お茶ウケエッセイのぺ〜じ                               前ページ最新に飛び魚ターン

★話題作なのか?★バトルロワイヤルってもうタイトルがチンプ

 あの、ビートタケシとか身毒丸とかがでてるらしい子供に殺し合いを体験させるって内容の映画・・・なんかワイドショーで騒いでましたね。でも騒ぐ程の内容か?
じむりの場合「どうしてみんな殺し合うんだヨォ〜〜〜!!!」って絶叫するCMを見た瞬間に「ハイ、一本見た。」って思っちゃいました。たぶん2時間映画館のイスに座ってても「どうしてみんな殺し合うんだヨォ〜〜〜!!!」しかメッセージが無いだろう事はマスコミの騒ぎ方で見当付きましたし。どうせ身毒丸のファンしか料金分楽しめない映画だろうと思うので、そんな暇と金が有ったら劇場版コナンの最新作を見にいきますよ。えぇ。
どっちのチケットのが窓口で買って恥ずかしくないかと問われたら、ダントツでコナンでしょ。
 しかし暴力的な映画らしいですが内容のレベルが低いとなると「むしろ(いまオヤジ狩りとかしている)そういう子供に見て欲しい」とか言ってるワリにはターゲットが「トイレの花子さん」とか「学校の怪談」クラスの層の子と言うことになり、そんな幼い子には見せるべきではないワケで、やっぱしコナン見にいかせちゃうんだろうと思いますね。
 作り手がすでにオヤジ狩りレベルってのは大の大人が映画作るワケですからやっぱりそれはまずいでしょう。とは思いますね。「金集め・有名になりたい・暴力に憧れる」という今時の不良三種の神器がぴったし重なった様なその程度の映画で誰をどう感動させようというのか私にはわかりかねます。子供集めていきなり殺し合いさせる舞台設定も「どうしてみんな殺し合うんだヨォ〜〜〜!!!」ってあのセリフ回しもすでに陳腐なんで、「わかりゃ苦労しねぇよ」とブラウン管にうそぶいてしまうじむりなのでし。どうも、こう「おぢさんも実は暴力好きなんだスカっとするし金になれば最高だよな。でもおぢさんは大人だからホントには殴ったりしないんだ。大人だからね(エッヘン)。でもキミタチの気持ちは解るよ。おぢさんは理解ある大人だからね。だから・・・映画見てね♪」って無意味に子供にすり寄って行ってむしろ助長させながら、すべては社会現象で自分がこんな映画作ったのも社会現象なんだ♪とか言う締まりのない垂れ流しオヤヂの戯言映画でしかなさそうなカンジがCMとワイドショウの話題だけで箇々までヒシヒシと感じられる映画ってのは結論から言って映画の内容以前に見る価値だけの質がすでに無いって思うんですが・・・どうでしょうね?

わかった・・・「わっ駄(ィ)作ゥ〜〜」だな。すごくダメそう。



★怖がりなのね★人災が怖い

 実はね・・・なんて前置きがいらない位にじむり怖がりです。もう、ミドルネームにして『じむり=ド=コワガリーナ=サルスベリッチ』とかにしてしまいたいくらいに怖がりです。遊園地の絶叫マシンにはできれば乗りたくありません。スピードとかそういう問題の他に「壊れたらどうしよう」と言うストーリーが脳内に展開し大パニック活劇がタワリングインフェルノしてる内に肝心の絶叫マシンは終わってる有様です。こんな事でいいのか?と思っていた矢先、ジェットコースターで骨折事故を起こした小学生の話とか聞き、やっぱし・・・なんて確信が高まってしまいました。こういう間の悪い事がホントにあるから世の中侮れないのよね。ついでに言うと、その昔介護福祉士として病院勤務した経験があるじむりですが、食事を運ぶ配膳車を調理室直結エレベーターで下ろすのも仕事に入ってました。配膳車はめっちゃ重いのですが、古くて薄暗い1.2畳程のスペースに1畳ぐらいある配膳車と共に乗り込むだけで気分は面堂終太郎なんですが、乗り込んだ瞬間にグゴン・・・と2センチほどエレベーターの箱が沈むのなんかもう足の裏が毛虫になった気分です。そのエレベーターは毎月の様に点検が入るので、「そんなもんいっそ取り替えてくれよ」って思ってました。ある時エレベーターの中から声が聞こえるので「↓」ボタンを押すと中から調理師のおねぇさんが青い顔して出てきました。ドアが開かないので助けを求めて各階で呼びかけていたそうで、半べその彼女をワタシは笑えませんでしたよ。えぇ。人一人まともに送れないそのエレベーターにその日も配膳車と乗ると言うあの恐怖を越えるライドにまだ乗った事は有りませんが、でも人が作るモノなんて事故が付き物だから、侮れない気分ムンムンです。世の中絶対なんてものは無い。それがじむり信念です。



