北の国から 第22話 ハードボイルド TOP / 大槻心理科學總研 / 過去 DIARY / 研究 LAB. / 展示 GALLERY / 対面診察室 BBS / 接続負荷実験室 LINK COLMN 『最期の美少女ゲーライター』 大槻涼樹
オデッセウス刊、PC-Angel誌上にて連載させていただいていたコラム『北の国から』より第22話。
ハードボイルド調の文体でくだらない話を書く実験的なテキスト。
上司の死に様とか、相当くだらないんだけど。
結果、個人的にはとても好きな話になりました。

HP掲載にあたって、 改行等を心もち読みやすいように改編しています。 ただしテキスト自体には手をいれていません。

タイトル 北の国から 大見出し 最期の美少女ゲーライター 本文1(18*14) 「先輩、わたし…最期に…言って…」 2年目にしてようやくできた後輩、
赤坂愛美はその一言を最後にして全身から全ての力を抜いた。
午前3時43分。それが彼女の死亡時刻だった。
医者を呼べば聞かれるだろう。
私は腕時計に目を落としその時刻を記憶した。
と、彼女が最期に書き残したエロゲーの紹介記事の仮組みへと視線が落ちた。
その仮組みには
『思わずアソコも熱くなる!』

という小見出しが残されていた。
かつてこの手の雑誌で飽きるほど使い古されたフレーズ。 ――おそらく、これが死因だろう。 本文2(18*44)
西暦2000年。
つまり言ってみれば――ナザレの大工の息子が生まれ天のファンファーレが鳴り
地球が太陽の周りを駆けつづけてトラック2000周め。
星々の健脚に未だ衰えは見られないが、
肝心のナザレの大工の息子が自らの死で罪を贖(あがな)った 我々人類の息は…既に少々あがっている。
つまり、走るのには少し年をとり過ぎたという事なのだろう。
それでなくとも人類はこのミレニアムを迎える100年間――20世紀――でいささか走り疲れている。
そんな疲弊した人類に、その新しい病―― 『エロ用語を使うと死ぬ病』 は、 最初の鉄槌を下した。
それは性交をすら必要としない、しかし性病だった。
幼子であれ老いた身であれ、この病の公平さからは逃れられなかった。
それは文字でさえ発病した。
手話、暗号、手旗、モールス信号。
身振りによる隠語でさえも発病した。
もし脳裏に浮かんだだけで発症するならば、程なく人類は消え去っていただろう。
幸いにもそれは無かったが、
しかし発症すればもはやその蒼褪めし馬――死――がその対象者を迎えに来るのは時間の問題だった。 速やかな言葉による死。 目立つところではAV業界が大きな打撃を受けた。
AV男優、女優、監督、営業に至るまで例外は無い。
性風俗に関わる者の全て。
ただ、性行為自体は発症の対象にならなかった。
程なく全てのAVビデオから『言葉』が――より正確を期すならば『言葉なぶり』や『露骨で淫猥な喘ぎ』、
そして申し訳程度でも存在していた脚本が消えた。
シーンが言語化できないのである。
この例からもわかる通りしかし、
もっとも深刻な打撃を受けたのはAVではなく18禁出版物とゲーム業界だった。
本文3(18*44) この2つはその文字を主とした情報という性格上、
もっともエロ用語を駆使しなければ成り立たない業界だったからである。 かくして多くのマンガ家、小説家、ライターが死んでいった。
原因が『言葉そのもの』にあるという事がわかるまでに、 世界の業界関係者の実に半数が死滅した。 文字通りの、文字による壊滅的な打撃。 変わって盛り上がったのが
『旧出版物』や『旧エロゲ』とその後称される事になった新古や中古のマーケットだった。 西暦2000年以前の出版物、ビデオ、ゲーム達はこの『エロ用語病』、つまり

『言語性劇症性用語症候群』

の影響を受けなかったからである。
こうして思いもよらぬ形で始まった『神の言葉狩り』により、
我々美少女ゲーム雑誌ライターは勝ち目のない戦いへと狩り出される事になったのである。 言葉がほとんど無くなりただの『エロ絵鑑賞ソフト』と化したエロゲーを、
性的な言葉を用いずして紹介する。
それはもはや単なるCG集と、
そのCGの再編集雑誌にしか過ぎなかった。
情報の希薄化に伴い進む、絵ヅラの過激さのみに頼った粗悪な紙面作り。
かろうじてストーリー性を持ったエロゲーは、
悲しく切ないお涙頂戴モノやライトで内容の無い青春モノに終始し、
その性的表現の過激さで支持されていたソフトハウスの人間は軒並み死ぬか沈黙した。
性に深く踏み込めば、それだけ発症の危険率が増すからである。

