ざざーん、と岩場に波が打ち寄せる。
その遥か上、断崖絶壁のてっぺんに楊明は座っていた。
危なっかしくも、両の足をぶらぶらとさせている状態である。
だが、足は動かさずに、両手のひらも地面にぺたっと付け、遠くを見ている。
ヒュウウウウと吹く潮風が彼女の髪の毛、服を揺らす。
風の向きや強さが変わるたびに、彼女は反応し、感情を変え、それを満喫していた。
「ここはいい場所ですね・・・。」
独り言を呟いたかと思うと、ただ風に身を任せる。
これは、楊明の趣味の一つである・・・。
<風ってね・・・>
ヒュウウウウウウ・・・
心地よくふいている風をきって進む。
今太助達は、軒轅、陽天心絨毯、短天扇、飛翔球によって、全員で空の散歩をしているのだ。
「気持ちいいですね、太助様。」
「ああ、たまにはこういうのもいいかもな。」
軒轅に乗っているのは太助、シャオ。
二人でとてもいい気分に浸っている。
「いい気持ちですね、ルーアン先生。」
「まあね・・・。」
「くうう、太助めぇー!!」
陽天心絨毯の上には、ルーアン、たかし、乎一郎。
ルーアンと一緒なので乎一郎は言うまでも無く御機嫌なのだが、
二人きりでいいムードの太助とシャオを見て、たかしとルーアンは不機嫌そうである。
「しかしいい組み合わせだなあ、結構結構。」
「野村君がくじなんて作ってくるから・・・。」
「宮内、試練だ、耐えられよ。」
「那奈殿、そういう妙な事を言うのは止めてもらいたいのだが・・・。」
短天扇の上には翔子、那奈、出雲、キリュウ。
手前二組の様子を見て、それぞれちょっとした思惑があったりと。
「それにしても空の散歩をしようなんて、楊ちゃんたら突然言うんだもんね。」
「思いついたらやらなきゃ。空を飛ぶ事で色んな事が見えてきたりするもんだよ。」
「それって教授の為って事?わたしはてっきりただの気まぐれだと思ってたんだけどな・・・。」
「どうでもいいけど、なんで前にやった試練と同じ組み合わせなの?
野村先輩が懲りずにくじなんて作ってくるから・・・。」
飛翔球には花織、ゆかりん、熱美、ヨウメイ。
こちらは主催者が混じっている所為か、少しばかり他の面々とは話の内容が違う様だ。
「ところで問題。今回の御散歩はずっと前の試練場へ向けての飛行と違う点があります。
さて、何でしょう?」
いきなリクイズを出題するヨウメイ。これは皆にも聞こえたのか、それぞれしきりに考え出す。
ぶつぶつと呟く声やらうーんと唸る声やらがしばらく聞こえていたかと思うと、
ヨウメイがパンパンと手を叩いた。
「は〜い、時間切れですー。正解は、私がクイズを出したって事でーす。」
答えを聞くなり“ええー!!!?”と、非難の嵐が飛ぶ。
しかしヨウメイはそんな事も気にせずに、ご機嫌に口笛を吹きながら周りの景色に見入り始める。
その様子を見てか、“やれやれ”と思って不満を口にするのを止めた面々がそれぞれの話に戻った。
と、熱美がちょいちょいとヨウメイの体をつついた。
「なに?」
「本当は他に正解があるんじゃないの?」
ここでヨウメイは一つ息をついたかと思うとにこっと笑った。
「さっすがするどいねえ。だてに隣の席に座ってるわけじゃないね。」
「それはともかく、答ってなあに?」
「それはね・・・言わなくても分かるでしょ?」
促す様に熱美を見つめるヨウメイ。その視線に熱美は一つ瞬きをする。
「・・・まあ、ね。みんなも答えを分かってて不満を言ったと思うんだけど?」
「ううん、それはないよ。まあ、キリュウさんは気付いてるかもねー。」
「やれやれ・・・。」
ため息をついた熱美だったが、やがてヨウメイと同じように、にこにこと笑いながら景色を見に入る。
と、そこでゆかりんが熱美をちょいちょいとつついた。
「なに?」
「あのさあ、熱美ちゃん・・・。」
<飛んで飛んで>
「ねえ楊ちゃん、一つ気に成ったから質問。」
「どうぞ、ゆかりん。」
「あのね、今までの主に教えてきた事柄って全部同じなの?違うよね?」
ゆかりんが言っているのは、世界の構造とか基本的事柄の事である。
ヨウメイは、まず基本の準備段階としてそういう大きな事を教えるのだ。