★怖がりなのね2★カタレプシーも恐怖

 臓器提供ってすごく興味有るんだけどホントに死んでんのか心配なの。意識があったら怖いなっていつも思う。死ぬ事より痛い事のがキライな女、じむり。こないだ世界まるみえテレビでやってた話では世界大戦の時のお墓を政治的な絡みで暴いたら15万ある墓のうち6千の蓋の内側に爪でひっかいた跡が残ってたって話。聞いてヒィ〜〜uでしたよ。ほかにもまだ死んでなかったってパターンは世の中に多々有る様子です。ニポンでも枕経とか通夜とか色々手続きを踏んですぐには埋葬しませんが、たぶんあれは過去のそういう例の名残だと思われ。今ほど医療技術って発達してなかった頃の名残。とにかく死ぬ前に死んだ事になってしまう人は確かにいたわけで、今は死斑が出れば死亡って確認方法があって100%間違いなし!!とか言ってるけど、脳死ってなるとさらにデリケートな問題を含むんじゃないかと思うのね。ひらたく言えば、外見上はまるっきり死人だけど実は生きててしかも意識が有るって状態は死んでもイヤだなぁ〜とか考えて、とことん怖がりだなぁ〜ワタシ・・・・って考えてたら

有りましたよそういう症例が。
その名もカタレプシー症候群と言う・・・
呼吸も脈も取れず(脳波までは触れてませんでしたが)医者の見立てで外見は死人なのに本人は外の様子がはっきり分かっているという恐怖の病気です。突然発病して映画館で倒れ、気付いたら死体安置室だった女性が、二十年後に2度目に発病した時、たまたま息子が居合わせたので蘇生処置をあきらめた医者を説得し、死んでない事を訴え続けてくれた事を全部知ってたし無事に病室で回復したって話がありました。怖い。めちゃめちゃ怖い。そんな病気突然発病して、臓器提供カードを持ってたらワタシはどうなるんでしょうね?考えただけで背中が毛虫小僧にすり寄られたみたくなってしまう〜〜!!!臓器提供したいけど、摘出するとき麻酔ってしてくれないのでしょうかね?たぶんムリなんだろうな〜・・・ 検死解剖のメスの痛さで飛び起きたって人もいるので気が抜けません。



★セクハラと給茶器★どこまで抵抗ある?

