Mar. '01
3/27 えみコバーン featuring 武田真 LIVE at 新宿Talking Monkeyz
3/24 中野ウェストエンド・スタジオ 劇団SHOW−GUN 麻華 涼:作・演出「寿荘殺人事件」
3/10 渋谷 HMV 元ちとせ インストア LIVE
3/ 4 新宿 シアターPoo GOLDEN-FISH CIRCUS で音響係
中野ウェストエンド・スタジオ 劇団SHOW−GUN 麻華 涼:作・演出「寿荘殺人事件」。
去年の12月にも見に行った劇団SHOW−GUN、再見参である。
本当なら、奥津"赤ひげ"祐司も公演中なので、そちらに行ってやらねばならんのだが、いかんせん、横浜は遠い。特に、この日は昼間に別な予定が入っていたので、そちらが済んでから横浜へというのは正直、しんどい。すまんのう、奥津。
しかし、いくら中野が近いとはいえ、オレにとってSHOW−GUNという劇団は、逆縁(注5)しかないんだから、両者痛み分けでどっちも自粛すればよかったかなあ。
昼間の好天のおかげで、陽が落ちてからも3月とは思えない暖かさ。昼間に引き続いて単車で出掛けることにする。ゴールデン・ウィークに向けて、冬の間に鈍った臀部の耐久性を上げておかんとな。それに、前回は二時間半も上演されて、帰りの電車ではいささかメゲたし。
劇場(こや)に入ると、どういう偶然か、最前列の中央の席になってしまった。うわー、きっついなあ。足元には照明の燈体まであるし。蹴飛ばさないように注意せねば。オレは足が長いからさ(ここ、突っ込むとこね)。
何度でも上映できる映画や、半年前から団体客を確保しているロングラン芝居ならいざ知らず、小劇場の芝居のストーリーをくだくだ並べ立てるのは愚の骨頂なので省略(いちどはまとめようとしたんだけどね、長くなりそうだったし…)して、感想だけ。え?粗筋まとめるのも感想のうち?まぁ、そう年寄りを苛めるもんじゃないよ。
ほんじゃまあ、役者さん。
え〜とね、たしかに小劇場で腹式呼吸で発声して、活舌(かつぜつ)ぱきぱきしながらセリフを喋ると、ばかみたいに見えることは確かなんだよ。それは認めます。でもさ〜、そうやって楽なこと楽なことばっかりやってると、役者として将来狭くするんじゃない?そんなネガティヴな感想を最初に持っちゃうと、そこから先は、なかなか好意的にはなりきれない。
特に前半のお通夜の場面では、当然のことながら落ち着いた芝居になり、どんどんこもっていってしまう。男女ふたり組の刑事たちの掛け合いだけがちょっとした開放感を与えてくれるのだが、「内輪の話」という演技の制約があって、弾けるようなところまで行かない。
後半になると賑やかになり、こっちも気楽に見れるようになるんだが、そうなるとかえって前半、なんとかならんもんかねぇ。あの役者とこの役者を入れ替えたらどうだろうとか、ひとんちの台所事情まで心配するのは大きなお世話ってやつなんだけどね。
前回、小学生を演じていた「はまだゆか」さん、今回はおばあさん役。見事ですねぇ。ひとつ間違えるとドリフなんだけど、ちょっとくらい間違えて欲しかったかな。
前回も好印象だった「藤田哲也」さん、まわりと身長差が大きいから、腰を落として猫背気味の芝居が多くて、ありゃしんどいだろうね。一日2ステージは、オレだったら持たんな。
劇団の看板女優「釣澤麻衣」さんには、警告。イエロー・カード。まわりが全部、「おんなのこ」か「未成熟な女性」の中、ひとりだけ「おんな」。役のキャラクターが「おんな」的でない分、かえって輪郭が際立っている。一瞬、惚れるかと思っちゃった。あぶないあぶない。
台本と演出。「かんべんしてくれ」ってのは一箇所だけ。「やくざ風の男」が「幽霊」たちに拳銃をつきつけるところ。くどい。長い。「線香、持ってこい!」と言ったら、たいていの客には判るもんだし、判んない客は放っといてもいいと思うんだ。
