『猫の食いかけ』

『●猫の食いかけ
猫が食い逃げしたような
状況の魚』

「良かったな、名雪」
「良くないよ…」
「何を言ってるんだ、猫好きだろ?」
「祐一こそ何言ってるの…。猫が好きでも食い逃げは好きじゃないよ」
祐一のしょーもない繋ぎの言葉に、わたしはめいっぱいふてくされる。当然の反応だ。
まったくもう、祐一はもうちょっとちゃんと言葉を選んで発言してほしいよ。
とここで、祐一はあゆちゃんの方をびしっと見やった。
「聞いたかあゆ」
「何を?」
「食い逃げは好きじゃないそうだぞ」
「それがどうしたって言うの…」
「白々しい奴だな…食い逃げのプロだろ?お前」
「プロじゃないってば!」
「そうだよ。せめてアマチュアって言ってあげてよ」
「うぐぅ、名雪さんも酷い…」
「わ、ごめん」
うるるとなみだ目になるあゆちゃんを慌てて慰める。
う〜、祐一が変なこと言い出すからだよ。
…今わたし達は、わたしの所にやってきた本を囲んでわたしの部屋で会議中。
メンバーは、わたしを含めて、祐一とあゆちゃんとの3人。
まさか猫さんを含んだ食べ物があったなんてって驚いたけど…
こんな料理名じゃあちっとも嬉しくないよ。それどころかブーイングたっぷりだよ。
「イチゴの食いかけならまだ愛嬌があったのに…」
「名雪、イチゴは魚を食ったりしないだろう?」
「違うよ。誰かが食べたイチゴの食いかけだよ」
「なんだよ。ヘタしか残ってなくてもいいってのか?」
「うー、それは既に食べ切ってるのと同じだよ…」
「いいや、あゆのことだからきっとヘタは最後に…」
「ちょっと!どうしてそこでボクの名前が出てくるの!?」
「食い逃げといえばあゆ、あゆといえば食い逃げだから」
「違うよ!そんな発想は忘れてよ!」
「食い逃げのエキスパートはそんなこと言わないぞ」
「うぐぅ、エキスパートじゃないよっ!」
…なんか、堂々巡りみたい。さっきからこんな調子で全然話が進まない。
うー、これじゃあ会議にならないよー。
「さて、ふざけるのはここまでにしてだ」
「あ、祐一。名案浮かんだの?」
「とりあえずあゆが魚を猫の格好でもして食い逃げして、それを名雪が食えばよしだろう」
「ちょっと!何がよしなの!?」
「そうだよ祐一。今猫の格好なんてできる道具がないよ?」
「うぐぅ、名雪さんそういう問題じゃ…」
「心配するな、こんな時のために佐祐理さんから以前借りた着ぐるみが俺の部屋にある」
「うわぁ、用意いいね、祐一」
「だから!そこで解決する問題じゃないでしょ!?」
「万事オッケーだろ。魚はすぐ用意できるし、食い逃げもマスターがここにいる。後は猫だ」
「へぇ〜…」
「へぇ〜じゃないよ名雪さん!祐一くんもそんな案を通そうとしないでよ!」
「ようし、オレがすぐに用意してきてやる。お前ら二人はここで待ってろ」
「う、うん、わかったよ」
「うわあ、本当にそんなの実行しようとしないでぇ!!」
「…いや、名雪だけでいいな、待つのは。というわけであゆだけ付いて来い」
「うん…」
「うぐぅ、人の話を聞いてぇ!」
「じゃあな」
「待ってよ祐一くん!」
ばたん
いそいそと祐一とあゆちゃんが去ってゆき…部屋に残されたのはわたしだけ。
………。
ふう…ちゃんと止めればよかったかな。でもああなった祐一はなかなか止められないし…。
………。
もしかしたら口ではああ言ってるけど本当にちゃんと用意してくれるかもしれないし…。
………。
でも大丈夫かなぁあゆちゃん。ホントに人様の家に食い逃げを強要されてなきゃいいけど…
………。
うー、祐一だったらホントにやりかねないよ…。
………。
そうなったら大変。わたしが止めないと!
よいしょ、と立ち上がる。そしてわたしも部屋を出…
がちゃり
「お、待たせたな」
「うぐぅ…」
祐一とあゆちゃんが戻ってきた。
予想通り…というか、本当にあゆちゃんは猫の着ぐるみを身につけていた。
全身真っ白なふさふさの毛に覆われていたそれは、
てっぺんの方にちょこんと耳が出てて、もちろん尻尾も生えてて…うー、かわいー。
こんなの本当にあったんだ…うー、秘密にしていた祐一には後で怒らなきゃいけないよ。
でもかわいー。
更には…あゆちゃんは一匹の魚を口にくわえていた。
「あゆちゃん、もしかして…」
「いいや、約3名ほどの協力してもらって正規に手に入れた魚だぞこれは。
さすがに身内の犯罪を推奨するわけにもいくまい。あゆは心底したそうだったが…」
「うぐぅっ!」
口に魚をくわえながらあゆちゃんがうぐぅと叫ぶ…どっから声出してるんだろ?
「まぁともかくだ、ちゃんと魚もあり、猫の食い逃げ的なものでもあり、条件は満たしてるはずだ。
というわけでこれを名雪が食ってくれ」
用意してくれていたお皿の上に、あゆちゃんがぽんと魚を置いた。
なるほど…猫のカッコをしたあゆちゃんが食い逃げしたような魚ってことだね。
「ありがとう祐一、あゆちゃん。これならバッチリだね、わたし信じてたよ」
「うぐぅ、名雪さん半分信じてなかったような口調…」
「でも…本当の猫さんが食い逃げしてないとまずくないかな?」
「その点は大丈夫だ、なああゆ」
「うん、そうだね…」
「えっ?本当に猫さんが食い逃げを?」
「まぁそこは想像に任せておく」
「そういうことだね」
「へえぇ〜…」
よくわからないけど、裏でちゃっかりと更なる準備をしていたみたい。
これは参ったよ。祐一にあゆちゃんに大感謝だね。
「いただきます」
「ああ、召し上がれ」
「あのぅ、ボクのこの格好いいかげん変えてもいい?」
「ダメだよあゆちゃん。可愛いのに」
「そうだ。せめて名雪の食事が終わるまで見届けてやれ」
「うぐぅ…」
可愛い猫さんに見られながら。
わたしは猫さんの食いかけ魚を食べましたとさ。

