やつあたり雑記帳…お出かけ記録

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Dec. '00

12/ 9 品川六行会ホール W.シェークスピア:作 「リチャード三世」栗田芳宏:演出

12/10 湯島聖堂 楽市楽座 ポエトリー・リーディング

12/16 中野ウェストエンド・スタジオ 劇団SHOW−GUN 麻華 涼:作・演出「DOORS」

12/20 新宿 Talking Monkeyz えみコバーン LIVE に間に合わず

12/29 南青山 Ojas Lounge ポエトリー・リーディング「東京SLAMMING」



 12月29日

 南青山 Ojas Lounge ポエトリー・リーディング(注1)「東京SLAMMING」。

 いかん、こんなことをしていてはいかん!オレには、年に一度の掃除(掃除じゃあないんだな、コレが)と年賀状の宛名書きという大切な仕事があるんだ。「お出かけ記録」なんぞにうつつを抜かしているヒマはないんじゃあ!!
 でもなぁ、田舎から戻ってきたら、ぜったい、このイベントのことは忘れるしなぁ。てゆーと、忘れるほどつまんないイベントだったかと思われるかもしれんが、実を言うと、そういう傾向は無きにしも非ず、だ。
 オールナイトのイベントで、単にオレの行動時間帯を大幅に過ぎ去って、眠かっただけかもしんない。だから、出演者の問題ではなかったのかもしんない。そーだよ、個々のパフォーマンスは主催者(Ojas Lounge)側で選抜した詩人/パフォーマーだけあって、やはりオープンマイク(注2)とはひと味もふた味も違ってたんだ。じゃ、ナニがそんなに気に入らなかったのか。

 一、やっぱり眠かった。
 二、進行の手際が悪くてもたついた。
 三、床に座っていたら、姿勢が変えられなくて体がこわばった。
 四、単車で行ったので、酒が(好きなだけ)飲めなかった。
 五、一部の詩人のパフォーマンスが、常軌を逸した長さだった。
 六、羽で〜も七面鳥。

 問題:上の一〜六の中で、明らかにオレのせいじゃないものを上げよ。(制限時間十分)

 いったん、マイクを握ったが最後、雷が鳴ったくらいじゃ放さない(現代人、音と光の刺激には強いデス)。そんなカラオケ親爺みたいな詩人てのは、確かに存在するわけで、そういう人たちに「だらだらしてんじゃねえ」とか言ったところで、馬の耳に念仏とでもいいますか、その程度の迫害には慣れている人たちでありまして…。

 もういい。本日の収穫。藤縄てつや、「JR大阪環状線ブルース」、途中でダレた(長かった…)けど、面白かった。大阪環状線には快速電車はないんだろうか。
 Qill(キューイルって呼ぶんだって)。30年ほど時代を間違えたヘア・スタイルも含めて、良かった。
 マサ・ホシノ・ハルがなんで刺激的なのか、ちょっと判った。彼の詩は、映像的なイメージを喚起しないんだ。詳しいことについては、また今度。
 ね、眠い…。



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 12月20日

 新宿 Talking Monkeyz えみコバーン LIVE に間に合わず。

 LIVE の開始時刻が20:00で、大手町のフロアを出たのが20:45。一昨日のリトエル祭りに行けなかったので、今日は見逃したくなかったのだが、やっぱりダーメね〜。Talking Monkeyz に着いたら、えみコバーン、マイクその他を片付けてました。
 それでもえみコバーンの笑顔のお出迎えで店内に入ると、リトエル祭りのビデオを上映中。えみコバーン・バンドは、えみコバーンのアコギ(PU付き)にギター、ベース、ドラムのシンプルな構成。ブッシュミルズを飲みながらビデオを見る。飲みすぎるとトロトロになっちゃうから、ほどほどにね。
 リトエル祭りのえみコバーンは、La MaMa の照明が暗いのと、ビデオの映像が引き気味だったのとで表情までは見えないものの、いつものように神経質な様子が見えないし、申し訳程度に喋る MC でもちゃんと客席を向いて喋ってる。おっ、足踏みまでしてる。見終えて、リラックスして出来たじゃんとえみコバーンに言うと、「とんでもない、こんな感じ」とへろへろポーズ。
 あ、そうか。緊張した人の出す声は、高音がとんがって低音が響かなくなるのですぐにわかる(喉の上奥部に力を入れるとふだんでも出来る。やってみ)のだが、Talking Monkeyz のスピーカーは細かな再現能力がゼロの BOSE だから、ニュアンスが消えて、心地良く聴こえちゃったんだな。

