第二百九十ページ『Intolerance』

とあるところに、七梨財閥という豪邸があったそうな。
そこに住まうは、主人の七梨那奈。その弟七梨太助、そして妻のシャオ。
他には、庭師のキリュウに、熟年メイドのルーアン、教育係のヨウメイがいたそうな。
ヨウメイが何を教育しているかというと、新しく七梨家に雇われた召使達。
今日も今日とて、彼らを一人前に育てるために言葉のムチを奮う・・・。

がしゃーん!
掃除をしている最中に高価なツボを落として割ってしまったのは召使その1、たかし。
ルーアン先輩にため息をつかれながら落ち込んでいるところへ、ヨウメイはやってきた。
「あらあらあら、ツボを割るなんてとんでもない事を!」
「で、ですがヨウメイ先生。あの場所を掃除するにはこのツボはどうしても・・・」
「だまらっしゃい!ツボが邪魔なら先に邪魔じゃない場所にどかせればいいじゃないですか!」
「だからあヨウメイ。一応野村君はどかそうとしたのよ?」
弁解に、ルーアンが入る。が、ヨウメイはそんな事はお構いなしだ。
「じゃあ、どかそうとして落としたって事ですよね?
そんな事もできないようでは・・・召使になる資格なんてありませんね。
いいや、安全にモノも運べないのに運ぼうとするんじゃないです!」
さんざん罵声を浴びせた後、ヨウメイは不思議な書物を用いてツボを修復。
たかしは、いつまでも必死に頭を下げて下げて、ようやく勘弁してもらえたそうな。

ばららっ
「あああっ!そんなに塩を!!」
料理長兼美人奥様であるシャオの手伝いをしていた召使その2、乎一郎。
彼はついうっかり調味料を入れすぎてしまう。
そこへ偶然鉢合わせたヨウメイは、またもや大きな声をあげたのだった。
「大丈夫ですわヨウメイさん。ちゃんと味を薄めるように作りますから。」
「それは要するに、鍋に水を足すって言いたいんですよね?」
「あ、は、はい・・・。」
「それって作りすぎって事になりませんか?つまりは資源の無駄!
いいえ、元よりシャオリンさんがおつくりになっていた量を乱す結果となります!」
ヨウメイより先にシャオが入ったものの、ヨウメイの言動はより厳しかった。
シャオは口を結局つぐみ、乎一郎がおずおずと言葉を発した。
「ご、ごめんなさい。あの、味付け手伝ってくれって言われたから・・・」
「謝って済む問題じゃありませんよ!?自分がしでかしたことが、どう影響するか・・・
いえ、しでかす前に、どんな影響が発生するかを考えないといけないのです!
それに、今シャオリンさんのせいにしてませんか?手伝ってくれといわれたからって。
はあ、まったくもって嘆かわしい・・・。だから、材料の皮むきや皿洗いを長年やるべきなんですよ!
シャオリンさんもシャオリンさんです。こんな新参者に要の味付けを手伝わせちゃいけません!!」
弾丸のように飛び交うヨウメイの言葉。
シャオはただ困ったように苦笑しながら、乎一郎はただ俯いてじっと我慢していたのだった。

じょきん!
「ああっ!宮内殿!!そこは切ってはならん!!」
庭に大きな声が響く。普段あまり喋らない庭師のキリュウは、
召使その3、宮内出雲の間違い枝きりについ大声をあげてしまったのだ。
「す、すみません。つい手元が狂って・・・。」
「すみませんで済むと思うのか!?いいか、その枝は私が長年かけて、丹精込めて育てた枝なんだ。
それをあの一瞬でじょきんと・・・とんでもないな宮内殿は!まったくもっていい迷惑だ!」
「そ、そんな・・・。」
いつになく厳しい声のキリュウに出雲もたじたじ。
そして、ふらりと庭にやってきていたヨウメイは・・・。
「・・・私が特に言う事はないようですね。」
と、踵を返そうとしていた。
「お?そこにいるのはヨウメイ殿だな!」
「うわ、見つかった・・・。」
「丁度よかった。今さっき、うっかり宮内殿が切った枝を修復してくれ。」
「はあ?なんで私がそんなこと・・・。」
「いつも壊れた物をあっという間に直してるではないか!枝もできるであろう?
出来ぬのならばこの宮内殿をヨウメイ殿の世話係りにつけてしまうぞ!」
「な、なんという事を!キリュウさん、それはあんまりです!・・・仕方ないなあ。」
ばらばらとヨウメイは不思議な書物をめくり、修復にかかる。
さっきからろくでもない事しか言われていない出雲は、これまたずーんと落ち込んでいた。
「なんで私がここまで言われなければならないんでしょうか・・・。」