「ところで名雪」
「何?」
「いつものねこーねこーはどうした」
「そういわれても…あゆちゃんは猫じゃないでしょ?」
「だそうだあゆ。お前は失格だな」
「うぐぅ…そういわれてもこれ着ぐるみだし…」
「それより祐一、その着ぐるみ頂戴?」
「いや、これは借り物だと言っただろ。だから持ち主に交渉しろ」
「え〜?」
「え〜?ってお前なあ…」

<にゃ〜>


『八宝菜』

「八宝菜…まともなのが出てきてよかったわ。さっさと作っちゃいましょ」
朝は憂鬱な気分だった。
けれども料理を見るなり上機嫌になったあたしだった。
夜に腕前を見せるべくちゃっちゃと作ってその日を終わろう。
そのつもりだったのに…。



「悩むなあ…。白菜、玉ねぎ、人参、葱、それから…」
「やっぱりピーマン、茄子、じゃないか?後は…」
「二人とも、そんな一般なものじゃなくてもっと高級な…そう、燕の巣とかはどうですか?」
気が付けば、うちに何故か北川君と相沢君がやってきていた。
名雪は部活だとかでこれなかったけど…。
で、栞と三人で八宝菜に使う材料について議論しているってわけ。
「高級か…よし!こうなったらステーキと大とろだ!」
「阿呆か北川。二つとも野菜じゃないだろ。ここは一発、秋子さん特製のワインを!」
「祐一さんのそれも野菜じゃありませんけど…」
「ふっ、今のは軽い冗談だ。野菜といえばスイカ!これっきゃない!!」
「また微妙なとこをついてきたな…。よし、それに応えて俺も大根とカブを勧めておこう」
「あのー、やっぱり燕の巣にしません?佐祐理さんに頼めばすぐですよ」
…三人とも絶対に真剣にやる気なしね。誰が食べるか分かってるのかしら。
聞いてるうちにいらいらが募り、あたしはとうとう我慢ができなくなった。
「ちょっとあんたたち、いいかげんにしなさいよ!
あたしはねぇ、豚肉、筍、椎茸、白菜、玉ねぎ、人参、葱、うずら、これでいくんだからね!」
どんっ、と机を叩いて抗議を投げつけた。
すると三人はじろりとあたしを睨みつける。思わずたじっとなったところへ、相沢君が本を指差してきた。
「おい香里、本には何て書いてあったか分かってるのか?」
「そ、それは…」

