それは穏やかな西日が差し込む、ある夕暮れのことだった。
秋子さんと名雪と真琴が買い物に出かけたので、俺は一人家で留守番をしていた。
ぴんぽーん
「ん?誰か来たのか?」
呼び鈴の音がしたので玄関に顔を出す。
しかしそこには誰も居なかった。
「なんだ。イタズラか」
ただそこには一冊の本が置かれていた。
「たく、人の家に本なんか置いていくなよな……」
踵を返してその場から立ち去ろうとした俺だったが、知らず知らず本を手に取っていた。
そして階段を上って自分の部屋へ……。
「なんでだー!なんでまたこの本が来やがったんだー!!」
自室に入るなり俺は叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
再びあの悪夢がやってくる…。
ちなみに……本の表紙をよく見ると、
“THE SECOND STORY”
とか書かれてあった。
かっこよくも見えるが、俺にはただムカツクだけである。
「頼むから本当にこれっきりにしてくれ……」
天に向かって祈らずにはいられなかった。
“くそっ!”と舌打ちしながら本を開ける。
1ページ目にはこんな文が書かれてあった。
だははははははは!!!我こそは我こそは食神!!!
また会ったな、相沢祐一よ。ヌシの前回の奮闘見事であった!!
それに惚れてワシはまたやってきたのだ!!!
バカかこいつわ。何が惚れただ。いよいよヤバくなってきたんだな。
それにしゃべり方も多少変わってきてる気がする。
だいたい同じ人物を攻めるなんて姑息なマネをせずに違う所へ行きやがれってんだ。
俺が何をした?俺に恨みでもあるのか?
既に要領は分かっておるだろう。だから説明は無しじゃ!
これから記される食物を食す!すべて食せなければ恐ろしい運命が待ち受けておる!!
前回と違うのは、食物の種類も数もぐーんと増えたことじゃ!!
残念ながらイチゴサンデーと牛丼とたい焼きは無いがの。
以上じゃ!!健闘を祈っておるぞ……
「へーへー、わかりました」
つーかこんなとこで何いきなり具体的な料理名だしてやがんだ。
……って、この料理ってもしかして?
まあいい。とにかく俺は食物を食すのみだ。
前回ので要領はそれなりに心得てる。
多分同じ食物も出てきやがるだろう。
なるべくおごりが避けられる道を選ぼう。
そのためには、自分で作る。もしくは秋子さんに頼ろう。
うーむ、大半は秋子さんに頼りそうな気が……
「まさかまた酒が大量に出るんじゃないだろうな?」
不安だ。凄く不安だ。数がぐーんと増えたって事がすでにいただけない。
日本酒を中心に、洋酒もたくさん出てきそうだ。なんてこった……。
「……ま、ワインまで頑張るか」
おそらく今回もそれで最後だろう。
その時はまたワインパーティーをやるんだろうな。
とにかく事情を話して、奮闘するぞ。
「おーっ」
気合の抜けた掛け声を上げる。
かくして、俺の壮絶な日常が再び始まったのであった。
<目指せ完食>
始まりは無難だった。
スーパーでこんなのは安く売ってるよな。いや、家にありそうだ……。
どちらにしろ、秋子さん達が帰ってくるのを素直に待つことにした。
待つこと約1時間……
「ただいまー」
女性陣が帰ってきた。心なしか大勢の気がする。
当たり前だ。三人で出掛けたんだし。
ともかく一階へ降りてゆく。食卓で用意する彼女らに、本のことを告げた。
「……というわけなんです。協力よろしく」
恭しく頭を下げてみた。頼ることを前提に。
「祐一ってば何かに憑かれてるんじゃないの?」
これは真琴。嫌な言葉だがあながち間違っていないな。
「よほど強運なんだね、祐一」
これは名雪。いい言葉ではあるが……この状況ではあんまり嬉しくない。
「祐一さん……」
そして秋子さん。何故か驚愕の表情(と俺には思えた)を浮かべていた。
「私は少し嬉しいです。よかったわ、これで秘蔵のお酒が出せるのね」
やはりというか、予想通りの反応であった。
まだ酒を蓄えているのだ、秋子さんは。
しかも秘蔵って……何が出てくるんだろう。
次の瞬間には顔が輝いていた。夢見る少女と表現できそうなほどに……。
こりゃあ相当に覚悟しといた方が良さそうだな。
「今度こそたい焼き出るかな?」
これはあゆ。そういえば前回は出なかったな……ん?
