『ヨーグルトサラダ』

サラダといえば、これが大好物な少女がいたはずだ。
丁度いい。彼女と一緒に思い切り食すとしよう。
一緒にイッキもやっていいかもしれない。
よし、早速スカウトだ!

というわけで、早速俺は彼女の家を訪ねた。
ぴんぽ〜ん
「はーい。あれっ?祐一さん?」
「ああそうだ。相沢祐一だ」
「はぇ〜、そうですかぁ。佐祐理は倉田佐祐理といいます〜」
ご丁寧にふかぶかとお辞儀。合わせてこちらもお辞儀。
新鮮な気分だ。ここからお見合いに突入もいいだろう。
しかし今回はそれより重大な用事がある。
「佐祐理さん、サラダを頼む」
「ふぇっ?」
首を傾げる。以前食った別物サラダと同様に、その態度は白々しく見えた。
「佐祐理さんはサラダが好きなんだろ?」
「確かに好きですけど」
「サラダバーに行こうものなら、カンナみたいにバリバリ食うんだろ?」
「佐祐理はそんなことしませんよ〜」
否定の意をとった。そしてそれは白々しく見えなかった。
どういうことだ?佐祐理さんではなかったか?サラダ、野菜が大好物なのは。
おかしい、俺が得ていた情報ではたしかなはずなんだが。
「それにイッキは祐一さんの専売特許じゃないですか〜」
「サラダイッキなんてしない…。っていうか佐祐理さん!魔女っ子じゃなかったっけ!?」
「いいえ?」
唐突に尋ねてみたが、やはり佐祐理さんは首をかしげている。
思い違いってことか…まあいい、もういい。こうなったらとりあえず食わせてもらうだけにしよう。
「佐祐理さん、今までのことはなしだ」
「なし、って野菜じゃ無いですよ?」
「どうしてそういうボケを…」
「ひどいです祐一さん。佐祐理はまだボケるような歳じゃありません」
いかん、すべてを悪い方向にとられてしまっている。
それを防ぐにはとりあえずこれを見せるしかない!

『●ヨーグルトサラダ
新鮮な野菜の上に
ヨーグルトをたっぷりとかけた
ヘルシーなサラダ』

「これをお願いしたいんだけど」
ばっ、と広げて見せた本。それは佐祐理さんの目の前にあった。
これならどうだ?
「サラダといえばサラダイッキですねーっ」
「…やっぱり?」
「はい、当然ですよーっ」
つい最近ヨーグルトイッキみたいなのをやらされた記憶があるんだが…
そこは気にしてはいけないのだろうか…。
「祐一さん。是非カンナみたいにバリバリバリと食っちゃってくださいっ」
「いや、無理だって」
「某カンナさんもおおぐらいだって話ですよーっ」
「………」
そろそろ倉田家もヤバくなってきたかもしれない。
そう不安にならずにはいられない、そんな俺であった。
結局のところご馳走にはなったが…このままでいいのだろうか?
「ところで祐一さん、デザートにマリネはいかがですかーっ?」
「ぶーっ!」
力いっぱい吹き出してしまった。
「はぇ?どうしたんですか?」
「い、いや、気にしないでくれ…」
どうせ特定の人にしかわからないだろうネタなんだから…。

<おまかせっ>


『洋梨のコンポート』

やられたものが出た気分だ。
かの女性に見つかる前にさっさと食してしまおう…。
階段を下りながら、俺は心の中でそうつぶやく…
「祐一さん」
「どわあっ!」
気がつけば秋子さんがそこに居た。にこりと微笑む姿は何もかもを見透かすよう。
やはり見つかった。お約束のようだった。
逃れる事はできないのか…。
「任せてくださいね。しっかり作りますから」
呼びかけられただけのはずだったのに、既に秋子さんはすべてを心得ているようだった。
さすがだ、ただものじゃない…。
おとなしく俺は諦めることにした。
ちなみに今日の料理は何かというと…

『●洋梨のコンポート
砂糖と白ワインで作ったシロップに
洋梨をつけ込んで煮詰めたデザート』

そう、料理名だけでは酒がからんでいるなどわからないような…
って、なんで俺は最初にやられたと思ったのだろう。
これも第六感ってやつだろうか?
「あはははーっ」
佐祐理さんを真似て笑ってみた。
そして夜はやってきた。
食卓に出されたのは、たくさんの瓶であった。
「…あの、秋子さんこれは…」
「白ワインですよ。祐一さんの大好物ですからね」
俺の大好物は白ワインじゃないです…。
その証拠に、これをのんでもHPとMPは満タンに回復しないです…。
「あ、あのう、肝心の品物は…」
「ああ、コンポートならこれです」
よかった、ちゃんと用意してくれていた(用意してくれてないと話にならんのだが)
秋子さんがカタリと置いてくれたのは小さな皿だった。
ちんまりとあるそれは、手のひらの十分の一サイズ。
「あの…」
「すいませんね。材料が足りなくて」
嘘だ!こんなにワインがあるのに!
「洋梨が不作だったんですよ。ですから仕方ないですね」
秋子さん、白々しすぎます!
「代わりと言ってはなんですけど、これで今夜は飲み明かせますね」
「無茶です!」
「大丈夫ですよ。好物なんですから」
「好物じゃないですってば!」
結局…。
明け方まで俺は飲んでいた。それに秋子さんも付き合ってくれていた。
てやんでー、もうどうでもいいやー。