『●八宝菜
スープでとろみを付けた
8品野菜の炒め物』

…とまあ、こんな感じ。
8品野菜なんてふざけた説明が入ってるもんだから、三人とも躍起になっちゃって…。
寄ってたかって変な作戦会議なんて開いてるってわけ。
いいかげんにしてよね…。なんで会議なんて開く必要があるのよ…。
「8品野菜だろう?つまりは8つの野菜。この条件を満たさなきゃならない!」
「相沢の言うとおりだぞ美坂。もしその規則破ってみろ。もう見逃してくれなくなる」
「見逃す?潤さん何かやったんですか?」
「あ、いや…とにかく!美坂、俺たちがちゃんと8つの野菜を考えてやる!」
「そうだ。というわけで香里は材料が揃うまで休んでろ」
「うんうん。お姉ちゃん、なんなら私達で八宝菜も作るから」
…とことんふざけてるわねえ。
八宝菜ってのは、要は八種類の野菜を差してるわけじゃなくて、食材って認識でいいのに。
しかも、八ってのはたくさんって意味合いでとらえていいのに…。
なんでそんな細かいところにこだわるのよ。…もうやってらんないわ。
そろそろ限界だったあたしは、いそいそとエプロンを身につけて仕度を始めた。
「おい香里、何をやろうとしてるんだ」
「何って、料理よ。八宝菜をつくるの」
「ちょっと待てよ美坂、オレ達が材料をちゃんと決めるまで…」
「だまらっしゃい!あたしは普通に八宝菜作るんだからね!?」
「お姉ちゃん、早まっちゃダメだよ。もうちょっと…」
「何よ。邪魔したら怪我するわよ?」
ぎらん、と手に持つ包丁を光らせる。
その影から思い切り三人を睨みつけてやった。
あたしは普通に済ませたいのよ…という怨念をありったけ込めて。
「「「………」」」
三人とも沈黙した。
「そう、それでいいのよ。大人しくあたしが料理を仕上げるのを待ってなさい」
既に材料は用意している。先ほどあたしが告げた八種類の食材を。
中華なべを取り出して、慣れた手つきで料理料理。
ただ…結局相沢君と北川君に料理を振る舞わなきゃならなくなったってのが、
なんだか癪に触るんだけどね…。

<いっぱいいっぱい>


『ハンバーグ』

「ほほう…普通ですね」
最近はこの本も物騒になったものだと、相沢君からよく聞かされています。
そして彼がしょっちゅう倉田さんに頼っていたばかりに、
彼のみならず大勢が彼女の元へ…まあ、僕もその一人ですがね。
しかし、この料理ならば頼ることもありません。わざわざ彼女の手を煩わせることもないでしょう。
ここは不肖久瀬が…。
「自ら料理し、倉田さんに振る舞うといたしましょう…ふふふ」
と、もう意気込みは十分です。



…というわけで、商店街へ繰り出しました。
行うべきは必要な材料をそろえるという事。
そして倉田家へ出張料理を行うのです。ケータリングとまではいきませんが…。
当然それなりに自信はあります。だからこそ行くのです。
そう、すべては倉田さんのために…。
「あれっ?」
「?」
「あっ、こんにちは!」
不意に挨拶を投げられました。
見ると、目の前に一度は見た顔が笑っています。
いい笑顔ですね。しかし倉田さんの笑顔には敵いますまい…。
「…こんにちは。ええと、月宮さんでしたっけ」
「うん。そういうあなたは久瀬さんだよね。お買い物?」
「ええそうです、ハンバーグの材料を…」
つい言ってしまい、しまったと僕は口を慌てて押さえたのですが…
「ええっ?ハンバーグ!?」
彼女には十分聞こえてしまったようです。
しかもその反応はただならぬものがありました。
…ふむ、仕方ない。ここは一緒に倉田さんの家へ向かうとしますか。
誤魔化して別れたとしても、あらぬ所から誤解を招きかねません。
火の無い所にも煙が立つ。相沢君の周りはそんなものですからね…。
「ええ、ハンバーグですよ。ご覧になってください」
と、私は例の本を開けて見せました。

『●ハンバーグ
子供達の大好きメニュー!
色々なバリエーションがある』

「なるほど!任せて久瀬さん、ボクが腕によりをかけて作るから!」
「い、いえ、あの、これは僕が…」
「この間受けた炭素の屈辱忘れてなるもんか…前哨戦だあ!」
「は?」
炭素?屈辱?前哨戦?
…非常に嫌な予感がします。これは事情を聞いてみる必要があります。
更に言えば、彼女に決して料理を任せてはならない気が多分にします。
ここは気を引き締めて尋ねておかねば!
というわけで、倉田家への道中、過去の経歴を聞き出す事にしたのです。