 前々からずっと考えているんだが、えみコバーンのバックには、ぜったいキーボードが必要だ。きっちり隙間を埋めて、カラフルに染め上げるキーボードがあれば、特にえみコバーンのスローな曲は、輝きを増すにちがいない。
 それと、えみコバーンの課題としてみんなが一致してあげているのは「愛想」だが、その次の課題もちゃんとあるんだということにオレは、気づいてしまった。それは、ハンド・マイク。マイクを手に持って、ステージの前っツラを横スキップしながらうたうことだ。
 メジャーデビューすることになった以上、ネット主体でマイ・ペースだとか身の丈経営だとか言っててはいけない。出て行けるところにはどんどん出て行ってアピールしなくちゃ。
 そのためには、ハンド・マイクだ。マイクを手に持って、ステージの前っツラを横スキップしながらうたうのだ。ばかみたいに思えても、渡辺美里じゃねーんだばーろとか思っても、やらねばならぬときもあるのだ。

 リトエル祭り全般としては、ほぼ定刻どおりにはじまったものの、六組の出演で時間が押しに押して、トリのえみコバーンの出演は10時を過ぎていたとのこと。なんだ、ホロプラは無理だったとしても、えみコバーンは見れたじゃねーか。
 今年も悔い多き年の瀬ではある。



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 12月16日

 中野ウェストエンド・スタジオ 劇団SHOW−GUN 麻華 涼:作・演出「DOORS」。

 実は、長期的な予定では、早起きして単車で伊豆の林道に行くつもりだった。ところが、連夜のアダルトサイト探訪の結果、起床は十一時。この季節では、林道に着く頃には暗くなっちまう。それではどっかに出掛けましょうか、ちうことでこのSHOW−GUNか、下北LOFTの「CLOSING TIME(さいとういんこ出演)」かで争った結果、SHOW−GUNが勝ったわけだ。こっちのほうが安かったし。二年も続けてDMを送り続ける根性にも負けたし。

 そのDMがなかなか見つからなくて、中野到着は開演時間の15分前。ウェストエンド・スタジオってのは遠いんだよなー、開演前にトイレにも行きたいし。そう思いつつ通り過ぎる中野ブロードウェイは、名前とは裏腹の単なる商店街。でも、通るたびに「もうすこし時間があればなぁ」と思ってしまう。板橋区の大山商店街と並んで、オレにとっては雑踏が苦痛にならない、殷賑が好奇心を刺激する不思議な場所だ。どっちもオシャレ感覚がゼロに近いってのがいいんだろうか。

 さて、ウェストエンド・スタジオだが、ここはタッパが高くて間口が広くて、この高ささえ消化できればいろんなことが出来る劇場だ。はったりが利くっていうかさ。照明家が好む劇場ではないか? ただし、客からみると、正面の平面積が大きすぎて全体の把握が難しい。この公演でも、上手と下手に「主人公の小学生とその仲間」対「主人公をいじめる同級生たち」という構図が幾度かあったのだが、集団同士の距離が開きすぎてテンポが悪くなってしまう。いや、テンポを落とすことで自然に見えているのだが、勢いがないってーか、いいから早くしろってーか、この距離を詰めるだけで全体がスピード・アップするんだぜってアンケートに書いてくりゃあ良かったかな。
 スピード・アップって言えば、長かったねー。19:30 開演で、終わって劇場の外に出たら22:40。尾底骨が痛かった。ただ、不思議と芝居のサイズは苦痛ではなかった。全体のどこいら辺まで進んでいるのかが判りやすかったせいだろう。