「あゆ、なんでお前がここに居るんだ」
「偶然商店街で出会ったんですよ。だから夕飯に誘ったんです」
「そうだよ」
もっともらしい理由であった。
などとあっさり納得していいものなんだろうか……。
「ところで祐一、最初の品は何?」
興味津々と本を見てくる名雪。そういえばまだ言ってなかったか。
“これだ”と俺は本を開けて見せてやった。
『●浅漬け
醤油や酢で味を調えた調味料の中に
野菜を漬け込み
味をしみ込ませた食べ物』
「浅漬けなら丁度自家製の物がありますよ」
すらっと秋子さんが言い放った。さすがだ。
そして何事もなく夕食の時間となる。
俺は炊きたてのご飯と共に、無事に浅漬けを食すことが出来た。
五人での食事。にぎやかだ。当然話もはずんでくる。
やはりというか例の本の話になったのはいたしかたないか。
「そうそう、ちなみにたい焼きは出ないぞ。イチゴサンデーも出ない。
そう書いてあったからな」
「ええ〜?うー、そんな本燃やして」
いきなり恐いことを言うな。
「名雪、過激発言はやめてくれ」
「うー、だってだってー」
ごねている名雪。その傍であゆも口をとがらせていた。
「うぐぅ、酷いよ祐一君。やっぱりボクのこと嫌い?」
なんで俺がそんなこと言われなければならないんだ。
「文句はこの本に言え」
「うぐぅ……」
二人とも不機嫌きわまりない。
というか、それが出たらタカるつもり満々だな……。
「ねえ祐一、肉まんは?」
「……それは書いてなかった」
「ということは出るんだ!」
「多分な」
「あはは、やったー!」
大喜びの真琴。…喜んでもらっても困るんだが。
「その時は祐一がおごってね」
「ふざけんな」
「お金持ちのくせにー」
「そういう問題じゃない」
やっぱりこいつもタカる気満々だったか……。
「私はお酒が出るだけで満足です」
「秋子さん、まだ出ると決まった訳じゃ……」
「出るに決まってますよ」
笑顔で答える。揺るぎない自信がそこにあった。
もっとも、言った俺もお酒は絶対出ると確信していたが……。
はあ。やはり前途多難だ。不安いっぱいだ。
この浅漬けみたく、何の問題もなく食し続けていられればいいんだが……。
<それは甘いよ>
前回もそうだったが、なんで二つ目は極端に変なものになるのだろう。
酒、の方がましのような……。
「…つーか、アメーバスープってなんなんだよ!」
『●アメーバスープ
トロリとした感触の怪しげなスープ
覚悟を決めて飲み込めば
新しい味覚の世界が開ける』
こんな説明がきではさっぱりわからない。
わからないどころか、これは本当に食べ物だろうかと疑いたくなる。
さてどうするべきだろう?自ら作ろうとすると自爆しそうだしな……。
やはりここはあの人に頼むしかあるまい。
「え?アメーバスープ、ですか?」
「はい。秋子さんの力で、お願いします」
「初めて聞きますね、そんな料理」
初めてじゃなかったらそれはそれで問題ありだ。
だがそれでもあえて秋子さんに頼んだのは理由がある。
様々なものを自家製でこしらえてきたのだから、もしかしたら……。
「なんとか作ってみましょう」
“了承”という言葉は出なかったが、引き受けてもらえたようだ。
「すみません。俺に出来ることがあったら何でも手伝いますんで」
「そうですか?じゃあ……」
秋子さんからのお手伝い要素を俺は待つ。
「アメーバを一匹でもいいですから採取してきてください」
「………」
「アメーバは、理科の授業で知ってますよね?」
「そりゃ、まあ……」
「お願いしますね」
「は、はい……」
なんというか、それは心のどこかで予想していたものだった。
でかでかと料理名に含まれているアメーバ。やはりこいつがないと話にならないみたいだ。
仕方なく、コートをひっつかんで外に……。
「待てよ、アメーバってどこに居るんだ?」
とてもじゃないが生息地がわからないことには話にならない。
わかったとしても、採取の方法がわからない。
学校の理科室にでも忍び込むしかないのだろうか。
「仕方がねえ、行ってくるか……」
半ば諦めの気持ちで俺は家を出た。
数刻後。偶然にも部活帰りの名雪と出会い、理科室の場所を聞き出す。
案内してもらって、そこの管理人から目的のアメーバを少し分けてもらった。
……これを俺は食さなきゃならないのか。
「大変だね、祐一」
「名雪も食ってみないか?」
「嫌だよ。絶対お腹壊しそうだもん」
もっともな意見である。
というか、どう考えても普通の食べ物じゃないよな……。
シャーレの上でうにょうにょと動いているそれを見つめながら、
(今は寒いから動きはかなり鈍いが)俺達は帰宅した。
そして夕飯。
何をどうやって作ったのか、見事なアメーバスープが出来上がっていた。
見た目にはただのスープである。色がかなり良くないっぽいが……。匂いがなかなかいい。
さすがに量はそれほどでもないが、秋子さんは凄い。
「元が一匹でしたからね。それが限界でした」
カップスープ程度のもの。どうやって増やしたのか非常に気になる所である。
いやそれより……どうやって調理したんだろう?
