『幻のおおとろ』

嫌なものが出やがった。
こういう類のものは、タカられなかったためしが無い。
さっさと帰って秋子さんに…。
「甘いわね、相沢君」
そそくさと荷物をまとめて帰ろうとしたところへ声がかかる。
その主は香里だった。腕を組んで仁王立ち。俺を帰す気は無いということが一目で分かった。
「出やがったな…」
「人を化け物か何かみたいに言わないでほしいわね」
つかつかと歩み寄ってくる。何を狙っているかは見え見えだ。
幾度もこういう経験をした俺だからこそわかる。
…本当はそんなもん分かるようになりたくなかったが。
「いつも相沢君にタカりをかけてる北川君とあたしとは違うのよ」
率直にきた。かなりやる気らしい。
「何だよ、何が違うってんだ?」
「それはね…」
言いかけると同時に、香里はぱちんと指を鳴らした。
と、彼女の背後からひょこっと顔を出した人物が…。
「こんにちは、祐一さん」
それは栞だった。
っていうかいつの間に居たのだろう?
気配を消す術でも身につけたのかもしれない。
「こんにちは、相沢さん」
「おわっ!?」
予想外に、新たな声がした。
それは天野。栞の更に背後に隠れていたらしい。
…ますます気配を感じ取れなかった。これは手強いぞ…。
「…って、三人でどうしたんだ?」
まさかこの三人で俺にタカりをかけにきたわけではないだろう。
いや、案外そうかもしれない。新たなタカり隊なのか…。
それならばタカリーズエンジェルとでも呼んでやるとしようか、丁度三人だし。
「相沢さん、それはセンスが悪すぎると思います」
「考えてることに突っ込むなんて反則だぞ天野」
「美汐ちゃん、相沢君はなんて考えてたの?」
「タカリーズエンジェルと…」
「うわっ、祐一さんセンス悪いです」
「発想は上手いと言ってあげてもいいかもしれないけどね…」
「タカリとかけるのはよくないと私は思います」
口々にまくし立てる。俺の意見は既に通らない。
なんて連中だ…。ここは少し話題を変えてやろう。
「ところで香里、部活があるんじゃないのか?」
名雪の席を指差しながら告げてやる。
既に名雪は居なかった。だから香里も…。
「何言ってるの。これから相沢君があたし達に好きなだけ大とろをご馳走してくれるって言うのに、
部活なんか出てる暇なんてないわ」
「俺はそんなご馳走なんてしないぞ」
「祐一さん、ご馳走様です」
「だからしないって」
「相沢さん、よほど裕福なのですね。感服いたしました」
「せんとゆーとろーがああああ!!」
三連撃に俺は耐え切れなくなった。
だがしかし、ギリギリの理性で俺は我に帰る。
「大とろなんて俺がいつ言った?」
「言わなくてもわかるわよ」
そんな馬鹿な…。
いくらなんでも、それではあまりに俺が不幸だ。
ちなみに本の中身は…

『●幻の大とろ
某食通に幻とまで言わしめた
品質最高の大トロの刺身』

…というわけなのだ。
「相沢くん」
「なんだよ」
「実はあたしがその食通なのよ」
「何言ってんだお前」
とうとう香里が変な言いがかりをつけ始めた。
いや、とうとうってほとでもないな、元からだ。
「なるほど…ならば祐一さん、お姉ちゃんが幻と言わないと合格しませんよ」
「おい…」
「香里さんを満足させるために相沢さんが奮闘するんですね…今日はそういうオチでしたか」
「勝手にオチを決めるな!」
そんなこんなで…

…とある料理店。
べらぼうなとろを振舞っている俺の姿がそこにあった。
金のない貧乏学生さんのくせになんで俺はいるんだ?
しかもなんで振舞っているんだ?
そうか、これは夢だ、幻だ。
そう自分に言い聞かせ…俺はとろを食すに至った。

