『オリジナルブレッド』

「…ふわふわ」
一番に浮かんだ言葉がこれだった。
そして、この言葉は本にも載っていた。
とってもいい感じ。好きな感じ。
でも…この料理の作り方がわからない。
どうしよう、やっぱり佐祐理に頼るしかないのだろうか。
それとも祐一…。
「そうだ、パンと言えば…」

思いついてやってきたのは水瀬家。
今まで何かと来る機会が多かった場所。
学校、佐祐理の家の次に多いかもしれない…。
ぴんぽ〜ん
呼び鈴を鳴らす。
「うぐぅ、今いきまーす」
このうぐぅは…
がちゃ
「あ、舞さん?いらっしゃい」
あゆだった。
扉が開く前から分かっていたことだったけど。
「どうしたの?誰かに用事?」
「秋子さん…」
「うぐぅ、ごめんね。秋子さん今買い物に出かけちゃってるんだ。
真琴ちゃんと名雪さんも一緒に付いて行っちゃって…。
三人が出かける時に丁度ボクはお昼寝してたから、気遣って起こさなかったんだろうけどね。
だからこうやってお留守番してるんだ。あ、祐一君もいるよ。二階でまだお昼寝中みたい」
「お昼寝…」
いい響き。私も佐祐理の家でよくやってた。
あれはたしかかくれんぼの最中。佐祐理の家のソファーの上で。
…けど困った。秋子さんが居ないんじゃ頼れない。
祐一には…多分この料理は頼れない。
「…どうしよう」
「何か困りごとなの?だから秋子さんに相談にきたんだ…あ、もしかしてあの本?」
多く語っていないうちにあゆからどんどん喋ってきた。
けれどばっちりその通り。だから素直に頷いておく。
こくり
「あ、やっぱりそうだったんだ…。じゃあとりあえず上がらない?ボクでよければ力になるよ」
笑顔であゆはこんな事を言って来た。
祐一がたしか“あゆは炭料理マスターだから気をつけろよ”とか言っていたけど…。
今回は多分炭とは関係ない料理だと思う。だから喜んで頼ってみよう。
「…お邪魔します」
「うん、どうぞどうぞ」

あゆに招かれるまま家の中へ。
からっぽのキッチンへと二人並んで腰かけ、早速例の本を開ける。

『●オリジナルブレッド
特殊製法で作った
ふわふわのパン』

「うわあ、ふわふわだって。作りがいがありそうだね」
あゆの目が嬉しそう。
それで私は再び空想する。ふわふわにつられて…。
…ふわふわのパン。ふわふわと肌に触る。かぶりつくとふわふわが広がる。
口の中いっぱいに、ふわふわが満たされる。こくんと飲み込んだ後もふわふわ…。
「…ふわふわ」
「よーし分かった。腕によりをかけてボクが作ってみるよ。もちろん舞さんも一緒にね?」
「ふわふわ」
「舞さん?」
「ふわふわ」
「………」
「ふわふわ」
「うぐぅ、ちゃんと話を聞いてよぅ」
ふわふわという言葉に夢中になっていると、あゆが涙目になっていた。
何か悲しいことでもあったのだろうか。ここはなぐさめておかないと。
「よしよし」
なでなで
やさしく頭をなでてみた。
「うぐぅ、ボクからかわれてるのかな…」
不思議そうな顔。でも、それもすぐに別の顔に変わる。
「ええーい、とにかく料理スタートだよ!さあ舞さん、一緒にオリジナルブレッドを完成させよう!」
「…うん」
こくり、としっかり頷いておく。
あゆはもう元気になった。これなら料理も大丈夫だと思う。
きっと素敵なふわふわができるはず。

…数十分、二人して材料と格闘。
台所のあちらこちらから、パンの材料となるものをあゆは取り出してきた。
普段から秋子さんの手伝いをしているんだろう。だからたくさんの材料が。
そして、それがどんどん失われていくのがよくわかる。
無尽蔵という言葉に近いほどの量が、目に見えるほどに減っていったから。
けれど完成品らしきものは無事に出来上がった。今は焼き上がりを待っているだけ。
それにしても…。
「パンなんて初めて作った」
「あ、そうなんだ。えっへん、ボクは秋子さんから色々教えてもらってるからね」
あゆは得意そうに胸を張る。
そんなこんなで果たしてパンは出来上がったけど…。
「ふわふわ…」
では無かった。まっくろくろくろ。とっても固い。
「あ、あれ、こんなはずじゃあ…でも、見た目に反して実はふわふわかも!」
出来上がったパンにあゆがナイフを入れる。
がきん
ナイフがはじかれた。びゅーんと飛んでったそれは、遠くの床にからんからんと金属音を立てた。
「あ、あはははは、失敗、したみたいだね」
「ふわふわ…」
怒りがこみ上げてきた。
「で、でも大丈夫!多分味はオリジナルだから!」
「ふわふわ…!」
味わうなんてできそうになかった。固すぎて食べられそうになかった。
「だ、だからそんな恐い顔しないで、ね?舞さん?」
「ふわふわ…!!」
とうとう心の何かが音を立てて切れた。手に金属物を持って走りたい衝動にかられた。
「うぐぅ!ナイフ持って追いかけてこないでぇぇ!!」
だだだだだだだ…



たくさんの追いかけっこの後、買い物から帰ってきた秋子さんにちゃんとしたパンを作ってもらい、ふわふわを食べた。
ちゃんとふわふわだった。事なきをえた。
やっぱり頼る人物はもっと考えよう…。

<ふわふわ…>


『海鮮サラダ』

サラダですか…。
「むむむむ…」
私は今真剣に本とにらめっこをしています。
サラダ。相手にとって不足はありません。
丁度今日はおねえちゃんが留守なので、一人でも作ってみようと思い立ちました。
帰ってきたらびっくりさせるためです。
“よく作ったわねえ栞…。えっと、食べてもいいの?…そう、ありがと。じゃあ早速…。
…うん、美味い!さっすがあたしの妹だわ”
「なんてなんてなんて!」
作る前から胸算用。お姉ちゃんの喜ぶ顔が目に浮かびます。
よーしっ、張り切って作らなきゃ!
とは思ったんですけど…

