『ブラッディスープ』

「…ごふごふっ」
本の内容を見るなり思わず血を吐き…じゃなくって、咳き込んでしまいました。
一体どういうつもりなのでしょうこの本は。どこからこんな料理を用意してきたのでしょう。
誰がどのような思考でこのような品目を考え出し…まあ、悩んでいても始まりません。
今日は休日。肝心のお姉ちゃんは早朝に出かけてお留守です。
私一人でどうにかなる品物では無いのですが、しかしおねえちゃんに頼れば…
“じゃあとりあえず栞の血を…”
と言い出すに違いありません。そして包丁を持って私を追い掛け回すのです。
“アイスばっかり食うやつはいねがー!”
って…。
ぽかっ
「あうっ」
「あたしゃなまはげかっつーの」
不意に頭を叩かれました。出かけたはずのお姉ちゃんです。
「殴るなんてひどい…」
「あんたこそ勝手な想像して…」
「想像なんて読まないでよ」
「途中から声に出てたわよ。相沢くんみたいに」
「うっ…」
今のはかなりショックでした。
「ま、深刻な料理だっつーのは分かるけどね。だからあたしに頼らないでね」
「へ?」
「あたしはただ忘れ物とりにちょっと帰ってきただけだから。
そしたらたまたま、馬鹿っぽい妄想にはべる可愛い妹がいるじゃないの。思わず構っちゃったわ」
「…お姉ちゃん!」
「とりあえず外に繰り出して考えなさい。誰かいい案をくれるかもよ」
ひらひらと手を振りながらお姉ちゃんは“じゃあねー”と出かけてゆきました。
ほんとにちょっと帰ってきただけだったんだ…。
少しは悩める妹を助けようとか思ってくれたって…って無理な相談だよね、これ。
「しょうがない、私もでかけようっと」
お姉ちゃんの言うとおり、家で居座っていても始まりません。
外へ出て新鮮な空気を吸いながら、頼れる人物との出会いを待ちましょう。

…と、外へ繰り出したのはいいのですが…。
「…寒い」
吹き荒れる木枯らしが身に染みます。
羽織っているストールがバタバタと激しくゆれています。
「うー、外へ出るんじゃなかった…」
「あぅーっ、寒いぃ〜…」
後悔し始めた時、知った声が聞こえてきました。
見るとそこには、あったかそうな肉まんを数個抱えてほくほくの真琴さんが居ます。
寒い寒いと口に出してはいますが、肉まんを前に満面の笑顔。
好物がそばにあるとこうも違うものなのですね…。
内心感心しながら、よっし真琴さんに頼ってみよう、と思い立ちました。
「こんにちわ、真琴さん」
「あっ、栞?今日は寒いよね〜」
湯気の向こうで上機嫌のようです。これならばいい案を出してくれるかも。
「実は真琴さん、相談に一つのっていただきたいのですが…」
「あぅ、相談?」
「はい、これです」
早速私は問題の本を差し出してみました。

『●ブラッディスープ
真っ赤な血のスープ。
…こわい』

「大丈夫よぅ、栞なら」
「そうでしょうか?」
とんでもない料理名なのに真琴さんは自信たっぷりに告げました。
思わず聞き返してしまいましたが、私は期待に胸をふくらませて次の言葉を待ちます。
ここで真琴さんに出会ったのは当たりのようです。
「病弱だったんでしょ?ごふっ、って口から血を吐くくらいに。それでスープを作れば」
「…ひどいです」
真琴さんあんまりです。それは漫画の読みすぎというものだと思います。
それになんと手で仕草まで見せてきました。当然私は心の中で心底がっくりきたのでした。
「違ったんだ?でも少しくらいはあったんじゃないの?
その分慣れてるから、真琴は大丈夫だと思ったんだけど」
「そんなこという人嫌いです」
「あぅ、でもぉ…」
困っているみたいです。でも私も困ってます。
結局この料理をどうしようかという事と…
期待した真琴さんがハズレだったことに心底困りました。
どうしましょう…どうしたらいいんでしょう…。
「あぅーっ…」
再度真琴さんが困った声をあげました。
「あぅーっ、ですね…」
私も真似してみました。
「ちょっとぉ、真似しないでよぉ」
「あ、すみません」
謝りました。が、当然気は済むはずはありません。
本当に本当にどうしたものか…
………
………
………
気がつくと私は水瀬家にいました。
そうですね…困りすぎた時はここが一番ですよね…。
そんなことを思いながら…
「どうぞ、栞ちゃん。たっぷり血の入ったスープですよ」
秋子さんに勧められるまま、問題のスープを目の前にしていました。
すてきなスープ、たっぷり赤です。
あついおなべからお皿へ移されて、私に飲まれるのを待っています。
夕げのスープ。すてきなスープ。おかずはいりません。
肉も魚も野菜もいるものですか。これ一杯でことたります。
「でも…いつもいつもただでご馳走されてたらあんまりですから御代を払います」
「そう?じゃあ2円…いいえ、1円いただこうかしら?」
なんということでしょう、すてきなスープが2円ぽっち…いえ、1円ぽっちです。
すてきなすてきなスープ…真っ赤なスープ…。
「あぅぅ、栞ぃ…」
どこかから真琴さんの声がしたような気がします。
しかしそんなことは関係ありません。私はスープを飲むのです…飲むのです…。
………
………
………
「…栞ぃ、栞ぃ、どうしちゃったのぉ?」
「…あれ?」
気がつくと、目の前に真琴さんがいました。
そしてそこは冷たい風が吹きすさぶ街の中。
どうやら想像がすぎたようです。
「…相当重症ですね」
自分で自分を疑ってしまいます。
「そんなに困ってるなら秋子さんに頼めば?きっといい料理を用意してくれるわよぅ」
「そうですか?でも…」
「大丈夫よぅ。真琴が頼らなかったからその分栞が頼っていいはずよぅ」
「???」
どういうことでしょうか…。
しかしここはお言葉に甘えておくことにしましょう。
結局私は真琴さんに連れられて水瀬家へ。
そして…。