 じむりの叔父様はセクハラという言語が大変お嫌いらしい。どうしても気に入らないらしい。サラリーマン時代女の子の扱いが神経すり減らすほんとに別の生き物を扱事で、その上にセクハラなんて言葉が上乗せされるのはたまらないぞよと思うらしい。若い頃「女なんかと歩けるか」って位硬派な青春を過ごしたので今のベタベタしすぎて遠慮や恥じらいのない男女ってモノに味気ないモノを感じてる辺りからきてるらしく、触ればセクハラ。という今の風潮もイヤだと感じてるらしい。まぁ気持ちも判るけど、極論をさして嫌ってもしょうがないんだし。世の中そんなにヒステリック馬鹿な女ばかりじゃないから、ちゃんと相手に下心があるか無いかをそれなりに見極めた結果なのだし、基本的に触んなきゃ糾弾されるものでもないし、やっぱし昔の住み込みのお手伝いさんがその家の主人に孕まされて売女呼ばわりされて泣く泣く里に帰って帰っても村八分、とか長男を生まない妻はとっとと離婚させられても文句も言えない、とかの不条理がデフォルトだった時代の長さからみれば断然すばらしいし、セクハラって(じむりにゃ外来語でしかない現状のがひっかったりするけど)訴えれる環境にやっとなった辺り、泣き寝入らないで済む女性が一人でもできればそれは喜ばしかったりするのだけど。会社で人の太股になんの断りも無く触ったりする上司がいるからセクハラが定着するんで、殿方が変わればそんな言葉いらなくなるから、嫌がるのも男・言わせるのも男って状況が現状なワケで・・・
セクハラって言葉が無くなるんならむしろその日が来るのが楽しみなのよ。と大まかな所で女性の大多数はそう願ってるはずだから言葉に罪なし!!!とじむりは思うよ。うん。
 お茶入れを嫌がる女ってだけで価値を低くみる男がいるから問題なんで、そんなこったからお茶入れ嫌がられるのよヌフフ・・・と笑ってしまう事のが実は多かったりするから。女がお茶入れて当然って上司はNGでも(こっちだって仕事の最中だしさ。ゴルフの話しで盛り上がる時間を快適に過ごす為のお茶なんてゴメンよぉ!!)尊敬できる上司には自分が休憩するついでに進んでお茶入れちゃうもんよ、少なくともじむりは。彼ががんばれば自分たちの仕事の能率が結局UPする。という判断もそこには存在したから、尊敬とビジネスがその茶碗には注がれていた事になる。仕事詰まってるのにスチャラカ帰ってしまう上司ならそんなお茶を入れる無駄は会社の損失なのだし、その為に自分の残業時間延びるようなマネするのは腹立たしい限りだし。その時間で仕事をはかどらせる事の方が自分的にも会社的にも善であるのだから文句を言われる筋合いは全くないとじむりは思っていたワケです。上司も会社も業績と能率と売り上げについてこちらにアピールするんだから当然の義務なんだと認識すれば腹も立つまいて。実際の所、お茶入れはそんな苦じゃなかったなぁ。一緒に働いてちょっと息抜きをしようって瞬間をサポートできるのは結構楽しいし。たまにお茶うけが手に入るとみんなで分け合ったりして、なにやら同じ釜の飯的空間がね、小さい会社の醍醐味なんですよ。(^ω^)
 ところでじむりの親父殿も例に漏れずといった部分があり。親父殿は酔った勢いで「生理休暇は不当だ!!」とか口走ってましたから、そのときは口論になりましたねぇ・・・父親と口論なんて・・・・他に記憶ない珍しい出来事でしたねぇ・・・「そんなに納得できないんならそんな余裕ない会社に就職しなおせば?」って言いました。いま定年後に小さな会社に就職した親父殿はあまりにも行動がガラス張りになるので閉口しています。(笑)昼休み以外にちょっと会社を抜ける、と言う事などが目立ちすぎて出来ないそうです。小さい会社にしか居た事のないじむりには当然の事ですが。当然生理休暇もないでしょう。そういうものなのです。ざまあみなさい。と思いましたね。えぇ。男と女の間にはかくも深くて暗くて長い河があるのね。自分の父親ですらね。いつか綺麗さっぱり押し流されて欲しいぞ。カモンポロロッカ!!!



