Feb. '01
2/27 新宿 Talking Monkeyz えみコバーン Live featuring 武田真
2/ 2 御茶ノ水ディスク・ユニオン・インディーズ館 上野茂登 インストア LIVE
新宿 Talking Monkeyz えみコバーン Live featuring 武田真。
当初、いくつか入れていた予定が、食い過ぎによる腹痛(キミ、歳はいくつだね)だの寒くて出掛ける気がしないだの行ってみたら時間を間違えていただので上野茂登さんだけになり、その上野さんもちゃちゃっと済ませると、たんに中傷しているようにしか思えなくなりそうだしで、「2月はお休みかな」と思っていたところにやってきましたえみコバーン。これがなければ、上野茂登さんのライヴの感想は、闇から闇へと葬られることになったはずだ。その方が誰にとっても幸せだったかもしんないけど。
さて、えみコバーン。
本日のライヴのタイトルは「全部新曲ってマジっすかー?!」。こっちのせりふじゃ、そりゃ。
まあ、たしかに「べや」(注1)発売から一年ほど経って、メジャー・デビューも間近に迫り(とは聞いてるけど、いつなの?)、そろそろ「べや」の曲だけじゃあさびしくなってきたのは間違いないし。十月くらいから二曲は小出しにしてきているし、まるっきり出来てないわけじゃあないのだろう。
しかしなあ、歌詞、間違えないか、えみコバーン。と、突っ込み意欲まんまんで Talking Monkeyz に向かうオレだったりするんである。可哀相なえみコバーン…。
紀伊国屋書店で山田正紀の「宝石泥棒U(<=これ、副題。正しい書名は忘れた)」を購入しようとして探し回るが見つからず、店員さんに聞いたら、
「売り場の移動で、3月6日までハルキ文庫は取り扱いません」
だって。「新宿鮫」の新刊と「ハイ・フィデリティ」を購入。時計を見ると、8時5分前。まさか時間どおりにはじめるわけもないが、とりあえず Talking Monkeyz に急ぐ。
えっちらおっちらたどり着き、ビールなどを舐めていると(注2)、
「前座で〜す」
と、えみコバーンのバンド、えみコバーンドのベーシスト一色進(注3)が登場。「こっちも新曲ばっかり四曲やります。さくさく行きましょう」と、はじめるが、曲間のMCでしゃべるしゃべるしゃべるしゃべる。えみコバーンの課題である愛想は、最近、すこし改善されつつあるが、今後はバンドでやるときは一色氏をMC担当にしてしまうのもテかもしれない。でも、それだと話題がおっさん臭くなってしまうか。
ま、とにかく、えみコバーンドのときは「寡黙なベーシスト」の一色進が、ソロになったとたんに見せたエンターテナー(注4)ぶりは、人間、引き出しは多いに越したことないな、とうなづかせるに足るモノだった。
一色進の演奏が終わると、待っていたかのようにさいとういんこと明石隼太が登場。さいとういんこは、作詞家・詩人兼「べや」を売っているインディーズ・レーベル「リトル・エルニーニョ・レコード」の社長。明石隼太は、CM等の作詞作曲の傍ら「リトル・エルニーニョ・レコード」からHolonic PlatinumsというユニットでCDを出しているミュージシャンである。
ここでちょっと話がずれるのだが、さいとういんこのHPでは、日記を公開しており、日記才人という日記の人気投票ランキングに参加しているのだが、今年の一月からこの人気投票用ボタンのリンクが切れていた。そんなこととは露知らず、オレはこの投票用ボタンを押しつづけていたのだが、ある日、彼女のHPのBBSに「日記のボタンのリンクを直したので押してね」とのメッセージが出ている。ありゃりゃのりゃ、なんていうことだ。ここは一発ボケておかねばなるまい、と、ピントのずれた使命感に襲われたオレはBBSに、「今まで律儀に押し続けていました。オレの青春をかえせ〜」と書き込んでしまった。
考えてみれば馬鹿な話ではある。青春と証券会社の損失補填(注5)は、返せるわけがないのである。案の定、即座に返された応えは、「(青春なんて)とっくに終わっているくせに」であった。正しい応えではある。ところが、この正確無比な返答にキレたオレは、ある決意を固めた。それは…。
