第二百七十五ページ『Ancient Dolphin』

もしも・・・人以外の生物が統天書を読めたらどうなるだろう?
現状、高い知能を持つということで有名な生物が海にいる。
統天書そのものは、水に濡れた程度ではびくともしない不思議な書物。
人の手から人の手へ渡る際に、海を漂っていてもなんら不思議は無い。
そんな統天書が・・・

「イルカ?」
「はい、イルカのキューちゃんです。」
「誰なんだよそれ・・・。」
ふとした昔話(?)をヨウメイは那奈にしていた。
休日に皆がのんびりとくつろぐ、そんな日の昼下がり。
外では青空の中、太陽がゆっくりと大地を暖め、風が大気を揺り動かす。
一匹の鳥が行うさえずりが走れば、それはもう新たなBGMに早変わり。
「かつて人間をやってました。で、かつてお魚をやってました。」
「ちょい待ち。」
「はい?あ、イルカは魚じゃないってことですね。ご心配なく、そこらへんは上手くできてますので。」
「なんのこっちゃ・・・。まあともかく、統天書を読んだイルカが居たってことだな?」
「はいそうです。」
「で、その時ヨウメイは・・・」
「何もしませんでしたけどね。」
「・・・なんで。」
「だって、人じゃありませんでしたから。いやあ残念でした。」
「何がだ・・・。」
「初の、海での生活が始まろうとしてたんですが・・・。」
「でもさ、ヨウメイは海で生活できないだろ?」
「大丈夫ですよ。この書物さえあればね。」
「統天書?」
「はい、統天書です。」
「ふうむ・・・。」
「この統天書はですね、昔には・・・。」
話は果てしなく続く。
最初の主題はどこかへいってしまったままに。
遠くで猫があくびをした。それでも世界の時間は動く。回り続ける。
昔々のイルカも同じように・・・。

<古代より生きしイルカ>


第二百七十六ページ『Hope Isolation Pray』

早朝。朝日がそろそろ射そうという時間・・・。
「ふんじゃらー、ほんじゃらー。」
とある山の上。
「つっぺらー、こっぺらー。」
一人の少女が、祈りを捧げていた。
「おんどりゃー、めんどりゃー。」
・・・いや、祈りというよりは、ヤケになった祈祷師だという表現が正しいだろう。
「ちんたらー、つんたらー。」
姿は、何故か巫女装束。手には払い串を持っている。材質は柄を含めてすべて紙のようだ。
「これっぽっちゃー、それっぽっちゃー。」
声そのものはなかなか気合が入っている。・・・が、あまり真面目でもなさそうだ。
「あれやこれやー、それやこれやー。」
・・・と、そんな辺りで、別の人の気配が新たに出てきた。それは・・・。
「あのう、ヨウメイさん。こんな朝早くから何を?」
神主らしき格好をした男性が出現。それに気付いた少女は、途中ながらも祈りを止めた。
「これはですね、願いをかなえるための祈祷です!あ、ついでですから宮内さんのお願いも聞いてさしあげますが?」
少女は怒りながらもあっさりと笑顔で告げた。それに対して、神主は頭をかきながら一言。
「・・・いいかげん、あなたがそうやって人で遊ばないようになる事を私は願いますけどね。」

<かの地での祈り、希望>


第二百七十七ページ『Raven』

「キリュウさん、一つここから・・・」
「却下だ。」
ある晴れた日の休日は昼下がり。
キリュウとヨウメイの二人は、屋根の上に立ち街を見ていた。
別に何をどうこうするわけでもなく、ただ眺めていただけなのだが・・・。
「つれないことを言わないでください。いいですか、一つここから・・・」
「だから、却下だ。」
ヨウメイが面白そうな(本人は)提案を出そうとするが、キリュウは頑としてそれを拒否。
肝心の部分を話し出す前に、却下を連発しているというわけである。
「ひとの話は最後まで聞くもんですよ?頭ごなしにそういうのは・・・」
「皆まで言わずとも、ヨウメイ殿がこんな時に出す提案はろくでもないものに決まっている。」
「むっ・・・。あーあー、そうですか。じゃあ今晩は・・・」
「脅しには屈さぬぞ。熱を呼ばれようが寒を呼ばれようが、私は耐えてみせる。」
ゆるぎない言葉をキリュウは放った。
実に堂々とした美しい瞳。そしてはっきりとした声。
太助に厳しい試練を与える時にはたとえばこのような表情をする。今が正にそれである。
「ふむ・・・。じゃあ勝手に私一人でやることにします。」
「・・・何をだ?」
「別に教えませんよ。文さん絡みとだけ言っておきましょうか。」
「何だと?」
キリュウの堅固な壁が少し崩れた。彼女の顔は、今正にその場を去らんとするヨウメイに向けられる。
が、ヨウメイ本人はそれを気にするでもなく、とっとと飛翔球を取り出した。
「文さんと共に・・・」
「共に?」
「・・・わたろ〜〜〜〜〜〜〜〜い。・・・じゃあ。」
「・・・・・・。」
キリュウにはさっぱりわけがわからなかった。
ヨウメイは手を少々ぱたぱたとさせたかと思うと、ぺたんと飛翔球に乗り込む。
それと同時に、どこからともなく文がやってきた。
いつもはキリュウに寄り添っているが・・・今回ばかりは特別である。
ヨウメイの乗る飛翔球にちょこんと乗ったかと思うと、小さくこくりと頷くのであった。
「ではしゅっぱーつ!」
「ま、待ったヨウメイ殿!」
高らかに宣言したヨウメイに対して慌ててキリュウは静止をかけようとしたが・・・時すでに遅し。
ヨウメイと文を乗せた飛翔球は空をすべり出した。
手を伸ばしたままキリュウはしばらく固まり・・・
やがてはっと我に帰ると共に、自らも短天扇で空へと繰り出した。
すぐに追いつき事情を尋ねると、ヨウメイの話によれば、鶴ヶ丘町空渡り日和駆け巡りイベント、だとかなんとか。
単純に空の散歩、という事なのだろうが・・・やはりキリュウにとってはちんぷんかんぶんであった。

