★バカ正直は正直か?★善悪の基準から考える
馬鹿正直というコトバについてフと考える瞬間があった。
NHKの歌番組に往年のジャズシンガー、マーサ=ミヤケが出てきて『好きなコトバ、誠実』と色紙を書いて見せていたのである。「私は正直であるよりも誠実でありたい。」 うまい事をおっしゃるなぁと思い、以来じむり脳の座右の銘に加える事にした。と、同時にバカ正直というコトバについて少うし考えが傾いたのである。
おおむねこのコトバを使うとき、一般的にもあまりそれはスマートな事ではなかったりする。どちらかというと不器用な、悪くするとバカそのものだったりするので軽々しく使えない言葉だろうなと私は分類している。気の置けないの仲の軽口ならともかく、面識の浅い人に向かっては毒々し過ぎてヤバいんである。 何故か。 真の馬鹿正直は、たぶんやっぱり、馬鹿なんである。みんなソレをしってたりするのだ。しかもけっこうコレがタチの悪い部類の人間で、本人はすこぶる善良だったり、善良なつもりだったりするので、この手の人間が側にベッタリいるとかなり疲れたりのする。本人は人を騙そうとか困らそうとかいう認識がなく一見筋が通って見えるのがその理由なんだと思う。事実本当の事を言っている場合がほぼ100%であるが、私はコレは間違っていると思う。「思いやり」が無いのだ。馬鹿だから、相手の感情を汲んであげようという思いやりが存在しないのだ。『本当の事』を後先考えずズバズバ言うのは先を見る能力が欠落している為で、決して「正直だから」ではないんである。「正直」という「ビジョン」がないから。そういう人と運悪く居合わせて「あの人の服センス無いと思わない?ねぇじむりさん♪」などと言われてる本人に聞こえるような声で言い出された日にはその日一日こっちがブルーになって首を絞めてやりたい程イラついたりする。すごく不幸な気分になるのだ。そういう意味で凶悪デンジャラス極悪人間である。近寄りたくない。
日本には馬鹿正直と対極にウソも方便というコトバがある。私としては人間としてはコチラのが正解であると思う。「ウソをついてはいけません。」で済むのは今日び幼稚園から低学年クラスの脳までである。そこに思いやりを加えてコトバを濁してこそ大人なんだと思う。結果に対して常に自分なりの「ビジョン」を持っていてこそ人間なんだろう。鳩が豆をついばむようなコトバの使い方ではイケナイ。うん。 でもって、誠実というのはたぶんコトバを濁す時の思いやりの事を指すものであろうと私は理解している。 馬鹿がつく程正直よりも、脳を使って誠実であろうと努めて生きていく方がマットウ。うん。
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