それは日曜の昼下がり。
ぼーっと太助と那奈とがリビングでテレビを見ていた時の事だ。
バン!
という音と共に扉が開き、二人はそれに注目する。
そこには統天書を手に持ったヨウメイが立っていた。
「ヨウメイ?どうしたんだ?」
「10・・・。」
尋ねる太助に、彼女はただ数字を告げた。
「10、って何が10なんだ?」
「9・・・。」
次に尋ねた那奈に、彼女はまたもや数字を告げた。
「何かを数えてるのか?」
「8・・・。」
再び太助が尋ねるも、やはりヨウメイは数字を告げるのみ。
「もしかして・・・。」
「7・・・。」
何かに思い当たった那奈が呟くと、更にヨウメイは数字を告げた。
「カウントダウン?」
「6・・・。」
太助の言うそれで合っているらしいが、ヨウメイは無表情のまま数字を告げた。
「何が起こるんだ?」
「5・・・。」
別のことを尋ねる那奈に構わず、ヨウメイは数字を告げる。
「まさか良くないことじゃあないだろうな。」
「4・・・。」
険しい表情の太助とも無関係に、ヨウメイは数字を告げた。
「もしかして、止めた方が良くないか?」
「3・・・。」
焦り出した那奈。それでもヨウメイは数字を告げる。
「止めよう、那奈姉!」
「2・・・。」
叫んで立ち上がった太助。しかし、やはり数字はヨウメイによって告げられる。
「おっし!止めるぞ太助!」
「1・・・。」
那奈も立ち上がる。数字は告げられたが、二人は素早くヨウメイの傍に駆け寄った。
「「止めろヨウメイ!!」」
「・・・ちぇ、あと一つだったのに。残念♪」
にやけたその顔はあまり残念そうでもなかった。
カウントをやめると、ヨウメイはひらりと身を翻して部屋を去ってゆく。
姉弟そろって遊ばれたのだろうか?
もしくは、謎の目的があったのだろうか?
太助と那奈が唖然とする中、TVは相変わらず画像を流し続けていた。
<0!!>
リビングへと案内された愛奈は、ソファーへと腰を下ろす。
その一方でシャオは、お茶を入れるためにキッチンへと姿を消した。
沈黙の時が流れる。
と、リビングの扉ががちゃりと開いた。
「あーあ、お腹空いたわ〜。何か食べるもの・・・って、あんた誰?」
ルーアンだ。見知らぬ女性が居るのを見て、疑問の顔である。
愛奈は彼女へと顔を向けた。
「お邪魔してます。私は近澤愛奈と申しまして・・・」
「ああー、遠藤君がこの前言ってたわ。
ヨウメイに似た人を見かけたって。あんたのことね。」
名前を聞いてぴんときたのか、ルーアンはぽんと手をうった。
どうやら事前に話で聞いていたみたいだ。
言われてみれば遠藤乎一郎という人と会ったなあと、愛奈も思い出す。
「なるほど、あなたが・・・って、私ってやっぱりヨウメイさんに似てるんですか?」
「ええまあ、ぱっと見金髪だもんねー。で、あたしが何って?」
「いえ、こちらのことです。」
「遠藤君からなんか聞いてたの?」
「まあそんなことです。」
宮内神社にて乎一郎が告げていた想い人。
わざわざその時の状況を話すまでも無いだろうと、愛奈は言葉をまとめた。
「で、なんであんたこんなとこにいんの?」
「それはですね・・・」
ピリリリリリ!
「すいません、失礼します。」
説明しようとした矢先に鳴り出す携帯電話。
ため息をつきながら、愛奈はそれを取り出した。
「もしもし。・・・ああ、あなたですか。さっきはなんで切・・・え?
ふむふむ、なるほど。わかりました、とにかく待てばいいんでしょう?