「うん、一緒だよ。これだけは変わる事がないもの。」
「うーん、じゃあさ、それが楊ちゃんの知らない間に変わってるって事は?」
「凄い意見だねえ・・・。心配しなくても、統天書の事柄はまず正しいから。
故意に間違いを書きこんだりしない限りは・・・。」
昔にそういう経験があったのか、ヨウメイはちょっと深刻そう。
少し気に成ったものの、其の事には触れずにゆかりんは次なる質問を行った。
「毎度毎度同じ事を教えるって、飽き無いの?」
「・・・それは無いよ。例え同じ事柄でも、教えてもらう側にとっては初めて。
そして私にとっても、違った意味で初めてなの。」
「教える相手が違うという事?」
「それもあるけど、もっと違うことだよ・・・。」
優しい笑みを浮かべるヨウメイに、ゆかりんは多少首を傾げる。
まったく同じ知識を幾度と無く教えるという事に、同じものが繰り返してくる事に、
ヨウメイは何を見出しているのだろうか。
<永遠に・・・>
黒と白に塗り分けられし書物。心の清き者もそうでない者も、
これによって大いなる知識を得る事が出来るだろう。
「・・・という伝説を作ろうと思うんですがどうでしょう?」
「そんなもんわざわざあたしに聞かないでよ。」
「いいじゃないですか。精霊として考えてくださいよ。」
「・・・別にそれで良いんじゃないの?」
「どうしてですか?」
「理由を聞くの?・・・伝説なんてそもそもあてになるもんでも無し。
だから、何を作ろうが同じって事よ。」
「そりゃごもっともな意見ですねえ。
それなら。ルーアンとキリュウのにこにこ日記もついでに・・・」
「ちょっと!!あんた一体どんな伝説を作るつもりよ!!」
「後、シャオリン&ヨウメイのお料理講座も・・・。」
「勝手につくってなさい、もう・・・。」
<すべては一冊の本から始まった>
「シャオリンさん、北斗七星さんを呼んでくださいますか?」
「あのう、何の用事で・・・。」
「大した事じゃないんですけどね。お願い出来ますか?」
「・・・分かりましたわ。来々、北斗七星!」
支天輪が光り、北斗七星が姿を現す。
大した事じゃないとヨウメイが言っているにも関わらずシャオが呼び出したのは、
何か深いものがあるとシャオが思っての事だった。
「さて、それじゃあ順番に並んでこれを持ってください。」
七人がヨウメイの指示に従って並ぶ。
そして、それぞれに一つずつ手渡されていったのは、金色に光る小さなベルであった。
「あの、ヨウメイさん。それは?」
「まあ見ていてください。さて、全員に行き渡りましたね。
それでは貪狼さんから順にそれを鳴らしてください。いいですか、一定の間隔でお願いしますよ。」
てきぱきと説明し、ヨウメイもベルを持って破軍の横に立つ。
合図が送られ、貪狼がベルを鳴らした。
ド・・・♪
なんとも澄んだ音色である。次に巨門がベルを鳴らす。
レ・・・♪
辺りに心地よい響きが残る。次に禄存がベルを鳴らす。
ミ・・・♪
音に聞き惚れたのか、うっとりと目を閉じるシャオ。次に文曲がベルを鳴らす。
ファ・・・♪
最初の方で鳴らし終えていた貪狼や巨門もうっとりし出した。次に簾貞がベルを鳴らす。
ソ・・・♪
手前に残っていた音と重なり、綺麗なハーモニーを奏でる。次に武曲がベルを鳴らす。
ラ・・・♪
なんとも言えない雰囲気がそこに漂う。次に破軍がベルを鳴らす。
シ・・・♪
なにやら天にも昇りそうな気分になって来たようである。最後にヨウメイがベルを鳴らす。
ド・・・♪
八つの音がそれぞれ不思議に影響しあい、
全てが鳴り終わった頃には、全員が全員ベルの音に聞き入っていた。
最後の響きが消えた後、ヨウメイはにこっと笑って告げた。
「綺麗だったですねえ〜・・・って、そういう事は後でいいとして、
ハンドベルの感触はどうだったですか?皆さん。」
「ハンドベル?」
北斗七星の代表としてシャオが尋ねる。
ヨウメイはそれに“ええ”と頷きながら自分が持ってるベルを再び鳴らした。
ド・・・♪
「こういう風に振って鳴らし、音を奏でるのです。
是非北斗七星さんと音階をやりたくって・・・。
さて、ここで一つ相談です。練習して演奏会をやりませんか?
