『●ベジタブルジュース
緑黄色野菜の果汁を使って作った
栄養満点のジュース』
「真琴が作ってあげるね!」
どかっ
「ぐをっ!」
朝。寝起きの直後に蹴りを一発かまされた。
満足そうに本を抱えて真琴が去ってゆく。
「って、いきなり何しやがるー!」
怒って俺は後を追いかける。
着替えも途中だ。いや、まだ寝巻きのままだ。
バタバタバタと駆ける。
「祐一」
「どわっ、名雪!」
なんと名雪が廊下の真ん中に立っていた。
珍しくもちゃんと制服姿だ。前後逆だが…。
「おやすみなさい〜」
「………」
ぽかっ
「う〜、痛いよ〜…くー…」
やっぱり寝てやがったか。
とうとう目を開いたまま寝られるようになったか。
しかも寝ながらも誰が来たかを認識できるようになったみたいだな。
日が経つごとにこいつも進歩…してないか。
「早く起きろ!って、名雪に構ってる暇はなかった…真琴ー!」
相変わらずふらふらくらくらしている名雪をほっぽって、俺は階下へ降りてゆく。
バン!
勢いよく扉を開けた。
「おはようございます、祐一さん」
「おはようございます秋子さん!真琴は!?」
「真琴なら…」
秋子さんが指差したキッチンには、緑色の液体をコップに入れて喜んでいる真琴の姿があった。
どうやら既にブツをつくりあげてしまったらしい。
やけに嬉しそうなその笑顔に、俺は慌てて駆けて来たなんて事をすっかり忘れてしまった。
「祐一さんのために野菜ジュースを作るんだって張り切ってましたよ」
「ったく…だったら普通に、作ると宣言すりゃいいのに…」
寝起きに蹴られたことは一体なんだったのか。
まあいい、折角作ってもらったんだ。ありがたくいただこう。
早速ご馳走になろうと、俺は真琴のそばへと歩み寄った。
「真琴…」
「あ、祐一。肉まん10個と引き換えだからね」
「は?」
「は?じゃないわよ。真琴が精魂込めて作ってあげたんだから、それくらいしてもバチは当たらないわよ」
「………」
ぽかっ
「あぅーっ!なんで殴るのよぅ!」
「お前のそんな欲深い取引は却下だ」
「ええーっ?」
たまに機嫌よくやったと思ったらこういうことかよ。
信じる俺が馬鹿ってことか…。
「肉まん10個なんておごってられるか」
「べーだ。だったらジュースあげないもん」
「ああいいぞ。俺はどうせ他で飲む」
「あぅ…」
急に沈んだ顔になる。負けを認めるのが早い奴だな…。
「…わかったわよぅ。これ祐一にあげる」
「肉まんと取引は無しだぞ?」
「うん…」
相変わらず暗い顔。そんなに悔しかったのか?
おっと、とりあえずいただいておくとしよう。
ごくごくごくごく…
「…にが」
「野菜だもん」
「そういうもんか…?」
膨れっ面を見せてそっぽを向く。
やれやれ、仕方ない奴だな…。
「で、真琴。今日帰りに商店街寄るんだが…」
「ふーん…」
「何かほしいものあるか?少しなら買ってきてやるぞ」
「え?それって…」
「肉まん一個くらいならおごってやる、ってことだ」
「うわあっ、いいの!?」
あそこまでどんよりの顔をされると、何もしてやらないってわけにはいかないからな。
何より、珍しくも真琴が率先してまともな料理を作ってくれたんだ。これはポイントが大きい。
「いいぞ。ただし一個だけだからな」
「うんっ!」
上機嫌で頷く。表情がぱあっと明るくなった。
肉まん一個なら、安いもんだ。
朝一番に栄養満点のジュースも飲めたし。
そして、いい笑顔も見れたしな。
<ばっちりっ>
出た。おやつには定番。女性にも大人気。
気軽に手軽に作り食し、様々な話にも堂々と登場するあの料理。
「これは誰かに是非作ってもらいたいもんだ。」
自分で作るのもなんだか味気ない。
とはいえ、作ってもらう相手はしっかり選ばねばならない。
あゆが作れば真っ黒くろすけ。真琴に任せれば辛いケーキとか作りそうだ。
香里は遠慮した方がよさそうだしな。秋子さんだと当たり前すぎる。
というわけで…。
「私ですか?」
「ああ。是非天野の手作りホットケーキを食べさせてくれ!」
頼むと同時に、しっかりと本の中身を見せてやる。
『●ホットケーキ
小麦粉と砂糖とふくらし粉に
卵と牛乳を加えて
丸く焼き上げた食べ物』
「…遠慮します」
そそくさと天野は逃げようとした。
「ま、待ってくれ!」
「私じゃなくても、他の貴婦人に頼めばいいじゃないですか」
貴婦人がどこに居るんだ。秋子さんか…?