『●海鮮サラダ
魚と野菜を使用した
豪華なサラダ』

…なんなんでしょう、この材料は。
野菜を切るのはともかく、お魚なんてなかなか用意できません。
商店街で買い物でもしてきましょうか…。
けれども、私は魚をさばいたことは…少しならありますけど…。
それに何より、豪華ってどういうことでしょうか。
どれほどまでに材料をこめれば豪華になるのでしょうか。
以前に祐一さんが行った手法はとりたくありません。なので人には頼らないと決めました。
しかし…。
「ほんと、どうしよう…」
ついつい途方にくれてしまいます。
………
………
………
………
………
………
………
「…あの、栞さん」
「は、はい!?」
ひたすら悩み考え込んでいる時に突然声をかけられてしまいました。
一体誰が…
「あれっ、美汐さん?」
「はい。料理のお手伝いを頼まれた天野です」
「え?えっと…」
深々と頭をさげながらも美汐さんは応えてくれましたが…
料理のお手伝いという言葉に引っかかりました。
どういうことでしょう。今回は私一人で片付けるつもりでいたのに…。
「あの、私お手伝い頼みましたっけ?」
「ええそれはもう。私の心に響くくらいに」
にべもなく美汐さんは言葉を投げてきました。
きっぱりと正々堂々と…いや、まっすぐにと言うべきでしょうか。
それほどに真実を語るべく応えてくれたのですから。
「大丈夫です。私が来たからにはもう大丈夫ですよ。油断無く海鮮サラダを完成させましょう」
「は、はあ、どうもありがとうございます…」
美汐さんが早速腕まくりをしています。
非常に心強いその姿ではあったのですが、私の心境としては少し複雑。
何故って、本当は私一人で作るつもりでいたのですから。
と思っていたら、美汐さんはこちらをじっと見つめてきました。思わずその視線に戸惑います。
「…そうですね、どうせなら栞さんは寝ていてください」
「ええっ!?」
「大丈夫ですよ、目が覚めたら既に完成しています…」
「いえ、あの…」
「眠ってください〜眠ってください〜」
「わた…し……が…作………ら……な……い…………と…………」
奇妙な言葉の元に…私は意識を失いました…………。






「…おり、栞」
「う、うーん…あれ?お姉ちゃん?」
気が付くと、そこはキッチン。目の前にはお姉ちゃんが立っていました。
腕を胸の前で組んで…いつものお姉ちゃんです。
「お姉ちゃん?じゃないわよ。テーブルに突っ伏して寝てるなんて…何やってたの?」
「何って、料理…あ、これだよこれ。海鮮サラダ!」
視線を向けたすぐ先には見事に出来上がった海鮮サラダが!
レタスなどの野菜に加えてワカメといった海藻はもちろんのこと、魚貝類がふんだんに使用されています。
本の説明書には野菜と魚だけって書いてあったのに…材料が豪華です、本当に。
けれども…こんなの私作ったっけ?
「その料理はたった今あたしが買ってきたのよ」
「えっ!?あ、そ、そうだったんだ…」
なんということだろう。私が寝ちゃっている間にお姉ちゃんが本に気付いて気をつかってくれたに違いないです。
嬉しいけど…なんだか悔しい。お姉ちゃんをびっくりさせるつもりでいたのに…。
「どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない。ありがとうお姉ちゃん」
「いえいえ」
軽くお姉ちゃんは言葉を流す。けど私は不自然な事に気が付きました。
あまりにもみずみずしいその材料は、とても買ったものとは思えません。
どこかの料亭から持ち帰ったとか…そう見えるほどです。
そこで、私は尋ねました。
「お姉ちゃん、本当にこれ買ったの?」
「え?ええそうよ。パック入りのね」
「でもこんな豪華すぎるの見たこと無い…」
「あ…ああ、それは新商品だからね」
「本当は作ったんじゃないの?」
「な、なんであたしが」
「だって、ここまで盛り付けされてあるし。それに流しの方だって…」
私が指さした方は、既に綺麗にされていました。
しかし私は気付いたのです。海鮮サラダに盛り付けされていた一部…そう、海老の殻が一部落ちていたのを!
「…細かいわよ栞。そんなの気にしないの」
「でも…」
「たまたま買った中に入ってたから、そんなものはどけておいたのよ」
「なんで流しに落ちてるの?」
「流しで盛り付けしたからね」
「なんで流しで?」
「そりゃああんた…水があった方がいいじゃない」
「…分かった、もう追求するのやめておくね」
「あんたね…」
中途半端に止めたところで、お姉ちゃんは少々呆れ気味です。
無理もありませんが…。
とにかく私としては素直に感謝しておかなければいけないかな。
そして心の中で私はお礼の言葉をつぶやきました。“ありがとう、お姉ちゃん”と。
でも…次こそは私がしっかり作るからね。

<…ま、頑張りなさいね。>


『がちがち卵』

バシン!