反対に「秀逸」と思ったのが「やくざ風の男」の登場。袖中で、「おめぇらは待ってろ」「へい」というやり取りの後に出てくるから、普通のお通夜スタイルで出てきてもやくざっぽく見える。後半なんか、とてもやくざには見えない格好で出てるのに、拳銃を腰のあたりに隠し持っていても違和感がない。にんげん、第一印象は大事ですな。オレなんかそれがダメだからいつまで経っても…。
照明は、いつも(過去3回、見に行って3回とも)やってる「テレビ」がなくてちょっとがっかり。あとは、まあ、あんなモンじゃないでしょうか。照明はよく判んないんだよな。おかげで GOLDEN-FISH CIRCUS でも痛い目にあったけど。
音響は、やっぱりスピーカーはBOSEだった。道理でダサい音がするはずだ。ただ、ここんちはダンスがなければ音響が目立つこともないので、サンプラーの音(いっこだけあった)がボケてる以外には実害はなかったように思う。サンプラーの音を作った人、ご苦労さん。アナタの努力はBOSE博士が見事に打ち砕いてくれました。
演劇ってなんなの?なんでお芝居なの?おもしろいの?おもしろいからってどうなの?
二十一世紀の日本において、受身の娯楽としての演劇の地位は、限りなく地中に深い。たぶん、二度と浮上できないだろう。大劇場での商業演劇は、社交の場として復活するかもしれないが、小劇場演劇というのは、今のままいつまで生き残れるか、でしかない。もちろん、商業演劇やテレビに才能を送り込む「二軍」としての機能は、今後も重宝されるだろう。しかし、演劇が何かの発信源になることはありえない。
それは、この国が平和で豊かで自由であるためだ。文句を言う気はない。オレは、平和で豊かで自由な方がいい。オレにとってはさして困らないが、演劇にとって困るのは、「差し迫った表現」を誰も必要としていないことだ。「差し迫った表現」がどこにも転がっていないことだ。
「差し迫った表現」がないと困る人たちは、時代を遡ったり、未来に核戦争を起こしたりして、「差し迫った状況」を作り出そうとする。演劇にとっては、「現代」ほど困る時代はないのだ。
これについては、オレも仕方ないかな、と思っていた。別に時代がいつだろうと、人間の葛藤という点が底のところにあればそれでいいだろうと。
ところがぎっちょん(すいませんね、オヤジで)、ここんちは、「いーじゃんべつに。ほれ、肩の力を抜いて、気楽に行こうよ」とか言うのだ。「そう無理してね、葛藤とかしなくても、葛根湯は風邪薬」なんつー雰囲気である(いや、ここまでつまらんギャグはないようだが)。「悪いやつをやっつけて、めでたしめでたし」ではなく「まぁ、とりあえず問題の解決は一部先送りにして、おやつにしませんか」とか来られて、つい頷いてしまうというか。
ピンぼけといやあピンぼけなんですが、いまさら演劇に解決できる問題なんかどこにもないし、こんな世間の隅っこのところで大上段に振りかぶっても滑稽なだけ。自分を笑い者にするのもいいけど、どうせならもうちょっとポジティヴに行こう。そんなとこでしょうかね。
むかし関わった少女趣味満開劇団と較べると、このちょっとポジティヴというあたりが微妙な味付け加減で、なかなか心地よかったオジさん、38歳と2日の春の一夜でありました。
配られたチラシに「倉本 徹」の名前があった。…そうか。なるほどな。
3/10 渋谷 HMV 元ちとせ インストア LIVE。
まずは、「元ちとせ」について説明する必要があるだろね。
「元ちとせ」は、「げんちとせ」でも「もとちとせ(あ、これいいな。♪もっとちっとせ〜♪ってかぁ!)」でもありません。「はじめちとせ」と読みます。どうだ、驚いたか、とお友達に自慢してみましょう。
