『秘蔵のゴルゴン』

やばいのが来た気がする…。
「なんて言っても秘蔵だしなあ…」
それ以前にゴルゴンってのがなんなのか俺には分からなかった。
たしかギリシャ神話に出てくる三姉妹の名前だったような…。
「なんて、そんなものを食うはずが無いよな」
思いつくままに想像をめぐらせる。
だがもちろん想像をめぐらせるだけでは料理にありつけない。
誰かに頼らなければならないのは明白であった。
「問題は誰に頼るかだが…」
秋子さんが一番に決まっている。彼女なら確実にぽんとこれを出してくれるだろう。
しかしどんなやばいのが出てくるか分からないというリスクも大きい。
秘蔵のジャムまで同時に出されてはどうしようもなくなってしまう。
となると…秋子さん以外で秘蔵のものをもっていそうなのは…

「はぇ?ゴルゴン、ですか?」
「そうだ。秘蔵のものを頼むよ」
「うーん…」
堂々と倉田家に潜入…じゃなくて、訪問をかましてみた。
舞は一緒ではないが。
「私では少しわかりかねますね〜」
「まあしょうがないだろうけどさ、佐祐理さんの家にそういうのないかな?」
「うーん…ちょっと待っててくださいね」
首をかしげながら佐祐理さんはぱたぱたと駆け出していった。
履いているスリッパが揺れるその姿の可愛らしさは、俺的に非常に嬉しい。
「…って、何を考えてるんだ俺」
しかしそれにしても、なんと俺の行動の図々しいことだろう。
他人の家に来ていきなり“秘蔵のものを”なんて言ってる辺りはかなりいただけない。
今更ながら自己嫌悪…。
「お待たせしましたーっ」
はっ、と気付くと、佐祐理さんが手に何かを持って帰ってきた。
白い白い…それは何?
「お饅頭じゃありませんよーっ」
「いや、それは見ればわかるけど…」
「それに白いものでもありませんよーっ」
「くあ、目の錯覚だったのか…」
いや、遠い昔の記憶を呼び覚ましていたのかもしれない。
「祐一さん、これがゴルゴンゾーラですよ」
「…これが?」
指し示されると同時に、俺は慌てて本の中身を参照してみる。

『●秘蔵のゴルゴン
ほどよく熟成されたゴルゴンゾーラチーズ
好きな人には生唾もの』

「そうか、チーズだったのか。たしかに生唾が出てきたぞ」
「祐一さんこのチーズ好きだったんですか?」
「いや、好きってほどじゃ…」
「嘘をつくのはいけませんよ?泥棒さんになってしまいますよ?」
「…ごめんなさい」
何故か佐祐理さんに責められる。
うーん、うかつだったか、今の発言は。
「ではチーズイッキお願いしますね」
「はい?」
でん、と秘蔵のそれを置くと、佐祐理さんは予想外の言葉を発した。
イッキ…って言ったよな?今。
「串もビールもできたんですから、チーズだってお茶の子さいさいですよね?」
「い、いや、そういうわけでは…」
「祐一さん、佐祐理は秘蔵のものを用意したんです。せめてそれに応えてください」
「…はい」
なんということだろう。俺はイッキをしなければならない。
いつの間にやら気のよいイッキにーさんになってしまったようだ。
「で、ではいきます…」
「体積1リットルで大変だとは思いますが、祐一さんなら大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないと思いますけど…」
「大丈夫、絶対大丈夫ですよ」
「………」
密やかな抵抗を見せる前に、密やかなプレッシャーをかけられた。
もはや俺に選択の余地は無いらしい。
「…ぐおおお!」
ばくばくばくん
覚悟を決めた勢いで、俺はそれを食べつくした。
「いい食べっぷりですね〜。さすが祐一さんですっ」
「う、ぐ、う…ちーずだ…」
「あははーっ。そりゃあ、それはチーズですから」
「そ、そういうわけじゃ、なく、て…」
口の中は…世にも奇妙な感触がしていた。

<少しずつ食いましょう>


『ビューリホアイス』

「こ、これは…」
呟かずにはいられない、震えずにはいられない。
電撃のようなものが俺の体の中を走り抜けた。
何故なら今回の料理は…。

『●ビューリホアイス
思わず叫びたくなるほどの感動を呼ぶ
アイスクリーム』

「とうとうきましたね、究極が」
「どわあああっ!」
続けざまに響いてきた声は俺のすぐ横から。
勢いあまってこけそうになったが何とか耐える…隣に立っていたのは栞だった。
「祐一さん、今日は私に任せてください」
「栞…いつから盗み見をするような人間になったんだ?」
「そんな事言う人嫌いです」
「………」
二言目にはそのせりふを飛ばしてるな。
それを言われると俺は何も言えなくなる…ずるいぞ?
「そんな事考える人嫌いです」
「おい…」
俺は栞のことが半分嫌いになりそうだった。
「そんな事より祐一さん」
「なんだよ」
「今日は任せてくださいね」
「それはさっきも聞いたぞ。まあ、俺は喜んで頼るが…」
「大船に乗った気で居てください。アイスの伝道師として、挑戦しないわけにはいきません」
なんだそりゃ…。
「それでは放課後、楽しみにしていてください」
「ああ」
ぺこりと頭をさげると、栞は教室から出て行った。
なんたる堂々とした足取りだ。今の彼女にはたとえ姉でもかなわないだろう。
ちなみに今は…。
「相沢、授業中に教科書を読まずに別の本を読んでるとはいい度胸してるな」
担任である石橋の声が響く。
俺なんかよりいい度胸してるのは栞だと思うぞ…。