朝起きるなり、あたしは書物を壁に投げつけた。
心地いい音ね。まったく、最悪の始まりだわ…。
非常に気分が悪い状態でいると…
どたどたどた…
がちゃり
誰かが走ってくる音。そしてノックも無いまま扉が開く。
その張本人は栞だった。
「ど、どうしたのお姉ちゃん?」
かなり慌ててるその顔は、本の音を聞いてってことかしらね。
心配してのことなんだろうけど…運が悪かったわね栞。あたしは今とっても機嫌が悪いのよ。
くるりと栞に顔を向けた。とてもとても怖い形相で。
「栞、ノックも無しに入ってくるなんてどういう了見かしら?」
「え、えっと、その…大きな音がして、心配になって…」
「へえ〜?じゃあ栞がなんとかしてくれるわよねえ?あの忌々しい本の要望を」
言いながらあたしは、部屋のすみっこに落っこちているうっとぉしい書物を指差した。
乱暴に扱った所為か、ページが折れて半開き状態になっている。
ぱんぱんと埃を払いながら栞は本を拾い上げた。
「………」
おもいきいり沈黙してるわ。きっと料理の内容を見たんでしょうね。
さあ、黙ってないで何か言ってごらんなさいな。
「…分かったよお姉ちゃん。私がなんとかしてあげる」
「へえ〜?本当に?」
「うん。ちょっとした当てがあるから」
自信満々ではなかったけど、栞は言ってのけた。料理を用意すると!
あたしとしてはちょっと不安だけど…まあいいわ、そこまで言うんなら任せることにしましょ。
「じゃあ頼んだわよ栞」
「うん。あ、でも出かけないといけないかな。お姉ちゃん仕度して?」
「栞が用意してくれるんじゃないの?」
「もう〜、当てがあるって言ったじゃない。ここじゃあ無理なの」
「はいはい」
どっちがわがまま娘だかわかりゃしない口ぶりで栞は急かしてきた。
なんでもいいわ。楽に済むなら。栞に全部任せちゃいましょ。



数刻後。あたしと栞はよく見知った家の前に立っていた。
もちろん自分の家ではなくて、相沢君…いいえ、名雪の家ね。
「ここなの?」
「うん」
堂々と頷く栞にあたしはため息を吐き出した。
「あんたねえ、名雪のお母さんに頼ろうっての?」
「違うよ」
これまた堂々と、瞬時に栞は応えを返してきた。
「…違うの?」
「うん。まあいいから私に任せて」
「う、うん…」
見違えたわね、栞…。
と思いたくなるほど、栞が非常に頼もしかった。
ぴんぽーん
「はーい、今いきまーす」
呼び鈴を鳴らすと家の中から声がした。
秋子さんでも名雪でもない、この声は…。
がちゃり
「あれっ、栞ちゃん?と、香里さん?」
あゆちゃんだった。
「こんにちは、あゆさん。今日は折り入ってあゆさんにお願いがあって来ました」
「ボクにお願い?」
お願い…まさか栞ったら…。
「はいっ。料理のことなんですけど…」
「ええっ!?ど、どうぞあがってあがって!」
栞の言葉に、あゆちゃん相当意外だったような反応を見せた。
料理で頼られて嬉しいってのがまるわかり…栞も残酷なことするわねえ。
複雑な心境のままあたしと栞は、あゆちゃんに招かれるまま家の中へ足を踏み入れた。

「さて、作って欲しい料理と言うのはゆで卵なんです」
「ゆで卵?
「はい、味付けゆで卵です。以前あゆさんが作ったっていうことを祐一さんから聞いたので…」
「わかった!それで栞ちゃんも食べたくなったんだね?」
「はい」
「しかも一人じゃあ勿体無いからってことで香里さんも一緒に来たんだ?」
なんとも言えないほどの喜びに満ち溢れた瞳をこちらに向けてくる。
そんな目をされちゃあ頷くしか出来ないじゃない。ったくぅ、うらむわよ栞…。
「え、ええまあそんなとこね」
「うわあっ。よーし、ボク頑張って作るね!」
張り切りを見せんばかりに腕まくり。エプロンを素早く装着。
ダメだわ、この時点であたしからはもう真実は言いたくなくなっちゃった。
「じゃあそこに座って待っててね」
「はい」
栞ははいはい返事しちゃってるけど…しかもよくもまあそんなににこにこしちゃって…。
呆れる暇も無く、あゆちゃんはキッチンへ意気揚々と向かって行った。
美味しいゆで卵を作る気満々で…。
「…ちょっと、栞」
あゆちゃんに聞こえないように栞に耳打ちをする。
「何?お姉ちゃん」
「何?じゃないでしょ。あんた一体どういうつもりよ。当てってあゆちゃんのこと?」
「うん。大丈夫、失敗したらそれこそ当たりだし。
成功したら成功したで、改めてがちがちを頼めばいいし」
「あんたね…」
すました顔でさらっと答えてくる栞には、もはや感心せざるをえなかった。
もういいわ。栞に頼るとあたしも決めたんだし。こうなったら腹をくくりましょ。

…そうやって身構えている間に時は過ぎ、あゆちゃんお手製のゆで卵が仕上がった。
手鍋に数個のゆで卵が入っている。緊張しすぎて時間がどのくらい経ったのかわからなかったけど…。
「ねえあゆちゃん」
「何?香里さん」
「味付けゆで卵って言ったけど、これ味染みてるの?」
見た目、色は何も変わらなかった。普通のゆで卵と同じだ。
「大丈夫!一回作ったんだから!」
そういう自信はどうかと思うけど…。ま、いいわ。とにかく食べましょ。
皿に盛り付けがなされる。見た目シンプルなそれを…あたしはじっと見つめた。
ふうむ、本当に見た目は普通のゆで卵ね…がちがちにしても味付けにしても…何が違うのかしら。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
「はいっ。どうぞ召し上がれ」
いたって普通に挨拶がなされる。そしてあたしは箸を手に取った。
とりあえず半分くらいに割らせてもらいましょうかね。
がりっ
「へ?」
箸をナイフ代わりにして半分に割ろうとしたら、奇妙な音があがった。
がりっ…って、これはひょっとするとひょっとするかも…。
こうなったらもういいやと思い、あたしはゆで卵を手に取った。
そして口の前に持って行き、一口をかじる…
がりっ
「がっ!…か、固い…がちがちじゃないの…」
「ええっ?そ、そんなぁ…」
素直なあたしの感想に驚いたあゆちゃんも卵を手に取る。そしてかじる。
がりっ
「うぐぅ!か、固いよぅ…」
あたしと同じ感想を吐き出した。
「うーん、あゆさんこれ失敗したんじゃないんですか?」
一口もかじらずにあたし達の様子を見ていた栞がのんきに言った。
なんだか許せないわ。一人被害から逃れているなんて。
「ちょっと、あんたも食べなさいよ」
「だって二人ので失敗って分かってるじゃない。ここは別の食べ方を試みた方がいいんじゃないかなって思うんだけど」
「別の食べ方?」
聞き返すと、栞は三人それぞれが持っていた卵を手鍋に再び集めた。
「もう一度じっくり煮込めばきっとふやけて柔らかくなると思いますよ、あゆさん」
「そうなの?」
「どうしても柔らかくならなければ、すりこぎか何かで擦ることにしましょう」
「うぐぅ…」
もっともな意見…もしくはいいかげんと言いたくなる手法で栞は卵の件について逃げた。
呆然と見ている中、てきぱきと用意。再びあたし達は待ちの時間に入るのだった。
「うぐぅ、ごめんなさい。ちゃんとしたもの作れなくて」
「いいですよ、あゆさん。また今度お願いしますね」
「うんっ」
笑顔の二人。そうやって卵騒動は幕を閉じた。
まさしく栞の思い通りに。あたしの料理目的も果たせて…。