テロである。逆恨み犯罪の典型とも言える待ち伏せ襲撃である。
店内に入ってくるさいとういんこの姿を認めたオレは、左手の指をまっすぐに伸ばすと、顔の前に垂直に立て、続いて右手の指を伸ばすと手首のあたりでクロスするように水平に持ち上げた。スペシウム光線である。びーっ。さいとういんこは、気づきもせず、オレの横を通りすぎて行った。テロは失敗に終わった。
そういうひとり馬鹿をやったり、お通しのおでんをつついたりしているうちにえみコバーンと武田真がステージに登場。
一曲目は「イン・ザ・スープ」。なんと、えみコバーン、ギターを持たず、タンバリンを手にしております。さては、あれでテロを…。んなわきゃねぇだろ。
どうせならマイクを手に持って横ステップしながらうたってほしかったが、いきなりそこまで求めるのも酷と言うモンだろう。ギターがなくてなんだか手持ち無沙汰なのが初々しくて、えみコバーン、なかなか可愛いところもあるじゃん。
二曲目からはえみコバーンもギターを弾いて歌いはじめるのだが、なんだか音のバランスが悪い。Talking Monkeyz には8chくらいのミキサーがあって、そこんところで音の調整をするんだが、今回は、アコギのピックアップとヴォーカルマイクからのラインをステージ上のダイレクション・ボックスに突っ込んで、そこからミキサーに送っているらしい。確認しとらんからわからんけど(<=逃げてる)。
どーも、そのダイレクション・ボックスのところでノイズが出てしまっているのだ。細かく言うと、ピックアップからプラグ(シールドって呼んだようがいい?)を差し込んだところから。ギターの音が割れて、聞き苦しい。つーか、辛い。
二曲目から三曲目の間で、さいとういんこさんが「ギターの音、おっきい」と言って(さすが社長)わずかに事態は改善されたが、なにしろノイズというのは音量を下げたからといって解決する問題ではないので、オレに関する限り、音楽としていい感じに聴こえたのは一曲目だけであった。まぁ、これもライヴなのだな。
新曲は、歌詞の面では深化したというか、複雑化したというか、「おともだち」のような「言葉は単純/内側の感情は多重」という感じではない。語彙が増えて、歌詞じたいも増えて、その点では、ちいさなデイパックに収まりきっていたのが、台車が必要になった感じ。だから、メロディも重くなってしまったような…。まぁ、「おともだち」レベルの曲を量産できたら、ほんとにジョニ・ミッチェルなんだけど。
作り込み過ぎなのか、磨ききれていないのか、このままでは苦しいと思うけど、リハやライヴを重ねて仕上げて行ってほしいものです。なんて、PAが好調だったら、ちがう感想を持ったかもしんない。オレも、時々は音響をやるのだから、そういうとこ、よく考えるようにしないとね、とこれは後知恵。
曲も、歌詞も、ベーシックな部分では、えみコバーンの持つ「ちょいズレたかわいらしさ」がよく出てるのが多いですから、アルバムになるのが待ち遠しいです。「べや」持ってない人は買ってみてよ。いいから。
上野茂登 御茶ノ水ディスク・ユニオン・インディーズ館 インストア LIVE。
これはなぁ、公開してもいいもンかどうか迷ってるんだよ、ずうっと。今日は2月28日で、つまり、この LIVE を見てから既に3週間と半分が経過しちゃったのだが、未だに整理できてないってーか、困ってしまってるってーか。
オレは、どっちかってーと、批判されても平気なほうである。むかーし、むかし、芝居をやっていた頃なんか、アンケートにある程度の批判がないと「オレ、無視されてる…、ひん、ひん(<=泣き声)」となってたくらいだ。たいていの批判は自分自身で織り込み済みだし、想像もしなかったのが来たら、斬新な着想に驚いたり理解力のなさにあきれる程度で、批判自体に腹を立てたことはない。誤解ももちろんあったが、どういう誤解であれ、思考を放棄した誉め言葉よりもうれしかった。はずだ。
