あとがき(選集版-文末訳注参照)


  独特のジャンルの短編集『外典(アポクリフ)』は一見、膨大なチャペック作品の中の、単なる周辺的作品にすぎないように見えるかもしれない。つまり一九二〇年から一九三二年までの長期間の間にまき散らされた、チャペック文学の周辺で誕生した作品であるかのよう見える。チャペックはこれらの作品を一冊にまとめ、一九三二年に『外典(アポクリフ)』というタイトルで出版、その後、一九四五年(つまり没後)に『アポクリフの書』というタイトルで拡大版が出版された。しかし、その散発的な出生にもかかわらず、『アポクリフの書』はきわめてユニークな、特に作者の個性豊かな性格なるが故に、極めて重要な作品である。
 チャペックが手がけ名人的に支配した多くのジャンルの間で、彼の研ぎ澄まされた創造的個性に特に合致したジャンルがアポクリフのジャンルである。アポクリフ、正しくな、正真正銘でないと定義された聖書の文章は――たとえ、その伝説的物語が一般に広く知られたものであり、ヨーロッパ文化の所有物となっていたとしても――信憑性の太鼓判と使徒的権威を欠いている。したがって、自身のなかに、実際はどうであったか? という疑念をさしはさむ余地を持っていない。だから、それは作家のために造られた問題なのである。自分の作品全体の中で倦むことなく自分の異常なまでの知性を緊張させて真理と認識を追及するのである。
 カレル・チャペックはこの問題をいくつかの聖書の伝説の上にかざしたばかりでなく、古代からの、また歴史からの、また有名な文学作品、たとえばシェークスピアからの作品の上にかざして、自分流に作り替えた。彼がより本当らしい、より人間的現実に即しているという見方に従った。一方、ヨーロッパ人の文化意識の中に定着された有名な神話や伝説や物語は英雄的で、例外的で、理想的で、悲愴なのに対して、チャペック版では、まるで覚めた、、ごく普通の、ありふれた、陳腐なまでに人間的な響きがする。この人間化、打ち解けあい、現実化こそ、チャペック的作品であり、チャペック持前の世界、人間、歴史にたいする見解である。
 カレル・チャペックは大きな理念や、大きな英雄的行動や状況のあったところに、慣れ親しんだ生活態度、無意識に身についた利己主義を持前とする平凡な人間を据える。伝統的見本、もともと相反するチャペックのテキストとの矛盾はそれゆえにコミカルな効果を呼び起こす。つまりユーモアである。
ユーモラスなのは二種類の理念的概念の対照(コントラスト)悲壮な様式とそのありふれたパロディーとの対照である。ユーモラスなのは語りのプロセスである。著者が常に新しい、びっくりするような、矛盾を内包するディテイル、それにまた、もともとの伝説のテキストとチャペックの神聖冒涜的なパラドックス的変形との間のスタイルの名人芸的落差で、絶えず読者を緊張に引き込む。
いろんな場所で、ユーモアは風刺に移行する。どこかでは短時間の攻撃であったり基地の火炎のほとばしりであったりする一方で、別の個所では人間の迷妄にたいする、あるいは単なる社会的危害にたいする、深刻な集中攻撃だったりする。とくに三十年代のアポクリフは現実にたいする研ぎ澄まされたとげをもっており、それらの作品の中では政治的視点も明確に読み取れる。それらは、当時ドイツ・ファシズムが夢想した暴力的世界支配に抵抗する意図が明々白々である。
チャペックのアルキメデスは彼の円や幾何学の謎に魅入られ、彼の祖国シラキューズで何が起こっているか気にも留めない変人ではなく、侵略者で支配者の協力の申し入れを拒否し、慎重に考えた後、勇敢にも、力によって世界を支配することはできない、力は悪を犯すと言い切る科学者であり創造的人間である。
チャペックの特徴は、偶像の欺瞞性を暴露し、人間の現実を喚起する透徹した知性のドラマである。したがってまた、それは、同じく多様な様式的位相を持ち、尽きることなき言語表現の豊饒さをたもった、名人芸的ドラマでもある。しかし、同様に、チャペックの独自的なものは、人間の、普遍的に人間的本質、そしてそのすでに長年にわたり持続してきた思考の方法を捕える。ここでチャペックはこの人間的普遍性を『一つのポケット、もう一つのポケットから出てきた話』の中で、そしてまた彼のユートピア小説や戯曲の中で、はっきりと具体的個人に、原人間ヤネチュカに、よく気の付くマルタに、キリストの五切れのパンの奇跡で自分の商売の邪魔をされたパン職人に、ロメオと若気の至りの経緯があった後、彼の言いなりに結婚し、子供をもうけ、貫録のある、幸せな母親になったジュエットに、理性への裏切りから、自分の政治的言い逃れを信じ込む世界支配者アレクサンドロスによってはっきりと提示する。
『外典(アポクリフ)』の中でもチャペックは普遍的人間性に重点を置く。つまり、財産家、家族主義者、国家主義者、権力者、狂信主義者の利己心を嘲笑する。しかしながら、この普遍性は常に増大し、現実的、社会的内容と意味を、新たに、新たに、増大させていく。


