SILENT HILL ……9


『……っ、こち……ントラル……ーク…院───』 
 その時。唐突に違う音声が、ブラウン管から飛び出してきた。
(?)
 俺は思わず、テレビを見つめ直す。見ると、少々画像が荒いが、リポーターがどこかの建物の前に立っているのが見えた。
 もっとも、そう注視しなくても分かる。テレビは無論、写真でも幾度も映された、セントラルパーク病院、あの人が眠り続けていた病院の玄関前のようだ。
 どうやら別の番組が続けて録画されてしまったらしい。このテープは3年もこの部屋に放置されていたのだ。後から来たどこかの観光客が、使ってしまったのかも知れない。
『はい、皆さん、こちらご存じセントラルパーク病院前です! そう、あの世界を海のように呑み込んだ、キャプテン・カイエダが今も尚眠り続けている病院です!』
 あの人が脳死状態で、眠っていた頃の番組のようだ。あの楽しい思い出の後、見るには余りに辛すぎる映像だ。俺は再生を止める為、立ち上がろうとした。
『実はこちらに、今日は大変な見舞客が訪れるという情報を得まして、私どもACNはこうして中継を続行しております。あ! 今、今玄関前に、車が止まりました! ご覧頂けますでしょうか、あちらの黒い車です! あ、降りて来ました! SPと、そして───そして、彼です! ご覧下さい! 現『タービュレント』副長にして、元『やまと』副長の、ミスター・ヤマナカです!』
 俺は、腰を浮かした状態で、彫像のように動けなくなった。
(何……?)
 俺、だと……?
 やがて、荒い粒子越しに、黒服の男に囲まれた一人の男が、車から降りてきた。
 ざっくりと短く刈った黒髪、不機嫌そうな無骨な顔立ち。
 間違いない、あれは鏡を覗けばいつでも会える、俺だ。
 しかし、何故俺がここに映っている? あの人の眠る病院に行った事なんか、あっただろうか?
 その時、俺は、心の奥底に沈めていた、深く暗い澱のようなものが、掻き混ぜられたように浮かんでくるのを感じた。
(……)
 あれは………。
 腰の抜けた俺は、再び、ぺたんと椅子に座り込んだ。
 脈動に合わせて、左肩の痛みが、どくんどくんと耳に響いてくる。俺は震えるほど、強く傷を握り締めながら、瞬きも忘れて、テレビを見つめた。
 あれは……。
 あれは…。

(俺だ)

『病院の中に入って行きます! あの狙撃事件から3年、彼の右腕であった副長が、こうして見舞うのは初めての事です! 病院側スタッフ及び『沈黙の艦隊』機構が、どのような事情で、今回の再会劇を演出したのでしょうか? 関係各所から、様々な憶測が現在飛んでおります! もしかして、キャプテン・カイエダの容態に変化があったのでしょうか?』
 必死に叫び続けているリポーターの奮闘も虚しく、テレビカメラは玄関から先には行けず、シャットアウトされたようだ。そこで、映像が途切れた。この先がどうなったのか、画面からは伺うことが出来ない。
 すると、画面は暗いままで、音声だけが再開された。ざわざわ、と人のさざめく声が行き交い、通り過ぎ、重なり合っている。
 医者達の会話らしい、専門用語が頻繁に聞こえてくる。キャリーが立てる、耳障りな音は、寝台を移動している音だろう。
 関係者に隠しマイクでも仕込んだのだろうか。しかし、その果敢なジャーナリズム魂を賞賛してやることも軽蔑してやる事も、俺には出来なかった。
『あん…ら……!───人を……仕事……ないのか───…』
 途切れ途切れに、男の低い怒声が聞こえてきた。壁か扉か、何か障害物越しにその音を捕らえている。
 誰の声なのか。
 傷口を握り締めていた手の震えは、今や全身に及んでいた。

(いや、違う)
 先刻から、凄まじいスピードで、俺の頭は否定と肯定を繰り返していた。
(違う。そんな筈はない)
(いいや、違う、お前は知っている)
 そして、とうとう俺は、虚しい自分同士の諍いに、終止符を打った。
 ───俺は、知っている。
 何故だ。だが知っている。どうしてだ。けれど知っている。

 あれは、俺の声だ。

 次の瞬間、霧が晴れるように、俺の目の前に、鮮やかに光景が広がった。沈痛そうな面持ちでこちらを見る男達の、まばゆい白衣。俺の脇に立つ、SP達の漆黒のスーツ。
 そう、『俺の見た光景』だ。

『あんたら医者だろう! 人を治すのが仕事じゃないのか!』
 そうだ、確かにそう叫んだ。白衣の男どもに、ありったけの憤りをぶつけて。
 頭の中で記憶が鮮明に蘇ると、代わりに重くため込んでいた澱が、どんどん俺の胸に充満していった。封じ込めていた、暗い暗い───黒い、霧。
 あれは、誰だ?
 幾度も繰り返される、無為な問いに、俺は、とうとう答えを出すことが出来た。そう───。