 えーと、ちゃんと筋を書いとかんと判んなくなるよな、これじゃ。

 主人公の佐藤直樹くんは小学校六年生(演じるはまだ ゆか((ひらがなの芸名は、色でも変えないと判んなくなるからさ、他意はないぞ))さん、違和感なし!)。母子家庭でおじいちゃんつき。どこやらかおかしくて入院しているらしい。さらにおじいちゃんも入院中。おかあさんは直樹に「アドヴェント・カレンダー」と手作りの黒いウサギのぬいぐるみを持ってくるが、このウサギが人格を持ち、直樹に話し掛ける。さらにはおじいちゃんも若っぽくなって登場。三人が「アドヴェント・カレンダー」を開きはじめるといろんなモノが出てきて…。
 つーはなしである。別にこれは公演案内でもなんでもないので最後までバラしたって問題ないだろうが、なんか観念的な終わり方でさあ。「物語を閉じない」っちゅう信条でそうしてるみたいな感じだったから、それはそれでいいんだけど。
 この「アドヴェント・カレンダー」というのは、12/ 1 から 12/24(クリスマス・イヴ)までのカレンダーでもある箱状の物体で、一日ごとにその日の分を開けていくと、お菓子やおもちゃが入っている、というモノだそうである。見たこたないからイメージわかんよ。むかし、駄菓子屋にあった、間仕切りがある箱に中身が見えないように紙が貼ってあって、一回二十円かそこらで紙を破いて中身のおもちゃを取り出すっていうあれに近いものだろう。

 はじまって十分くらいは、背景を隠す幕(なんて呼んだっけ、忘れちゃった)があって、それが開くと人体サイズの「アドヴェント・カレンダー」が現われ、番号(日付だな)が付いた布を取ると中から役者が出てくる、という趣向だ。上にもあるように 12/ 1 から 12/24 で24日分あるわけだから、さすがに間口の大きなウェストエンド・スタジオでもぎちぎちになっちゃってる。もちろん、横に並べるわけにはいかないから上に重ねて三段組にしているんだけど、いちばん高いところで5m以上あって、それを総勢22名の役者と「ピンク色の不思議な生物」が出たり入ったり行ったり来たりするのだから賑やかなことこの上ない。だから舞台上の人物が二、三人になっても絶えずうしろでうろうろガチャガチャやってるのが聞こえて気が散ってしまう。2時間くらい経ったら慣れたけど。そうか、そのための長い芝居だったか。
 若くて綺麗な女優さんたちがセクシーな衣装で走り回ったり踊ったりしてくれるので、なんとなくそれに気を取られているうちに話が進んでしまって、気が付いたらおじいちゃんは死んじゃってて、うさぎはぬいぐるみに戻ってて、直樹君は退院してました。いじめられっ子が、自閉症状態から抜け出すきっかけをお話にしたみたいだけど、最後も子供は自閉症じみた状態で終わってるし。なんだったんだ、あれは。作・演出の麻華 涼 氏は、イカニモなハッピー・エンドがお嫌いらしいが、3時間近く付き合った側の身にもなって見ろってんだ。見え見えのカタルシスも商売のうちやぞ。

 もしかして、最後に子供がケーキ食ってたのがそれなのかなあ。モノを食うというのは、生きる・生きつづける意思を持続させるいちばん具体的な方法なんだから、そういう行為を主人公の心理に重ねさせようっつー演出意図だったかもしれん。それともあのケーキ、クリスマス・ケーキだったのか。クリスマスの前(あるいはその当日)に退院できたちゅう意味なのか。