<ばろちくしょー>


『ライスコロッケ』

カア、カア…
遠くの空でカラスが鳴いている。
自分の帰る場所を求めて、待っているひとに向かっている。
飛翔する黒いその姿は、夕焼けに染まった赤い空によく目立っていた。
あれだけ遠くに居てもはっきりと分かる。
「あー腹減った〜。早く帰ろうぜ〜!」
「あーん、待ってよお兄ちゃーん」
すぐ隣を、元気のいい兄妹が駆けていった。
瞬間、かすかに聞こえてきた腹の虫の音にふっと笑みをもらす。
そして自分からも同じような音を耳にした。
「…腹減ったな」
辺りの人影も少ない。そしてどこぞかしこからつとつとと漂ってくるいい匂い。
ああここは鍋物だ。ああここは焼き物だ。ああここは炒め物だ。などなどの分別がつくほどに。
いやしんぼと思われても仕方ないかもしれない。
しかしそれだけ腹が減っているということなのだ、勘弁して欲しい。
何より今はとんでもない状況であった。
ずしっ…ずしっ…ずしっ…
踏みしめる足音はまるで巨大な生物のそれの様。
恐竜が歩くと大地が揺れるだとか、象の踏みしめる音で体がはねるとか、
大げさだと今まで見てきたものはあながち嘘じゃないと思わされるほどに。
それだけ、今俺の体重はすさまじいものになっていた。
正確には俺と俺が担いでいる荷物の重さ合わせて、だが。
「…重い」
これまで幾度口に出したであろう。
当たり前のことだが言わずにはいられないその言葉を、俺は重苦しく吐き出した。
事の発端は今朝…。

「え?ライスコロッケですか?」
「ええそうです。お願いできますか?」
「了承」
朝一番、晩飯にとお願いしたら秋子さんはあっさりと、いつものごとく了承を出した。
っていうか、朝一番と晩飯以外の箇所って説明要らないよな…。
まあとにかく、今日は米を俺が買ってくればいいってことだ。
「さて秋子さん、何袋買ってきましょうか?」
「そうですね…。ら・い・す・こ・ろ・っ・け、ですから…」
「は?」
「7袋お願いしますね」
「げげげっ!?」
大胆な、それでいて単純な理由からの発言に驚きの声をあげる。
すると秋子さんはくすくすと笑った。
「祐一さん、“げげげっ”は3連鎖ですよ?」
「………」
俺にはネタが分からなかった。
「ちなみに7連鎖は…“うわあー”よりは“ばよえーん”の方が有名でしょうね」
「は、はあ…」

とまあそんな事情により、俺は今米をかついで帰路についているのだ。
全部で7袋。かばんも合わせりゃ…ってそんなのは考えたくない。
お米券に振り回されてた某人形遣いもびっくりの姿だ。
「ふっ、ボロ勝ちだな」
…全然嬉しくなかったが。

『●ライスコロッケ
形を整えたお米にコロモをつけ
油で揚げて作った食べ物』

夕飯は秋子さんが腕によりをかけて作ってくれた。
運動の後の飯は美味しい。昔は米の飯は元気の源であっただろうしな。
一人7個だということで分けられたライスコロッケ達を、俺はあっという間にたいらげた。
「う〜、お母さん作りすぎだよ〜」
「あぅーっ、もう食べらんない〜」
名雪と真琴は4個と食べないうちにダウンしていた。
おかずもあったから無理も無いだろうが、残すのはよくないぞ?
「どうれ、俺が食ってやろう」
箸を伸ばしたところで、秋子さんがくすりと笑った。
「まあ祐一さん。そんなに連鎖して追い討ちですか?
こちらも頑張って相殺しないといけませんね」
“あらあら”と立ち上がると、更なるモノをひっさげて秋子さんが帰ってくる。
そこには、一体いくつ作ったのだろうかというほどのコロッケが乗っていた。
「…あの、秋子さん」
「さあ、たっぷり食べてくださいね」
「一体何個作ったんですかー!」

<たくさんです>


『落涙のリゾット』

その日は朝から修羅場であった。
いつも通り名雪を起こして、というところまでは良かったのだが、
部屋で見えた一枚の紙切れ。
名雪のカバンから微妙にはみ出していたのは、抜き打ちテストの通知書であった。
こういうのは通知もせずにやるから抜き打ちというんだが…
実質通知書のことなんてまったく記憶になかったから俺にとっては不意打ちに等しい。
「先週配ってたでしょ?臨時テストをやるからその範囲を勉強しとけって」
さも当たり前の様に名雪は言ってきた。
冗談じゃない。名雪が覚えていてどうして俺が忘れているんだ。
「世の中何か間違っている…」
「う〜、間違ってるのは祐一の方だよ〜」
…正論だ。
素直に納得。いや、納得している暇なんてない。
今日ある試練の為に、出来る限りの悪あがきをしなければならない。
それにはまず何をするべきか?
「とりあえずカンニングペーパーを作って…」
「カンニングしたら留年だよ」
「………」
血も涙も無いテストだな、オイ。
「いや、要はバレなければいいわけで…」
「そんなこと言っても、多分お約束でバレる羽目になるよ。
折角そんな設定を使って活かさないなんて無駄だしね」
堂々と設定だとか言ってのけるお前はどこの人間だ。
仕方ないな、香里にコツを教えてもらうとしよう。
「今こうやって歩いてる途中でも何か覚えようとしたら?」
「…いい案だな」
名雪もたまにはいいことを言う。
早速単語帳を取り出し、俺は勉強小僧と化すのであった。