そして放課後。約束の時はやってきた。
ごく普通の格好をし、ごく普通の生徒にしか見えない栞は、ごく普通じゃない荷物を抱えていた。
いつの間に用意したんだこんなもの…。
不思議がっていると、栞はにべもなくこう言った。
「乙女には授業より大切なものがあったのを今日知りました」
「おい…」
今日お前は一体何をやってたんだ…。
それと個人的に気になるのは、遠目で俺達二人をにらんでいる香里。
あの目つきは非難がばしばし含まれているのがよくわかる。
明日は話をしないほうがよさそうだ。
「祐一さん、行きますよ?」
「お、おう」
ずんずんと二人連れ立って歩く。
向かった先は当然栞の家。アイス製造機の秘技を使うのだとか。
「まさかこの機能を使う時がこようとは…」
「俺もまさかそんな機能がこの機械についていようとは思わなかった…」
どんな機能かはさっぱりわからないが。
「祐一さん、ちょっと向こうの部屋で待っててください。すぐ済みますから」
「…無茶はするなよ」
少しだけ言葉を投げかけて、俺はキッチンを去った。
パタンと部屋の境の扉を閉めると、けたたましい音を立てながらアイス製造機が動き出す。
一体なにをやっているのだろうか栞は。
一瞬だけ考えていると、すぐに音はやんだ。
「早いな…」
などと呟く。すると…
がちゃり
「はい祐一さん」
笑顔で栞が顔を見せた。
しかしそれは少々やつれている。
ほんの10数秒だというのに…。
「これがそのアイスか?」
「はい。まずは食べてみてください」
彼女が手に持っているそれは、見たことの無い色艶を放っていた。
たとえるならそれは、初めて虹を見た輝きかもしれない。
一言では表現しきれない…そのような色だった。
「いただきます」
挨拶を告げてスプーンを手に取る。
そしてひとすくいを口に入れる…
「びゅーりほー!」
思わず叫んでしまった。
「あ、あれ?」
「よかったです。成功しました」
「成功って…これ、一体どういうアイスなんだ?」
「だから説明書き通りのアイスですよ」
「そうか…」
深く聞くのはよそう、と、また俺はもう一口を食べる。
「ビューリホー!」
「よかったです」
「う、な、なんてアイスだ…」
「頑張った甲斐があったというものです」
「だろうな…まあ、ありがとな、栞」
「いえいえ。さ、もう一口」
勧められるがままに食べる。そして…
「びゅーりほー!」
「さ、もう一口」
「ビューリホー!」
「さあさあ、もう一口」
「びゅーりほー!…お、俺は一体何をやらされているんだ…」
「アイスを食べているんですよ」
「いや、そりゃそうなんだけど…」
複雑この上ない気分になる俺であった。

<ビューリホー!>


『ファインソテー』

「また高そうな品を…」
などと愚痴ってもいられない。
どんな料理がこようが受けて立つ!
それくらいの心構えがないと生きていけないのだ。
そう、これは平和すぎる現在(いま)に与えられた絶妙な緊張感…
「って、ふざけんな」
自分で考えててブルーになった。
「ふざけているのは君ではないかな」
絶妙のタイミングで話しかけられる。
廊下でぶつぶつ言ってりゃ、声をかけられても仕方ないか。
目を落としていた本から顔を上げると、そこには見知らぬ男性がいた。
「誰だあんた」
「…この僕を知らないだと?」
僕…ボク?
「なるほど、偽あゆか。お前ひとの学校で何やってるんだ」
「失敬だな君は。一体何と勘違いしているのか知らないが、ここは僕が通う学校で間違いない」
少々ずり落ちた眼鏡を、そいつはくいっと上げる。
眼鏡…めがね?
「…ああ、あんた久瀬とかいう人か」
思い出した。たしか生徒会長ってやつを務めていたっけ。
「その言い方は非常に腹が立つが…まあそんなことは大目に見てあげよう」
えらそうな奴だな、相変わらず。
「問題は君の素行だ。倉田さんを付け狙って怪しげな料理を作らせているそうじゃないか」
「俺はそんなことをした覚えはないぞ」
「証拠ならある。
屋上へ向かう階段の踊り場で煙が充満していたのを目撃した生徒。
学食の調理場でキノコのボイルを作成したとの報告。
昼休みに堂々と廊下へ巨大な鍋を持ち込んだという噂。
…これらはどう説明するのかね?」
それらは全部俺の所為じゃないと思うぞ…。
「更には、倉田さんの家にまで幾度となくおしかけているそうじゃないか。
調理場を占拠し、我が侭に豪勢な料理を作るために…」
ここで抗議の一声も上げてやろうかと思ったが、何故か相手の目が悲哀に満ち出したのでやめておいた。
第三者が見れば一体どっちがいじめられているんだ、ってな状況であっただろう。
「とにかく、君のそういった不埒な行為は生徒会としても見過ごすわけにはいかない」
それこそ今更だと思うんだが…。
「どうするつもりだよ」
「まずは停学と…」
「あっ、祐一さんーっ」
説教の途中で明るい声が聞こえてきた。間違いなくもそれは佐祐理さんであった。
いつもの明るい笑顔でぱたぱたと駆けてくる。
「あ…」
と思ったら、久瀬の存在に気付いたのか表情がぎこちなくなる。
むむっ、これはこの場所を離れたほうがよさそうだな。
「これはこれは倉田さん。たった今相沢君に問題ある素行について話していたところなんですよ」
「え、祐一さん何かしたんですか?」
「倉田さんにも関係のある事柄なんですけどね…」
久瀬が言いかけると、佐祐理さんは“うーん”と考え込んだかと思ったらゆっくりと口を開いた。
「佐祐理は祐一さんと問題なんか起こしていません」
「その割には間がありましたが…」
「それはちょっと今日のお料理を考えていただけで…あ、祐一さん、今日のお料理は何ですか?」
唐突に話を変えられた。振られた。
もちろん俺は、ここぞとばかりに本を開けて見せる。