もちろんシャオリンさんも加わって。」
「まあ。それは素敵な提案ですね。」
顔を輝かせてヨウメイから手渡されるハンドベルを受け取るシャオ。
彼女の笑顔を見てか、北斗七星もやる気になっているようである。
突発的な企画だったにも関わらず、彼女達の懸命な練習により、
シャオ&北斗七星&ヨウメイのハンドベル演奏会は大好評だったようだ。
<ちり〜ん♪>
ピカッ!!!ゴロゴロゴロゴロ・・・。
季節外れの雷が鳴り響く。それと同時に凄い量の雨が降り出す。
それはただのにわか雨ではなく、一向に止む気配を見せない。
花織の家に遊びにきていた、ゆかりん、熱美、ヨウメイは帰れなくて難儀していた。
「来る時はあんなに晴れてたのに・・・。これじゃあいつまで経っても帰れないね。」
「ねえ楊ちゃん、何とかしてよ。」
「だあめ。今日は気象を変えちゃあいけない日なの。」
懇願する熱美とゆかりんだったが、ヨウメイはがんとして首を縦に振らない。
理由は明かさないが、どうやら不都合がある様だ。
「仕方ない・・・。今日はあたしの家に泊まってってよ。」
花織がやれやれと言うと、三人は申し訳無さそうな顔をしながらもそれに甘える事にした。
それぞれが家に電話をして、花織の家に泊まる事を家の者に告げる。
熱美もゆかりんもすんなり終わったのだが、ヨウメイの番にちょっといざこざがあった。
トゥルルルル・・・ガチャ
「はい、七梨ですけど。」
「あ、那奈さんですか?ヨウメイです。」
「ヨウメイか、どしたの?」
「見ての通り凄いどしゃ降りですので、今日は花織ちゃんの家に泊まります。」
「・・・こっちは全然雨なんて降ってないけど?」
「極地的なものかもしれませんね。でもほら、電話を通して聞こえるでしょう?」
受話器を耳から外して外へ向ける。
ドザアアアア、という激しい音が、家の中何処にいても聞こえてくるほどであった。
「ね?」
「なるほど・・・。分かった、みんなに伝えておくよ。」
「お願いします。それでは・・・」
「あ、ちょっと待ってくれ。調べて欲しい事がある。」
「何でしょう?」
「今日家の戸棚に閉まっといた羊羹を誰か盗み食いしたみたいなんだ。
というわけで、誰が食ったかを知りたい。」
「はあ?私じゃありませんよ?」
「それはわかってる。朝にヨウメイが出掛けた時はまだあったしな。
とにかく調べてくれよ。ルーアンがえらく怒ってて大変なんだ。」
「なるほど。それじゃあ調べてる間熱美ちゃんとお話でもどうぞ。」
「・・・冗談だろ?」
那奈は聞き返したのだが、統天書を傍のテーブルにおいたかと思うと、
ヨウメイは受話器を熱美に手渡した。
「はい。」
「へ?なんでわたしが?」
「まあまあ、いいからいいから。」
訳も分からず、熱美が受話器を受け取る。
「も、もしもし。」
「もしもし。・・・ほんとに代わるなんて。」
「はあ、すみません。」
「いや、別にあやまんなくても良いけどさ。ヨウメイは何してんの?」
ちらっと熱美がヨウメイを見ると、そのヨウメイはぶつぶつと呟きながらページをめくっていた。
何故か傍には花織とゆかりんも居て、興味津々とそれを覗きこんでいた。
「・・・調べものしてます。」
「はあ、そりゃそうだよなあ。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「あの・・・」
「あった!!!」
沈黙の中、熱美が喋ろうとした途端、ヨウメイが声を上げる。
そして熱美が持ったままの受話器に向かって叫んだ。
「那奈さん、犯人は私です!」
「はあ?」
「だから、犯人はわた・・・あれ?」
「おいおい、ヨウメイじゃないってのは明白だろう?」
「はあ、そうですねえ。」
「そうですねえじゃないだろ。ちゃんと調べろよ。」
「すいません。熱美ちゃん、また御願いね。」
「う、うん・・・。」
再び統天書調べに戻るヨウメイ。花織とゆかりんもそれにならう。
熱美は那奈とぎこちないやりとりを・・・。そんな状態が数刻続いたのである。
そして・・・。
その後の七梨家。
「・・・という訳で、犯人は太助だと決定した。」
「ちょっと、俺は食ってないって!」
「太助様・・・盗み食いはいけませんわ。」
「だから俺じゃないって!」
「ヨウメイ殿が調べたのなら確実にそうだろう?往生際が悪いぞ、主殿。」
「それはなにかの間違いだってば!第一俺は・・・」
「たー様!!よくも・・・よくもあたしの所為に・・・。
自分が食べといて、あたしを疑うなんて酷いわ!!」
「だから俺じゃないって、信じてくれよー!!!」
その後の愛原家。
こちらでは楽しい夕食の真っ最中である。