勤勉なる学生を振舞い、無難な結論を達成する為、朝の教室へ辿り着く。
相変わらず遅刻せずにいる香里に早速声をかけた。
「香里、頼む。テストで必ず満点取れる道具を出してくれ」
「あたしはどこぞのネコ型ロボットじゃないわよ」
「ねこーねこー」
横から名雪が反応してきた。
「大事な話の最中なんだから脇へどいててくれ」
「う〜…」
拗ねてあっちへ行ってしまった。
「…漫才やる暇あるんだったら勉強したら?」
「漫才じゃなくてだな…って、勉強なら今もやってるだろ?」
手に持っている単語帳をちらりちらりと見せた。
とそこで香里は、はあとため息をつく。
「無駄な努力ねえ。第一今やったところでどうにもなるもんでもないでしょ?
だいたい今日の今日でどうにかしようなんて…」
嫌なことを言いやがる。そこで俺は反論の声を発した。
「うるせー!忘れるだろうがー!」
ちょっとだけ大きな声。と、香里は“はいはい”とだれたように返事をした。
なんていう態度だ。もう朝の結論などどうでもよくなった。
香里なんかに頼らずに自力でなんとかしてみせる!
くるりと踵を返して、自分の席に戻ることにした。
「言っておくけど、テストの内容は数学と古文だからね」
「………」
不意に背後からかけられた香里の言葉を頭の中で整理する。
「なにー!?英語は!?」
「誰からそんなの聞いたのよ。名雪?」
「ううん、わたしはただテストがあるって言っただけだよ」
再度横からしゃしゃり出てきた。そして名雪のそれは正論であった。
「ど、どうすればいいんだ…」
途方にくれてしまう。もっとも、元々途方にくれてもおかしくはない状況だったが。
「気合しかないわね」
香里…それはその通りだが…。
「ふぁいとっ、だよ」
名雪…いつもどおりの言葉だな…。
「相沢、こんじょうだ根性」
居たのか北川…。
そうこうしているうちにテストは始まる。
どうしようもない、どうあがきようもない。
更に俺は、大事な何かをすっかり忘れてしまっていることにさえも気付かなかった…。

夕刻。意気消沈の姿で家に帰る。
テストの結果はずたぼろだった。
すべてが、ほぼすべてがわからない。まっしろしろすけにやられたとはこのことだ。
一緒に帰ってきた名雪が隣で何度も俺をはげましていたが、
ほとんど耳には届かなかった。
「祐一、たかがテストじゃない。元気出そうよ」
いいんだ、名雪。もう終わったことだ。
そう、終わったんだ…。
「お帰りなさい二人とも。今日は珍しい料理を作ってみたのよ」
秋子さんが笑顔で出迎えてくれる。
いつものそれに普段なら元気付けられるのだが、今回はそうもいかなかった。
だが、珍しい料理という言葉にふとひっかかるものがある。
なんだろう…?
「…あーっ!!今日の料理!!」
あっさりと思い出した。本に載っていた料理を食さねばならないというのに。
慌てて本を取り出す…いや、本は自分の部屋、机の上だと今気付いた。
なんということだ、今の今まで意識していなかったなんて…。
いや、今ならまだ間に合うはずだ。自分で料理を…ってもう秋子さんは作り終わった後だ!
「どうしよう…」
「祐一、忘れてたの?」
「ああ…どうしよう…」
「祐一…」
心配そうな名雪の顔が更に心配そうになる。
それだけ俺は名雪に心配をかけてしまっているということで…。
「大丈夫ですよ。そのへんはぬかりなしですから」
「「え?」」
「さ、二人とも着替えてらっしゃい。ご飯にしますよ」
ある種、余裕の笑みを浮かべながら秋子さんは歩き去っていった。
もしかして…もしかする?
名雪と顔を見合わせた後、素早く部屋に戻る。
そして部屋から飛び出したのも二人同時であった。
階下へ向かい、食卓に顔を出したのも同時。
そして一緒になって本を開ける。

『●落涙のリゾット
母の味を思いだしてその偉大さに
涙する。そんな一品』

…まさにその品が、そこにはあった。
リゾット、リゾットである。落涙かどうかは食べれば分かる。
いや、食べずともわかる。今朝の慌てぶりを察知して、秋子さんはしっかり用意してくれていたのだ。
そして食べる前から涙がにじみ出てきた。
「ありがとうございます、秋子さん」
「あらあら、今日の料理がそんなに嬉しかったかしら?」
「それはもう…」
あとからあとから湧き上がってくる、なにものも押さえられない感情。
秋子さんの偉大さを感じた。
それだけでも十分な食事だったと言えよう。

<こうして…>


『ラズベリージャム』

『●ラズベリージャム
ラズベリーを煮詰めて作ったジャム』

「ジャムは私に任せてください」
起き抜けに宣戦布告をされてしまった。
大胆な秋子さん。顔は笑っているがその裏ではめまぐるしく思考が働いているに違いない。
念のために確認をしておこう。
「秋子さん、ラズベリーのジャム、ですからね」
「ええ、わかってますよ」
「俺はどんなジャムか知ってますからね?」
「ええ、わかってますよ」
にこにこにこにこ。
余裕の笑みだ。すべてを心得ている顔だ。これなら心配はなさそうだな。
「それじゃあお願いします」
「はい。もう朝食に用意してありますので」
「………」
素早い。っていうか既に事は終わった後だったのか?
俺の抵抗はむなしく終わったって事だな…。
「それでは下で待ってますね。仕度の邪魔して済みませんでした」
「い、いえ…」
のほほんと言い放って秋子さんが部屋から出てゆく。
そういえばまだ俺はパジャマであった。そういや目覚ましが鳴ったことにも気付かなかったっけ…。
とっくの昔からかもしれないが、俺だけの領域がすっかり侵されてしまっているのは気のせいか?