<ワタリガラス>


第二百七十八ページ『Damn Damn Damn』

「キリュウさん、これから私が!あなたを三度びっくりさせてみましょう!!」
ある晴れた・・・いや、正確には何気ない夜のくつろぎの一時。
七梨家はリビングにてヨウメイはキリュウをびしっと指さした。
ちなみにその場に居合わせたのは、ルーアンと那奈。
太助とシャオはそれぞれ自分の部屋に引き上げてしまっていた。
「びっくりさせる?」
「また唐突だなあ・・・しかもなんで相手がキリュウなんだ?」
「まぁ普段無愛想な分びっくりしにくいだろうってことに挑戦するのよね?」
疑問の顔でいっぱいのキリュウと那奈とは対照的に、
ぶっきらぼうではあるが意図を推察したルーアンに対してヨウメイはこくりと頷いた。
「いきます!まずは来たれ、灼熱!」
これまた唐突にヨウメイは提言を叫んだ。灼熱。その名の通り、熱が呼ばれる。
部屋全体に呼ばれたわけではなく、ごく一部に・・・。
「あつっ!!」
丁度ゆのみを持っていたキリュウは手にやけどをおった・・・いや、おいかけたが無事だった。
そのひょうしに落としそうだったそれは、なんとか無事に机に置かれた。
「何をする!」
「次に・・・来たれ冷気!」
怒るキリュウもなんのその、ヨウメイは更に冷気を呼んだ。当然それは冷たい。ということで・・・。
「つめたいっ!!」
キリュウが座っていたソファーそのものが急激に冷やされた。
たとえるならばそれは氷で出来た椅子ほどに。びっくりしてキリュウは立ち上がる。
「ええいっ、やめないか!!」
「最後に・・・来たれちょこれーと〜!」
やはり怒るキリュウだがヨウメイは気にしない。
しかし今度は自然現象ではなかった。ヨウメイは提言(?)を叫びながら統天書を逆さにばさっと揺らす。
と、そこから出てきたのは・・・。
どさどさどさどさっ
「うわわわっ!」
たくさんのチョコレート。チョコレートの海があっという間に出来上がる。
それの被害にあったのはキリュウ。彼女は押し寄せるチョコレートの波に押し流されてしまった。
「ちょっと遅いですけどバレンタインのチョコレートです!」
「きゃー、ちょっとヨウメイどうしたのこれ!?ねえ、食べていい?食べていい?」
丁度甘いものに飢えていたルーアンはぱっと目を輝かせた。
ヨウメイの宣言からずっと沈黙していた彼女だったが、この状況を目の前にすれば話は別だ。
「この時のためにたっくさん集めました!まぁこれはキリュウさんにあげるためなんですが・・・。
いいですよルーアンさん、好きに食べてください。」
「わーい、いただくわ〜。」
即座にルーアンはがつがつ食いを開始した。
その傍ら・・・いや正確にはその下で、腕一本とわずかに顔を覗かせてうめくキリュウ。
そんな光景をにこやかに見ているヨウメイ。実に満足げな表情で。
そして・・・一連の出来事に唖然としかしていられない那奈。
「・・・ツッコミどころ満載なんだけど・・・いずれは止めないとな・・・。
あ、ヨウメイあたしも一個もらうよ。」
那奈の声に、ヨウメイはどうぞと手を差し出す。
手頃な一つを手にとって那奈は軽くぱくっと口に入れた。
「・・・辛っ!!」
「あ、那奈さん当たりですね〜。ええ、実は甘い甘いだけでびっくりじゃなくってね、
そういう辛いチョコレートってのを一つだけ混ぜていたんですよ。更にびっくりを期待して・・・。
でも那奈さんに当たっちゃうなんてちょっと残念だなぁ・・・。
ちなみにそれは唐辛子チョコレートって言って製法は実際にあるものとは多少違いますが・・・」
「やかましー!!こんなもん人に食わせようとするなー!!」
「わわっ!」
まさに鬼の形相といわんばかりの顔に那奈は変身した。
最後にびっくりしたのはヨウメイだったようである。

<わ!わ!!わ〜!!(びっくり)>


第二百七十九ページ『Innocent Sea』

ざざーん・・・
あたりに響く波の音は途切れる事無く・・・
ざっざっざっざっ・・・
足元を踏みしめるたびに砂の感触が広がり・・・
ぼぉ〜・・・
・・・と、向こうもこっちもあっちもそっちも見渡せる・・・。
そんな、壮大さをとかく思わせる海に、彼女と彼は居た。
「いいでしょう、海。海ですよ〜。」
「・・・・・・。」
にこりと笑顔を浮かべて、今おかれている状況を強調している彼女。
それに対して、彼の方はただ無言。不機嫌ではない、ただ見惚れているのだ。
「綺麗ですよね・・・。」
「ああ・・・。」
ようやく彼の方は言葉を発した。自らのすぐ耳元ではしゃいでいる彼女に対しての返事だ。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
そのまま、二人は沈黙の時間へと入る。
ただ海を楽しむために。
ただ、海を感じるために・・・。
………………
……………
…………
………
……