「ねえ楊ちゃん。」
「なに?」
「ほんとに七梨先輩が犯人なの?」
「違うと思うんだけどなぁ〜・・・。試練をずうっと受けてたみたいだし。」
「だったらもう一回電話した方が良いんじゃ・・・。いくら那奈さんが一方的に切ったからって。」
「“太助?よし、それでいい。太助にしておく!”ガチャ!だもんねえ。」
「笑い事じゃないってゆかりん。今ごろ七梨先輩酷い目に遭ってるかも・・・。」
「多分遭ってるね。でも、その前にキリュウさんが証人に成ってくれるだろうから大丈夫だと思うよ。」
「ところで楊ちゃん、どうして間違えまくってたの?」
「それはねえ・・・実は私にもわからないの。
こういう事もたまにある、なんて事で済ませられないけどね。
はあーあ、もっともっと努力しないと。」
「もう一つ気になる事が。盗み食いした真犯人は誰なの?」
「さあ・・・。今となってはもうわかんないなあ。
どうも今日は統天書を上手く引けない日みたい・・・。」
「スランプ?そういうのは今回限りにしてよ。」
「分かった・・・。」
先ほどの話題もそこそこに、別の話題で再び四人は盛り上がる。
外では、相変わらず雷が鳴り続け、大量の雨が降っていた。
その状態はしばらくの後に七梨家も同じになった。家の中では・・・。
「さあたー様!!しっかりおとしまえつけてもらうわよ!!!」
「だから俺じゃないって言ってるじゃないか!!頼むから信じてくれー!!!」
と、激しい言い争いが行われていた。
<なんだ??>
町から離れた海岸線沿いの丘の上。
そこに、一軒の大きな屋敷がたたずんでいた。
住んでいるのは、その屋敷の主である男性、そしてそこに雇われているメイドが一人。
特に何をするわけでもなく、二人は毎日を過ごしていた。
時間だけがただ流れて行く、そんな空間である。
食料といった生活の必需品といったものは、
週に一度だけ二人一緒に町へ買い出しに行くので事足りていた。
相当な財産があるのか、働かずともその資産は尽きる事が無かったようである。
ある日、二人は町の市で一冊の分厚い本を買った。真っ黒で薄汚れている本である・・・。
「御主人様、それ、どんな本なんでしょうね?」
「それは帰ってからのお楽しみだ。」
何に魅せられたのはわからないが、二人はとても嬉しそうに本を持って帰った。
そして家に辿りつき、主人が本を開け、二人一緒にそれを見る。
中に書かれていた文字は・・・。
「空、天、書?」
「はは、これは統天書だよ。おかしな事言うなあ。」
「いいえ、御主人様。間違い無く空天書と書いてあります。」
「なんだって?そんなばかな・・・。」
主人がもう一度本を見ようとしたとき、本がひとりでにめくれ始め、光を放つ。
驚いて二人が後ずさると、本の中から一人の少女が姿を現した。
肩にかかる程度の金色の髪、学者の眼鏡に帽子を身につけ、黒衣を身に纏った、幼い顔の少女だ。
「初めまして、私は知教空天楊明と申します。
私は主に様々な知識を教えるのが役目、よろしくお願いします。」
深深と頭を下げる少女。なんともその丁寧な様子に、二人もつられて“こちらこそ”と頭を下げる。
こうして、新たな家族がこの屋敷に加わる事になった。
これにより、二人の人生、生活が大きく変わったのは言うまでも無いだろう。
<ここには・・・>
上も下も右も左もわからない、そんな真っ暗な空間。
そこにたかしはぽつんと居た。
「・・・しまったなあ。」
後悔の念をついつい呟くが、それは闇にかき消されるだけだった。
彼が何故こんな所にいるかというと、それは今朝の出来事から始まる。
いつものように七梨家に遊びに来たたかし。
しかし、目当てのシャオは買い物で居ない、太助も試練の為に出かけている。
家に居たのはルーアンとヨウメイだけであった。(那奈も翔子の家に出かけた)
それでも家にしっかりと上がりこみ、思いつきでこんな事をたかしは口走ったのである。
「キリュウちゃんの試練、俺も受けてみたいと思うんだけど。」
「・・・野村君、本気なの?」
「志は立派だと受け取っておきましょう。」
たかしの声に対して、二人はほとんど相手にしていなかった。
それに少しムッと来てしまったのか、たかしは強調するかのごとく拳を振り上げた。
「俺だってやる時はやる!!よおし、明日にでもキリュウちゃんと掛け合ってみるさ。」
「主様の試練で手一杯なんですからそういう事は止めてください。
もしなんでしたら私が試練を差し上げますが?」
「ヨウメイが?」
驚きの顔でルーアンがヨウメイを見る。
意外な言葉に、たかしはにやりと笑った。