「元ちとせ」は、オレのこの駄法螺ページになん度(Dec.'00とJan.'01)もご登場いただいているRIKKIと同じ、奄美大島出身の若い女性歌手。年齢は、二つか、三つ違いで(RIKKIが先輩)、高校も同じ、全国民謡大会九州地区代表という経歴も同じ(RIKKIは優勝、彼女は「唄が長すぎる」という理由で失格だったかな?)という経歴の持ち主。高校卒業後、いちど名古屋で就職したはずなんだけど、いつのまにか東京に来てHMV阪急数寄屋橋店でバイトしたり、J−WAVEでアシスタントみたいなことをやったりしてたらしいんだな。
なんでこんなに細かいことまで知ってるかってーと、昔、TVでやってたんだよ、NHKで。「島の民謡の若きスターはどこへ行く」みたいな番組。受信料、払ってんだからさ、たまにゃあチェックしとかないとな。
んで、その「元ちとせ」がメジャー・デビューするらしい(注2)と聞いたのが、1月のRIKKIのライヴでのこと。奄美大島は龍郷町出身の「川崎のチャーハン」氏からの情報であった。
「山崎まさよしが所属している事務所に入って、近々デビューするから、事務所のHPをチェックしとくように」と言われて、さっそくブックマークしたのだが、待てど暮らせど、なんの音沙汰もない。毎日のチェックが一日おき、三日おき、…忘れた頃になって「RIKKI応援団北区事務総長」(とオレが勝手に呼んでる)辻田氏から「元ちとせ、HMV渋谷店にてインストア・ライヴ決定!」とのメールが届いた。さすがは三味線修行中である。
ところがオレは、まさかJ−WAVEだの「山崎まさよし」が結構な有名人だのなんて知らんから(無知すぎる?)、「HMV渋谷だぁ?思い切ったことをするねぇ」と感心しつつ渋谷に向かったのであった。
しかし、この日は出だしから大きなつまづきを見せていたのだ。第一回の全国発売となった”toto”を購入したオレは、ぎりぎりまでTVにかじりついて自分の予想が外れていく(注3)のを見守り、出際にHMVの場所を「ぴあMAP '95〜'96」で確認したのだが、これがいかんかった。
電車が遅れて、渋谷に到着した時点でイベント開始時刻を二分ほど過ぎている。地図から写したメモを片手に、オレは渋谷の街を疾風のごとく駆け抜けた。ところが、である。地図に「HMV渋谷店」とあったはずのそこには、「SEGA WORLD」があったのだ。
「がちょ〜ん」古典的なリアクションをとりあえずキメたオレは、途方に暮れる間もなく、本屋さんを探した。ツイてる。40メートルほどの距離にあった「ブック・ファースト」に飛び込んだオレは、回遊するアベックども(注4)を掻き分け、最新の「ぴあMAP」を手にした。
なんと、いま通ってきた道の裏側ではないか。ふたたび疾風となったオレは、HMVへと急行する。
店内に突入したオレは、あたりを見廻す。どこだ、どこだ、どこでやってるんだ!さっぱり判らん。エスカレーター横の案内板には、フロアは5階まで。全部まわれば見つかるさ!と駆け上がった2階に人山の黒だかり。
「おっ、ここだここだ」とはじっこのほうに立つが、ちょうど柱の影に隠れてなんにも見えない。ステージ後ろにはヴィデオ・プロジェクターが用意され、ステージの模様を映し出しているのだが、それすらも半分しか見えない。しかも大写しになっているのは、司会者とおぼしき女性で、元ちとせはどこにも見えない。まぁいいや、音が聴けりゃあ、と音のほうに注意を向けると、…えいごである。English である。しかもバックのサウンドは、奄美の民謡には、あたかももり蕎麦につゆのごとく付いてくる、あの三味線の音ではないんである。分厚いバンドの音である。
ほえ? オレの頭の中には、巨大なクエスチョンマークがとぐろを巻いた。
ここぢゃないの?