『●ファインソテー
火の通し方が絶妙のソテー
非常にテクニカルな一品』

「なるほどーっ。ならば佐祐理が頑張って作りますね」
「え、いいの?」
「はいっ。最近佐祐理は色んな料理に挑戦してるんです。
腕試しに作らせてください」
「助かるよ佐祐理さん。じゃあお願いする」
「あははーっ、任せてください」
和やかな雰囲気に包まれる。そして俺たち二人は今夜の打ち合わせをしながらそこから去る…
「待ちたまえ」
ちっ、やっぱり久瀬が見逃すはずがないか…。
「今のはどういう取引なのかね?」
「見てのとおりだ。俺はこの本に記される食物を食わねばならない悲痛な運命に…。
それを佐祐理さんはよく助けてくれている、ただそれだけだ」
いっそのこと、と思ったので丁寧に説明してやった。
嘘は言っていない。だがもちろん久瀬はこう言うだろう…。
「…なるほど、あの本か」
あれ?反応が違ったぞ?
「っていうかあんた知ってるのか!?」
「生徒会の方でも少々語り継がれていてね。
ただの作り話だと思っていたが…そうか、実在したのか…」
うんうんと、しきりにうなずく。その表情はとても興味深そうだ。
しかし意外だった。まさかこんな滅多に登場しないような奴が知っていたなんて…。
「相沢君、今君は非常に失礼な事を考えていないか?」
「いないよ」
「そうか?…まあいい、それはさておきだ」
「なんだよ」
「その本が原因ならば無下に取り締まるわけにもいかないからな…。
今までの事には、特別に目をつぶろう」
なんだ、結構ものわかりのいい奴じゃないか。
「…っていうか、俺がいかがわしい料理を作ったわけじゃないぞ」
「だが、あまりにも度が過ぎた場合はきっちり責任をとってもらおう。
ペンギン人生をやってもらう」
奴の眼鏡がキラリと怪しく光る。なんだか恐い…。
…そして、ふふふと不敵な笑いを浮かべながら久瀬は去っていった。
やばい奴にばれた気がする。…逆に、今までばれなかったのも結構不思議だが。
「えっと、それでは祐一さん。今晩は楽しみにしていてくださいね」
「あ、ああ」
「佐祐理の絶妙な腕前を披露しますよっ」
「楽しみにしてるよ」
本当はもう一言、佐祐理さんにも言いたかった。
派手な料理を学校でやるのは控えた方がいいのではないか、っていう事とか…。

<てくテク>


『フカヒレ餃子』

「祐一が餃子になればいい」
何度お前はそんなことを言えば気が済むんだ、と非常につっこみたくなる。
毎度毎度こいつは…。
「舞、さすがに餃子は難しいと思うよ?」
「難しくてもやる。私がする」
「あ、なるほどーっ」
「なるほどじゃないです、佐祐理さん」
ここはつっこまねばならない、というところできっちりと言っておく。
「祐一、鱶さんは私がまもる」
「お前な…そんなに鱶と仲がいいのか?」
「でもお魚さん」
「そういう問題じゃない!」
こういう聞き分けの悪い子こそ俺が食っちゃってしまいたい。
しかし、そもそもこんな料理を相談したのがよくなかったのかもしれない。
だが…