大丈夫です、しっかりやりますって。では。」
電話に出たときとはうってかわって、笑みを伴ってそれを切った。
「失礼しました。さて、私がなぜここにいるかというと・・・あら?」
話の続きをしようとした愛奈だったが、いつのまにかルーアンの姿は無かった。
どこに行ったのだろうときょろきょろとしていると・・・。
「あーっ!こんなところにお饅頭発見!」
「だ、ダメですよルーアンさん、これは愛奈さんにお出しするものなんですから!」
「一個くらいいいじゃないのよお。」
「だめったらだめです!」
どうやら、さっさとキッチンへ行ってお菓子をあさっていたようだ。
やれやれと息をついて、愛奈は二人がリビングへ戻ってくるのを待つのだった。
<もうすぐかしら>
「ねえ楊ちゃん、お願いがあるんだけど。」
「なに?ゆかりん。」
「これから出されるテストと宿題の解答と・・・」
「ダメ!」
「まだ全部言ってないでしょ。」
「ダメったらダメ!!」
すべてが分かっているかのように、ヨウメイは激しく拒絶したのであった。
<ちぇ>
もしもヨウメイが男だったら・・・。
「一体何が変わるんだろうな。」
「何にも変わらないと思いますけど。」
「花織ちゃん達じゃなくて、俺達と友達になってたかもな。」
「なるほど。遠藤さんとは確実に友達になってそうです。」
「俺は?」
「野村さんは、友達の親友ってことで。
でもまあ、やっぱり友達になっていたんじゃないでしょうか。」
「そうか!うんうん、持つべきものは友達だなあ。」
がしっ
「あ、あのー、腕をつかまないんで欲しいんですけど。」
「頼みがあるんだ。これから一緒にカラオケに行って欲しい!」
「いや、私はこれから帰るんですけど・・・。」
「約束してたはずなのに乎一郎も太助もさっさと帰っちゃったんだよー!」
「それとこれとは・・・。」
「ともかくゴーだ!俺達親友だもんな!」
「それは私が男だったらの話であって・・・ってちょっと野村さんー!!」
猛烈にアプローチをかけるたかしになすすべもなく、
結局ヨウメイはカラオケへと連れて行かれたのだった。
ヤケになった彼女が、たかしと共にひどい声で歌いまくったのは言うまでもない。
「ちょっと!私は歌は上手いはずなんですからね!」
「そうとも!採点機能で俺を1点差で上回ったほどの実力を持っている!」
「ふんっ、本気を出せばもっと勝てますよ!」
「そんな事を言うのなら今日も勝負だ!更にもう一人も連れて!」
教室で二人が力説していた。その一人の目の前で。
「・・・あたしは行かないぞ。」
「何言ってるんですか、山野辺さん。もう行くって決まったんです。これは運命なんです。」
「そういうことだ!さあこい!」
「だから行かないって言って・・・ってこらー!!」
翔子は、カラオケへと連行された。
そこでは、語りたく無くなるほどの歌合戦が展開されたようである。
<もしも………>
とある休日、のどかな昼下がり。
喉が乾いたキリュウはキッチンへと麦茶を飲みにやってきた。
するとそこにはヨウメイがいて、なんとも幸せそうな顔でお菓子をほおばっているではないか。
あまりにも惹きつけられるその顔に、キリュウは思わず尋ねてみた。
「ヨウメイ殿、そんなに美味しいのか?」
「あ、キリュウさんも食べます?辛いですよ?」
にこりと笑ってヨウメイは告げた。相変わらず顔は幸せそうだ。
「・・・今なんといった?」
「え?だから、辛いですよ、って。」
「甘い、の間違いではないのか?」
「何故ですか?辛くても美味しいんですよ?」
おやつに辛いものなど、普段キリュウはあまり耳にしたことがなかった。
いや、ヨウメイがおやつにそういうものを食べているのをほとんど目にしたことがないのだ。
「どうです?食べます?」
「いや、私は辛いのは・・・しかし、美味しそうだな・・・。」
辛いという事で遠慮したくなったキリュウ。
だがヨウメイの幸せそうな顔を見るとやはり食したくなる。
「一つだけいただこう。」
「どうぞどうぞ。まるごとばくってやっちゃってください。」
ニコニコ顔でヨウメイはお菓子を手渡す。
お饅頭のようなまあるい形。彼女の小さな手を握ったくらいの大きさだ。
しげしげとそれを見つめながら、キリュウはまるごと口にいれた。
ぱくっ
「どうですか?」
「・・・か、辛い〜!!」
「それは私が言ったじゃないですか。味のほうは・・・」
「だから辛い〜!!」
大慌てでキリュウは麦茶を飲むために冷蔵庫を開けた。
しかしそこには、目的の飲料はなかった。
あるのはただ、牛乳の1リットルパックのみ。
「む、麦茶が〜!!」
「ああ、麦茶なら丁度切れてますよ。あるのは牛乳くらいです。
でも、このお菓子って牛乳との相性最悪なんですよね。とんでもなく不味く・・・」
ばばばっ!