「秋子さんには頼りっぱなしだし、違う人じゃないと!」
「そんな相沢さんの我が侭にはついていけません」
俺もお前が時折見せる我が侭にはついていけない…。
なんて言ったら破滅だ、ぐっとこらえよう。
「ぐっ…」
「…何をしているのですか?」
「我慢しているんだ」
「………」
不思議そうに天野が見つめる。
やばい。このままではバレるのは時間の問題かもしれない。
天野は心が読める(と思う経験多々ありだ)ので、そのうち…。
「わかりました」
「え?」
「仕方ないですね…頑張って作ります」
はあと息をついて、天野は告げてくれた。
つまりは承諾だ。OKだ。いつでもどこでもはいあーんだ。
「…そんな事までは私はよしとしてません」
調子に乗るとさすがにダメなようだ。
「ともかく頼む」
「はい」
なんとか約束を取り付けた。
そして放課後。
家に天野がやってきて…
いつもどおり秋子さんが快く了承を出して…
しゃかしゃかと天野が料理して…
わざとに砂糖を入れすぎようとしたのを慌てて止めて…
出来上がりはいい匂いと共に非常に良くて…
早速真琴と名雪がタカりにきて…
わーわーやってるうちに…
ホットケーキは俺が食べる間もなくなくなっちゃいましたとさ。
「っておい!俺が食べないといけないのに!」
「相沢さん、落ち着いてください。これをどうぞ」
すっと手のひらを差し出してきた。
そこには小さなかけらが乗っかっている。
小さい。天野の手の十分の一ほどに小さい。
「ホットケーキの残り物です」
「…それは残り物というのか?」
しかしこの際贅沢は言っていられない。何がなんでも俺は食べないといけないのだ。
「さんきゅうな」
天野の手の上のそれをひょいと拾ってぱくっと食べる。
美味かったが…全然食べた気がしなかった俺であった。
「心配しなくても、冷蔵庫に残ってますよ」
ずるっ
「さっきのが最後じゃなかったのか!?」
「残り物は一つだけ、とは言ってませんが」
…負けた。
密やかな笑みをたたえながら、天野は満足げに帰っていった。
<ふふふふふ>
「なぜ微笑み?」
どうしてこう謎の食べ物があるのだろう。
いや、本来なら実在はしないはずだ。
きっとこの本の作者が勝手に作り出した食べ物で…。
今までのほとんどはそんなもので…。
でもその割にはなんとか食べてきているけどな。
「とりあえずプラトーが何なのかを調べないとな…」
哲学とかで出てくる人物の名前だっけ?いや違うな…。
たしか映画にそういうタイトルのがあったような?いや違うな…。
愛とか関係とかに使われる言葉?いや違うな…。
ぐだぐだ考えても仕方ないので、おとなしく説明文を読んでみることにしよう。
『●微笑みのプラトー
食べたら微笑みっぱなしの
チーズ盛り合わせセット』
「チーズか…」
「チーズといえばチーズいっきですねーっ」
「うわっ!?」
不意に声がかかる。隣を見ると、佐祐理さんがそこにいた。
ちなみにここは学校の廊下である。
歩いているところをまんまと見つかったというわけだ。
んなことより、聞き捨てならない言葉が…。
「佐祐理さん、チーズいっきって?」
「はい。またやってくださるなんて佐祐理は嬉しいです」
誰もやるなんて言ってないんだけど…。
「佐祐理さん、俺はね…」
「もちろん料理は佐祐理が用意しますよーっ」
聞いてねえ…。
「祐一さん、チーズまでいっきするようになったんですか?」
「どわあ!栞!?」
「はい。祐一さんによるいっきの情報に引き寄せられました」
そんなものに引き寄せられているとロクな大人にならないぞ。
「んなことより!」
「はいっ」
「なんですか?」
にこにこ顔で二人が見つめる。
期待の眼差しを投げかけられる。ここで応えてしまってはいけない…。
「この俺、相沢祐一は…」
「正々堂々、チーズをいっきすることを誓います」
「そう、誓…うをっ!?」
三度目、驚かされた。背後から。
余計なところで割り込んできたのは…
「天野!?」
「はい。相沢さん、珍しい事にチャレンジするなんていつもどおりですね」
それはどういう意味だ?聞き流すわけにはいかないな。
「はいっ。祐一さんはチーズいっきに命をかけるんです」
「佐祐理が用意したチーズに…凄いです」
「なるほど。これで相沢さんが立つというものです」
「………」
こいつら…。すっかりやる気だ…。
俺の気持ちなどお構いなしに…。これは逃げられそうにない…。
すさまじい三連撃に負けた俺は、佐祐理さんの家に招かれた。
客は、俺を含めて三人。すなわち、栞と天野と俺ってことだ。
リビングで目の前に出されたのは、チーズ、チーズである。
思わず別の意味で微笑みたくなるほどに恐ろしいチーズ盛り合わせ…。
「さあ祐一さん、佐祐理の用意したチーズでいっきを!」
「このいっきが終わったら、今度は別のものでもお願いしますね」
「相沢さん、まだ若いんです。できるうちにやっておいてください」
いやだ、いやだ、いやだー!
ばくばくばくばくばくー!