「…なるほど、そういうわけでしたか」
「うん。だから今度こそ…」
意気込む彼女に水をさすようで悪い気がしたのですが、ここは厳しく接しました。
「残念ですがあなたに料理をさせるわけにはいきません」
「うぐぅ…どうして?」
思った通り涙目になります。ここで続く言葉を誤れば、僕の立場は非常に悪くなるでしょう。
しかしここは上手く乗り切らなければなりません。
「今回は僕の元へ本がきましたからね。僕が料理をするのが筋というものです」
「大丈夫だよ、他の人に頼るなんてしょっちゅうあることじゃない」
「いいえ。自分で作れない時は別ですけどね、今回のような料理は別です。
しかもそれが人に振る舞えるとなると更に無い機会です。
ここは黙って、僕が作るハンバーグを倉田さんと共にご賞味いただけませんか」
「うぐぅ…そこまで言うなら仕方ないね…。うん、ご馳走になります…って、いいの?」
「はい?」
「元々ボクは自分で作るつもりで佐祐理さんの家に向かってたから…」
おや、随分と謙虚ですね。
「気になさることはありませんよ。どうぞいらしてください。
なあに、二人分も三人分もそう変わりません」
「うぐぅ、ありがとう」
そんなこんなで、無事に倉田家に到着した僕達は…
倉田さんの手厚いお招きと、僕自身の気がこもったハンバーグにより、
いい夕食をいただいたのでした。

<平和とはいいものですね…>


『ビーフシチュー』

「…祐一」
「なんだ舞」
「牛丼が…」
「もう分かったから。それ言ったの何十回目だ?」
「………」
祐一はそっけなく返事をしてくる。
牛肉の騒ぎだか問題だかがあって、当分は牛丼が気軽に食べられない危機的状態。
そして今回は…

『●ビーフシチュー
牛肉が沢山入った
ちょっと豪華なシチュー』

…だ。
当てつけにもほどがある。酷い、この本は本当に酷い。
こんな時に牛肉を要求してくるなんて。
しかも牛丼じゃなくてシチューだなんて。
一体この私にどうしろというのだろう。
…そんなわけで祐一に相談してみた。
「牛丼が食べたい」
と。
ぽかっ
「痛い…」
無言で殴られた。
「お前な、今回は牛丼じゃなくってビーフシチューだろうが」
「でも…」
「でももへちまもない!」
「うん、へちまじゃない」
ぽかっ
「痛い…」
どうして殴られているのだろう。
「声も人物も違うし口癖も言ってないのに…」
「何の話だ。いらんものをここに持ち込むな!」
「祐一がぽかぽか殴るから」
「関係ない!第一、本の料理を食べたいと相談に来るならともかく、
別のものを要求してくるだと?恥を知れ!」
恥…。
「祐一」
「なんだ。ハジにはすのこがいいとか言ったら今度は本気で怒ってやる」
「…?」
「ち、違ったのか。すまない、忘れてくれ」
「うん」
「で、何だ、何を言いたかったんだ?」
「…私は恥じゃない」
ひどい事を言われた気がするので否定の意を唱えたのだった。
真剣な目つきに、祐一はぽりぽりと頭をかいた。
「…悪かったよ、言いすぎた。ともかくビーフシチューだよな?」
「………」
こくりと今度は頷いた。
「よーしよし。でもなあ、俺に頼むよりは佐祐理さんの方が確実じゃないか?」
最もな意見だった。けれどそれには従えない。
「佐祐理には普段から頼りすぎてる。だから申し訳ない」
「まあたしかに…」
「祐一なら恩返しになるから」
「は?…ああ、俺が頼りにした時に舞が手伝ったから、その恩返し…
ってちょっと待て!それは恩返しとは言わん!」
「じゃあ何」
「えっとだな…」
「情けは人の為ならず?」
「そうだ、それだ。情けを人にかけるとその人のためにならないから…」
「違う」
「は?」
「情けを人にかけると、それが廻り廻って自分のところにかえってくるから…人の為じゃなくて自分の為」
「…ああ、そういう意味だっけか。…なんかそれも嫌な意味だな」
「そう…」
「そんなことより話を戻すぞ。ビーフシチューを頼まれた俺としては、素直に応えるのは無理だ」
「無理?」
「当たり前だ。俺が作れるわけないだろう?」
「大丈夫」
「その根拠の無い自信はなんだよ」
「大丈夫、祐一なら」
なんだかんだ言って祐一はいつも料理を作ったりしてきた。
ほとんど料理経験が無いと聞いていたあの祐一が、今や立派なシェフだ。
「大丈夫、シェフだから」
「違う」
「祐一シェフ」
「だから違うってーのに。…まあ、なんとか作ってみるけどさ」
「よかった」
早速私達は行動を開始した。
材料を集めて、料理の場所を確保…。
「どうせ水瀬家の台所借りるから、それならいっそ秋子さんに頼む方がいいと思うんだけどなあ…」
決まったあとも、祐一はぶつぶつと独り言を言っていた。
そんな祐一が作り、私のみならず秋子さん含め皆に振る舞ったビーフシチューは…。
「…普通」
そんな味だった。
「悪かったな、普通で。…まあ、普通に美味しいだろ?」
「うん。…普通が一番」
「…そうだな」
無事に終えた、そんな一日であった。