『●フカヒレ餃子
フカヒレをたっぷりと入れた
独特の食感が心地よい餃子』

フカヒレと言えば高級食材として有名だ。
となれば佐祐理さんに頼むのが一番の近道。
そして同時に舞に話がばれるのも必須。
何故なら、休み時間にこっそり、じゃなくて昼食時間に堂々と、頼んでいるからだ。
もちろんその時の弁当に目的の品があればOKなのだが。
「とりあえず今夜は餃子を作る仕度をしておくね」
「へ?…ああ、佐祐理さんが作ってくれるんだ」
「いいえ?舞が作るんですよ」
舞を見ると腕まくりをしている。早くもやる気だ。
そして鉢巻をしめている。たすきもかけようとして…
「ってこら!舞、お前は作るな!」
「頑張る」
「おい!」
「舞、頑張ってねーっ」
「佐祐理さん!煽っちゃだめだってば!!」
「頑張る」
「だからその気になるな!…しかもその手に持ってるナイフをこっちに向けるな!」
「あはははーっ」
「佐祐理さんも笑ってないで!!」

なんとかかんとか、真剣白刃取りを行ったりすることなく、その時は訪れた。
佐祐理さんの家。夕飯に御呼ばれした。
キッチンに行くと、そこには大量の餃子の材料が置かれていた。
だが、肝心の中身が見当たらないような…。
「さ、舞。頑張って祐一さんを餃子にしようね」
「頑張る」
「って、こらー!!」
二人は俺を餃子にする気満々だった。
やばい。このままではヤられる!
喜んでこの家に来たことをこの場で後悔し、俺は即座に逃げ出そうとした。
がちゃがちゃがちゃ
「あ、あれ、開かない…!」
「祐一、覚悟…」
じたばたしている俺の背後に、舞が麺棒を持って迫ってきた。
「ま、待て舞。早まるな」
「鱶さんは私がまもる!」
「いや、だから…そうだ!舞、お前が食べてる料理だって何かの動物の肉で…」
「覚悟!」
「人の話をきけええ!!」

…そんなこんなで。
気がつけば俺の目の前に餃子があった。フカヒレ餃子があった。
説得の嵐をなげかけて、舞をなんとか押しとどめ、
事前にちゃっかりと佐祐理さんが用意していた本物のフカヒレを用いて餃子を作ったのだ。
毎度毎度なんて疲れることだ…。
肝心の味は、美味しかったとは思うのだが…。

<どうしようもない>


『フカヒレスープ』

「またフカヒレか…」
贅沢な本ですこと、おほほほほ。
…なんて笑ってもいられないが。
前回のこともあり、佐祐理さん達には頼りたくない。
ならば誰に頼るのか?それとも誰にも頼らないのか?
答えは…。

「え?フカヒレスープですか?」
「はい。秋子さんの力でなんとかできないでしょうか」
「了承」
「ありがとうございます」
そう、秋子さんだ。了承の神こと秋子さんに頼めば、まずどんな料理でも出てくる。
さすがに高級すぎたりするのは私的にかなり遠慮してしまうが…
そうも言っていられない時はやまほどある。
「では祐一さん。早速水族館へ言って鱶を捕獲してきてください」
「え?」
秋子さんの言葉を頭の中で繰り返す。
捕獲…水族館で!?
「じょ、冗談ですよね?」
「ええ、冗談です」
ほっ…。
「いくらなんでも水族館では犯罪ですからね。ちゃんと海へ行ってきてください」
「うそぉー!?」
「はい。嘘です」
「………」
しまった、からかわれている。
しかし反抗はあまりよろしくない。我ながらなんと弱い立場であろうか。
「ちゃんとお店で売っていますよ。ですから万引きを…」
「秋子さんんん!」
「さすがにそんな事はすすめませんよ。普通にお店で買ってきてください」
やっとまともになった…。
「優れた食材を集める能力があるからって、ごっそりとってきちゃだめですよ?」
「そんなことしませんて。その前に、俺にはそんな能力はありません」
この本が贅沢すぎるだけなんです。
「お買い物のシステム、わかりますよね?ちゃんとお金を払うんですよ?」
「分かってます…」
なんという事だろう。俺ははじめてのおつかいに出るのだと認識されている。
毎日のように米を買っているはずなのに…いや、買ってないけどな。
「それではお願いしますね」
「はい」
「商店街じゃなくて、この町から10キロほど離れた海辺の町に…」
「ええっ!?そこにフカヒレがあるんですか!?」
「ないですけどね」
「………」
いいかげんからかうのはやめてほしい。
埒があかないと確信して、俺はとっとと家を出た。
きちんと買い物をして、そして帰る。
もちろんフカヒレのみならず他の食材も一緒だが。

『●フカヒレスープ
フカヒレの食感と喉越しを
楽しめるように
塩と胡椒で味を調えたスープ』

もちろん塩胡椒も一緒に買ってきたぞ。
そして秋子さんは説明にばっちりな、上等のフカヒレスープを作ってくれた。
家族で仲良くそれを食す。
こういう、食事をしてる時はいいんだけどな…。
ちょっぴり、食事ということを思い直してみる俺であった。