心と体は一体化しなかった。
嫌がる心よりも手の動きが勝った。
そして俺は…二度目のチーズいっきを成し遂げた…。
「…うえっぷ」
いっきの後は、非常に戻しそうな気分であった。なんとかこらえたが…。
二度といっきなんてやらん!つくづくそう思った。
<それは無理な相談でしょう>
「定番料理だな」
「何の定番料理だって言うのよ…」
「もちろん香里が作る定番料理」
「ふざけないでよ」
場所は美坂家。人は俺と香里。その横には栞も居たりするが…。
今回俺は香里を頼ってここへとやってきた。
普段アイスで頼っている栞には頼らずに、だ。
「あたしは作らないからね」
「そんなつれないことを言うなよ」
「あの、祐一さん」
「なんだ栞」
押し切ろうとしていたところに栞が呼びかける。
平然と座っていたかと思えたのだが、おずおずと手を挙げてる辺りが可愛らしい。
「お姉ちゃんには料理はとても…」
「なんですって?」
俺が応えるより早く香里が反応した。
「マカロニグラタンなんて無理でしょ?」
「何言ってんのかしらねえ、この子は…」
ぶつくさ言いながら、香里は俺から本をひったくった。
『●マカロニグラタン
ゆでたマカロニの上に
味を調えたホワイトソースをかけ
オーブンで焼いて作った食べ物』
「この程度あたしにできないことはないわよ」
「でも作らないとか言ってるのは作れないってことじゃ…」
「栞、あんた人の話聞いてた?作れないんじゃなくて作らないの!」
「でもお姉ちゃんがグラタンなんて作ってる所今まで見たことないし」
「…そこまで言うなら作ってあげるわ!」
ばしん!と机を叩く香里。
素早く身支度を整えて、早速調理を始めた。
やるな栞…。珍しく挑発していたと思ったらそういう狙いが…。
二人が言い合っている間何も言えなかった俺は密かに感嘆の視線を栞に送った。
すると、小さくピースサインを出す彼女が。その顔には小さい笑みが浮かんでいた。
そして待つこと小一時間。
いい匂いを伴って、香里がでんとマカロニグラタンを差し出してきた。
見た目も申し分ない。さすが香里だ。
「さ、できたわよ。食べてびっくりするくらいに美味しいからね」
自信満々だ。しかしそれくらい言ってもいいだろう。
俺と栞は手で小さく拍手をした。
「ありがたくいただくぞ」
「お姉ちゃん、作ってくれてありがとう」
「ったく…。ま、召し上がれ」
素直に喜びの気持ちを告げると、香里は複雑な表情を浮かべた。
ひょっとしたら、作り出す時から既に知っていたのかもしれない。
それでもとびきり美味しくしようと張り切り…。
「「いただきます」」
手を合わせて挨拶。熱いグラタンを、一口、口にそろりと運んだ。
もぐもぐもぐ…
「どうかしら?」
「「美味しい…」」
「ふふん、どんなもんよ」
悔しいが本当に美味しい。びっくりするくらいに美味しい。
栞と顔を一度見合わせて、後はひたすら食べるのに専念していた。
「これで今後ともますます香里に頼りたくなったな」
「そうだよね。お姉ちゃん料理上手だし」
一通り食べて息をつく頃に二人で話しかける。
そんな言葉を受けた香里は笑顔だった。
「別にいいけど、代償は高くつくわよ?」
「代償…」
「お姉ちゃん何を払わせるつもりなの…」
「お金なんてありきたりじゃないものをね」
「「………」」
二人で沈黙。
しかし、口ではああ言っているが香里はいい奴だ。
いざという時にはきっと快く無償で助けてくれるだろう、と思う。
<…それは甘いわよ>
いつものごとく(いつもでもないが)教室で、休み時間に本を見やる。
やけにファンタジーアイテム的な名前が出てきた。
食べると何か特別な効果がばっちりありそうだ。
…そういうのは今までにもたくさん食べてきたけどな。
まったく、どうしてああもとんでもない食べ物が多かったのやら…。
「祐一、今日は何?」
昔を振り返っていると名雪から声をかけられる。
そういえば朝は見せていなかったっけ。
「今日はこれだ」
『●マジカルサラダ
新鮮な野菜をふんだんに使った
サラダ。天然塩でどうぞ』
「………」
「どうした?」
名雪が沈黙する。何かを考えているようだ。
見せた料理がそんなによろしくないものだったか?