<ま、合格としてあげましょうか>


『まろやかチーズピザ』

きた…。
きてほしくないようなのがきやがった。
チーズ、などという文字がある。これは危険だ!
とか思っていたら…

『●まろやかチーズピザ
ジューシーなパイナップルが
たっぷりと乗ったピザ』

…どうやら、チーズが主ってわけではなさそうだ。
しかし…だったら何故にタイトルにチーズが付いている?
ピザはもちろんチーズあってこそだが、パイナップルが主なら別のタイトルにしてもよさそうだ。
「書き換えてみようか?」
ふと思い立ってみた。けれどもたたりなんかあると恐そうなのでやめておこう。
「決断が早すぎですね」
「ぐわっ!?」
不意打ちをくらった。振り返るとそこに天野がいた。
「よう天野、奇遇だな」
平然を装ってみた。
「新たなことにチャレンジするいつもの相沢さんはどこへいったのですか?」
無視された。
「新たなことにチャレンジって…天野、何か勘違いしてないか?」
「いつも新技をくりだしていらっしゃるではないですか」
そんなことをしているわけじゃないんだが…。
「そして、今度も50cmピザいっきとかするのではないのですか?」
誰がんなもんするか。
っつーか、なぜイッキにばかり到達するんだ。
「今回は普通に食うぞ、絶対にな」
「そうですか…。では一体誰にすがるおつもりなのですか?」
「すがる、って…」
それは言い方が悪くないか?
まあしかし、これは特に誰に頼る必要もないだろうな。
「自分で買うことにするよ」
「そうはとんやがおろすでしょうか?」
「何をするつもりだ…」
「買ったものが果たしてまろやかだとか素晴らしいピザになりうるでしょうか?
いいえ、私はないと思います」
そういうわけか。
しっかし反語なんて使うなよ。
「そんな根拠はないだろうが」
「これは私の勘です」
そんなカンは働かせなくていい…。
よし、こうなったら…。
「ふむ、だったら天野が作ってみろ」
「…その手にはのりませんよ」
「だろうな。天野に作れるはずもない」
「相沢さんこそ作れないのでは?」
「俺は元々料理が下手だからな」
「…私だって、そんなに料理は上手じゃありません」
「だったら天野とこれ以上話してても無駄だ。じゃあな」
ぷいっと背を向けた。本に視線がいっていた天野に気付き、その本も見えない所に隠す。
そのまま俺は歩き去ろうとする…
「待ってください」
と、天野が呼びかけた。
しめたとばかりに振り向くが、そこは平静を装う。
「なんだ?」
「挑戦してみます。倉田さんの協力を仰ぐことになりますが…」
「挑戦?何に?」
「ピザ作りに、です」
「いや、無理はしなくていいって」
「無理ではありません。これはこだわりです。主婦は少なからずこだわりをもつのです」
お前は主婦じゃないだろが。
っていうか、主婦ってそういうもんだったのか?
いや、主婦じゃなくてもこだわりってのはあるだろうが。
「それじゃあ天野、頼っていいのか?」
ここぞとばかりに言葉を投げかけると、天野の顔が少し緩んだ。
「もちろんです。食べて驚かないでくださいね」
「…期待してるぞ」
「はい」
してやったり。天野は任せろと言わんばかりの勢いで頷いた。
まわりくどく卑怯な風にも思えたが、たまにはひねって対応というのもアリだろう。
しかしながらそういう行為は嫌われる元だろうから以後は控えておこう。
「…相沢さん?」
「ん、どうした天野」
「何か考え事をしてらっしゃるようでしたが」
「なんでもない。さ、とびきりのピザを頼む」
「わかりました。ほんと美味しいですからね」
「ああ」
「急いで食べて指まで食べないでくださいね?」
「食べん食べん」
「チキンとポテトは値段が高くドライヤーズはただ大きいだけですが…」
「は?」
「しかもボスの絵はニセモノなんです」
「なんのこっちゃ…」
「バイクが走らなくて…サンタさんはうなだれてました」
「何をさっきから言ってるんだ天野」
「ネタです。内輪なので多分わからないでしょうね」
「だったら言うな…」
変なからかいが手前に入った。
それはそれとして、ピザは美味しくいただいた。
佐祐理さんの家でいただいた。チーズがとてもいい味を出していた。
さすが天野、宣言したとおりにつくってくれた。
まろやか〜、だ。
「人件費は300%です」
「なんなんだよそれは」
「あはははーっ、私のブロッコリーは育ちませんでしたーっ」
「佐祐理さんまで…」
「「二人だけの内輪ねたですから気にしなくていいですよ」」
「………」
めちゃくちゃ気になるんですけど。

<キャノピーでドリフト>


『ミラクルチャーハン』

『●ミラクルチャーハン
炎に勝利した者のみが作り得る
という究極の炒飯』

炎に勝利とは…一体どういう意味だろう?
まさか本当に炎と格闘とかするってわけじゃないだろうし…。

マスクザレッド祐一ただいま参上!
お客さんもう大丈夫ですぜ。この俺が来たからにはこんな炎けちょんけちょんにやっつけてみせます。
いいえ、御代は一切いただきません。いただくのはお客様の地位、名声でございます。
人が居なくなればそのようなものは一切価値無し。代わりに私が役立ててみせましょう。
どう役立てるのかというのは後のお楽しみ。ヒエッヒエッヒエッ。

「…なんてわけじゃないだろうしなあ」
「当たり前です…」
「なななっ!?天野!?」
「はい」
いつものように、突然天野が現れた。
そしてすっかり心読みが定着しつつある今日この頃。
「いいえ。今回は多分どうせ相沢さんの頭はそんなもんだろうと思って言ってみただけですよ」
「余計なお世話だ」
いつもながら遠慮がないな、天野は。
ついでだからこの料理について教えてもらうか。
「なあ天野…」
「じゃーん、真琴が教えてあげるわよ!」
「うわっ!」
これまた唐突に現れた。まるで経験値が0のは○れ○タ○みたいだ。
つまりはまったくもって嫌な敵って意味で…。
「って、おどかすな!」
「相沢さんはまだまだ不意打ちに慣れないご様子で」
「誰だって不意打ちにはなれないと思うぞ」
それこそ、けいかいの能力を持ってないと…。
人間はもてないからな。モンスターもしくはエスパーだけが持てる。
しかし、人間ながらに秋子さんは多分持ってるだろう。
「そんなことより祐一。真琴が教えてあげるわよ!」
「何をだ」
「炎との戦い方」
「そうかそうか、そりゃあよかったな」
「むう、信じてないわねえ!」
「どうせ漫画の話とかから引っ張ってきた知識だろ?」
真琴が何かやってやろうってのは大抵そういうものだ。
「大丈夫よ。炎の精霊を…」
「却下だ」
「あぅーっ。まだ途中よう!」
「全部言わなくてもわかる」
何が炎の精霊だ…。
「なるほど。考えましたね、真琴」
「あっ、美汐はちゃんとわかってくれるんだ!」
「もちろんですよ」
「わーいっ、さすが美汐!それに比べて祐一は…」
じと目で二人が俺をにらむ。その視線はやけに熱い。
おら、こっち来いこっち来い元気ってなほどに熱い。
「…分かったよ。で、どう作るんだ?」
本題に戻してやる。元々戦うのが目的ではないのだから。
そこんところは念頭においてもらわないと困る。
「作るんじゃなくて戦うの!」
ぽかっ
「いったーい!」
「相沢さん、真琴と戦うなんて…仲間割れしていては勝てるものも勝てませんよ?」
もう無視だ無視。一人で作るとしよう。
多分あの言葉の意味は、炎のような妨害とか火加減とかを大げさに書いたものだろう。
「チャーハンなら前にも作ったことがある。なんなら二人にもご馳走してやるぞ」
「「………」」
さらりと流した俺に二人は沈黙。とても意外そうな表情であった。
「…いいの?」
「ご馳走になってもいいのですか?」
そろって尋ねてくる。
もちろん俺はこう返した。
「いいぞ。たっぷり食わせてやる」
腕まくりをしてその場を去る。
キッチンでの激しい死闘の末…目指すものを俺は仕上げた。
どう作ったかだと?それを語るには燃え尽きてしまったから余裕がないな…。
とりあえず、真琴と天野には好評だったと言っておこう。