屋敷内のリビング。紅茶を片手に、七梨姉弟がくつろいでいた。
「・・・ふう。うちって平和だよな。」
「騒がしいけどな。」
「それがまたいいとこじゃあないか?けど、あたしはどうも主人って気分じゃないんだけどなあ。」
「俺も・・・一応主人公のはずなんだけど・・・。」
ベタな愚痴を呟く。
七梨家の時間は、こうして過ぎていくのであった。

<不寛容>


第二百九十一ページ『Different Road』

「ルーアンさん。」
ある休日。自室でくつろぐルーアンをヨウメイは訪ねた。
大したものではないが、彼女に話があってのことだ。
「ルーアンさんって、主様に幸せを授けるのが役目ですよね?」
「ええそうよ。」
「そして私は主様に知識を教えるのが役目。だから知教空天。」
「ええそうね。」
「しかし、しかしですよ?もし私が主様に知識を授ける役目であったならば・・・。
私は知教空天ではなくて知授空天、または教授空天となっていたと思いませんか?」
「何それ・・・。」
「しかしながら、私は知教空天としての道を歩んできました。
もしも知授空天、または教授空天となっていたなら、果たしてどんな道が・・・」
「一緒じゃないの。」
熱く語りだしそうだったヨウメイの言葉を、ルーアンはあっさりと遮った。
いや、内心は多少慌てていたかもしれない。
しかし冷静に言葉が飛び出したのは、長年の付き合いによる慣れといったものであろう。
「一緒だとお思いですか?いえ、実はそうではなくてですね、
ここにもしも話を体験できる企画を編み出し・・・」
「いいから!んなもんせんでええっちゅーの!!」
ルーアンの冷静さはあっという間に失われてしまった。
ともあれ、激しく言いくるめられたヨウメイは、すごすごと部屋を後にしたのであった。

<それぞれの道>


第二百九十二ページ『Powell』

その昔、ヨウメイが見かけた人のそんな話。
「パウエルさんという方がいましてですね。」
「うんうん。」
「それはそれは立派な方・・・ちょっと主様、聞いてます?」
「うんうん。」
「うんうん、ってさっきからそんな返事ばっかり・・・ああっ!?これは変わり身の術!?」
「うんうん。」
「主様そっくりに描かれた絵に陽天心をかけたものですね!?」
「うんうん。」
「なんという・・・なんという事!こうなったら主様にもきっちり怒りをぶつけないと!!」
「うんうん。」
「けど、これに気付かなかった私も私ですよねえ・・・。」
「うんうん。」
「・・・さっきからうるさいです!黙っててください!」
「うんうん。」
「言ってるそばから喋ってるじゃないですか!」
「うんうん。」
「肯定してんじゃないです!!」
・・・と、そんな一部始終をたまたま那奈は見かけた。
一人漫才なんていう新たなネタなのかなあと、一つだけ首を傾げた。
「っていうか、分かったそばから行動開始しろよ・・・。」
と、ぽつりとつっこんだ。

<パウエル>


第二百九十三ページ『Political Pressure』

「楊ちゃん、ちょっとたとえ話をしようか。」
「たとえ話?」
「そ、たとえ話。」
休み時間。特にすることも無かった熱美は、隣の席のヨウメイに話をふった。
他愛無いおしゃべりの時間である。
「たとえば楊ちゃんがさる国の女王様だったらどんな法律を敷く?」
「こりゃまたえらく突拍子も無いたとえ話がきたねえ・・・。
そりゃあもちろん、一日一冊は本を読みましょう、とかかな。」
「なるほどね・・・。」
普段統天書という書物を手にしている彼女にとってしてみれば、それは当たり前の事かもしれない。
知識を高めるという意味でも、本というものを重んじているのだった。
「でもね、仕事とか身体的都合とかで本が読めない人はどうするの?」
ヨウメイの応えに対して、熱美はちょっと、更に意地悪な問いを投げた。
本を一日一冊とはいえ、たしかにすべての人間が読めるわけでもない。
と、ヨウメイは当然それを予測していたかのようにこう応えた。
「そりゃあ、女王自らが本を読ませに行くっきゃないでしょ。」
「はあ?」
「万知創生を使ってね、自然に本を読めない人にも自然と本を読んだ状態になるように!」
「そ、そう・・・。」
それはあからさまといえばあからさまな答えであった。
いくらなんでも、女王自らが本を読ませる状態にもってゆくなど聞いた事が無い。
いや、世界中探してもヨウメイのみしかそんな事はしそうにない。
「あと、別段本を読むのに支障の無い人が本を読むのを怠れば・・・。」
「天罰?」
「そうそう。よくわかってるねえ、熱美ちゃん。」
「ははは・・・。」
更なる付け足しに、熱美は乾いた笑いを起こすしかできなかった。
そしてまた、多少の恐ろしさも感じていた。
万が一、果たしてヨウメイが本当に女王になった国が出来上がれば、
自分含めた国民は一体どうなってしまうのだろう、と。