下へゆくと、名雪が食卓に突っ伏していた。
また寝てやがるのかお前は…しかもパジャマだし…。
と、その隣で同じく真琴も突っ伏していた。
珍しいな、朝はいつも元気なくせに。しかもこいつもパジャマだ…。
「祐一さん、おはようございます」
「おはようございます。二人とも行儀悪いですね」
不満を含めて挨拶を告げ、自分の席へと着く。
既に目の前には、いれたてコーヒーとトースト、そしてジャムが用意されていた。
「いただきます」
「ええ、どうぞ」
宣戦布告どおり、秋子さんはラズベリージャムを準備したようだ。
匂いと見た目は申し分ない。その二点からは完全にラズベリージャムだ。
ま、どのみち味見をしないと始まらない。ナイフでちょこっとすくい、パンに塗りつける。
端っこの方をぱくっとかじった。
「………」
ぱたん
俺は前に倒れた。いや、正確には食卓ににつっぷしてしまった。
名雪や真琴と同じように…。
「Rasberryheavenという歌があるんですよ。だからヘブンに飛んでゆけるようなのを作ってみたんですけど」
秋子さん…それは危険です…危険すぎます…。
薄れ行く意識の中、俺は最後のツッコミを入れた…。

<予告どおりだねヘブン>


『りんごジャム』

「…またジャムか」
つい最近ひどい目にあったばかりだというのに、どうしてこの本は…。
けれどあのヘブンはなかなかにいい体験で…
「いかんいかん!俺は何を考えてるんだ!」
もしかしたら何も考えていないのかもしれないが。
そこはそれ、愛嬌だという事で勘弁してもらうとしよう。
さて、と頭を振りなおして、改めて料理を見直す。

『●りんごジャム
りんごを煮詰めて作ったジャム』

「よくよく考えれば無理に秋子さんに頼まなくても、
自分で買えばいいんじゃないのか?」
我ながらいい考えに至った。いや、これで普通なのかもしれない…。
「そんなこと考える祐一さん嫌いですよ?」
「うわあっ!」
突然たおやかな声が降ってきた。
振り向くとそこに秋子さんがいた。
…どうやらいつものパターンに陥りそうである。
「お、おはようございます秋子さん」
「おはようございます。もう朝食の準備ができてます、食べに降りてきてください」
「は、はあ…。…ということはもしかして?」
「ええ。既にりんごジャムは用意済みですよ」
さすがだ…。まあ秋子さんならこうでなくっちゃ、だけどな。
もはや諦めざるを得ないと思い、俺は早速仕度にかかる。
と、部屋から出て行こうとする秋子さんを、俺は呼び止めた。
気になったことがあったからだ。
「ところで秋子さん、さっきのは…」
「ええ、当然栞ちゃんの真似ですよ」
言い切ってるなぁ…。栞も人気者になったもんだ。
…なんて感心してないでとっとと用意して繰り出すとしよう。

そして食卓。名雪は突っ伏して寝ていた。パジャマ姿だ。
その隣で、真琴がはぐはぐと食パンを食べている。
塗られているのはまさしくりんごジャム。
秋子さん印のついた、美味そうなジャムだ。
「…なんて、ついてるわけないか」
実際は何もマークのついていない、ただの透明な瓶である。
そこにたっぷりと旨みを連想させる色をもったジャムが入っているのだ。
「祐一さん?何がついてるんですか?」
「え?あ、ああ、秋子さんが作ったジャムだからそんな印がついてないかな〜って」
「あらあら、どうしましょう。そんな印はありませんよ」
くすくすと笑う秋子さん。ちょっぴり照れているようにも見える。
「秋子さんのジャムって美味しいから付けてみればいいんじゃないかな」
こくんとパンを飲み込んだ後で真琴も付け足した。
いい事を言うじゃないか。ますます秋子さんは照れているぞ。
「今度から付けましょうか?」
「ジャム専用の瓶につけてみればいいかと」
「うん、真琴もそれにさんせーい」
「ではまた細工しておきますね」
話が上手くまとまった。
今度からジャムと名のつく食物が入っている瓶には秋子さん印がつく。
これで注意も払いやすく…ってそんなことを考えてる暇はなかったな。
「それじゃあ俺もいただきまーす」
椅子にすわり、りんごジャムをパンに塗りたくる。
そしてがぶっと一口。甘くフルーティーな香りが口の中に広がった。
「美味い…」
今更ながら呟いてしまう。
やはり秋子さんは料理に関してはこと天才的な腕前であろうと改めて思える。
幸せな一時…。
のんびりしすぎて遅刻に至りかけたのはお約束。

<ぽわわ〜>


『りんごのクレープ』

「クレープか…」
思えば何度かクレープは登場した。
そしてそれはあゆと共に食していた。
思えば、たい焼きがないからという事の代わりかもしれない。
ならば今回も一緒に食べにゆくとしよう。

「わーい、今度はちゃんと食べようね」
誘うとあゆは小躍りした。そして念を入れるかのようなセリフをかます。
「俺はちゃんと食べたぞ」
「祐一くんばっかりちゃんと食べてるけど、ボクもちゃんと食べるってことだよ。
折角一緒に買いに行くんだから、一緒に食べようよ」
言われてみれば、クレープ自体は一緒に買っているものの、
まともに食しているのは俺一人であったという気がしないでもない。
まあ過去のことは深く気にすまい。
今は、今のことを考えよう。
「今更悔やんでもなっちまったもんはしょうがないしな」
「うぐぅ、それって勝手な意見だよぅ」
「んなことより、今日はこのクレープだからな」
話をそらせようと、俺はあゆに本を見せてやった。

