『チキンドリア』

ドリアは女だ、という言葉をどこかの番組で聞いた気がする。
いや、女はドリアだ、だっけか?まあどちらでもいい。
女というからには俺が手出しするわけにはいかない。
誰か女性にに頼んで料理してもら…
「相沢、たまには俺に任せろ」
振り向けば北川が居た。
「てめえはいらん」
一言言って顔を背ける。
「おい…なんだよその言い草は」
ムッときたのか、北川が肩をひっつかんで振り向かせる。
「北川、お前男だろ?」
「…俺が女に見えるか?」
「見えん。だから却下だ」
手を振り払ってまた顔を背ける。
徹底的な理由により、北川は退いたかに見えた。
しかし納得いかない声で俺に語り掛ける。
「お前なあ…たまには男に頼ってもいいだろう?」
「残念ながら今日は女に頼る事に決めたんだ」
「なんでだよ…」
「どうせろくでもない理由よ」
いつのまにか香里が傍にやってきていた。
ふむ、丁度香里は女だな…。
「そうそう、言われる前に言っとくけど…相沢君。
あたしに頼ろうとしたら強烈なカウンターを食らわせるからね」
にこにこと冗談を飛ばす。…いや、これは本気だ!
チッと心の中で舌打ちしてボソッと呟いてやる。
「ケチだな…」
「相沢君こそケチでしょ?天文学的に珍しく北川君が手伝いを申し出てるのよ?」
「美坂、俺はそこまで珍しくないぞ…」
そうだ、珍しくない。手伝いと称して今まで何度タカりにきたことか…。
「どうせ今回もタカリに決まってる」
「違う!今回は本気だぞ?」
「どうだかな」
俺の北川への信用度はほぼゼロであった。
「まあそんなことはどうでもいいとして…」
話を変えようと香里がごほんと咳払いをした。
「美坂、それは酷いぞ…」
「そうだぞ香里」
「相沢君がわざわざ女の子に手伝ってもらおうとする料理はなんなの?」
俺と北川の抗議を無視しやがった。さすが香里だな…。
文句の一つでも付け足してやろうかと思ったが、素直に本を見せてやる。

『●チキンドリア
炒めたお米の上に
ホワイトソースと鶏の肉をのせて
オーブンで焼き色をつけた食べ物』

「こんなもん普通に自分で作りなさいよ」
それをやると自爆するのが見え見えだろうが…。
「そうだぞ、俺が作ってやる」
「お前は黙ってろ北川」
「俺のこげこげドリアを食したくないか?」
「無い」
ここはきっぱりと告げてやる。
と、香里が不機嫌そうに言葉をぶつけてきた。
「なんでこれが女の子と関係あるのよ」
「女はドリアだ、という言葉を聞いた事があるからだ」
即答してやる。ふふん、参ったか。
「ばっかじゃないの。…いいえ、正真正銘の馬鹿ね。相沢君の知能も落ちたものね…」
「………」
相当に酷い事を言われた気がする…。
いや、実際香里は言っている。俺が一点の曇りもない馬鹿だと堂々と…。
ずーんと響いたそれにがくっとなる俺。
それを見やると、香里はすたすたと歩き去って行った。
「お、落ち込むな相沢!俺がちゃんと作ってやるから!」
「………」
一生懸命な北川に、無言で俺は返すしか出来なかった。
何がヤツをそうさせたのか?
有り難い事に、下校時レストランでそれを奢ってくれたのだ。
作ると言ってたくせに…いや、そんなことはどうでもいい。
なんていいヤツなんだ北川…。
「あっ、忘れないうちに言っておく。相沢、俺のおごりは10倍にして返すようにな」
「………」
ぼぐっ
「おうぅっ!」
北川の顎にパンチがクリーンヒットする。
いいパンチしてるぜ俺…。

<…どっちもどっちね>


『チャーハン』

今年の流行は風…そう、俺は風に乗って空を駆け巡る…
じゃなくって、風邪の流行が酷いとの噂を聞いた。
それを裏付けるかのごとく、秋子さんと名雪が風邪でダウンしたのだ!
ごほごほと咳をする姿は母娘そっくりだったと印象深い。
経験を活かして粥をなんとかこしらえて食べてもらった。
やればできるじゃないか俺。しかし…
「…どうすんだよ、俺らの今日の晩飯」
肝心の、自分達の分をすっかり忘れていた。
さすがにこのまま何も食わずに過ごすわけにはいかないが…。
「あぅーっ、真琴が作る!」
台所にて腕まくりする真琴。残念ながらそれだけは任せられないな。
「お前に料理を任せると水瀬家が見るも無残な姿になると今日の占いに出ていた」
「ちょっと、何失礼な事言ってんのよぅ!」
「事実だろうが。現実を認めろ」
「やってもいないうちから決め付けないでよっ!」
腕をぶんぶん振りながら抗議してくる。
片腕でさらりと受け止めながら、俺はどうするかを思案していた。
…いや、何も悩む必要など無い。
今日の料理を作らなければならないではないか!今思い出した。
「うーん、ついボーッとしてしまったな」
「祐一はいつもボーッとしてるじゃない」
「………」
ぽかっ
「いったぁーい!理不尽だぁ〜!」
わーわーぎゃーぎゃーと真琴の騒ぐ声が大きくなる。
はた迷惑な奴だ。
「お前な、静かにしろ。名雪や秋子さんが起きちまうだろ」
「あぅ…。祐一が悪いのに…」
膨れて悪態をつくその姿を横目で見ながら、俺は本を手に取った。

