ズデニェク・ペシャト=あとがき



『第一救助隊』(1937)と『作曲家フォルティーンの生涯と作品』(1939)はチャペックの最後のロマン作品であるフォルティーンの物語は初稿の形で未完のまま残された。
 彼は四十九歳にも満たない一九三八年のクリスマスの祝日の最中に、死がその完成を阻んだのである。
 したがって、たとえ、著者の妻――女優のオルガ・シャインプフルゴヴァー――の証言が、夫との会話に基づいたものであるとはいえ、それは本質的には、単にこの物語のつじつまを合わせただけのものである(彼女の証言は、一度は『ユディット』の上演は成功したと述べながら、その後に、オペラの完全上演はならなかったと矛盾した証言をしている)。
 そのことに関してはチャペック自身が主にフォルティーンの妻の証言として触れている。
幸いなことに作品のテキストそのもののなかで、この点に関して十分に述べられているのである。
 この未完の作品にかんするかぎり、チャペックの『第一救助隊』や、その他の完成された作品と同じ水準で評価しうるような内容が十分に盛られている。したがって、両作品もまたチャペックのライフ・ワークとして頂点を極める作品であると同時に、著者晩年の創作期における広範な領域中での重要部分の一部を構成するものである。
 この時期には一九三六年の『山椒魚戦争』をはじめ、最後の両作品(ロマン)とともに『白い病気』(一九三七年)と『母』(一九三八年)の二編の戯曲作品が含まれている。これらの作品に共通する特徴は、著者の具体的世界像とこの世界に対する著者の不動の姿勢である。
 これらの二つの傾向性は極めて明確であり、その結果これらの特徴によって、この時期の、ジャンル的にも様式的にも、近親的な関係にある先行の創作期の作品を区別している。
『山椒魚戦争』における現代世界の風刺的イメージと、はるかに普遍的次元で人類に反抗する科学技術の成果の悪用を警告するユートピア空想作品『絶対子工場』及び『クラカチット』と比較すると新しい創作期の具体性が見えてくる。
 したがって、その一義性は、特に『フォルティーンの生涯と作品』に適用された類比的な姿勢と、主観的認識の相対性と現実の多義性について焦点があてられている認識論的三部作『ホルドバル』『流れ星』『平凡な人生』とを比較するときにはっきりしてくる。
 新しい二つの性格が、チャペックの創作活動の結論ともいえる位相において、科学技術的発展の本来の現象によってではなく、むしろ具体的な社会的発展過程、つまりファシズムの抬頭によってもたらされる脅威によって人類が恐怖を抱き始めた、まさにその時点において作家の創作姿勢の結果としてとしてチャペック作品の中に登場してくる。
 彼の緊張はヨーロッパ民族ばかりでなく、人間文明そのものに対する厳しい脅威として鋭敏かされていた。この被圧迫感情は、当時誰もが自分の中に見出したものであり、複雑で多義的世界においても、紛うことなく世界を展望し判定しうる堅固たる視点を持つことが強いられた。
 カレル・チャペックもまた、チェコ文学の大きな潮流発祥の段階において自らの作品をもって参加し、現代世界の在り方にたいする責任を宣言し、その基本的かつデモクラティックな価値の防衛に立ち上がった。その点は『山椒魚戦争』や戯曲『白い病気』、また、戯曲『母』においては、タイトルそのものから言っても明白であるが、『第一救助隊』と『フォルティーン』においてはその努力は確かに陰になっているとはいえ、それでも十分明確に、この流れの内部における一定のかすかな相違としてチャペックの個性を明確に位置付けている。
 もし、当時の散文文学の主流(M.マイエロヴァー、M.プイマノヴァー、V.ヴァンチュラ、他)が現代の由来する根源を探求しようとする努力の中で、特に、その展望を、広い枠組みで捕えられた叙事作品を創造していた。
それらの作品の物語はしばしば過去にも深く根ざして始まる。その際、著者にとって、いつしか膨大な指数を費やした書籍でも一冊では不十分となり、自分の作品を相互に関連づけた分冊の作品にするように企画した。(特に、それは三部という形をとる)。
