルチャー・センターの「民謡講座」みたいだし、客席もなんだか固い感じでちょっとかわいそうなRIKKIである。びきびき氏(築地俊造の東京公演は、皆勤賞)イワク「どうも客層がいつもと違うね。FF(ファイナル・ファンタジー)効果がここでも出てるのかな?」たしかに。島唄とも奄美ともあまり縁のなさそうな若者があちこちにいる。盛り上げないまでも、せめていい気分で帰してあげようと思ったら、けっこう大変そうだ。来た側も100%島唄で驚いただろうが、唄う側も困ってしまったという奇妙な図式が展開されている。
 ただ、唄はいい。黒田亜樹とのデュオで島唄をやるときとはちょっと違った緊張感がある。

 結局、なんとなく客席とステージが様子を窺い合う状態のまま、観客参加の「くるだんど」になった。これは、築地俊造のライブでは定番の演目で、観客には歌詞のコピーを入場時に渡しておき、築地俊造のリードで観客が唄うというコーナーだ。二番の途中で築地俊造が三味線を間違えて、二番を最初からやり直すことですこし客席もなごんで来たのだが、「豊年節」、「イトゥ」、「祭りメドレー」と盛り上げどころでもいまいち温度が上がらず、不完全燃焼のままアンコールも終えて、本日は終了となった。

 外に出て、びきびき氏、しぇんて氏と話していたら、辻田氏が出てきて開口一番「おれの方が築地さんより(三味線が)上手いよね」
 オレ「弾けるの一曲だけでしょ」
 辻田氏「ううん、もう三曲弾けるもん」
 オレ「……」

 そして四人で飲みに行きました。



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4月21日

 渋谷道玄坂おはら祭り前夜祭。

 またしても、奄美である。なんだか「東京における奄美月間」とかなんとかいうキャンペーンがわれわれ善良な市民が預かり知らぬところで盛大に行われているんじゃないか、と疑いたくなってくる。
 と同じだって?ちょっとだけ違うんだよ、ちょっとだけな。

 このライブは、メンバー登録をしている某MLとここの掲示板から詳細な情報が入ってきたのだが、それがかなり遅く、どうも出演者やあれやこれやで紆余曲折があったようだ。会場であるライブ・ハウスの特設URLのカウンターが前日だというのに200幾つだったというのも、この推測の根拠になっている。

 この日は雨。秋冬型の雨というのか、しとしとはらはらと気弱げに、しかし粘り強く降っている。こんな雨の中を渋谷まで行くのはごめんだなとか思うが、どうせ暇だし、夜にも用があるので午後もかなり遅くなってから出掛けることにする。会場であるライブ・ハウスのHPにタイム・テーブルが掲載されているので確認すると、イベント自体の開始時刻は昼頃。早い時間帯は、DJだのRAPだのが入っていて、オレのお目当てである「里アンナ」、「元ちとせ」、「朝崎郁恵」の出演は、午後五時頃からの出演予定になっている。これに間に合えばいいんじゃと、一時間ちょっとの余裕を見て、のこのこと出掛ける。
 この余裕が結果的には大正解。なにしろワカンナイんだ、このライブ・ハウス。WEBに地図はのっけてあるものの、主観に満ちたえーかげんな地図で、まったく用を成さない。おまけに看板もなんにも出してないもんだから、同じブロックで背中合わせの位置にある有名なライブ・ハウス「ON−AIR」の裏口かと思って何度も通り過ぎてしまった。
 一時間近く迷って、近くの交番で訊いても要領を得ないし、ホント、たどり着いたときはすでによれよれの状態だった。
 入り口にいた兄ちゃんに「朝崎郁恵が出るのはここなの?」と訊くと肯定的な音節の返事が返ってくるので、「わかり難いね、ここは。ずいぶん迷っている人がいるよ」というと、ぷいと横を向く。どうやら難しい言葉を使われて理解できなかったようだ。可哀相なことをしてしまった。