 まあ、ストーリーは、いいや。しつこく繰り返すが、座って眺めて三時間つーのは、オレの老化した頭脳にはちと酷な体験じゃった。なので、技術レベルだけ整理しとこう。
 役者。おじいちゃんの藤田 哲也さんは、二年前に見たときの印象(人違いだったらどうしよう)では、でくのぼー。今回は、ちゃんと存在感がある。やっぱ、人違いじゃねーかなあ。メモとか取らんしなあ、オレ。
 その他男優陣、強い印象なし。そりゃそうだよなあ、ひとり何役も振られて、さしたるセリフもなく、たいてい二、三人でセットで出て来るんだもんなあ。トナカイ役は顔が濃かったとか、鈴木 圭って役者は、二年前は違う芸名だったはずだろうとか、そんなことしかないよなあ。
 うさぎ役の釣澤 麻衣さん、この人も、二年前は違う芸名だったような気がする。この劇団の看板女優みたいだね。お約束、としか言いようのない芝居をしれっとやってのけるセンスは大好きです。頭がいいんだろうね、きっと。
 佐藤直樹を演じるのは、はまだ ゆかさん。この人も、二年前に見たような気がするなあ。小学校六年生の男の子を演じてまったく違和感なし。どんなに若く見積もっても、小学校卒業から10年は経っている筈なんだけどなあ。
 その他女優陣、強い印象なし。そりゃそうだよなあ、ひとり何役も振られて、さしたるセリフもなく、たいてい二、三人でセットで出て来るんだもんなあ(コピー&ペーストって大好きさ)。みんなアニメ声で、じっさい、アニメやPCゲームの声優さんが大勢いるらしい。オレは、どっちも見ないのでよく判らんが。
 その他のその他。ダンスは、やっぱ難しいんだろうね。稽古の時間とかさ。あらためて認識させられましたって所か。

 さて、音響です。お待たせしました(誰をだ)。音響さん募集中ってパンフに出てたけど、あれはオペレーターのことだろうな。それよか、技術者を呼んだほうがえーよ、きっと。
 舞台全体を覆った「アドヴェント・カレンダー」の後ろに吊られたスピーカーは、小口径でレンジの狭い、たぶんBOSEだろうけど、装置のベニヤ板と布に吸い取られてスカスカになってんの。ダンスのとこで、人数の割に迫力ないのは、音源が悪い(ミニコンのMDっぽい音)せいもあるけど、音について責任持てる人がいないのを如実に表しているね。
 良心的な料金(いまどき前売り1,800円!)でそれなり楽しめる芝居をコンスタントに見せてくれてるようだし、やることちゃんとやろうぜ。

 あ、そうそう、チケットが凄くいい。「ぴあ」のチケットって、どんなに思い入れのあるものでも速攻で捨てちゃうけど、このチケットは、なんだか取っておきたくなる。

これがそのチケット

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 12月10日

 湯島聖堂 楽市楽座 ポエトリー・リーディング。
 湯島聖堂が湯島天神の境内にあると勝手に思い込んでいたオレは、湯島天神の周りをずいぶん歩き回ってしまった。東京もしくはその周辺での生活は足掛け20年になるが、いまだに道を尋ねるのは、むずかしい。
 今日の湯島聖堂は、特に悩まされた一例になるだろう。まず、文京区が設置した「本郷文学散歩地図」なる街路案内板を頼りにしたのが最初の躓きだった。縮尺はでたらめだし、一本道がカーブしているところが十字路になっているし、明らかなランドマークを省いてくれるしとまったく地図の用を為さない役立たずだったのだ。知り合いに投書マニアがいたら、紹介してあげたくなるほどだ。ところが、道行く人に尋ねるにも、湯島天神というマニアックな観光地が近いことが災いして、これはと思う人に行き当たらないのだ。さ迷い続けるオレを救ってくれたのは、路傍の民家から出てきたひとりの老人だった。
 「湯島聖堂かい、どういったらいいかな」老人の正調江戸っ子弁を聞いた瞬間、オレは救われたと直感した。

 そんなワケで、一時には到着するつもりだった湯島聖堂に着いたのは、一時四十分近い時間だった。ハギー・イルファーン氏の情報によれば、一時からはじめて三十分程度で終わるとのことだったので、あきらめモードで着いたのだが、なんと、五人の詩人中の三人目、三上その子の途中での到着だった。
 しかし、なんと言うか、黄色く色づいた落ち葉の舞い散る中、この五人の風体はあまりにも異様だった。車座になって座り、ひとりが詩を読む背後でハンドベルやカリンバを鳴らしているその姿は、まるでヌスラット・アリ・ファテ・ハーンとその一座(バンドっつう感じじゃないんだよな、ヌスラットの場合)のようであった。だから、オレは五人目のハギー・イルファーンが詩を読んでいるあいだ、彼らを見ずにただ落ち葉の舞い踊る様だけを眺めていた。そして、彼の詩は、こういうシチュエーションが似合うのではないかと考えていた。
 いっぽう、四人目のさいとういんこは、なんとなく、こういうところでは坐りが悪いような気がする。まあ、それぞれだからね。それに、ポエトリー・リーディングというのは、受け手側のコンディションしだいで受け取り方が違ってきてしまうから、泡を喰って到着した五分後という条件下では、なにかを評価したり印象を固定化するのはやめた方が賢明だろう。