 あれは、俺だ。

『イグゼック・ヤマナカ。しかし、現代医療の限界なのです。むしろ、ここまでの3年間、彼をこのまま維持出来た事の方が、奇跡なのですよ』
『黙れ! お前ら俺にそんな話を聞かせる為に、ここに呼んだのか!』
『どうか落ち着いて下さい、イグゼック。もう彼と貴方に残された時間は少ないのです。ですから、こうしてせめて───』
 もう彼らの言う、絶望にしか繋がらない言葉を聞きたくなくて、俺は背を向け、壁に両の拳を打ち当てた。
 嫌だ、信じたくない。どこに居ようと、何をしていようと、あの人がまだこの世界のどこかで、暖かい体を横たえ、息をしていると言う事だけを、支えに生きてきたと言うのに。それを、諦めろと言うのか。断ち切れと言うのか。
 俺は、しばらくそうやって壁に向かい合っていたが、やっと、絞り出すように『2人きりにしてください』とだけ言った。
 大きな窓ガラスのはまった部屋に入ると、消毒液の匂いと、機械が織りなす寒々しい光景が俺の身に迫った。
 俺達に残された時間は少ない。俺はその言葉に封じられているのだろうか、一分一秒をも惜しむように、横たわる彼にすぐ歩み寄った。
 そこに、あの人は居た。長いつきあいの中、幾度も見た寝顔が、そこに横たわっていた。
(……)
 俺は、ごくりと息を飲んだ。
 まるで彼が、ドッグに係留された艦のようだからだ。機械に繋がれ、機械に監視され、機械に躯の芯まで支配されている。
 彼は、どこに居るのだろうか。俺は、ふと、そう思った。

『艦長?』

 決して目は醒まさない事を、頭の片隅は理解しているのに、そっと呼びかけた。
 
『……艦長……』

 どこに行かれたんです、艦長?
 みんな貴方を待ってるんですよ。
 俺だって、3年間もずっと、貴方の事を考えない日はありませんでした。
 ……ああ、そうでした。申し訳有りません。俺達は、いつもいつも貴方を待つばかりで、それが貴方の負担になっていたんでしょうね。貴方が行動を起こす事を待ってばかりの、指示を待つ木偶の坊でしたね。こんな無能な俺達に愛想を尽かして、ちょっとふて寝してらっしゃるんですよね。
 そうです、そうです。すいません。待っていたのは艦長なんですよね。ええ、任せてください。ちょっと遅くなりましたけど、こうして来たからには、ちゃんと俺が、貴方を目覚めさせて上げますから。安心してご覧になっていて下さい。
 ああ、こんな機械があるからいけないんですね。折角貴方が目覚めようとしても、こんな無粋な機械どもが、邪魔をしているんですね。
 大丈夫ですよ、艦長。
 ちゃんと貴方を解放してあげますよ。
 殆ど意識もせずに、それこそ機械仕掛けのように、俺の手は自然に伸びた。
 まず、手近にあったコードを力任せに引っ張った。

 ピ───……

 コネクトされていた箇所が抜けて、ばらばらと色とりどりのコードが落ちる。次に俺は空気を送っているらしいパイプを掴み、これも機械から一気に引き抜いた。
 おもしろいように、ぶつり、ぶつりと管が抜けていく。ピーピー煩いので、俺は電源のスイッチも切りたくなってきた。スイッチはどこにあるのかと思い辺りを見回すと、ガラス越しに白衣の男達が、SP達が、凄まじい表情で何かを叫んでいるのが見えた。
 吠える。唸る。顔。顔。顔。
『よせ、やめろぉ!!』
『狂ったのか、この野郎!』
『ドアを撃ち抜け! 早く!』
 全くうるさい連中だな。もうすぐ終わるんだから、静かにしてりゃ良いのに。
 ばあん!
 派手に何かが破裂したような音と共に、屈強な男達が銃を構えて、なだれ込んできた。
『動くな!』
『この気狂いめ、殺してやる!』
 並んで見つめる幾多の銃口に、俺は慌てた。こんな所で発砲したら、艦長に当たるじゃないか。長く辛かった3年間から、もうすぐ解放されるというのに、こいつらは何て事をしてくれるんだ。
 俺はすぐにベッドの脇で両手を拡げ、立ちはだかった。誰も、この人をこれ以上傷つけさせたくなかった。
『よせ、やめろ! カイエダに当たる!!』
 そうだドクター、あんたの言うとおりだ、と思ったのと、黒服の男が引き金を引いたのと、白衣の男がその腕に飛びついたのは、同時だった。 

 ざああああ……

 砂嵐が、いつ果てるともなくテレビを流れている。
 俺は首を、がくりと折り曲げてうなだれたまま、身動き一つ出来なかった。
(……何という事だ)
 瞬きも忘れた俺の目は、もはや何も映していなかった。

 何という事だ。

 肩口を掴んでいた俺の腕が力を失い、ぼとりと膝の上に落ちる。

『長い脳死状態の末に、とうとう息を引き取ったあの人』
 そう信じていた『事実』は『虚実』だったのだ。
 何が息を引き取った、だ。

 俺が、あの人を殺したのだ。

 ぎしり。

 ベッドの軋む音に、俺の躯が飛び上がりそうになった。
 ああ、そうだ。
 あの朝も、こうして俺は、夢とも現ともつかない世界に頭を支配されていた所を、振り返ったんだ。
 俺は、ゆっくりと、背後のベッドを振り返った。
 そこに居たのは───。

 ゆるやかな曲線を描く掛布が、もぞもぞと動き、潜り込んでいる人間が、こちらへと向いた。
 そして、少し掠れた声で。

「……おはよう」

 にっこりと笑う黒い瞳と、俺の目が、見つめ合った。




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