おそるおそる柱の影からステージを覗くと、司会者の半分くらいの背丈の、三分の一くらいの横幅の女の子がマイクだけ手に持ってスクリーンに映っている。
確かにあれは…。でも、なんで三味線を持ってないの?
音楽が終わると、司会者が饒舌にまくし立てる。その話を聞いているうちに、だんだん話がつながってきた。さっきの曲は、Sugar Cubes の「Birthday」という曲らしい。今日のインストア・ライヴは、ミニ・アルバム発売というのが趣旨なのだが、そのミニ・アルバムは全部、カバー曲らしい。どうやら、現在の元ちとせは、J−WAVEで「ASAHI SUPERDRY SUPER LINE J」という番組のアシスタントかナニかをしているようで、奄美島唄の若きスターというよりは、若手ポップス歌手として売り出すつもりらしい。ふーん。
喋りたいだけ喋ったらしい司会者が引っ込んで、ライヴ・コーナーがはじまる。当人だと判ったからには身を入れて聴こう。
おやおや、これはなんだか違うぞ。悪い違い方ではない。いいぞ、なんだか心地いいぞ。どうしてなんだ?
勿体をつけても意味なんかないので、さくっと言ってしまおう。
こぶしなのだ。どの曲にも、琉球地方の民謡独特のこぶしが効いているのだ。
誤解を招くといかんので宣言しておくが、オレは、演歌のこぶし廻しは大嫌いである。そして、演歌に多大な影響を与えたと思われる商業系の民謡(教室だの流派だのとやってるアレだよ)はもっと嫌いなのだ。なんで嫌いなのかというと、そこにはソウルがなく、取って付けた感情移入があるだけだからだ。
ところが、琉球地方の民謡には、そうした商業資本的な悪しきソフィティスケートが感じられない。もちろん、沖縄や奄美にも民謡の名人と呼ばれる人がいて、月謝を取ったり、某某流を名乗ったりしている。だが、それ以上に民謡が生活現場の近くにあるのだという。
オレは、奄美には十回以上(十二回かな?)キャンプ旅行で訪れているが、正直言って、そうした現場に出くわしたことはない。人里離れたキャンプ場やビーチにばかりいるせいかもしれないが、生活のあらゆる面が都市化ってーか、日本標準の郊外化しているのも事実なんだ。だが、それ以前の残り香のようなものは、そこらじゅうに漂っている。
キャンプ地の目の前のバス停で、運転手がトランペットみたいなケースを手にバスに乗り込む。一日五往復のヒマそーなバスだ。バスがのこのこ出て行った後に、誰かが「三味線を持っていったんだ」と教えてくれる。「誰かに届けるの?」。「あれは、この辺りの名人なんだ」。素人相撲が似合いそうな運転手の顔を思い出す。
オレが、琉球地方の民謡に対して拒否反応が起こさないのは、そういう残り香を全身で呼吸してきた人たちがやってるからなのだと思うが、元ちとせもそうした一人であるのが、彼女の声から明らかに伝わってくる。
この日は、ライヴでジミヘンの「リトル・ウィング」、キャロル・キングの「ホーム・アゲイン」他をうたったのだが、見事に元ちとせの音楽になっている。彼女の、もはや血肉となったヴォーカル・スタイル、そしてそれをささえる伝統文化が楽曲に見事な彩りを加えている。
曲はポップス、うたは島唄。こんなブレンドが存在するのか。
これは、イケるかもしれない。琉球地方というくくりで見れば、沖縄音楽に較べて遥かにマイナーであった奄美の音楽がブレーク・スルーを始めるかもしれない。
途中で「山崎まさよし」が入ってきて、ギターを弾く。「おおっ」という声、元ちとせに対するよりもほんの少し大きな拍手。ふーんそうか、そんなにゆうめえな人なのか。TVブロスの裏表紙のタワー・レコードの広告でしか見たことがないので、さっぱり判らん。出てきて直後になにか話を振られたのだが、口をマイクに近づけすぎたのか、ぼそぼそとさっぱり聞き取れない。まぁ、いいんだけど。