<牛丼が復活するまで頑張ろう>


『ヒラメのムニエル』

「ふむふむ…」
帰り道。私はいつものように…いえ、いつもなんて来られるとこちらも困りますが。
…時折見られる趣味の如くに、例の食物本を読んでいました。
それにしてもこれは、あからさまに鮃さんに犠牲になっていただかないといけない料理ですね。
なんて思っていようものなら…。
ざんっ
来ましたか…。
予想どおりというか、重みのある足音と共に彼女が姿を現しました。
振り返れば、私と同じく学生服姿です(帰り道なので当然ですが)
違うのは、私が一年の制服ならば彼女は三年の制服であるということ。
そして、右手に持つ一本のはたき…はたき?
「川澄先輩。それははたきではなくて払い串ですね?」
こくり
自分で自分の考えに疑問を持って尋ねたというのに、わざわざ頷いてくれました。
さすが丁寧な方ですね、川澄先輩は。
「美汐、鮃さんは私がまもる!」
そして名乗りをあげてくれました。…いえ、名乗りではありませんね。
まあどちらでも構いません。私がとるべき行動は、最終的に料理を食すのみです。
さてどうしたものでしょう…。
「…川澄先輩、私が嫌だと言ったらどうするつもりですか?」
「………」
尋ねてみると、動きが止まりました。
さすがにはたきを手にして斬るとは言えなかったようです。
「…祓う」
と、意外な答えが返ってきました。
私は悪霊なのでしょうか。私も侮られてしまったものですね…。
「仕方がありません。ここは…」
「鮃さんは私がまもる!」
「水瀬家へ!」
「美汐を祓う!」
さっぱり会話がかみあっていません。(元々会話をしているつもりもありませんが)
ともあれ、私は秋子さんがいらっしゃる水瀬家へと足を向けました。
そう、彼女ならばこの窮地を救ってくださるに違いないのです…。



「おかあさんはあゆちゃんとお出かけしてるけど?」
到着してみれば、出迎えてくれた名雪さんの言葉に私はあっさり崩れ落ちました。
なんということでしょう。これでは川澄先輩に祓われてしまいます。
現世に身をやつしてきた天野美汐の最期なのですね…。
「…冗談じゃありません。どうして私が祓われなければいけないんですか」
「って、わたしに言われても困るんだけど…」
「名雪さん、こうなったら名雪さんが身代わりになってください」
「…怒るよ?」
さすがに冗談が過ぎましたか…。
「冗談です。ともかく名雪さん、秋子さんが戻られるまで私を…」
ばささっ
「わぷっ!」
「捕まえた」
突如布切れが頭を覆いました。
まぎれもなく川澄先輩のはたき攻撃です。私はしとめられてしまったのでした。
…屈辱です。川澄先輩に捕まったのは相沢さんだけと聞きました。
私は相沢さんと同レベル…いえ、それ以下に落ち込んでしまったのでしょうか?
一度だけ逃げてすぐにつかまるなんてどんじりもいいとこです。
「もうどうにでもしてください…」
私は諦めました。
「わかった。祓う」
ばささっばささっ
「わっ、わっ、ちょっと待って!えーと、舞さんも美汐ちゃんも落ち着いて、ね?」
川澄先輩はどうだか知りませんが私は落ち着いてますけどね。
「もうすぐお母さん戻ると思うから、頼んでみるよ、うん」
「名雪」
「な、なに?」
「鮃さんは私がまもる」
「そ、そう…」
名雪さんの説得も空しく、川澄先輩はひきませんでした。
仕方がありません。これも運命ですね…。

『●ヒラメのムニエル
ヒラメに小麦粉をまぶして
焼いた食べ物』

こうして、私は運命を受け入れ…。
その後、何故か水瀬家で目的の料理を食したのでした。
祓われた後何があったのか…もはや私の記憶にはありませんが。

<祓いまぶし>


『ファイナルチャーハン』

「…いきなりきましたね」
いえ、いきなりでもないですけど。
品名を見るなり頭を抱えてしまいそうな料理であることは間違いありません。
こんなときこそお姉ちゃんに…。
「…頼ったら多分膝蹴り三連発をくらいそうだからやめとこうっと」
「誰が膝蹴りしてほしいって?」
「うわわわっ!お姉ちゃん!!」
朝起きて本に見入って呟いていたら…気が付くとおねえちゃんはそこにいた。というところでしょうか。
「って、ノックも無しに入ってこないでよ!」
「ノックならかなりやったけど…。あんたがそんなにその本に熱中するなんて珍しいわね。
…いえ、いつものことね」
むう、お姉ちゃんそれは失礼だよ。
「でも…順番からしてバニラアイスなんてものは過ぎてるはずよねえ?一体何?」
「お姉ちゃん私のすべてはバニラアイスと思ってるでしょ…」
「そうよ」
きっぱりといわれた。
「そんなことないもん。…おねえちゃんの方こそ本に興味津々だけど、料理手伝ってくれるの?」
「まさか。見るだけよ。妹の健気な姿を見守るの」
相変わらずお姉ちゃんヒドイ…。
とは口に出さず、とりあえず本の中身を見せてみた。