「ともかくいただきます」
「はい、どうぞ」
「祐一って……どんどんゲテモノ食いになっていくね」
余計な事言うな真琴。
意を決して一口目を運ぶ……
「……どろり濃厚」
「やっぱり」
俺の第一声を予想していたのか、秋子さんは笑顔だった。
しかし我ながら変な気分だ。この第一声はどこから出てきたんだろう?
「食感だけは変えようがなかったんですよ」
「不思議な……味ですね。初めて味わいます」
「そうでしょうね」
感想を最後まで聞いても、やはり秋子さんは笑顔のまま。
もしかしたら事前に食べていたのかもしれない。
「ねえ祐一、わたしも一口いいかな?」
興味を示したのか、名雪が意外なことを口走った。
「腹壊しても知らないぞ」
「大丈夫だよ。お母さんが作ったものだし」
下校の時と言ってることが違うぞ。
「真琴も食べていい?」
ゲテモノとか言ってたくせに……。
「ああ、いいいい。二人とも少し食ってみろ」
「やった。いただきま〜す」
「いただきま〜す」
何が嬉しいのか、競って味わおうとする。
そんな二人の様子を見て、俺は改めて秋子さんが凄い人に思えてきた。
“アメーバスープ”という品を、魅力的な食物として仕上げたのだから。
<そして彼らは新しい味を知った>
『●アロエジャム
アロエを煮詰めて作ったジャム』
ひねりも何も無い、まんまの食物だった。
ジャムと言えば秋子さんだ。何もためらわず頼むことにしよう。
「アロエジャムですか?」
「ええ、お願いします」
「わかりました、すぐ用意しますね」
“すぐ”というのはさすが秋子さんだというところだろうか。
食卓で待つ事数分。
朝食さながらのものを手早く用意してくれた。
香りたつコーヒー、こんがりやけたトースト、そしてジャム…。
「さ、召し上がってください」
「いただきます」
トーストを手に取り、ジャムを塗り付ける。
ちょっとオレンジ色がかったそれを、まんべんなくつける。
そしてぱくりとかじりついた。
「………」
「どうしました?」
「……これが、アロエジャムですか?」
「アロエジャム、食べたことありませんか?」
「ええ。でも、なんか、どこかで食べたことのあるような味……」
感想を述べると、秋子さんが少し驚いたような表情を見せた。
「さすがですね」
「何がですか?」
「実は、それはアロエジャムじゃないんです」
「へ?」
「以前少し試していただいたあのジャムなんです」
「ええええっ!!?」
慌ててトーストを手から離して、ジャムの瓶をしげしげと見つめる。
なるほど、言われてみるとこれはあの謎ジャムだろう。
「少し作り方を変えてみたから、この機会に試してもらおうと」
「………」
「それで、どうでしたか?」
「秋子さん……」
「はい?」
「……いえ、なんでもないです。えと、ジャムは、独創的な味、ですね」
「そうですか」
ちょっぴり残念そうな顔をした。
しかし俺はそれどころではない。
ジャムを知らなかったが為に謎ジャムを食べさせられてしまったのだから…。
「他にも知らないジャムが出てきたらどうしよう…」
「心配しなくても私がしっかり作りますよ」
「は、はあ…」
食べられないとかそういう意味で呟いたのではなかったのだが…。
その後、今度こそ素直にアロエジャムを食べさせてくれたものの、
謎ジャムをたっぷり塗ったトーストを、俺は当然食さなければならなかった。
<じゃむれべる1あっぷ>
さあて、今日の料理はなんだろな。
俺も余裕が出てきた。というよりはただの諦め気分なだけであるが。
部屋に寝っ転がって本を開ける……
バタン!