 チャペックは薄い本、ロマン(長編小説)よりも、むしろノベル(中編小説)を好んだ。もしそういった作家が矛盾と緊張に満ちた社会関係の分析を提示しようと努めたら、チャペックは彼のこれまでの発展の精神を受け継ぎ、武力侵略と人類の非人間化に抵抗する城壁を築くことのできる人類の道徳的価値の探求を目指した。

 この観点か見らみると、チャペックの両作品のあいだに一定の内面的関連性を認めることができる。前者(『第一救助隊』)この努力を肯定的に評価し、防衛的価値を炭鉱労働者集団連帯の中に見出しているのに対して、後者(『作曲家フォルティーンの生涯と作品』)はその主人公によって、その否定性を提示し、その要素的人間的価値の担い手としての集団から自ら離脱し、寄食者としてのみ生きる人間の本性について語っている。同時に両作品は――ここでもチャペックのこれまでの作品の意図に即して――国民社会の内面的道徳状況を指向した寓話である。
『第一救助隊』のために、チャペックは周到に意識して準備をした。子供時代の見聞の記憶や、マレー・スヴァトノヴィツェで鉱山医師をしていた父の経験だけでは満足しなかった。彼はクラッドノ鉱山を訪ね、ショーレルとマックス鉱山の立坑を下りて、その内部を検分し、鉱山用語を再現させ、炭鉱夫気質を知り、一九三七年の間に作品を書き上げた。
『第一救助隊』はもともと二つの主題を持っており、最初のテーマは、労働者の共同責任意識の中で青年の、やや利己的で、強烈にロマンティックな夢想から脱却して、一人の男に成長するという未卒中学生の人間的成長である。
E新米炭鉱夫スタンダ・プールパーンもまた、このロマンの全体の中で著しく変化し、成長する唯一の人物であり、それに対して他の人物たちはすでに出来上がった、変わりようのない人物たちであり、ドラマティックな事件の進行の中で、彼らの通常の生活の性格が少しずつ暴露されてくる。
 しかし、表向きは、常に、あまり要領のよくない彼であり続けるのに、スタンダの変化は何よりも彼の内部で演じられる。彼のもっとも称賛されるべき英雄行為は、結局、まさに彼の未経験さから生み出される。われわれはここで再びチャペックの、すでに格言的ともなった、自作の中で溢れんばかりに使用した逆説(パラドックス)の一つとここで出会うのである。ここではもちろん、単なる機知に富んだ発想であることをやめ、その発想は人生の真実と選ばれた人物たちの発展の可能性を感じ取る手段となっている。
G この作品の物語の本質的な部分はプールパンの眼によって見つめられ、彼の想像力によって呼びさまされる。彼の心の中の独白(モノローグ)は語り手の役割を相当部分引き取り、彼を背後に押しやり、話の筋を前面に押し出している。
 第一救助隊のこれまでの反応の中に、すでに、好妙な落ちが見つけ出しているのだが、それを助けているのは、自分の専門的鉱山技術の資格不足を覆い隠す(O.クラーリーク)坑道の下での、にわか仕立ての新米炭鉱夫の素人っぽい視点によって、著者が巧妙な落ちを発見するのを助けている。
 しかしながら、この手法は、作品の構成において一層、重要な役割を果たしている。語り手にできる以上に内心の声をはっきりさせることによって、何よりもスタンダの内面生活を暴露することができる。それは物語全体の解決、つまり、個人対集団との関係(具体的には、若者の個人主義的ロマン主義が、どのように労働者の連帯と融合するか)の解決への端緒を著者に提供する。それなしには――少なくともチャペックには――第二のテーマ、すなわち、英雄主義の発端が解決不能のまま残されることになるだろう。
 したがって英雄主義は、いかなる集団主義の機械的生産物でもなく、救助隊が構成される個人の人間的資質によって可能なのである。したがってスタンダ・プールパーンもまた、成長した結果が嬰主義とは相反するものであったとしても、自分本来(の人生コース)に戻らなければならないのである。