<奇跡だ…やったな>


『ミルキーポタージュ』

その日も外は大荒れだった。
いや、“も”という表現は正しくないかもしれない。
近年まれにみる激しさの吹雪だとか。
少なくとも俺にとっちゃあこの世の終わりだと言われても信じてしまいそうなほど。
横殴りにたたきつける雪の量も並ではなく、風の勢いもすさまじい。
それらを物語る一番の要素として…

ビュゴオオオオ!!

恐ろしいまでの風が鳴り響いていた。
校舎の内も外も関係無いほどだ。
外に立てば直に風の鳴りを受けて何も聞こえない。
内に居ても校舎を揺るがすほどの風鳴りによって何も聞こえない。
そこに自分が取り残された、孤独感をどうしようもなく味わわされる。
きっと南極にて吹き荒れる吹雪とはこんな感じなのだろう。
ちょっとした擬似体験。お得な気分だ。
「…ふざけんな」
声がかき消されることなど気にもとめず、俺は言葉を吐き捨てた。
吐き出さずには居られない。寒いのは苦手だ、という限度を既に超えているのだ。
もちろんそんな俺の声を聞く者は誰も居ない。
それもそのはず、時間はかなり遅いのだ。
放課後になり、あまりの眠たさに教室でうたた寝をしていた俺だった。
気がつけば、この様な事態になってしまっていたというわけだ。
俺より先に帰った名雪達は、のほほんと家でいることだろう。
多分心配して待っている事だろう。ソファーに座って外を眺めながらつぶやいていることだろう。
“祐一大丈夫かな…”と。“でもこんな吹雪の中出かけちゃったら共倒れになっちゃって嫌だよ”と。
「…ま、そんなもんだろうな」
俺としても、わざわざ出迎えに来てもらうまでもないと思っていた。
いやさ、やっこさんの心配度が頂点に達する前に帰宅しなければならない。
決心を固める。一歩を踏み出す。
風と雪に足元をすくわれそうになる。
なんとかこらえて、さらに一歩を踏み出す。
ほんの数歩だけだが、俺の半身は瞬く間に白く染め上げられてゆく。
傘は役に立たない。頼れるのは己の根性のみ、である。
ゼロにほぼ近い視界。だがかろうじて2,3メートル先までは認識できる。
その視界に頼りながら…寒さに構っていられないほど必死に歩を進める。
その途中。なぜだかわからないが、どこかの国で…
木の枝が一本ぽきりと折れたような気がした。



「…ただいま」
命からがら、という表現が正しいだろう。
全身真っ白の体がちがちの状態で、俺は水瀬家に帰宅した。
玄関の扉を開けた時の感動といったらなかったほどだ。
瞬間に身体を心を包み込んだ暖かい空気により、なんとも言えないほどの安堵感が全身を走り抜けた。
さっきまでの緊張感があっという間に緩む。
「ああ、生きててよかった…」
「お帰りなさい、祐一さん。猛吹雪の中大変だったでしょうに。さ、お風呂沸いてますよ」
いつものように秋子さんが出迎えてくれる。
視界にうつったその笑顔に、またも救われた気がした。
まずは手渡されたタオルでぬれた体と髪を拭く。ふんわりとした感触に安らぎを感じる…。
「それと、今日の晩御飯は名雪と真琴が頑張って作ったものですから。
楽しみにしててくださいね」
「え…?」
「二人とも祐一さんを迎えに行こうとしてたんですが危険だと思って私が止めたんです。
そうしたら、せめて祐一さんの為にご飯を作るんだー、ってとても張り切ってましたから」
「へええ…」
更に更に、温かみが増した。
なんとうれしいことではないか。俺のためにというところが…。

一服。正確には、風呂に入って疲れをいやす。
上がってキッチンに顔を出せばなんともいい匂いがただよってきた。
「お帰りなさい祐一。大変だったね」
「今日はぽたーじゅよ!」
名雪と真琴が笑顔をそろって見せてくれる。
料理名を聞いた俺は、そういえば…と本を読み返してみた。