 中に入ると、けっこうな盛況ぶりである。「元ちとせ」のメジャー・デビュー、「朝崎郁恵」をJ−WAVEでUAが強力にプッシュしていることなど、どうもこちら方面の音楽にも追い風が吹きはじめたようだ。また、会話をする若者たちの言葉に奄美や鹿児島のイントネーションが色濃く滲んでいることから、どうやら在京奄美・鹿児島ネットワークには早めに情報が流れていたように推察される。

 ドリンク券をウーロン茶と引き換えて、よっ掛かれる場所を見つけて(くたくたざんす)ステージを見ると、ちょうど里アンナが出てくるところ。某MLのライブ・レポートには「うただやくらきやはまざき」と例えたのだが、よく考えてみるとジャネット・ジャクソンや安室奈美恵のほうが近そうだ。今さら訂正するわけにもいかんよなぁ。おーい、MLのみなさーん、こっち見てくれよーって見るわきゃないか…。
 まぁ、どっちにしろ、オレが受け付けない音楽(注1)であることは確かで、仕方がないので照明の具合や音自体の感触に注意を向けてたわけだが、これが酷い。
 照明というのは、基本的に美的センスの問題だとオレは思ってる。オレは、これが乏しいので自分が照明家になれるとは思っていないのだが、他人のを見るとセンスが無い奴は一目で分かる。音のせいもかなりあるが、もう少し考えた明かりができないモンかね。まぁ、初対面の歌手にぶっつけ本番で合わせるという仕事もかなりヘビーなものなんだろうな。
 主犯の音。これが悲しい。バック・トラックというか、カラオケの音質に問題ありだ。のっぺり、べったりしたAMラジオみたいな音。歌手がかわいそうになる音。おまけに、ワイヤレス・マイクを通って出てくる貧弱な歌声。
 実を言うと、最近、奄美の三味線を習っているのだが、その先生から「アンナは、最近の流行歌を歌わせたら、奄美でいちばんだ」との情報を得て、オレとしては彼女をたいへん楽しみにして来ていたのだ。この情報と、最後の曲の出だしのフレーズが無ければ、簡単に「ダメ」と分類していたのだが…。
 里アンナ、元ちとせ、朝崎郁恵と並べたら、歌手としての力関係では里アンナがいちばん下にくるのは間違いない。リハーサルの時間も思うように取れなかったのだろう。同情すべき点は多々ある。しかし、最大の問題は、里アンナという素材に対して「安室奈美恵路線」が勿体なさ過ぎるという点だ。二、三曲うたった後のMCで完全に息が上がっていた体力が、もう少し着いてくればこのままの路線でもある程度は行けるのだろうが、そういう問題じゃねぇだろっていうのがオレの考えだ。
 「最後の曲です。私のルーツ、奄美の島唄を使った曲です」と言って歌いはじめた曲の最初の部分、すべての答えはここにあった。
 唸るように、吠えるように、天性の才能と鍛えぬかれた技術が迸ったワン・フレーズ。今までの三曲、そしてこの歌の残りの部分も完全に消し去るワン・フレーズだった。

 「元ちとせ」のステージについては、前半3/4(四分の三)と後半1/4に分けて考えることにします。ちょっと里アンナでスペース食い過ぎちったからさ。
 前半3/4は、三月十日の「渋谷 HMV 元ちとせ インストア LIVE」のライブの部分から「司会の女性」と「山崎まさよし」を抜いて読んで下さい。あるいは、辻田レポートの方が読み易いかもしれません。とにかく、HMVではCDを流していた「Birthday」がなま歌になった以外は、ほぼ同じセットです。もちろん、五週間のうちに元ちとせは大きく成長していますけどね。
 後半1/4。この日は、十八番の島唄「豊年節」も自分の三味線で唄ってくれました。この時点で、オレは元を取った気になっていた。甘かったなー。