 ところで、この楽市楽座というのは、湯島聖堂の敷地内(境内という呼び方が適当かどうか、疑問を感じる。事実、境内ではあるのだが)で行われているフリーマーケットを指している。あれこれと、一万円ほど買い物をして帰りました。

 でもさ、今日の湯島聖堂って、考えれば考えるほどおかしな所だったよな。
 湯島聖堂ってのは、孔子の記念館という性格の建築物なんだけど、この孔子さんてひとは、「怪力乱神を語らず」っていう徹底した合理主義者・リアリスト・唯物論者だったんだ。彼が広めようとしていたのは、「儒教」っちゅう宗教ではなく、「立派な紳士とはどう生きるべきか」という学問の「儒学」だったんだ。ところが、この湯島聖堂は、神社仏閣のように形づくられ、敷地内では、神秘主義や東洋思想(「禅」とかね)に傾倒した人たちがフリー・マーケットをやっている。
 今日、さいとういんこが読んだ詩の一節に「だいたいキリストもブッダもマホメットも宗教をやろうとは思ってなかっただろうし」というのがある。あの時、孔子のことを思いつかなくて良かった。もし思いついていたら、オレはきっと吹き出していただろう。遅く着いたせいで湯島聖堂と孔子の関係性に気づいていなかったのだ。こういうのも怪我の功名っていうんだろうか。


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 12月 9日

 品川六行会ホール W.シェークスピア:作 「リチャード三世」栗田芳宏:演出。

グロスター公リチャード  :  大地康雄
マーガレット/リッチモンド公  :  旺なつき
バッキンガム  :  吉田鋼太郎
ヘイスティング卿  :  間宮啓行
エリザベス/王子  :  山本郁子
アン  :  山賀晴代
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 :  ウィリアム・シェイクスピア(松岡和子 訳)
演出  :  栗田芳宏
美術  :  朝倉 摂


 シェイクスピアだよ、おっ母さん。quickone の「お出かけ記録」は、なんと、シェイクスピアにまで手を出しちゃったんだよ、お父っつぁん。手を出したっちゅうても見てきただけじゃねぇかと斜に構えちゃ駄目だよ、お兄ちゃん。コレはコレで画期的なことなんだからね、お姉ちゃん。
 だいたい今まで取り上げたイベントその他を見てごらんよ、小ぢんまりと言えば聞こえはいいが、どっからどう見たってサブ・カルチャーとアングラ・カルチャーの間にちんまりと位置してるモノばっかりじゃないですか。それがああた、シェイクスピアでございますよ、奥さん。イギリス史上最大の文学者にして、単独の作家としては世界最多の読者数と噂され、文字をもつ言語のすべてに翻訳されているという、あのシェイクスピアなんだからね、そこ行くワンちゃん。

 しかしなあ、シェイクスピアっつったってこの日本じゃ果たしてメイン・ストリームと呼べるかっちゅうと、そいつは大いに疑問だあよなあ。おまけに主演が大地康雄でコレが初舞台と来た日にゃあ、サブカル通り越してキワモノになりそうな予感もしてくるってモンだぜ。と、文句をつけながらもなんで見に行くかといえば、過去にこの「お出かけ記録」その他に何度もご登場いただいている某氏から格安のチケットを戴いたからである。どれくらい格安かは、奥津"赤ひげ"祐司に訊いてもらいたい。

 ここで困っちゃうのがこの格安チケットである。オレみたいに不真面目なやつが正規の料金を支払っている方々と同じ場所で見ていたっつーだけで気が引けるのに、この上、「お出かけ記録」で取り上げるとなれば、少なくとも褒めた分だけは貶すことになる。なら褒めるだけにすりゃあいいやんと思うのが世間共通一般常識っちゅうモンだろうが、オレは、そういうお為ごかしの偽善的な態度を取れないことでは都道府県代表レベルに融通が利かない奴なのだ。