「バタン?」
「祐一ーっ」
顔を上げるとそこには真琴が居た。
「お前な、ノックくらいしろっての」
「暇つぶしにちょっかい出しに来てあげたんだから感謝しなさいよぅ」
んなもんで誰が感謝するんだ。
「邪魔だ、出ていけ」
「なによぅ、その言いぐさ…あっ、あの本!」
めざとい真琴が本をロックオンした。かと思ったら目にもとまらぬ早さで本を取る。
……こいつ、手強い。
「じゃねえっ!返せっ!!」
「いいじゃないのよう。“まん”って字が見えたんだもん」
「お前に任せたらろくな結果にならんのは証明済みだっ!」
慌てて俺は起きあがるが、既に真琴は本の内容を目にしていた。
仕方なく、その後ろから本をのぞきこむ。
『●あんまん
中華まんの中に
あんこを入れて作った食べ物
あなたは粒あん派? こしあん派?』
「あぅーっ、なにこれえ?」
「あんまんだ」
「見てわかるわよう。肉まんじゃないじゃないのよぅ」
「んなもん知るか。…ところで真琴はどっちだ?」
「何が?」
「粒あんかこしあんかってことだ」
「うーん……」
途端に頭を捻りだした。何を真剣に悩んでるんだ。
しかし悩むほど重要な要素かもしれない。
わざわざ本で尋ねているくらいだから…。
「まあいい、さっさと買いに行くか」
悩んでる真琴の手から本を取り戻し、コートをひっつかむ。
「あれ?祐一どこか行くの?」
「商店街」
「あっ、だったら真琴も行く!」
「いっとくけどあんまんしか買わないぞ」
「それでもいいよ、祐一のおごりだし」
いつ俺がおごる事になったんだ。
「俺はおごらないぞ」
「真琴も一緒に食べてあげないとね。祐一がかわいそうだもん」
聞いちゃいねえ。
……まあいっか、あんまん一個程度なら。
「ほら、付いてくるならさっさと用意してこいよ」
「うん」
ぱたぱたと部屋を飛び出してゆく。
準備はすぐに終わったようで(たかだか上着と財布を取るだけだが)
すぐさま俺達は家を出た。
そして商店街。手頃な店であんまんを購入。
結局俺が真琴に一個おごる結果となってしまった。
「無事にまともなものを食えただけでも良しとするか……」
「はむはむ……なんか複雑……」
「いつも肉まんを好んで食べてる奴からすればたしかに複雑だろうな」
「でも、美味しい……」
途中で食いかけを“要らない”と言いながらよこすかとも思っていたが、案外好んで食べている。
美味いならそれはそれで結構なことだ。
「あっ、祐一くーん!」
「ん?」
遠くから俺を呼ぶ声がする。
今だあんまんにご満悦中の真琴じゃないなと思って、振り向くと……
「えいっ」
「ぐはっ!」
あゆが強烈な体当たりをぶちかましてきた。
なんとか受け止められたが、俺は内蔵に深いダメージを負う。
衝撃で口から血を……
「こんなところで何してるの?」
無視か……。折角浸っていたというのに。
ちなみに実際はあゆが“ぽん”と手をたたいた程度である。
「見ての通り、あんまんを食している」
「そっちの女の子は?」
「ああ、こいつは……って、会ったこと無かったか?うちに来た時に会ったんじゃないのか?」
「ああそうそう。たしか浅漬けをご馳走になった時に」
「あゆは三歩歩くと頭が空になるという言葉もあるから忘れても仕方ないか」
「うぐぅ!!そんな言葉無いよっ!!」
ぽかぽかと叩いてくる。元気な奴だ。
「ねえねえ、あんたもどう?あんまん」
真琴があんまんのかけらをあゆに差し出す。
珍しい。猫にさえ肉まんを取り争っていたこいつが……!