<政治的圧力>


第二百九十四ページ『Nuclear Fusion』

春雨がしとしとと、暖かな空気を湿らせるそんな夜。
静かな雨音に耳を傾けながら、七梨家の一室ではキリュウとヨウメイは読書にふけっていた。
「ひらめきました!」
突如、ヨウメイはがたっと大きな音を立てて立ち上がった。
その勢いといったら相当なものであったのだが、傍に居たキリュウはただ目線をずらしただけだった。
「何を閃いたというんだ。どうせまたくだらない事ではないのか。」
このキリュウ、同居人の影響か、結構言葉遣いが悪くなってきている。
と、主である太助は無意識に彼女の将来性を心配したりしているのだが、それはまた別の話だ。
「失敬な!くだらなくありません!これはそう・・・革命、精霊の革命なのです!」
「ほう・・・。誇張表現が過ぎるように聞こえるが、内容はなんだ?」
あくまでも牽制の意を投げ打つキリュウに、ヨウメイは鼻息をふんと荒くした。
「まったくもう、誰の影響ですかその口の悪さは。
まあいいです、革命というのはですね・・・という前に、たとえばキリュウさんと私。
二人は、大地の精霊と空の精霊ですよね?」
「まあそうだな。」
「また、シャオリンさんとルーアンさんは、月の精霊と太陽の精霊。
おおよそ、互いに相反する属性を持っている、と。」
「ふむ、そうだな。」
「で、ですよ。たとえば、これらの属性が複数合わさればどうなるでしょう?」
「なんだと?」
おとなしく頷いていたキリュウの眉がぴくっと動いた。
眠くなって瞼が反応したとかそういう事ではなく、言動を聞いてのことだ。
「ふたつの属性を併せ持てば・・・たとえばすなわち、私とシャオリンさんが合わされば・・・
統天書と支天輪を使いこなし、更にその合成を・・・」
「私はもう寝る。」
説明をさっさとキリュウは切った。
明らかに聞く態度は見せていない。先ほどまで過ごしていた時間、読書時間に戻る。
いや、本を携えたままいそいそとベッドにもぐりこんだ。寝ながら読書である。
「ちょっとキリュウさん!」
もちろんヨウメイは怒った。話を聞く事を拒否されては当然黙っていられない。
「もういい。どれだけすごい話かと思って少し聞いていれば・・・やはりくだらない・・・。」
文句を当たり前のようにぶつけ、キリュウは寝ながら読書に没頭し始めた。
先ほど座った姿勢であったのと比べると、随分顔と本が近い。」
「目が悪くなっても知りませんよ?そう、私みたいに眼鏡を・・・あ、そかそか。
そうすればキリュウさんと私の融合に・・・。」
「・・・・・・。」
春先には・・・なんらしかの考えが唐突に出てくるものである。

<核融合>


第二百九十五ページ『Positive』

「ねえ楊ちゃん、購買のヤキソバパンってまだ売れ残ってるかなあ?」
「後一つだから急いだ方がいいよ」
「えーっ!じゃあ急がないと!」
ある時は友人に重要な情報を与え…。
「楊明殿、今日の夕飯はルーアン殿が作るとかいう話を聞いたのだが…」
「まさか。シャオリンさんが作りますよ。でも、味付け指示はルーアンさんがやってるみたいですね。
…あ、豆板醤を入れまくるようにするみたいです」
「なんだと!?これは急いで止めねば!」
ある時は友人にとっての危機的状況を教え…。
「なあ楊明…その、昨日から俺の辞典が見当たらないんだけど…」
「主様、学校の机に入れ忘れてるだけですよ」
「なあんだ、そっか。さんきゅうな」
ある時は、主の忘却に対する補完を行う。
それが統天書。統天書は真実しか述べない。
よって今日も今日とて統天書は頼りにされる。
その持ち主である楊明も頼りにされるのであった。
「…っていうか、もっと違うこと聞いて欲しい気がするんだけどな…。
私は知識を教える精霊であって、亡くし物とか献立を調べるためにいるわけじゃ…」
そんな楊明は、今日も今日とてぶつぶつと呟いているのであった。