 もしスタンダの成長が、この作品のこの作品の何らかの内面的、心理的軸を形成するのだとしたら、第二のテーマ――英雄的行為の中で成長していく男性的連帯――は事件の進行の方向性を決定づける。作者はこのテーマを事故の救済作業に、最初に、その場で応募した、偶発的に個人が寄り集まった、旧来の炭鉱事故救済班を基に展開している。この英雄的行為はスタンダが物語の初めのほうで夢想したような巨人的ヘロイズムから起こったのではなく、ここでもまた逆説的にごくありふれた普通の行為から、自分の力に合ったこと、そして、個人的反を感自制して、社会的身分の相違を脇へ押しやりながら、各人が自分の持ち場で、自分が一番よくできることを全うすることによって実現させる。
 それによって、同時に、この集団は、個人の偶然的な寄せ集めという限界を飛び越えて、個人の成果の寄せ集め以上のことをなし遂げことのできる生命力ある組織体(オーガニズム)に成長するのである。その際、この英雄的仕事は形のない塊ではない。彼らの一人一人が、その作業の際に、すでに、明確に個人化されているのである。そしてこの個人化が、彼らの娯楽に対する視野を高め、状況の中での家庭生活背景をいっそう透視し、スタンダが取材陣とともに同僚たちのまわりを回り、読者が彼らの過去を知り、彼らの性格の相違をよりよく理解できる。この背景は穏やかで幸せな時もあるが、別の時には劇的に緊張する。それが最もよう見えるのはアダムの場合である。だから彼はそれだけに、かたくなに仕事に没頭し、死の危険に飛び込んでいく。もともと、その死は物語の進行過程でいくつかの兆候によって予告されていたものだ。少なくとも、何人かの人物を、チャペックは話す言葉によっても性格づけようとしている。それが通常体(オベツニー)チェコ語のニュアンスをもった会話の言葉である。ペペクの言葉の中に通常体チェコ語とともに卑俗語も深く浸透している。
(「もっとも些細な、ないしは野卑な言葉をも、使用することの粗雑さをわれわれに意識させることなしに紛れ込ませることのできるという、その方法はチャペックの秘密の手の内にとどまっている。」――St.K.ノイマン)
マルティーネクの発言のなかに、またもや独特の弁証法(“ありえない”)彼の農村出身と生き様を強調している。
 この作品の人物たちに、チャペックは非常にこだわり続けている。なぜか? 私たちはもうとっくに、その点に関して指摘してきた。主人公たちは自分独自の顔なしではありえない。しかし著者はその先の問題に興味を示している。
 それは確信を以てこの作品の二つの主要テーマを鉱山という堅固な形態の中に集約できる構造、そして、また作品の心理学的要素と叙事的要素との均衡を保つということである。本作品に使用された言語については、巧みに専門用語や鉱山特有の俗語を使いこなし、なみなみならぬ自然さにまで達している。著者の知識人としての生活からは、まさに、かけ離れているとしか言いようのない鉱山環境の描写はまさに驚くべきものがある。そのすべてをチャペックは現代的ロマン形式の中に具体化した。
 これは伝統的叙事様式という標章によって、とくに語り手の言葉、だがある程度までは、人物の直説法表現によっても限定されている。しかも、言葉は、しばしば、語りかけの領域内で、版直説法的話体と混合的話体と間を、頻繁に移動している。

『第一救助隊』はかなりの反響を獲得した。ほとんどすべての批評家がこの新しい主題と、彼らの非悲壮な英雄たちの迫真の描写を受け入れた。しかし、その一方で、そのほとんど全員が救助隊の田園的(現実離れ)な性格を認め、真の社会的関係を見逃していること、そしてまた社会的対立概念の存在を軽視していると指摘している。