★完全懲悪★っていうかみんな薄々・・・

 アメリカさんは勧善懲悪映画が廃れない国ナンバワンです。シュワちゃんとかスタスタローンとかダイハード君とか、身近ヒーローはみんな正義バイオレンスの使者です。ニポンも負けてません。水戸黄門とか金さんとかが勧善懲悪暴力のケルベロスとして活躍しています。特に黄門様の懲悪振りはすさまじく、善良な町民から犠牲者が出るまで待ち、現行犯で叩く、と言う念の入りようであれも年の功なのかもしれませんが「何故もっと早く・・・」と思わずにいられないじれったさと引っ張れるだけ引っ張ってあくまでもいい人として目立って終わる狡猾さが特に際だっている辺りが見物です。
 脱線してますが、悲しい事に最近もうすでに茶飯事となってしまった生々ニュースな日常を過ごすニポンとニポンより先駆けて過ごしているアメリカさんに特にこの手の娯楽が多い辺りについつい視線が行ってしまうってトコが本題です。仕置き人とか処刑人とかこれだけ悪を倒す暴力が羨望視されている国に限って死刑廃止運動とか独房にTV設置とか全く逆な動きが活発って事実の矛盾がすごくヘンな感じ。
 みんなもっとちゃんとした罰を求めてるのに社会はそうはならないってこの矛盾は一体どこから来るのでしょう? 社会の発達(と言われる状態)と発展(と言われる状態)はもしかするとものすごい衰退なのかもしれないと最近よく考えさせられてしまいます。 なんだか被害者が加害者の存在にびくびくしながらその居場所さえ分からないまま身の守りようの無い状態にさらされてまた逆恨みの標的にされたりしてる社会より、いっそハンムラビ法典の方が(『目には目を歯には歯を』ってアレね。)シンプルだけど確実でまだ加害者と被害者を平等な状態に持ち込もうって努力が伺えてまだ納得できる気がするのよ。
 不気味犯罪が多い昨今は黒のジャンパーに黒ズボン姿だったりするだけでもう、閉店間際の銀行に脅し文句の書いてある紙袋を隠し持って押し入るかもしれないな・・・とか考えてないと明日の健康もままならないんじゃないかと心配しなきゃいけない時代になってしまったようです。事件に巻き込まれた子の通っていた小学校の校長がいみじくも「これからは子ども達に身の守り方も教えて行かなければならない」と目を潤ませていました。そんな世の中です。誰も望まないのにね。



★言葉をなくせば感情は消えるか?★あと、モザイクとかね。

 差別用語って概念が有るからピーとかパーとか不適切な表現が消えてしまいましたね。それはそれでいいことなのでしょうが、果たしてマニュアル的に言葉だけ消して心理的に差別が消えるのかは疑問なんです。
TVで足を失った方が周囲の助けを借りながら毎日を過ごしている映像を見ながら「あんな、足が無くても生きてられるんだもんな。(←何と“人を煩わせながら恥ずかしげも無く”と言う意味だった)」と言う恥ずかしげも無く心ない言葉を、世間様一般で『大切にしよう』と言われてる年寄りから聞いた瞬間、「貴様を生かしてる世の中だしな。」と内心2オクターブ程低い早口で侮蔑してしまったのを覚えています。このように差別用語と差別って別なワケで。私が幼少の頃見た『ゲゲゲの鬼太郎』はすでに再放送だったのでピーだのパーだの入りまくりでした。そのあと鬼太郎を漫画で読んで、いかに彼が差別の対象になっていたかを知ったのです。つまりピーとかペー音のおかげで彼に感情移入して居る読者に彼を通して差別される悔しさを体験させようという水木しげるの目論見は国家権力によって破壊されてしまったワケです。このようにして「何を言わんとしているか」を読みとろうとする姿勢を教育が自らつぶすのです。
 モザイクもそうです。『オーランド』とか見てて入浴シーンにモザイクかけられた瞬間、一気に映画が低俗な物になるのが悔しい。なにか後ろめたいビデオでも借りてきて見ている様な所に突き落とされるのです。
「一緒にするなぁぁぁぁ!!!(魂)」とTVに向かって絶叫する羽目になり、柱に泣き崩れる事になります。
逆に無意味なお色気映画の方が「見えそうで見えないライン」を守ってたりするわけでその矛盾が大変悔しいのです。作品の内容に関係なく裸を見たら欲情する物だ。と国家にすり込まれた結果、電車で隣りあっただけで触って良いとか勘違いしてるオッサンが量産されてしまいそのまま線路はどこまでも続いている・・・という悪循環の山手線構図が見え隠れして気が遠くなるじむりだったりします。
 そんな小手先モザイクよりも時と場合と相手の感情を考える様な体制を教育もメディアも考えなければなりません。
 余談ですが中一中二の頃父の転勤で福岡の中学に通ったじむりは学校教育を通して「今なお続く部落差別」を知りました。福岡は熱心でした。しかしそんな映像でも「キ・・(ブツッ)!」(←差別用語箇所)と言う意味不明の口パクが入るので、どのぐらい部落の方が口汚くののしられていたかが伝わりにくく、ピンと来ない情報を植え付けられた子供は、ヘタをすれば「大した差別してないんじゃん」という、被害妄想を疑う意識すら育てられてしまう危険が有ります。そこから始まる差別も存在するかもしれません。其処が怖いのですよ。ホントは。しかし福岡・・・部落民用のアパートを建てるのは結構だが、何故その建物だけ色が違うのですか?と子供心にコレは差別なんじゃないかと思ったじむりでありました。もしかしたら差別を利用してないか?その可能性は疑う余地があります。社会情勢が不安定になったとたんに味の素に矛先向けて国民感情を反らすって手もあるのです。元々部落ってそういう「問題のすり替え&下には下が居る意識」の為に国が作った物だったって事、その教育映画では一言も触れてなかったしね。