<食べるだけじゃ駄目ですよ>


『プリン』

『●プリン
牛乳に砂糖と卵を加え
蒸して作ったデザート』

「こんなもの、作らずとも頼らずとも買って食してくれるわっ!!」
放課後にスーパーへスーパーダッシュ。
プリンを一つ乱暴につかみ、それだけでレジを通る。
変な目で見られた様だが気にしない。
そして店の真ん前で即座にそれを空けて食った。
かぷぷぷっ
「…ふっ、終わりだ」
スプーン無しでイッキのみ。どうだ、参ったか。
「うぐぅ、祐一君そんなところで何やってるの…」
浸っていると呼びかけられる。うぐぅなんて言うのはあゆに間違いなかった。
「プリンだ」
「プリン?」
「そうだ。しかし残念だったなあゆ。はっはっは」
「うぐぅ、何が残念なのか全然わかんないよ…」
クエスチョンマークを大量に浮かべるあゆの前で、俺は高らかに笑い続けていた。

<勝利!(謎)>


『フルーツ牛乳』

『●フルーツ牛乳
フルーツの果汁を加えて味をつけ
飲みやすくした牛乳』

「フルーツ牛乳といえば風呂上りにイッキだな」
いや、イッキは別物でやりまくってるから不用意にこういう事は言ってはいけないのだが…。
「はい、祐一」
「おおっ?」
風呂上りに呟いてると、偶然にもあるものを手渡された。
それはまさに!フルーツ牛乳ではないか!しかも瓶入りだ!
「…って、これ本物だろうな?」
「う〜、本物だよ〜」
拗ねた声を名雪があげる。
やや赤い色が強いそれは、どうやら本物のようだ。
「もしかしてイチゴ中心か?」
「常識だよっ♪」
「それは違うと思うが…まあ、ありがたくいただくぞ」
「うん」
折角名雪が用意してくれたものだし。
手前に料理内容がバレていたせいもあるだろうが…この際細かいことはどうでもいい。

ごくごくごくごくごく…

「…ぷはあ、ごちそうさま」
「おそまつさま。これでイチゴサンデー食べ放題だねっ」
「は?」
「そしてバニラアイスも食べ放題ですね」
「は?…栞!?」
なんと栞が来ていたようだ。
名雪の影からたおやかな笑みを浮かべて顔を見せる。
「祐一さん、そのフルーツ牛乳には何が入っていたと思いますか?」
「何って…牛乳とイチゴだろ?」
「いえ。更にバニラアイス、です」
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
そして思い返す、牛乳の味を。そういえばやけに甘い気はしたが…。
「今だから明かすけど、栞ちゃんの好物のバニラアイスと…」
「名雪さんの好物のイチゴをたっぷり混ぜました」
「「合わせて、好物たっぷりフルーツ牛乳♪」」
「おい…」
仲良く手を取ってポーズを決めている。
やけに凝った演出だこと。
「だからって、なんで食べ放題に繋がるんだ?」
「だって、わたしの好物食べたじゃない」
「だって、私の好物食べたじゃないですか」
「黙って食べたわけじゃないぞ。俺は勧められて飲んだんだ」
「祐一、その手に持ってる瓶の横を見てごらんよ」
「ちゃんと証拠が書いてありますから」
「横ぉ?証拠ぉ?」
いぶかしげな表情で、俺は手に持っている瓶の横をたしかめる。
そこに書かれてあったのは…

“これを飲んだ人はわたしにイチゴサンデーおごり放題だよっ”
“バニラアイスもおごり放題です”

「…サギだ」
「何言ってんの?ちゃんと確かめない祐一が悪いんだよ?」
「何かある時は用心しないといけませんよ?」
お前らそれはあまりにもひどすぎるぞ…。
「悪質な罠だ…」
「いいじゃない、ちゃんと見返りがあったんだから」
「世には何も無く奢らされている話もあるんです。我慢しましょうよ」
そんな世なんて俺は知らない。知りたくない。
…もっとも、以前はもっと奢らされまくってた気もしないでもないが。
「わかったわかった、俺の負けだ」
「わーいっ!祐一ありがとう!」
「お世話になります」
「はいはい…」
もうどうでもいい。そう思った。
彼女らが笑顔を見せても、ただそれは怒りや悲しみじゃないからよかったってなもので…
「心配しなくても、これからもばっちりサポートするよっ」
「お料理はまだまだ続くんですしね。精一杯お手伝いします」
「え…?」
「だからぁ、これからも安心して頼っていいよってことだよ」
「できる限りのお料理は作って差し上げます」
「そうか…ありがとな」
「どういたしまして、だよっ」
「気になさらないでくださいね」
最後にはやけに穏やかになった。
半分ごまかされているような気もするが、よしとするか…。
空になった瓶を見つめながら、俺は半分首をひねった。