<す・すてきな ス・スープ>


『ぶり大根』

「な、な、な…」
朝起きる、といういつもの行為の直後。あたしは目をまるくした。
「なんで真琴のとこにまた本があるのよぅ!」
ちょっと前に、ううん、ついこの前に料理の宣告をされた。
それの間をほとんどおかずまた真琴の番…。
「もうサイアク〜…」
はあ…と大きなため息が自然と出てくる。
でも、ため息ついてても始まらない。
ちゃっちゃとこれを食しちゃわなくっちゃね。
「でも…どうやって食べよう…」
なんて、秋子さんに頼むしか無い気もするけど。
でもでも、魚をさばくのを以前真琴に教えて以来、魚料理は結構真琴に任せるんだよねえ。
どうしよ…さすがにこんなの真琴作れそうにもないけど…。
「ま、まあがんばろう、うん」
にゃ〜
気を張っていると、隣でぴろが励ましてくれた。
「あぅ〜、ぴろ、ありがとう」
にゃ〜ん
かわいいなぁ、なでなで。
…いよぉーっし、元気まんたん、いっちょやってやるわよぅ!

「ぶり大根?」
「うん。お願いしてもいい?」
「了承。真琴もいよいよ料理の道に目覚め始めたのね。嬉しいわ」
「あぅーっ、そういうんじゃないけど…」
秋子さんの目が輝いている。
ますますこれは、真琴が頑張って料理しないといけないみたい。
うーん、なんでこうなっちゃうのかなぁ…。
「ところで真琴、どうしてぶりなの?漫画で読んだの?」
「違うもん。本が真琴にやってきたんだってば」
「あらあらそうだったわね。たまには漫画に影響されたのかなって思っちゃってね、うふふ」
もぉ、秋子さんって時々違う発想しちゃうんのよねぇ。
でも言われてみれば…ぶりが大好きな子が出てくる漫画があったわよねぇ…。
たしか、自分の身体よりもでっかいぶりをばりばりばりって生で食べちゃうのよねぇ…。
あれくらいの元気があれば真琴も料理食べるなんてへっちゃらになるのかなあ…。
「って、考えてないで料理料理!」
腕まくりをして、真琴は改めて料理を確認した。

『●ぶり大根
ぶりと大根をコトコト煮た
お煮付けです』

「そのまんまよねぇ」
「あらあら真琴、そのままじゃつまらないかしら?」
「ううん、大丈夫。煮るだけで簡単なのがいいもん。それに…ぶりをさばくのも大変だし…」
「あらそう…」
あぅーっ、なんか秋子さんがちょっぴり残念そうなのが恐い…。
「ま、いいわ。真琴の包丁さばきをしっかり見ていてあげるからね。
味付けも手伝ってあげるから。まずは真琴の思うように作ってごらんなさい」
「う、うんっ」
秋子さんに言われて、ちょっと緊張。
で…肝心の材料がキッチンに用意された。
おっきなぶりまるまる一匹。それと大根。
「あぅーっ…」
「あらあら、どうしたの真琴」
「いきなりこんなの無理よぅ…」
「しょうがないわね…。いい?ぶりってのはこうやって…」
秋子さんが真琴の手をとってすっすっすっと包丁を動かしてゆく。
面白いように切れてゆくぶりがとっても印象的…。
秋子さんってやっぱりお料理上手だよねえ…真琴には真似できないなぁ。

「…と、こんなもんかしらね」
「秋子さんすごーい!」
数分の後に、ぶりは見事に丁度いい大きさに分かれていた。
真琴はずっと秋子さんに手を添えられてただけだったけど。
「思わず全部切っちゃったわ…。せめて真琴は大根を切りましょうね?」
「う、うん」
すっと秋子さんの手が退いた。
そして大根は真琴の手に委ねられた…。
「…だ、大丈夫だよね?魚に比べればこれくらい…」
自分に言い聞かせて、大根に包丁を入れた。
さくっ
あっさりと刃物は入り、大根を分断した。
…なあんだ、簡単じゃない♪
調子にのった真琴は大根をどんどん切ってゆく。
さくっさくっさくっ
「あ…ねえ、真琴」
「なに?秋子さん」
「まだ皮剥いてなかった気がするわ…」
「…あぅーっ」
折角調子よかったのにぃ、そんなのってないわよぅ!
って、皮もむかずに切り始めた真琴が悪いのよね…失敗失敗…。

そんなこんなの過程を経て…。
秋子さんの味付けで、ぶり大根は見事完成をむかえた。
うーん、やっぱり秋子さんと料理するっていいなあ。
コトコトと煮られているぶり大根の美味しそうなことといったら!
思わずぴろがつられてやってきちゃったりで大変だったわよぅ。
「真琴、すっかり料理の道にはまっちゃったかしら?」
「うん!でも、もっと上手になりたいな…」
「今度も本がやってきたら相談にいらっしゃい。一緒に作りましょうね?」
「うん!」
とっても嬉しい秋子さんの言葉。
ますます真琴は頑張らなきゃね♪
それにしても毎回気になるのは…真琴が料理を言う前に秋子さんが材料を用意してるってこと…。
あぅーっ、どうしてなんだろう?