<明確な>


第二百九十六ページ『Meridian Child』

「暑い…」
その日は記録的な暑さだったという。
七梨家においては、クーラーがんがんでも暑さはゆるまず、
ついには暑さ負けでクーラーそのものが壊れてしまったほどで…。
それにより、皆はともかくバテバテのグロッキー状態。
特にひどいは、キリュウという名の大地の精霊であった。
ただ暑いと呻きながら、リビングのソファーにうつぶせで横たわるのみ。
「いやいや、ほんと暑いですねえ今日は」
そんな中でもヨウメイだけはやや元気だった。
理由を聞くと、空の精霊だから自然と一体は当たり前ですよ、との事だ。
よくわからん…と太助はただ漏らすだけだった。
「おや!こんなところに私の遊び相手さんがうつぶせに寝っ転がっているではありませんか!」
非常にわざとらしく、ヨウメイはキリュウに目を留めた。
だが、キリュウ本人はそんな声など聞く気力もなし。
他の面々は、反応して動くのも面倒だと、相手にもできなかった。
「暑いですか?暑いですよねえ、暑い時は…来れ冷気〜」
ひや〜〜〜〜〜〜〜〜
なんと、ヨウメイははたからみれば親切心いっぱいだと言わんばかりの事をやった。
冷気だ、冷気を呼んだのだ。
しかしそれは、キリュウがうつぶせているソファーよりも位置が低いところにだが。
「ああ、涼しいです…」
おかげで、床に直接へたりこんでいたシャオは生き返った気分になったようだ。
また、床に足を下ろしている太助、那奈も多少は気が紛れた。
ルーアンにいたっては、こういう時は反応がよいもので、すぐさま床へとダイブ。そこで復活を得る。
「おっしゃー!さあシャオリン、かき氷作って〜♪」
元気になったかと思ったら飛び上がり、即座に食物を要求。だが、シャオは力なくこう応えた。
「それが…氷が無いんです…」
「がーん…」
それを聞いてルーアンはその場にへたりこんだ。
しかしそこはやはり涼しい。というわけで、暑い思いをしているのはキリュウだけであった。
「おのれ、当て付けか…」
憎憎しい声がソファーの方から発せられた。その声そのものが、周囲をまた暑くする。
「おやおやキリュウさん。そう不機嫌にならなくても、ソファーの上にも冷気を呼びますよ。
来れ冷気〜」
ひや〜〜〜〜〜〜〜〜
そして冷気はまた呼ばれた。キリュウの居るソファーとは別のソファーに。
それは太助と那奈が座り込んでいる場所。二人はありがたい涼を得て、気持ちよく目を細めた。
「やはり当て付けか…」
再び憎憎しい声が発せられた。またもや周囲の気温が上がったような気がした。
「おっと、しっぱいしっぱい。今度はちゃんと呼びますね。
でも毎回冷気では芸がないので…来れ絶対零度〜」
しーん…
「…?」
あんまりな言葉にキリュウは内心びくっとした。が、何も起こらない。
「ああ、そういえば絶対零度は迂闊には使えないようにしてるんでした。
これは困りました、呼ぶネタが尽きてしまいましたよ。あははは」
「………」
ソファーの上のうつぶせ物体からとうとう殺意のようなものが漏れ始めた。
うつぶせながらになんというオーラだろう。これは天然記念物としてもいいかもしれない。
「大丈夫ですキリュウさん。ルーアンさんが冷気に陽天心をかければオッケーです!」
「あたしそんなのやりたくないけど…。っていうか、いくらなんでも冷気になんて無理でしょ?」
「あらら、ルーアンさんから却下が…。残念でしたキリュウさん」
「………」
周囲の皆は殺意のオーラが強まったような気がした。
どうやら、大地の精霊の限界も近い。このままでは、大地と空の大戦勃発も近い…。
と、ここでようやくヨウメイは涼を得た太助らに説得され、キリュウに涼を与えた。
七梨家の暑い熱い日は、こうしたイベントを経て終わりを迎えたのであった。
最後にヨウメイは、こんな事を付け足した。
「いやあ、本当は子午線の子供というはずだったんですが、それだと私が遊べないじゃないですか。
だから、絶好機、とこうしたわけですよ。全盛期の、なんて意味と合わせて」
意味不明なそれに、キリュウはやはり力なく首を傾げるだけであった。