あゆも同じくびっくりしたようで、手の動きを急に止めた。
「いいの?」
「真琴がいいっていってるからいいの」
「じゃあありがたくいただくね。お返しと言っちゃあなんだけど、ボクからも」
ごそごそと袋をあさる。そしてお約束のごとくたい焼きが取り出された。
「お前また盗ってきたのか」
「盗ってないよ!!」
「あぅーっ、それ盗品なの?」
「違うったら!これは買ったの!」
怒りながらも真琴にたい焼きを手渡す。
大きさ的につりあってないかもしれないが、見事な物々交換である。
と、真琴は早速それにかぶりついた。
「…あっ、美味しい」
「でしょっ?それに焼きたてだよ」
「あんまんもいいけど、たい焼きもいいね」
「うぐぅ、そう言ってもらえるとボクも嬉しいよ〜」
笑顔であゆもあんまんをほおばり始める。これまた美味しいと絶賛していた。
「ところで、どうしてあんまんなんて食べてたの?」
不意に質問される。
これからの事を考えて、あゆにはとっとと話しておくことにした。
って、あゆには既に話したはずなんだが……。
「例の本の所為だ」
「ああそかそか、それ以外に祐一君はまず食べないよねえ」
「やはりお前は三歩歩くと頭が空になるんだな」
「うぐぅ!ちょっと度忘れしただけだよっ!!」
度忘れもここまでくるとなかなか立派なものだ。
俺達のやりとりを端から見てた真琴が、口の周りにあんこをつけてふと呟いた。
「祐一も大変よね〜」
……しみじみと今更言うな。
「そうだあゆ、商店街関連でまた頼るぞ」
「うん、それは別にいいよ」
「報酬として、一緒に何かたかろうね」
「こらっ真琴、そんなことを言うな」
「さすがにそこまではできないよ。でも少しくらいならご馳走して欲しいな」
「大丈夫。祐一の懐はかなりあったかいから」
「余計なこと言うなって!」
たかりはせめて前回並にしてほしいものだが……。
<さあどうなる>
料理名を見た瞬間、愕然とした。
その直後にふつふつと怒りがこみあげてくる。
「ふざけんな!」
傷んだ刺身だと!?んな変なもん食わすな!!
既にこれは普通の食べ物じゃないぞ!!
…むう、しかしどうやって食そう。
(などと、もう食う気になっている自分が非常に不憫だ)
そうだ、説明書きはなんて書いてあるだろう……
『●傷んだ刺身
ちょっと…
コレ、におうよ』
「………」
んな説明ありか?
というかこれって絶対に説明じゃねえ。
やはりというか、俺は仕方なく……
「傷んだ刺身、ですか?」
「はい、ありますか?」
秋子さんに頼むことにした。
「残念ながら今は切らしてますね」
今は?いつもはあるってことか?
「祐一、一緒に商店街へ行こうよ」
丁度夕食の買い物を頼まれたところだった名雪が誘ってくる。
「買いに行こうって……売ってると思うか?」
「ゴミでもあされば」
俺は野良犬や野良猫か。
「なるほど」
「なるほどじゃないです、秋子さん」
「そうですね。この寒さでは傷むより前に先客に食べられてますよね」
そういう問題じゃ無い。
「うー、いい案だと思ったのに」
どこがだ。
このままだと不審者に仕立て上げられそうだったので、とっさに浮かんだものを口にする。
「普通に安く売ってる刺身を買ってきて、家で傷ませる事にする」
「あっ!祐一それ名案!!」
「さすが祐一さんですね」
親子で拍手してくれた。
こんなことで誉められてもちっと嬉しくない気がする……。
そんなこんなで商店街へ出かけて、やっすーい刺身を購入。
暖房器具を用いて、刺身一切れを傷ませる……。
「ちょっと祐一、臭うわよぅ」
「我慢しろ。……まあ臭うなら上等かな」
「それに、なんであたしの部屋でやるのよっ!」
「ぴろが居るから」
「理由になってないっ!」
部屋の隅で、敬遠する目つきでぴろが鳴き声を上げている。
本能的にこの刺身はヤバイという事を感じているのだろう。
「……なんで俺はこんなものを食べようとしてるんだ」
今更ながら疑問が湧いてきた。
これは自殺行為にすぎないのではないだろうか。
「さっさと食べて出てってよ」
「わかったわかった」
真琴の目が殺気を含み出した。
ここまで我慢していた事にも敬意を払わねばなるまい。
「さて……」
ぱく、もぐもぐ……
「どう?」
味が気になるのか、真琴が聞いてきた。
ごくんと飲み込んで、答えてやる。
「……あんまり答えたくない」
「でしょうねえ」
そんな反応するくらいなら聞くなとも言いたくなるが……。