「しっかしねえ…」
結局夕飯を水瀬家でご馳走になるということになった。
やはりというか待ち時間に、ぶつぶつと呟きながらあたしは本の内容を見返してみた。

『●がちがち卵
本当に卵かな?
と思うくらい固い』

「こんなのをどうやったら実現できるんだか」
「あゆさんが実現したでしょ?」
「けどねえ…」
「それだけで納得しておくのが吉だよ。作った本人に知らせちゃだめだからね」
何もかもを心得ているかのように栞は告げた。
あたしとしては、どうやって作ったらこんなものができるのか非常に知りたかったんだけど…。
…まぁいいわ。ここは大きく取り上げずにそっとしておきましょ。
栞の言うとおりだものね。

<知らぬが仏>


『カニタマ』

「了承。じゃあ真琴は活きのいい蟹を買ってきて頂戴ね」
「らじゃー!」

『●カニタマ
たっぷりとカニと卵を
使用しました!』

真琴には手に負えない料理だと判断したので秋子さんに相談した。
そしたらあっさり了承。う〜ん、やっぱり秋子さんってばどんな時も頼りになるぅ〜!
けど、蟹を買ってきてっていきなり言われちゃったのには少しびっくりしたけどね。
蟹って高いって聞いてたから…。
“真琴の肉まん数百個分はするぞ”
なんて祐一は言ってたけど…それだったらなんだか勿体無いなあ。
真琴としては蟹一匹より肉まん数百個に埋もれて暮らすほうが…
「いけないいけない!」
ぶんぶんと頭を横に振る。のーみそしぇいくで立ち直り!
ふう、あやうく悪魔の囁きみたくの祐一の囁きに乗るところだった。
へっへーん、真琴は誘惑なんかに負けないもん!
それに、さすがに後で秋子さんからたっぷり叱られちゃうだろうし…。
なんてやってるうちに新鮮な素材を扱ってるっていうお魚屋さんにやってきた。
目についたのがでっかい水槽。おおっ!泳いでる泳いでるぅ!
「ねえねえおじさん、そこの蟹はくろーるとかしないの?」
「はっはっは、蟹にクロールは無理だよお嬢ちゃん。なんだい、今日は蟹を買いにきたのかい?」
「うんっ!肉まんの誘惑に負けずにやってきたんだから!」
得意げにふふんと胸をはる。けど魚屋のおじさんは首をかしげただけ。
もーう、真琴の決心てものが分かってないんだからぁ。
「いいから蟹ちょうだい、蟹。とびっきり活きのいいやつ!」
「蟹はいいけど、お嬢ちゃん一人でもって帰るつもりかい?」
「え?」
言われて真琴ははたと気が付いた。
そういえばこの蟹って結構おっきいよねえ…。
幅が真琴の体くらいあって、とてもじゃないけど真琴一人だけじゃ持てないかも…。
「あぅーっ…」
「無理そうだったら誰かもう一人くらい連れてきな。お嬢ちゃんの分はとっておくから」
「うん…じゃあそのおっきいの」
「これかい?よしわかった、お嬢ちゃんの予約を入れておくからな。じゃあまたおいで」
「うん…」
魚屋にくるりと背を向け、とぼとぼと引き返す。
あぅ、こんなはずじゃなかったのに…。
ざっ
「あぅ?」
ざっ、っていう音がすぐ前でした。
丁度真琴はうつむいていたから何の音か分からなかったけど…視線の先には誰かの靴が見えた。
そして、それと一緒にぷらすちっくの棒みたいなのが見えた。ずっと辿ってていくとそれは…旗だった。
えっと、たしか学校の体育祭とかで使うやつ…。
「って、なんでそんなものが!?」
と、その旗を持っていたのは真琴よりちょっと背の高い女の子…舞っていったっけ。
夜中に学校で剣を振り回したりしてる危ないやつ…
「許さない」
う、うわっ、いきなりなに?
「カニさんは私が護る!」
言ったそばから、舞は手に持っていた旗を“ぶんっ”と振り回してきた。
ちなみにその舞の服装は体操着。きっと体育の授業か何かの途中でやってきたんだと思う。
「ってー!なんで真琴が狙われなきゃならないのよぅ!」
「カニさんを食べようとした」
「あのねえ。今回真琴が食べなきゃならないのはカニなの!だからそんな事で狙われちゃあたまらないわよぅ!」
「…覚悟!」
ぶんぶんっ
「うわわわっ!」
「………」
ぶんぶんぶんっ
「あぅーっ!」
「………」
ぶんぶんぶんぶんっ
舞は無言のまま旗を思い切り振り回してくる。
なんとか紙一重でかわせてるものの、このままじゃあやられちゃう!
「逃げるが勝ち!」
だだだっ
真琴は一目散に走り出した。
「逃がさない!」
だだだだっ
舞も走り出した。
「あぅーっ、なんで真琴がこんな目にあうのよぅ!」
走りながらそういえば、と思い出した。
たしか祐一が動物さんものを食べようとしてると、必ずこの舞が襲い掛かってきたって言ってたっけ。
命からがら逃げ延びてなんとか祐一は食べてたみたいだけど…
「真琴にまで襲ってこなくってもいいじゃないのよぅ!」
ぶぶんっ
舞の足はかなり速いのか、真琴のすぐ後ろにまで迫っていた。
「あぅーっ!」
追いつかれたらやられる!
必死に真琴は走った。走った、走った、走った…。