腹が立ったのは、場内整理をやってた所属事務所の社員やバイトども。べちゃくちゃべちゃくちゃ喋りくさって、もうちょっとで怒鳴りつけるところだった。
あーゆーのばっかなんだよな、音楽業界って。
ヤツらにとって、世界はあっち側(パンピーの部)とこっち側(あーちすとの部)しかなくて、もちろん、自分はこっち側にいて、そのことが最大の幸せなんだろう。その幸せを誇示したくて、「おれは、もう聞き飽きてるからさ」という態度を見せることに熱中してやがる。
待てよ。周りから見たら、オレは「食い入るようにステージを見つめている偏執狂一歩手前の音楽おたっきー」に見えるかもしんないな。嫌だな、それも。
ライヴ終了後、CD即売会(なんだか産地直送の大根みてぇだな)とサイン会。「売りきれるかもしれない」との声が上がり、よりレジに近い位置にいた辻田氏に頼むが、「一人一枚」と言われ、列の最後尾に並ぶ。無事、入手してサインも貰い、辻田氏らと合流して「ASAHI BEER HALL」へ行く。
辻田氏と「川崎のチャーハン」氏、「しぇんて」氏の四人で飲んだのだが、途中からたいへん恥ずかしい事をしてしまった。あちこちでお詫びをしているが、この場でもお詫びをしておきたい。
ごめんなさい。
新宿 シアターPoo GOLDEN-FISH CIRCUS で音響係。
先月に引き続き、触れずに済ませたい出来事。しかし避けて通るわけにもいかんでしょう、これだけ他人の悪口(とは思ってないんだけど)を書き散らしていると。
少なからず、ヘコんでるんだよね、実は。
アンケートってやつには、友達関係の濃淡がきっちり反映されるもんだし、そういう点では、ポエトリー・リーディング(注1)の世界には知り合いも少ないし、誤解を恐れずにいえば、傍から見ていて友達になりたくない感じの人も少なからずいるし。だからアンケートで「エコーがちょっと」だの、「聴き取り辛かった」だの書かれても、そのこと自体は技術的な反省点として受け取るだけで、ヘコんだりはしてないんだわさ。
ところが、今回はこの「技術的な反省点」がもろにオレの性格の弱さを露呈しているわけで、そうすっとヘコんでしまうんだよなぁ。
このパターンが一番いややねん、オレ。不可抗力だの、技術的限界だの、予算的限界だのの問題だったら、ぜーんぜん平気でへらへらしてんだけどもさ。
性格的限界。むむむむむ…。
やっぱねー、オレは、芝居をやってた人だなーと納得しましたよ。ええ。マイクの使い方、下手だもの。デジリバの使いこなしも、たいしたモンじゃなかったよな。
芝居でマイク使えって言われても絶対、断ってたしな。役者が、自前の声で勝負できないんだったらやめちまえ、って未だに考えてるしな。
いかん、いかん。これは GOLDEN-FISH CIRCUS の話だ。なん年も前に終わった芝居の話じゃない。
えーと、これ以上、詳しく書くと言い訳になるし、オレ自身がますますヘコむのはいいんだけど、傷つく人も出て来かねないんでここら辺までにしたいんだけど、終演直後に出演者の一人に「楽しそうにやってたね」と言われて、そういやそうだと思ったと。やっぱ、楽しいのがいいよね。楽しかったよ、本番中は。技術的な反省点は、全部、理解できてたけどさ。やりながら、出来る限りの対策は講じていたし。
収穫は、ジュテーム北村、近藤洋一と親しくなったこと。正直言って、傍から見ていて友達になりたくない感じの人 No.1 が、この近藤洋一だったんだから、良かったろ、やってみて。って誰に向かって言うとんねん。