『●チャーハン
外はパリパリ、中はふんわりとした
中華風の焼き飯
ポイントは鍋をキチンと焼くこと』

「…なるほど、これなら大丈夫だ」
「何が大丈夫なのよぅ」
機嫌の悪そうな声ながらも真琴も本を覗き込んで来た。
そうだ、いっその事一緒に作るか。
「真琴、見ての通りチャーハンだ。頑張って作ろうな」
「祐一が一人で作ればいいじゃない。真琴には肉まんがあるも〜んだ」
こいつ…人の好意的な誘いを足蹴にしやがって…。
だがここで素直に従ってしまえば男がすたるというもの。
真琴を料理作りに見事巻き込む!
「…と思ったけどやっぱり一緒に作る。真琴の腕前をとんと見せてあげるわよぅ!」
「あのな…」
きょうびのまこぴーは頭の切り替えが早いって事か。
いや、単に肉まん自体無い事を思い出したんだろう。買い置きもお金も…。
それはそれとして、やる気になってくれたならいい事だ。
「よし、共に最高のチャーハンを目指すぞ」
「うんっ!」
二人がっちり腕を組む。
祐一&真琴チャーハン作成部隊の結成だ!
…次の日にはとっくに解散してそうな気もするが。

まずは材料集め。お互い特に好き嫌いも無いので、たっぷり用意しよう。
野菜に、タマネギピーマン人参。
卵に鳥肉、そしてシーチキンである。
「ポイントは鍋をきちんと焼く事、か…」
焼き係の俺が率先して中華鍋を持つ。油を入れて、鍋をあっためる…。
その隙に真琴が材料を包丁で切る…
「祐一、なんか焦げ臭くない?」
「おわっ!あっためすぎた!!」
わずかな煙を察知した真琴の声に、慌てて火を止める。
ふう、危機一髪だぜ。
「ちょっとぉ、真琴より祐一の方が危ないじゃないのよぅ」
「すまん…っていうか、先に材料切った方がよさそうだな」
てんで順番がバラバラだ。ここはおとなしくマニュアル通りに…
ぱららっ
思い立って本を開ける。
「…って、これは料理の説明を書いてるだけじゃないか」
ぱたん
本を閉じる。
「祐一さっきから何やってんのよぅ。さっさとタマネギ切りなさいよぅ」
「わーってるよ、ったく…」
言われるがままにタマネギに包丁を入れる。
ストン
そして刻み出す。
トントントン…
「…ぐをおお!?め、目が痛いぃぃぃ〜!!」
「えっ?…あぅーっ!真琴にもきたぁぁぁ!!」
そう、タマネギを切る時にお馴染みのやつが俺達をおそったのだ。
二人して包丁をもったまま、じたばたと駆け回る。
涙が流れ出ているので視界も悪い。そしてヒカリモノを振り回す。
非常に危ない…。
………。
「…ふう、ふう」
「あぅ…痛かったぁ…」
涙がちょちょぎれるほどの苦労をしつつ、どうにか材料は切り終えた。
しかしそれぞれの大きさといったら…バラバラもいいとこだ。
…この際見た目は気にしてられないか。
「よし、それじゃあ鍋をあっためるぞ」
「う、うん」
先ほどの失敗はしないぞと火を点火。
待つ事数十秒。ほどよいところでまず卵を割って入れてやる。
ジューッ!
あっという間に身が固まってゆく。
目玉焼きにするわけではないが、その姿はなかなかに食欲をそそる。
しばらくして野菜をほうり込んだ。
ジューッ!
野菜に付いた水があっという間に蒸発する。熱に反応して小気味よい音を立てる。
しばらくして、肉類他残りの材料をほうり込む。
適当に炒めたところで最後にご飯を入れた。後は味付けだ。
と、真琴が俺の背後にぴったりとしがみついているのに俺は気が付く。
最初の音にびっくりしたのだろうか。
「危ないから体を引っ張るなよ」
「あぅーっ…」
「炒めるとか後の作業は俺がやるから、真琴は座って待ってろよ」
ここまでくればもう焼きそばと同じ要領である。
経験者の俺の独壇場であるがゆえに、真琴のやる事はもはやない。
「あぅーっ…でも…」
困ったような申し訳ないような、複雑な表情を浮かべている。
「分かったよ、そこで見てろ」
「…うん」
苦笑しながら傍にいさせてやる。
二人で作るチャーハンだから、最後まで二人でなければ意味が無いと思っているのかもしれないな。
そうこうしているうちに、そのチャーハンは出来上がった。
ほどよい焦げ目の付いた、見た目には悪いがれっきとしたチャーハンだ。
「…できたぞ」
「…やったね、祐一」
互いに笑顔を交わす。
様々な過程があれど、完成はいいものだ。
皿にチャーハンを盛り付け、食卓の上にそれを並べる。
食器その他が揃ったところで席に着き…
「「いただきます」」
感謝の念を込めた挨拶をする。
いいもんだ、こういうのも。料理の苦労とをかみ締めながら感慨に浸る。
期待しつつ一口目を口に運ぶ…。
もぐもぐもぐ
「…ねえ祐一」
「…なんだ」
「…ちゃんと味付けした?」
「…してない。忘れてた」
「………」
「………」
「…なんで最後の最後でそんなオチなのよぅ!」
「相沢祐一一生の不覚なんだよ!」
「あぅーっ!そんなの理由になってないぃ!」
「知るかそんなの!」
致命的なミスはあったが…チャーハンは無事食べた俺達だった。