懸命の真琴ダッシュにより、なんとか舞からは逃げ切った。
家の玄関で一息つく。ふう、危ない危ない…。
「あら真琴、お帰りなさい」
「あ、秋子さん。怖かったよ〜」
恐怖におびえた声で秋子さんにしがみつく。
「どうしたの?何があったの?」
「あぅーっ、舞に追いかけられたの」
「あらあら、大変だったわね。真琴は無事みたいだけど…カニは無事だった?」
もぅ、秋子さんたら。あっそうだ、カニを手に入れないといけないんだよね。
「えっとね、ちょっと大きすぎて真琴一人じゃ持てそうになかったから、
誰かもう一人一緒に来てくれないと…」
「あらそうなの。でも困ったわねえ。今私以外誰も居ないし。私もこれから用事があるし…」
“うーん”と秋子さんが悩んでいる。
あぅーっ、どうしてこんなことになるのよぅ。ぜんっぜん普通に終わらないじゃない。
「そうだわ。もうすぐしたら祐一さんかあゆちゃんが帰ってくるから、
そのどちらかと行ってらっしゃい」
祐一かあゆ…。
あぅ…どっちも頼りなさそう…なんて言ってられないか。
「うん、分かった。二人のうちどっちか帰ってきた方と買いに行くことにするね」
「ごめんなさいね、それでお願いするわ」
「うんっ!」
秋子さんが笑顔になってくれた。そして用事を済ませにお出かけしてゆく。
よーっし、それじゃあ後は祐一かあゆが帰ってくるのを待つだけ!
張り切って待つわよぅ!



…その後、先に帰ってきたあゆと一緒に出かけたんだけど、
結局舞に追いかけ回されちゃった。
しかもあゆの奴ったら真琴より先に走って逃げていっちゃうんだもん。
蟹をしっかり持っててくれたから助かったけどね。
後で祐一に聞いたら“あゆは食い逃げで鍛えてるからな”って言ってた。
そっかぁ、食い逃げかあ…。
「あゆっ!次は真琴負けないからね!」
「うぐぅ、張り合われても…」
「でも食い逃げしないと勝てないかなあ…」
「しなくていいよそんなの!」
あ、ちなみにカニタマは無事に食べられたからね。

<材料集めで一騒動>


『殻付き卵焼き』

「殻がついたものなら、たしか以前潤さんが食べられましたねえ…」
というわけで、佐祐理は早速ある場所へ向かおうとしました。
けれどもふと気付いたことなんですが、佐祐理はこれまで色々頼られてきたものの、
いざ自分に廻ってくると人に頼ってばかりですねえ。
…あ、でも最初の鰻は自分で作ったんでした。
ならば安心ですね。安心してある場所へ向かうことにしましょう。



「で、なんであたしのところに来るんですか?」
玄関の前で香里さんがこちらをじろりと睨んでいます。
はぇ〜、どうして怒っているんでしょうか…。
「佐祐理は潤さんのお友達が香里さんだって聞きましたから」
「へえ…って、なんで北川君が関係あるんですか?」
「潤さんは踊りいっきを見事にやってのけましたから」
「踊りいっき?」
「はい、そうです」
あの時奮闘された潤さんの話を佐祐理は存分に語りました。
結局最後は別のものをいっきしたものの、見事な踊りいっきであったことを強調して。
すべて話し終えた後も…やはり香里さんはこちらを睨んでいました。
はぇ〜、どうして怒っているんでしょうか…。
「倉田先輩、それであたしにどうしろと?」
「えっと、ですから、香里さんもご一緒に殻を食べてみませんか?と」
「だからなんであたしが…」
「潤さんのお友達ですから」
「そういう理由なら最初っから北川君に頼んでください」
語調がきつくなってきました。
はぇ〜、佐祐理のアピールが足りませんでしたか…。
しかしこのまま引き下がっていては潤さんに申し訳が立ちません。
ここはとっておきのセリフを出すことにしましょう。
「あははーっ、そんな事言う人きらいですーっ」
「………」
無言…。
まさに香里さんはそれそのものでした。
いえ、むしろ無言の背景から大いなる圧力を感じます。
はぇ〜、これはやってはいけなかったのでしょうか…。
「ったく、栞の影響はひどいものね…あながち教祖ってのも嘘じゃないかも…」
「はぇ?教祖ってなんですか?」
「なんでもありません。…分かりました、あたしも付き合います。殻つきを食べるのを」
「いいんですか?ありがとうございます〜」
一時はどうなることかと思ってましたが…良かったです、さすがは栞さんの決めぜりふですね。
今度から切り札として香里さんにはこの言葉を…。
「その替わり倉田先輩。今度さっきのセリフ言ったら問答無用で怒りますからね」
「…は、はいっ」
きつい口調で、香里さんは念を押してきました。
どうやら一回限りだったようですね。さすがは切り札です〜。
やはり、“切り札は先に見せるな、見せるなら奥の手を用意しろ”ってのは本当だったんですね〜。
「どうしたんですか?うちに入らないんですか?」
「えっ?」
考え込んでいたら、玄関の扉を半開きにした状態で香里さんに呼びかけられました。
「は、はいっ、すみません〜」
「…妄想にふけるのも栞に影響されたんですか?」
「ふぇっ?」
「いえ、なんでもないです…。さ、どうぞ」
「お邪魔します〜」
こうして佐祐理は香里さんの家にやっとの事で入れたのでした。