……
………
…………
……………
………………
「あの・・・。」
「ああ、すいません。もうちょっと居ましょう。なあに帰る時はすぐ帰れます。
っていうよりは迎えが来ないと無理な状況だったりするんですけどね。
なにせ飛翔球を今は花織ちゃんに預けてたりするもんですから。あははは。」
「・・・・・・。」
「もう、そんなに心配しなくても。大丈夫ですよ、キリュウさんが今こちらに向かってるようですから。
軍南門さんも小さくしてもらって帰ることができますって。」
「うーむ・・・。」
ご都合的な理由が並びたてられた後、やはり二人は海を見に戻る。
ちなみに・・・こんなよくわからない場所にどうやって二人が来たかは気にしてはいけない。

<けがれ無き海>


第二百八十ページ『Swivel』

「それーっ!」
びゅいーん!
「いけーっ!」
ぐぉーんっ!
「「降ろしてー!!」」
ぎゅおおおおおーん!

それはある晴れた日のことであった。
どこまでも青い青い空を、一枚の絨毯が激しく舞っている。
帰宅途中の太助達は何気なく空を見上げてそれを発見した。
「おおっ、あれはなんだ乎一郎!?」
「鳥?」
「いや違う!あれはなんだ、山野辺!」
「飛行機か?」
「いやいや違うぞ!あれはなんだ、太助!」
「あれは…愛原の運転する飛翔球に振り回されてるヨウメイ達だよな…」
「でも太助様、ヨウメイさんは楽しそうに見えますけど?」
「ああそうか。ゆかりんと熱美ちゃん…だっけ。あの二人が主に振り回されてるんだな」
「その通りだ!…いやー、俺たちじゃなくてよかった」
「「「まったくもって」」」
二年一組の面々は冷たい言葉を放ち、そのままため息へと変える。
まだ空を見上げていたシャオだけは、ただぽつりと更に呟いた。
「…そうだ、今日はスパゲッティにしましょう」
「なんのこっちゃ…」
翔子がさらりとツッコミを入れる。
そんな彼女らとは関係なく、空では激しい空中旋回が繰り広げられているのであった。

<旋回>


第二百八十一ページ『Oh I'm A Flamelet』

「熱美ちゃんとヨウメイの!」
「キリュウさんで遊んでみようコーナー!」
それはある暑い日のことだった。
何度あったかなんてことはもう覚えていない。
ただ、いつものヨウメイ殿に加わって熱美殿がやってきたことだけは覚えている。
私の意識がもうろうとしている中、二人は前述のような宣言を行ったのだ。
今思えば、迷惑千万・・・なのだが、私はまったく抵抗できずにいた。
「じゃあいくね。私は氷!というわけでキリュウさん、涼しくしますよ〜。来れ、冷気!」
ひゅううう…
ひんやりとした空気が私の周りを包む。
「・・・おお、これは涼しいな・・・。」
と思ったのも束の間であった。
「・・・さ、寒い・・・ヨウメイ殿、やめろー!」
手加減なくヨウメイ殿は冷気を呼び続けていた。
周りの暑い空気など関係ない。今はただひたすら寒い・・・。
しかも、体力の衰えていたところにやられたものだから、またも私は抵抗できぬまま・・・。
「キリュウさん寒そう・・・。でも大丈夫です!炎であるわたしがキリュウさんを暖めます!」
言いながら、今度は熱美殿が私のそばにやってきた。そして、ぴとっと私に寄り添う。
・・・あたたかい。そうか、人肌で暖めるといいというのはこういう事か・・・。
・・・と思ったのも束の間だった。
熱美殿がくると同時にヨウメイ殿が冷気を呼ぶのをやめたのだ。
おかげでまたもわっとした空気があたりを包み・・・たまらなく暑くなった。
「暑いっ!」
「・・・たしかに暑いっ!」
私が叫ぶと同時に熱美殿も離れた。なるほど、彼女にとっても耐え難いものであったのだろう。
と、ここでヨウメイ殿はこほんと咳払いをした。
「さてキリュウさん。炎と氷、どっちがよかったですか?」
一瞬私は質問の意図が分からなかった。しかし答えはすぐに浮かんできた。
「どっちも迷惑だ!」
「じゃあ・・・私も炎をやりますね。キリュウさんにひっつきたいから♪」
「やめろといったらやめてくれー!」
「わたしはパス・・・。ああー、暑かったー・・・。」
「うーんしょうがないなあ。キリュウさん、炎だけで我慢してくださいね♪ぴとっ。」
「暑いー!やめろー!!」
・・・暑い中ヨウメイ殿にひっつかれて・・・さんざんな日だった・・・。