<絶好機の子供>


第二百九十七ページ『Closed Garden』

その書物が開かれたのは、小さな小さな部屋の中であった。
その書物を開いたのは、透き通るような瞳と肌を持つ、可憐な少女であった。
その書物は、少女に贈られたものであった。
その書物から飛び出したものを見やった少女は、まるで無邪気な子供のようににこりと笑った。
その飛び出したもの…書物に宿りし精霊が挨拶を交わすと、少女はただ首をかしげるだけだった。
しかしそれでも…にこり、とだけ笑った。
精霊は、再度少女に話しかけた。今度は自己紹介。
だが…やはり少女はにこりと笑って返すだけだった。
そこではたと気付いた精霊は、慌てて書物を紐解き始めた。
やがて、精霊は書物を見ながらふむふむと頷くと、大きなため息と共にそれを閉じた。
そして…少女に向かってこう告げた。
「きっと…主様を幸せにしてあげます」
それを聞くと、再び少女はにこりと笑った。
早速、精霊は書物を元に様々な事柄を語り始めた。
それは、実は少女にとって理解不能な音声でしかなかったはずだった。
だが…少女は精霊の語る事柄一つ一つを驚くべき速さで捉え、そして吸収してゆく。
やがて、一刻ほど経った頃…。
バタン、ギィ…
部屋と外を繋ぐ扉…が、開かれる。
小さな部屋に、少女と精霊とは、異なる人物が入ってきた。
その人物は首を傾げる。この部屋には少女しか居ないはずだと確信していたからだ。
だが、その人物が、内から沸き起こる疑問と共に行動を起こすより先に、精霊は動いていた。
突如吹きすさぶ嵐。人物は部屋から追い出され、それが侵入した元となった扉は閉じられる。
そして、それに固く封をかけると、精霊は再び語り出した。
それに習うかのように、少女は再び吸収を始める…そして…。
「…そっか、私、閉じ込められてたんだね…」
「そうです…。十余年…」
「すごいね…何の知識も無く、何も出来なかった私を一瞬でここまで…」
「一瞬じゃありませんけどね。それに、主様の気持ちがあったからこそ、ですよ」
「ありがとう…」
先ほどまでとは打って変わったように、会話がなされる。
精霊が言語から伝えたのは、会話の仕方のみではなく、環境の知識そのもの…。
「さてと、それじゃあここを出ましょう。きっと…」
「ううん。もういいの、私は…」
言葉を得た少女は、ただ首を横に振った。
「ここで果てる運命、だから…」
「…そう、ですね」
「けど…幸せになれたよ。あなたのおかげで、私は人と話す事を知れた」
「はい…」
「だから、もう思い残すことも無い…。最後の最後で、あなたと出会えて良かった…」
ゆっくりと、少女は目を伏せた。
「でも…最後に一つだけ聞かせて?」
「はい、何でしょう」
「心清き者だけが字が読めるという統天書…。
けど、その字が読めないといけないのに…読み方も知らない私が読めたのは何故?」
「それは、因果律というものです…」
「因果律?」
「はい…それは、この世界の…いえ、この次元のあらゆるものの運命を決定付ける、過酷な原則…。
なんびとたりとも、逆らう事はできず、そして…」
限られた時間の中で、精霊は出来る限りの説明を為した。
そして、少女の時間が尽きるより前に、最後に一言…こう付け足した。
“あなたが知った、この部屋…箱庭のようなものです”と。