『●殻付き卵焼き
殻が付いたまま焼く?
普通?』

さて、ここからが佐祐理の腕の見せ所です。
目的の料理と一緒に、他の色んな料理を作ります。
既に香里さんにはテーブルの前に座って待ってもらっています。
準備万端ですねーっ。
「あの、問題の料理を作るのはあたしじゃないんですか?」
「いえ、作るのは佐祐理ですよ?佐祐理は一緒に食べる同士が欲しかったんです」
「同士…そんなまた相沢君みたいなことを…」
「祐一さんがどうかしたんですか?」
「なんでもありません。じゃあ手早く料理を作っちゃってください」
「はいっ」
誤魔化したかと思うと、ぷいっと香里さんは黙り込んでしまいました。
さっきもそうでしたが、どうも香里さんは呟きを聞かせない傾向にありますね〜。
うーん、どうしてなんでしょう…。
…なんて気にしていてはだめですね。佐祐理はしっかりお料理しないと。
よしっ、と腕をまくります。
取り出したのは一個の生卵。それをそのままフライパンの上に落としました。
ぐしゃり
いつもとは違った音を立てて卵は割れました。
熱されたフライパンの影響で、すぐに卵は固まり…あっという間に卵焼きの出来上がりですねーっ。
「はぇ〜、こんな簡単でいいんでしょうか…」
悩んでいると、香里さんががたっと大きな音を立てて立ち上がりました。
相当激しく怒っているみたいです。
「ちょっと倉田先輩!いくらなんでも生卵を丸ごと一個焼きます!?普通!?」
「でも、この本には…」
「それは卵を割ったときに殻が入ってしまったって状態じゃないんですか!?」
「あ、なるほどーっ。香里さんは頭いいですね〜」
言われて見て非常に納得できました。
「頭…。はぁ、作る前に気付いてほしいわ…」
頭を抱え込みながら、たくさんため息を吐き出しながら、香里さんは再び座ります。
大丈夫です。他の料理でしっかりカバーしますよーっ。
「あの、倉田先輩」
「はい?」
「先に問題の料理をとっとと食べちゃいませんか。他のと一緒に食べるなんて嫌ですから」
「うーん、でも…」
「お願いします。あたしはそんなものはさっさと片付けちゃいたいんです」
深刻そうに香里さんは言葉を吐き出しました。
相当思いつめているみたいです…これは言うとおりにした方がよさそうですね。

…というわけで、先ほどの玉子焼きをお皿に盛り、二人ではんぶんこしました。
口に入れて噛むと…
がりがりがりがり
「…やっぱり殻が付いてるとおいしく無いですねえ」
「当たり前です…。ったく、つい先日も似たようなの食べたのになんであたしが…」
「はぇ?」
「なんでもありません」
ぶつぶつ呟いたと思ったらまた香里さんは黙り込んでしまいました。
無理もありませんねぇ。この料理は佐祐理にとっても遠慮したいものでした。
けれども、その後でちゃんとおいしいお料理でふぉろーしました。
その時は香里さんもとってもおいしそうに食べてくださって、佐祐理としては満足でしたーっ。
でも香里さん、呟く時は相手に聞こえないように呟いてくださいねーっ。
佐祐理はとっても気になってしまいます。

<あははーっ、そんなこと呟く人嫌いですーっ>


『カルビクッパ』

「肉、か…」
しみじみと呟く。思えば久しく肉は食っていなかった気がする。
俺の最近のメインディッシュといえば…。
「お酒ですね」
「そう、お酒…どわあっ!」
ま、また秋子さんが!?と思って隣を見ると、そこには誰も居なかった。
「変だな…」
「祐一さん、前ですよ、前」
「前?」
言われた通りに前を見る。するとそこに栞がいた。
「よお栞、どうしたんだ?そんなところで」
「祐一さんすっごく白々しいです…」
ぷいっとそっぽを向く栞。
さすがに今の態度はまずかったか…。
「すまん。…で、今回の料理についてなんだが」
「はい」
「栞に頼ってもいいか?」
唐突な俺の言葉に、栞は唖然。無理もない。
普段アイスしか料理していないような、
普段からいっきしか考えてないような、
そんな健気で密かに強かな娘にこの横文字料理が作れるだろうか?
作れるかもしれないが、相当難儀なはずである。
「祐一さん…非常に失礼なこと考えていませんか?」
「気のせいだ」
「いいえ、相沢さんは考えていますよ」
「うわわっ!」
いつものように誤魔化していると、天野が突然出現した。
「人をモンスターみたいに言わないでください」
言って無いぞ…。
「美汐さん、祐一さんはなんと考えていたのですか?」
「はい。相沢さんは栞さんのことを、“アイスしか能が無くていっきに命をかける、
あえかな恐怖少女だあなかしこ”と考えておられました」
「おい…」
ところどころしかあって無いぞ。それにあなかしこってどういうことだ。
「そうなんですか…酷いです祐一さん。あんまりです」
「栞、俺はそんな事は考えてないぞ」
慌ててフォロー。出鱈目を信じられちゃあたまったもんじゃない。
「だって美汐さんがそう言ってるじゃないですか」
「真実とは残酷なものですね…」
こいつらわ…。
「ところで祐一さん、私は秋子さんがうらやましいです」
「なんでだ」
「だって、祐一さんの男らしいいっき姿をお酒でご覧になってるわけじゃないですか」
俺はいっきなんてしてないんだが…。
「お酒のいっきは禁じられてるぞ」
「それ以前に未成年の飲酒は禁じられてますが」
そのツッコミはやってはいけないぞ栞。
今更過ぎるし…。
「栞さん、相沢さんならきっと今回も素晴らしいいっきを見せてくれますよ」
「そうですね、そうでした。期待してます、祐一さん」
二人そろって期待のまなざしを向けてきた。
毎回思うことなんだが、どうして俺の番になるとこうも強引な展開が多いのだろう。
こういう疑問も含め、果たして今回無事に料理を食べられるのだろうかと不安になるのだった。