<ああ、私は小さな炎>


第二百八十二ページ『Evening Star』

ある一つのカケがその日行われた。
内容は伏せておくが、くだらないものであったという事だけは明らかだった。
しかしその代償は大きなものであった。
ただそれだけが、彼を大きな後悔の念に埋めていた。
「お、俺はどうしてあんなことを言ったんだ・・・。」
七梨家の庭にて、野村たかしは両の手で頭を抱えていた。
しきりにぶつぶつと同じ台詞の繰り返し。まるでテープレコーダーのように。
その彼の傍らで、着々と準備を行うルーアンとヨウメイがいた。
何の準備かというと、ドラム缶三段重ねにガムテープがついていたりという、
いつぞやの旅行で太助が飛ばされてしまった砲台の準備である。
そんな二人を興味本位に見守る花織、ゆかりん、熱美。
遠くからひきつった笑いのみで見守る太助。
何がなんだかわからずぼーっと見守るシャオ、那奈。
そして、一人冷静にため息をついているキリュウの姿があった。
いつものように賑やかな面々が揃っているということであろう。
「お、俺は・・・」
相変わらず呟き続けるたかし。だがここで、ヨウメイはとうとう口を挟んだ。
「はい野村さん。りぴーとあふたーみーはもういいですよ。準備ができました〜。」
「ねえヨウメイ、あたし今回は前より自信が無いんだけど・・・。」
「何をおっしゃる。この私の教授の元作ったものなんですから。確率は大分高いはずですよ。」
ヨウメイはどんと胸をはっているが、言動はあまり確証の持てないものであった。
「材質悪いけどねえ・・・ドラム缶じゃなくてダンボール・・・。ま、なんとかなるかしらね。」
「はい。あの暗い空に浮かぶ闇に紛れて見えない星へロケットダイブ・・・ああ、なんて無貌なんでしょう。」
「あんたね、無貌なのが分かってるならやらせるのやめなさいよ。」
「ダメですよ。野村さんは熱き魂とやらをしきりに主張なさってました。
ここは一つ、常識をどれだけ覆してくれるか、知教空天としては見ておく必要があります。」
「野村君が常識を覆した事なんて今まであったかしらねえ・・・。」
「今夜が初となるやもしれませんよ。」
「そうね。じゃあ野村君、早くあの突先に・・・あら?」
少々のおしゃべりを行っていたルーアンとヨウメイが振り向くと、既にたかしの姿はなかった。
準備そのものを見るのに夢中になっていた花織達三人もそれに気付いていなかったようである。
という事はつまり・・・。
「逃げましたか、脱兎のごとく。」
「なるほどねえ・・・奇跡が一つ起きようとしてるわけね。」
「どういう事ですか?ルーアンさん。」
「それはね、あたしとヨウメイから逃げ切るかもしれないってことよ。」
「野村さんが?」
意外なルーアンの発言に返答しながら、ヨウメイは懐から飛翔球を取り出してそれを広げた。
「まあそれはあくまでも今だけと思うけどね〜。」
言いながらルーアンも、手元に用意していた箒に陽天心をかけた。
「追いましょうかね。」
「そうよね。」
びゅーん
言うが早いか、二人は闇の空へと繰り出していった。
当然ルーアンはコンパクトを構え、ヨウメイは統天書を構え・・・。
そんな彼女らの姿を、やはりその他の面々はただ見送るしかできなかった。
ただ一人キリュウだけは、もう一度大きなため息をついた。
「おそらく明日も同じ騒動があるのだろうな・・・。」
そろそろ月が出始める頃、今夜のイベントが一旦幕をおろした。

<宵の明星>


第二百八十三ページ『Don't Hunt The Fairy』

誰もが伸びをしながら草原に寝転びたくなる、そんな昼下がり。
女御の二人はふらふらと街中を空中散歩としゃれこんでいた。
そよそよと彼女らの衣を撫でる風が、自然と気持ちを軽くさせる。
一緒に周囲を飛んでいる小鳥達のさえずりが、行く空の道を祝福する。
「ま、待つんだ女御殿ぉー!」
和やかな空気をさくかのごとく、彼女達の背後から必死な叫び声が聞こえてきた。
それは大きな扇に乗った緋色の髪の少女。だぶだぶの十二単をずしりとそれでいてぼやんとはだけた姿。
顔を紅潮させて、それはそれはハンターのごとく飛んできたのであった。
それに驚いて、女御たちは慌てふためく。恐ろしい猛獣に出くわしたかのように。
当然飛んで逃げようとも思うも、スピードは断然背後のそれが上。
もうつかまってしまう、とそんな時だった・・・。
「来れ、落雷!」
ぴしゃーん!
空に昼間よりも明るい光が走り、扇の上の彼女に直撃した。
その瞬間に追いかける速度が落ち、そして止まる。直後、絨毯のようなものに乗った金髪の少女が姿を見せた。
「ああよかった、つかまらなかったようですね。さ、女御さん。早く逃げてください。」
眼鏡ごしに見える笑顔から飛び出す言葉にこくこくと頷くと、女御はふらふらと逃げていった。
しばらくはそのまま少女は、身動きできぬ扇の少女を見守っていた。
と、そう時間が経たぬうちに扇の少女はがばっと身を起こした。落雷のダメージから復活したのだ。
「ヨウメイ殿、何をする!」
「何をって・・・雷を落としたんですけど?大丈夫ですよ、高電圧じゃありませんから。」
「そういう事を聞いてるのでもないしそういう心配をしてるのでもない!何故女御殿を捕まえる邪魔をするのだ!」
「趣味ですから。」
扇の少女、キリュウの激しい剣幕にヨウメイはにべもなく答える。
趣味と言ってのけることから、容赦はどうもなさそうだ。
ふう、とため息を一つ吐き出した後、キリュウは更に問うた。
「・・・どういう意図の趣味だ?」
「今回、女御さんはイタズラ好きの妖精という設定です。妖精は捕まえちゃいけないんです。だからです。」
「・・・そんなわけのわからぬ理由で私が納得すると思うか!?」
「思いませんけど。」
「なら邪魔をするなああ!!」
午後の昼下がり。
今日も平和な時間が流れていた。