「祐一、これ、誰に頼むつもり?」
「まだ決めてないが…秋子さんかなあ…」
「だめだよ!」
突如大きな声(そんなに大きくもなかったが)を名雪が上げた。
びっくりしながらも尋ね返す。
「なんでだ?」
「佐祐理さんに頼んだ方がいいよ」
「…なんでだ?」
二度目、別の意味で俺は聞き返した。
佐祐理さん。この名前が名雪の口から積極的に出てくるのは非常に意外だ。
何か根拠でもあるのだろうか…。
「香里や北川君にも聞いてごらんよ。きっと佐祐理さんの名前を出すよ」
「どういうことだよ…」
不思議だった。やけに自信満々な名雪が。
一体何のつもりだろう。とは思いながらも、俺は二人にも尋ねてみることにした。
「香里〜」
「なに、相沢君」
「今日の料理なんだけどな…」
名前と説明を告げてやる。すると…
「倉田先輩に頼りなさい。いいえ、そうするべきよ。しなきゃならないわ」
断言した、厳しい口調で。
ああもはっきりした香里は珍しい、とまで思うほどであった。
あまりの迫力に気圧された俺であったが、なんとか次なる言葉を発する。
「い、一応北川にも聞いてみようと思うんだけど」
「どうせ同じこと言うに決まってるわ。言わないなら絶交ね」
お前な、そんな事言ったら北川の奴は絶対に同じ事言ってしまうだろが。
とっくに俺らの会話は聞こえてたみたいだが、念のためも含めて北川に見せた。
「…なるほどな、美坂の言うことももっともだ」
「おいおい、絶交って言葉にノせられたんじゃないのか?」
「違う!…っていうか相沢、なんでぴーんと来ないんだ?佐祐理さんに頼らなければいけないって」
「そう言われてもな…」
困って名雪と香里を見やると、こくんと深く頷いた。
やけにものものしいそれに、思わず息をのんでしまう。
「気付いてないなら教えてやる。あのな…」
北川が耳打ちしてきた。珍しい行動だ。
そしてごにょごにょごにょと…。
「…というわけだ」
「…やられた。俺は馬鹿か?なんで気付かなかったんだ…」
「ほんと馬鹿だよ祐一…」
「そうね。でも既に相沢君は馬鹿だって事が以前証明されてたわね」
「………」
言われて更に落ち込んでしまう。
「…って、落ち込んでられるか!とにかく今から頼みに行く!」
気力を振り絞って立ち上がる。
ここで沈んだら負けだ!
「ねえ祐一、わたしも一緒に行っていいかな?」
「あたしも付いて行くわ」
「よし、俺も行くぞ!」
出かけようとしたら三人が一斉に告げた。
タカるつもりか?って、佐祐理さんに迷惑じゃなかろうか…。
いや、多分別の理由だろう。俺はそう確信していた。
「よし、なら行くぞ!佐祐理さんの元へ!」
「「「「おーっ!」」」」
四人で手を振り上げるという珍しい光景がそこにあった。
多分二度とないだろうな…。
そして三年生の教室。言ったとおりに、四人で押しかけた。
佐祐理さんはもちろんびっくりどっきりである。
もちろん他の生徒もざわついている。
舞も佐祐理さんの傍で、かなり意外そうな顔をしていた。
そんな事には構わず、俺達は用件を告げた。
「あ、あのぅ、なんで私に…?」
佐祐理さんの第一声はこれであった。
しかしそれは、俺達にとっては非常に白々しく聞こえてしまう。
本人が自覚していないのかという思いと共に、理由を小声で告げた。すると…
「はぇ〜…それなら佐祐理が手伝わないといけませんねぇ〜…」
一発で納得してくれた。
今日の料理はもはや決まったようなものだ。食えたも同然だ。
そしてそれは、俺に限らず、舞や名雪、香里、北川も同様である。
「僕も参加させてもらおう」
更には、久瀬まで申し出てきた。さすが佐祐理さん…。
「っておい!あんたどっから出てきた!」
「倉田さんの素晴らしい噂を聞いておいて出ないのが生徒会長か?
いや違う!ここで参加しないで何が生徒会長か!」
意味不明だが、反語調を使ってるあたり本気100%間違いなかった。
「別に佐祐理は構いませんよ〜」
「恩に着ます」
満足の行く返答が得られたのか、久瀬は眼鏡をくいっと上げた後に去って行った。
えらい騒ぎに発展してしまった気がする…。
しかし佐祐理さんなら間違いなく大丈夫だろう。
揺らぎの無い確信がある。
それは言うまでもない…。
<まじかるさゆりんの出番だ!>
「…これはどうすりゃいいんだ?」
今までで最もタチが悪い料理に感じた。
魔神だなんて…魔神だなんて…。
俺…なんて除外に決まってる。
何の力もないのに、魔神なんて名乗れるわけがない。
名雪はどうだろう…。
いつも寝まくってるやつが魔神だなんて、魔神の名折れってもんだろう。
真琴、は無理だろうな…。
困ると“あぅあぅ”言って災いが…なんてのは嫌すぎる。
香里…ある意味魔神に近いか?
いや、香里の場合はむしろ魔人、と言うべきだろう。
栞はある意味魔神かもしれないな…。
だが、それもアイス限定だろう。却下だ。
北川が魔神だったら笑っちまうな。
すぐさま俺がその座を奪いに行ってやる。
天野はどっちかっていうと魔神じゃないな。
魔神の遣い、ってところだろうか。
舞は逆に魔神を倒しそうな存在だしな…。
それに多分本人の自覚はなさそうだし…。
佐祐理さん…なるほど!
…いや、まだ何かが足りない気がする。
久瀬…?
ついこの前からちょっかい出してきやがったこいつが魔神であるはずがない。
あゆこそ適役だろうか。
魔神の超下っ端辺りにな。
「となると…」
「どうしました?祐一さん」
「ぐわあああっ!!」
ずしーん!