『●りんごのクレープ
バターで炒めたりんごを包んだ
クレープ』

「あ、これって作れそうじゃない?」
「俺は買う」
「折角の機会だし、ボクが作ってあげようか?」
「お、看板が見えてきたぞ」
「手作りってのもいいもんだよ」
「さあて、目的のものはあるかな」
「うぐぅ、祐一くん聞いてる?」
「聞いてるぞ。無視していただけだ」
「うぐぅ、ひどい…」
作ると自爆するのは目に見えている。
それにこうして買いにきたのだから、それはそれでさっさと済ませておきたいのだ。
“いらっしゃいませ”と頭をさげる売り子さんに、俺は告げた。
「りんごのクレープ一つ」
「うぐぅ!ボクも食べるのに!」
そっこーであゆが妨害をしてきた。
「なんだ、タカるのか?」
「ひどいよ!ボクの分くらい一緒に注文だけでもしてってば!」
「冗談だ、気にするな」
「うぐぅ…あんまりだよぅ…」
「しょうがない奴だな…。すみません、りんごのクレープ5個ください」
「そ、そんなに食べるの?」
「あゆがイッキするんだろう?だったらこれくらいは…」
「ボクはイッキなんてしないよ!」
「たい焼きをしょっちゅうイッキ呑みしてるくせに…」
「そんなのしてないよ!」
「鵜みたいにのみまくってたじゃないか」
「だからしてないって!」
「ああ、ペリカンだっけか」
「違うったら!」
店の前でからかい続けること約十分。
売り子さんに相当な冷や汗を流させた後、クレープ二個を入手。
ベンチに座って、二人並んでそれを食した。
「うぐぅ、食べる前からかなり疲れちゃったよ…」
「お前まだ若いのに年寄りみたいなこと言うなよ」
「祐一君のせいじゃない!」
何はともあれ平和であった。
クレープは無事食せた。
いつものようにあゆもからかえたし。
「やはり日課としてこういうものがないとな」
「何が日課なの?」
「あゆと遊ぶことだな」
「うぐぅ、ボクと遊ぶじゃなくって、ボクで遊ぶ、じゃないのぉ?」
「あ、言われてみればそうだな。いいところに気付いた、偉いぞあゆ」
「そんなのほめられてもちっとも嬉しくないよっ!」

<くれくれくれーぷ>


『レディフィンガー』

「相沢さん、あなたは悪魔ですか?」
唐突に不可解な言いがかりをつけられた。
そしてここは俺の部屋。もうそろそろ寝ようという時に侵入されたのだ。
その人物は天野美汐。深夜の某電波ではどこかへイっちゃってる疑いが強まっている危険人物だ。
「お前な、何を根拠に…」
「真琴から聞きました。女性の指を食べたなんて…」
「そうよぅ!見損なったわ祐一!」
天野の背後に真琴が立っていた。
ちなみに二人ともパジャマ姿。
夜這いなどという理由なら歓迎して18禁シリーズに突っ走るところだが、
ここでは健全を貫き通さなければ成らない。
それ以前に、夜這いなどという雰囲気ではさっぱりないのだ。
さて、二人が言っている女性の指とは今回の料理ということだろう。
こんなものがあったのかと驚きながら秋子さんに尋ねると、いつものように快く作ってくれた。
材料は普通のものだが、形が違うとこうも味が変わるのかといういい例であろう。それは…

『●レディフィンガー
しなやかな女性の指を形どった
カステラ』

…というものだ。
ところで、気になることが一つある。
「二人とも、誰から聞いたんだ?」
俺が食ったのは名雪も真琴も家に居ない時。
ああ、となると秋子さんが喋ったんだろうな。
“今日祐一さんにこんなものを作ってあげたんだけど、よかったら食べる?”って
「その通りです、相沢さん」
「俺は何も言ってないんだけど…」
「秋子さんからもらったのよ。で、同じものを祐一も食べたんだって聞いて…」
「こうやって真琴と二人で強襲をかけにきました」
くるなくるな。
「つーかお前らも食べたんだろ?だったら何故俺に文句がとんでくる」
「私たちは共食いで済みますが、相沢さんの場合は他種族殲滅に関わりますので」
「そうそう!…って、あぅーっ、美汐がなんか怖いこと言ってるぅ…」
同調しようとした真琴が震え出す。
おびえるな、俺も一緒に怖がりたいぞ。
「天野、いくらなんでもそれは無茶苦茶だぞ」
「相沢さんは気合たっぷりですから。それくらいは可能なはずです」
んな無茶苦茶な…。
「あぅーっ、祐一ってもっと怖い…」
「大丈夫ですよ真琴。私がそばについてます」
「あぅーっ」
美汐の胸に真琴が顔をうずめる。
ほほえましい光景ではあるが、なにぶん状況に不純が多すぎる。
とっとと二人を追い出したくなった。
「なあ、俺もう寝たいんだけど…」
「相沢さん、約束してください。二度と女性は食べないと」
「だから!俺は食ってねーっての!…はいはい、わかったよ、約束すりゃいいんだろ」
一度否定はしてみたが、折れざるをえなかった。
手をあげて誓いを立てる。それを見て天野は満足したようだった。
「よかったです。実はいつ真琴が相沢さんに食べられないかヒヤヒヤしていました」
「あぅーっ、ひょっとして真琴危なかったの?」
「ええ。一つ屋根の下に住んでいる以上、危険がいっぱいです」
「あぅーっ、あぶなかったぁ…」
すっかり危険人物にされてしまっていた。もうどうでもいい…。
二人が部屋から出て行ったあと、だるくなって俺はさっさと横になって寝た。