それで、自分以外の、形のないモノ(音楽や、芝居や、踊りや、落語や、詩の朗読や、スポーツなんか。表現行為ってやつですか)をやる人も、「無視されるくらいなら悪口言われたほうが百倍ハッピー」だと勝手に思い込んでいたのだが、どうも、世間では、オレみたいなのは変わり者の部類に入るらしい。
サッカー日本代表で素晴らしいプレーを見せてくれる中村俊輔(横浜Fマリノス<=早くFを取ってくれないかな、なんだか痒くて)のインタビューを読んでいて驚いてしまったのだ。
「怒られるのも、批判されるのも嫌だから一生懸命に練習した」というのである。
彼の想像力溢れるプレーは、テレビ観戦に限ってはかなりの通だと思い込んでいるオジサン(オレのこと)の目には、そういうなにかに怯えるような部分が一片も見当たらなかった。独善の紙一重の手前で繰り出されているかに見える彼のプレーからは、そうまで周りの目をネガティヴに意識していたとは想像もできなかった。世間とは、日本人とは、こういうものだったのか…。
上野茂登さんのレポートのマクラに、どうしてこんなことをぐだぐだと並べ立てているかというと、ここから先、ナニが出て来ようが絶対に上野さんの批判ではないことを先に明らかにしておきたいのだ。オレのことを、「他人の悪口をこっそり公表して喜んでいる不快なヤツ」と思っている人がいるかもしれないが、そういう考え方に対する反論はとうに諦めている。そういうゼロサム・ゲーム的世界認識の持ち主とオレとは、踏んづけている地面が違うのだ。ただ、今回だけは、どのような誤解も受けたくはない。よろしいかな?
では、本題に入る。
面白くなかった。
いかんいかん、ここでやめちゃうと、悪口にしか見えない。
いちおう、上野さんがどういう人なのか、ちょっとだけ紹介しておく。と、偉そうに言っているが、オレもまったく知らなかった。RIKKI BBS の札幌の末木さんの投稿で知ったのだが、末木さんのHPに詳しい紹介が出ているから、見てほしい。以下は、オフ・ラインでこのページを読んでいる人のためにあちこちのサイトから得た情報の要約。
・東京三味線師。現代を生きる東京浮かれ節の語り部。
・和洋折衷アンサンブル、「つれれこ社中」では三味線とヴォーカルを担当。
・現在、ソロ・アルバム「あたま金」、「緑の人よ」が発売中。さらに二枚、発売予定。(2001年3月現在)
・これまでソロ、あるいは「つれれこ社中」として共演したミュージシャンは、忌野清志郎、鈴木博文(ムーンライダーズ)、高田渡、友部正人、三上寛、ピアニカ前田、栗原正巳(栗コーダーカルテット)ほかたくさん。
ちうワケだ。
なんでオレなんかがこういう人を見に行ったかといえば、「只だったから」、「会社の帰り道だったから」、「ちょうど時間があったから」というめちゃめちゃ消極的な理由なの。「なにか目新しいものに出くわしたら超ラッキー」て気分。
そんで、当日の現場の雰囲気だが、上野さんはなんだかめちゃめちゃ居心地悪そう。平積み用の台と棚をどかして空けたスペースの真ん中に、椅子を置き、マイクとアンプ(小型のヴォーカル・アンプでしょうか)をセットして、あいさつもそこそこにうたいはじめる。かなり落ち着かぬ気に三味線をチューニングしてはうたうんだけど、この声がなかなかにいい声で、単なるレコード屋さんのフロア全体を埋めていく。
「マイクとアンプがあるから」なんて半可通は言いそうだけど、そんなに甘いもんじゃない。低い天井に、プラスティックをビニールで包んだCDと呼ばれる物体がフロアに充満する状態は、オレの乏しい音響学の知識から言ってもあまり芳しいものではない。壁や天井に当たって反響するまでの時間が短い上に、妙に残響時間(いちど鳴った音が響き続ける時間)が長いので、うわーんて感じでうるさく聞こえるはずなんだ。なのにこの豊かな声はなんだ?。
ヴォーカリスト上野茂登、ただ者ではない。
しかし、視点をヴォーカル・パフォーマンスという局所から、彼の音楽全体に目を転じると、ひどく否定的な気分になってしまう。
まず、大雑把に表現すると、彼の音楽は江戸時代から続く小唄をベースにして、そこに'70年代のフォークソングの歌詞を現代的に翻訳して載せたものに聴こえる。ちょっとややこしいかな?