<しゅっせうおー>


『ブルーベリィジャム』

「ジャムですか…」
ジャムといえば、あのジャムを是非試してみたいところなのですが…。
これはジャムの材料が指定されていますからねえ…残念です。
ほんとに残念だわ…。
「おはようお母さん」
台所で残念がっていると、背後から挨拶を投げられました。
娘の名雪。いつもはなかなか起きないのに、他の皆よりも一番のりじゃない。
「あらお早う名雪。今日は早いのね」
「うんっ。朝練があるから頑張って起きたんだよ」
「そう。頑張ったわね…」
「…どうしたの?なんだか深刻そうな顔してるけど」
心のため息を名雪は感じ取ったようです。
さすが私の娘ですね。隠し事はできそうにないわ。
“うふふ”と少し笑ったあと、その笑みのまま私は名雪に例の本を広げて見せました。

『●ブルーベリィジャム
ブルーベリィを煮つめて
作ったジャムです』

「わ、今日お母さんなんだ」
「ええそうなのよ」
「でも、普通のジャムだよね?お母さん得意じゃない?」
「ジャムは得意なんだけどね、何ジャムかというのを指定されちゃってるのよね…」
「………」
あら、名雪ったら黙り込んじゃったわね。どうしたのかしら。
「あの、お母さん」
「なに?」
「折角まともな料理が堂々と出たんだから、普通に食べようよ」
「でも…」
「いつもの生活の中にいつもの料理があるって…当たり前だけど素晴らしい事だよ?」
「名雪…」
私を慰める(?)名雪の言葉はある種必死にも感じられました。
でも、“素晴らしい”という形容詞を用いた事が妙に心に響き…私はえらく惹かれました。
名雪ったら…随分といいこと言うようになったわね…。
「わかったわ、今朝のごはんに早速食べちゃうことにするわね」
「うんっ、そうして。わたしそれ食べて早く朝練に出かけるから」
にこっと名雪は笑いました。屈託の無い笑顔。
それはある意味、日々の何気ない事柄に感謝している、自然な笑顔。
つられて私もにっこり笑ってしまいました。
「さてと、それじゃあ早く用意しないとね」
「お母さん、わたしも手伝うよ」
「あらそう?じゃあそこのお皿を…」
…こうして、何気ない朝に、何気ない食事ができあがり。
何気ない一日の始まりとなったのでした。
私にとっては多少物足りなくもあったのですが…これも大切なことですね。

<何も無い方が…>


『プレーンオムレツ』

「普通の料理ですね、あははーっ」
と、いつもの様に笑ってみました。
佐祐理のところに来た本は、佐祐理の手によって料理されてしまうのですーっ。
…なんてことはないですけどね。
「さてと、どうやって作ればいいでしょうか…」
「佐祐理…」
「あれっ、舞」
いつの間にか舞がそばにやってきていました。
うーん、どうしたんでしょう。
舞を今日はうちに呼んでたという記憶がありません。
「佐祐理、お昼ご飯食べないの」
「お昼ご飯?…あ、ここ教室だったね」
てっきり自分の部屋だと勘違いしていました、失敗ですねーっ。
なるほど、今は昼休みに突入したというわけなんですね。
「ごめんね舞。じゃあ食べよ。いつものように踊り場だね」
「うん…。あと…」
「ふぇっ?」
「これ…佐祐理の分…」
照れながら舞がすっと差し出したのは、布にくるまれたお弁当箱です。
そういえば…たまには舞がお弁当を作ってくる、って言ってたんだっけ。
「ありがとう、舞っ」
「………」
言葉はなかったけど、舞は凄く照れてるのは佐祐理には十分わかりました。
そして、佐祐理はとってもとっても嬉しかったのです。だって、舞のお弁当が食べられるから…。

早速、いつもの場所へ移動。
布を敷いて、食べる準備をして…心弾ませながら蓋を開けます。
かぱっ
「あれっ?舞、これって…」
「…オムレツ」
ぽそっと舞が呟いたとおり、そこにあったのはオムレツでした。
もしかすると…もしかして…?
はやる気持ちを抑えながら、佐祐理は手を合わせました。
「いただきますーっ」
「…いただきます」
二人そろって挨拶。
早速一口つまんでみました。
ぱくっ
「…ふんわりだね」
「…よかった」
そう、舞が作ってきたオムレツは、まさにふんわりでした。
佐祐理の口の中でとろけ…お弁当の箱に詰められていたとは思えないほどの食感です。
そしてまた、特別なものは加えられていない…純なものと言ってしかるべき。
これはまさしく…