『●ファイナルチャーハン
最高のチャーハン。
ご飯が金色に輝いている』

「…頑張ってね」
お姉ちゃんは早くも応援席に逃げた。“頑張りましょうね”じゃないのが何よりの証拠。
「いいもん。佐祐理さんか秋子さんに頼むから」
私はこういう料理の頼りどころを自分で心得てるつもり。
本当はお姉ちゃんに頼りたいけど…本人が嫌なら仕方ないよね。
「いい人選のようだけど、前者はどうかと思うわよ」
「どうして?」
「倉田先輩のことだから…
“あははーっ。溶かした金に漬け込んだチャーハンですよーっ”
とでもくるんじゃないの」
「わ、お姉ちゃんがモノマネしてる…」
ぽかっ
「うぐ、なんで殴るの…」
「変なとこに目をつけてんじゃないの。とにかく姉としては後者の秋子さんに頼ることをお勧めするわ」
それってお姉ちゃんの見解じゃ…。
と思ったけど、なんとなくお姉ちゃんの言うことももっとものように思えます。
自分で言うのもなんですが、佐祐理さんにはとことんやりつくす、つまりは妥協の無いところがあります。
となると、金をたっぷり絡ませてくるのは間違いないでしょうから…。
「わかった、秋子さんに頼ることにする」
「それでよろしい。あ、ついでにあたしもご馳走させてもらうから」
「お姉ちゃんなんかあつかましい…」
「つべこべ言わないの。こんな料理滅多に食べられるもんでもないじゃない」
「それはそうなんだけどね…」
いつもと違ってお姉ちゃんがプラス思考なのに驚きです。
でもそれは多分自分のとこに本が降りかかってないからなんだろな…。



その日の夕刻。水瀬家は秋子さんを訪ねました。
本のことを話すと、れいのごとく…
「了承」
と、一秒で引き受けてくれました。
うーん、さすが素晴らしいです。私にもそれくらいの度量があれば…。
「栞。引き受ける際には後先を素早く考えなさいよ」
「………」
羨望の眼差しが、お姉ちゃんの一言であっという間に曇ってしまいました。
もう、お姉ちゃん水差し過ぎ…。
そうこうしているうちに問題のチャーハンは出来上がり…。
「お待たせ。金箔をまぶした豪華なチャーハンですよ」
秋子さんの文言と共にごとりと置かれたそれは、たしかに金色に輝いていた。
…結局金(きん)が絡むんだね。
それでも、美味しくいただいたのには間違いありません。
「それにしても…本当にファイナルですよねえ、これは」
「どういうことですか?秋子さん」
「何回もこんな料理作ったら家計が火の車になっちゃうわ」
「そうですよね…」
だから、無理に金を使う必要は無いと思うんですけど…。
と、お姉ちゃんと目で頷きあったのはナイショです。

<さ・い・ご・の>


『フィレの塩釜』

「潤、覚悟」
それは授業中。堂々と授業中。
今まさに当てられて教科書を広げようとしたその時。
教室の扉の向こう…いや、窓の外からそんな声が聞こえたのだった。
「…相沢、呼んだか?」
「なんでお前を呼ぶ必要がある」
「それもそうだな…」
空耳だろう。そう思って朗読を始め…
ガシャン!
…ようと思ったら窓が割れた。
何事!?
と、教室の誰もがそこに注目し、そこには…
「潤、覚悟」
空耳ではなかった、俺が先ほど耳にした言葉を呟く川澄先輩…いや、舞さんがそこにいた。
って、ここ、一階じゃないよな?しかも窓割って入ってきてるよな?
そんな疑問を一瞬浮かべた、その刹那に俺は床に叩きつけられた。
「ぐはっ!」
お決まりの叫び声を上げる。
天井の手前に見えるのは、紛れも無く舞さん。
そう、俺は彼女にマウントポジションをとられてしまったのだ。
「潤、覚悟」
三度目、彼女は呟いた。その手に持つのは…シャープペンシル。
とがった切っ先をヘタなところに刺されたらまず命が無いのは明白。
「って、お、俺何かしました?」
「潤、覚悟」
四度目。…っていうか人の話聞くつもりないみたい。
なんで…なんで?
激しく疑問にかられている最中、どっかからのんびりした声が聞こえてきた。
「北川〜。舞に襲われてるのってこれが理由じゃないのか〜?」
相沢のヤロウ、余裕かましやがって…と思いつつも、
奴の言うことに心当たりがあった。そう、原因はあの忌まわしい本…。