それはそれとして、とっととこの部屋から退散することにした。
立ち上がって扉に手をかける……
「……うっ!」
「ど、どうしたの祐一!」
「う、うぅ……」
どさり
「ゆ、祐一が大変!!秋子さーん!!」
部屋の前で俺は床に崩れ落ちた。
酷く気分の悪い状態のまま薄れ行く意識。
どたどたと皆が駈ける音を聞きながら……
気がつくと、俺は自分の部屋で横になっていた。
横を向くと、心配そうに名雪と真琴と、そして秋子さんが居た。
「よかった、気がついたよ…」
「祐一、食中毒だって」
安堵の言葉をもらす名雪と真琴。
「食中毒だって?」
「ええ。でも薬が間に合ってよかったわ」
「………」
薬というのは自家製によるものだろうか。
あんなものを食べたら食中毒になるくらいわかり切っていたはずだ。
手早く薬を用意してくれていた秋子さんには感謝である。
「祐一、わたし心配だよ。食べて寝込む程度だから良かったようなものの…。
食べたら死ぬ食物なんて出たら最悪だよ?」
「そればっかりは祈るしかないな……」
ちなみにこれでも全然良くない。
一歩間違えばとんでもない事態になっていた(今でも十分とんでもないが)
まさに命懸け、そう感じた出来事であった。
<毒はつらいよ>
「やったぁ、いちごジャムだよ〜」
朝食時に本を見せてやると、名雪が歓喜の声を上げた。
……って、なんでわざわざ喜ぶ。
もちろん食卓の上には、真っ赤ないちごジャムが入った瓶がある。
普段は食べない俺だが、ここぞとばかりに食していた。
何の問題も無い。毎朝目にしている自家製のいちごジャムである。
これほどに楽だと助かるんだがなあ。
「ところで祐一さん、説明にはどんな事が?」
「別に大した事ありませんよ」
興味を示す秋子さんにも本を見せる。
『●いちごジャム
イチゴを煮詰めて作ったジャム』
「……たしかに大した事ありませんね」
「でしょう?」
ごく普通の説明。まんまの説明、当たり前の説明である。
「残念です、非常に……」
手を頬に当てて、気落ちした表情を見せた。
一体この本に何を期待してたのだろうか……。
「ねえ祐一」
「なんだ?」
幸せそうな顔でトーストをはぐはぐさせながら、名雪が聞いてきた。
「今夜もいちごジャム、だね」
「なんでだ」
「いちごジャムでご飯三杯一緒に食べようよ」
「そんなもん誰が食うか!」
「え〜?」
「え〜、じゃないっ!」
平和に終わるため、即座に申し出を断った。
折角まともな料理が出たんだ。わざわざ危険をおかしてたまるか。
「うー…。じゃあ真琴」
「あ、あたしも遠慮するっ!」
「え〜?」
「あぅーっ、残念がられても困る……」
まさか真琴にまでモーションをかけるとは思わなかった。
相当浮かれてるみたいだな。
ちなみに学校でも、名雪は香里や北川を誘っていた。
もちろん二人とも揃って拒否していたが……。
<う〜、いちごジャムでご飯〜>
「ほう、こいつは……」
名雪が目にしたならきっと泣いて喜びそうな品だ。
…まあ、いちご関連は大抵そんな反応を示してるが。
「あら相沢君、またその本ね」
当然の様に香里が傍に寄ってきた。
ちなみに北川は珍しく曝睡中。名雪も同じくだ。
「相当さっきの授業がつまらなかったんだな」
「相沢君はよく起きてたわね」
「ま、そこが優等生のあかしってもんよ」
「関係ないでしょ、そんなの。ね、それより今日は何なの?」
話をそらそうと思ったのに、香里は料理に興味津々だ。
ちなみに、香里にも北川にも、本の事は既に話し済みである。
どうせあっさりバレるだろうと思ってすぐに話をしたのはまずかったか…。
またタカられやしないだろうか。
「どれどれ…ふむふむ、なるほどねえ」
「わっ!見るなって!」
いつのまにか覗き見されていた。
「これはもう百花屋決定ね。さあて、放課後名雪を誘うとしましょうか」
既にタカる予定でいる様だ。
「俺はおごらないぞ」
「あら、後で名雪にたっぷり恨まれるわよ?
“祐一、どうしていちごを知らせてくれなかったの…”って」
もっともな意見だが、少なくともそれとおごりは関係無い。
「俺は逃げる」
「ふっ、後悔しないでよ」
不敵な笑みを残して、香里は自分の席へと帰っていった。
何を企てているのか知らないが、一目散に教室を後にすれば問題あるまい。
そして放課後。俺は予定通り、一番に教室を飛び出した。
追いかけてくると思っていたがそれも無い。完全に勝利だ!