「ヘえー、こりゃいいや。もしヨウメイちゃんの試練をクリアすれば、
俺もキリュウちゃんの試練が受けられるって訳だな。」
「好んで試練を受けたがるとはねえ・・・。手加減はしませんよ?」
「ああ、もちろん。簡単にクリア出来たらつまん無いし。」
この言葉が余計だったようだ。にやっと笑うヨウメイにたかしは気付かなかった。
しかしルーアンはそれにさっと反応し、“あーあ”と額に手を当てる。
そんな様子もまったく意に介さずに、ヨウメイはぱらっと統天書を開けた。
「では野村さん、これから統天書の中に入ってもらいます。」
「統天書の中に?」
「そうです。その中に私が作った迷路があります。それを抜けて見事統天書から出てください。」
「おっけー。・・・制限時間は?」
「私の気が向くまで、です。」
「一分、ってのは止めてくれよ。」
「そんな短時間で出られるわけが無いから心配しなくていいですよ。」
「はは、それもそうだよな。よーし、いっちょうやってやるぜ!」
・・・そして、統天書の中。
入ってたかしは唖然とした。迷路と呼ぶ為の壁どころか、周りは何も見えない。
方向もさっぱりわからないのであった。
「くっそう・・・こんなのどうやって出ろってんだ。
え〜い、とにかく進むしか無い!!」
気合を入れ、一歩踏み出す。その刹那、
ゴン!!
激しく壁と体がぶつかり、たかしは後ろに倒れてしまった。
「いたたた・・・見えない壁かあ・・・。手探りで行こうかな。」
今度は壁に手を当てて進み出す。しばらくして、
グサッ
「いってえー!!!!!」
何らかの刺があったのだろうか?たかしの手に刺さったようだ。
血が出ているようではあるが、なんと言っても真っ暗なのだからそんな物は一切見えなかった。
「こ、これはどうやって進めば・・・。よし、ほふく前進!!」
しゅたっと地面に伏せてズズズ、と進み始める。そして・・・
ゴン
「いてっ!」
頭が何かにぶち当たる。よーく探ってみると、それは階段らしきものだとわかった。
「こんなものまであるなんて・・・。しかしそれでも進む!」
めげずに前進しつづけるたかし。
いくらか進んだ所で、今度は“かちっ”という音がした。
「なんだ?」
不審に思ってその場にとどまる。するとカウントが何処からか聞こえてきた。
5・・・4・・・
「うわー!?」
慌てて立ち上がって駆け出す。そして・・・
ゴン!!
再びたかしが壁にぶつかったのとカウントが終わったのはほぼ同時だった。
地面に倒れた途端、
ドーン!!!
という爆発が起こる。
様子はさっぱり分からなかったものの、余波は感じる事ができた。
「こ、こんな所に居たら死んじゃうんじゃ・・・。
ちょっと〜、ヨウメイちゃーん!!!俺が悪かった、だから出してくれー!!!」
必死に叫ぶたかしであった。そのころ、七梨家のリビングでは・・・。
「ねえヨウメイ、野村君大丈夫なの?」
「ええ、死に掛けに成ったら出てこられるようになってます。」
「・・・あのさあ、もう少し穏便にしないの?」
「“簡単に”なんて言った時点で手加減は一切しないと決めました。」
「でもねえ、命に関わったら大変でしょう?」
「死ぬ直前で出られるようになってるから心配要りませんよ。
ついでに言うと、出た瞬間には完璧に回復した状態になります。」
「はあ、そうなの。でもねえ・・・。」
「ぐだぐだ言うんならルーアンさんにも入ってもらいますよ?」
「あ、いや、それはちょっと。」
「だったら黙っててください。」
恐ろしいものを感じて、ルーアンもそこで黙り込む。
たかしは暗闇をさ迷い続け、結局は死ぬ直前で飛び出す事になった。
かなりショックを受けていて、しばらくまともに口もきけなかったようである。
<ヤミ>
「時代の風が・・・来る!!」
夜、ヨウメイは真剣な顔で窓際に座っていた。
開いた窓から吹いてくる風は、普段とは違う何かを表わしている様でもある。
時折びゅうびゅうと奏でる音がそれを物語っていた。
そう、それをヨウメイが肌で感じ取っているのは、自然現象を操る彼女ならではの事だろう。
「ヨウメイ殿・・・。」
「キリュウさん、もうすぐ新たな時代がきますよ。
具体的にどんなものに成るかは分かりませんが、それは・・・」
「寒いから窓を閉めてくれ〜!!」
「・・・ふっ。」
キリュウの切実な願いを一笑に伏したかと思うと、ヨウメイは窓の外を見やりに戻った。
相変わらずの風、いつもとは違う風、何かを暗示している風・・・。
「何故私がこんな目に・・・。」
布団をかぶったまま、キリュウは一晩中ぶるぶると震えていた様である。
<あれは・・・>
“万象大乱!”