★時間よとまれ!★止まる、時間軸。

 タイムマシンを信じないじむりでぇす♪(はあと) 時間って概念は人間が作る便宜上のモノなのでそれをどうこうできるという気がしないって辺りが根拠ですが。タイムマシンは有りませんが時間は止まるそうです。生き物としての特殊な時間・・・働きの流れとでも言う時間ですが。まぁ、それも概念ですけれど。
 ・・・遺伝子を守るP53という番人は、遺伝子に傷が有ると、可能な範囲で修復する間に時間を止めるのだそうです。それでもダメだと自殺命令を出してしまうのですが。なんだか体中のどこかで時間を止めてメンテをしているのだという事実に感動を覚えますし、細胞自身にちゃんと生きる時間が決められている事実もまた私に感動を与えます。細胞自身の寿命は与えられた細胞分裂の回数を全うするといずれ終わるそうです。端から細胞分裂の度にほつれていく様に仕組まれている部分の長さが我々に与えられた天寿を担っています。コピーする度に劣化していく情報を切り捨てて種を守るために老いて死んでもらい、劣化の少ない情報を伝え続けていく遺伝子のシステムなワケで、精神的などんな個性も無視して徹底的に劣化の少ない情報を伝えていく簡潔さに思わずうなってしまいます。
 最も劣化を押さえたシステムが顕著に現れているのは卵子ではないかとじむりは思います。私の母が生まれてから私を生むまでに20年と少し。私が持っている卵子がまだ使われないまま20年と数年。でも私が持っている卵子と母が持っている卵子は多分そんなに変わらない時間軸を過ごしているハズです。もう一つ言うなら、私より5歳下の妹と私の卵子は全く同じ時間軸を過ごしているとも言えます。卵細胞は生まれる時に持って出てきたモノを一生そのまま保存して少しずつ無くなるまで使用に備えて排出していくものだからです。母は生まれる時に持って出た細胞をそのまま私に使ったわけです。同じように妹にも使い、そして妹も私もそうしていくのです。受け取ってから体の部分として卵子と決定されるまでの数回の細胞分裂で次の個体にジャンプする独特の時間軸を持っている卵子というシステムを眺めていくとすごく不思議な気分になります。長い時間の流れの中をほんの数日ずつ飛び石で受け継がれている部分を私たちは男も女も半分ずつもらってそれを伝えていくのです。なんかネアンデルタール人と自分が一体のべ何日差があるのかとか考えたくなります。スゴイ近くに感じたりします。人間を無視した時間軸が世界や宇宙を動かしている辺りに深い神秘を感じます・・・