<妖精を捕まえないで>


第二百八十四ページ『Fable』

とある森の奥に、二人の少女が暮していたそうな。
一人は知的な顔立ちながら体術に長けた小柄な少女。
一人は威圧的な雰囲気を漂わせる立派な体格の本の虫。
二人はそれぞれの短所・長所を補い合いながら、静かに静かに、毎日を幸せに過ごしておりました。
一人が怪我をして寝込めば、もう一人が懸命に看病と二人分の作業とを引き受け。
一人が回復すれば、今まで片方に偏っていた負担を受けるように、より日々の作業を頑張る。
二人はとってもとっても、お互いを気遣い、仲がよいのでした。

「・・・という設定の話をつくろうと思うんですけど、キリュウさん一口のりませんか?」
「相変わらず唐突な提案だが、私は嫌だ。」
「まあまあそう仰らずに。これには一つの大きな目的があるのです。
自然の中で私という存在と二人っきりで過ごすことにより、試練の精度を高めようという・・・。」
「・・・意図は素晴らしいものがあるかもしれないが、暮している間にヨウメイ殿は何をする?」
「何って・・・私は本の虫の役割ですからねえ・・・本を読んでますよ。」
「私で遊んだりしないか、と言いたいのだ。」
「ああそれは大丈夫です。ばっちり遊びますよ。二人は仲良しさんですから。」
「・・・そこでどうしてそういう発想になるんだ!遊ぶのならば私は拒否する。」
「分かりました、約束しましょう。遊ばないと。」
「ほう?やけに素直だな?」
「私としてはそれよりも深刻な問題があるんです。それは外見・・・。」
「外見?」
「はい。威圧的な雰囲気と知的な顔立ちって・・・ムリじゃないですか?だからどうしようかと・・・。」
「ムリなのか?そうでもないと思うがな・・・。」
「いやあ、世間の目は厳しいんですよ。」
「世間に触れて過ごすわけではあるまい。」
「それもそうなんですが・・・。」
「第一、そんな外見がらみの設定など必要なのか?」
「ええ、必要です。これはギャップを味わうことによって素敵な実験を・・・。」
「・・・やっぱり私は拒否する。」
「ええ〜?」
「あと今思いついたのだが・・・その二人きりで過ごしている間に役目はどうするつもりだ?」
「主様への教授と試練ですか?・・・ふっ、その点はぬかりがありません。」
「どういうことだ?」
「この部屋を森とすればいいのです。そうすれば・・・。」
「・・・それだと普段の生活と同じではないか。」
「いえいえ。異空間を作成して、そこに住まうという事で・・・。」
「そうまでする目的はなんだ。試練がどうこうだけではあるまい?」
「・・・主に仕えている間ながらも、俗世間を離れることによって得られるものというものを説こうかと。」
「つまりはどういう事だ?」
「要するに、人生という流れを放棄して生きる、ということですね。例えるならばですけど。」
「・・・なるほど。」
「普段の生活の流れとは違うものに乗ることにより、やはり違うものが見える!ですね。」
「ならば、やはりこの家から離れた方がよいのではないのか?」
「空間が違えば結局は同じことですよ。さあ、どうします?」
「・・・やっぱり私は遠慮する。」
「仕方ありませんね・・・。どのみち、完全に離れるわけじゃないですし。」
「そうだろう。離れている間に教授を行おうとしているのであれば。」
「ああ、まあそれもあるんですが・・・。」
「なんだ?」
「多分心も離さないと意味が無いかなーって。」
「・・・・・・。」

<寓話>


第二百八十五ページ『Lefthanded Wolf』

ドドドドドッ
鶴ヶ丘町を駆け抜ける大きな獣の姿がそこにあった。
その対象となっているのは・・・
ダダダダダッ
「ひーえー!」
赤と緑の髪と三角のアレが印象的なルーアンであった。
獣というのは天陰。シャオが呼び出した星神だ。
そしてその背には、眼鏡がチャームポイントであるヨウメイがまたがっている。
こうなった経緯を略しながら説明するとすれば、
ちょっと暴走したルーアンの陽天心で太助が怪我をし、
シャオがキレて天陰を呼び出し、
それにヨウメイが便乗した、ってなもんだ。
空を飛ぶ道具に陽天心をかける暇も与えられず、ルーアンはただひたすら走るのみ。
そして天陰はただそれを追いかけている。
そしてヨウメイは・・・。
「くっ・・・陽天心召来!」
ぴかーっ!
街角に粗大ごみとして捨てられてあった絨毯に陽天心がかけられれば・・・
「来れ、落雷!」
どーん!
と、その絨毯を速攻で亡きものとする。いわば逃げ防止の役割を担っているわけだ。
「こぉんのぉ・・・ヨウメイぃ、後で覚えてらっしゃいー!」
「そんなのは無事に逃げ切れてからにしてほしいですね。」
「くっ・・・。あーん!たー様助けてー!!」
叫ぶ彼女にも、追いかける天陰は容赦ない。そして決着の時はきた・・・。

どがっ!