背後からいきなりの不意打ちが!(ただ声をかけられただけだが)
声の主を考えると驚かずにはいられない。
椅子に座っていた俺の体は、あっという間に床に落下した。
「いててて…」
「大丈夫ですか?」
「は、はい、なんとか…」
「ところでさっきから何をうなってたんですか?」
「そ、それは…」
素直に言うのはためらわれた。
相手は何しろ秋子さん。いくらなんでも…。
「ところで祐一さん、今日の料理は…あらあら、なるほどねえ」
「え、ええっ!?」
気付くと秋子さんは例の本を既に手にとっていた。
『●魔神流ヒレステーキ
肉の旨みを一品に封印したという
極限を追求したステーキ』
「…なるほど。それで私に頼もうとしたわけですね」
「い、いや、あのその!」
「弁解しなくてもいいですよ。祐一さんにとって、
“魔神”という言葉で一番に思いついたのが私だっただけのことですから」
にこりと秋子さんは微笑んだ。
いつもの笑顔だが、その裏にどんな表情が隠されているのかと思うと非常に恐くなる。
ここは一つ、やはり弁解くらいは入れておかなければと思う。
「…いえ、本当は色々考えて最終的に秋子さんに辿り着いたっていうか…」
「あらあら、そうだったんですか。だったらますます張り切らないといけませんね」
更に笑顔になる秋子さん。
しまった、今のは余計な言葉だったか。
「ところで祐一さん。神は置いといて、魔からどんなものを連想しますか?」
いきなり尋ねられた。戸惑うより先に言葉が自然と飛び出してしまう。
「え、そりゃあ、ジャ…」
「ジャ?」
「い、いえ、こっちのことです。そうですね…見えざる力とか、ですか?」
危ない危ない。
「不思議、と言ってほしかったですね。
人は、未知のものを魔として、禍々しいものとして闇に追いやってしまって…。
そうですね、この料理はそんな料理なんでしょうね」
「はあ、そうですね…」
ちょっとしたうんちく、だろうか?
いや、秋子さんなりの考え方ってだけかもしれない。
「とにかく期待しててくださいね。とびっきりのヒレステーキを…
私しか作れないであろうものを作りますから」
「お、お願いします」
気合が入ってることをアピールしてくれた。
それも、どちらかというと少しやわらかめの方向だ。
これはひょっとして非常に期待大…?
その後のキッチンは非常に騒がしかった。
それでいて静かだった。
その日家の中は暑かった。
更に言えば、凍えるように寒かった。
とてつもない重圧がかかっていた。
飛べるほどに体は軽かった。
食卓まで非常に近かった。
しかしながら、歩くと遠かった。
そんな不可思議な現象を肌で感じながら…家族で料理を食べた。
<う…!ま…!い……!>
…また出た。
この本は怨念でもこもってるのか?
「いくらなんでも魔神ニ連発はないだろ、なあ名雪」
「う〜、またお母さん張り切っちゃうの?」
夕食後の語らう一時。
とは言っても、真琴は一足先に自室へと行ってしまっている。
リビングにて、俺と名雪がゆっくりとお茶をすすっているのだ。
そして、本は既に秋子さんの手の中だったりする。
実は俺はタイトルを見ただけなのだ。
その時に“魔神”という文字が見えたのだが…今回はどんなのやら。
「っていうか、酒なんだけどな」
「じゃあ祐一の専売特許だね」
ぽかっ
「う〜、いたいよ」
「シャレになってないからそんなことを言うな」
マティーニとはたしかカクテルの名前だったと思う。
日本酒やワインだけでは飽き足らず、とうとうこんな込み入ったものまで…。
それこそカクテルの種類なんてとんでもない数だから、すべてが出るのは絶対勘弁してほしい。
もっとも、数だけで考えるなら他の酒も似たようなもんだけどな。
「お待たせしました」
お盆にグラスを乗せて秋子さんの登場だ。
部屋に緊張が走る。思わず俺と名雪は身構えた。
…いや、名雪はのんびりと俺の様相を見ているだけだ。
ちきしょう、余裕をかましやがって…。
「今回は名雪も飲むのよ」
「ええっ!?」
悠然とした態度の娘に秋子さんはにこやかに告げた。
にこやかではあるが、逆らえない。そんな威圧感をはらんでいた。
手強い。一流の腕前を持つ戦士といえど、この笑顔だけで尻尾をまいて逃げていきそうだ。
「お母さん、わたしはお酒は…」
「ダメよ。ほら、この本を御覧なさい」
テーブルの上にお盆を静かに置くと、秋子さんは俺達に向かって本を広げた。
『●魔神流マティーニ
度数不明の恐怖の酒。カップルが
互いに炎を吐きかけ合う姿が
目に浮かぶ』
「ね?カップルと書いてあるでしょう?だから二人じゃないとダメなのよ」
「「………」」
返す言葉もない。
目に浮かばせるだけではだめなのだろうか…。
いいや、この際だから名雪にも付き合ってもらうとしようか。
それよりも気になったのは…。
「ねえお母さん、炎を吐きかけ合うって…なに?」
俺より早く名雪が尋ねてくれた。
「言葉どおりよ」
「お母さ〜ん…」
珍しくも秋子さんが人のものまねをやってのけた。ただの偶然だろうが…。
何にしても譲る気はなさそうだな。
俺は意を決した。
「名雪、諦めて飲むぞ」
「祐一…」
「折角秋子さんが用意してくれたんだ。飲まなきゃ男じゃない!」
「わたしは女だよ〜」
「じゃあ訂正しよう。カップルじゃない!」
「う〜…」
しぶしぶながら名雪はグラスを手にとった。
俺も手にグラスをとる。そして名雪の持つそれに近づけた。
「いつも眠そうな君の瞳に完敗だ」
「何言ってんの祐一…」
呆れた名雪だが、そんな彼女と俺は、
チン
とグラスを軽く合わせる。
そして二人同時にくいっと飲んだ…。
「「!!!」」
ごおおおおお!!