あっという間に昇降口。と、ここで見知った顔を見つけた。
「あ、祐一さん」
かばんを両手に抱えて駆け寄ってくる。それは栞だった。
ちなみに、栞にも本の事は既に通達済みだ。前回かなりお世話にもなったし。
「よっ、栞」
「今帰りですか?」
「ああそうだ。栞もそうか?」
「はい」
会えたことが嬉しいのか、やけに笑顔を見せる。
それに惹かれてか、俺はふと栞を誘ってみたくなった。
「栞、これから暇か?」
「えっ?どうしたんですか?」
「実はな……」
かばんから本を出して広げて見せてやる。
『●いちご大福
大福の中にいちごを丸ごと入れた
甘酸っぱいお菓子』
「へええ、今日はこれなんですね」
「一緒に食べに行かないか?」
「でも、私人を待ってるんで」
「人を待ってる?」
「ええ。あ、来ました」
栞が指差す方向を俺は見た。するとそこに居たのは…
「お待たせ栞。あら相沢君も。奇遇ねえ」
香里であった。名雪と北川もその後ろに付いている。
「うー、祐一ひどいよ。いちご大福〜」
「相沢、早速おごってくれるのか。悪いな!」
まさか……。
“ばっ”と栞を見る。相変わらず彼女は笑顔だった。
「栞、俺をはめたな?」
「何のことですか?」
「俺を引き止めることによって香里達と……」
「でも、栞を誘おうとしたのは相沢君でしょ?」
にやつきながら香里が割って入ってきた。
くっ、やはり栞は共犯だったか……。
「私はただ、祐一さんを見かけたから声をかけただけですよ?」
栞が不思議そうにこんな事を言う。
…もしかして、ただの偶然なのか?
「どっちにしろ、一番に教室を飛び出したくせにさっさと帰らなかった相沢君が悪いんでしょ」
「早くいこっ、百花屋。でもって祐一のおごりでいちご大福だよ」
「百花屋に行かなくても良いような気もするけどな」
「祐一さんお姉ちゃん達と約束してたんですか?だったらもちろん私もごちそうになります」
いまいち、香里と、名雪と北川と、栞と、会話がかみあってないような……。
それより、香里の言う事はもっともだ。
栞に声をかけられたからといってとどまっていたのが悪い。
「えーいヤケだっ!行くぞ皆!」
覚悟を決めて、俺は連中を商店街へ。
ただ、結局おごったのは香里と栞だけにとどめたが。
「う〜、祐一ケチだよ〜」
「相沢、お前がそんなに冷たい奴だったとはな」
「つーかおまけのお前らにおごる必要はないだろうが」
香里と栞へおごったのは、いわば敢闘賞、というつもりである。
<勝手に表彰したってこと>
「またいちごかよ……」
あいうえお順だから仕方ないといえば仕方ないんだがな。
「祐一っ!今回は絶対にたっぷり食べさせてもらうよっ!」
自室で読書していると、声高らかに名雪が侵入してきた。
ここまで気合いが入っている姿も珍しい。
猫だけじゃなくいちごでも人が変わるっていういい証拠だな。
「つーかお前、勘違いしてないか?食べるのは俺なんだから」
「うー、そんなのズルイよ〜」
何がズルイだ。ろくでもない食い物の時はどうせ食おうとしないだろうが。
特に酒なんて絶対に避けてるじゃないか。
「おっ、酒を避けるか」
「そんな寒すぎる事言ってないでいちご〜」
「そこまで言うな」
「寒いの嫌いなんでしょ?祐一自分の首しめてるよ」
ぐはっ
今のは結構きつい一言だった。
一瞬放心状態になってる俺の隙をついて、名雪がさっと本を奪う。
『●いちご煮
ウニやアワビといった海の宝を
ふんだんに使った吸い物』
「よしっ!早速お母さんに作ってもらうよ!!」
「なあ名雪、これって……」
「いちごをたっぷり煮る!つまりはいちごジャムだよ!!」
いちごジャムはこの前食っただろが。
「お母さ〜ん、今夜はいちご煮だよ〜!」
「名雪ー!」
手を伸ばすも、名雪は陸上部の経験を生かして俺の部屋から素早く飛び出していった。
いかん。このままでは鍋に大量のいちごが煮詰まった偽のいちご煮ができてしまう!
慌てて俺も部屋を飛び出し、名雪の後を追……
がんっ
「ぐはっ!」
頭に鈍い衝撃が来た。
これは……金棒?