『●カルビクッパ
カルビ肉が入った
具沢山クッパ』

そして肝心の料理。
天野邸にて、天野と栞が共同料理作成をおこなってくれた。
やはりというか唐突だった。
そしてこれまた唐突に、まるで何万年前からのお約束だったかのように…
「祐一さん」
「相沢さん」
「「男らしくいっきをお願いします」」
いっきをせがまれた。
もはやいっきなしに俺が料理を食すことはないのかもしれない。
ぐっばい、俺のいっき無し人生…。
しみじみ思いながら、がしゃがしゃがしゃと、クッパを食べる…。
「さあ栞さん、相沢さんがクッパを食べ終わりましたら今日から相沢さんがクッパですよ」
「はい?…って美汐さん、その手に持ってらっしゃるのは何ですか?」
「ブロックをたたいて出現させた火の花です」
「火の花?」
「はい。これを用いて火の球を投げるんです」
「はあ…」
「大丈夫です。5発当てれば私達の勝利です」
「もしくは斧を取る、のでしょうか?」
「そうです。良く分かっていらっしゃいますね」
俺がいっきをやっている間に奇妙なやりとりが二人の間で交わされる。
…逃げよう、これを食い終わったら。

<逃げられませんよ>


『カレイの煮物』

朝寝返りをうったらばさっと本が頭の上にかぶさってきた。
目覚ましが鳴る前だったけど、びっくりして起きちゃったよ。
「案外いい目覚ましかもね」
くすりと笑いながら、目をこする。うーんと伸びをして中身を見やった。

『●カレイの煮物
カレイをじっくりと
煮込んだ食べ物』

「うーん、カレイかあ…」
たしかお母さんが最近そういう魚を仕入れたって言ってたよね。
うん、材料はそろってる。今夜のメニューはこれに決定だよ。
「でも…折角だからたくさんの人にご馳走したいな」
もちろん今でもうちには全部で5人住んでるから、たくさんって言えばたくさんなんだけど。
でも、わたしとしては5人よりたくさんがいいよ。

「…で?あたし達に?」
「うん。香里と栞ちゃんを是非誘おうと思って。お母さんに言ったら一秒で了承してくれたよ」
学校、休み時間。早速香里にわたしの希望を告げた。
特に嫌がるでもなく、香里はまんざらでもないみたい。
「了承はいつもと同じでしょ。まあいいわ、まともな料理みたいだから付き合ってあげる」
「よかった。じゃあ栞ちゃんを誘ってね」
「ええ。…ところで名雪」
「何?」
ちょっぴり怪訝そうな顔で香里は顔を寄せた。
「北川君忘れてない?」
「あっ、そういえば」
「ちゃんと誘っておきなさいよ。アイキャッチ出てなくてすねてんだから」
「ふぇ?」
「…なんでもないわ。ま、後で話しておきなさいよ」
「う、うん」
たまに香里は難しいことを言う。しかもあんまり説明してくれないもんだからわたしにはよくわかんない。
「…ま、いっか。北川く〜ん」
「ん?どうした、水瀬」
「わ、北川君呼び方変えたの?」
「………」
北川君黙り込んじゃった。
これは言ってはいけないかもしれなかったかな。
言った後にしまったと思っていると、横から祐一が言ってきた。
「結局香里も名雪も、楽屋的セリフが多すぎるぞ」
「ふぇ?」
やっぱり祐一も難しいことを言う。
う〜、だからそういうのわたしはわかんないよ〜。



そして夜。お母さん、祐一、あゆちゃん、真琴、香里、栞ちゃん、北川君、そしてわたし。
以上8人の賑やかな夕食がやってきた。
メニューはもちろんカレイの煮物だよっ。お母さんに頼んで、奮発してたくさん仕入れてもらったんだよ。
大きな鍋にたっぷりたっぷり煮て…あっという間に人数分完成だよっ。
もちろん、完成までにはたくさんの苦難があったんだけど…。
「…作りすぎじゃないの?」
テーブルに並べられた煮物群を見て、一番最初に声を出したのは香里だった。
他の皆はテーブルの上を見るなり黙り込んじゃったから。
どうしたんだろ、こんなにおいしそうなのに。ねえ、お母さん?
そのお母さんを見ると、頬に手を当てていつものように笑っている。
うんっ、やっぱりお母さんは分かってくれてるよ、嬉しいな。
味見をした時にも随分ほめてくれたしね。
「ちょっと名雪、聞いてるの?」
「うん?なあに、香里」
「なあにじゃないでしょ。あんたねえ、軽く20人分はありそうなこれを一体誰が食べるの?」
量のことを香里は言ってるのかな。うーん、20人分も無いと思うんだけど…。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。祐一さんがいっき…」
「ていっ!」
びしっ
「うぐっ。…うう、ぶつなんて酷い…」
「おだまんなさい!まったくもう、食べ物見るたびにいっきいっきって…味わって食べることも考えなさいよね!?」
「うう…」
泣きながら栞ちゃんが黙りこむ。香里の剣幕に誰も口出しできなかった。
でも…香里の言う通りだよね。料理は味わって食べなきゃ。
「ちょっとあゆ」
「なあに?」
「あんたたい焼好きなんだからカレイもたっぷり食べなさいよぅ。同じ魚でしょ?」
「うぐぅ、真琴ちゃんそれは強引だよ。たい焼とお魚は違うもん」
「あぅーっ、そうよねえ…」
真琴とあゆちゃんったらなんか違う話を二人でやってるみたい。
ちゃんと食べてくれるのかな…。
「おい北川」
「なんだ相沢」
「今こそお前がいっきをやって栞にアピールしろ」
「阿呆か。美坂がいっきを嫌ってる前で何故オレがいっきなんてするんだ」
「北川らしいだろ」
「らしくないっ!」
祐一と北川君も、やっぱり違う話をしてるみたい。
う〜、だんだん心配になってきたよ。
「はいはい、それじゃあ冷めないうちにいただきましょう。折角名雪が作ったんですから。
量はたしかに多いと思いますが、味は私が保証します。皆さん、美味しく召し上がってください」
パンパンと手を叩きながらお母さんがまとめてくれた。
嬉しいよ。さすがお母さんだよ。
そんなお母さんには特別おっきなお魚をあげるね。
「あ、名雪。私は小さいのでいいからね。そんなに食べられないから」
「う〜、お母さ〜ん」
「さ、いただきましょう」
≪いただきます≫
抗議しきらないうちに食事が始まっちゃった。
たしかに皆美味しい美味しいって言ってたんだけど、終盤頃には皆無口になっちゃって…。
うーんこれは…作りすぎたのが原因なのかな…?
「疑問に思うまでもなくそうだろ」
最後の祐一からのツッコミで、今回のお料理劇は幕を閉じた。