そして火を吹いた。
お互いの火は、お互いの顔をばっちり焼いてしまった。
「この度数にするのには苦労したんですよ。二人ともゆっくり味わって…」
ぱたんぱたん
「あらあらあらあら…」
俺と名雪は、あっという間に。まさに飲んだ刹那の後にダウンした…。
<ずぎゅどっくぉーん!>
「…三連発?」
ちょっと待てよおい。
こんなの、常人なら絶対になげ出すぞ。
そうか、先人のほとんどはここいらへんでつまずいてペンギンになったんだろな…。
「って、それだと俺が普通じゃないみたいじゃないか」
自分にツッコむのはおいといて、やはり今回も秋子さんに頼むしかないだろう。
今まで二度も頼った。今度も大丈夫だろう。
しっかしそれにしても…。
「二度あることは三度ある、ってのはこういう事を言うのかな…」
ついついこんなことを呟いてしまう。
こういうのはこれっきりにしてほしいけどな。
「え?今度は野菜スープですか?」
「はい。毎度毎度申し訳ないとは思うんですが…」
「別に構いませんよ。気になさらないでください」
遠慮がちに頼みにゆくと、秋子さんはいつもの通り笑顔でこたえてくれた。
やはりというかありがたい。この笑顔を見ていると俺はほっとしてくる。
なんというかこう、包容力があるっていうか…。
「ところで祐一さん、どんな野菜スープですか?」
「あ、ああすいません、これです」
そういえばまだ説明文を俺自身も見てなかったような、などと思いながら俺は本を開けた。
『●魔神流野菜スープ
野菜の旨みに何かを+αしたスープ
その見極めは困難だが
美味いことは確か』
「…なるほど、いい料理ですね」
「思いっきり怪しいんですけど…」
「でも美味しいそうですから、祐一さんも満足でしょうね」
「そうですね…」
美味しいというだけで満足していいのだろうか?
手前の“見極めは困難”だとか“何かを+α”ってのは気にすべきじゃないのか?
しかしそう追求できるものではない。作るのはとにかく秋子さんだ。
為すがままに流れるままに、その日はそのまま夕飯時間に突入した。
そしてやってきました食事時間。
ごかんごかん!とか、すにゅにゅにゅ!とか奇怪な音がしていたのは気にしない。
とにかく俺と名雪と真琴の目の前に、一生に一度食べられるかどうかのせとぎわを争う、
ある意味貴重な貴重な野菜スープが食卓に並んでいた。
「本の説明通り、何かをプラスアルファしました。どうぞ」
「何かって…なんですか?」
「それは企業秘密です」
ふふ、と秋子さんは笑っただけだった。
なんとなく予想がつくような気がするが…。
俺はともかく、真琴も名雪もなんだか震えている。
まだまだ経験が浅いな、こいつらは。俺を見ろ、この堂々とした姿を!
何かなんて言葉にも企業秘密なんて言葉にも動じていない俺を!
…うわー!嫌だー!!
自分で嫌になってしまった。というわけで自己嫌悪…。
「さ、早く食べなさい。冷めないうちに」
「「「いただきまーす」」」
勧められるがままに、結局俺たちはスープを口に運んだ。
するとどうだろう。手前の怪しい会話や効果音などなんのその、美味い!美味い!!
「美味い!!」
思わず声に出してしまったほどだった。
「そうですか、よかったです」
「たしかに美味しいけど…お母さん、コレ何入れたの?」
「それは企業秘密よ」
ふふ、と秋子さんは笑った。
名雪は首をかしげる。一緒になって真琴も首をかしげている。
俺もつられて首をかしげてしまった。
そこで、代表して真琴が言葉を発した。
「ねえ秋子さん、これどうやって作ったの?」
「それは企業秘密よ」
「あぅーっ…」
ふふ、と秋子さんはやはり笑うだけだった。
何もかもが秘密、なのだろう。
分かっているのは、本の説明文と料理名くらいのもの。
ま、いつものことなんだけど…
それでもやっぱり気になるー!
<だから企業秘密ですってば>
「…またひどいのがきたなあ」
以前俺は同じ料理を食った気がする。
あの時は真琴に任せてしまったばかりにとんでもない目にあった。
二度とあいつには頼むまい。
しっかしそうなると誰に頼もうか?