『●ミルキーポタージュ
心温まる優しさに溢れたポタージュ』

ばっちり!
しかもこんなに温かみのあるものは他にはなかった。
タイミングによるものもあるだろうが、俺としては非常に満足である。
部屋を漂う柔らかな香りが鼻をくすぐる。
視覚に入った優しい色が目をなでる。
そして一口味わえば…
「つまみ食いは駄目だよ、祐一」
「やけどするよ?」
食器も持たずに手を伸ばした事に、二人からたしなめられた。
ちょっとしたお茶目だ、気にするな。
心の中で精一杯のほほえみを投げかけながら、
そして食事の前に感謝の言葉を投げかけて、
俺はありがたくその料理をいただいた。

<あたたかい…>


『魅惑のフィレット』

『●魅惑のフィレット
肉好きの人の心を捕らえて離さない
魅力的なヒレステーキ』

「肉好きか…」
果たしてそんな奴が居ただろうか?
いや、居なくてもいいのだ。俺が食うんだからな。
「肉まん好きなら居るな…」
困るとあぅあぅ言ってる奴の顔を思い浮かべる。
その顔には既に“肉まんちょうだい”と大きく書かれていた。
なんて図々しい奴だ。俺の空想の中でもねだってくるとは。
呆れていると、そいつは“なによぅ!”とパンチを繰り出してきた。
乱暴な奴だな…。
俺はひょいっとそれを受け止める。弱いくせに元気な奴だ。
“あぅーっ!”
再びパンチが繰り出される。もちろんさっきとは別の手だ。
そのさっきの手を受け止めていた自分の手とは逆の手でそれをはたく。
“あぅーっ、素直に殴られなさいよぅ!”
無茶を言うな。しかし何故だか殴られてやろうと思った。
“いくわよーっ!”
勢いの良い掛け声と共に、はたかれた手が復活してくる。
目前に迫ったそれは、俺のほほにぶちあたった。
ぺちん
軽々しい音が鳴った。やはり弱いパンチだったな。
お前はその程度だ、と不敵な笑みを浮かべてやる。
“あぅ…悔しい…”
急に弱弱しい顔になり、肉まんの文字も消えていった。
何を落ち込んでいるんだ真琴。肉まんなくしてお前はどうなる?
“あぅ、もうどうでもいい…”
こら、弱気になるな。俺が折角遊んでやって…
「祐一、祐一」
とんとんと肩を叩かれると同時に呼びかけられた。
「…ん?おお真琴、復活したか」
「復活?」
「さっきまでのふにゃふにゃ顔が嘘のようだぞ」
めいっぱいほめてやる。元気がいい真琴が一番だ。
「わけわかんない…。あ、それより祐一」
「何だ」
「秋子さんにね、お買い物に行ってきてって頼まれたの。
でも買う物が多いから祐一も一緒に来て?」
「おお、買い物か…」
そこはかとなくなじみの深い言葉ではないか。
お米…いいや、肉、肉だよな?
「何を買うんだ?」
「えっとね、とびっきりのお肉。今夜はステーキだって」
「なるほど!」
「ついでに肉まんも買っていいって言われたんだけど、肉が重なっちゃうのよね…」
贅沢な奴だ。好物を目の前にしてそれでいいのか?
真琴はそれでいいのか?肉まんが泣くぞ!
「頑張って食べろ」
「食べたいのはやまやまだけど…うん、やっぱり食べようっと♪」
どこかで決心がついたらしい。ごきげんになった。やったな。
「しっかし都合よくステーキとは…これも肉まんを離させない俺の魅力の賜物だな」
「何わけのわかんないこと言ってんの。早く行こうっ」
「ああ分かった」
急かす真琴をなだめつつ商店街と繰り出す。
肝心の肉も肉まんも上等のものを仕入れ、俺たちはごきげんであった。

<ちゃーみんぐ>


『仔羊のミンチステーキ』

「おかしい…」
放課後。俺は本を見ながら首をひねっていた。
何がおかしいのかというと、それは料理名だ。
順番からしてま行のはずだった。
しかしながら今回は“こ”で始まってる料理名ではないか!
何かのミスだろうか?何度も何度も、首をひねらずにはいられない。
まあ悩むのもそこそこにしておいて…と。