・・・ぶちっ
ひゅううううう・・・
グサッ!!!
「・・・・・・。」
キリュウの目覚ましが発動したのであった。
肝心のキリュウは天井から落下してきた巨大包丁から何とか難を逃れていた。
ちなみに今回の仕掛けは、目覚ましによる万象大乱という声に天井から釣り下がってる包丁が大きくなり、
重みに耐え切れなくなったところで紐がぶちっと切れて落下する、というものである。
考案者は、キリュウ・・・ではなくヨウメイであった。
がちゃり
部屋の扉が開くと、先に起きていたヨウメイが部屋へ顔をのぞかせた。
「おはようございます、キリュウさん。しっかり起きられましたか?」
「ヨウメイ殿・・・。」
「はい?」
「部屋いっぱいまで包丁が大きくなるように設定しないでくれ!!」
キリュウの言う通り、包丁はベッドというよりは部屋に深深と突き刺さっているという状態であった。
おそらく丁度下の部屋では太助達が騒いでいるに違いない。
「だって、変な計画を考えるのは面倒なんですもん。
第一、“万象大乱!”って声でキリュウさんがすぐに起きれば良いことじゃないですか。」
「だからそういうのは・・・」
「こらー!!キリュウ、ヨウメイ、おまえら部屋で何やってるんだー!!!!」
下から太助の怒鳴り声が聞こえてくる。天井から突き出た巨大な刃物を見て、
やっとのことで怒る余裕が出来たのであろう。
「ほら、主殿にも怒られてしまうではないか。」
「主様が怒鳴る声で二度寝しても大丈夫!ってな寸法です。」
「部屋の真中に深深と包丁が突き刺さっている状態で二度寝出来るほど私は寝ぼすけではない!!」
「じゃあこれは目覚ましですぐに起きられなかった時のトラップということで。」
「だからそんなものを作るな!!」
結局、この目覚ましは今回限りで終了してしまったようだ。
<シャキン!>
月に祈れば・・・
「今日のおやつは・・・。」
願いは届く・・・
「薄皮饅頭・・・。」
・・・・・・。
「・・・・・・。」
・・・・・・。
「えいっ!!」
座りこんでぶつぶつ呟いていたヨウメイは、叫ぶと同時に立ちあがった。
突然の事にびくっとなったのは翔子。傍に居たシャオはのほほんとしている。
「どうしたんですか?ヨウメイさん。」
「念じてみたんです。今日のおやつは薄皮饅頭に成る様に。」
「・・・・・・。」
何事かと終始驚いていた翔子は呆れ顔である。
のほほんとしていたシャオを見習ってか、お茶をのんびりとすすり出した。
「ところでヨウメイさん。」
「はい?」
「さっきさゆりさんの声が聞こえたような・・・。」
「はい、ちょっと祈りを拝借させていただきました。」
「ぶーっ!!」
すすっていたお茶を翔子が吹き出す。
慌ててシャオがそれを拭きにかかった。落ち着いたところで口を開く翔子。
「祈りを・・・はいしゃくぅ!?」
「そうです。そもそも祈りというのは・・・ふぐ。」
解説を始めた彼女の口にドラ焼きが押し込められる。
翔子がもてなし用として出していたものだった。
「説明はしなくていいからおとなしくそれを食ってろ。
それにしてもおやつが薄皮饅頭ねえ・・・。既にドラ焼きを食べてるじゃないか。」
「確かに・・・。」
テーブルの上に乗っているそれを見てシャオも頷く。
と、そこで“ぴんぽ〜ん”と呼び鈴が鳴った。
「・・・まさか?」
ぴんと閃いた様に、翔子がヨウメイを見る。
彼女はドラ焼きを頬張ったままにやりと笑った。そして・・・
「こんにちはー!!翔子さんー!!」
玄関の方から男性の声が聞こえてくる。
声、呼び方からしてその主は・・・。
「出雲さんですね?」
いそいそと立ちあがろうとしたシャオを制し、翔子が立ちあがる。
にやついて居るヨウメイをいぶかしげに振り返り見ながら、客人を迎えに行くのだった。
<念じろ>
「野村さん、今日はとっておきの事柄を御教えしましょう。」
「ヨウメイ、あたしは翔子。山野辺翔子。」
「いえいえ、こうやって名前をわざと違えて言う事で意外な効果が得られるのです。」
当然ながら、翔子は“なんのこっちゃ”と首を傾げる。
今の二人は、ヨウメイの特殊講座という形でキリュウとヨウメイの部屋にいるのである。
「ではでは、相手を呪って陥れる方を御教えしましょう。」
「おい待て、そんな物騒なものを教えようとするな。」
「冗談です、という訳ではなくて、ちょっとした御遊びです。」
「あのなあ、何かとっておきの事を教えてくれるんだろ?」
その言葉に、ヨウメイはにこりと頷いた。
「そうです、とっておきです。しかしこれは時間がかかるのです。
ある程度の、かなり微妙な時間が・・・。」
「どんな時間だよそれは。」
と、そこでヨウメイの顔色が変わった。しまったという顔だ。
「なんという事を!その言葉ですべて失敗してしまいました!」
「は?」
「ああー、何もかもをコントロールできる素晴らしい事柄がー。」
「だからあ、それってどういう事だよ。」
その言葉に、今度はヨウメイはキッと顔を向けた。
「どうして、そのセリフを先に言ってくれないんですか!」
「あのなあ、一体どういう事なんだよ、それは。」
「だからあ、そういう事なんですよ!!外から見れば分かるんです!」
「・・・さっぱりわからん。」
「ああっ!だからそういうことを言っちゃあ・・・って私も失敗してる〜!