曲名は忘れてしまったが、「江戸川べりを自転車に乗っていたら警官に職質された」という曲は、オレから見ると岡林信康風に思えるし、「大根の葉っぱは捨てないで。炒めて食べるとおいしいよ」と唄う曲には、遠藤賢司の「カレーライス」がアーキタイプに思える(実際は、きっと、もっとたくさんある)。
現代的だ、というのは、「職質」が'70年代だったら「国家権力」というイメージが醸し出されただろうに、「うざいなぁ」レベルの呟きで完結していること、「大根の葉っぱ」では、反対に「個人」ではなく「環境問題」が被ってきていることが、オリジナル(つーよか、アーキタイプ=原型)との決定的な違い。上野茂登は、紛れもなく現代のアーチストである。
だが、彼が仮託している「小唄(もっと正確な分類があるのだろうが、オレは知らない)」というスタイルは、彼の持つ本質的な大衆性やアナーキズムをオレのところまでは届けてくれないのだ。それは、例えて言えば、ヤロミール・ヤーガー(チェコ代表のアイス・ホッケー選手)がフィギュア・スケートをやっているのを見ているような気分。
断るまでもなく、オレの目から見てすら、上野茂登はスタイルに安住する様子はない。拡大し、裏をかき、身を売る振りすらしながら前進しているのだろう。だが、どうしてもオレには「ナニカが、決定的に、違う」としか見えないのだ。んじゃ、ナニが違うんだ?
過去の記録をご覧いただければお分かりいただけると思うが、オレは、沖縄方面の音楽が大好きである。ことにあの、三線(さんしん。ただし、奄美地方では三味線と呼ぶ)の音が好きで、「自動さんしんプレイヤー・さん吉くん」なんつーソフトをダウンロードしてデスク・トップに貼り付けているくらいである。
ところがダメだったんである。ヤマトの・伝統的な・三味線の音が。
そして、その三味線とともに紡がれる小唄のリズムとメロディーが。
ヤマト三味線と琉球(この古名のほうが呼び方として好き。沖縄っていうと、沖縄県になるけど、琉球だと奄美や徳之島も含むイメージになるし)三線。見た目でぱっとわかる違いといえば、ヤマト三味線は胴の部分にナニか獣の皮(猫ってホント?)を張り、琉球三線はニシキヘビの皮を張る。胴や棹を作る木材の材質も、ヤマト三味線は白木のイメージが強いが、琉球三線は黒檀の木を使って、黒いイメージがある。まあ、イメージとしては白対黒だ。
歴史的には、中国から三弦と呼ばれる楽器が、室町時代から戦国時代あたりに琉球に伝えられて琉球三線になり、そこから江戸時代の初期までに大阪(堺)に持ち込まれたものがヤマト三味線になったという話。そうか、当時はエレクトリック・ギターみたいなモンだったかもしんないな。
だから、意外と新しいんだね、歴史的には。いわゆる邦楽には、三味線は入れてもらえないし、地方の伝統芸能でも、江戸時代以前からのものでは、三味線がないんだ。祭囃子なんかも、笛と太鼓がメインでしょ。三味線が高価だからとか、習得が難しいからという理由じゃないんですよ(でもね、ちょっとはあるはず)。時代小説なんか読んでも、武家の妻女の嗜みとして琴をやることはあっても、三味線は出てこない。ううむ、やはりエレクトリック・ギターみたいなモンだったかもしんない。
さらに話はズレて行く(そのうち戻るから気長に見てて)んだけど、オレは、文化はサロン化と大衆化の二つのベクトルを持つと考えてる。えっと、そうだな、剣道ってあるでしょ。あれがいい例かな?三味線とは時代的にも近いし。