<ごきゅごきゅ>


『プレーンオムレツ』

「ねえ相沢君、一度オムレツになってみたくない?」
放課後、突如声をかけられた。
どうも近頃、俺が料理をどうしなければならないかを勘違いしている奴が増えている気がする。
「祐一、オムレツになる…」
「頑張りましょうね」
声の主が増えた…!?
ばっ!と振り向くと、そこには香里が居た。
「いい反応ね。それでこそ相沢君だわ」
「…おい、もう一人居なかったか?」
「気のせいじゃないかしら?」
「そうか…」
香里一人の狂言なら無視してさっさと帰って終わりにしよう。
家に戻れば秋子さんが快く作ってくれるはず。こんな所で時間を無駄にするわけにはいかない。
「じゃあな、香里」
「あらもう帰るの?知らないわよ〜」
「何が知らないって…」
ばしぃっ
「ぐわっ!」
不意に足を払われる。
すんでのところで体が地面に倒れるのを免れた俺は、素早く体勢を立て直した。
慌てて首を左右に動かし、辺りを確認する。
だが…確認できたのは香里ただ一人と、他に誰も居ない無機質な教室であった。
「どうしたの?」
「…香里、何かしただろ?」
「あたしは何もしてないわよ。相沢君が勝手に転んだんでしょ」
平然と彼女は答える。余裕たっぷりのその表情は、すべてを見透かすような不敵さがたっぷりだ。
まともに相手をしているのもやばい…そう思った俺はくるっと踵を返した。
がしっ
「おわっ!?」
突然羽交い絞めにされてしまった。
力強いそれに、俺は突如足を止められる。
同時に、ばさりと床にあるものが落ちた。
それは例の本で、今日の料理のページを偶然開けていた。

『●プレーンオムレツ
溶き卵に牛乳を加えて
ふんわりと焼いたオムレツ』

「オムレツ…」
背後から声がした。それは香里のものじゃないとばっちり分かった。
物静かでそれでいて威圧感をはらんだこの声は…
「舞か!?」
こくり
頷く音がした。間違いない、疑う余地も無い。舞以外に居るはずもない。
「って、お前こんなとこで何やってんだよ!?」
「香里とオムレツを作る…」
「はあ!?」
「香里とオムレツを作る…」
「聞こえてる!っていうか、なんで香里と!?」
「それにはあたしが答えてあげるわ、相沢君」
足元に落ちた本を拾い上げ、香里が不敵な笑みをもらした。
この笑みはやばい…非常にやばい…。俺はそう直感した。
「偶然オムレツが作りたくなってね、それで相沢君で料理しようと思ったのよ」
「香里と作る…」
「そう、川澄先輩に…」
「舞でいい」
「…舞さんに協力を依頼してね」
微妙な関係で説明を二人はやってくれた。
っていうか、めちゃくちゃ思いつきの動機じゃねーか!
「お前らな、そんないいかげんな理由で俺を料理しようなんて…」
「いいかげんじゃないわよ。やりたいからやる。これは立派な動機よ」
「言い切るなよ…」
「頑張る」
「頑張るな!だいたい舞、お前の影響じゃないのか!?」
「だっていい案じゃない。あたし舞さんにすっごく共感しちゃったわ」
「するな!」
「祐一オムレツ、楽しみ」
「楽しみじゃねえええ!!」
叫びに叫んだ放課後。
そしてさらば俺の人生。

…気がつけば、俺は何故か香里の家でオムレツを食べていた。
自分の体は、見た目にはなんともなってない。
どうやら無事に料理されずに済んだみたいだ。
「…いや、本当に無事なのか?」
「さすがに臓器は違反だからやめといたわよ」
「祐一、オムレツ美味しい」
「お前ら…」
この二人が何をやったのか非常に気になる、気になってしょうがない。
そして気になるといえば、俺とは別の理由で気になっている人物がいた。
「どうしてお姉ちゃんと舞さんとが一緒に…」
栞の反応ももっともだが…お前も佐祐理さんと時々居たりするからな…。