『●仔羊のミンチステーキ
ミンチにした子羊の肉を固め
鉄板で焼いて作った食べ物』

こんな料理を食おうとしてたら、また舞がやってきて…
「羊さんは私が護る!」
そう、そんなことを言い出すに違いな…
「いいっ!?ま、舞!!」
虚を突かれた。やはり舞はやってきていたのだ!
しかし、いつ料理名がばれたんだ?
「祐一、7匹の子羊さんを食べるなんて…とうとう狼さんになった」
昔話かよ。
「っていうか、あれはヤギだろうが」
「…間違えた」
間違えるなよ…。
「嘘つきの少女を食べた」
また昔話か…しかし。
「舞、それは少年だ」
「…間違えた」
よく間違える奴だな。
「わかった。豚さんを食べようとした」
おお、それは当たりだな。
「舞、正解だ」
「よかった」
少し舞が微笑んだ気がした。当たってよかったな、舞。
って、ほのぼのしてる場合じゃねええ!!
「やっぱり男は狼だった」
「こら、それは微妙に間違えてるぞ!」
「というわけで祐一を狩る」
「狩るな!」
「心配ない。五分刈りにする」
それはまた微妙に間違えてないか?
と、言葉を投げかける間もなく舞は武器を取り出した。
小さいがきらりと光るそれは刃物だ!
「…って舞、なんだそれは」
「糸切りばさみ」
「そんなんで髪の毛を切ろうとするなあ!」
「心配ない、ちゃんと研いでる」
「そういう問題じゃない!」
「…いざ!」
「いざじゃねええ!!」
…とまあ、いつもの舞には似つかわしくないボケ合戦をやった後。
俺は佐祐理さんの家に御呼ばれしてた。いつもの展開だな。
なんだかんだで結局佐祐理さんがご馳走してくれて…。
「なあ佐祐理さん」
「はい?なんですか?」
「なんでいつも俺にご馳走振舞ってくれるんだ?」
「舞がとっても楽しそうでしたから。あはははーっ」
そうか、佐祐理さんは舞が楽しいという事にプラス要素をとらえているんだ。
…何か間違えている気がする。このままでいいのだろうか?
ちなみに目の前に用意されていたのは、見たこともない料理であった。
どこがどうどのへんが仔羊なのやらさっぱりわからないくらいに。
っていうか肝心のステーキ自身が野菜に埋もれちゃっている。
…これも何か間違えている気がする。
そうだ、間違えついでに何故五十音順に反した料理が出てきたのか再び考えてみよう。
きっとゲーム中での不具合があったか何かだろう。
こう納得しておくことにした。
「…待て、ゲームって何のゲームだ」
不意に思ったことに突っ込む。
だが、それもすぐに、綺麗さっぱりと忘れてしまった。
やはり目の前にこういう料理を用意されては…。

<間違いだらけ?>


『目玉焼き』

“朝〜朝だよ〜朝ごはん食べて学校いくよ〜”
カチッ
いつもの名雪の目覚まし時計。
二度寝したくなりそうなこの声を、そろそろ変えてしまおうかと思ってしまう。
しかし目覚めは爽やか。それも、俺の精神の賜物であろう。
「ふあ〜あ」
体を起こし、吐き出すあくびと共に行う伸びは気持ちがいい。
一日の始まりだ。
着替えなどの仕度は素早く済ませる。
廊下に出ると、部屋の中とは違った雰囲気が漂ってきた。
要は静かだってことである。
ここいらへんで“うわ〜、遅刻するよ〜”とか“あぅーっ、朝起きるの祐一に負けたぁー!”
なんてどたどたでもあれば気分転換になるというものだが…。
がちゃっ
「お?誰が起きてきたんだ?」
浸っていると上手い具合に開いてくれる扉。
期待を膨らませて待っていると…。
「おはようございます、祐一さん」
「おはようございます」
秋子さんが顔をのぞかせた。
たくさんの洗濯物が入っていた籠を持っている。
なんということだろう、俺の希望は見事に崩れ去ってしまった。
などと思っていると、秋子さんはよいしょと籠を持ち直してこう言った。
「名雪と真琴ならもう起きてますよ。下で朝食を食べてます」
「え…」
いかん!先を越されたのは俺の方だったようだ!
慌ててきびすを返し、どたどたと階段を駆け下りてゆく。
後ろの方で秋子さんが“あらあら”と笑う声が聞こえた。

四角い食卓の上に並ぶいろとりどりの野菜、そしてパン、コーヒー。
たっている湯気や、ドレッシングの色に、食欲がそそられる。
そして、もう一つ…

『●目玉焼き
キレイに割った卵を
片面だけ焼いて作った料理』

これがあった。目玉商品ならぬ目玉おかずだ。
そして、名雪も真琴も美味しそうにそれらをはぐはぐと食べていた。
「おはよう祐一。あんまりのんびりしてると遅刻しちゃうよ?」
「おはよーぅ。えっへん、今日は祐一より早かったわよ」
見事に逆のセリフを喋ってくれた。
なかなかナイスな裏切りだ。悪い気はしない。
「おはよう」
挨拶を告げて、俺も食事にとりかかる。
ごく普通のようなそうでないような朝に満足しつつ、
おだやかな朝の一時を過ごしていた。

<平和のめだま>


『元牛乳』

「ざけんな」
本を見るなり、開口一番俺はそう言葉を吐き捨てた。
そうせずにはいられない。何が“元”だ。
どこにそんな料理が存在するというんだ。常識を考えろ。
旅行に出かけて偶然の作用でできあがっただとかじゃないと出来上がらない。
意図的に作るのもありだが、俺はそんなものは認めない。
認めてなるものか。認めたら最後俺は俺でなくなってしまう。
相沢祐一は相沢祐一ではなくなってしまう!
「でも祐一さん、それを食べるんですよね」
「栞!?」
いつのまにか覗き込まれていた。
まあそれもいつものことかもしれないが。
「頑張ってください。さすがに同情するのでいっきは頼みません」
嫌な同情だった。
そう、こいつを食さなければならないのだ。
たとえ腹を壊そうとも…そうだ説明には何が書いてあったっけ?
思考の方向を変えて本を細かく見てみる。
たしかヨーグルトとかチーズとかは牛乳を元にして作られてる。
もしかしたらそれのことを指しているのかもしれない…。