<閉ざされた庭>


第二百九十八ページ『Splash Hop』

「よっ!ほっ!」
盛大な掛け声が上がっている。
「やっ!はっ!」
元気のいいそれは、同時に飛ぶ者、聞く者を勢いづける。
「それっ!がんばれっ!」
具体的な声援。それはかの者に送られるもの…。
「ふうっ、はあっ」
一際威力の落ちた声を上げる者に対して…。
「ほらほら、楊ちゃん」
元気を促しているのは、親友の名を呼ぶ花織。
「あと十回っ、あと九回っ」
懸命に勘定をしてあげる、熱美。
「もう少しだよっ、ふぁいとっ」
懸命に励ましているゆかりん。
「はうっ…あうっ…」
より気力がへなへなしてゆく、楊明。
「あと四回っ、三回っ」
もう少しだ、と花織は顔をほころばせる。
「二回っ、あと一回だよっ」
ようやく終わる、と熱美の顔が緩む。
「零っ、おしまいー!」
ゴールに辿り着いた事を確信し、ゆかりんは万歳をした。
「きゅー…」
ばたり、と楊明はその場に倒れ伏した。
「「「楊ちゃん!」」」
限界まで頑張った親友に一斉にかけよる彼女らは、
口々に楊明へ激励の言葉を投げた。
あまりにも体力の無い楊明を、居残り縄跳びにつき合わされているにも関わらず。
「じゃあ楊ちゃん、次は三十回だね」
「む、無理…」
「大丈夫大丈夫、今の調子で更に飛べばいいんだから」
「だから無理…」
「名づけて…まあそんな事はいいや、早く早く」
「はうぅ…」
情けない声が上がる。それをただ無言で見つめているのは、たかしと乎一郎であった。
二人は、縄を回す係り。ただそれだけである。
「野村先輩、遠藤先輩。それじゃあ次は三十回ですから!」
「またお願いしますねー」
「ほらほら、楊ちゃん飛ぶよ」
「ほえほえほえ〜…」
そして、縄跳びが再びスタート。
機械のような手つきで縄を回す中、男性陣二人はぼーっと考え事をしていた。
「「なんで俺(僕)たちつき合わされてるんだろう…」」

<跳ねて跳んで>


第二百九十九ページ『Innocent Water』

「ちょっと疑問に思ったことなんだけど…」
「はいなんでしょう!」
些細な思い立ちから太助が尋ねた事に、楊明は上機嫌であった。
それはもう、水を得た魚。火に油。虎に翼である。
「楊明って、洪水とか…いわゆる水物を呼んだりできるよな?」
「ええ、自然現象の範疇なら」
「その水ってさ…どういう水なの?」
「どういう水とはどういう事ですかね」
「ええと…単純に雨水なのかな〜?って」
「ああ、なるほど」
太助の意見ももっともなもの。たしかに、自然現象というからには雨水っぽい気もする。
だが、もちろん津波などとなれば淡水ではなく海水となるであろう。
そしてまた、鉄砲水などになればやはり淡水になるのであろう。
そこらへんの水の区別を、太助は単に知りたかったのであった。
「実際に呼べば肌で味わえますけど」
「呼ぶな」
具体案を太助は即座に却下した。くすん、と楊明は残念そうだ。
「…まぁ、多分主様が考えてるとおりですよ」
「雨水ってこと?」
「単純に雨水だけではなく、その自然現象の特性に合った水、とでも言っておきましょうか」
「なるほどね」
“考えてるとおり”という言葉に太助は妙に納得した。そして大きく一つ心の中で頷く。
疑問が晴れたような表情を、楊明は直に感じることができたのであった。
「そうそう、あと…」
「あと?」
「どこの世界にも属さない水が登場する事もあります」
「へえ…って、どこの世界にも属さないってどういう事だ?」
「それは…生命の雨。恵の雨、豊穣の雨…。
それらは、汚れの無い水として、地上に降り注ぐのです」
「普通の雨とは違うってこと?」
「そうですね。そういう事になります。果たして…それらを呼ぶ機会はくるのでしょうか…」
何故か、楊明はにやりと笑った。ただの悪戯とは思えないほどの、深い意図を隠した笑み。
どうしようもないほどの悪寒に見舞われそうになった太助は、これ以上はよそうと質問を打ち切ったのだった。