<う〜、でもでもっ、張り切りたかったんだよ>


『危険なナベ』

じりりりり…
枕元で目覚ましが鳴っています。
朝です…。
じりりりり…ん
目覚ましを止めます。
「ん…」
目覚ましが指していたのは7時でした。
…おはようございます。
ごしごしと目をこすります。
今日も一日が始まりますね。
ばさり
と、多少は聞きなれた音が近くでしました。
なんでしょう…いえ、疑うまでもありませんか。
例の本ですね…。またやってきてしまったのですね…。
やれやれ、今度はどんな料理なんでしょうか…。
眠たい目をこすりながら、一つあくびをしながら、本を開けます…。

『●危険なナベ
に、においもやばい…。
何が入っているの?』

「………」
ぱたん
「さて、と」
今日は日曜でしたね。少し散歩でもしに行きましょうか。
手に持った書物をほっぽりだし、着替えを行います。
どんな服を着ることにしましょうか…。
「…はあ」
一つため息が出ました。
何故休日に憂鬱な気分にならなければならないのでしょうか。
…いえ、ここで後ろ向きになっていてはいけません。
相沢さんみたいに前向きに、陽気に考えましょう。
そう、相沢さんはいつも料理と戦ってらっしゃいました。私も頑張らないといけません。
しかしどうしたものでしょう。こんな料理なら相沢さんはきっと…

“まったくなんて料理だ…ええいっ、こうなったら自分で作る!”

…そう言って、自爆の道をたどりそうですね。
なんということでしょう、ちっとも前向きではありません。
ただ、私も自分で作るとなると相沢さんと同じ運命を辿ってしまいそうですね…。
「そんなのはごめんですね」
ここは大人しく誰かに頼るとしましょう。
…そうですね、以前もお世話になったあの方に。
結論にたどり着いた私はてきぱきと着替えを済ませ…昼前に家を出たのでした。



ぴんぽ〜ん
「はーい。…あら、美汐ちゃんね、いらっしゃい」
「こんにちは。ぶしつけで申し訳ないのですが、再び秋子さんにお願いがございまして」
「あらあら私に?お料理かしら?」
「はい」
「うふふ。わざわざまた頼って来てくれるなんてなんだか照れちゃいますね。さああがってください」
「お邪魔します」
秋子さんに招かれるまま水瀬家へ…。
「…静かですね?」
「ええ。今日は朝から皆出かけちゃってるものですから」
「どちらに?」
「さあ…。朝ごはんを食べていたと思ったら急に四人で飛び出して行っちゃったんですよ。
朝からたい焼祭りがあるとか肉まん祭りがあるとか…」
「祭り、ですか?」
不可思議な事を言いますね、相沢さん達も。
今日はお祭りなんて無かったはずですが…。

どうぞ、とテーブルの前にすすめられました。
お言葉に甘えて座ります(もっとも、こうしないと料理も食べられないのですが)
「さて、と。そういえば何の料理を頼みにきたのかしら?」
「あ、そうでしたね。実はこれなんですが…」
見るのも嫌な書物を秋子さんに差し出します。
と、秋子さんは今回のページ内容を見ると一瞬でそこを閉じてしまいました。
やはり…そういう反応になってしまいますよね。思わず私は苦笑を漏らします。
…いえ、秋子さんの目は私とは違っていました。
覇気、とでも言うのでしょうか。
少なくともあの料理を見た後にこのような顔ができるのか…と思うほどに、誰にも真似のできない顔です。
「…これは、コツが結構要りそうですね」
「は、はあ」
「安心してください、美汐ちゃん。私が必ず素敵なナベを仕上げて差し上げますから」
あのう、仕上げていただきたいのは素敵なナベじゃなくて危険なナベ…
いえ、どっちもどっちでしょうね…。

俄然張り切り出す…いえ、真剣味いっぱいになる秋子さんに私はただただ圧倒されていました。
所狭しとキッチンの中を動いている彼女の姿は、人間国宝級と言っても差し支え在りません。
やがて…肝心のものは出来上がりました。
ボクボクボクと意味不明な音が沸き起こり、
うにゅうにゅうにゅと奇妙な匂いがただよい、
あぅあぅあぅと未知の感触が…。
「きっと味は…気合気合気合なんでしょうね…」
「あら、良く分かりましたね。さ、これで完成ですよ」
笑顔で秋子さんはナベを運んできてくださいます。お玉と取り皿も一緒です。
冷静に考えると、気合気合気合ってどんな味なんでしょうか…。
今更どうでもいいことですが、これは昼食にしてしまっていいのでしょうか。
もう一度私は本の内容を思い起こします。

『●危険なナベ
に、においもやばい…。
何が入っているの?』

「本当に…何が入っているんでしょうか…」
思わず説明書きどおりにつぶやいてしまいたくなる一品です。
このようなものを作成されるとはさすが秋子さんですね…。
「さあ美汐ちゃん、召し上がれ」
「は、はあ…」
笑顔で秋子さんは勧めてきます。
しかし当然私はためらいます。
これを食べてしまうと、私はどうにかなってしまいそうだからです。
予想ではありません、確信がありました。これを食べればヘブンへ飛んでゆけるであろう確信が…。
「一応念のために尋ねますが…」
「企業秘密ですよ」
秋子さんはにこりと笑って、その一言を発しただけでした。

もしかして私は…相当にやばいことをしてしまったのでは無いのでしょうか。
自分のはじきだした結論を非常に後悔しています。
ひょっとしたら自爆した方がまだマシだったのでは、と思うほどに…。

<これも運命なのでしょうか>