 さて、去年の暮れにウェブ上で発表できない(したくない)仕事を都内某所でやったんだが、その時、司会をしていたタレントによく似た司会者が出てきて、客席を落ち着かせる。
 「尊敬する」、「素晴らしい」、「先生と呼ぶにふさわしい」あとは忘れちったけど、歯の浮くような誉め言葉を並べ立てて、紹介するのは「朝崎郁恵」さんである。
 その横っちょでバックを務める高橋全が、パソコンとキーボードのセッティングを黙々と進める。準備完了の合図をすると、ひときわ思い入れたっぷりに呼び込んで、司会者がステージを去る。照明が落とされ、波の音が聞こえてくる。キーボードはエレピの音を奏で、和服姿の朝崎郁恵が登場する。
 唄ってんのは要するに奄美の民謡なのだが、バックのエレピの音とSEの波の音(最初は、ワーだせぇとか思ったけどな)がなんだか無国籍な雰囲気を醸し出している。それをどどーんと飛躍させてんのが、朝崎郁恵の声だ。
 えーと、誰に喩えりゃいいんだろうな?なんて表現すりゃいいんだろうな?困ったぞ、おい。これ、宿題。誰か、思いついたら教えて。
 ちょっと喉に掛かり気味の、かすれ加減の低い地声に、サビ(って言っていいのかな)では奄美民謡特有の裏声が入ってくる。最初は、ひどく張りのない弱々しい声で、正直なんじゃこりゃとか思い、「過去の人」と分類しかけてた、というかしてた。さっさ帰りゃよかったな、てね。ところがぎっちょん(死語)、突然、そいつはキたのだ。ずどんと。いきなり。
 なんてぇんだ、ヴァイヴレーションてぇか、スピリチュアルなんたらってぇか、はじめてTVでサリフ・ケイタを見たときに近いもんがあったずら(にせ遠州弁)。とにかく口をぽけらんとあけて、普段はなんとか隠している天性のアホ丸出し顔で、オレはステージを見上げてた。そっから先は、朝崎郁恵&高橋全のCD「海美(あまみ)」を買って外に出るまで断片的な記憶しかない。外に出てもあわわ状態のままで、よくまあ西荻まで移動できたモンだと今になって自分に感心しているオレだったりもする。

 で、この記憶がぶち壊されんのが恐くて、買ってきたCDをしばらく聴いてなかったのよ。3週間くらい経ってから聴いたんだけどさ、いやー、やっぱホンモノの方がいいわ。でも、安いからさ、興味があったら聴いてみっといいよ(試聴できるってさ)。



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4月21日

 服部剛 主催 ポエトリー・リーディング「蒼き言霊の夕べ」 at 西荻窪 奇聞屋

 久しぶりのポエトリー・リーディング(注1)である。えーっと、三月のGOLDEN-FISH CIRCUS」は勘定に入れないことにしようと思うので、一月の美学校以来か。忙しかったもんなぁ、オレ。何よりイケナイのは、この八つ当たり気味の駄文の一件あたりのサイズが増え続けていることだ。べつにいいけどさ。大抵は会社で仕事する振りして作ってんだから。

 予定としては、そんな感慨に耽りつつ、冬眠から覚めた「奥田さんが創った世界に棲む」石渡紀美、鎌倉から遠征してきた「直球青年」服部 剛、おなじみ「アジアの怪人」ハギー・イルファーンのリーディングを聴きながらビールを飲むつもりだった。いや、実際の行動はまさにその通りだったのだが、オレの頭の中には、先ほどまで聴いていた「朝崎郁恵」の声がまだ波打っていた。
 そういう状態だったにも関わらず、しぶとくオレの印象に残った点についてちょっとだけ。