適度にまずい料理というのはなかなかに難しい。
いやまて、まだ候補はいたはずだ…。
「え?シチュー?」
「そうだ。あゆの腕を存分にふるって作ってくれ」
商店街。
いつものようにあゆはぶちかましをかけてきた。
しかし見切り体当たりを技欄に装備していた俺は難なく交わした。
麻痺とか眠ってたりしてたら危なかったけどな。
「さっきから何ぶつぶつ言ってるの…」
「言ってないぞ。そんなことよりあゆ、シチューだ」
「なんか怪しいんだけど…」
ぎくっ
「怪しくないぞ。俺はあゆのシチューが食べたいだけだ」
「ひょっとして料理名が、変なシチューとかじゃない?」
ぎくぎくっ
鋭い…。いや、あゆはこんなに鋭かったか?
おかしい、おかしすぎる。いつものあゆなら何の疑いもなく…
「うぐぅ、喜んでボク作るよ〜」
って言うはずだ。なのになぜ一番に疑惑の言葉がくるんだ?
しかもあまりにもピンポイント過ぎる。
見当違いの言葉を発するのがあゆのはず。もしかしたら…!
「偽あゆ!」
「ええっ!?」
「お前、あゆに見えるが実は偽者だな!?」
「違うよっ!ボクはあゆだよっ!」
「だまされないぞ、俺は!」
しゅたっ!と俺は構えのポーズを決めた。
腕の角度もばっちりだ。スペ●ウム光線も打てそうだ。
「祐一君、変なものでも食べたんじゃないの?」
「黙れ偽あゆ。もうお前の言う事なんか聞かないぞ!」
「うぐぅっ!ボクはあゆだってば!」
うぐぅ…?
一つの言葉がきっかけとなり、俺は構えを解いた。
「本物か。おかしいな、てっきり偽者だと思ったんだが…」
「まったくもう…。って、どうして急に疑うのをやめたの?」
「いや、うぐぅがな…」
「うぐぅ!なんでそういう判定をくだすの!?」
「それはあゆがうぐぅだからだ」
「ボクはうぐぅじゃないよ!」
「何を言ってるんだ。某所では“うぐぅちゃん”とか呼ばれて嬉しいくせに」
「そんな呼ばれ方したら絶対嬉しくないよ!」
断固として否定の意をとる。
折角うぐぅを認めたのに…。いや、俺の認め方が甘いのか?
まあこの辺でうぐぅ騒ぎはお開きにしよう。
「じゃあ俺の家へ来てくれ。シチューを作ってもらう」
「うぐぅ、もう決定なの…?」
「決定だ」
「うぐぅ…」
騙され気分みたいな顔をして、あゆは俺に導かれるまま水瀬家へやってきた。
早速キッチンを借りる。もちろん秋子さんの了承はもらい済みだ。
「じゃあ頼んだぞ」
「うぐぅ、ボク一人じゃ無理だよぅ…」
「なせばなる。お前は今日商店街で学んだことを発揮すればいいんだ」
「そんなことでシチューが作れるようになるなら苦労はしないよっ!」
反論が飛び出すが構わない。とにかくあゆにすべてを任す。
そしてそして…待つこと数時間…。
「やっとできたよ」
深夜。あゆはシチューを作り上げた。
とっくに普通の晩御飯は終わっている。それは秋子さんが作った。
あゆが作ったのはいわば夜食だ。しかも食うのは俺一人…。
「理不尽じゃないか?っていうか何時間かかってんだよ!」
「だって仕方ないじゃない!…とにかく食べてよ」
鍋から皿へとよそってくれたそれは、なんだかどんよりとした色であった。
まさに…
『●まずいシチュー
…………
何入れたの、コレ?』
説明文どおりにコメントしたくなる代物だ。
いや、味はそこそこの不味さで済むかもしれない。
意を決して俺は一口を食べた。
「………」
「ど、どうかな?」
「…何入れたんだ?コレ」
不覚にも本とほぼ同じコメントを発してしまった。
「えっとねぇ…」
「いや、言うな」
「ええ〜?」
「言うと多分俺は一口で食べるのをやめる」
「うぐぅ…」
ただでさえ不味いってのに、これ以上不味い気分になりたくない。
とかなんとか思いながらも、俺は律儀にすべてを食した。
適度にまずいシチューを…。
ちゃんとご馳走様の挨拶もしたぞ。
「ところで料理名はなんだったの?」
まだ聞くか、お前は。
「秘密だ」
「うぐぅ…」
なんとか答えずに済ます俺であった。
<言えるわけ無いしな>
美味しいデザートの登場だ。
いやまあ、作る人によって食べる人によって美味しいかどうかは違うが。
少なくとも今は“美味しい料理”だと信じたいものである。
「とはいえ誰に作ってもらうか…」
今回も俺は頼む人物を選択すべく考えていたが…
『●マスカットゼリー
マスカットの果汁を
ゼラチンで固めて作ったゼリー』
「…この程度なら自分で作れそうな気がする。いや、買える!」
そうだ、買えばいいのだ。作る必要など無い。
余計な労力など費やしてもらう必要などない。
「というわけで名雪」
「ん〜?」
実は今は名雪の部屋であった。
そして俺たちは試験勉強の最中であった。
眠い中、夜遅くまで頑張っている。名雪はとっくに寝ていたがな。
「マスカットゼリーを買ってきてくれ」
「ええ〜?」
「外に行けば目も覚めるだろう。お前寝てばかりじゃないか」
「う〜」
何度起こしてもすぐにうつらうつら。
試験と眠りと天秤にかけた時、いや、何物とも天秤上では眠りが勝つのだ、名雪の場合。
なんということだ。多分地震が起きた時も平気で眠り続けるに違いない。
「“あっ、震度7の地震だお〜”とか言いながら二度寝するに違いない」
「う〜、わたしはそういう時はちゃんと起きるよ〜」
否定の意をとった。どうだかな。
「そんなことよりマスカットゼリーを頼む」
「祐一も一緒に行くんだよね?」
「寒いから俺は嫌だ」
「祐一、こんな夜遅くに女の子一人で買いに行けっていうの?」
「けろぴーぐるみを着ていけば誰も女の子だと見てくれなくなるだろ」
「そんなものないよ〜」
駄々をこね始めた。たしかにけろぴーぐるみが無いのは事実だが…。
それでも俺はゼリーを食べねばならないのだ。
「…仕方ない俺も付き合うとしよう」
「当然だよ」
「先に言っておくが、おごらないぞ」
先手を打ってみた。
「いいよ、別に。懐まで寒くすると祐一可哀想だし」
「おい…」
一体俺にどれだけおごらせるつもりなんだ?