<指まで食べないで>


『ロールキャベツ』

決戦の夜がやってきた。
いや、本当は決戦なんてないのかもしれない。
シナリオではちゃんと事は進むがここでは…
「ま、楽屋的なことはいいか」
夜道を歩きながら一人つぶやく。
手には秋子さん特製のロールキャベツがたっぷりつまった風呂敷がある。
いや、正確には鍋だが。
「また奇妙奇天烈な鍋なんだろな…」
以前舞に差し入れとして届けたときに、この鍋にはたいそう驚かされた。
気にせずに美味しいと食い続けていた舞にも驚かされたが。
「俺にはまだまだ免疫が足りないのか…」
ちなみに俺自身は既にロールキャベツは晩飯としてたっぷり食ってきた。
名雪も真琴も秋子さんお手製のそれには満足していた。
和やかな夕食だったと言えよう…。

「祐一祐一、いっきやって、いっき」
しつこくねだってくる真琴。無視していると、隣で名雪が“駄目だよ”と諭してくる。
「真琴、お食事中に行儀悪いよ」
「あぅ、でもぉ…」
「大丈夫だよ。頼まなくても祐一はいっきが好きだから」
「それはそうなんだけどぉ…」
間違った認識が備わっていた。これは誤解を解かなければならないだろう。
「名雪、俺はいっきなんか好きじゃないぞ」
「いつもお母さんが出すお酒をいっきしてるくせに」
「してない!」
「あらあら祐一さん。証拠はちゃんとあるんですよ?」
否定の意をとっていると、秋子さんが手に何かを取り出した。
それは丸くて光っている。
「こんなこともあろうかと祐一さんの勇姿をDVDに録画しておいたのよ」
「そんなもんいつしたんですか…」
「いつか市場に出せないかと思ってね。イベントでもいいですけど」
「秋子さん!それだけは絶対にやめてください!!」

…全然和やかじゃないな。
もういい、苦しかった過去は忘れるに限る。
とかやっているうちに学校に到着した。いつもの進入経路を使って入り込む。
「慣れたもんだな…」
このままだと、本気で校長の机とか取ってこれそうだ。
取らないけどな。
「さて、舞を探すか…」
こつん
きょろきょろしていると、突如自分とは別の足音が響いた。
リノリウムの床から伝わってきたそれから音の方向を判断し、そちらを振り向く。
「舞か…?」
とっさにそう思って呟いたのだが、月に照らし出されたその影は舞のそれとはあまりにも違っていた。
長髪ではなく短髪、肩に羽織られているマントのような物体。
何より、剣を携えていないことが一目瞭然で分かった。
一体誰だ…?
たたっ
「な!?」
分析を試みている最中に、その人影はこちらに向かってきた。
やばい、気付かれた!?
どうしたものかと迷っていると、その人影はこちらに向かって手を振った。
「祐一さんっ」
「し、栞!?」
声で分かった。そしてその声を聞いた瞬間、マントはストールだと認識した。
頭の中で、影と普段の栞の姿とがばっちりと当てはまる。
すべてを納得した後、栞は俺のすぐ傍で息を整えていた。
「どうしたんですか、こんな夜遅くに」
「栞こそどうしたんだよ」
「私はちょっと忘れ物を取りに…。それより祐一さんはどうして学校に?」
二度目同じ質問を投げかけてきた。
どうしたものだろう、ここは正直に答えるべきだろうか。魔物退治をしている舞のことを。
それともごまかすべきだろうか。しかしどうやって?
思案していると、栞は俺が手に持っている風呂敷に目を留めた。
「祐一さん、それは何ですか?食べ物ですか?」
「ああ、ロールキャベツだ。秋子さん特製のな」
「なるほど…」
指に手を当てて考え出す栞のそんな仕草は、どこぞの探偵にも見える。
だが、この探偵栞は多分とんでもない考えに辿り着く…。
「わかりました。家では安心していっきできないから学校でしようって魂胆ですね」
違うぞ…。
「ずるいです、私は祐一さんのいっきを楽しみにしているのに」
栞、お前の頭は真琴並か。
しょうがない、正直に話してやるとしようか…。
「俺はこのロールキャベツを夜食として届けにきたんだ」
「夜食…誰のですか?」
「それは…」
ガシイィィィン!!
「!?」
「い、今の音はなんですか!?」
突如近くで鳴り響く巨大な音に栞がおびえる。
出やがったな、魔物…いや、音がした方向に人影が見えるぞ。
「…舞?」
そう、舞が立っていた。俺たちのすぐ傍に。
先ほどの音は舞が床に剣を勢いよく叩き付けた音だったのだ。
「…逃がした」
「ご苦労さん。ほら、差し入れだ」
一言ぽそりとつぶやく彼女に、ねぎらいの言葉と共にすっとモノを差し出してやる。
ひょっとしたらこれの匂いにつられていたのかもしれない。
舞はそれほどまでに近くに寄って来ていたのだ。
「わ、舞さん…」
「………」
栞が舞の存在に気付いた。ここで気付かなければさすがに問題だろうがな。
おかげで、風呂敷を受け取ろうとした舞の動きはぴたりと止まってしまった。
「こんな夜中に何をやってるんですか?」
「…魔物退治」
「おい舞っ!」
栞の問いに対し素直に答える。慌てて俺は叫んでしまった。
「魔物退治…ですか?」
「………」
こくり
再度尋ねる栞に対し、またも舞は素直に肯定の意を表わした。
もうどうでもいい。俺が躍起になるよりは舞の意思が大事だ。
「なんか…カッコいいですね。夜に独りで闘う孤高の戦士って感じで」
「………」
心なしか舞が少し照れている。栞も栞でよくそういう発想に至れるもんだ。
まぁ、魔物うんぬんについてはここらへんにしておくとして…。
「栞も一緒に食うか、ロールキャベツ」
「あっ、祐一さんが差し入れしているのって舞さんだったんですね」
「ああそうだ」
言いながら床に座り込み、風呂敷包みを開く。
同時に舞も座る。栞も座る。
佐祐理さんや舞と昼休みにとっている食事をふと思い出させた。
状況も人も違うっていうのにな…。

