雨傘物語


 雨の降る夜中に、ある会社員が家を出てラーメンを食べに行った。
 会社員は20代後半、一人暮らし。夕飯は軽く済ませていたが小腹が減ってきていたのだ。 たいした距離でもないし、雨が降ってるので傘をさして歩いて行った。
 ラーメン屋の暖簾をくぐると店員のいらっしゃいの声。会社員は傘を置き、カウンターに 座ると壁にかかったメニューをみてすぐさま塩とんこつラーメンを注文した。客は数組居て 酔っ払った連中もいる。

 注文した品が来るのを待つ間に新しい客が来た。若い女のようだ。会社員の隣の席に腰掛 ける。髪は長く少し茶色がかっている。少し濡れてるのは雨に降られたのだろうか。と、す ぐさま塩とんこつラーメンが来た会社員は女の顔など確認することもなくラーメンを食べ始 めた。
 一方、客の一人が出て行ったので女は会社員の隣からそちらに移動した。店員と知り合い らしくサワー片手に親しげに話をしている。会社員は特に店員と親しい訳でもないし常連客 でもないので会話には加わらなかった。

「ご馳走様でした」
ラーメンを食べ終わり満腹と言う名の幸福に満ちた会社員は精算を済ませ、雨傘を手に取ろう とした。その時だった。
「ちょっと」
女が声を掛けた。最初会社員は自分への言葉だと気づかなかった。
「その傘」
 傘──?大きな藍色の傘、これは確かに自分の傘である。
「私の」
 私の?おかしい。この傘は間違いなく会社員のもののはずだ。以前、仕事の帰りに雨が降っ ていたので東急ハンズで買ったものだ。
「使おうと思ってる傘よ」
 使おうと思って…?会社員は言葉を途中まで反芻して
「はぁ?」
と訊ね返した。
「だから、それは私が使う傘なの」
「でもこれは僕の買った傘だ」
「そんなことは知らない」
 知らないだと…。会社員は唖然とし、次いで女の顔を、黒い瞳を凝視する。
 しかし、女は全くたじろぐことなく会社員の顔を見据えているのだった。
「私のような美人が傘を使う方が傘も喜ぶはずよ」
 無茶な理屈だった。会社員も黙っては居られない。負けじと言い返す。
「化粧……濃いじゃん」
「なっ……!」
 女は虚をつかれたらしい。一瞬言葉に詰まった。
「よくも言ったわね…。いい、私は傘を忘れたの。そして雨に降られた。困ってるところを助 ける、それが人間ってもんじゃないの?大体女が雨で降られてたらそっと傘を渡すのが男らし さというものでしょうに。酸性雨でハゲたっていいじゃない」
 化粧も白いが無茶ばかり言う女だ…。


 そんな時、黙って様子を見ていた店員が声を掛けてきた。
「あの…」
 二人が店員の方を振り向く。

「もう、雨があがってますよ」


  (完)

制作年月日:2005/10/11
制作者:テール

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