<無事でもないけどな…>


『茶碗蒸し』

目覚めた後に驚いた。なんと名雪が俺より早く起きていたではないか!
正確には、既に部屋に姿がなかった名雪の事を秋子さんに尋ねたら、
「名雪ならもう出かけましたよ」
と答えが返ってきたのである。
何か用事でもあったのか…いや、用事でもない限りは名雪は早起きしないだろう。
そんなわけで俺は、いつもと違ってのんびりと食事をとる…。

「のんびりしすぎたー!!」
俺は猛ダッシュで通学路を進んでいた。
周囲には人影がまったくない。ただ雪の白さが寂しさを写し出していた。
しまった、これではいつもと何ら違わないではないか。
駄目な奴だな…と自己嫌悪に陥りながら、俺は予鈴が鳴り響く中校門をくぐるのであった。
「セーフ!」
ぎりぎりで教室に到着した。全力で走ってきているだけに息が荒い。
「おはよう。相沢君だけなのにこんな時間にくるなんて珍しいわね」
目が一番に合った香里が声をかけてくる。
その後、別の方向へ、普段俺が朝連れてきている人物の席へと目を向けた。
「当の名雪はびっくりするぐらいに早く来たしね」
その名雪はくーくーと机の上で寝息を立てている。
幸せそうに閉じられた目は、やるべき事をやり終えたかのような清々しさを醸し出している。
いつもぎりぎりに来ているが、今日特別に早く来たという事から来る優越感だろうか。
またはそれほど大事な用事が早朝からあったという事だろうか。
どちらにしても今は休ませてやろう。
俺の力なくとも(当の俺は危うかったし)遅刻を免れたことは賞賛すべきで…
「ところで相沢君って、茶碗を蒸しちゃったんですってね」
「は?」
唐突な香里の言葉に振り返る。
続けて北川も言った。
「今日の料理は茶碗蒸しなんだろ?」
そういや今日の料理は茶碗蒸しだったっけ。
本の中身を思い浮かべてみる…。

『●茶碗蒸し
肉や野菜を入れた茶碗に
鶏卵を溶いてかけ
茶碗ごと蒸して作った料理』

うん、たしかに茶碗蒸しだな。
「名雪が言ってたわよ。お茶碗だけを蒸し器にかけて相沢君は満足してたって」
「相沢、いくらなんでも茶碗は食えないだろ?」
「常識を考えなさいよ。今回のその行動はシャレでも面白くないわ」
口々に二人がまくしたてる。
もしかしたら名雪はわざわざそんなネタを広める為に早起きを…。
口に出すのも面倒くさい呆れが心の奥底で沸き上がる中、名雪を見やる。
すると、むにゅむにゅと寝言を発した。
「うにゅ…もう学校中に言いふらしちゃったから手遅れだおー…」
「………」
こいつ、本気でシャレになってないことを…。
今度は呆れを通り越して怒りが沸いてきた。
と、またそこで名雪は更なる寝言を発した。
「やったね、真琴…ふぁいとっ、だよ…」
「………」
黒幕は真琴かよ…。
もはや何も言う気になれず、俺はただ席につくのみだった。
肝心の料理は秋子さんに作ってもらったが…。