『●フィレの塩釜
高級牛フィレを塩で囲んで
蒸し焼きにした難しい料理』

「多分牛が出てたから舞が怒ったんだろうなー」
のんびりと追加の解説を相沢が入れてくる。
そんな理由で?と思わずにはいられなかったが、舞さんが固執してるのは間違いない事実。
っていうか誰かこの状況を助けてくれよー!
と思ったその矢先に…
がらっ
「舞ーっ、こんなところにいたんだ」
「佐祐理…」
「ダメだよ、今は授業中だよ?邪魔しちゃいけないって」
「でも…」
「フィレの塩釜なら今晩佐祐理のうちで作る予定だから」
「…わかった」
突如、そこに平穏な空気が戻る。
そして俺は解放された。
そして…



何事も無かったように夜が来た。
そして俺は倉田邸に呼ばれ、目的の料理を…
「っておい!こんないいかげんでいいのかよ!?」
「あははーっ、いいんですよ」
「美味しい…」
「ほら、舞も美味しいって言ってますし」
「いや、あの、だから!」
「北川、細かいことを気にしてると大きくなれないぞ」
「そうそう。これ美味しいじゃない、ねえ、名雪」
「うん、絶品だよ〜」
ちゃっかりと一緒にお呼ばれしている相沢、美坂、水瀬。
こいつらには違和感という言葉は無いのだろうか。
だいたい、佐祐理さんには料理のことなんて一切知らせてないし、舞さんにだって…!
…いや、それを思うのは今更なのかもしれない。
と、かなり理不尽な思いをしながらも、俺は納得してフィレの塩釜とやらを食すに至った。

<いいかげんにおしまい>


『フィレの握り』

「…次は俺の番か」
やれやれ、とため息を吐き出す。
つい先日北川にフィレがどうたら事件が発生したと思ったらこれだ。
明日はわが身、とはよく言ったものである。
しかし、ここで舞に絡まれようものなら相沢祐一の名折れってものだ。
素早く先手を打ち、舞の先をゆく!
「…なんてことはできたためしはないのだが」
「祐一…」
ざざっ、と足音がしたと思ったら舞の声が聞こえてきた。
言い忘れていたがここは俺の部屋。舞の声がしたのはベランダから。
余裕で窓の向こう側に姿も確認できた。不法侵入を堂々とかましたってところだろう。
けど多分この状況でも秋子さんは“了承”とか言って終わりなんだろうな…。
あなたはどこまでいっても寛大な人ですよ、ほんと…。
「祐一、フィレさんは私が護る!」
雪かき棒を片手に高らかに宣言してきた。
「フィレさんってなんだよ…」
「覚悟!」
がんっ、がんっ
俺の突っ込みもなんのその、舞が窓ガラスに攻撃をしかけてきた。
「こらっ!人の家を破壊しようとするな!」
ここは俺の部屋ではあるが、家そのものは水瀬家のものだ。
舞がやろうとしているのは明らかに器物破損。警察沙汰になってもおかしくない。
「…わかった、やめる」
状況を素早く察知したのか、舞は大人しく攻撃をやめた。
ふう、素直で助かった…。
「…っておい、何をしようとしてる」
「これで鍵を開ける」
舞が取り出したるはコンパスのような形状の刃物。
よく泥棒がガラスに穴を空ける際に使う代物だ。
これとガムテープを組み合わせてなるべく音を経てずに家屋に侵入…。
「こら!やめろ!そんなことしなくても窓くらい開けてやるから!」
「…わかった、やめる」
再び、舞は素直に細工をやめた。
まったくもって困ったもんだ。人の家を壊してまで護るとかどうとかしようとするなんて…。
ぶつぶつと呆れながら、俺は窓の鍵をガチャリと空けてやった。
ガララララ
「ほら、入れよ」
「…祐一、ありがとう」
「だいたい、なんだってわざわざベランダにあがってんだ。やってることが絶対おかしいぞ」
「真琴に入れてもらった」
「………」
あのヤロウ…。不法侵入極まりないとか思っていたら手引きした奴がいやがったのか…。
後でとっちめてやんないといけないな…。
ただそれより、気になる点が一つある。
「舞、フィレがどうとかはもういいのか?」
舞を部屋に招きいれた後から気付いた(俺も間が抜けてるな)が、舞はフィレさんとやらを護るためにきた。
俺が被害に遭うのは確定だったはずなのだが…。
「…敵に塩は送れない」
「なんのこっちゃ…」
俺が塩を送ったからってことか?
…まあいい、平和に済めるならば済んでおけってもんだ。あとは…。