私の周囲でも例外は無い。
この期に及んでも新規エロゲーの火を絶やすまいと基本的に紹介記事、
攻略記事を重視した私の所属編集部は特に殉職者を多く出した。 私の上司だった男はクシャミした途端に発症し、死んだ。
どうやら
『フぁ、ファックション』
という彼独特のくしゃみの 本文4(18*54) “ファック”部分が発症原因らしかった。
以来私は唯一の後輩と共にたった2人で紙面を構成してきた。 ――その彼女が死んだ。3時43分。 彼女は、美少女雑誌のライターとしては熱心であったが特別秀でていた訳ではなかった。
語彙の少なさ。
あるいは、この死は何らかの手段によって喰い止められたのかもしれなかった。
だがこれは誰にも答えられる問題ではなかった。
わかっているのは彼女が死に、
私は最後の一人になったという事。
私のような何かが麻痺した人間にとっても身近な人が死ぬ事は悲しむべき事に思えた。
彼女が最期に言いたかった事は何だろう。
その言葉は永遠に消えもう誰にもわからない。
3時43分。
だが医者はもうこないかもしれない。なにせ死人が多すぎる。
そんな事を考えながら、私は掌で彼女の眼を閉じた。 もう恐らく人類は長くないだろう。 昨日からこの病気が再び変化しつつある事をテレビが声高に告げていた。
それは、この病気を遣わした神がさらに規制対象を広げたという事なのかもしれなかった。
もはや性病の枠を超え、
この病気は人類を完全に駆除するための恐怖の大王へと変貌を遂げつつあった。
数日前から突如、発症条件が広がり始めたのである。
まずエロ絵を描いただけで病気が発現するようになった。
これにより多くのマンガ家、イラストレーターが発病し死んでいった。
絵もまたひとつの記号表現だという事を考えれば、
あるいはこれも当然の帰結なのかもしれなかった。
そして昨日、
神の規制はさらにその範囲を広げた。 ――愛の言葉、である。 つまり、昨日から『好き』や『愛している』といった愛を紡ぐ言葉、
好意を伝える言葉でさえもこの死病が発現する事が確認されたのである。
それは、私にとってさえ想像の出来ない世界だった。 自分が他に持つ好意でさえ表明できない世界。
恋を語り、愛を語る事のできない世界。
それらを内に秘めるのは悪い事ではない。
しかし、
一切を表にできないのならどうして人は生きていけるのか? 本文5(18*18) 人間はうさぎにも劣る社会性動物だ。
なんとなれば、完全なる孤独の中で人は充実して生きていく事ができない。
何かを作る行為、造る行為、創る行為。そして消費する行為。
映画やテレビ、マンガや小説、
ゲーム等文化を消費する行為は特にそうだ。
そこに自分以外の他者がいなければ娯楽としては成立しない。
そこに描かれている物語の全てが自分の既知の物語であり、
全ての登場人物が自分では少しも面白くはないのだ。
そこに他者があるから充実するのだ。 よく自己満足に溺れる事を侮蔑を込めて自慰、マスターベーションと呼ぶ人がいる。
だがその行為すら他者を必要とする。
世界に己が独り生き延びても、
我々は自分以外の誰かを想像してマスターベーションを続ける。 本文6(18*18) 誰かを、何かを愛し、 それを好きになったり嫌ったりしなくてはならない。
ただ肉体的な欲求を満たすためだけに創造し、消費し、射精するならばそれは単なる反射でしかなく、
そこに喜びを見出せる訳がない。 それらが一切表現できなくなる世界? ――4時12分。 彼女は死に、巨大なビルには最期の美少女ゲーライターが独り残された。
そして私ももうすぐ死ぬだろう。
死因は無論――この文章だ。 彼女が最期に言いたかった事は何だろう。
再度その事に思いを馳せつつ、私は椅子に座り瞳を閉じた。 ――4時13分。
連載中はよくソフ倫をチャカした内容のコラムを書いたので、
どうもそのまま大槻が反体制的な人間だと思っておられる人もいるらしい(素直だこと)。
僕自身はソフ倫や自主規制は必要だと思っているタイプの人間です。 あくまで自主ね。単なる言葉狩りはいらないけど、作り手の良心はいる(ただ近親相姦はアリにしてほしいなあ。
テレビドラマより規制の厳しい18禁ってなんだろう?)。
モザイクはあってもいい(笑)。
なくてもいいけどさ、あってもエロいからいいやと思うんだな。 多様性が重要なんであって。




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