★眼鏡さんコンニチハ★作成依頼

 前々から必要を感じつつあった眼鏡。原因は長いつきあいの乱視。元々視力が1.5・1.5だった時からあって北極星が二つ見えたり、道行く人が双頭の鷲状態だったりとお得ではあったんですがどうにも進み続ける乱視のせいで新横浜の交差点を運転中青の信号が全部←↑→とかなのが全部◇◇◇と見えてしまい、どうしていいか判らなくなったり、最近知らない道を走る事が増えたので必要性がのほほんとしたものからひっぱくしたものになってきたから。字幕も鉛筆二本握って書いたみたいな状態じゃ何書いてあるかわかんなくてマトリックスの時は苦労したし。専門用語の様な字面の羅列は読み取りにくいっす
 眼鏡屋さんでちゃんと検眼してくれて医者要らずな事すらもよく知らなかった私でしたから、新鮮な体験でした。カシャカシャと見え方を切り替えながらどう見えるか聞かれるととってもレプリカントな気分満喫で楽しかったです〜♪眼鏡はICBのチタンフレームでヴィセのリップみたいなフロストタイプのくすんだピンクにしました。2月22日2時に出来上がるそうです。(笑)
 じむりの独り言としては眼鏡作るってなんかセクシャルなモノですね。特にフレーム選びが。どっちかと言うと服とかも自分で黙々と選ぶので普段こんなに人の手を煩わせてモノを選ぶって事が全くないせいか、すごく恥ずかしい。身につけるモノで店員さんに聞きながら選んだモノってファンデーション(あっちのね)以来だからかもしれない。フレームを私に合うように少しずつ少しずつ直していってくれるのをじっと見てる時間が気恥ずかしいような。『あぁ・・・自分のなんだなぁ』とか当たり前なんだけどそういうシチュエーションに弱い自分を再発見です。自分だけの眼鏡。ドキドキっす〜(^。^# すごく親切な眼鏡屋さんで眼鏡マニアになりそうな気がする今日この頃♪先端恐怖症なのでコンタとの付き合いはまずないしね(^ε^;。
 ところで私、乱視の他に近視でした。
厳しめにいって0.2・0.3だそうで。今まで裸眼で生きてきた私って一体・・・コンピューターより運転の時にかけた方がいいらしい辺りが近視♪(はあと)



★ゾフィ〜の世界★眼鏡にまつわるハナシその2

 眼鏡をかけてみて、いかに自分が曖昧な所をうつろっていたかを思い知り、すごく面白い気分なワタクシ。
ととやんの毛並みが今までのグラデーションから一本一本を自己主張してきて、世界が迫ってくるカンジ。久しぶりの1.2の世界。なんだか迫り過ぎて気持ち悪い感覚もあったりして、酒にも車にも船にも酔わない私が眼鏡酔いをした訳です。へんなの。
 普段から色を見る時、この色は私一人でしか見れないのだなぁと思ってました。鮮やかな色を見ているありがたい日常に身を置きながら、細かい色合いってどのくらい他人と共有しているのだろうと良く考えてきました。眼鏡をかけてみて「見える」ということの自分自身の中にある変化を劇的に修正してみて、案外人の見ている物を見落としがちだったので有ろうとも思うし。でも、眼鏡に入ってるUV効果のせいか色が少し違うので、やっぱし裸眼で見る世界が自分の世界らしいとも思うんですけど。
 そういえばモネの晩年の絵が黄色がかってたなぁ〜。あの人白内障の手術もしてるんだよね。年を取っていくに連れて水晶体が濁って物が黄色く見えてくる現象が現れていたのでしょう。でも、絵を見てる眼も景色を見てる眼も同じなのに絵だけ黄色く描いてしまうって面白いですね。風景と絵はまた見え方が違うんでしょうか?もしかすると混ぜた黄色を知覚しづらくより黄色く描けてしまうのかもしれません。 作者が一番伝えたい姿を映す絵画ですら作者の目と私たちの目のギャップが有るわけで私のHPも私が見た色で皆さんにお届け出来ているか心配。(いらない心配だって)
 しかしサンコンさんとかあの辺りの人は視力が3とか4とかって・・・一体どおゆう眼なんですか。まぢかで喋ってるだけで毛穴とそこから生えてる産毛とか数えられる程見られてたらすごくコワイ。ウィ〜ンとかカシャとか聞こえてきそうなぐらい眼がいいと、物が見えすぎてうざかったりしないんでしょうか?視力の限界って一体どのくらいなんでしょうね。

 どうでもいいけどさ、みんなが仕事の時だけ眼鏡かけてて、ハズしてさっそうと帰ったりするのをみて「かっこえぇ」とか思ってたのに、じむりは遠くを見るときに必要なので理想想像図と180度違う展開になってしまったのがちょっと残念なんです。だからなんだと言われてしまうと困っちゃうんですが。なんかこう・・・どうせならってあたりで。ねぇ?