『●元牛乳
ううっ…
お、お腹が…』

「ざけんな!そのまんまじゃねーか!!」
「どうやらこれは腐った牛乳を指すみたいですね」
嫌な表現をするな。お兄ちゃんは悲しいぞ。
「栞は兄不幸だ」
「私にお兄ちゃんなんて居ません」
「冗談だ、気にするな」
「そんな冗談言う人きらいです」
ぷいっとそっぽを向かれる。
それはそれとして、いい案を思いついた。
「そうだ、栞も一緒に元牛乳を飲まないか?」
「そんなもの誘う人嫌いです」
全然いい案じゃなかった。
いやそれ以前に、栞を誘うことが何故いい案になるのだろう。
もっとよく考えて喋らないといけないな…。
「祐一さん、私がバニラアイスが好きだからって誘わないでください」
「…何の関係があるんだ?」
「だって、バニラアイスは乳製品じゃないですか」
「…ああ、そういうことか」
なんだ、しっかりとした繋がりはあったわけだな。
なかなかナイスな考えに至っているじゃないか俺!
「というわけで栞、一緒に元牛乳を…」
「だからそんなもの誘う人嫌いです」
やっぱりナイスな考えじゃないぞ、俺。
仕方が無い、諦めて一人さびしく食すとするか…。
「とはいえ、どうすりゃいいんだ?」
牛乳を買ってどこぞに置いとけとでも言うのだろうか。
しかしなあ…。
「大丈夫です祐一さん」
「なにっ?」
意外にも栞は自信満々に呼びかけてきた。
もしかしたらもしかするかもしれない。
「うちにたくさん牛乳があります。多分どれかは消費期限が切れてますよ」
「そうか…って、なんでたくさんあるんだ?」
「それは…秘密です」
しいっ、と口に人差し指をあてる。
なんとなく予想がついた。乳製品だしな、あれは。たしか製造機もあったことだし。
ただ、折角の栞の提案にも弱点があると思った。
「なあ栞、ただ単純に消費期限が切れてるだけじゃ意味がないぞ?」
「その点はぬかりなしですよ」
ぬかりなし…。
非常に嫌な響きだった。

そんなこんなで栞家にやってきた。
いや念のために訂正しておこう、美坂家にやってきた。
「どうして訂正するんですか?」
「訂正しないと多分俺の身が危ういからだ」
「???」
疑問いっぱいの顔だった。
まあ、栞は無理にわかる必要はない、ないんだ。
簡単すぎてあくびが出そうになるほどのことだから…。
「えっと、ありましたよ祐一さん」
考え込んでいると、ブツを渡された。
それは牛乳パック、200cc。埃は特に被っておらず、汚れてもいない。
だが、日付を見て驚いた。これは元牛乳と言っても差し支えない!
なにより、液体の感触が変だしな。
「…なぁ、本当にこれ飲まなきゃならないのか?」
「祐一さんのために折角取り出したんです。飲んでください」
何気に容赦ない言葉をあびせてくる。
栞、それはさすがにあんまりじゃないか?
しかしここでしぶってても仕方が無い。頑張って飲むとしよう。
…食中毒にならない程度に。
パックを開ける。中から立ち上ってきた臭いに、とても不快な気分になる。
「ぐ、こ、これは強烈な…あれ?栞?」
辺りを見回すと、既に栞はいなかった。いや、ドアの向こうから手と顔だけ出している。
「祐一さん、頑張ってください。できたら、トイレとかで飲んでほしいですけど」
更にあんまりな発言をかましてきた。
いいさ栞、お前の気持ちもわからんでもない。
あえて俺は、今だけ嫌われておこう。蛇蝎のごとく。
勝手に浸って、トイレへそのまま向かう。
そして…飲んだ。すると…
「う、お、お腹が…」
結局腹痛を起こしてしまった。
我ながら思うのは、
「よく吐いたりしなかったな」
という事である。
「祐一さんの胃がそれだけ丈夫になってきたんですよ」
と栞は言ってくれたが…果たして?

<飲んだら飲むな>


『八重垣“無”雫搾り』

久々にやってきた気がする。
ただの酒、ってことじゃないぞ。日本酒っていうことだ。
ま、何がこようがもう俺にはどうでもいい。
どうせ違いなんてわからないんだ。
ただ黙って飲むだけさ…。
「祐一さん」
気がつくと秋子さんが横に立っていた。
しっかりと腕に一升瓶を抱えている。そしてコップも手に持っている。
準備万端だ。だがその目は少しばかり悲しみを含んでいた。
「嘆かわしいことを考えないでください」
「………」
相変わらず心を読むのが得意みたいだ。
いいんだ、それももう慣れた。
「その諦めたような目は、誰が見ても嘆かわしく感じますよ」
「目…」
そうか、知らず知らずのうちに目に出していたんだ。
なるほどそれなら思い切り納得がいくぞ。
「で、秋子さん。それはこの本に載ってるこのお酒なんですね?」
たしかめるように、肝心のページを見せる。