すいません、山野辺さん。私の負けです。」
「・・・頼むからあたしに分かる様に言ってくれ。」
<なぞめい、た>
夜。そろそろ皆が寝ようかという頃・・・
トゥルルルルルル
一本の電話が七梨家に鳴り響いた。
ガチャ
「はい、七梨です。」
「あ、七梨先輩。楊ちゃん居ますか?」
「楊明?ちょっと待ってて。
お〜いヨウメイー!電話だぞー。」
太助の声にとたたたたとヨウメイが駈けてくる。そして受話器を受け取った。
その直後に太助はその場を去って眠りに行く。
「もしもし。」
「あ、楊ちゃん?」
「そう、私はヨウメイ。ららら〜♪」
「くだらない事言ってないで要件を聞いてよ。」
「く、くだらないなんてひどい・・・。楊ちゃんは傷つきました。」
「・・・ごめんって。あのさあ・・・。」
「冗談だよ、熱美ちゃん。で、何?」
「うん。実は学校に宿題のノートを忘れてきちゃって。」
「ふんふん。」
「で、内容を教えてくんない?別のノートに書くから。」
「分かった。送っとくね。」
「へ?」
「明日には届くと思うから。じゃあね。」
「ちょ、ちょっと楊ちゃん!」
ガチャッ、ツーツーツー
問答無用でヨウメイは電話を切った。そしておもむろに統天書を開ける。
「さてと、久々に使ってみようか。
これぞ空間移動の術!我の求めし物体を我の求めし場所の空間と入れ替えよ・・・」
トゥルルルル!
「もう・・・。」
ガチャ
「はい、七梨です。」
「楊ちゃん!?明日じゃあ遅いんだってば!」
「もう、おとなしく待っててよ。」
「待てない!!どういう事か説明してよ!!」
「やれやれ。実はね・・・。」
かくかくしかじかと説明を始めるヨウメイ。
日が替わるまでそれが延び、熱美の元にノートが届いたのは結局次の日になってしまった。
<未来へ・・・>
熱美と出会い、ヨウメイに会う為にと七梨家へやって来た愛奈。
そこの玄関で、偶然にも那奈に出会った。
「あれ?あんたヨウメイの友達の・・・。」
「熱美です。」
「そかそか。で、そっちの人は?」
物珍しそうに愛奈を見る那奈。チェック柄の服装はともかくとして、
ぱっと見ヨウメイに見えてしまった事に違和感を感じたのだろう。
と、愛奈はすっと前にでた。
「初めまして、私は近澤愛奈と申します。
実はヨウメイさんに会う為にここにやって来たのですが、いらっしゃいますか?」
積極的に尋ねるその行動に、那奈は少し身じろぎしたもののアッサリと応えた。
「いや、いないよ。」
「そうですか・・・。どこに行ったか分かりますか?」
「行き先は聞いて無い。でも家に居る他の奴なら知ってるかも。」
「家には誰かいらっしゃるのですか?」
「太助とキリュウは試練で出かけたから、シャオとルーアン・・・ってこんな事言っても分かる訳無いか。」
「・・・ちょっと待ってください。」
片手を上げで待ったをかけると、愛奈は少し離れた所まで歩き、自分の携帯電話を取り出した。
番号をおして電話を始める。
「なあ、あの人なんなの?なんでヨウメイに会いたいって?」
「さあ、私にもさっぱり・・・。」
肩をすくめる那奈と熱美。
そんな様子などお構い無しに、愛奈は話を始めていた。
「・・・はい、そうです。え?関係ない?どういう事ですか、それは・・・。
はあ?・・・だから、夢と幻は違うでしょうが!!ええ、そうです。
はい、はい、わかりました。」
話が済んだ様で、携帯を懐にしまうとくるっと那奈達の方を向いた。
「すみませんが、家で待たせてもらっていいですか?」
「まあいいと思うけど・・・。あたしは出かけるとこだから。
家の事はシャオに頼めばいいよ。それじゃあ。」
手を少し振って那奈はそこから去って行った。残ったのは熱美と愛奈の二人。
「あの、わたし探してきましょうか?」