『●プレーンオムレツ
ふんわりとした食感を
失っていないオムレツ』

この食べ物に間違いありません。
「舞、舞、このオムレツどうしたの?」
「作った」
「じゃなくって、どうしてこういうお弁当にしようとしたの?」
「…挑戦」
「舞…」
折角のお弁当だから難しい事に挑戦した、ということなのでしょうか。
でも、でも、もしかしたら舞は…
佐祐理のところに来た本のことを暗に感じ取って、それで挑戦してくれたのかもしれません。
どちらにしても、お弁当でここまでのふんわりを表現するなんて、舞は凄いですね。
「これは負けてられないね…。舞、佐祐理もお弁当作り頑張るからね」
「負けない…」
「うん、佐祐理も負けないよ。あははーっ」
その日は、とっても楽しいお弁当の時間となりました。

<ふんわりと>


『フレンチトースト』

これはたしか…祐一が作ってたってあゆちゃんが言ってたような…。
「というわけで挑戦だよっ。あゆちゃん、協力してね?」
「う、うん。ボク作ってるの見ただけだけど、頑張るよ」
休日。お母さんも真琴も留守。で、肝心の祐一も留守。
そんな折角な日なので(何が折角なのかよくわかんないけど)料理を作ってみることにした。
幸いわたしのところにやってきたのは、特に難しく無い料理だしね。
でも、自分で作ったことはないんだよね…。だからあゆちゃんに協力をあおいだんだけど。
ともあれ、キッチンにて材料を用意。
「えっと、食パンと卵と牛乳と砂糖でよかったんだっけ?」
「うん、そうだよ。まずはパン以外をよおく混ぜて…」
しゃかしゃかしゃかしゃか…
あゆちゃんに言われるがまま、ボウルに材料を放り込んで、一生懸命に混ぜる。
しゃかしゃかしゃかしゃか…
混ぜる、混ぜる、混ぜる…
しゃかしゃかしゃかしゃか…
混ぜる、混ぜる、混ぜ…
「…あゆちゃん?いつまで混ぜればいいの?」
「くー…」
「あゆちゃん!」
「うわっ!…ご、ごめん、寝てた」
「見てたから知ってるよ。あゆちゃんて意外と薄情なんだね」
「うぐぅ、ごめんなさい…」
まったくもう、わたしじゃあるまいし…料理教えてる最中に寝るなんて許せないよ。
こうなったら眠れないように秘密の薬をお母さんに教えてもらって…。
「…って、わたしったら何考えてんだろ。う〜、自己嫌悪だよ〜」
「名雪さん?」
一人であれやこれや思ってると、気付けばあゆちゃんがじぃ〜っとこちらを見ていた。
完全に目は覚めたみたい。よかったよ。
「あ、う、ううん、なんでもない。さ、あゆちゃん。次は?」
「えっとね、その混ぜたやつにパンを漬け込むの」
「へ?」
「へ?じゃなくって、それにパンを漬け込むんだよ」
漬け込む…。
そんなことしたらパンがぐしゃぐしゃになっちゃわないかなあ…不安いっぱいだよ。
というわけで、改めてあゆちゃんに聞いてみた。
「…本当に?」
「本当だってば」
「たい焼きに誓える?」
「何それ…。ボクは嘘を言ってないってば!」
「うん…」
しょうがない、言われたとおりにしてみるよ。
食パンを一枚手にとって、ボウルの中にぴちゃんとつけてみた。
じわ〜…
案の定、液がパンにしみこんでゆく…。漬け込むっていうのだから当然だよ。
じわわ〜…
「………」
じわわわ〜…
「………」
じわわわわ〜…
「…ちょっとあゆちゃん、いつまで漬ければいいの?」
「へ?あ、あああっ、ゴメン!ぼーっとしてた…」
「あゆちゃん…」
困るよそんなの…。教える側がぼーっとしてちゃあ、講座にならないじゃない…。
とりあえずあゆちゃんが慌ててるってことは、もう取り出していいのだろう。
というわけで、わたしは漬け込んであったパンを指先でつまみ…
ぐしゃっ
「あれ?」
パンがちぎれた。もう一度…。
ぐしゃっ
「…う〜」
やっぱりパンはちぎれてしまった。
「うぐぅ、漬け込みすぎたみたいだね…」
「そんなの見れば分かるよ。どうしてくれるのあゆちゃん」
「ご、ごめんなさい…。えっと、もう一枚漬け込んでみれば?」
「それはいいけど、このぐしゃぐしゃになった方はどうするの?って聞いてるの」
「え、えっと…とりあえず他のパンを漬け込んでいって、液が少なくなったら取り出すとか…」
「…そうだね」
う〜、なんて出だしなんだろ。サイアクだよ…。
けれども、この失敗をいかして、二個目以降の食パンはうまいぐあいに材料しみこみに成功。
それらは油をしいてあったフライパンにおいてゆき…。
じゅーっ
小気味よい音と共に焼いていった。
もちろん最後に残ったぐしゃぐしゃもフライパンに置いて…。
じゅじゅーっ
また更に小気味よい音となって焼かれていった。
そして…。

