★言葉次第の日常★ワンポイント脳会話
小淵沢から帰ってきた父。夕食の話題で清里周辺の会話から美術館のハナシになった。「清春美術館には行った?」と母に聞かれて「いいや」と答えた父。その後話題がそれて、「山梨美術館には種蒔く人があるのよねぇ」と母が言う。それを聞いて私は思った事を口にした。 「昔姥捨てとかあった土地に栄養失調で奥さん亡くした人の絵があるなんて、興味深いよね。」 母は三秒程キョトンとしてからグロいぞ・・・と言う顔で「そういうことじゃなくて・・・」と言った。 私のボキャブラリィは結構こうして連鎖していくのよね。 以前レストランで友人が食事中、エビ食べながら彼女が「あたし蜘蛛だけはだめ〜」と言った。私も食べながら「そういえば蜘蛛ってエビと同じ節足動物だよねぇ〜」と言ったらそれ以来エビを目にするとそのハナシを思い出すらしい。でも食べられなくなったワケでは無いそうなのでよかったんだけど。(私もエビ大好き♪) だいたい水族館で「あれは塩焼き、こっちはボイル♪」なんてウキウキしてたりする女だからね。立派な車エビを見ると「あぁ・・・鬼殻焼き・・・」なんてそっとため息をもらしたりして、ビジュアル的にはサマになってるが内容がエグい、でもそんな所が好き♪と言ってくださる奇特な方としかつきあえないのが私だしね。 他愛ない事だけど案外これが脳の肩もみ略して脳もみになっているわけですよ。連想される事を具現化することでリラックスしてるんです。これをやめるとじむりは半分以上じむりでなくなってしまう程に、脳に密着した作業なワケです。山梨が作物ができなくて苦労した暗黒時代をしょっているのも事実なら、ミレーが農民で有りながら画家と言う生活を両立できずに奥さんを失ったことも事実なわけです。両方を同時に並べるとなにやらエグさを感じますが、でも、山梨がその絵がほしくて買ったのなら、なにかそんな裏の舞台装置が隠されているか、あるいは何かが呼びあったのかを考えたくなります。また、昔のお百姓さんは大変だったのだなぁ〜とかしみじみ目の前のおかずを見やったりすると、自分の前に並ぶ幸福に感謝したくもなるではないですか。 こうして会話の端から今日も脳をもまれる日々。みなさんも、いかが?
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