倒れながら見上げると、それは天井からぶら下がっていた。
「な、名雪の奴、いつのまにこんなトラップを……」
ばたり、と俺はその場に気絶してしまったのだった。
しばらくして、意識を取り戻す。
ふらふらになりながらも時計を見ると、2,30分ほどが過ぎていた。
やばい、マジで偽いちご煮ができてしまう……。
おぼつかない足取りながらも、俺は一階を目指した。
階段を降りる途中、台所の方で既に準備が整っていたのか、いい匂いがしてきた。
「これは……本当にいちご煮?」
食卓に行くと、そこにはべそをかいてる名雪が居た。
傍では珍しくも真琴がそれを慰めている。
「あぅ、あぅ〜っ……」
いや、単に困ってるだけか。
「あら祐一さん。今夜はいちご煮ですよ」
突っ立っていると秋子さんが顔を出した。
既にすべてをわきまえているといった顔である。
「あの、名雪から聞いたんですよね?」
「はい。でもさすがに間違ったものを作るわけにはいきませんから」
なるほど、秋子さんはいちご煮がなんたるかを知っていたようだった。
「丁度海の幸を仕入れてたものですから。でも名雪の説得には苦労しました」
「は、はあ……」
かなり手際がいい。それはそれで俺にとっては嬉しいことだった。
やがて、名雪だけが納得のいってない、いちご煮を囲んでの食事となる。
海の宝……。そう表現されるだけあって、美味であった。
「う〜、こんなのいちご煮じゃないよ〜……」
最後まで名雪はすねていた。
<例外のいちご>
「やったぁ、今日もいちごだよ〜!」
前回の屈辱を晴らすべく、名雪は歓喜の叫び声をあげた。
本を広げ、腕を高らかに上げている。
だからイチゴなら毎朝ジャムで食ってるだろうが……などとツッコまない所が俺の優しさでもある。
しかし今は、そんな事より重要な事があった。
「名雪、俺は今何をしてる最中だ?」
「いちご〜いちご〜♪」
聞いちゃいねえ。
「俺は着替えをしてる最中だ!そんな時ノックもせずにいきなり入ってくるな!!」
「ね、いちごだよいちご。やったよ祐一、明日はホームランだよ」
ますます聞いちゃいねえ。何がホームランだ。今はシーズンオフだ。
そんな中、俺はようやく着替えを終えた。
「ラケットですぱこーん!って。気持ちいいよ〜」
「テニスか?」
「うんっ」
ホームランなんざ出したら負けだろうが。
ついでに言うと名雪、お前は陸上部じゃなかったのか?
「細かいことは置いといて、いちごっ♪いちごっ♪ばばろあ〜♪」
とうとう奇妙な歌を歌い出した。
何がそこまで名雪を狂わせるのか?本当にいちごだけの影響なんだろうか?
「ところで名雪、ババロアが何か知ってるのか?」
「もちろんだよ。ほら、これに書いてある通り!」
『●いちごのババロア
牛乳と生クリームに
砂糖といちごの果汁を加え
ゼラチンで固めた食べ物』
「えっへん豆知識、だよ」
こんなん豆知識にされてたまるか。
「俺は知らない奴は知らないと思うぞ」
「駄目だよ〜。いちごに関して知ってるのは常識だよ〜?」
それこそ常識にされてたまるか。
第一いちご煮がなんたるかを知らなかった奴に言われたくない。
……いや、あれはいちごとは関係無かったから知らなかった、という事か。
「それはともかくとして、食さなきゃな」
「百花屋へ直撃インタビューっ、だよ」
何をインタビューするんだ。
「さあて、秋子さんに頼みに行くとするか……」
「わっ、祐一、そんなずぼらな態度とっていいの?いちごなんだよ?」
「秋子さんに頼むことがずぼらであってたまるか」
「うー、お母さんなら家で居ながらにしてあっという間に作っちゃうじゃない」
「そこがいいんじゃないか。余計な出費をしなくて済む」
「うー、そんなの反則だよ〜。祐一のイカサマ師……」
家主に料理を作ってもらうだけでイカサマ師に仕立て上げられたらたまったもんじゃないぞ。
「名雪が何と言おうと俺は頼みに行く」
「だったらこの本燃やす」
「………」
「祐一、ペンギンなんかに成りたくないよね?」
名雪に本の事を喋ったのは良くないことだったのだろうか……。
しかし…こんな脅しありか?
「…お前、性格悪くなってないか?」
「大丈夫、いちごだけに押さえるから」
そんな言葉なんか信用できん。
とはいえ、このままではらちがあかないな……。
「仕方ない、百花屋へ連れていってやるよ」
「やったぁ!祐一大好き!!」
こんな食べ物につられて“大好き”なんて言われても……。
複雑な気分のまま、結局俺は名雪と共に百花屋でいちごのババロアを食したのであった。
<いちごいちご〜>