★オヤツに花林糖★カレンな名前の引く姿

 最近ヒットなじむりオヤツは花林糖。カリントウというかわいらしい響きのワリに「なんじゃこりゃぁ!!!」な外見だったりするんですけど。(^.^;; なんであんなデザインのお菓子になったかも謎なんですが、あのデザインのお菓子にさらにあの名前が付いた事も謎です。謎が謎を呼ぶ姿でありながら後を引くあのおいしさは、お菓子の中でもかなり珍しいごちそうキングなんではないかと思うんですけど。今一押しのカリントウは【鬼平糖】です。名前もゴツイが姿もゴツイです。ととやんx3倍ってゴツさです。(笑)一言でいうと“ぬれカリントウ”って感じで程良くむっちりって食感がいいのです。しかし花林糖・・・あんまし食べてる姿を人前にさらしたくない後ろめたさがあるのはどうしてですか。電車でポッキー食べても電車で花林糖って食べないな・・・。なんでもっと平たくしたりとかまん丸いデザインとかにしないでわざわざ(と思うんだけど。だってわざわざとしか・・・)この形なのかといつも考えます。考えずに食べることが出来ない業の深い菓子、花林糖。
 花林糖と言えば、知り合いの某さんは小学生の時に夕映えの中自転車をこぎながら「カリントー!!」と叫んだそうです。友人も呼応し、小学生ふたりカリントカリント叫びながら家路を急いだそうです。多摩川だか鶴見川だかの河川敷で。すばらしい夕日の中を夕焼け番長のごとく。どういう心理状態だったのか今だに謎ですがそれこそが花林糖マジックなのかもしれません。そんな事を考えながら今日も花林糖を食べる。そんな感じです。



★病院と患者★刺客と暗殺者のせめぎ合いの果てに

 ウチのおじいちゃんは病院オタクです。っていうか、わざわざ行って、下された診断をケチョケチョにけなす。と言う困った性癖があるのです。性癖ですからやめられません。懲りずに今日も病院に行くのです。一番問題なのはおじいちゃん自身なワケで、元来元気なせいか、「老化現象」そのものを認めない困った8X歳になってしまいました。認めないから医者に「もうそういう年なのですよ。」と諭されると「アイツは判ってねぇ。」と文句を言い、MRIを受けに行ったりします。めんどくさいと言いながら。そして帰ってくるなりいかに要らない検査で病院がボっているか(じゃ受けるなよ)、いかに要らない検査を受けに来る老人で溢れかえって迷惑か(自分もなのに・・・)を延々1時間は唱えます。要するに暇なのですね。家族も医者もたまんないですけど。
 こういう時、長生きの秘訣を垣間見たような気がします。
 それはズバリストレスを貯めない秘訣です。身に降り掛かる様々な災厄をすべて他人のせいにするのです。それも徹底的にです。煮込みウドンが堅いのもアゴが弱くなったり、入れ歯が合わないのでは無く、医者が悪いのです。NHKは同じニュースを一日に何度もやってて飽きるからむかつくし、出かける日に雨なのも国家の陰謀です。単なる自己中なんですが、じいちゃんはもうスナイパークラスです。
 ちなみにヤクザ屋さんはテレビの前で放送されるすべての語句に難癖をつける、と言うトレーニングを積むそうですが、頼まれもしないのに易々とやってのけているじいちゃん。生まれついての幹部候補です。
我が家で一番ヤクザに近いカタギ。と言う肩書きを背負って今日も病院に地上げに行くのです。きっと他にもわんさと居るに違いない幹部候補たち。 もう、メスとドスのせめぎ合いです。
 こんなヤクザな人達を相手にする医者と言う職業は決して楽では無いに違いない・・・真面目だったり真心がある人間から脱落して行くに相違無い。この感情と昨今の医療ミスの奇妙な一致は一体・・・何?
 傍目には楽しんでいるとしか思えない程に料金分元を取りに行く後ろ姿をみて、長生きなんかするもんじゃないな・・・と思う気持ちを禁じ得ない今日この頃です。気分はすっかり吉田兼好(←人は40で死ぬ位がちょうどいいとか言った徒然草オヤジ。それは短すぎだが。)。 病気をしない。って事と、健康に生きる。と言うことの紙一重の差の薄皮の一枚を見極める大切さを持ったまま歳をとる心がけって今から必要かも。そんなふうにも考えました。