おずおずと熱美が申し出ると、愛奈はしばらく考えた後に頷いた。
「お願いします。なるべく早く会いたいもので。」
「時間がつまっているんですか?」
「・・・まあ、そんなところです。」
「分かりました。」
不思議そうな顔をしながらもその場を去る熱美。
そして愛奈は、七梨家の呼び鈴を鳴らしに向かった。
<もうしばらく・・・>
ある日の事です。たおやかな月の光が注ぐ夜に、一人の少女が起き出してきました。
一枚のストールを羽織った、銀髪の少女です。
その少女は、階段を上るとある部屋の前に立ち、その扉をノックしました。
コンコン
しんと静まり返った空間にその音だけが響きます。
しかし部屋の中からはなんの返事もありません。
少し間をおき、再び少女は扉をノックしました。
コンコン
「ん・・・誰?」
今度は返事がありました。それを聞いて、少女はぱっと顔を輝かせます。
「私です。」
「その声は・・・シャオ?」
部屋の中からとたとたという音が聞こえてきます。中に居た人が起き出したのでしょう。
しばらくして、がちゃりと扉が開き、少年が顔を出しました。
「どうしたのさ、こんな時間に。」
「太助様に会いたくなって・・・。」
部屋の窓、カーテンの隙間から漏れるわずかな月光にさらされた少女の顔が、
ほんのりと紅く染まります。同じように少年の顔も染まったのでした。
「え、えーと、とりあえず中に入る?」
「はい・・・。」
しどろもどろに成りながらも、少年は部屋へ少女を招き入れます。
少女が中に入ると同時にパタンと静かに閉じられる扉。
ここでは、これから何が行われるのでしょうか。
月光浴?それともたわいないおしゃべり?それとも・・・。
「というシナリオでどうでしょう。」
「いい考えだとは思うけど、他にも色々と仕込んでおかないといけないんじゃ?」
「那奈さん、心配しなくても大丈夫。きっと上手くいきますよ。
月に願えばかなうんです。」
「・・・ま、いいけどさ。」
<それは、とても浄い時・・・>
最近、不思議な出来事が身の回りに起こります。
統天書の内容が勝手に変わっていたり、ノートにいつのまにか落書きがされてあったり。
不意に髪の毛をぴーんと引っ張られたり、体をくすぐられたり・・・。
「そう、これは間違い無く祟りじゃないかと思うの。」
「わざわざわたしに言わなくても・・・。で、何の祟り?」
「このまえ、宮内さんが手土産に持ってきた薄皮饅頭を勝手に全部食べちゃったから・・・。」
「お饅頭の崇り?」
「ううん、離珠さんの崇り。私と同じくおやつマニアだから。」
「何それ・・・。」
しばらく話し込んでるうちにチャイムが鳴り、授業が始まります。
机に向かった私を見て、熱美ちゃんが不思議そうな顔をしていました。
「どうしたの、熱美ちゃん。」
「楊ちゃん、髪の毛に引っ付いてるそれって・・・。」
「え?」
<たたりじゃぁーっ!>
ぐつぐつぐつと鍋が煮立っている。
その前でヨウメイはおたまを握り締めて何かを念じていた。
「ほんにゃらほんにゃら〜・・・。」
まさに一心不乱。時折“い〜っひっひっひ”と、訳のわからない声も立てる。
「きえーっ!!」
掛け声を上げてたのでこれで終わりかと思いきやそうではない。
ずんどこずんどこと再び念じ始めた。
「たく・・・。料理くらい普通に作れよな。」
「ヨウメイ流だそうよ。呪いをかける事によって美味しくなるんですって。」
「なんだか嫌な予感がするのだが・・・。」
その日のメニューはカレー。
程よい辛さに仕上がり、皆は美味しくそれを戴いたのであった。
それでも、一人だけは涙をこぼしながら食していたが。
「がんばれがんばれ、き・り・ゅ・う・さ・ん。」
「うぅ・・・。」
<いぃ〜っひっひっひ>