ヨウメイが告げ終わる前にキリュウは牛乳のふたを素早く開けた。
そして・・・
ごくごくごくごく
「!!?う、うあああ!!」
「だから言ったのに・・・。ね?すっごく不味いでしょ?」
ばたん
「あらら・・・。」
不可解な味を連続で味わされ、キリュウはとうとう倒れてしまった。
すぐ後に水で介抱するヨウメイにより目を覚ましたのだが・・・。
酷く気分が悪く、しばらくはまともに試練もできなかったそうである。
<だから言ったじゃないですか>
「山野辺さん、クイズです!正解したら正解と同じ賞品を差し上げます!!」
「唐突だな・・・。まあいいや、つきあってやるよ。」
「さっすが!では問題。地球の気温が上昇することによって溶けると問題視されてるものは?」
「へ?南極の・・・氷、だったかな・・・。」
「ぴんぽーん!正解でーす!なお、当選者の発表は発送をもってかえさせていただきます。」
「おい、なんだよそれは。正解したらくれるんじゃないのか?」
「だから、発送をもってかえさせていただきます。」
「たく・・・。」
「ご心配なく。どーんと届けますから。あはははは。」
「・・・やっぱりいらない。」
「何をおっしゃる。もう受け取ることは決まりました。一週間くらいで届きますよ。それじゃあ!」
「いらないったらいらないー!!」
「何故ですか?」
「家くらい大きいものを持ってこられちゃあ迷惑だ!!」
「なるほど。じゃあ星くらい大きいものを持ってきましょう。」
「余計悪い!!」
「やだなあ、南極は地球より小さいのに持ってこられるわけないじゃないですか。」
「あ、そか・・・。じゃあ、地球サイズのなら持ってきていいよ。」
「本当ですか?やったー!キリュウさーん!!」
「待て待て待て〜!!」
「はい?」
「うかつだった、キリュウがいたな・・・。やっぱ取り消し!掌サイズ!」
「大魔人さんの掌ですね。了解しました。」
「そんなものはやめろ!あたしの掌サイズだ!!」
「掌にのっけるんですか?」
「そうだ。」
「わかりました。液体窒素かけて溶けないようにしっかりお持ちします。」
「ふざけんなー!!」
「やだなあ、冗談ですよ。」
「たく・・・。頼むから普通の氷を持ってきてくれ。」
「南極ですからねえ。なんきょくらい(何個くらい)もってきましょうか?」
「・・・さぶ。」
「そりゃもう、南極ですもん。寒いに決まってます。」
「ここは鶴ヶ丘町だ!!寒いのはヨウメイのダジャレ!!」
「あはははは、嘘つくとハリセンボン飲ませますよ?」
「嘘なんかつくか!!」
「あ、ハリセンボンってのは河豚の一種でですね・・・」
「聞いてない。」
「くすん、山野辺さんの意地悪。」
「んなことよりさっさと氷もってきて終わりにしてくれよ。」
「了解っ。」
数日後、山野辺家に南極産の氷が届けられた。
まともなもので、翔子はほっとしたそうな。
<終了だ終了!>
「那奈殿、見るがいい。ここに昼寝をしているヨウメイ殿がいる。」
「ああ、そうだな。」
ここはキリュウとヨウメイの部屋。
何気なく呼ばれた那奈は、ここへとやってきたのだ。
部屋の真中には、仰向けになって幸せそうな寝息を立てているヨウメイの姿がある。
「さて、ヨウメイ殿をどう起こすと思う?」
「どう起こすって・・・呼べばいいんじゃないのか?」
「いいや、こうするんだ。」
言うなりキリュウは、あまっている座布団を手に取った。
そして、寝ているヨウメイの顔へばふっとかぶせる。そして上から押さえ込む。
「お、おい・・・。」
「しっ。このまましばらく待つのだ。」
何やらキリュウは真剣な顔。そんな彼女をあっけに取られて見ている那奈であった。
やがて、ヨウメイの体がじたばたと動き始める。
それは明らかに、息苦しいということを表しているようだった。