かなり素人考えで行っちゃうから、適当に笑い飛ばしてほしいんだけど、戦国時代には、武士にとって最大の武器は弓矢と槍だったと思うんだよ。当時の戦国大名の異名で、「海道一の弓取り」なんてのがあったし、豊臣秀吉の部下には「なんとか七本槍」と呼ばれてた連中がいたでしょ。刀というのは、弓で傷つけ、槍で弱らせておいて、とどめを刺すための道具として扱われてたと思うの。当時の合戦なんて、首狩り族の闘争と同じ次元なんだから、めぼしい相手の首を切り取るのが目的のひとつだったわけで、フランス料理でナイフとフォークがなん種類もあるみたいに、目的に応じて使い分けてた武器のうちのひとつだったんだね。
ところが、江戸時代に入って平和になったら、刀は持ち歩けるけど、槍はあれこれ不便で家に置きっぱなしになっちゃった。そこからなんだね、「刀は武士の魂」だの「剣の道」だの言い出すのは。サロン化していくわけさ。
その一方で、刃物を使った闘争の原点である「とにかく、先に斬るか刺すかした方が勝ちだ」というのは、子供のチャンバラごっこに保存された。こっちでは、大衆化したんだな。
いま、スポーツ・チャンバラっていうのがあちこちで催されるようになってるけど、この大衆化の部分のおかげもあるだろうと思うわけよ。
ここで話がすこし戻るんだけど、ヤマト三味線はサロン化はしたけど、大衆化しなかったんだね。堺の商人たちが自分たちではじめて、そこから経済的に余裕がある人たちの間で同好会的に広まっていった。茶道と似た経路と言っていいかな?
元禄時代から江戸や堺の町人階級にも広まっていったんだけど、津軽三味線みたいな例外を除いて、土着文化と融合しなかった。ここで、町人階級に広まることを大衆化と呼ばないのかって言う人もいるだろうけど、呼ばないんですよ。もうその頃には、独特のヒエラルキーが出来てたんじゃないかな?日本文化全体の悪い癖で、家元を作って、免許を出して、中央集権的卸売り制度にして、徹底して異端を許さない。町人階級への浸透は、サロンの数を増やしただけなんだな。放っときゃ絶滅するような脆弱な文化を守るのにはいいやり方なんだけど、生命力があるものには、むしろ毒になる。
一方の琉球三線は、中国から入ってすぐに当時の琉球王朝の御用達になっちゃって、民間には王宮の塀越しみたいに入っていった。ところが当時の琉球には町人階級が存在しなかったから、塀越しに出てきたものは、世間の風に当たってその場で死んじゃうか、土着文化と融合することになる。
ここで運がよかったのは、琉球地方には「野遊び(もーあしび)」という、夕方から夜にかけて、若い男女が浜辺やなんかで一緒に歌ったり踊ったりして遊ぶという習慣があったことでしょうな。もちろん、盛り上がってきたらカップルで消えちゃうってことは当たり前だったんだろうし。盛り上げるためには、人間、ない知恵も振り絞ろうってもんですよ。単に土着化するだけだと、信仰行事と結びついて、宗教儀式は形式を重んずるから、硬直したものになりがちなんだけど、ナンパの場合は硬直しようがないもんね。
で、すぐに融合して、大衆化していった。一方、王宮に入った方は、もちろんサロン化することになったと。
なんでサロン化がいかんのかというと、スタイルが画一化するんだよ。バッタ流のサロンはバッタ流のスタイルしか認めないし、イナゴ流のサロンでトンボ派は相手にされない。「斬新=間違い」という図式が成立しちゃう。まあ、サロン自体の性格にもよるんだけどさ。一方、大衆化すると、少数派でも運さえよければ生き延びる可能性が出てくる。世界は多様性を手に入れることになる。ってのはちと大げさか。