さらにまた、この作品のいくつかの弱点について、特に、スウェーデン人の技師の妻が、負傷したスタンダを病院に訪ねたときのメロドラマ的シーン、その他の場合について指摘している。これらの社会的要因の不在という特殊なケースにおいては、作者の意図の不理解や歪曲という事態まで引き起こしている。チャペックはこの作品においては社会的ライヴァルを排除している。チャペック自身が「ここには社会問題が入り込む余地はない」と明言している。
もちろん、彼がこれらの問題に疎く、理解できなかったと断定することはできない。確かに『山椒魚戦争』では、異常なまでのアイロニーを込めて、資本の利己的な野蛮さを示す、妥協のない情景を提供している。しかし『第一救助隊』には明らかに別の意図が込められている。労働者の集団的力が人間の性格を変化させながら、自己犠牲的英雄行為にまで発展させ、予見された人生経験の前夜において国家社会のための道徳的価値の規範となるような、そんな寓話をチャペックは書いたのである。その意味でこの作品は作品自体の中に、いくつかのチャペック的逆転したユートピアが見られる。
もし、以前、自作のユートピア的要素の中で人類を脅かす危険を誇張的に描いていたら、    理想的には人間関係はどうなっていたかについての描写するさいに、その部分は利用できたはずだ。『第一救助隊』もまた、とくに戯曲作品の中で展開されるチャペックの道徳性の中に組み入れられる。
もちろん作者の意図は一つの問題であり、もはや原作者の意図や目的に依存せずに、独自の生命を生きる作品の客観的存在は、別のもう一つの問題である。だが、それにもかかわらず、『第一救助隊』は何年もたったとでも、人類が潜り抜けてきた多くの新しい社会的経験を経た後でも、その有効性を、いささかも失うことがなかった。それどころかその逆であった。それは、時間とともに、社会の発展とともに、作品の意味的アクセントも変わってきたからである。
その一方で、かつては、客観的社会的現実が批評を、留保条件を付けたうえで、作品の社会的側面という方向に向かわせた。今日では『第一救助隊』はその不変の性格――選び取られた環境や人物たち、その近代的な改造も含めての信憑性――をもって、とくに労働者集団のなかに見出された、例の作者の意図をもって、その比喩によって、人間的連帯や人間的価値に対する憑依によって読者に語りかける。

――――

カレル・チャペックは『作曲家フォルティーンの生涯と作品』をミュンヘン会談の後にすでに書き始めていた。不成功に終わった作曲家、その他の何人かの人物、部分的にはその主題についても、そのお手本を、カレル・サビナの『前三月期のプラハの回想』の中に見出される。それは一九三七年にミロスラフ・ヒーセクが『回想記』叢書の中で出版した。サビナはこの中で――とりわけ注目されるのは――彼は芸術分野での成功を願望していた『資格未取得の法律家ニェメッツ・ホルネルの宿命的生涯』を書き上げたことである。
フェルディナンド皇帝の戴冠を祝す賀詞でうまくいかなかった彼は、オペラ『リア王』の創作を企画する。生活は家作の持ち主の女性との結婚で確保し、文学者、音楽家たちに取り巻かれ、彼らのメセナを気取る。そして彼らの能力を自分の作品に利用する。彼は芸術家の友人との名声を得るが、妻の財産すべてを使い切ったあげくに、自殺して果てる。
チャペックの眼をフォルティーンに向けさせたのがサビナであることを疑うことはできない。しかし、また、サビナの手本はチャペックに、生々しい現代との比較の役に立った。そして結局は、そのとき作家の念頭には芸術の問題しかなかったのである。もし芸術的借用という松葉杖に助けられた創作家としての不能力、美の女神との戯れや、身振りや外見をそれらしくまねるというようなことしか問題でなかったとしたら、おそらく作者はフォルティーンの物語を、これほどいわくありげな領域にまで誇張しなかったであろう。
同時に我々は、チャペックにも問い合わせることができる。この以前にチャペックはいかなる理解か寛容かはわからないが、「美と芸術とはいわゆる理性よりも、多く実体性と、より多くのオリジナルな一貫性を持っていなくてはならない」ということを証明するために、評論集『マルシアス』のなかのディレッタント詩人・ムラースについての論文を書くときに、この詩人の言葉の瓦礫の山をあさったが、フォルティーン理解のためのカギは別の場所に見つけるべきである。