『作曲家フォルティーンの生涯と作品』は人間の普遍的人間性、あるいは、人間文明の社会的問題性を表現するという、チャペックの伝統的傾向と、ある程度、相反している。この未完作品は個人の運命に完全に集中している。芸術家(作家)の興味の対象は、ここでは、個人である――この点はチャペックの作品ではまれなことである。たしかに『クラカチット』においてでさえ注目の中心は発明家ではなく、むしろ彼の発明の運命であり、発明の問題それ自体、そしてその利用ないしは悪用の問題である。
 同様にロマン三部作においてでさえ、作者は自分の主人公の人物像を詳細に描いているわけではない。その代り作家が追及するのは、人間はいかなる方法で人間、または自分を認識するかの方法であり、また、それがはたして真実に到達できるかどうかの問題を提起する。
『絶対子工場』にしても『山椒魚戦争』にしても、ユートピア的に設定された状況の中中における人類の運命を追及している。人物にしても、この作品では、一筆描き的輪郭でのみ描かれている。しかも全くリアリスティックな『第一救助隊』でさえ、その主人公を集団の枠の中で追跡しているから、真の主人公はもともと、その輪郭的な個々の人間タイプから構成された集団ということになる。 
 チャペックはフォルティーンを固有の、類い稀なる個人として把握し、造形している。この非類型性は、彼自らが自分を芸術家とみなし、したがって、通常の域を超えた何者か、つまり、他の人間から区別されるべき人間とみなしていることからも明らかである。したがってチャペックは個たる人間の固有性を追及しているのではなく、より正確には、芸術的才能の幻覚、自分自身にたいする欺瞞的想像(思い込み)、独有の高級詐欺師的妄想と他人の利用の様相を追及しているのである。
 チャペックはこのケースを心理学的問題(精神異常、劣等感と自信過剰、精神分裂症)として、また社会的現象(一般の人々にたいする主人公の不均等な関係に基づく小市民的環境と、結婚で得た経済的裏付けとの依存関係)してとらえた。いくつかの視点――以前、ロマン三部作で用いたのと同じような――を用い、いくつかの語り部的証言を用いたとしても、これらの証言の内容から構成されたのは独立した客観的人物像であり、ある人間固有の性格と運命である。すべての証言はフォルティーンがどんな人間だったか、相互に補完し合い、本当の現実を確証している。もはや認識の行為そのものも、ロマンの主人公について認識された真実さえも相対化されない。その(証言?)連続と対決、少なくとも少しばかり語りのテンポを立体化させているが、事件性と対立の非先鋭化の乏しい動きとでスローな展開となっている。
 この似非芸術家フォルティーン閉鎖的な生活の物語への相互に異なる主観的な視線もまた、もちろん、フォルティーンの人生の同伴者たちについても証言しており、彼らの仲介により小説空間は拡げられている。
 もし、ある人物の記録または分析だけで満足していたとしてら、それはチャペックではなくなる。フォルティーンはチャペックにとって確かに一つの症例ではあるが、同時に典型でもある。一つの反復不可能な生涯の物語よりも、さらに普遍的な何者かであるのだ。ここでは芸術家の倫理的問題の、真実と見せかけ、正直と欺瞞についてのフォルティーンの性格タイプが問題とされているのである。
そしてまた、この、芸術家の創造とその個有性にかかわる芸術の問題は読者の意識の中で、普遍的人間の問題の、あらゆる人間関係の倫理的基礎に関わる普遍的人間の問題にまで増大する。
 まさしく芸術における真偽に関係する文章のところで、死そのものがチャペックの筆を折ったという状況が、すでに、この未完のロマン作品のより深い意味と意義を指摘している。フォルティーンの物語は、全ヨーロッパが、その中心に位置するわが共和国がおびやかされ、まさにその欺瞞が勝ちを収めようとする、当時の危機的状況の中で、芸術家ばかりでなく、われわれの一人一人に押し付けられた基本的疑問に答えるはずのものであった。  
それは真理の問題、より正確には、人間の内面の真実性の問題だった。それはまた、創造的芸術家ばかりでなく、市民一人一人のもん打だった。この最大の試練の時に、一人一人の人間がその前に立ち上がった。カレル・チャペックは書いている。人間性の、人間の創造的行為の、人間関係の、人間存在の基盤としての心理の問題を書いたのである。
 カレル・チャペックの答えは、自らの死という封印の中に閉じ込められている。その答えは嘘と自己欺瞞を拒否し真理を認識し、自分の良心に語りかけるということであった。しかし、その答えは未来にたいする遺言となった。

フランティシェク・ブリアーネク


 






カレル・チャペック著作選集(全十巻/第十巻 『外典』との合本版) フランティシェク・ブリアーネクの「あとがき」

カレル・チャペック著作集(全23巻/第十一巻 『第一救助隊』との合本版)ズデニェク・ペシャトの「あとがき」

目次ページへ戻る

ホームページ表紙へ跳ぶ

目次ページへ戻る

ホームページ表紙へ跳ぶ

目次ページへ戻る

ホームページ表紙へ跳ぶ