『●八重垣“無”雫搾り
端麗では褒め言葉にならない。本質を
見据えれば別の言葉が浮かぶはず
これはそんな酒』

「ええ、その通りです。さあ祐一さん、飲んでみてください」
とくとくとく
小気味よい音を立てながら注がれてゆく酒。
いつも通りだ。どうしようもなくいつもどおりだ。
別の言葉が浮かぶはずもない。いつもどおり酒なんだから。
ほぼすべてを諦めた顔で、注がれ終わったコップを手にとる。
そして口をつけた。
「………」
「どうですか?」
「…これは…どう表現すればいいんですかね…」
なんと悩んでしまった。感想を述べることに。
どうしてだろう。ただの酒なのに。ただの酒のはずなのに…!
「祐一さん、どう表現したいと思いますか?」
「表現したい…そう、そうですよ。なんかこう、別の食感があるっていうか…」
しどろもどろになって答えていると、秋子さんがくすりと笑った。
やけに満足そうな笑み。それは、見た時にいつもとは違う何かを思わされた。
「ただのお酒ではなかったでしょう?いつもどおりだと思っていてはいけませんよ」
「…そうですね、すいません」
すっかり見透かされてしまっている。
今回は完敗だ。いや、いつも完敗しているが。
「もっとも…」
「え?」
「すべてを飲むのはいつも通りですけどね」
「い、いえ、いつもすべてを飲んではいないですけど…」
しかし、瓶のほぼすべてを飲んでしまった俺ではあった。

<飲みすぎ>


『野菜炒め』

滅茶苦茶普通だな。
簡単に調理できるこの料理は、手軽に野菜を摂取できるものでもある。
一人暮らしにとってはなんともありがたい存在ではないだろうか。
既に炒め物系は俺には手馴れたものだ。
仮に8人の女性が同時に…
≪祐一、作って≫
なんてきたってどんとこいってことだ。
余裕だ。余裕で作ってご馳走してやってもいいくらいだ。
しかし残念ながらそんなものが来るはずも無い。
まったく調子のいい奴らだ。どうしてこういう時にこそ俺を頼らない!
仕方が無いので、その8人とは別の女性に腕を振舞ってみることにしよう。

「え?野菜炒めですか?」
「はい。今晩のおかずは俺に任せてください」
大胆不敵にも秋子さんに宣言してみた。
かなり調子に乗ってるな、俺。普段なら絶対にしないぞこんなこと。
「いいんですか?」
「いいもなにも、たまには頼ってくださいよ」
「それじゃあお願いしようかしら。たまには祐一さんの手料理もいいものですしね」
にこりと秋子さんは笑った。いつもとはちょっぴり違った笑顔だった。
心のどこかで期待しているのだろう。それは俺にもわかった。
というよりは、期待のまなざしを向けているだけかもしれないが。
「それじゃあ台所をお借りしますね。材料はもう買ってあるんで」
手際のいいことに、俺は学校帰りに食材を仕入れてきたのだ。
なんということだろう、今日の俺は一味違うぞ!
「積極的だね、祐一。こういう時は大抵空回りしてるのに」
「名雪、お前どっから沸いて出たんだ」
「うー、さっき帰ってきたんだよ〜」
ただいまの声を聞いた記憶は無いんだが…。
「それじゃあ祐一さん、お願いしますね。できるまで私たちは部屋で待ってますから」
「頑張ってね、祐一」
声援をかけながら二人はその場を去っていった。
声からも顔からも、期待の念がますます感じ取られる。
これはきっちり仕上げないとな!
「…けど真琴の姿がなかったな。おおかた部屋で漫画でも読んでるんだろうが」
今日だけは肉まんを食ってお腹いっぱいだという状態になってないことを祈ってやまない。
それはそれとして、早速料理を始めるとしよう。

『●野菜炒め
キャベツや人参といった野菜類を
油でサッと炒めたもの
強い火力がおいしさの秘訣である』

まずは買ってきた野菜を洗う。
材料として用いるのは、キャベツに人参、たまねぎ、ピーマンだ。
最初にキャベツを切る。一玉丸ごと使った。
もちろん千切りするわけにはいかない。手ごろな面積を計算して包丁を入れる。
それらを大きな中華鍋に放り込んだ。
お次は人参。皮むき器でしゃりしゃりしゃりと皮をむく。
そして切る。いわゆるいちょう切り。その前に二等分に切る。
2本もあれば上等だろう。えいっと中華鍋に放り込んでおく。
次にピーマン。へたの部分だけざっくり切って、更に本体を二等分する。
中の種部分をすべて取り除き、あとは洗ったあとにざくざくざく…。
「こういう時、好き嫌いを言わない人間ばかりだから助かるよなぁ」
最後にたまねぎ。頭とおしりとをある程度ばっさり切り落として、そこで皮をむく。
簡単にするりと剥けたそれを、ざっしゅざっしゅとまばらに切る。
目がいたくなりだす前に、ある程度の大きさがそろったところで手早く鍋に放り込んだ。
そこで火をつける。油はすでにしいてある。しばらく経つと、じゅ〜という気味のいい音が聞こえてきた。
後は念入りに焼く。しっかり火を通さないとな、たまねぎが甘くなるまで。
「っと、味付けを忘れるところだった」
シンプルに胡椒と塩でいいだろう。
適量をばらばらっとふりかけてやる。ある程度のところで味見もしてやった。
…うん、こんなもんだろ。
できあがったと判断したところで火を止める。
皿に四等分と、盛り付ける。
「あぅーっ、いいにおい〜」
「うわっ、真琴?」
気がつけば奴がそこにいた。
驚いたものの悪い気はしない。第一声に俺は非常に感動したからだ。
「美味しそうだろ」
「うん。これ祐一が作ったの?」
「ああそうだ。できたから秋子さんと名雪を呼んできてくれないか」
「うん」
とてとてと真琴が去ってゆく。
なんて素直なんだ…見違えたみたいだぞ。
感動している間に真琴は戻ってきた。二人を連れて。
そして始まる食事。和やかな会話で整えられる場。
彼女達の“美味しい”という反応に、俺は心底嬉しかった。
「今後も野菜炒めは祐一さんに頼もうかしら」
「あっ、それいい。でもって祐一は野菜炒めのプロ〜」
「うー。わたしはイチゴ作りのプロになってほしいよ」
「イチゴは作るっていうより育てるもんだろが…」
冗談で流されそうになったことではあるが、炒め物は極めようと頑張ってもいいかもしれない。
なんとなくそう思った俺であった。