オルガ・シャインプフルゴヴァーへの手紙、この手紙についてはM.パーシャも自身の論争の中で注意を促しているが、この手紙は保存されていないし、存在しない。したがって、『オルガへの手紙』(拙訳・青土社刊『カレル・チャペックの愛の手紙』2006)の中にも印刷されていない。しかし、手紙の、作品の書かれた時間的近さから察しても、『チェスキー・ロマン』(オルガの自筆の自伝)での時間的データの扱いのずさんさにもかかわらず、疑いの余地はない。チャペックは書いている。
「ぼくが犠牲者だということは分かっている――何の犠牲だ? 僕にさえ理解できない、ある深刻な悪意ある嘘。ぼくは苦々しい思いにさいなまれている。どんな思いか、君にはわかるまい。生き続ける限り、調和的で純粋であろうとする絶望的願望を持っている僕は嘘と偽りとに立ち向かわなければならない。僕は弱い人間だ、君が知っている以上にね。僕の生命力は人間に対する信用というクレジットに委ねられている。もし僕が何か欺瞞的なもの、理不尽なもの、憎悪と関係を持つことになったら、すべての核心を失うだろう。
 チャペックは、これまでの確信が失墜した瞬間に、自分の好機を感じ取る人間たちの悪意が最初に向けられる人たちのなかの一人だった。だからこそこの全国民的試練の、この時に、真正面から、しかも純粋に個人的に体験された問題、また時代の圧力、道徳的力と純粋さ、人間的本質にたいする人間の抵抗の問題、だが、それだけでなく、運命的瞬間における人間性崩壊の根源とでもいうべきこれらの憎しみがどこから来たかという問題が真っ向から立ち向かってくる。 
ここのどこかに、この作品に向かわせる決定的衝動があった。この作品の中で著者はこれらすべての質問を芸術の領域に移行させロマンの形の芸術作品に作り替えた。その主要人物としてホルベンの手本とともに、同時代の悪までもが間接的なお手本を、著者(チャペック)に提供した。
だが、同じく、作品中の人物たちの一人、トロヤンの発言の中で、すべての個人的なものはいち早く芸術的形式から分離される。そのとき著者はもはや念頭に、すでに「お前の中に何があるかは問題でなく、自分から何を作るかが問われる」と述べている。
このようにして、才能の有無にかかわらず起こってくる人間の不可抗力的破滅についての寓話が生まれた。そして彼は自己欺瞞的な「我」を何にでも有効な道徳的規範の上に置き、自らの人間の使命を裏切るのである。*
(* 読者の皆さんには、この問題はこの未完の作品の中で未解決のままですし、これまでの文章から、この問題は作品全体の中にも残っているということが予見できるということを、記憶にとどめておいていただきたい)
この作品中の簡潔な対話の中に反響しているもの、それは、つまり、詩人の場合、狂人でないかぎりけっして、きちんとは理解できないという点にかんする、ある程度、留保条件付きの伝統的世代意識の中の芸術領域、あるいは、この領域は善悪を超越した普遍的に通用する道徳的規範から切り取ってきたものでもないという点についての言及がある。 
この厳しい試練の時においてこそ、人間の性格に当てはまるのである。もともと、チャペックはこの問題にかんして、孤独であったわけではない。同様に普遍的に人間的なものを芸術の枠内で、第一次世界大戦の期間にイヴァン・オブラフトが『俳優エセニンの奇妙な友情』の中で、そして続いて、第二次世界大戦の間に、ヴァー−ツラフ・ジェザーチュが『目撃証人』と『分岐点』という二作で取り上げている。