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★えひめ丸のサルベージ★いいからあげろって。

 父上が新聞を読んでアメリカの合理精神ってスゴイよな。っていいました。
 アメリカ国内でえひめ丸のサルベージに5億かかるんならそれを遺族で分けたほうがいいのではないか、という意見がでてるって書いてあったらしいです。また、そういう精神があったから真珠湾攻撃で沈んだ船とかそのまんまなんだって。と言った。

冗談ポイよ。
っていうか、今回のサルベージをなんだと思ってるの。
 戦争中にのんびり船引き上げる余裕なんか何処の国にも有りません。回収仕切れない遺体やら船やら飛行機やら、執念燃やすニポンだってまだまだ回収仕切れてないではないですか。
 ひき逃げだって回収した破片から当時の事故の様子を解き明かして犯人逮捕になるこの時代、船体のサルベージにはそれなりの意味があるかもしれないし、サルベージに5億かかるからそれも賠償金とは別枠で全部遺族に渡そうね、なんて事になるはずもないし。
 なにより遺族が金を目の前に積まれるよりも遺体を返して下さいと言っている以上返さなければならないという気持ちでいなきゃいけないです。アメリカは。ガタガタ言うな。
なんかこう、アメリカが相手だと及び腰だったりするニポンのマスコミでしゅね。昼間のスーパーヒトシ君の番組でも事故直後ごろ「サルベージが進まないのは死体に対する民族の感覚の違いだって言うことを我々も自覚しなければいけないですね。」とか言っていた。自覚するのは向こうだっての。仮にもしニポンの潜水艦がアメリカの船でも引っかけようもんならもうものすごいJAPANバッシングになってソニーのラジオとかが街頭で壊されるんだぜ、きっと。と思ってるじむりとしてはアメ×に意見される言われは無いわ。と思うばかりなので、「そう言われてるよ。」という事実を鵜呑みにしてしまうマスコミとその消費者の図式もまた情けないです。もしモリーが打ったゴルフボールが崖を超えて船長に当たって船が沈んだ、なんて事があったら、マスコミはもンのすげい騒ぎ立てるでしょうねぇ〜〜。相手が国家軍隊だろうが事件の質は交通事故レベルです。CD変えようとして人はねた、なんて事件で加害者に同情しないですから。言論の自由って言葉の裏にはモラルって言葉があるって事をもっと自覚しなければイケナイですね。確かに生きてる人が前を見る事を先に考えて行ったほうがよいと言う意見があってもかまいませんけど、あくまでも意見です。世論めかして遺族を傷つけるなんてもってのほかです。 (しかしホントに言ったのか?アメリカは??ここでえひめ丸も引き上げられない弱体した軍隊ならニポンにのさばる理由もないぞ。艦長が二流なのも分かり切ってることだし。一流の艦長に民間人の相手させとくほど暇じゃないでしょ、いくらなんでも。)
 遺族の人たちの気持ちはその立場にならなければわかりません。理解しようと寄り添う事には限界があります。だからこそ、自分の判らない苦しみを抱えている方に対する敬意と謙虚さだけは自覚したいです。有事でも無ければ死を覚悟したわけでもなく突然巻き込まれた・・・しかもくだらない艦長のくだらないデモンストレーションのために・・・あげく海に沈んでしまった愛しい人達の無念さをどうしますか。せめて抜け殻だけでもそれでも迎え入れたいと思う気持ちがこみ上げたところで少しもおかしく無いとじむりは思いますけど。もう少し思いやる気持ちで見たら引き上げは当然でしょう。 「弱虫」とかメールしてる暇そうなヤツにも重りつけてでも。えぇ。



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