<嫌な一日だった>


『チョコクレープ』

「でーとっ、でーとっ、祐一君とデート〜♪」
隣であゆがはしゃいでいる。
あからさまに歌っているその歌は、聴いているこっちが恥ずかしくなる。
たまにはあゆとデートしてみよう。そう思ったのはつい昨日だったか…。
まあ日にちはどうでもいい。デートという言葉そのものにあゆはとにかく喜んだ。
最初は顔を赤らめ俯き、もじもじもじとらしくない行動をとっていたが、
いざ当日になってみるとこうも違うのだろうか。
ただ、このデートはやはりというか食物を食う事も兼ねている。
今日の料理は…

『●チョコクレープ
生クリームとチョコレートを
包んだクレープ』

つまりはデートには丁度いい品だということだ。
大抵の女性は甘いものが好きであり…
「あっ、祐一君。あそこだよ」
あゆに案内された場所は、果たしてクレープ屋だった。
(ここでたい焼き屋に案内されていたら今日のデートはそこでお終いになっていたかもしれない。)
パタポ屋と書かれた綺麗な立て看板で示されたそこからは、
美味しそうなクレープの匂いがただよってくる。
さすがあゆは商店街内を知り尽くしているな。
しかしそれでいて結構な人だかりができている。人気の場所の様だ。
「ここは学生に有名な場所なんだよ」
「どう有名なんだ?」
「さあ?」
「さあってお前…」
言い出しておきながらなんという答えだ。
まあそんなことは気にしない。やはりあゆなのだから。
「うぐぅ、やはりあゆってどういう意味…」
「あゆらしいなっていうことだ」
「だからそれってどういう意味なの…」
なんてやりとりを交わしていると、先頭に並んでいた二人の男女が列を離れた。
俺とあゆと同じく、デートなのかもしれない。
「あっ、男の子が女の子の持ってるクレープにかぶりついたよ」
「相手の気を逸らして隙をついたか…やるな」
「ああっ!また!…あっ、負けじと女の子も男の子のクレープにかぶりついたね」
「堂々とやっているとは…お互い慣れているということか…」
「あの二人、相当仲がいいんだね」
何故だかあゆと一緒についつい見てしまっていた。
間接キッスだとかいうことをまったく意識せずにお互いのクレープを食べ合う二人を。
やけに見せつける行為だが、本人達はまったく気付いてない事だろう。
「あゆ、俺達も負けてられないぞ」
「えっ、も、もしかしてボク達も同じ事するの?」
「そうだ。俺があゆの分もすべて食ってやる。そうすれば俺の勝ちだ」
「うぐぅ…そんなの酷いよ…」
一瞬赤くなったあゆの顔が青くなる。いや、白くなる。
ため息にも似た息をはあと吐き出した。その息も妙に白かった。
「どうしたあゆ。顔が悪いぞ」
「うぐぅ!顔色だよ!」
「大丈夫だ。後でペンキで塗ってやるから」
「うぐぅ!そんな事しないでよ!」
俺とあゆは結局のところいつものやりとり。
そんなこんなでクレープを手に入れ…何事もなく俺達は食すのだった。
「ところであゆ、本当はたい焼きが良かったんじゃないのか?」
「でも祐一君がクレープだって言うから、しょうがないよ」
「今度はたい焼きを食べような」
「うんっ」
快く付き合ってくれたあゆに、感謝いっぱいの俺であった。

<ぱくっ>


『豆乳』

だだだだっ
廊下に響く俺の足音。
コツコツという穏やかそうな音ではないのは、俺が今逃げているからだ。
いいかげん走りっぱなしは疲れるので、頃合いを見て物陰にすっと身を隠す。
「ふう、ふう。どうやらまいたみたいだな」
ちらりと走ってきた方向を見やると、俺は息をついた。
さて、俺が何から逃げているか。それは舞からである。