ロマン『作曲家フォルティーンの生涯と作品』の創作方法は認識論三部作に近似してはいるが、この作品独自の特性を有している。その九つの章は、フォルティーンと何らかの形でかかわりを持った個々の人物の証言によって構成されている。それらの証言は作曲家フォルティーンの生涯のいろいろの時点に関係している。その時間的系列の中に、やっと招集者は証言者たちを決めたり外したりした。第八章(訳者注・現段階では『覚書』)では、「この作品の著者」としてフォルティーン夫人の証言を補足するときには、もちろん、作者自身がこのロマンの登場人物の一人となる。つまり彼は証言者の一人となっている。彼はすべての証言を知っているが、それにもかかわらず、ほかの証人たちと同じように振る舞い、それらの証人の証言に一言もコメントもしなければ、比較もせず、フォルティーンと接触を持ったが、直接、証言の得られないその他二人の人物との関係を説明するに留まっている。
だから、これらの人物たちの誰一人として、フォルティーンの生涯を全体的に把握できる人物はいない。それにまたこの件に関する仕切り人自身〔訳注・著者〕が自分の証言の時には自分の見解に制約を設け、比較的作曲家のことを一番知っている妻もまた、評言をあえて加えることなく語られたフォルティーン生涯最後の日々、それも事実だけの積み重ねから知りうるものだけである。                                                                                  
もちろん証言者のうちには、とりわけ、無意識のうちにであったにもせよ、自分自身についての証言をしているため、したがって、大なり小なり、自分の運命を背負った、このロマンの際立った人物となっている。フォルティーンに関する彼らの主観的記憶の中に、自然のうちに一定の客観的シグナルが存在している。だが、フォルティーンの客観的人物像は、徐々に形成されていくのであるが、個々の証言を土台としてではなく、一連の証言の中で反復される共通点によるのである。
それではいったい誰が、この一連の主観的回想から、客観的解読の鍵を開けるのか、あるいは最後の審判を下すのか、それは、この証言の取りまとめ役であり、誰よりも証言のすべてを知っている著者よりも、むしろ読者である。だから著者は、フォルティーンの性格の多義性――読者はその中から自分の気に入ったものを選ぶことができる――へのドアを開けただけなのかもしれない。そして実際には、証言の矛盾に基づき多くのもの(たとえば、フォルティーンの芸術への関心の動機づけ、彼の才能の問題、彼の性的能力、その他)があいまいなままに留め置かれているものの、多くのことが彼の一義的な説明に行きついている。
そして、中心的な語り手の援助なしにも、彼についての証言そのものがかなり揺らいでいるにもかかわらず、はっきりさせられていくフォルティーンの特質、彼の人間性、それが、もっとも本質的なである。
確かに、自分が最も愛好している中世の研究領域にたいするフォルティーンの関心にすっかり気をよくした大学教授シュトラウスのもっとも肯定的な見方においてさえも、フォルティーンの実際の性格的特徴が極めて詳細に現れている。つまり、彼が借りた研究者の貴重な資料を返さなかったことである。
したがって、チャペックはフォルティーンの物語の中で、経験との対決によって増加する現実は主観的認識の中にも反映されることを証明している。この明白さはチャペックの認識の新しい特徴である。ここにその本質を探るべきであることはすでに述べた。これらの明白さには、要するに、個々の証言を積み重ねることによって、この著者自身がこの作曲小説の創作に寄与している。
これらの証言の配置は置き換えることはできない。それは作曲家の生涯の年代に深く関わっているからであり、それらの配列がいろいろに重要性を変化させ、そのジャンル的特性にも影響するからである。だから、シュトラウス博士の回想がこの本の最初に来るか、それとも自分自身にかんしたことであったとしたら、全く別のニュアンスをもつことになるだろう。