『●ロールキャベツ
塩ゆでしたキャベツで
ひき肉などの具を包んだものを
スープで煮込んで作った食べ物』

辺りに広がるは香ばしい匂い。
湯気が冷えた体を温めてくれる。心に安らぎを与えてくれる。
三人同時に鍋に装着されていた箸をとり、いただきますを告げた。
「…美味しい」
「だろうな」
「ほんと美味しいです。祐一さんがいっきしたくなる気持ちもわかります…」
栞、お前はまだそんなことを…。
呆れていると、舞が鍋の位置をさっとずらした。俺から遠くなる位置へ。
「祐一…いっきはさせない」
「俺はいっきなんてしないって」
「なるほど、舞さんさすがです。事前準備は大事ですよね」
「感心するな」
くだらないやりとりはここまでにして…と思って鍋を引き戻そうとする。
さっさっ
避けられた。
「…おい、舞」
「いっきはさせない」
「だから俺はいっきなんてしないっての!」
さっさっさっさっさっさ…
何度手を伸ばしても、舞は必死に鍋を護っていた。
「栞!お前が余計な事を言うから!」
「舞さん、私も協力しますね。二人でいっきの魔の手からまもりましょう」
「わかった」
「こらー!」
結局その日の夜、ロールキャベツを俺がもう一つ食すことはなかった。

<かくてい>


『ロマネコンチ』

『●ロマネコンチ
最後の一文字があやしいワイン
今や価格は急上昇しています
めざせ!先物取引』

「あらあらまあまあ、これは偽物なのかしら」
「あの、秋子さん…」
「仕方がありません。書かれてるからには用意しましょう」
「もしもーし…」
俺の呼びかけも空しいまま、秋子さんはすたすたと去っていった。
本の内容を確認しにきたのだ。
ここは教室だ、学校だ。
そして秋子さんは窓越しに本を覗き込んでいた。
世にも奇妙な光景はもういいとして、俺の領域というものはもはや無きに等しそうである。
「ねえ相沢君、さっきのって名雪のお母さんじゃ…」
「気のせいだろ」
「相沢、秋子さんはどうやってこんなとこまで上がってきたんだ?」
「気にすると負けるぞ」
「うにゅ、お母さん凄いよ〜…」
「寝るならきちんと寝てろ」
クラスメートの呼びかけをだるそうになぎ払う。
夜のことを考えると、更に気がめいった。

静かな時間が訪れた。
外は闇、真っ暗、つまりは夜だ。
俺が居るのは自分の部屋。そして机の上には一本のワインが乗っかっていた。
その瓶には値札が貼られている。不思議なことにその値札の数字が…変化していた。
「あの、秋子さんこれは…」
「安いうちに買っておいてよかったでしょう?こんな値段に跳ね上がるんですから」
「いや、あの、なんで今になってその値段が跳ね上がって…」
「年月を重ねると、通常ワインは価値を増すものですよ」
「だからなんで値札の数字が変わってるんですか!?」
「先物取引ですから」
…もうどうでもよくなった。
さっさと飲んでさっさと寝てしまいたくなった。
「とにかく飲みます。空けていいですか?」
「あら、さすが祐一さんですね。一本空けるなんて」
「い、いえ、今のは蓋を開けるという意味で…」
「だったら漢字が違いますよ。今になって訂正するなんて照れ屋なんですね」
なんでやねん。
いいかげんここで突っ込みを入れておかないと後悔しそうだった。
どのみち心の中だから結局後悔はするだろうが。
…いや、実際に突っ込みいれるともっと後悔するだろうな…。
「仕方ありませんね、祐一さんがそこまで飲みたいというのならまるまる一本差し上げましょう」
「い、いえ、無理に俺にくれなくても…」
「飲みたいという人の気持ちを無駄にはできませんよ。さ…」
すぽんっ
秋子さんが蓋を開けた。同時に値札の数字の動きが止まった。
本当に不思議な値札だ…。
「どうぞ、遠慮なくいっきしてください」
「しません」
「いっきするまで私が傍で見守ってあげますね」
「やります」
「冗談ですよ。美味しくゆっくりたっぷり召し上がってくださいね」
「………」
今後の俺の酒飲み人生は一体どうなってしまうのだろう…。
ふとそんなことを考えた後に、飲酒に走る俺であった。

<考えるだけ無駄じゃないでしょうか>


『ワイン』

とうとうやってきた、この料理。
前回もこれで最後であった。そして今回もそうであろう。
酒がやたらに多くもあったが、これで終わりだ!(のはず)
そんな最後くらいはやはり秋子さんに堂々と頼るとしよう。
というわけで、俺は素直に本を見せた。