「これで出来上がり?」
「うん」
「じゃあお皿に盛って食べようか」
「うん」
いい頃合に焼きあがったそれらを、火を止めてフライパンから取り出してゆく。
こんがりといい色に仕上がり…
ぱくりと食せば、いつも普通にやいたトーストとは違った食感が口に広がってゆく。
「…うん、結構いけるね」
「うぐぅ、美味しいよ」
「一時はどうなることかと思ったけど、無事にできてよかったよ」
「うぐぅ、寝てたりしてごめんなさい…」
「今後は気をつけてね」
「うん…」
他愛無い会話と共に、二人のおやつは進んでゆく。
ちなみに、本に書かれてあったのは…

『●フレンチトースト
卵とパンで作る
おやつにもなる簡単料理』

…ということだけど、ちっとも簡単じゃないよコレ…。
いや、一度作っちゃえば簡単なのかな。
多分今度わたしが作った時は簡単に作れる自身があるよ。でも…。
「祐一が帰ってきたら教えてもらおーっと」
「あ、ボクも改めて聞きたいな…」
「あゆちゃんは聞きながら寝たりぼーっとしないようにね」
「うぐぅ…」

<くー…>


『ベーコンエッグ』

朝は時間があってもなくて忙しい。
オレとしたことがついつい寝坊をしてしまい、どたどたどたと忙しなく着替え等を済ま…
朝食すら食べる暇なく家を出るに至ってしまったのだ。
いや、最近流行の栄養補給なんとかで間に合わせた。世の中便利になったよな…。
それはそれとして、こんな状況でも例の本がやってきたことはばっちり認識。
まぁ、これを忘れるとシャレになってないわけなんだが…。
猛ダッシュで通学路を駆け抜け、予鈴と共に校庭に滑り込み。
ぎりぎりセーフの状態で、オレはHRに間に合ったのだった。

…HR終了後。
さて、今回の料理を見てやろうか、とゆっくりオレは本を広げたのであった。
「あら、今日は北川君なのね」
「ああそうだ。美坂も一緒に食うか?」
「普通に食べられる料理で、しかも北川君がご馳走してくれるならいいわ」
「あのな…」
「それより、今日は珍しいわね。ギリギリで到着なんて」
「ちょっと寝坊しちまってな。…ま、この時点でも来てないあの二人よりマシだろ」
ちらりと自分の後ろを見やる。席は空。
相沢と水瀬のやつは仲良く大遅刻をかます予定のようだ。
「まあね…。あたしはああはなりたくないわね…」
お前それは言いすぎってもんじゃないか?
と、少し苦笑しながら、オレは改めて料理の確認に入った。

『●ベーコンエッグ
朝食の基本。
目玉焼きとベーコンのセット』

…朝食?
「朝食ねえ…。北川君食べて…きてそうにないわね、その様子じゃ」
ばっちり美坂の言うとおりだった。
朝は時間がなくて、こんなものをつまんでいる暇など当然なかったのだ。
「いいや、朝じゃなくても昼とかに食えば」
「どうやって食べるの?学食にこんなのあったかしら?」
「なければ、帰り道にどっかで食うさ」
「あらいいわね。当然奢ってくれるんでしょ?
「なんだよそれ…」
「久しくタカり隊の活動ができてない事を不満に思った隊員が、隊長に直訴するっていう設定よ」
「おい…」
「ま、名雪にはナイショにしといてあげるわ。でも栞と…そうね、美汐ちゃんも誘おうかしら」
「おいおい…」
「じゃあね北川君。放課後ヨロシク」
「こら!美坂!」
くるりと踵を返す美坂は、ウェーブのかかった髪をゆらしながら席に帰っていった。
一人でまくしたてて一人で決定づけていくとは…相変わらず強引な奴だな…。
…まあ、ベーコンエッグ程度ならそう高くもつくまい。
今日遅刻したしっぺ返しってことで勘弁してやるか。
ほんの少し苦笑いしながら、オレは本をぱたんと閉じた。
丁度その時、どたどたと忙しない音を立てながら相沢と水瀬が姿を現した。
なんとか一限目には間に合った、ってか。

…そして放課後。
約束どおり、オレは美坂姉妹と美汐ちゃんを引き連れてベーコンエッグのある店へ…。
「…って、そういやそんな店どこにあるんだ?」
「ちょっと北川君、店くらい調べておきなさいよ」
と言われても調べる暇なんてなかったしなあ…。
それでも美坂のツッコミにたじたじのオレ。
「ベーコンエッグいっき楽しみにしてるんですけど…」
「栞、あんたいいかげんにしなさいよ?」
「まあまあ美坂。…と、なだめてもオレはいっきはやらないけどな」
「そんなあ…」
「栞!」
いつもの姉妹のやりとりだ。つーかいいかげん、
この娘のいっき願望をなんとかしないといけなくないだろうか。
それはそれとして、店をなんとか探さないと…。
(本当は、見つからなければ諦めてとっとと帰って食べるだけなんだが)
「北川さん、あそこにほら、ありますよ」
すっと美汐ちゃんが指をさす。そこは果たしてファーストフード店であった。
「美汐ちゃん、あれってハンバーガーショップだろ?」
「ですがホラ、ベーコンエッグバーガーなるものがありますよ」
「…ほんとだ。いや、でもそれって料理が違くない?」
「バーガーを外せば見事にベーコンエッグです。
いいかげん探すのも疲れました。ここで一つ妥協をするのもいいでしょう」
ふーやれやれ、と息をつきながら美汐ちゃんは店に入っていった。
「そうね、仕方ないわね。ほら、行くわよ栞」
「あ、待ってよお姉ちゃん」
そして美坂姉妹も入っていった。
外に一人残されたオレではあったが、非常に納得がいかない。
…なんで妥協なんてわざわざしなくちゃいけないわけ?