 石渡紀美は、なんだかギターを持つと表現が丸くなるようで、オレとしては、リーディングの時の「とにかくアタシがこう決めたんだから」的な一直線ぶりが好きなので、歌は、ちょっと減らして貰えんだろうか。そうもイカンかのう。
 服部 剛は、もう見た目から書く詩まで純朴一本槍みたいな青年である。それはそれで「国際保護人物」としてワシントン条約での保護を訴えたいオレなのであるが、どっか一個所でいいからヒネってみてはどうだろうか。情景を淡々と言葉に置き換えつつも、そこに淡い光を当てていくような彼のスタイルを好む人はきっとたくさんいるのだろうけど、なにかアクセントが欲しくなうんだよなぁ。あるいは、言葉を削りに削って、和歌や短歌のように作品自体をアクセントにしてしまうのもありではなかろうか。
 ハギー・イルファーンは、いいや。会場で言いたいだけ言ったし。あ、そうそう、天川もいいけどさ、今度、諏訪之瀬島に行ってみない?



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4月27日

 田中淳&奈良大介 LIVE at 五反田 結ま〜る

 えーと、田中淳(タナカ・アツシ)さんがどういう人物かについては、こっちを見てほしい。オフ・ラインでこれを読んでいる人のために掻い摘んで説明すると、見た目はちょっと恐い人ふうである。でもって、非常に折り目正しい人である。どうやら草野球チームの監督であるらしい。以上の事実から類推するに、「体育会系」と分類できよう。って、なんの説明にもなっとらんやんけ!
 やり直し。
 田中 淳(タナカ・アツシ)さんの母方のおじいさんは、鹿児島県の喜界島の出身で、生前は島でも有数の三味線の名人だったとのこと。おじいさんは「馨(かおる)(注6)」さんという名前で、これが喜界島のイントネーションでは「コオル(注2)」さんになり、かの地では自分より年長の男性の友人には親しみを込めて「兄(にい)さん」を付けて呼ぶので、「コオル兄さん」と呼ばれていた。そして、そのお孫さんである田中さんもまた三味線奏者としての道を歩みつつある。
 これは何もおじいさんが「弾くべし、弾くべし!」と強制したわけではなくて、おじいさんが亡くなったあと、神の啓示を受けて(と、オレが勝手に言い触らしてる)おじいさんの生前のビデオを教科書代わりに独学で弾きはじめたそうである。それまで三味線にはまったく興味がない「ギター小僧」だった田中さんは、楽譜も自分で考案(注3)し、今では東京在住の身でありながら唯一人の喜界三味線の後継者(注4)と目されるようになったのです。あるんですね、本当に、こういう話が。

 さあ、これであなたも「東京蛇皮線研究会代表・蛇皮線奏者 田中 淳」について充分な知識を身につけたわけです。あとは実践あるのみ!パソコンのスイッチを切って街に出よう!!そして…!!!

 …オレ、健康だろうか…?

 「結(ゆい)ま〜る」は、五反田駅の東口を出て、国道一号線沿いに五、六分ほど歩いた路地に隠れるように佇む沖縄居酒屋である。周りはマンションと零細企業が同居し、地図を見ながら行っても不安を感じるシチュエーションだ。
 うなぎの寝床みたいな細長い店内のいちばん奥に、たたみ二畳分ほどのステージが、大画面TVと妙にでかいスピーカーに押し潰されるようにして設えられている。その手前には六、七人分のカウンターと巨大なテーブル席。2ステージの休憩時間に入っていったオレは、カウンターの端、ステージの真ん前、おならをしたらステージ上のマイクに音を拾われかねない位置に席を見つけた。あまり大きな音のおならが出ませんように。
 ビールを飲み、がつがつとおつまみを食べていると、ステージがはじまる。

 本来、この日は奄美島唄の第一人者で、最近ではJ−WAVEUAが強力にプッシュしている「朝崎郁恵」さんが唄い、田中さんたちがそのバックを務める予定であった。ところが、朝崎郁恵さんが出演できなくなったため、田中さんたちの単独ライブになったのだという。ふーん、そうなの。オレにしてみりゃあ、朝崎郁恵さんて人は先週までは名前しか知らない人だったわけで、いなきゃいないでちっともかまわんのだが、出演取り止めの決定にキャンセルが続出したようで、田中さんたちにはかなりプレッシャーが掛かっていたようだ。考えてみると、オレが入った時点ではカウンターの端しか席がなかったわけで、これで朝崎郁恵さんが出演していたら、オレはとぼとぼとうなだれて帰るしかなかったのだな。人間万事塞翁が馬刺しウマイな食いたいなとはこのことか。