今月も結構盛りだくさんになりそうなので、ここいら辺で勘弁して。
追記。マイクとデジリバについては、今回で、ある程度、掴んだね。次は見てろよ。って、誰に向かって言うとんねん。
直訳すれば、詩の朗読。しかし、かなり広範囲なパフォーマンスを含む意味で使われることが多い。オレは、この言葉には違和感を感じるんだけどな。和製英語でもいいから、なにか目新しいネーミングをできれば、世間への浸透度も上がるんじゃね−か。えみコバーン featuring 武田真 LIVE at 新宿Talking Monkeyz
恒例になったトキモン「公開リハーサル」である。
ここんとこ、あちこちのライブに遅刻の多いオレは、一念発起して早めの到着を目指すべく、仕事をええかげんに切り上げて新宿へと急いだ。新宿駅に降り立ったあとも、立ち食い蕎麦にも紀伊国屋書店にもHMVにも目もくれず、ヴァージンメガストアだけはちょっと覗いて(地下道行くと、通り道なんだよ)トキモン到着は19:40。ライブ開始の20分前である。なんだ、やればできるじゃないか。
店のドアを開けると、ありりん?えみコバーンと真ちゃんだけがぽつねんと座ってお互いの間にある空間を眺めている。客が少ないのはいつものことだが、これは少ないという事態をずいぶん通り越してるぞ。
「早すぎた?」と訊くと、「まだ三上さん(トキモンのオーナー)も来てない…」と心細い声。ほんとに二人だけだったのだ。劇団やバンドの苦労話で「客席よりステージ上のほうが人数が多かった」というのはあちこちで聞く話だが、今夜はたった二人のユニットなのだ。とはいえ、まだまだ時間はある。音合わせもチューニングも終わってすることがない二人を尻目に、オレは無料配布用のパンフを眺めて暇つぶし。
そのうち、トキモンのバイトくんが友人とともに到着し、人数では客席が優勢になる。オレもようやくビールにありつける。が、ここで事態は膠着してしまう。今日は、マネージャー氏もさいとういんこ社長も来ないらしい。バンドのほかのメンバーも来ないらしくて、それは要するに…。
えみコバーン「えー、三上さん待ちで三十分押しでーす」
結局、三上さんが来たのが20:20ころ。最低限の人数を確保したら、今度は時間が余ってやんの。
えみコバーン「えー、今日は前座がいないので、自分たちで前座をやります」
ライブの予定曲目に入ってなかったという「逆髪(さかがみ)」を演ると、ちょうど20:30。「お待たせしましたぁ」はい、待ちくたびれました。
このまま最低限の人数でライブ開始。ところが、こういう時のえみコバーンと真ちゃんの演奏は、実にいいのだ。マネージャー氏やいんこ社長の不在も、ジンクス通り、いい方向に向いている。なんだかなぁ。
もちろん、歌詞を忘れたり、MCでこんがらがったりという得意技(?)もカマして、えみコバーン&真ちゃんは快調です。
以前、オレはえみコバーンのことを、「逆境に強い」などと評していたのだが、どうやら間違っていたようだ。真ちゃんは、それに輪をかけたような性格で、見ていてホントに困る。「頑張れ」という言葉はオレは正直言って大嫌いなのだが、この人たちには他にかける言葉が見つからない。
これを読んで、えみコバーンにちょっとでも興味を持った方、ぜひ一度、えみコバーンを見てやってください。地理的に無理な方は、彼女のHPで「バタフライ」をダウンロードして聴いて見てください。絶好調時のえみコバーンはホントにいいんです。25年間、ポップス・ロックを聴いてきたオヤジが保証します。
がんばれ、えみコバーン。