<ふふふんわり>


『フレンチトースト』

これは日常でもよく聞く料理だ。
しかもそんなに作り方は難しくなかったはず。
たしか…

『●フレンチトースト
卵と牛乳と砂糖を混ぜたものに
食パンを漬け込み
バターで焼いて作った食べ物』

「…ふむ、作ってみるか!」
漬け込んで焼くくらいなら俺にだってできる。
加減がどうこう言うと別物になってくるが…。
「よし、どうせ作るのなら誰かにも食べてもらおう」
以前までは料理が苦手だった俺も、すっかりコックさん気取りだ。
というわけで、あゆを呼んだ。
「うぐぅ、どうしてボクなの…」
「俺の料理を食べるのが不満か?」
「そんなことないよ、嬉しいよ。でも不思議だったから…」
「いいから俺の腕前を見ておけ。そしてうぐぅうぐぅと言いながら食うんだ」
「うぐぅ、余計なお世話だよっ」
何気ない一言によりあゆがぷうっと膨れる。
それでも怒り顔ではなかった。きっと俺の料理が死ぬほど楽しみで楽しみで仕方ないんだろう。
「そこまで楽しみじゃないけど…」
「………」
ぽかっ
「いたいっ、どうして叩くの…」
「料理の準備のためだ」
「うぐぅ…」
ともかく、秋子さんからキッチンは借りた。
あゆは俺が作っているさまを傍で見ているだけである。
材料もそろえた。さっさととりかかるとしよう。
まずは、卵と砂糖と牛乳をボールに入れて混ぜる、と…。
ぱかっ
どばどばどば とくとくとく
しゃかしゃかしゃか…
「…ねえ、砂糖入れすぎじゃない?」
「細かいことは気にするな」
でもって次は、パンをそこに漬け込む、と。
ぴしゃっ
じわ〜…
「こんなもんかな」
「へえ〜、フレンチトーストってなんだか変わった作り方だよね」
「漬け込むんだからまあこういうもんだろ」
「でもパンって一度焼いたものだよね?それをたい焼きの元に戻すみたいに見えるし」
「なるほど」
あゆらしい発想だ。たい焼きって辺りが特に。
けど言われてみれば俺も同時に頷き納得がいく考えである。
「さーて、こいつを焼くか」
フライパンにバターをひいて、温めて…
ジューッ!
「うわっ、凄い音」
「そりゃあなんたって、普通にパンを焼くのとは違うからな」
水分がいかに多いか、というのが良くわかる音だった。
程なくしてそれは完成。複数枚できたそれを皿に盛ってやる。
食卓の上には、綺麗に焦げたパンが並んでいた。
「いただきま〜す」
「ああ、たーんと食えよ〜」
ぱくっ
あゆが笑顔でかぶりつく。
「どうだ?」
「うんっ、美味しいよ。とっても」
「そりゃよかった」
言われて俺も一口かじりつく。
…いい出来だ。これだけ作れたなら上等だな!
「祐一君、どんどん料理が上手になっていくね」
「今回のこれは簡単だっただけのことだ」
「でもこれだけ作れれば大したもんだよ、うん」
素直に褒められて悪い気はしない。
あゆと共に穏やかな一時を過ごした俺であった。

<やった!>


『ベーコンエッグ』

今日は気分がいい…。
「というわけで、俺が今日の朝食を作ってやるぞ」
天気もいい休日。
寝ている名雪と真琴をたたき起こして、俺はキッチンで宣言した。
高らかなそれはなんと気持ちのいいことだろうか…。
「くー…」
「あぅ…まだ6時にもなってないのにぃ…」
くそ、なんて反応だ。場がしらけてしまうではないか。
「起きろ!」
「…くー」
「頭に響くぅ…なんで祐一は朝っぱらからそんなに馬鹿元気なのよぅ…」
馬鹿は余計だ。
「爽やかだと言ってほしいもんだな」
「眠りを欲している人間を無理矢理起こす奴のどこが爽やかなのよぅ!」
…それもそうだな。
「そんなことはどうでもいい」
「名雪も寝てるんだから真琴も寝る…」
「こら真琴っ!お前まで寝るな!」
「あぅーっ、寝るったら寝るのぉー!」
じたばたじたばたどったんどったんくーくーくー…

小休止…

「…仕方ない、また後で起こしに行ってやる」
「あぅーっ、起こさなくていい…」
「何を言ってるんだ。俺が立派な朝食を作ってやってるって言うんだぞ!?」
「だいたい祐一はちゃんと作れるの!?」
「もちろんだ!この本を見るとな…」

『●ベーコンエッグ
ベーコンを下にしいて焼き上げた
目玉焼き』

「こんな簡単な料理が他にあるか!」
「いくらでもあると思う…」
ぽかっ
「あぅーっ!なんで叩かれなきゃいけないのよぅ!」
「うるさい。さて、実は既に準備してある」
得意げに言ってやった。
こいつらを起こすより早く、俺は作業をしていたのだ。
卵にベーコンに材料を用いて…。
「準備?」
「そうだ。向こうに見えるフライパンに…」
ぶすぶすぶす…
指差したそこからは、真っ黒な煙が立ち昇っていた。
「どわーっ!や、焼きすぎだー!!」
「…おやすみ」
「こら逃げるな真琴!」
「さっきからずっと寝てる名雪にでも食べてもらいなさいよーだ」
どたどたどた
…白状にも真琴は去って行った。
場に残っているのは…。
「くー…」
食卓では一切目を覚ましていない名雪のみ…。
「ってそんなこと気にしてる暇なかった!」
慌てて火を止めて、フライパンの中のベーコンエッグを取り出す。
「…ぐは、まっくろだ」
炭…と呼んでも差し支えないかもしれない。
なんということだ。俺としたことが…。
「くー…」
相変わらず名雪の寝息が聞こえてくる。
おのれ、俺の非常事態になんてのんきな奴だ。
しげしげと、手元のベーコンエッグを見つめる。
しげしげと、寝ている名雪を見つめる。
繰り返し繰り返し、交互に見つめる。
「よし、こうなったら名雪に味見を…」
「…だおー」
とてとてとて…
名雪は突然立ち上がったかと思うと、そのまま歩いて去っていった。
…本当は起きてたんじゃないのか?
「仕方ない…自分で食うか…」
自業自得の、炭料理を、結局自分で食した俺であった。