しかしそれでも、結局のところ店内で四者同じものを食すに至った。
セットでお得などという触書に便乗されたため、値段はかなりのものとなった。
まぁ、ステーキなんぞをおごるよりは安いもんだがな…。
で、肝心のベーコンエッグは…ベーコンエッグバーガーからパンを外し、
ベーコンエッグだけの状態にして、食した。
「…何かが間違ってる気がする」
「大丈夫ですよ。こうして食べることが出来たのです。ありがたいです」
「そうですね。美汐さんの言うとおりです。ありがとうございます潤さん」
「また機会があったらおごってね」
「………」
折角お礼やら言われて機嫌がよくなりかけたが、また奢ってと言われると…。
まあ…よしとしようか…。

<今度は何が奢られようか>


『変色サラダ』

その日、あたしは真っ赤な炎を燃え滾らせていた。
ひとたび拳を突き出せば、触れたものはすべて塵となり、大気に散乱。
たとえ一発が耐えられても…
うつべしうつべしうつべしうつべし!
と、続けざまにある四連撃の一発でしかなく、また更なる追加効果の餌食となる…。
「そう、そんな感じなのよ」
「お前一体なにもんだよ…」
軽いツッコミを相沢君が入れてくる。
けれども、距離が随分あいている。そう、きっと警戒してるのね…。
「でね、あの十二分に人をおちょくってる本を片手にちょっと廊下を歩いていたのよ」
「そ、そうか…」

『●変色サラダ
色が変わってるジャン!
確実に腹を壊す』

「確実…」
奇跡は起こらないから奇跡っていうけど、確実なのは絶対だから確実なのよね。
つまりは将来が約束された逃れられない運命だってことで…。
「どうしたんですか?香里さん」
悩みに悩んで重苦しくなっているところに、声をかけられた。
それは倉田先輩。いつも笑顔だそうだけど、今のあたしを前にしてはどうかしらね。
「こんにちは、倉田先輩」
とりあえず挨拶を投げておいた。
「こんにちはーっ。…えっと、深刻そうな顔をしてらっしゃいますけど、どうしたんですか?」
「いえ、なんでもないです…。ちょっと自分の運命に悲観的になってしまって…」
「はぇ〜、そうなんですかぁ…。えっと、何か佐祐理にお手伝いできることはありませんか?」
「ありません…」
「はぇ〜…」
すごすごと、倉田先輩はその場から去っていった。
そう、これはもう、誰にとっても無理なのよ、といわんばかりのオーラを感じとったのだろう。

「…ということがあったわけよ」
「お前大丈夫か?」
「何がよ」
「佐祐理さんさえも退けるオーラっつったら相当なもんだぞ?」
ふん、とっくに退いてる相沢君が何を言ってるんだか。
ちなみに今は下校途中。離れて歩きながら会話してるあたし達は、一体なんだと傍から見れば思うことだろう。
はぁ…なんかもうどうでもいいわ。
所詮あたしは、色の変わった変なサラダを食べてお腹を壊さなきゃいけないのよ…。
「こんな理不尽なことってある!?」
「けどさあ…俺なんか食べたら死ぬかもしれないものが当たったぞ?」
「そう、それはご愁傷様。はあ、あたしってばほんと不幸だわ…」
「お前ほんと自己中心的だな…」
ぴたっ
相沢君の呆れたような声に、あたしはぴたっと歩みを止めた。
「へえ〜?あたしが自己中心的?あえて不幸をくらおうとしてるのに?」
「お、おいなんだその据わった目は…っていうか何手にはめて…やめろー!」

…という事もあったわねえ。
「あの、お姉ちゃん?」
「何よ栞」
「さっきから何ぶつぶつ言ってるの?ご飯食べないの?」
「ああ、この色の変わったサラダのこと?食べたくないわね。でも食べなきゃね。あはははは」
手を額にあて、あたしは笑い出した。
もう笑うしかない。目の前にどーんと問題の料理があったから。
それをいよいよ食べなきゃいけないから。悲劇の運命はもうそこなのだから。
「お、お姉ちゃんがおかしくなっちゃった…」
「うるさいわね!食べるわよ!食べればいいんでしょ!?」
ばくばくばくばくっ
「…もぐもぐ」
「………」
「色が変わってるじゃないの!こんなんじゃ確実に腹を壊すわ!」
「お、お姉ちゃん…」
「…はあ、ご馳走様…」
「あのう…」
「ほっといてよ…今日のあたしのことは気にしないで頂戴…」
「う、うん…」
目的のものだけをちょこちょこっとばくばく食べて、あたしはとっとと食事を終わりにした。
終始不機嫌だったせいもあってか、人生のうちでもワースト何位かに入ろうという日にもなった。
その後は結局…なんて、語りたくなんてないわね…。