<汚れ無き水>


第三百ページ『Delicate Affection』

「お?珍しくヨウメイがこんなとこにいるじゃん」
その日は休日。七梨家の大多数の面々はお出かけ状態。家にぶらりといたのは那奈であった。
そしてもう一人…。縁側に座るヨウメイである。物憂げな表情と共に、やや細いため息を吐き出している。
「珍しいですか?」
振り向かずに、ヨウメイは声に応える。
両の手を頬について小さく返事するその姿は、何か大きな悩みをかかえていると言ってもいいかもしれない。
“ふふっ”と一つ笑みを浮かべた那奈は、すたすたと彼女に近づき、すとんとその隣に腰を下ろした。
「どうしたんだよ。何か悩みがあるんなら相談してみ?」
庭には何気なく咲き誇っている花が見られる。日差しをほどよく受けて育った緑に、小さな虫が飛び交っている。
のどかな時間、黄金時間。それは、誰も踏み入る事のできない、とても優しい時間。
「悩みってほどじゃないんですけどね…那奈さんは特定の人に愛情を持ったことはおありですか?」
「愛情?あ、ひょっとして…恋わずらいだな?」
ヨウメイの言葉から、ずばりストレートに那奈は事情を表現した。
それを受けた途端にヨウメイの顔が赤らむ。頬についた手を落として、顔を俯かせる。
「おおっ、図星かぁ。そうかそうか、ヨウメイも女の子なんだなぁ」
「からかわないでください…」
小さな声で、本当に小さな声で抗議の文句を投げる。
「悪い悪い。で、相手は誰なんだ?」
これまた直球。遠まわしな気遣いという言葉は特に那奈には無いらしい。
もちろんヨウメイ自身、それに直に応えるわけでもない。
「ふむ…バキバキ君か?」
「…違います」
「じゃあ、めがね君か? 同じメガネでペアルック、なーんてな」
「…違います」
「それじゃあ宮内…はないだろうとして、ひょっとして太助か!?
いやー、となると嵐の予感だなぁ。まさか精霊みんなから好かれ…」
「違います」
「へ?それじゃあ一体…」
うーん、と那奈は腕組みをする。知っている男性はあらかた挙げた。
他に思い当たる男性はシャオの星神達。
が、さすがに那奈はすべてを知っているわけではないので、これは当てるのは無理そうだ。
もしかしたら、知らない間に街中で知り合いを作ったとか、学校内の誰かとかならもうお手上げだ。
いや、何も具体的に相手の人物を知る必要は無い。というよりは、これから確認すればいいのだから。
「相手はですねぇ…」
早速那奈が尋ねようとする前に、ヨウメイは自分から切り出した。
“手間が省けていいや”と思っていると、ヨウメイは那奈の手をとった。
上目遣いで、その瞳をうるませている。
「まさか…」
「那奈さん、貴女です」
「はあ!?」
思わず素っ頓狂な声が彼女から上がる。が、それに構わずヨウメイは続けた。
「そう、実は最初に会った時から…私の中に衝撃が走っていたんです。
ああ、主様のお姉さまなんていう禁断の愛に…」
「いやいやいや、ちょ、ちょっと待った! 待ったー!」
「いい機会です。今まで密やかに隠し続けていましたが、もう限界なんです。私は…」
言いながら、ぱらぱらと統天書をめくり出す。これから繰り出そうとするのは、果たして監禁の術か洗脳の術か。
「うわああああー!」
慌てて那奈は彼女の手を振りほどき、そして走り出す。このままでは一体何をされるかわからない。
が、慌てすぎたのか、縁側の出っ張りに勢いよくつまずいた。
 ずでーん!
派手な音を立てて那奈がすっころぶ。その滑稽な後姿にヨウメイは盛大に笑い出した。
「あはははは!」
「ってぇ!笑うな!」
これまた勢いよく後を振り返る。と、さっきまでの愛おしそうな顔はどこへやら、いつものいたずら好きなヨウメイの顔があった。
「あははは、ああすみません。…さっきのは冗談ですからもう逃げなくていいですよ」
「は?」
さらりと、本当にさらりとひどいことを言ってのける。
あれほど本気の目つきをして冗談だと、那奈に言ってのけたのだ。
思わず本気にとった那奈にとっては、まったくもってタチの悪い冗談である。
「お前な…!」
「それに、私の本命はキリュウさんですから。…にやり」
「口でにやりって言うな…って、キリュウ本命ってのも冗談か?」
「ええそうですね。どうも、お付き合いくださりありがとうございました」
ふかぶかと丁寧にお辞儀。そのまま堂々と那奈の横を通り過ぎてゆく。
未だ床につっぷした状態の那奈は、何も声をかけることができず、彼女を見送るしかできなかった。
もう二度とヨウメイの恋話なぞにのるまい、そう固く心に誓いながら。