『●フィレの握り
フィレ肉を寿司ネタにした
変わったお寿司』

この料理を秋子さんにお願いしておしまいだな。
「祐一」
「なんだよ」
「やっぱりフィレさんは私が護る」
「………」
舞の気が変わったみたいだった。
やばい、やっぱり部屋に入れたのは失敗だったのか!?
やっぱり俺は余裕なんて見せちゃいけなかったのか!?
「覚悟…!」
「どわあああ!!」

…暗転。
自らの失敗と、内部からの手引き者により、俺は多大なる被害を受けた。
そして問題の料理は…多分食べたんだろう…。

<いいかげんでおしまい>


『フカヒレスープ』

「あぅ、フカヒレ…」
この前祐一からフカヒレは贅沢なものだって聞いた。
それを真琴に食えと本がやってきた。
ただ食べるのは構わないけど贅沢ってのは困っちゃうのよねぇ〜。
秋子さんにすんなり頼むってのも気が引けちゃうし…。
「あぅ、どうしよ…」
そうだ、こんな時は外に行って考えてみようっ。
誰かいい人に出会うかもしれないしね♪
そんなわけで真琴は早速街へ繰り出す…。

「…あぅ、寒い…」
ちょっと薄着だったかもしれない。
ぴゅうと吹く風が妙に身体に染みる。こういう気候を体の骨まで冷やされる、とかって言うのね。
うーん、風流風流。
ぴゅーっ
「あぅーっ」
風は構わずどんどん吹いてくる。
もう風流なんてどうでもよくなっちゃった。
結局誰にも会えなかったし、やっぱり帰って秋子さんに頼もうかな…。
「どうしました、真琴」
くるりと家へ体を向けようとしたその時、声をかけられた。
この声は…。
「美汐ーっ!」
「はい、あなたの美汐ですよ」
声でばっちりわかった。優しい微笑みを投げてくれる美汐は、真琴を抱きしめてくれた。
あったかい…いい人に本当に出会えちゃったよ。
「わーいっ、よかったーっ」
「どうかしたの?」
「あぅ、実はね…」
早くも真琴は料理のことを思い出しながら、例の本を美汐に見せた。

『●フカヒレスープ
フカヒレを長時間煮込んだ
高級スープ』

「…なるほど。原因はこれなのですね」
「うん。高級だし贅沢だし、秋子さんに迂闊に頼むのもあれだし、真琴どうしようかなって…」
「大丈夫です、私から秋子さんに頼んであげましょう」
「あぅ、そうじゃなくってぇ…」
真琴は秋子さんに頼るんじゃなくって、自分の力でなんとかしたいのにぃ。
…なんて、無理だよね。誰かに頼るのは間違いないだろうし。
「分かってますよ。真琴は自分の力でなんとかしたいのですね?ふふ…」
「あ、う、うん、そう」
なんだ、美汐はちゃんと分かってるんだ。だったら安心だね。
でも…その不敵な笑いが気になるんだけどぉ…。
「私がフカヒレを手に入れられる場所へ連れてってあげます。
大丈夫、材料さえ仕入れてくれば、後は秋子さんが料理をしてくれることでしょう」
「ほんと!?でも、料理も…」
「真琴。いかに優れた食材でも、それに伴った料理ができなければ活かせないのですよ。
大丈夫、今回の料理で秋子さんから調理法を学んだ後でも遅くはありません」
「そう…だよね、うんうん!じゃあ美汐、早速フカヒレを手に入れよ!」
「ええ、そうしましょう。…久しぶりですね、あそこは…」
美汐が遠い目をした。けどあたしの目にそれは入らなかった。
とにかく食材を手に入れるってことで頭がいっぱいで…。



…その日の夜。美汐に案内された場所で…多分真琴はフカヒレを手に入れて…
無事に秋子さんにそれを料理してもらっていた。
もちろん美汐も一緒に夕飯としてそれを食べる、客として家に来ていた。
でも真琴は、秋子さんに料理を教えてもらう、なんてどころじゃなかった…。
「それにしても真琴、こんなにたくさんのフカヒレどこで手に入れたの?」
「あぅ…思い出したくない…でも思い出せないの…」
「えっと、たしか美汐ちゃんに手伝ってもらったのよね?」
「うん…」
「私からは企業秘密と言っておきます」
「あらあら…それは困ったわね」
ちっとも困ってなさそうな顔で秋子さんは料理を続ける…。
美汐はずっと静かな微笑をたたえていて…。
無事に真琴は料理は食べられたけど…あぅ…あぅーっ…。
「真琴」
「な、なに、美汐」
「フカヒレスープが食べられてよかったですね」
「あぅ…」
大きな謎を残して…今回の料理騒動は終わりとなっちゃいましたとさ。

<それは企業秘密なの>