『●豆乳
たっぷりと水に浸けた大豆を
粉々に潰し
煮込んで作った飲み物』

今日の料理はこれであった。
まあ料理が何かなんてのはどうでもいい。
いつもいつも食べようとしているのがどうも癪にさわるので、少しゲームを編み出したのだ。
普段とは逆の行為。すなわち、食べないように料理から逃げる、という事。
しかし、それだけならそのまま終わってしまうので、舞に食べさせ係を頼んだ。
暗に協力者を伴ってもいいという条件付きだ。
「一人だと多分辛いだろうしな」
「…見つけた」
「げっ!?」
背後から威圧感を伴った声が聞こえてきた。
振り向き後ずさると、そこに居たのは果たして舞であった。
「いつのまに回り込んだんだ…」
「祐一、大人しく豆乳を飲む…覚悟!」
言うと同時に舞は素早く跳ねた。
そして俺が向きを変えて駆け出したのも同じである。
しかし舞は素早かった。気付いた時には俺は捕らえられていたのだから。
「くっ、は、離せ〜!」
「離さない」
後ろから羽交い締めにされた。
力は俺の方が上だと自信があったのだが、なにぶん体勢が不利である。
必死に引き剥がそうとする行為も、舞にとっては十分抑えられるものであったろう。
だが、このままでは豆乳はさすがに飲ませられない。
そこで俺は余裕をたっぷり含んだ声で尋ねてやる。
「ふっ。舞、どうやって飲ませるつもりだ?」
「…美汐!」
「なにっ!?」
舞が名を叫んだ直後に、一人の女子生徒がゆっくりと姿を現す。
それは、豆乳のパックを手に微笑を浮かべている天野であった。
「協力者って…天野?」
「相沢さん、覚悟してください!」
天野の宣言が合図だったのだろうか、舞が入れる力が強くなった。
俺のからだが固定される。そこへ天野がダッシュしてくる。
しかもダッシュをしながら豆乳のパックにストローをぷすりと差している。
彼女がパックを握る事によってストローに中身が上ってくる。
それが正に吹き出そうという寸前で、ストローが俺の口の中に突っ込まれた。
正確には、天野が片手で俺の口を開き、その開いた口へ突っ込んだ、という事だ。
パックから止めども無く流れてくる豆乳を、俺はなすがままに飲み続けていた…。


数刻後。パックが空になった事を確認して天野が豆乳を引っ込める。
それと同時に、舞も羽交い締めを解いた。とりあえず俺は言っておく。
「…ご馳走様」
「お粗末さまです」
丁寧にパックをたたみながら天野が返してくれた。
「しっかし舞が協力を要請したのは天野だったのか」
「ええ。思いも寄らない誘いにびっくりしました」
少々の照れ笑いを浮かべながら、天野は舞と向き合った。
「川澄さん、楽しかったです」
「美汐は行動ばっちり」
「ありがとうございます」
二人の中に何がしかの絆が生まれていた。
握手をしているその光景は貴重で珍しいと言って差し支えない。
「またこういうのやりたい」
「そうですね。今度は相沢さんから食べ物を奪う事にしましょう」
「はちみつくまさん」
…もしかしたらろくでもないコンビを誕生させてしまったかもしれない。
日常にちょっとした非日常を加えた気分になった俺であった。

<増えるイベント>


『ドゥルフォールビバン』

『●ドゥルフォールビバン
甘く優しい舌触り。二級とはいえ
マルゴーの名は伊達じゃない
はっきり言って十分な美味さです』

「これはお酒ですね」
「ぐわあああっ!」
例の本を部屋で読んでいると隣から覗き込まれた。
酒ということで秋子さんかと思ったのだが…。
「…天野?」
「はい。失礼だとは思ったのですが真琴に急かされまして…」
「美汐。そんな祐一に気を遣う必要なんてないわよ」
理由はよくわからないが、天野がうちに遊びに来ている。
真琴が招いたのかそれとも名雪か秋子さんが招いたのか…。
まあ誰がどうだというのはどうでもいい。問題なのは今の状態だ。
「天野、お酒って?」
「お酒はアルコールを含んだ飲み物ですよ」
「そんなことはわかってるんだが…」
「“さんずい”に“とり”と書きます」
「………」
からかいが始まってしまった。こうなると俺には手に負えなくなる。
「ねえねえ、今日の料理はお酒なの〜?」
「そうですよ、真琴。味見程度なら真琴も飲んでみるといいですね」
「へえ〜♪」
和やかな会話が交わされている。
天野の態度がここまで変わるのはどうも納得がいかないが…。
「じゃあ早速秋子さんに頼んでみよ」
「秋子さんが持っているのですか?」
「うん。秋子さんはお酒マスターなのよぅ」
「なるほど…」
結局そのまま二人は部屋を出ていった。
俺が立ち入る隙はまるでなかった。
そしてそのまま時が過ぎていく…。

「祐一ぃーっ!」
部屋の真ん中でぼーっと突っ立ってる俺に向かって真琴がやってきた。
この狭い部屋で突撃してくるとは…。俺は即座に体を捻ってそれを交わし…
がしっ
「!?」
「真琴の攻撃を避けてはいけませんよ」
「あ、天野!?」
突如体をまるごと後ろから抑えられた。いや、正確には羽交い締めだろうか。
つい最近こんな体勢にされたことがある…
なんて物思いにふけってる場合じゃない!
「あま…」
「えいっ!」
俺が天野を振りほどこうとしたしたその時だった。
真琴が携えていた瓶。その先っぽが俺の口に突っ込まれたのだ。
そのまま体を斜めに倒されて…そして瓶の中身の液体が俺の体内に流し込まれて…
「んぐっ、んぐっ…」
熱い。体中が熱い。そして頭も熱い。俺は…
どうっ
とうとう倒れてしまった。
世界が回っている。霞んでいる。ああ、何故俺は俺なんだろう。
何故相沢祐一は相沢祐一なんだろう…。
「うわあ…祐一顔まっか」
「一瓶全てはさすがにきつかったのでしょうね」
そういう問題じゃない…。
とっさにツッコミを心の中で返す。
当然言葉にすることはかなわなかったが…。
次第に目の前が暗くなってきた。
薄れ行く意識の中…遠くで笑う秋子さんを見たような気がした。