“もういいか”とキリュウが座布団をのけると、ヨウメイはばっと起きあがった。
真っ赤な顔で、ぜえぜえと激しく息をしている。
「なんてことするんですかキリュウさん!!」
「起きたようだな。」
「当たり前です!!」
「というわけだ那奈殿。こうやって起こせばいい。」
「へっ、那奈さん?」
ヨウメイが顔を向けた先にはたしかに那奈がいた。
腕を組んだまま、無表情の那奈が。
「・・・なあキリュウ。」
「なんだ。」
「やっぱあんたってヨウメイと似てるよ。」
「な、なんだと!?」
「というか変な影響受けてないか?頼むからあたしにはそれをやらないでくれよ。」
頭をかきながら、部屋を出て行く那奈。
沈んだ顔でそれを見送るキリュウと、クエスチョンマークを浮かべているヨウメイ。
「何があったんですか?」
「・・・・・・。」
「まあいっか。もう一度寝ようっと。」
「・・・なあヨウメイ殿。」
「そうそう、今度もしさっきみたいなお昼寝の邪魔したら灼熱地獄に叩き落しますからね。」
「うっ、わ、わかった。・・・それはさておき、私とヨウメイ殿は似ているのか?」
「全然似てないと思いますけど。」
「そうだな・・・。」
「ではおやすみなさーい。」
「うーむ・・・。」
さっさと寝に戻ったヨウメイの寝顔とは対照的に、
しきりに悩んでいるキリュウの顔が、そこにあった。
<起きた>
それはのどかな昼下がりのことである。
昼食を終えて友達と喋っているヨウメイの元に、一人の男子生徒がやってきた。
「ヨウメイちゃん、腕相撲をしないか?」
「腕相撲、ですか?」
男子生徒の呼びかけに、ヨウメイはきょとんとするばかり。
彼女とお喋りしていた花織達はもちろん抗議した。
「ちょっと、何考えてんのよ!」
「非力な楊ちゃんが負けるに決まってるじゃない。」
「あっ、ひょっとして・・・。頭じゃあ勝てないから腕相撲で腹いせを!?
さいってい・・・。」
彼女たちの連続抗議に一瞬たじろいだ男子生徒だが、負けじと言葉を続ける。
「もちろんまともにやっちゃあヨウメイちゃんが負けるだろうから、
どんな卑怯な手段を用いても構わない、というのはどうだい?
あ、でも統天書は駄目だからね。」
「なんかすっごくしょうもない条件ですね・・・。
でもいいですよ。一戦勝負しましょう。」
呆れたヨウメイではあったが、腕まくりをして、机にひじをつく。
“よし”と頷いて、男子生徒もひじをついた。
「ちょっと楊ちゃん・・・。」
「いいじゃないの、たまには。花織ちゃん、合図お願いね。」
「はいはい・・・。」
手ががっちりと組まれる。その上に花織が手を置いた。
「用意はいい?レディー・・・ゴー!」
そして腕相撲は開始される。
直後、双方の腕ががくんと、男子生徒の顔めがけて傾いた。
どこっ
「ぐわっ!!」
不意の一撃(パンチを顔面に食らったということだ)を受け、男子生徒は顔をのけぞらす。
同時に、手へ込められていた力がフッと抜ける。
その隙を逃さず、ヨウメイは手を倒した。
あっさりと勝負はつく。彼女の勝ちである。
「わーい、私の勝ち〜。」
「・・・楊ちゃん、今のはあまりにも卑怯だと思うんだけど?」
「そうだよ。普通腕相撲の最中に顔に一撃を食らわさせられるなんて思わないよ?」
「だってどんな卑怯な手を使ってもいいって言ったじゃない。ね?」
笑顔で男子生徒に念を押すと、彼はこくりと頷いた。
「いい参考になったよ。また勝負してくれない?」
「腕相撲はもう勘弁して欲しいんですけど。」
「じゃあ指相撲は?」
「うーん・・・。」
「握力比べとかはどう?」
「私はそういうのは・・・。」
何故かめげない男子生徒に、困り果てるヨウメイ。
そんな二人のやり取りを、花織達は唖然と見ていた。
「もしかして、単に楊ちゃんと手を握りたいだけなんじゃ・・・。」