「はうっ!」
天陰の凶悪な体当たりが、疲労したルーアンにとうとうヒット。
瞬間天陰の左から繰り出されたフックに追加の一撃をもらい、ルーアンは思い切りふっとばされた。
どんっ!
と、壁に叩きつけられて彼女はあっという間にノックダウン。
追走劇の終わりはやけにあっさりとしたものであった。
がっくり、とそこに横たわるルーアン。
抵抗の意志が無いことを確認した後、天陰は攻撃態勢を解いた。
そして、傷ついた彼女を連れて帰る準備をヨウメイが始める。すなわち看護の役目もあってついてきたのだ。
「それにしても・・・。やっぱり天陰さんって恐いなあ・・・。」
しみじみと呟きながらヨウメイが天陰の方を振り返る。
さっきルーアンに追加の一撃を加えた左前足が妙にぎらりと光って見える。
獲物を狙う狼のような鋭い眼光と共にそれに狙われたならば、たしかにほとんどの者は逃げることはできないだろう。
ヨウメイ自身は天陰と密やかな協定を結んでいたので、危険は無いはずなのだが・・・。
やはりその威力のほどをまざまざと感じたのであった。

<左利きの狼>


第二百八十六ページ『Person's Die』

某年某月某日・・・俺は死んだ。
見知った顔が代わる代わるに俺の顔を覗きこんではすすり泣く。
語りかけて、涙を流す。矢も盾もとまらず身体にすがる者もいる。
中でも最も印象的だったのは・・・もう名前も思い出せないが・・・ある彼女の姿。
そういえば、真っ黒な喪服を彼女が着ているのを見たのはこれが初めてだ。
ただ静かに、じっと涙を堪えて耐えている。
しかしその顔からは止まらぬ涙がずっと流れていた。
そう、耐えているつもりになっているだけなのだ、彼女は。
幾たびも、死を、決別を耐え抜いてきた彼女は・・・
今回のこの死も、きっと乗り越えられると・・・
きっと耐え抜けると・・・
頭では信じてるが・・・
「・・・様。」
誰も聞き取れるはずもないほどのか細い声で、彼女は一言だけ呟いた。
「・・・様。」
ただ呪文のように・・・。
「・・・様。」
ただ、愛する人を取り戻したいという想いと共に・・・。
「・・・さまぁ・・・。」
もう、俺には彼女が呟く名前も聞こえない。
『主様』
え?
『早く起きてください』
誰だ?
突如俺の中に声が響いてきた。
とんでもなく凄みのある、それでいて・・・
『朝ですよー!来れブリザード!』
ビュゴオオオオ!!
突風が吹き荒れた。
いや、正確には冷気の大嵐だ。
そして俺は・・・
「うわわっ!?」
目を覚ました。
「お早うございます主様。悪い夢を見られてたのですか?」
「はあ、はあ、ヨウメイ?っていきなり何すんだー!」
嵐はやんでいたが、見渡す限りそこは白の世界だった。
部屋の中だというのに・・・。
「・・・その様子だとすっかり忘れられたようですね。」
「へ?何が?」
「いえ・・・。さあ主様、朝ごはんですよ。ちゃんと起きてくださいね♪」
「へいへい・・・あれ?なんでヨウメイが起こしにきたんだ?」
「いいじゃないですか、たまには。」
「そっか・・・。ところでさあ・・・。」
「なんですか?ブリザードで起こすなとか言われても、多分私はやめませんよ。」
「おい・・・。」
朝からがっくりきてしまったが・・・。
何か重いものをおろして軽くなったような、そんな気がした俺だった。

<ある人の死>


第二百八十七ページ『Harvest November』

その日、ヨウメイは夕飯のお使いに出かけた。
彼女のお供となったのは、彼を置いて他にはいない、八穀である。
優れた食材を見抜く能力というのは、実は未来をも見通せるものだ、とヨウメイは言い張る。
なるほど、統天書を用いてもそれは判明しないことであるがゆえに、
食材を八穀が選んで、ヨウメイがそれに従って荷物を持つ。
これぞまさに万能パターン・・・。
「ちょっと待ってください!」
出掛けにヨウメイは突如叫んでいた。
今まさに、シャオが“行ってらっしゃい”と言わんばかりの状況で。
シャオは首をかしげ、意気揚々としていた八穀もまた同じく首を傾げるばかり。
「よく考えたら、私が無理に行かなくても荷物もちは他の方が・・・
あ、いやいやいや、統天書にいくらでも収められるんでしたっけね。
えへ、失敗失敗。それじゃあ行ってきまーす♪」
「い、行ってらっしゃいヨウメイさん。」
自己完結したようだ。こういったヨウメイは立ち直りが早く、行動の程は周囲が追いつけないほど。
引っ張られるように八穀も七梨家を飛び出した。
そして、例によって移動手段は飛翔球。彼女の十八番。
というよりは、これなくしては買い物などゆけるわけがない。
おみやげはたくさん、出掛けの荷物はごく少なく、という事を実行するのだ。
そして・・・