<ある意味手軽>


『ヨーグルト』

「ねえ相沢君、一度ヨーグルトでおぼれてみない?」
わけのわからないことを香里が言い出した。
あの手この手で俺をワナにはめようとしている。
果たしてその先に何を見出しているのか…俺には皆目検討がつかない。
「どこにそんな溺れられるような場所があるんだ」
さも当然のように返してやる。
「あら、倉田先輩に頼めばあっという間に用意してくれるわよ」
なるほど、佐祐理さんか。たしかに彼女なら用意できなくも無いだろう。
(あっという間かは別にして)
しかし俺をはめるのにわざわざ佐祐理さんの力を借りようとするのか?
それよりそもそも、ヨーグルトで溺れて見ようなんて突拍子も無い案はどこから沸いて来るんだ。
「香里」
「何よ」
「なんで俺がヨーグルトで溺れないといけないんだ」
「あら、だって名雪から聞いたわよ」
名雪から…嫌な予感がする。
「なんて聞いたんだ」
「相沢君はいっつも酒におぼれてるって。
そんなの高校生にあるまじき姿でしょ?」
「………」
返す言葉も無い。
実際、酒を拒否しつつも最終的には美味いと思って飲んでいるから当たっている。
いや、やっぱりおぼれてるなんて表現は納得がいかない。
あれは飲まずには済まない状況だから飲んでるだけなんだ!
「でね、だったら健康的にヨーグルトで溺れさせてあげようって思ったのよ。
いわばこれは親切心ってわけね」
心の中で反論している間に香里はさっさと次の話に移っていた。
しかし…その親切心は間違ってるぞ、絶対に。
いや、むしろ香里の親切心なんてこんな程度なのかもしれない。
別場で共通点を見つけてやりたい放題。ふっ…。
「何よ、あたしの案に文句があるわけ?
いっそのことヨーグルトすべてを飲み干すという条件もつけていいのよ?」
「そんなもん付けるな!」
このままでは状況だけが進行して俺は取り残されてしまう。
そして無茶な要求をのんでしまうハメになってしまう。
それだけは避けねばならない!

『●ヨーグルト
牛乳を乳酸菌の作用で
ドロドロになるまで発酵させて
作った食べ物』

「こんなもの、普通に買って食べれば…」
「祐一さん、祐一さん」
「うわっ!佐祐理さん!?」
「はいっ。とびっきりのヨーグルト風呂を用意しましたよーっ」
「へ?…うわあっ、なんだこりゃ!」
気がつくと、目の前に大きな水槽があった。
さすが大きい。人が100人入っても大丈夫!ってなもんだ。
そしてその中には、白いどろどろの液体が入っていた。満たされていた。
匂いだけで分かる。これは…まさにヨーグルト!
「頑張って泳いでね、相沢君」
香里が腕を組んでこちらを見ていた。佐祐理さんの後ろから堂々と。
視線が気になって、自分の体を見てみる。いつの間にか水着姿になっていた。
「え、えええっ!?」
「はぇ?どうしたんですか、祐一さん」
「な、なんで俺こんな格好なの!?」
「それはこのヨーグルト風呂で泳ぐからですよーっ」
あははーっと佐祐理さんは笑う。やけに楽しそうだ。ひとごとみたいに楽しそうだ。
絶対に高みの見物としゃれこむであろう。そしてそれは香里も同じであろう。
もはや俺は諦めざるをえない状況であった。
「しっかしなんで冬に水泳なんか…」
一般的理論で愚痴ってみる。何かいい反応があるかもしれない。
「あははーっ。心配しなくても暖房完備ですよーっ」
「そ。だから寒中水泳…寒中ヨーグルト泳じゃないわよ。よかったわね、相沢君」
人をナメた反応しかなかった。非常に残念だ。
っていうか、暖房完備なんてしてたらこのヨーグルトやばいんじゃ…
などとヨーグルトの心配をしていても仕方が無い。とっとと、無難に食ってしまうとしよう。
「こういう非常識に慣れてしまってる俺、嫌だなあ…」
「全部のんでね、相沢君」
「飲めるか!」
「駄目ですよ祐一さん。佐祐理は、祐一さんがすべてを飲み干す姿を楽しみにしてるんですから」
「佐祐理さん、体積を考えてくれ」
こんなもん全部のんでしまったら、俺は人間でないことを認めるも同じだ。
いや、地球上の生物ではなくなってしまう。もはや異次元の魔物だ。
「贅沢ねえ。こんな立派なもの用意されておきながら」
「だろうな。たしかに贅沢だ」
こんなもの用意してるってことが非常に贅沢だ。
「祐一さん。男らしくヨーグルトいっきをしてください」
「だから、全部は飲めないってば!」
そして…おれは飛び込んだ。
ヨーグルト風呂に飛び込んだ。
やってることはもはや馬鹿以外何者でもない。
しかし、それでも俺は飛び込んだ。そして食した。

<そして溺れた>