嫌な一言を聞いた後、準備をする。
夜の町へと繰り出した俺たちは、コンビニで目的のものを購入し、帰路につく。
その日の勉強は、なぜかしら結構はかどった。
「やっぱり出かけて正解だったな。いや、出かけないと駄目だったが」
「イチゴのデザートも食べられたし〜」
<デザート効果?>
「松茸といえば松茸いっき」
などと栞か佐祐理さんあたりが言ってくれて、
そしてどっさりと松茸を用意してくれればもちろん受けてたつんだが…。
あいにくと今回はそれがなかった。なんて都合のいい連中だ。
俺が望んでいる時にどーんと来い!
…無理だな。
まあとりあえず品が品だけに、頼る人物はかなり限定されている。
…というわけで俺は屋上へ向かった。
しかしそこに居たのはただ一人。
無言でお弁当をつつく、長い黒髪の少女、舞であった。
「よっ、舞」
「………」
ちらりとこちらを見やる。その後お弁当つつきに戻る。
相変わらずの無表情、非常に舞らしい。
「…佐祐理さんはどうしたんだ?」
「…風邪」
「そうか…」
風邪なら仕方ない。
いや、仕方ないなんて言ってる場合じゃない。
頼る人物が居ない!俺にとっては死活問題!
だが、ここでわめいたところでどうにかなるものでもない。
心の中で叫びを抑えながら、俺は舞の隣に腰をおろした。
「祐一も食べる」
心中を察してくれたのか、舞はお弁当の半分を差し出してくれた。
「ありがとうな」
もちろん俺はありがたくそれを受け取った。
メニューはごく平凡な…何が平凡か最近はわからなくなってきているが、
玉子焼きに舞の好物のタコさんウインナーに…定番メニュー。
風邪とは言ったが、何故か佐祐理さんはお弁当を用意したみたいだ。
しかもそれを舞に渡してたみたいだ。いつもの重箱弁当…。
そうだ、平凡ってのはそういうことだ。
「いただきます」
箸をとってつつきだす。
今の二人にとって言葉はいらない。黙々とお弁当を食べるだけで十分なのだ。
和やかな時が流れる。静かに食べる音が響いている。
ぱくぱくぱくともぐもぐもぐ咀嚼する音。
かちゃかちゃと食器が触れ合い鳴る音。
ずずずず、と汁をすする音…。
「…って舞!お前なに食ってんだ!?」
はたと気付くと、舞はおわんを片手に持っていた。
「佐祐理特製お吸い物」
「お吸い物…?」
覗き見ると、それはたしかにお吸い物だった。
何をどうやって作ったのかはわからないが、お吸い物だった。
お弁当に持ってくるなどかなり珍しいであろうお吸い物だった。
そして…。
「それ、何のお吸い物だ?」
「松茸」
「なにーっ!?」
『●松茸のお吸い物
秋の味覚である松茸を加えた
独特の芳醇な香りを楽しめる一品』
この松茸のお吸い物なのか!?
そうか!?そうなんだな舞!!
俺は感激だー!!
「舞、一口くれないか」
「祐一の一口はおわんごと食べるから駄目」
「おわんごとなんて食うか!」
「でもよくいっきしてる。祐一は信用ならない」
あんないっきで信用を俺は落としているのか?
それはあんまりだぜ、舞。必要に迫られてやっているだけなのに…。
「頼む、舞。このとおり!」
「…牛丼」
「は?」
「お吸い物あげるから牛丼が欲しい」
「わかったよ…」
交換条件を出してくるとは舞もそれなりにやるようになってきたな。
まあ牛丼なら安いものだ。
「学食のでいいんだな?」
「………」
こくりと舞は頷いた。
よし、と俺は立ち上がり、韋駄天のごとく学食へすっとび、ブツを手に入れてくる。
元の場所へ戻って、問題のブツと交換した。
そしてまた静かな食事に戻る…。
ひやっとしたがなかなかラッキーだとも思えた一時であったといえよう。
<香りいっぱい>