<味わう暇無し>


『殿様雑煮』

「祐一が雑煮になれば」
少し久々気分に聞いたキツい台詞。
「だから舞、俺が雑煮になったってしょうがないだろ?」
「自分を食べればいい」
無茶苦茶だ。
たしか、自分をすべて食ってしまって、
それでとうとう口だけになってしまって、
最後にその口も食ってしまって消えてしまった食いしん坊の蛇の話があった。
舞は俺にそうなってしまえと言うのだろうか?
「モテる男は辛いぜ…」
っと、違う…。
「あはははーっ。祐一さんは舞からモテモテじゃないですか〜」
聞き逃さずに反応する佐祐理さん。
ぽかっ
そして舞のツッコミが入る。いつもの和やかな風景だ。
…っと、ほのぼのしている場合じゃない。
「越後屋、お主も悪よのう…」
「ふぇっ?」
「………」
しまった、また違った台詞を言ってしまった。
冷静に頭の中を整頓し、一から思い返してみる。
…そうだ、今日の料理が原因だったんだ。

『●殿様雑煮
キジ肉のダシ汁をベースにした
贅沢な雑煮。具も特筆もの』

というわけで、事の発端は俺がキジの名前を出した事だ。
それで舞が怒って俺を雑煮にすると言い出したんだ。
何も生のキジを捕まえて煮ようってんじゃないのに…。
「でも祐一さんがお殿様になってしまえば、雑煮として成り立ちますよね」
佐祐理さんまで酷い事を言う。
「…祐一は今からお殿様」
「はぇ〜、頭が高いです〜」
二人がノっている。ここで合わせてしまえば俺の負けだ。
あっという間に雑煮にされてしまい…。
「さ、佐祐理さん!」
「ふぇっ?いかがなさいましたか、お殿様」
まだごっこ遊びは続いているのか…。
「だから俺はお殿様じゃないって。
えーと、佐祐理さんちで殿様雑煮、食べられないかな?」
「…うーん…なんとかなるとは思いますがお殿様…」
…こりゃあほとぼり冷めるまで俺はお殿様だな。
「舞の意見も聞いてみないと…。ね、舞はどうかな?」
くるりと顔を横に向ける。これは暗に舞を誘っているのだ。
つまりは、今晩佐祐理さんちで殿様雑煮を食べる会を行なって…。
「…佐祐理が居るなら、いい」
「よかった。というわけでございますだ、お殿様」
変な脚色が加わった。
ああ佐祐理さん。頼むから遅くとも明日には元に戻っていてくれ…。
そして、やはり舞は佐祐理さんに甘かった。
途中の、咄嗟に行なった俺の呼びかけはかなり有効だったと言えよう。

夜…。
佐祐理さんの家に到着しても、その到着するまでの道中も、
俺はひたすら殿様呼ばわりされていた。
おかげで非常に贅沢なはずの料理の味は…。
「ところで祐一は雑煮にならないの」
唯一、舞だけは名前で呼んでくれていた。
そして執拗なこだわりを見せていた。
「お前はまだそんな事言ってるのか」
「だって、殿様になってる」
「なってない!呼ばれてるだけ!」
「あはははーっ。お殿様が御乱心ですーっ」
要らないところで佐祐理さんがちょっかいを出した。
すると舞の目が危険を孕んだものに変わる。
「…斬る」
「ま、待て!そんな箸で何をしようってんだ!」
「…斬る」
「斬るなぁぁー!!」
「あはははーっ」
終始振り回されっぱなしな俺であった。

<余の何が不服と申すか!←誰やねん>


『とろ』

どこかで見たような料理名だ。
いや、間違いなく既に見ている。
変な高い店にしょっちゅう行っていた。
原因は…。
「よう相沢」
このタカリ魔北川潤だ。
「なんだよその警戒するような目は…。ところで今日の料理はなんだ?」
俺の考えなどお構い無しに話を進めようとする。
ここで…