 キャンセル騒動に慌てたか、それともいつものことなのか、店内のあちこちに田中さんの友人や喜界島出身で東京在住の方らしい人の姿が見える。これが、実に反応がいい。とくにステージの真ん前に席を取った、六十年配の男性が示すリアクションが客席をリードしている。客席の反応がいいとステージ上の演奏者もノッてくる。田中さんも、ジャンベ奏者の奈良 大介さんもどんどん表情がほころんでくる。
 朝崎郁恵さんがどれほどすばらしい唄者(注5)か、オレも先週、ついに知ってしまったわけだが、やっぱりこういうお酒が入る席でのライブは、楽しいのがいちばんである。この夜の「結ま〜る」は、そういう意味では「キャンセルした皆さん、ありがとう」なんて言いたくなるようなステージである。
 そんなわけで盛り上がっていると、突然、田中さんが件の年配の男性に「飛び入りしませんか」と声を掛ける。頷いた男性、立ち上がると「徳之島節」、「よいすら節」を見事に聞かせてくれる。奄美大島は瀬戸内町出身(注6)の「登(のぼり)」さんて言うんだって。いやー、すごいスゴイ。唄い始めると腹筋がびしっと決まって、お腹のあたりを見ているだけで感心してしまう。
 さらに締めくくりには、結ま〜るの女将さんが「十九の春」、「花」(有名なあれです)をうたい、「ハイサイおじさん」で登さんが踊って、ステージの段差(5cmくらい)に足をとられて転んでお終い。う〜ん、満足。ごちそうさまでした。

 田中さんに「早く次をやってね」とお願いし、千鳥足でオレは帰るのだった。

 そんで、翌日からゴールデン・ウィークで、オレは(たぶん)13回目の島旅に出掛けるのであった。



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注1.
直訳すれば、詩の朗読。しかし、かなり広範囲なパフォーマンスを含む意味で使われることが多い。オレは、この言葉には違和感を感じるんだけどな。和製英語でもいいから、なにか目新しいネーミングをできれば、世間への浸透度も上がるんじゃね−か。




注2.
さらに正確に記せば「コォル」になるようだ。




注3.
沖縄民謡は、琉球王朝の宮廷音楽であった経緯から、工々四(くんくんしー)と呼ばれる楽譜が古くから成立しているが、それ以外の琉球系の各島では「手写し」と呼ばれるマンツーマンでの楽曲習得が行われ、共通の楽譜というものは存在していない。




注4.
喜界島全島でも、三味線を弾ける人は数人いるかどうか、という状態だそうで、お祭りなど伝統行事になると、隣の奄美大島から三味線を弾ける人を呼んでくるのだという。現在のところ、奄美でも名人と呼ばれる数名の奏者は「喜界島の唄は喜界島の弾き方で」と弾き方を変えているそうだが、そのうち「奄美の弾き方しかできません」という人だけになったら、厳密な意味での「喜界島の民謡」は無くなるのである。民俗学をやってる皆さん、今のうちに録音しとかないとエラいことになるよん。




注5.
琉球北部文化圏(正式な呼び方をオレは知らないので、便宜上、喜界島、奄美大島、徳之島、沖永良部島あたりを指す呼び方として使わせてもらいます)での民謡(島唄)の唄い手のこと。尊敬のニュアンスがあるそうで、沖縄本島を中心にして使われる「うたさー」が蔑称に近いニュアンスを持っているのとは対照的だそうだ。要するに、映画や演劇の出演者を「俳優」と呼ぶか「河原乞食」と呼ぶかの違いと思えばいいのかな。




注6.
田中さん直々のチェックがありました。田中さん、どうもありがとう!




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