三味線の音色が、琉球三線と比べてちょい暗めだというのも、オレは使用されてきた環境によるものだと思うんだよなあ。胴に張る皮の違いで、構造的な原因だという説もあるけど、人間、明るい音がほしいと思えば、なんとかしちゃうもんだと思うよ。無茶言ってっかなあ、オレ。
いや、もちろん、音色の違いは、琉球音階とヤマト音階(よく知りませんが)の違いが大きな原因なんだろうけどね。
そんで、上野茂登さんに戻るんだけど、オレが感じてた違和感は、サロン育ちの音楽(三味線の登場から、俗謡が洗練されて小唄になったと仮定して)と楽器に対する違和感だったのかもしんない。いや、もちろん、こんな小理屈をコネながら聴いてたわけじゃないけどね。オレに関する限り、リズムとメロディを置いといてヴォーカル・パフォーマンスだけに集中すれば、実に豊かな時間を過ごせたわけだから。
終演直後、挨拶をしようとした上野さんは、ものすごい咳でしばらくしゃべれなくなってしまった。風邪で、ドクター・ストップが掛かっていたのを押しての演奏だったらしい。それであの唄声なのだから、驚くというか、恐れ入るというか…。
上野茂登、只モノではない。
いつの日か、オレは上野さんの音楽をまったく抵抗なく受け入れることができるかもしれない。その日が来るまで、オレの記憶のどこかに、上野茂登という名前をきっちり保存しつづけなくては。
しかし、困ったことになったもんですな。自分が生まれ育った地域の文化よりも、ずいぶん遠く離れた地域の文化に対してより親近感を感じるんですから、オレのアイデンティティはどこにある、てなもんだ。
注1.「リトル・エルニーニョ・レコード」から発売されているえみコバーンのインディーズ・ファーストアルバム。今なら、えみコバーン自ら手作業でプラスチックのビーズを入れた「マラカス仕様」が買える。
注2.どういうワケか、かわいい女の子がバイトしている。毎日通おうか、などと不埒な考えが頭をかすめるオジサン、38歳を目前にした早春である。
注3.'80年代にタイツというバンドをやっていた人。当時のオレは、ライヴハウスに通う習慣も金もなかったが、ぴあのライヴハウス情報ページで数回目にした記憶がある。すでにバンドは解散して数年経つらしいが、彼らのアルバムのうち一枚は、こちらでダウンロードできるとのこと。
注4.最初、引き気味だった客も、徐々にウケるようになっていった。
注5.ご存知の通り、オレは株なんぞやる金は持ってないが、たとえ持っていたとしても、あの一件で完全に株式投資に対する信頼はなくなった。誰が言ったか忘れたが、「株式市場では、全員が儲かるときもある、全員が損をするときもある」という原則があってはじめて投資が行われるのだ。損の度合いを恣意的に決められたら、誰が金なんぞ出すものかというんだ。上得意客の損失を減らしたいというのは人情としては判らぬでもないが、どだい人情が入るような規模で経営してはいない筈である。今になって庶民のことを一般投資家なぞと呼び、景気のテコ入れのために投資熱をあおろうとしているが、一朝コケたら庶民は丸損、企業は掠り傷ということがバレた今、なかなか株式市場が活性化するものではない。な〜んて、ちょっとエラそうに能書きタレてみました。