たくさんの戦利品を抱えて、二人は帰還した。
いや、正確には、ヨウメイの持つ統天書に収めて・・・。
戦利品をどっさりとキッチンに出した時には、物が部屋から溢れるかと思うほどに。
それは、たくさんたくさん、辺りを埋め尽くした。
そんな中に、今の季節ならではの品があった。
「あら、これは焼き芋ですね。」
「いえ、正確にはさつまいもなんですが・・・。
いつぞやのカレンダーに使われたシャオリンさんの題材を思ったものでいくつか購入したんですよ。」
「早速今晩はさつまいもの味噌汁を作ってみますね♪」
「あのうシャオリンさん・・・。」
「冗談です、エヘ。焼き芋をしましょう。丁度庭掃除をして落ち葉がいっぱいなんですよ。」
妙にシャオは浮かれている。
果てさて、これは一体何の効果であるのだろうと、
ヨウメイは八穀と顔を見合わせながら首をかしげてみるのであった。

<豊穣の11月>


第二百八十八ページ『Few Paths Forbidden』

それは、朝の忙しい時間であった。
いや、ある程度早起きしていた太助にとっては特に関係が無かった。
・・・はずだった。
いつもの様に食卓につくと、彼は異変に気付く。
何故か、シャオと那奈しかそこには居ない。
「他の皆は?」
と聞くと、那奈がただこう応えた。
「表で待ってるってさ。」
ぶっきらぼうな返答ではあったが、勘のいい太助はすぐさま嫌な予感に駆られた。
しかしそれでも、今は朝食を済ませるが先決。
にこやかなシャオの笑顔の眼差しを受けながら、素直な食事の感想を述べながらその時間を終えた。

そして、玄関を二人で後にする。
学校に登校するものであるから、二人は学生服姿。
それはそれとして、門前には果たして三人の精霊が立っていた。
「おはよーたー様。」
「おはようございます、主様・・・くー・・・。」
「こら寝るなヨウメイ殿。さてお早う主殿。今から登校試練の説明を行う。」
少々不機嫌気味なルーアン、眠たげなヨウメイ、いやにきりっとした目つきのキリュウ、
それぞれの姿を目に留めて、太助は“やっぱり試練か・・・”と頭を抱えた。
「これから私達が三手に別れてどこかに待ち構える。
主殿が選んだ道に、運悪く私達が待つ場に当たったならば、
大人しくそれぞれが用意する試練を受け、それを乗り越えられよ。
もちろんそれはシャオ殿も一緒。そして、シャオ殿も星神を使ってはいけない。ではな!」
キリュウの合図と共に、三精霊は散開。残されたのはシャオと太助。
果てさて、二人はどういう道を選ぶのであろうか。
「・・・って、俺道一本しか知らないけど・・・。」
「でも太助様、回り道とかあると思いますよ?」
「要するに遠回りだよなあ・・・。まあいいや、てきとーに歩いてみようか。」
「そうですね。時間はたっぷりありますし♪」
そんなわけで、二人は散歩気分でゆったりと道を歩く。
特にルーアンをキリュウをヨウメイを意識しているわけでもなく、
気が向くままに、足が向くままに進んでゆく。
そして・・・。
「到着ですぅ。」
校門が目の前に見えた頃にシャオが宣言した。
遅刻をしたわけでもない。試練に遭ったわけでもない。無事な二人だ。
「結局誰にも会わなかったな・・・。運が良かったのか。」
「そうですね。」
互いに笑みを交わしながら、二人は門をくぐる。
はたして三精霊が待ち受ける道はどうなったのか・・・。

「あら、たー様にシャオリン。無事たどり着いたのね。」
職員室前。太助は太陽の精霊と出会った。
「あれ!?る、ルーアン!?」
「何よ、人の顔みて驚くなんて。失礼しちゃうわ。」
「だ、だって途中で待ち構えてるって・・・。」
「そうですわルーアンさん。・・・まさか、ここで待ち構えてたってことですか!?」
意外な出会いに二人は思わず身構えた。
だが、その反応とは裏腹に、ルーアンは“いいや”と首を横に振った。
「朝に職員会議があったの忘れててね・・・。二人には悪いけどさっさと来ちゃったのよ。
ま、安心なさいな。妨害なんてしないから。」
「ルーアン先生ー!立ち話してないで早く資料取ってきてくださいー!」
「わかってるわよー!・・・じゃあね、二人とも。はーやれやれだわー・・・。」
思わず顔を見合わせる太助とシャオに対して、憂鬱そうにルーアンは背を向けた。

「あっ、主様。その様子だと無事に着かれたようですね。」
二年一組へ向かう廊下にて、太助は空の精霊と出会った。
「あれ!?ヨウメイ!?」
「ああ、試練の話ですね。実は日直だったんですよねえ。
サボろうものなら重い荷物持たされて廊下に立たされちゃうので・・・。
だから試練を免除させてもらっちゃいました。」
「という事は・・・今もしかしてキリュウさんだけ・・・なんですか?」
くりっとした目を上に向けながら、シャオは何気なく尋ねた。
「ああ、そういう事なんですね。なあんだ、ルーアンさんも用があったんですね。
多分職員会議か何かでしょうか・・・。
だから、朝に試練やるなんてのは内容を選んだ方がいいですよ、って言ったのになあ・・・。」
「ちょっと楊ちゃん、早く早くー。」
ぶつぶつと呟くヨウメイを呼ぶ声がする。
“はーい”と返事してヨウメイは教室へと走り去っていった。
後に残された太助とシャオは、またも顔を見合わせて肩をすくめた。