<繊細な愛情>


第三百一ページ『Three Of Darkside』

その昔、光の加護を受けた勇者、カオリンが居た。
カオリンは、それはもう無敵のごとく快進撃を続け、数々のモンスターを退治していった。
人々はそれを祝福し、崇め敬った。
「カオリンさんすばらしいですわ。私、感激で胸がいっぱいです」
「光の勇者カオリン万歳ってとこね。あたしじゃあ足元にも及ばないわね」
「私がどのような試練を行っても、間違いなくカオリン殿は超えられることだろう。まったく大したものだ」
また、カオリンには一つの目的があった。
それは、遠いかの地で苦しんでいる、カオリンとは別の勇者タスケードを救い出すという事。
さる地の神主の情報によれば、その彼に会えるのももはや時間の問題。
だが、カオリンの前に新たな敵が立ちはだかった。
ユカリーン、アツミーン、ヨウメイーン。別名、闇の神の使い、であった。
三位一体による、ヘル・スウガクーンのダメージにカオリンはなすすべもなかった。
しかも、一人を倒しても他の二人が即座に一人を再生させる。
あまりの強大さに、カオリンの今後はもはや絶望的であった。

「…はあ、今のあたしってまさにそんな状況よね〜」
「何ぶつくさ言ってんの花織。ほらちゃんと勉強しないと、あんたもう赤点とりまくって後が無いんだからね?」
「ゆかりん、ダメだよ。さっきまでの話ぜんっぜん聞いてない。目が違う方見てたし」
「花織ちゃんもっと危機感持たなくちゃだめだよ?ほらほら、もっと楽しい授業を私が…」
「くっ、負けちゃだめだ負けちゃだめだ。あたしはタスケード先輩を助けるって使命が…」
「はあ!?ちょっと花織、ぜんぜん聞いてないどころか何違うこと考えてるのよ!」
「もう、何を乙女チック物語考えてたのかしれないけど、そんな事に頭使う暇があったら今を見てよ」
「いくらなんでも講義を聴く気を少しくらいは持ってもらわないと私も教えられないんだからね?」
「負けない、負けないわ。ユカリーン、アツミーン、ヨウメイーン、なんかに!」
「「「…ダメだこりゃ」」」
結局花織の気持ちが勉強に切り替わったのは、草木も眠る丑三つ時…に近いほどであったとか。

<三面の闇>


第三百二ページ『Last Audience』

「さあさあ皆さん、やって参りましたこんにちは。本日の講義はなんと七梨家全体参加!
嬉しいですねーやったですねー。というわけで張り切っていきますよ!
さあて今回は統天書の4971510056ページ…」
やけにハイテンションなヨウメイが、華麗に統天書をめくる。
教壇代わりのソファーを踏み台に、それを正面にとらえるように、
床に、真向かいのソファーへと座る七梨家の面々。
すなわち、太助、シャオ、ルーアン、那奈、キリュウ、離珠、虎賁、他…。
「ってえ!なんでこんなにいるんだよ!」
あまりの人口密度に、太助は耐え切れなくなってツッコミを入れた。
そう、今は人間や精霊だけでなく、星神たちもずらりと勢揃いなのだ。
もちろん、室内に入れるだけの大きさを持つもの達のみであるが…。
だが遅い、遅すぎる。遅すぎて早々に南極寿星が欠伸をするくらいであった。
「小僧、黙って聞くものじゃぞ。珍しく知教空天が儂らに説教をしようというのじゃからな」
「おやおやぁ〜?説教じゃありませんよ、それを言うなら説法です。
そう、この七梨家の構造体は立体でありながら四元体の法則に従って…」
とがめるのかと思ったヨウメイは、よくわからない言葉を紡ぎ出し、さっさと講義に入った。
さすがヨウメイ、知教空天。誰にでも教えまくるという信条は伊達ではない。
そして…。
………。
……。
…。

「…というわけで、酢の物を美味く作るコツといたしまして…」
「ふむ、ふむ、なるほど…」
相変わらず調子よく講義を続けるヨウメイに対して、頷いているのはシャオ。
というよりは、もはやシャオしかそこにはいなかった。
長時間の講義により、疲れた者から一人、また一人…と、その場を抜け出して行ったのである。
星神たちは支天輪に帰り、太助他の面々は自室へと退散。
…いつの間にか料理の話に変わっている今も、シャオは懸命に話を聞いている。
そしてヨウメイは、気持ちよーく講義を続けている。もう数時間は経つであろうに…。
喉の渇きから階下へ降りてきたキリュウは、呆れるほどに続けられているその光景に、
ほうと息をつき、ぽつりとつぶやいた。
「もしかしたらヨウメイ殿の講義は、シャオ殿のようにすべてに興味を持つ事ができる者がいて、
それでこそ成り立つ…いや、これがあるべき姿なのかもな…」

<最後の観客>