『●とろ
脂ののったマグロの刺身
そのトロリとした食感は
食通をも唸らせる』

…だ、などと言おうものなら、あっという間にタカりをかけてくるだろう。
そしてそれは執拗なもので、俺がかわせるのは五分と五分の様な…。
「もしかして刺身系統だったりするか?だったら任せろ!
丁度いい店を知ってるんだ。安くつく、それでいて美味しい」
「…誰が信じるか」
今まで北川を信じていい思いをしたためしがない。
これからもそうに違いない。未来永劫そうに違いない。
「そうつれない事を言うなよ…」
「つれなくない、これは普通だ」
「そんな事言う人嫌いですーっ」
「「!?」」
二人の会話は突如何者かによって遮られた。
一目…いや、一聞瞭然のこの台詞は…栞!
「こんにちは、祐一さんに潤さん」
「「…こんにちは」」
違った。北川と共に見たその女性は佐祐理さんであった。
そういや語尾が栞のとは違ってたな…。
「って佐祐理さん、いつから栞の真似をするようになったんですか」
「ちょっとした影響を受けたんです。あははーっ」
栞…お前の及ぼす力はかなりのものだぞ…。
「ところで倉田先輩…」
「あははーっ、佐祐理でいいですよ」
「えっと、佐祐理さん…」
北川のやつ、やけにしどろもどろになってやがる。
佐祐理さんの及ぼす力もなかなかどうして強いじゃないか。
「相沢に刺身を食わせてやろうと店を紹介したいんです。
しかし相沢の奴、話を聞こうともしない…。どうしたらいいんでしょう?」
どうもこうもあるか。
「北川がそんな紹介なんてしようとしなけりゃ済む話だろうが」
きっぱりと告げてやる。俺は迷惑なんだと。
「祐一さん、今日のお料理はお刺身なんですか?」
残念ながらお刺身という料理は既に食したな。
「今回はとろだ」
「とろ!なんだ相沢、やっぱり俺の協力を待っていたんだな」
しまった、結局北川にバレてしまった…。
「とろなら佐祐理が用意しますよーっ」
「え?」
「丁度今日はお刺身大会をうちで開く事になってまして…」
どんな大会なんだそれは。
話を聞いていると、舞もそれに参加するみたいだ。
うちのクラスまで来たのは、俺を誘う為だったとか。
「…というわけなんです。あ、潤さんも御一緒にいかがですか?」
「行く!…ふっ、完敗です佐祐理さん。俺は負けました」
「あはははーっ」
北川、はなっからお前は負けてると思うぞ…。

結局のところ、なんだかわかんないうちにとろを俺は食した。
北川も食した。舞も食していた。そして佐祐理さんも。
「うぐぅ、これ美味しいね」
何故かあゆも来ていた。
「お前な…」
「だって、偶然誘われたんだよ」
「あゆさんはたい焼きがお好きですし、誘わなければと思いまして」
「うぐぅ、ありがとう」
いいかげんな理由だ…。
それに魚繋がりの行動なら俺だって以前起こしたし…。
どことなく倉田家に不安を感じる俺だった。

<佐祐理は大丈夫ですよっ>


『臭うおはぎ』

はぐはぐはぐ
ぱくぱくぱく
むしゃむしゃむしゃ
周囲から美味しそうな音が聞こえてくる。
餡等を練り合わせて作ったおはぎ。
秋子さんが知り合いからいただいてきたというそれを皆で食しているのだ。
「美味しいね、これ」
「肉まんも美味しいけど…おはぎも美味しい…」
「うぐぅ、ボクこんな美味しいおはぎ初めてだよ」
「程よい甘さがなんとも言えませんね…」
名雪や真琴に加えて、何故かあゆと栞も一緒だ。
偶然出会ったのを秋子さんが誘ったのだとか。
幸せそうな彼女らの顔は、神々しいまでの輝きを放っている。
しかし、俺は…おはぎには手を出さずにじっとその光景を見ていた。
何故なら…