しかし、これまでの四人の証言とは反対に、学者の好意的な信用にもかかわらず、著者の魔法的なアイロニーとして響く。もちろん、それと同時に、証言を軽くする作用をはたしている。このような置き換えによって呼び起されるジャンル的なコンテクストはロマン作品の常道でないことはもちろんである。それにもかかわらず、これらの証言の中で支配的なのは、証言の出どころの著しい違いである。それらは何とか物語的に仕上げられた、若い音楽家たちの小話(アネクドート)的なものから、証言の編者(著者=チャペック)の簡潔な「覚書」に至るまでにも含まれている。
 このロマンの構成のさらに一層巧妙なところは、個々の証言者がフォルティーンと接触して体験したこと、そして、それぞれの証言者が彼についてどう考えているか、そして読者がフォルティーンについて知っていることとの間の緊張関係〔矛盾〕である。この緊張は証言の数が増してくるにつれて強化され、行動の断片とその現実的意味との深淵が広がってくる。この緊張はフォルティーンの、かの有名なる葬儀の瞬間に最高潮に至るはずである。しかし未完のこの作品においても、フォルティーン夫人とピアニスト・ヴァーシャ・アンブロシュ、トロヤンの証言の相乗効果によっても、同じく最高潮は達成される。チャペックはここで残酷な逆説のほうへ針路を切り変える。その嘲笑的攻撃性は、これまた読者だけが理解できる。なぜなら、ただ彼のみが知っている(当然、評価を放棄している、証言の編纂者とともに)、才能ある音楽家の作品を巧みに二曲盗み、最も低く評価し、その才能を見抜けなかったということにたいして、すべてを仲裁する死の瞬間に全音楽界全体が最後の賛辞を提示したからである。
したがって、この作品の読者こそが、もっとも情報を豊かに与えられ、一番よく知っている、この物語の関係者である。それにもかかわらず、一部の読者は同時代の批評家として、後代の読者への本作品の解説者として、その点に満足しなかった、そしてさらに探索を進めた。古典的な散文文学の場合には著者と一致する中心的語り手の不在が、作者たる人物を探索するという行動に向かわせた。最も多くの場合、トロヤンの中にチャペックを見出し、著者がフォルティーンの芸術的詐欺行為を否認して、芸術の個性を超越した道徳的純粋性について悲愴なコメントをなしたことにたいして、あるいは、チャペックが何故芸術作品についての、かくも禁欲的な倫理観を提示したかについて読者は疑問を提示した。
 しかしトロヤンはチャペックではない。たとえ彼の芸術に関する考え方が、フォルティーンについての一般の証言者との見解から外れていようとも、彼は、残念ながら、この作品の一連の証言者の中の、最後の、単なる証言者にしか過ぎない。
作者が彼にたいして、作品の中でどんな役割を与えようとしたかは、もはや作者には不可能とはなったが、次の局面になったところで初めて明らかになる。したがって、未完のロマン『作曲家フォルティーンの生涯と作品』は、当時のチェコ文学の中でも極めてユニークな 一見単純明快に見えるものの、非常に複雑で、深く考え抜かれた作品の構成についての証拠を提供している。その複雑さは、このロマンの意味についての相反する解釈や論議の中にも表れている。
しかしながら、これらのすべての立場の違いにもかかわらず、同時に、チャペックが、たとえ未完のまま残したものであったとはいえ、彼の最高傑作の一つをここに提供したことは疑問の余地はない。               
                          ヅデニェク・ペシャト

*** この「あとがき」は「カレル・チャペック著作集・第十一巻・『第一救助隊』と『作曲家フォルティーンの生涯と作品』との合本版」につけられたものである。   






カレル・チャペック著作選集(全十巻/第十巻 『外典』との合本版) フランティシェク・ブリアーネクの「あとがき」

カレル・チャペック著作集(全23巻/第十一巻 『第一救助隊』との合本版)ズデニェク・ペシャトの「あとがき」

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