<くるくるくるった>


『ホイコーロー』

ふむ、今日は私のところですか…。
やれやれ、と心の中でため息をつきながら私天野美汐の一日は始まりました。
今更なのですが、この本は一日に一人、というサイクルでめぐっているようです。
そしてまた、期限もその日一日。つまり、本が来た日のうちに食さなければなりません。
…というのはおおよその予想でしかありませんけどね。
単純に不定期でありながら、実のところ平均すると一日一人一日期限…というだけのことなのでしょう。
そのくせ、書物が登場してから何年も経つような気がするのですが…
いえ、何年も経っていたら、私はとっくに高校を卒業しているはずです。
ならばこの書物は、不可思議な効力を発しており、私達を…。
…まぁ、楽屋的な推察はここまでにしておいて、今回の料理をどうするか考えねばなりませんね。
ホイコーローは知っていますが、やはり誰かに頼ってみるのがよいでしょう。
もちつもたれつ。他の方の料理模様をより見ておくのも悪いことではありません…。
もちろん私も手伝うべきなのでしょうけどね。

「えっと、それでわたしのところにきたの?」
「はい。水瀬さん…いえ、名雪さんならばきっといい料理を見せてくださると」
「…なんで言い直すの?」
「はい?ああ、呼び方でしょうか?呼称表に従わねばなりませんから」
「う〜、なんか変だよそれ…」
そうでしょうか…そうでしょうね…。
「分かりました。今回はもうこだわりは捨てます」
「何のこだわりなの…」
少し引かれてしまいました。
しかしながら、名雪さんは料理作成を快く了承してくださいました。
さすがですね…こういうところは私は見習ってみたいものです…。
早速、本の内容を確認しながら、二人してキッチンに立ちました。

『●ホイコーロー
鍋を何回も取りかえて
作るのがコツ』

「随分と贅沢な料理ですね…」
「どうして?」
「鍋を何度も取り替えるなんて…一体この料理一品を作成するのにどれだけの鍋が犠牲になることやら…」
「そういう意味じゃないと思うけど…」
「そうでしょうね…そうです」
「…えっと、とにかく作ろう、ね?」
「はい。しっかりと水瀬さ…名雪さんのサポートを行います」
「う〜、だからどうして言い直すの?」
「間違えたからです。申し訳ございません」
「う〜…」
いぶかしげな目で私を見ながら、それでも名雪さんは料理にとりかかりました。
もちろん私もその横でお手伝いです。
特に決め手となるキャベツを、特にキャベツをしっかり刻み…
「…間違えました。刻んではだめですね、キャベツを千切りにしてはいけません」
「美汐ちゃんは刻んでないよ?それに今切ってもらってるのは人参だし…」
「いえ、先んじた注意です」
「第一、もうキャベツは切り終わって中華なべの中だし…」
…手強いですね、名雪さんは。いえ、しっかりしてると言うべきでしょうか。
「さすがですね。私はあなたに頼ってよかったと思います」
「つながりがよくわかんないけど…」
「それはそれとして、材料はすべて切り終わったようですね」
「あ、そうだね。じゃあ早速炒めちゃおうか」
手際よく名雪さんは…
じゅじゅーっ!
と、ホイコーローを完成させてしまいました。
「もう出来上がりですか」
「…まだ火をつけただけだけど」
「ところで、鍋は取り替えますか」
「うーん…替えてみる?」
「洗物が増えますけどね。説明書きにあるのならば従ってみるのもいいでしょう」
「うん、じゃあ試すことにするよ」
ある程度痛めつけ…ではなくて、炒めあがったところで別の鍋に移します。
既に手馴れていたのか、名雪さんはささっとその作業を済ませてしまいました。
私は、言われた場所にあった鍋を所定の位置に持ってきただけ。
「うーん、さすがですねえ」
「って、炒めてる中身を移してるだけでそう感心されても…」
「いえいえ、謙遜する必要はありませんよ」
「しかも用意してもらった方が大きいし」
「それでも、材料を一欠けらたりともこぼすことなく移すのは神経を使いますよ」
「まあそうだけどね…」
そんなこんなで…
ようやくのことで、ホイコーローは仕上がりました。
皿に盛り付けされたそれらが湯気をあげている姿は美しいですね。
隣のお茶碗に盛られたごはんも同様に湯気をあげ、まさにハーモニーです。
「そういえば名雪さん」
「ん?」
「以前相沢さんもこの料理を食されたのですよね」
「うん、そうだね。一冊目が来た時だったと思うけど…」
「たしかその時、月宮さんはこの料理をゴキブリホイホイと勘違いされたとか」
「どういう勘違いの仕方なのそれ…。ホイしかつながりがないじゃない…」
「そうですね…月宮さんは不思議な方です」
「不思議って言うのかな、それって…」
そうしてこうして、私は名雪さんと二人でホイコーローを食しました。
そう、おやつ代わりですね。いえ…夕刻なので夕飯なのでしょう。
「美味しいです」
「そう?よかったよ」
「またお願いしてもよろしいでしょうか?」
「うん、その時はまた手伝ってね」
「はい。喜んで」
二人して笑顔です。満足の出来でしたね。
本当にいい食事時を得ました。

<次は何を頼りましょうか>


『ホットケーキ』

その日ボクは、水瀬家にて一人留守番をしていた。
迂闊にも寝坊しちゃって、気付いた時には皆それぞれの用事で出かけちゃっていたからだ。
うぐぅ、書き置きだけ残していくなんてあんまりだよぅ…。
なんて思いながら、一人台所に立っていた。
今回の料理をどう対処しようか、相談する前にこんな一人きりの状況になって困っていた。
うぐぅ、夜までに戻ってこなかったらいやだなぁ…。
なんて思いながら、とりあえず材料だけは揃えてみた。