『●ワイン
貧相な臭い。痩せた味わい
これは紛う方無き安ワイン』

「ああ…なんということでしょう…」
嘆きの声が辺りに響く。
そして、どこかで雫がぽたりと落ちる音がした。
「どうして最後にこのようなお酒しか…」
悲痛な表情だ。悲しみの雲が秋子さんの顔を覆っていく…そう見えた。
多分これまでに高等な酒が出ていたために、最後である今回が低等過ぎるようにしか見えないのだろう。
それだけに秋子さんのショックは大きそうだった。
どうしたものだろう?
さすがにどう声をかけてよいものやら思案していると、秋子さんはふいっと顔を上げた。
「…大丈夫ですよ、祐一さん」
「はい?」
「たしかにこの本の通りだと安物のワインを一晩中飲まなければなりませんが…」
「あのう、一晩中なんてどこにも書いてないですけど…」
「少し飲むだけでも大丈夫ですよね。その後で私からたっぷりといいワインを差し上げますので」
「い、いえ、遠慮…」
「そうね、いい案ね、それにしましょう」
「秋子さ〜ん…」
既に俺の声は届かなかった。
はなっから届かなかったのも間違いないが…
秋子さん的結論に落ち着いてしまった。
一晩中という単語が出てきた時点で既に駄目だ。
もはや今夜は、ワイン三昧になること決定である。

そして…夜。客が来ていた。
大勢ではない。ただ一人だ。しかしその一人が…俺にとって非常に不可解であった。
「やあ、こんばんは」
「…なんでお前がここにいる」
「失敬だな。僕は客として招かれたんだぞ?」
「そうですよ、祐一さん。私が招待したんです」
にこにこと秋子さんが言い放つ。
客とは久瀬。この世界で唯一のメガネキャラだ。
こいつでは萌えるわけもない、メガネキャラだ。
「君は何か非常に不愉快なことを考えていないか?」
「気のせいだろ」
「さあさあお二人とも。話は後にしてご馳走を召し上がれ」
急かすような秋子さんの声。
何か切羽詰っている。単に早く食べてもらってほしくてたまらないだけなんだろうが。
いや、食べる、じゃないな。飲む、だ。
別に急がなくても逃げやしないと思うんだが…。
そんなこんなで案内されたテーブルには、食卓の上には、たくさんの瓶が、ボトルが並んでいた。
「こ、これは!?」
久瀬が驚きの声をあげた。なんだ、この程度で驚いてちゃまだまだだぞ。
「ワインですよ。とりあえず料理名に書かれてある安物はあれですけど…。
後はこれらすべてを召し上がってくださいな」
どれどれを好きなだけ、というような選択権はないのだろうか…。
「…申し訳ないが、僕は辞退…」
「あらあら、辞退ですか?仕方ありませんね…」
ごそごそごそごそ
帰ろうとする久瀬に対し秋子さんが何かを取り出そうと準備を始めた。
やばい!こいつを今帰したら、もちろん久瀬もただではすまないだろうが、
何より俺がもっとただですまなくなる!
「何辞退なんて言ってるんだ。怖気づいたか?いや、折角の秋子さんの好意を無駄にするのか?」
「そういう問題じゃない。未成年は飲酒禁止だ」
こいつ、身も蓋も無いことを…。
俺が今まで幾度となく無理矢理黙秘してきたことを…。
「飲めないなら飲めないと言えよ。というか最初から来るな!」
「僕はご馳走を振舞うと言われてきたんだ。ワインを飲むなどとは聞いていない」
言い張るなあ…。こうなったら実力行使しかないのか?
そうだな、それしかない!
「名雪ー!真琴ー!久瀬を押さえろー!秋子さんのワインを飲んでもらうためにー!」
ぴぃーっと口笛&大声。これで飛んでこなければもうあいつらとは絶交だ。
水瀬家の平和のために、ひいては俺の平和のために!
「…まったく、そこまで言うのなら一口だけご馳走になろう」
「え?」
「折角招いていただいたのに、僕の都合で帰ってしまっては申し訳ないからな…。
すみません、一杯だけいただいて帰ります」
言うだけ言って、ころっと態度を変えて、久瀬は席に着いた。
「あらあら、そうですか」
秋子さんを見ると、先ほどの準備はどこへやら、既にワインを手に持っていた。
瞬間、秋子さんの周囲から何かおぞましいものが“さーっ”と引いていく様相が見えた。
何かがあったのだろう。何かすさまじいものを発していたのだろう。
もしかしたら久瀬は無意識のうちにそれを感じ取って、腹をくくったのかもしれない。
…多分この辺は気にしてはいけないところなのだろう。
「そういえば久瀬さんは安いワインは無理に飲まなくて良かったんですよね。
ではこちらの…ネクタルをどうぞ」
「ネクタル…ですか?」
ラベル無しの、秋子さんお手製のそれが差し出された。
俺はそれを一度味わって…どうなったかはもはや覚えていない。
何も言えずに見ていると、グラスに注がれたそれを久瀬はくいっと飲んだ。
「………」
ぱた
…久瀬は倒れてしまった。
「あらあら、神々の国を見に行ったのかもしれませんね」
「はあ!?」
「どことなく某錬金術師さんに似ていらっしゃいますしね」
「あ、あの…」
「大丈夫ですよ、帰ってくるかは彼の意志次第です。
さあ祐一さん、次はあなたですよ。たくさん飲んでくださいね」
「うわああー!」
叫び声をあげる。
そういえば先ほど呼んだ約二名はいまだここに姿を現していない。
秋子さんを前にしては来る勇気もわかないのかもしれないが…ちくしょう、本気で絶交してやろうか。
結局俺は…安きも高きも甘きも渋きも軽きも重きも白きも赤きも…。
ワインというワインを一晩中飲んでいたのだった。
ちなみに久瀬が目を覚ましたのは…そんなもん覚えてらんねー。

<さんざん>