<にが…>


『北京ダック』

「これは実際に北京に行ってもらうしかありませんね…」
いつもの様に本を覗き込みに来た(いつもではないが)天野が呟いた。
のんびりとした休み時間、である。
「あのなあ、そんなことしなくても日本に売ってるだろ?」
「相沢さん、妥協してはいけませんよ」
「妥協じゃない。第一この本の目的は食べることなんだ」
いちいち料理に合わせて海外に飛びまくってたりしてたらそれこそ身がもたない。
「ではどうするのですか?」
「商店街へ買いに行く」
「私も同行してよろしいでしょうか」
「天野が…?」
同行して一体何をしようと言うんだろう…。
どこかいい店でも知っているんだろうか?
「何も言いませんよ。ただ見ているだけです」
「見ているだけ…って、そんなためだけに来るのか?」
「いけませんか」
「いけないってことはないが…だったら放課後校門前で待ち合わせ。な?」
「はい、わかりました」
くすりと天野は微笑んだ。嬉しそうだ。
一体何が嬉しいっていうんだろう。
疑問に思っているうちに、天野は一礼して去っていった。

時は流れて放課後。天野と待ち合わせて商店街へ。
そこで何故か人数が増えていた。とは言っても一人だが。
商店街に行けば十中八九は会える、あゆだ。

『●北京ダック
アヒルを丸ごと焼いて薄切りにし
野菜や味噌などと一緒に
小麦で作った皮に巻いて食べる料理』

「北京ダック?」
「そうです。月宮さん、どこか良い店をご存知ありませんか」
「それだったら…たしか乾物屋さんの向こう側に…」
「ああ、あの店ですね。なるほど、それなら納得の場所です」
どうやら二人は既にいい店を知っていたようだ、ありがたい。
ちなみに晩飯として買っていくと秋子さんには通達済み。
大手を振って持ち帰れるってわけだ。
「これで相沢さんも思う存分アヒルさんを召し上がれますね」
「うぐぅ、そういう事言ってると、また誰かに襲われそうな気がするんだけど…」
誰かって誰だよ。
今回は天野とあゆ以外には喋ってないからそういう心配はしなくていいぞ。
ずしゃっ
「「「ずしゃっ?」」」
背後で大きな物音がした。雪に何かが深々と突き刺さるような音。
ぴくっと反応して振り返る。
と、そこにはうちの学校の生徒が居た。三年の制服だ。
厳密に言うと、舞が立っていた。手に持ったスコップを地に突き立てている。
「アヒルさんは…私が護る!」
…出やがった。動物さん守護活動部部長!
「相沢さん、そんな部はうちの学校にはありませんよ」
「思ってみただけだって」
「うぐぅ、舞さんやっぱり怒ってるよぅ…」
一体どこで聞いたのか。いや、たまたま聞こえただけかもしれない。アヒルという言葉が。
だとするとスコップを持っている状態がやけに不自然だ。ひょっとしたら地獄耳なのか?
どうしたものかと思案していると、天野がメモ帳を取り出す。鉛筆でさらさらとそれに書き込む。
ぴりっと千切って、俺に手渡してきた。
「お店の場所をメモしましたので、ここを目指してください」
「お、おお、すまない」
しなやかな手つきでそれを受け取る。
準備万端だ。こうなったら三人で逃げるしかない!
「祐一君、一人で先に逃げててよ」
「川澄さんには、私達がお話しておきますので」
あゆと天野が同時に頷く。
…俺は感動した。この二人の想いを無駄にしてはいけない。
申し訳ないと思いながらも、同時に感謝の念を投げながら俺は脱兎のごとく走り出した。
それをもちろん追いかけようとする舞。だが、天野がそれを遮るように言葉を投げかけた。
「川澄さん、アヒルさんを狙っているのは相沢さんだけですから」
「そうそう。ボク達は関係ないよ」
「…わかった」
なにぃーっ!?
「う、裏切られた!?」
「祐一、覚悟…!」
焦って後ろを振り向くと、舞が鬼のような形相で、
いや無表情でもその中に怒りを交えた表情で迫ってきている。
もちろん俺は逃げる、走る、駆ける、飛ぶ!…いや、飛ぶは無理だが。

数刻後…

懸命に舞を振り切り、俺は何とか目的の品を購入した。
そして家に無事に帰りついた。
「つ、疲れた…」
くたくたの手で、水瀬家のドアを開ける。
「ただいまぁ〜」
「お帰りなさい」
いつもの様に秋子さんが出迎えてくれる。
手に持っていた北京ダックを、俺はゆっくりと手渡した。
「あらあら、どうもすみませんね」
「いえ、今日はそれを食べないといけませんし…」
「そういえばお客さんが来てますよ」
「お客さん?」
誘われるままに食卓に行く。するとそこには…
「こんにちは、相沢さん」
「うぐぅ、お邪魔してます〜」
「………」
裏切り者の二人が居た。
狙いは北京ダックか!?そうなんだな!?
…まあ、無事に購入できたのもこの二人のおかげだから邪険に扱うわけにもいかないが。
しかしまだ俺は不安があった。本当に舞は諦めたのか?以前みたいに建物の前で待ち構えてないのか?
舞の動向を気にしつつ、俺は秋子さん調理の北京ダックを食していた。

<しかし翌日…>