ぽつりと呟いたゆかりんの声は、休み時間の喧騒にかき消されて行った。
<勝負あり?>
それは空がきれいな夜のこと。
月明かりに照らされながら、熱美とヨウメイが歩いていた。
「遅くなっちゃったな・・・。」
「いつものことじゃない。」
「今日は遅くなるってあらかじめ言ってなかったから不安だな・・・。」
「だから私が一緒に行って、説得するんでしょ?」
「そりゃそうだけど・・・。」
学校でついつい長く話し込み、夜のご飯も外で食べ、
それですっかり遅くなった、熱美とヨウメイであった。
もちろん花織やゆかりんも、一緒に遅くなった仲であったが。
とにかくこのことで、親に怒られるのが心配な熱美であるのだ。
「あの二人は事前に言ってあったみたいだからいいけど・・・。」
「もう、あんまり気にしすぎてもしょうがないでしょ。」
「うーん・・・あっ、そうだ!」
ぽんっ、と手をたたいたと思ったら、熱美はその場に立ち止まった。
「どうしたの?」
「楊ちゃん、お願いがあるんだけど。」
「私がやりたい範囲でなら請け負うけど。」
「やったあ。ねえねえ、昼夜逆転ってできない?」
「は?」
「つまり、来たれ昼!!って言って昼を呼んで・・・」
「んなもん無理に決まってるでしょ!?」
「ケチ・・・。」
「むっ、聞き捨てなら無いなあ。できないものはできないの!」
「でも・・・。」
「くだらないこといつまでも言ってるなら、私はもう帰っちゃうもんね。」
「わっわっ、待って待って、ごめんってば。」
ぷいっとそっぽを向いたヨウメイをあわてて熱美はなだめた。
ふうと落ち着き、そして二人は再び歩き出す。
「うう、やっぱり楊ちゃんに説得を頼むしかないのか・・・。」
「なんか嫌そうだけど?」
「いや、そうじゃなくって・・・。」
「???」
終始不安だった熱美。
けれども、ヨウメイの説得により、事なきを得たようである。
<明るくならない>
それはある蒸し暑い日の夜。
いつものようにヨウメイは、自室で統天書をぱらぱらとめくっていた。
その隣では、ぐてーっとなっているキリュウが居た。
「暑い・・・。」
このセリフもまたいつものこと。
と、“そういえば扇風機をつけていなかった”などと呟きつつのそりと起き上がった。
そんなキリュウに対しヨウメイは、
“暑さで頭の動きが鈍くなってるんですね〜”とぼそりと告げる。
とても小さなその声は幸か不幸かキリュウの耳に届くことはなかった。
しかしその時である。ぱらりとみた統天書のある1ページにヨウメイは目が丸くなった。
「こ、これは!!」
よほど凄いものを見つけたのか、彼女は思わず立ち上がる。
だが・・・
ぶおおおおお〜ん
「ふう、涼しい・・・。」
キリュウが扇風機のスイッチを入れた。
当然空気は流れ始める。その結果・・・
ばららららっ
「ああっ!!」
丁度風下にあった統天書は激しく捲れ出した。
慌ててヨウメイは押さえたがすでにあとのまつり。
懸命にさっき開けた場所を探すも、もはや見つからなかった。
偶然の発見は統天書の奥深くに行ってしまったようである。
しかもそれは、普段の事項みたく簡単に見られるものでは無かった。
もう一度見ようと思うなら、また根気良くページをめくり続けなければならないのだ。
「そ、そんなあ・・・。」
脱力し、ぺたんとその場に座り込む。
数秒の放心状態の後、扇風機に当たりながら涼しそうな顔をしている同室人をキッと睨んだ。
「キリュウさん!!」
「ん?ああ済まない、風を一人占めしていたな。もう一台もつけるとしよう。」
ヨウメイに何がおこったのかまったくわかってないキリュウはいそいそとスイッチを入れる。
部屋の気流は複雑になり、またもや統天書は捲れ始めた。
「どうだ?これで涼しくなっただろう。」
「・・・・・・。」
「どうしたのだヨウメイ殿?もしかして風を一人占めしたいのか?