『●ホットケーキ
子供のおやつに最適!
簡単なメニュー』

これなら簡単だよね。と思いながら、台所をごそごそと。
ホットケーキの素ってのが丁度あったので、それを用意。
後は、その説明書きに従った材料を用意して…
一つにまとめて混ぜて…
油をしいて温めたフライパンに材料を流し込み…
蓋をして待つ…。
「やっぱり簡単だよね。よかった、これならもう完成したも同然」
えっへん、とフライパンの前で胸を張ってみる。
ちょっと時間がかかりそうだけど、もう後は待つだけだし。
………
まだかなー
………
うぐぅ、ちょっと長いねー
………
もうそろそろいいんじゃないかなあ…
………
ぴんぽーん
不意に呼び鈴が鳴る。
誰だろ…ひょっとして祐一君たちが帰ってきたのかな?
でも、呼び鈴が鳴ったってことはお客さんかな?
どっちにしても玄関に向かわなきゃ。
うぐぅ、もうちょっとで出来るのに…。
名残惜しそうにフライパンを見つめながらも、ボクはキッチンを後にした。
「はーい、今いきまーす」
少し遅れたけど、大きな声で返事をする。
どたどたと玄関へかけより、扉を開けるとそこに居たのは…
「こんにちは」
「美汐ちゃん?こんにちは」
美汐ちゃんだった。手に包みを持っている。
真琴ちゃんに用事なのかな?
「突然ですみません。少しホットケーキを作ってみたのですが、
自画自賛したくなるほどの出来でありまして…真琴にあげようと持ってきました」
やっぱり真琴ちゃんに用事なんだね。
しかもホットケーキだって。惜しかったなあ、もう少し待ってればこれをご馳走になることができたのに。
…なんて、ボクがねだっちゃいけないよね。真琴ちゃんに持ってきたものだし。
「でも…真琴ちゃんなら留守だよ。どこかへ出かけたみたい」
「そうですか…。いつ帰ってくるかとか分かりますか」
「うぐぅ、ボクにはわかんないなあ…」
「そうですか…。では、とりあえず上がって待たせていただいてもよろしいでしょうか?」
料理を作った美汐ちゃんとしては、直にあげたかったのだろう。
もちろんボクは頷いた。
「いいよ。とりあえずリビングで待ってれば」
「それではお邪魔します。ところで…何かにおうのですが…」
「ああ、それはホットケーキの匂いじゃないかな。
実はボクもさっきまで作ってて、もうすぐ出来上がりなんだよ」
「そうでしたか…しかし…少し焦げ臭くありませんか?」
「え?」
言われてくんくん、と匂いをかいでみる。
すると…それはたしかに、何かがこげるような匂い…のような…。
「うぐぅ!?た、大変だー!!」
どたどたどた
美汐ちゃんを玄関に残して慌ててキッチンへ向かう。
そして、フライパンをばっと見やると…
「あれ?」
特に黒い煙が立ち昇ってたりするわけでもなかった。
それでも、急いで火を止めに向かう。
かちっという音とほぼ同時にぱかっと蓋を開けると、そこにはこんがりきつね色のホットケーキ。
よかった…無事出来上がってたみたい…。
「月宮さん」
いつの間にか、美汐ちゃんがきっちんにまでやってきていた。
持っていた包みをテーブルの上に置きにきたんだろう。
それにしてもびっくりしたよ。焦げ臭くなんていわれちゃったから。
「あ、美汐ちゃん。ホットケーキはこげずに仕上がってたよ」
「それはそうでしょう。焦げ臭くもありませんでしたから」
「え…」
うぐぅ、もしかしてボク騙されたの?
「しかし月宮さん。火をつけたまま傍を離れるのは好ましくありません。
今回は何事もありませんでしたが、もしも火事になってたりしたらどうするのですか?」
「うぐぅ…そうだね…」
言われて見ればそのとおり。火をつけっぱなしで玄関にきちゃったのはたしかにまずかったよね…。
そっか、美汐ちゃんは瞬時にそのことを気にしてボクに言ったんだ。
凄いなぁ…ボクにはまねできないよ。
「もしも事が起こっていたならば…食い逃げに放火が、月宮さんの犯罪履歴として加わるところでした」
「………」
放火って違ってない?しかも食い逃げがさりげに出てくるなんて…。
うぐぅ、やっぱりボクにはまねできないよ。
でも…ボクが悪かったのは事実だよね…。
「うぐぅ、ごめんなさい」
「以後、十分お気をつけください」
「うん、心得ておくよ」
「はい。…さて、折角なので月宮さんのホットケーキを戴いてもよろしいでしょうか?
お返しといってはなんですが、私のホットケーキも振る舞いますよ」
「え、あ、うん。是非そうしよ」
「そうですか。では準備のほどを…」
お皿から飲み物から、二人でてきぱきと用意をする。
そんなこんなで、その日の午後はちょっとしたお茶会が開かれる事になって…
美味しいホットケーキを作れて食べられて、ボクはとっても満足だよ。

<作る時はお気をつけあそばせ>