『●臭うおはぎ
うっぷ…
ヘンな味がしない?』

…という料理により、おあずけをくらってしまったのだ。
この事態に、当然俺は不満だらけであった。
別にいいじゃないか。何故普通のおはぎを食っちゃいけないんだ。
我慢の限界が訪れて、気づかれないようにそっと手を伸ばす…
「祐一さん」
秋子さんにやんわりと止められる。
「今食べてしまっては元も子もありませんよ?」
「元も子もありますって。後で一個だけ置いといて別に食えばいいだけのことじゃないですか」
「でもそれでおはぎのギャップを味わってしまってはおそらく食べられませんよ」
味わうってことは既に食べているのだと思うのだが…。
「心配しなくても、今晩には出来上がりますよ。臭うおはぎが」
「はあ…」
出来る出来ないを心配してるのじゃなくて…
俺は美味しいおはぎが食べたいんだー!!
「祐一さん。はい、あーん」
「へ!?」
隣でおはぎに夢中になっていた栞が突如こちらを向いた。
俺の口元におはぎを差し出してくる…これは天の恵みだ!
栞、ありがとおおお!!
「…なんちゃって」
すっ
「えっと、冗談です」
ぱくり
「もぐもぐ…うん、美味しいです」
「………」
俺は人間不信になりそうだった。
「そんな冗談をする栞なんか嫌いだ…」
「そんな事言う祐一さん嫌いです」
…俺の負け?
「うぐぅ、栞ちゃんそれはあんまりだよ。祐一くん食べる?」
今度はあゆがおはぎを差し出してきた。
形が丸くないそれはバリバリにかじった後が見られる。
「えへへ、祐一君間接きっすだよ」
「…要らん」
「うぐぅ…」
「うぐぅじゃない!」
「…いいよ、ボクが食べるから」
食べかけのおはぎをあゆはぱくぱくと食す。
からかわれている…この俺が?あゆから?ちきしょう…。
食欲倍増悔しさ倍増。
「祐一〜っ、真琴のを食べる〜?」
「却下だ」
「あぅ…」
真琴が差し出したものは、すでにおはぎじゃなかった。
つーか何もなかった。おはぎなんてものはなかった。
「こうなったら名雪、頼む」
「え?じゃあ少しなら…」
箸でちぎって渡してくれようとする。さすが名雪だ!
ぽと
「…あ」
「おい…」
貴重なそれは床に落ちてしまった。
「残念だったね祐一」
「もう一かけら頼む」
「さすがにそれは贅沢だよ」
…贅沢なんだろうか。
たかがかけら程度に何故…。

結局俺は最後まで美味しいおはぎを食すことは出来なかった。
無事に食せたのは…
「さ、祐一さんどうぞ」
秋子さんが用意してくれた異臭を放つおはぎだった。
「…秋子さん、そのマスクは…」
「まともに臭いを嗅いではいけませんよ。気絶しますから」
どんなおはぎだそれは…。
というかそれを食わなきゃならないなんて…。
死ぬ思いをして、俺はおはぎを食い切ったのだった。

<…げうぇっぷ>


『苦いジュース』

…これはどうすればいいのだろう。
「青○を飲めばいいんじゃないかな」
これは名雪の意見。だが俺は首を横に振った。
「あおまるってなんだ」
「うー、これは伏せ字だよ〜」
「そんな意味不明なものは飲めない」
「うー」
変なものは飲まされたくない。
ただ、拒否したのにはもう一つ理由があって…

『●苦いジュース
うっ…
これはさすがに…』

という説明書きが、どうも違うと思えたからだ。
名雪の出したものはおそらく飲めるであろうもの。
しかしこれはまず飲めないであろうもの。
ならば深く考えるのが筋であるというものだ!
…本当にそれが筋なのか?
「だったら柑橘類の皮から取れた汁はいかがでしょう?」
これは佐祐理さんの案。今日はなんでも秋子さんに料理を習いにきてるのだとか。
今は合間の休憩で、俺の相談に乗ってくれているというわけなのだ。
「柑橘類の皮?」
「はいっ。皮を絞って相手の目を攻撃する為に使う汁です」
「………」
それはそういう為に使うものじゃないと思うんだけど…。
「あ、それならわたしもやったことあるよ」
「あははーっ、やっぱり。反応はどうだった?」
「香里にやったんだけど、“ちょっと、やめてよね…”で終わっちゃった」
「佐祐理もね、舞にやったんだけど“…染みる”で終わっちゃった」
「あははは」
「あははーっ」
やけに和やかだ。二人はいつのまにここまで仲がよくなったのだろう。
ま、女の事情というのは複雑だしな。俺がわかるものでもない。
「…って、その案に決定なわけ?」
「はいっ、もちろんです」
「祐一に妥協は許されないよ。佐祐理さんの案だもの」
どういう事だ…。
しかしここで逆らってはいけない。そんな気がした。
…なんでこんな事態ばっかなんだ。

そんなこんなで、秋子さんが貯蔵していたという、大量の柑橘類を譲ってもらう。
皮をしぼりまくってしぼりまくって…。
「ふれー、ふれー、ゆ・う・い・ち」
「祐一さん、ふぁいとっ、ですよーっ」
相談を受けた二人はただの応援団に変わっていた。
真琴も秋子さんもまるで関与せずだったし…。
で、出来上がった汁は…
「…なあ、これってジュース?」
こう尋ねずにはいられないほどだった。
「ジュースだよ」
「ジュースですよーっ」
そして俺は逆らえなかった。
仕方なく覚悟を決めて…飲む!
ごくり
「今のは唾を飲んだ音だからな」
「何ぶつぶつ言ってるの祐一」
「早く飲んでください」
「へーへー、わかりました」
今度こそ…飲む!
ごくごくごくごく…
「ぶーっ!!」
「うわっ、汚い…」
「しかもブザーの真似をしましたね」
なんでそんな真似を俺がしなきゃならん…。
っていうかやっぱこれはジュースじゃねー!!
酷い味を体験させられながらも、俺はなんとかそれを飲んだのだった。

<…ぐふっ>