それは良くないな。第一私が暑さに耐え切れずに・・・」
「うるさーい!!あー、腹立つー!!そんなに暑いんなら極寒の地から冷気を呼んでやります!!」
言うなりヨウメイは統天書を手に取った。
慌ててその手をキリュウは押さえにかかる。
「や、やめろヨウメイ殿ー!」
「離してくださいっ!」
「風を少し一人占めにしただけで何故そう怒るんだー!!」
「そんなことで怒ってるんじゃないですー!!」
あっという間に騒がしくなるキリュウとヨウメイの部屋。
最後は、部屋が涼しくなって幕を閉じたようである。
<また今度>
「わーいっ。」
「どうしたヨウメイ殿。えらくご機嫌だな。」
「主様から判子をもらっちゃいました♪」
ヨウメイが嬉しそうに見せたそれは、“七梨”と書かれた判子。
何かの時にこれを使えということなのだろう。
「なるほどな・・・しかしなぜヨウメイ殿が判子を持つ必要が?」
「そりゃあもちろんイタズラ・・・じゃなくて、色々使うことが有るんですよ。」
「ヨウメイ殿、今イタズラと言わなかったか?」
「気の所為です。そうじゃないとしても、冗談ですから気になさらずに。」
「・・・では、仮に冗談で使うとしたらどんな風に使う?」
「それはですねえ・・・」
ぺたっ
ヨウメイは判子を使用した。朱肉はばっちりついていた。
使用した対象は、キリュウの顔であった。
「こんな風に使うんです。」
「ほう・・・。」
「あれ?怒らないんですか?じゃあもっとやっちゃおうっと。」
ぺたぺたぺたぺたぺた・・・
「やめないかー!!!」
「冗談です、エヘ。」
「実演しないで説明すればいいだろう!!」
「あ、気付きませんでした。うーん、知教空天としてあるまじき行為。
どうもありがとうございました。」
ふかぶかと丁寧にお辞儀。しかしキリュウの心はおさまらない。
「ヨウメイ殿、謝るとかはしないのか?」
「謝罪よりもお礼。これが私のモットーです。」
「なるほど・・・などと納得できると思うか!?」
「思いません。」
「・・・・・・。」
「そうそう、もう一つ。遊ばせていただいてありがとうございました。」
二度め丁寧にお辞儀。
そしてとうとう、どたばたの喧嘩騒ぎに発展した。
収まった後もしっかり判子はヨウメイの手元にあり・・・
何に使われるかはとりあえず未定だとか。
<ぽんっ>
その日のある休み時間、ヨウメイは構内を歩いていた。
すると前から男子生徒が歩いてくる。それはたかしであった。
「よぅ、ヨウメイちゃん。」
「あっ!!」
軽くてを挙げるたかしを見ると、ヨウメイは声をあげた後にいきなり走り出した。
くるりと後ろを向いて・・・つまりは逃げ出したということである。
「ちょ、ちょっとヨウメイちゃん!」
追いかける様にたかしも走り出す。
「わああ!」
「待ってよ!なんで逃げるのさー!!」
手を振り上げながらたかしはヨウメイを追いかける。
しかし、追いかけっこはすぐに終わりを迎えた。
もともと体力がないヨウメイ相手ではそれも無理は無かった。
はあはあと息をしながら、たかしはへばっているヨウメイの元へ。
「ふう、追いついた。ヨウメイちゃん、なんで逃げたのさ。」
「・・・逃げたかったからです。」
「それまたなんで。」
「なんとなくです。逃げたい気分になったんです。えへ。」
「・・・・・・。」
それを聞いて言葉も出ないだかし。
つまりはヨウメイのお遊びだったというわけである。
「体はってるね。」
「当然です。」
呆れた様に告げるたかしにも、彼女は胸を張って答える。
それらは、ほんの2,3分の出来事であった。
<だっしゅっ!>
「キリュウさん、ちょっと聞いてもらいたいことがあります。」
「なんだ?改まって。」
「はい。私は冗談をやった後によく“冗談です、エヘ”と言ってました。」
「そうだな。その冗談もかなりタチが悪いしな。」
「えへへへ。」
「・・・何故照れる。」
「冗談です。それはさておき、このセリフを今度から“本気です、エヘ”に変えようと思うんです。」
「ほう。つまりは本気で冗談を行うというわけか。」
「いえいえ、私の本気は冗談じゃありませんよ。」
「まじめな顔だな・・・。なるほど、本当の様だな。」
「ええ。ただ・・・。」
「ただ?」
「セリフが変わるってだけで、やることは変わりませんから。」
「そんな意味の無いことをするな!!」
<本気です、エヘ>
ぴーん
くるくるくるくる・・・
ぱしっ!
「さあ、裏か表かどっちだ!」
「えーとですねえ・・・」
ぱらぱらぱら
ばしっ!
