SILENT HILL ~終曲~


 カードを差し込み口に宛うと、甲高い電子音の後吸い込まれ、再び手の中に戻って来た。
 男は無造作にカードを、元通りカードケースにしまい込むと、ロックの外れた扉をくぐる。
「よお」
 新聞に目を通していた、自分と同じグレーの制服姿の男は、入ってきた同僚に声を掛ける。
「異常は」
「今日もない」
 いつも通りさ、と傍らのモニターを顎でしゃくった。
 そして、読んでいた新聞を放り出し、やっと交代の時間が来た事に対する安堵か、男は大きく伸びをした。
 新たに入ってきた男は、手慣れた様子で傍らのスナップスイッチを操作し、クリップボードに点検結果を書き込んでいく。
「随分古い新聞を読んでいるな」
 あらかた作業を終えたボードを机に置こうとして、男は少し眉をひそめた。そこに放り出された新聞の見出しに、しばらく動きが止まる。
「なあに、そこの囚人殿に読ませて差し上げようと思ってね」
 悪びれもせず、殆ど空に近い自分のコーヒーカップを未練たらしくすすりながら、同僚は軽い調子で言った。
 それに、苦笑混じりに男も答える。
「よせよ。そんな事したら、本当にあいつ、刑期を全うしかねんぞ」
「違いない。はは、更に上の囚人どもが不満がるだろうな」
「? 上の連中だと?」
「おいおい、とうの昔からあいつらの間じゃ、持ちきりだぜ。この刑務所には地下があって、そこであの囚人が大層な手間と金かけて、服役してるって」
 とうとう最後の一滴も飲み干したコーヒーカップを置くと、男は肩をすくめる。
「もっとも、俺も不満分子の1人さ」
「おい」
「当たり前だろ。刑に服させるってだけで、こんな大金かけて、あと何年こいつをここに寝かせときゃならないんだ? 普通に生きてりゃ到底全う出来ないぐらい長い刑期だぜ。下手すりゃ、本当にこのまま生きそうだ。さっさと死刑にすりゃ良いんだよ」
「仕方がない。実際こいつの犯した罪は、死にかかっていた人間を1人、殺しただけなんだからな。相手が相手だが、死刑は重すぎる」
「へっ、それでこの刑か? まあ、死なせてもやれないし、ある意味残酷かも知れないけどな」
 よっ、と掛け声と同時に立ち上がると、男は空のカップを取り上げようとして、新聞に目を留めた。
「ま、『これ』を読んでりゃ、こいつもこんな所には居なかっただろうけどな……」
 最後は独り言に近い呟きを残し、カップを手に、彼は部屋を出ていった。
 その背中を見送り、視線を戻すと、そこのは大小さまざまなモニターがディスプレイされていた。それら殆どは、生命維持装置に繋がれたもので、あらゆる状況を視認出来るようになっている。
 もうとうの昔に見慣れた、規則正しい振幅を描くそれらのラインを、しばらくは見るともなしに男は目で追っていた。この勤務について結構経つが、ここに特別囚人として収容されている『彼』は、元優秀だったサブマリナーらしく、静かなものだった。
 そう、この部屋で監視作業を続けていて感じるのは『静寂』ではない、『沈黙』である、と男は最近思い始めていた。刑務所の外ではけたたましい程、元天才の右腕の、突然の奇行についてあらゆる推測が飛び、非難され、悪罵を巻き起こしているが、まるでそれに答えたくないと意思表示しているかのように、彼は黙り込んだままだ。おそらく、これからも。
 やがて、男は諦めたように姿勢を変えた。
 そして、机の上に忘れていった古い新聞を、何の気なしに取り上げる。相当昔のものなので、男も勿論発売日当日、半ば号外扱いされたこの記事を読んでいた。しかし、退屈には勝てないのか、胸ポケットから眼鏡を取り出し、紙面に目を走らせ始めた。
 新聞が立てる、紙のこすれ合う音が止んだ後。部屋には、この地下深い刑務所の一室に相応しい、重い沈黙が満ちて行った。

 

ニューヨークタイムズ 緊急報道号

 

キャプテン・カイエダの2通目の手紙、公表される

 

 1ヶ月前、入院先のセントラルパーク病院内において、不慮の死を遂げたあのキャプテン・カイエダの、2通目の手紙が本日公表された。
 キャプテン・カイエダが国連登壇前、手紙を用意し、警備員に手渡していた事実は早くから明らかになっていた事であったが、その1通は既に日本の海上自衛隊所属、深町元国連特使宛であり、元特使に手渡されると同時にその内容も公表されていた。
 この度公表された手紙は、それとは別にもう一通キャプテン・カイエダが用意し、かねてより元特使宛に渡されていたと同時に、警備員に渡されていたものである。
 今回、この手紙が3年以上もの長い年月を経て、その存在が明らかになった経緯は、その宛名が元『やまと』イグゼック・ヤマナカ容疑者宛であり、尚かつ『この手紙は私の死後渡されるべきである』という旨の注意書きが書かれていた為であった。
 元『やまと』イグゼック・ヤマナカ容疑者は、キャプテン・カイエダを入院先のセントラル病院内で、故意に生命維持装置を外す等の行為により、殺人の容疑で立件、犯行直後取り押さえる際SPによる銃撃で脳に損傷を受け、現在意識不明の状態であり、延命措置を取られたまま刑が確定したものである。近日、服役先の刑務所は明らかにされてはいないが、極秘に移送される予定となっている。
 このように、宛名である元『やまと』イグゼック・ヤマナカ容疑者が、手紙を受け取る事の出来る状態ではないという現状を鑑み、所持していた警備員から遺族へ手紙は渡り、この度了承を得て、この2通目の手紙が公表された次第である。
 以下が、手紙の全文を英訳したものである。
 了承された遺族の皆様に、追悼と感謝の意を心より表して。

 

 

─── この手紙は、私の死後渡されるべきである ───

親愛なる副長へ

 

『君がこの手紙を読む頃

 私は、もうこの世には居ないだろう。

 それでも、最後だから、ここに書き留めておきたい。

 君には、これまで何度も私のわがままに付き合わせてしまい

 すまなく思っている。

 いつでも、つい、君の優しさに甘えてしまう私を許して欲しい。

 君に嫌われても疎まれても仕方がないだろう。

 君に憎まれても仕方がないだろう。

 色々な約束を君と交わしながら

 果たす事も出来ず

 君に私という枷をはめてしまったことを

 私は哀しく思う。

 赦してくれとは、到底言えない。

 忘れてくれとも、決して言えない。

 それは私の許されない罪なのだろう。

 だから、私は罰として

 ひとりで旅立つことにしよう。

 この航海に起つ前

 二人で旅行に行った事を覚えているか?

 あそこは静かで、霧が深くて、素晴らしい所だった。

 あの時、君とこのまま二人きりで

 ずっとここに居られたらと思ったぐらいだ。

 でも、これ以上

 私のわがままに付き合って貰う訳にはいかないから

 これからはひとりで

 あの街を訪れる夢を見よう。

 寂しい事だけれど

 これが私の罰なのだとしたら

 私は甘んじて受けよう。

 

 それでも、最後にもうひとつだけ

 わがままを言って良いだろうか?

 死なないで欲しい。

 そして、これからは

 君の生きたいように生きて欲しい。

 

 山中

 君はそうでなかったかも知れないけれど

 私は、君の側に居て

 とても、幸せだった。

 ありがとう。

 愛しているよ。

 

        海江田より』  

 

 

 

 ………FIN………



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