 ええい、致し方あるまい。根っから無料のイベントでも好き勝手、書きたい放題に書き散らしているのだから、ここでも同じくさせてもらおう。是々非々でいくぞ。文句があるやつぁ表に出ろ!頭を冷やしたら戻っておいで(いま、冬だし)。

 演出の栗田芳宏は、オレは二度目。前に見たのは、青山円形劇場で見た「カッコーの巣の上を」。ちなみにこのときの主演(映画でジャック・ニコルソンがやった役ね)が、今回のバッキンガム役の吉田鋼太郎。このときの印象が良かったので、今回も見に行くことにしましたってなん年前の話だ。えーと、今の住所に引っ越してからだから、4、5年は経ってるな。すげえな、オヤジの時間感覚は。そういや、あん時も同じ某氏から格安チケットで誘われたんだよな。受付で待ってたら某氏がどっかに消えちゃって、普通料金で入ったんだ。
 そういう問題ではない。演出の話だ。

 まず、黒装束の亡霊たちが蝋燭を持って現われ、舞台中央の人物を取り囲む。舞台再奥部には透明な(アクリルだろう)扉があって、その向こうでマーガレットが呪いの言葉を吐く。よく使われる演出法のひとつで、「今回は、この線で行きますよ」というのを先に見せるのである。つまり、「リチャード対マーガレットの生者と亡者の対決」をメインで行きますよ、ってことなのだ。この蝋燭が壁に掛けられて、亡霊たちが再び現われて、リチャードの死を暗示するまでずっと小さな炎をあげ続けている。このため照明による暗転がなくなり、場面転換は舞台装置の瞬時の変化で現される。
 まず、前述の透明な扉は、外されて空間になり、幕が張られ、板で覆われと目まぐるしいほどの変化を見せる。左右の回転扉は表と裏に異なるデザインが施され、半回転、一回転、一回転半、二回転で場面はもとより時間の経過まで象徴している。そして舞台の全体を覆う壁は、単に板材の組み合わせのように見えるがじつは透明なアクリル板の上に張られたものであることが終盤に判明。アクリル板には偏光フィルムが貼られているのか、特定の色の明かり以外は透過しない!
 まあ、こうした装置そのものは美術の朝倉 摂とどっちがどう提案したのかなんて考えたりもするけど、舞台上での使われ方からすると、演出・美術のコンビネーションは、すばらしい連携でディフェンスラインからのフィードを行い、ここ一番では照明とからんで果敢に前線へ攻めあがっていた、と言えるんでないかい。
 音楽・音響は、全編にわたってパイプオルガンが使われ、最初と最後にはオルガン奏者が舞台奥で演奏している姿を見せるという演出がされていた。リチャード三世の時代(っていつだ?)らしく、ということなのだろう。専守防衛ってかんじ? 装置が攻めに出ているので、バランスを取るために守りに専念しているのかもしんない。

 主演の大地康雄は、いかにも舞台上がり、劇団出身というルックスなのだが、情報誌の記事なんかを見ると、舞台はこれが初めてらしい。動作・所作に関しては、さすがというか、堂に入ったものである。感情表現についても、オレのような生っ齧りが口を挟むようなところはまったくない。ただ、やはりセリフが致命的である。
 皺枯れかけたような声を操り、権力の亡者リチャード三世を実に魅力的に創造した点は認めるが、やはり「シェイクスピアはセリフの芝居」(パンフレットのプロデューサーの挨拶より)である。「点の取れないフォワード」呼ばわりされても仕方がないのではないか。ただ、アノ歳で舞台に初挑戦というのはどエラいことである。名実ともに中年呼ばわりが似合いつつあるオレとしては、じつは畏敬の念を持って眺めていたのだった。



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(注1)直訳すれば、詩の朗読。しかし、かなり広範囲なパフォーマンスを含む意味で使われることが多い。オレは、この言葉には違和感を感じるんだけどな。和製英語でもいいから、なにか目新しいネーミングをできれば、世間への浸透度も上がるんじゃね−か。

(注2)誰でもパフォーマンスできますよという前提だっちゅうこと。



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