「こらっ!統天書なんて使おうとするな!!」
「別に使っちゃ駄目なんて制限は言わなかったでしょうに。」
「言わなくても駄目に決まってるだろ!?」
「では・・・表!」
「よし、じゃあ見せるぞっ。」
ぱっ
「裏だな。ヨウメイが食事当番だー。」
「ううっ、頼まれたのは那奈さんのはずなのに・・・。」
「受けて立つって言ったんだから今更泣いても駄目だぞ。」
「わかりました。その代わり、味に文句は付けないでくださいよ?」
「そんなことしないって。」
「私は料理が凄く下手ですからね。普段美味しく作れてるのは、
シャオリンさんが傍にいて手伝ってくれるからなんですよ。
シャオリンさんに限らず、作ってくれる人が傍に居てくれるからちゃんと作れるんですよ。」
「・・・わかったよ、一緒に作ればいいんだろ。」
「わかってますねえ。お願いしますっ。」
「やれやれ、こんなことなら最初から素直に頼めばよかった。」
<ぴーん>
「楊ちゃんが〜全力疾走、す・れ・ば♪」
「ばたんきゅー♪」
「は〜あ、どっこいどっこい♪」
花織、熱美、ゆかりんが、校庭を走りながらそんな歌を歌っている。
そんな彼女らの傍らでは、無言のまま一緒に走りつづけるヨウメイの姿も。
「どーして連帯責任なのー♪」
「わたし達はちゃんと走り終えたのに〜♪」
「楊ちゃんに付き合わされて走ってるのはなぜ〜♪」
歌は愚痴を含んだ説明的なものに変わる。
そう、つまり花織達は、体育の途中で力尽きたヨウメイの補習に付き合わされているのだった。
「「「ぜったいゼッタイ理不尽だー!!!」」」
三人が元気に叫ぶ中も、ヨウメイはひたすら無言で走り続けるのであった。
<・・・がくっ>
「ヨウメイ!あたしがあんたに“無理”ってものを教えてあげるわ!!」
「遠慮します。」
「まあまあ、話くらい聞きなさいよ。」
「要りません。ついでに言うと、私にそういうことを教えようってのが“無理”です。」
「あーっ!そんなのズルイ!!」
「堪能しましたか?ルーアンさん。」
「するわけないでしょ!!」
<無理>
こっくりこっくり
舟をこぐ音がする。
“おかしいな、ここは教室なのに・・・”と思った熱美が隣を見やる。
すると音の原因は居眠り中であるヨウメイだと分かった。
しかしそれを見つけた時には遅く・・・
どごっ!
熱美が見ている前で、ヨウメイは机に頭を激しく強打した。
その音に、熱美のみならずクラス中の皆が注目する。
しーん・・・
しばしの間続く沈黙。そして・・・
「うわあああーん!」
ヨウメイが激しく泣き出した。打ち所が悪かったのか相当痛かったらしい。
「ちょ、ちょっと楊ちゃん、泣き止んでってば!」
熱美の懸命な説得により、幸いにも彼女はすぐに泣き止んだ。
ほっとしたのもつかのま、今度は立ち上がって教室を出て行こうとする。
「どうした、知教空天?」
先生が尋ねると、ヨウメイは神妙な面持ちでそれに答えた。
「授業の妨害をしてしまって申し訳ありません。
だから罰として廊下で立ってます。皆さんの邪魔をするわけにはいきませんから・・・。」
誰もがそれを引き止めようとしたのだが、何者も譲らない顔でヨウメイは結局出て行った。
その後授業が終わっても、彼女はずっと落ち込んでいたようである。
<ふにゅ・・・あれ?>
それはなんでもないある日。
いつまでも続くかと思われた日々、を思わせるいつも通りの日であった。
「あれ?」
日課のごとく、自室で何気なく統天書をめくっていた楊明はあることに気がついたのだ。
「このページで……最後?」
右手に持っためくりかけのページ。
それとは別に、左手で次なるページを持ってみる。
左手が触れたもの。それは最後のページであり、裏表紙であった。
信じられないといった顔で、何度も何度もたしかめる。
しかしそれは紛れもなく最後のページであったのだ。
「うそ……てっきり無限にあると思ってたのに……」
茫然自失。
しばしの間楊明は、魂が抜けたかのようにその場に座ったままであった。
と、そこへやってきたのはキリュウ。
団扇をぱたぱたと仰ぎながら、同室で暮らす人物に目を向けた。
「どうされた?楊明殿。この暑さでダウンしたのか?」
「……キリュウさんと一緒にしないでください」
嫌みではあったが、反応があったことにキリュウは少しほっとする。
それだけ、楊明の異常に内心戸惑っていたのであった。
「それで本当はどうしたのだ?」
「はい、実は……」
びゅごおおおお!
楊明が説明しようとした瞬間、突如突風が吹き荒れる。
ばらばらばら!
統天書は勢いよくめくれてしまった。
「あっ…」
「す、すまない楊明殿!私が扉を開けていたから!!」
慌ててキリュウは扉を閉める。
たしかにそれが風の通り道となっていたのは事実であった。
申し訳なさそうに謝るキリュウ。しかし……
「……いいえ、気にしないでください。もう終わりました」
楊明は笑顔でこう返した。
「何がだ?」
「ふふ……」
「?」
「あははははは」
「よ、楊明殿?」
「あはははははは!!」
少しばかり潤んでいる瞳で、手に頭を置きつつ楊明は笑い出した。
今度はキリュウが呆然とする番であった。
わからないからではない、信じられなかったのだ。
彼女がこのような笑い方をしたのは初めて見たのだから……。
楊明が天を仰いで泣き笑い、キリュウはそれをただ見つめるだけ。
二人のそんな時間は、いつまでもいつまでも流れていた。
<これにて最後>
“たまには私に任せてみますか?