「おや主殿にシャオ殿。」
二年一組の教室にて、太助は大地の精霊と出会った。
「き、キリュウまで!?ってことは・・・。」
「試練は中止ですか?」
すべてを察している様子の二人に、キリュウはいいやと首を横に振った。
「試練は・・・帰り道に行う事にしよう。」
少々の不敵な笑い。気を抜くなという宣告のつもりなのだろう。
思わず苦笑いする太助だったが、ここでシャオは“うーん”と天井を見上げながら呟いた。
「でも・・・ルーアンさんが職員会議で、ヨウメイさんが掃除当番で残るとかなったら・・・。」
「・・・・・・。」
キリュウはただ無言だった。そして、ふいっと窓の方を向く。
二人に顔が見えないように。
「シャオ殿・・・それは言ってはならない事だ・・・。」
ぽそりと彼女はそんな事を呟くのであった。

<禁じられた路>


第二百八十九ページ『Female Turbulence』

「おーい太助ぇー。茶がぬるくなったからいれなおしてくれー。」
「う、うん、ちょっと待ってくれー!」
「ちょっと待つ?あたしは今欲しいんだけどなぁー。それに、“うん”じゃなくって“はい”だろー?」
「は、はい、ただいま!」
どたどたどたと、太助がキッチンからリビングへ。
くつろいでいる那奈から茶道具を受け取った後、リビングからキッチンへど駆けてゆく。
キッチンにおいては、鍋にぐつぐつと煮物がいい音を立てている。
少々目をはなした隙にこぼれかけていないかと太助はそれを確認した後、慌ててお茶の準備にかかる。
急須の中を洗い直し、沸かしておいたポットのお湯とお茶っ葉とを入れ直す。
「たー様ぁ〜。あたし食前のお菓子が食べたくなっちゃったわー。」
「はいー!ちょっと待っててくれー!」
「主様ぁ〜。私の分も忘れないでくださいねー。」
「おっけー!だから、もう少し待っててくれー!」
二階の方からルーアンとヨウメイの声が響いてきた。
キッチンから返事をして、お茶を入れ終わると即座に急須を那奈の元へ運ぶ。
と、那奈は受け取った直後に湯飲みに少々入れて一口つける。
「・・・ぬるい!入れなおせ!!」
「はぁ!?」
べしっ
「うがっ。」
「口応えすんな!こんなお茶を客人に出せるかー!」
「那奈姉は客人じゃないだろうが・・・。」
「はあ?なんか言ったか?」
「い、いえ、なんにも!入れなおしてきますー!!」
忙しなく太助は、リビングへと駈け戻っていった。
「ちょっとたー様ぁー!」
「お菓子はどうなったんですかー?」
戻った瞬間、またもや声が響いてきた。
「だぁああ!だからもうちょっと待ってくれってー!!」
「主殿。」
「どわっ!・・・な、何、キリュウ。」
鍋確認、お茶の葉入れ替え、のまさにその直後に太助は呼びかけられた。
それでも、そつなく作業をこなして、息を切らしながらキリュウに向き直った太助であった。
「肩がこってな・・・。肩揉みをお願いしたい。とシャオ殿が言っておられたぞ。」
「い、今たてこんでるから後で・・・」
「太助さまぁ。」
「しゃ、シャオぉ!?」
今度はシャオに呼ばれた。既に太助の背後にまわりこんでいた。
状況は、キリュウとシャオの挟みうちである。
「肩を揉んでくださぁい。」
「い、いや、あの、その・・・。」
じゅーっ・・・
「わわーっ!な、鍋が!」
吹き零れている姿に、あわてて太助は火をとめた。
「おーい太助ぇー!お茶いつまで待たせんだー!」
「ちょっと待てよ那奈姉ー!」
「たー様ぁー。待ちきれないから下に降りてきちゃったわ!」
「ほんっと、対応が遅いですねえ、主様。」
「ルーアン!?ヨウメイ!?そ、そんな事言われても・・・」
「主殿、実は私も肩がこっててな・・・シャオ殿と同時に頼む。」
「ど、同時?」
「キリュウさん、私とお揃いですねっ。さあ太助様、お願いします。」
「ちょ、ちょちょちょ、も、もう勘弁してくれー!!」

桃の節句、という行事がある。
ひな祭、ではあるのだが、とりあえず現状の七梨家において大々的にやる環境でもない。
ならば…とヨウメイがついと言い出したのが始まりだ。
「女の子の節句なんだから、女の子中心に七梨家を動かしてみましょう!
男の子は女の子の言う事をなんでも聞く!たとえそれがどんな事であっても、必ず即座に要求に応える!」
当然そんな意見は、男性一人の身である太助にしてみればとんでもないものであるがゆえ、
はっきり言って受け入れられるものではなかったのだが…。
那奈は最初から賛成。
キリュウはヨウメイに“試練にもなりますよ”の一言に大賛成
シャオは少々反対してたのだが、ルーアンに言いくるめられ賛成。
結局、多数決という民主主義に屈する事となった。
しかし結果は・・・
「俺はもう限界だー!!」
と、太助が音をあげた事により、幕を閉じたものとなった。
後からたかし達がやってきて、よりエキサイト再開されたのはまた別の話である。

<女性達の動乱>