いいですよ。見事役割を果たしてみせましょう!”
そして楊明は教壇の場に立った。
「皆さーん!お久しぶりですー!」
何が嬉しいのか彼女の気分はハイである。
「中学校の教科はすべて終わりましたね。では、大学の専門科目を!
なーんちゃって、冗談ですよ。やるのは心理学です。」
一人勝手に進んでしまう。
そして、授業は始められた。
二年一組。ルーアンたっての頼みにより、楊明が先生である。
しかし普通の授業ではない。補習だ。
「ちょっと楊明、補習で心理学なんてやらないでよ・・・。」
「今更文句は受け付けませんよ?」
「後で怒られるのはあたしなんだけど。」
「だったらルーアンさんがちゃんとやればいいじゃないですか。」
「くっ、そうよねえ・・・。」
「はいはい。それじゃあ補習始めますよ〜。」
と、ここで生徒の一人が挙手をした。
「はい、何ですか?」
「あのう、先生。数学の補習でなんで心理学を・・・。」
「私がしたいからです!文句ありますか?
あるならそれはルーアン先生にぶつけてくださいね〜。」
「・・・わかりました。」
結局そのまま強引に授業は進められた。
当然ルーアンは後でたっぷりしかられたのである。
<任せた結果がこれだ・・・>
さる土俵。どこの土俵かは気にしてはいけない。
立っているのは、東に太助、西にヨウメイである。
特別な格好はしていない。二人とも普段着だ。
「では試練開始だ!」
「・・・あの山野辺さん。」
「なんだヨウメイ山。」
「絶対に試練にならないと思いますけど・・・。」
首を傾げつつ、非常に嫌そうな顔のヨウメイ。
だが翔子は“いいや”と首を横に振った。
「誰が七梨の試練だと言った。ヨウメイの試練なんだよ!」
「うえっ!?」
「キリュウの試練は嫌なんだろ?だからあたしがかって出てやった。」
「あのさ、山野辺。俺もこれから試練が・・・」
「ヨウメイの試練が優先!!なあに、すぐに終わるって。」
激しい口調で、翔子は一歩も譲らない様子。
仕方がないと思い、二人はため息を付いて腰を落とした。
「おっ、やる気になったな。はっけよーい・・・のこった!!」
「どすこーい!」
開始と同時にヨウメイが突進してゆく。かけ声付きでノリがいい。しかし・・・
ずでん!
「あうっ!」
何もないところでこけていた。
「・・・七梨山の勝ちー。」
「なんだかなあ・・・。」
「うう、どうせこんなオチだと思った・・・。」
試合は終了。ヨウメイは黒星を早々に飾ってしまった。
「さーて、また明日だな。」
「うえっ!?山野辺、明日もやるつもりなのか!?」
「何驚いてんだ七梨。今日みたいなので試練になるわけないだろ?
ヨウメイが勝つまでやるからな。一日一試合、毎日だ。」
「・・・山野辺さん、一つ警告しておきます。」
険しい目つきのヨウメイ。
その雰囲気に思わず翔子は気を付けをする。
「未来永劫、私が主様に相撲で勝てることは決してありません。断言します。」
「で、でもさあ・・・」
「八百長すれば別ですけどね。」
「おい・・・。」
自信たっぷりにヨウメイは言い放った。
勝つ自信はまったく無いという自信である。
「なあ山野辺、やっぱりやめにしないか?」
「くっ、無念だ・・・。」
結局翔子は諦めた。
そして、相撲もヨウメイへの試練もうやむやになってしまうのであった。
<どすこーい!>
「“はっはっはっはっ・・・”
さて、これは何をしている所でしょう?」
「それはもちろん笑ってる所だな。野村殿がよくやっている。」
「ぶぶーっ!正解は、気合いを入れてる所でした!
よくやりますよね。“はっ!”って。」
「・・・それならそれでえくすくらめーしょんまーくを入れろ!!」
「わっ!!き、キリュウさんがらしくない言葉を!!
どうしてらしくびっくりまーくと言わないんですか!!」
「そんなことはどうでもいい!!」
<ちゃんとあらわそうね>